若葉 (初春型駆逐艦)

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Wakaba II.jpg
艦歴
発注 マル1計画
起工 1931年12月12日
進水 1934年3月18日
就役 1934年10月31日
その後 1944年10月24日戦没
除籍 1944年12月10日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,400t
公試:1,680t
全長 109.5m
全幅 10.0m
吃水 3.5m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
最大速 36.5ノット
兵員 205名
兵装 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
40mm単装機銃 2基
61cm3連装魚雷発射管 3基9門
(八年式魚雷18本)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1][2]一等駆逐艦初春型の3番艦である[3]。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)若葉」に続いて2隻目[4][5]。艦名は海上自衛隊護衛艦わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。

艦歴[編集]

太平洋戦争まで[編集]

駆逐艦「若葉」(第61駆逐艦)は佐世保工廠1931年(昭和6年)12月12日に起工した[6][7]。初春型2番艦「子日」(12月15日起工)より3日はやい起工だった[8]1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に「初春」、同型2番艦に「子日」、同型3番艦(本艦)に「若葉」の艦名が与えられる[1][9]。また同日附で二等巡洋艦最上型に「最上」と「三隈[10][11]千鳥型水雷艇2隻に「千鳥」と「真鶴」、夏島型敷設艇夏島」等の艦名が通達された[1][9]

建造途中で同型艦「初春」の復元性能不良が判明し、改善工事を施すことになる。このため進水は浦賀船渠で建造中の初春型4番艦「初霜」(昭和8年1月31日起工)より約4ヶ月遅れた[12]1934年(昭和9年)3月18日に進水[6][13]。 5月25日、日本海軍は峯風型駆逐艦2番艦「澤風」艦長則満宰次少佐を若葉艤装員長に任命する[14]。 6月5日、佐世保海軍工廠に艤装員事務所を設置[15]。 10月10日、則満艤装員長は制式に若葉駆逐艦長(初代)となる[16]。 10月31日に竣工[6]。同日附で若葉艤装員事務所も撤去[17]。「初霜」(9月27日竣工)より約1ヶ月遅れての竣工だった[12]。「若葉」は第21駆逐隊(司令坂野民部大佐)に編入され、同隊は定数4隻(初春、子日、初霜、若葉)を揃える。

1935年(昭和10年)11月15日、第21駆逐隊司令は板野大佐から大森仙太郎大佐(太平洋戦争開戦時の第一水雷戦隊司令官)に交代[18]。 11月21日、則道中佐(若葉艦長)は吹雪型駆逐艦」駆逐艦長[19]へ転任[注釈 1]神風型6番艦「追風」艦長中村謙治少佐が若葉駆逐艦長となる[19]1936年(昭和11年)12月1日、第21駆逐隊司令は大森大佐から木村昌福大佐(キスカ島撤退作戦時の第一水雷戦隊司令官)に交代[20]

1937年(昭和12年)12月1日、若葉駆逐艦長は中村少佐から白露型駆逐艦4番艦「夕立」艦長澤村成二少佐[21]に交代する[注釈 2][22]。また第21駆逐隊司令木村昌福大佐は第8駆逐隊司令へ転任、第13駆逐隊司令植田弘之介中佐が第21駆逐隊司令と第28駆逐隊司令を兼務することになった[23]

1938年(昭和13年)1月12日、澤村(若葉艦長)は初春型姉妹艦「夕暮」艦長[24]へ転任。姉妹艦「初霜」艦長塚本守太郎少佐は、初霜および若葉艦長の兼務を命じられた[24]。 8月5日、植田(第21駆逐隊司令)は第三掃海隊司令へ転任、第28駆逐隊司令西岡茂泰中佐が第21駆逐逐隊司令を兼務する[25]。 西岡は第22駆逐隊司令へ転任、それまでの第22駆逐隊司令井原美岐雄大佐が第21駆逐隊司令と第28駆逐隊司令を兼務する[26]。 12月1日、塚本(初霜・若葉艦長)は兼務を解かれ[注釈 3]睦月型駆逐艦10番艦「三日月」艦長大島一太郎少佐が若葉駆逐艦長となる[27]。 12月5日、水上機母艦「能登呂」艦長早川幹夫大佐[注釈 4]が第28駆逐隊司令に任命され、井原司令は兼務を解かれた[28]。 12月15日、井原(第21駆逐隊司令)は大湊防備隊司令・大湊要港部港湾部長を命じられ[29]、第16駆逐隊司令島崎利雄中佐が第21駆逐隊司令となる[30]

1939年(昭和14年)10月15日、大島(若葉艦長)は朝潮型駆逐艦4番艦「満潮」艦長へ転任[31]。後任の若葉駆逐艦長は睦月型3番艦「弥生」艦長安並正俊少佐となる[31]。 11月15日、第21駆逐隊司令は島崎大佐から阿部俊雄中佐に交代する[32]

1940年(昭和15年)10月15日、安並(若葉艦長)は舞鶴防備隊水雷長[33]へ転任[注釈 5]。初春型姉妹艦「有明」艦長吉井五郎少佐が若葉駆逐艦長に任命される[33]。第一水雷戦隊司令官も河瀬四郎少将から戦艦「伊勢」艦長大森仙太郎少将に交代した[34]

1941年(昭和16年)9月1日、第21駆逐隊司令阿部俊雄大佐は第8駆逐隊(大潮、朝潮、満潮、荒潮)司令へ転任[注釈 6]、第29駆逐隊司令清水利夫大佐が第21駆逐隊司令となる[35]。 9月10日、若葉駆逐艦長は吉井少佐から黒木政吉少佐(重巡洋艦「摩耶」水雷長)に交代[36]。「若葉」は黒木艦長の指揮下で太平洋戦争に突入した。吉井は朝潮型1番艦「朝潮」駆逐艦長に任命され[36]、同艦がビスマルク海海戦で沈没した際に戦死した[37]

太平洋戦争[編集]

1941年(昭和16年)12月8日以降の太平洋戦争緒戦では、ひきつづき初春型4隻で第21駆逐隊(初春子日、若葉、初霜)を編制し、第一水雷戦隊に所属。しかし一水戦旗艦「阿武隈」(大森少将)および第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)は南雲機動部隊警戒隊に所属して真珠湾攻撃に参加、第6駆逐隊(暁、響、雷、電)は南方作戦に参加し、第21駆逐隊と第27駆逐隊は内地を拠点に行動した。12月下旬、第21駆逐隊・第27駆逐隊8隻(若葉、初霜、子日、初春、時雨、白露、有明、夕暮)は日本本土へ戻る南雲機動部隊を出迎えた[38]

1942年(昭和17年)初頭より、第21駆逐隊は仏印における作戦に参加した。1月、ケンダリー攻略作戦に従事。1月25日、長良型軽巡洋艦長良」(第一根拠地部隊指揮官久保九次少将座乗)と駆逐艦「初春」が衝突し、「初春」が大破。しばらく戦線を離脱した。第21駆逐隊(初霜、若葉、子日)は続いてマカッサル攻略作戦、バリ島攻略作戦に参加。「長良、初霜、若葉、子日」はバリ島沖海戦で損傷した第8駆逐隊(司令阿部俊雄大佐)[朝潮型駆逐艦]]4隻(大潮朝潮満潮荒潮)の戦場離脱を護衛している。スラバヤ沖海戦における第21駆逐隊(初霜、若葉、子日)はABDA艦隊残存部隊の脱出阻止を図るが、米軍駆逐艦部隊に突破された。

内地に帰投後、第21駆逐隊は北方部隊(第五艦隊)に編入され、北方に転じた[39]妙高型重巡洋艦2番艦「那智」(第五艦隊旗艦)、第一水雷戦隊(軽巡「阿武隈」、第6駆逐隊《暁、響、雷、電》、第21駆逐隊《若葉、初春、子日、初霜》、第7駆逐隊《潮、曙、漣》)、第四航空戦隊龍驤隼鷹)等はアリューシャン列島確保を目的としたアリューシャン攻略作戦に参加。7月5日、姉妹艦「子日」が米潜水艦トライトン (USS Triton, SS-201) に撃沈される[40]。同日、キスカ島沖で停泊中の第18駆逐隊(不知火〔司令駆逐艦〕、)も米潜水艦グロウラーUSS Growler, SS-215)に襲撃され、「霰」沈没、2隻(不知火、霞)大破という損害を受けた[40]。第21駆逐隊は初春型3隻(初春、若葉、初霜)となる[41][42]。 8月31日附で第21駆逐隊司令清水利夫大佐は第31駆逐隊司令(長波巻波[43]へ転任(後日ルンガ沖夜戦における司令駆逐艦「高波」沈没時に戦死)[44]。第1掃海隊司令天野重隆大佐が第21駆逐隊司令となる[43]

また第6駆逐隊のガダルカナル島攻防戦投入にともない、同隊に仮編入されていた吹雪型駆逐艦「薄雲」が第21駆逐隊に仮編入された[45]

10日17日、「初春」と吹雪型駆逐艦」(10月1日附北方部隊編入)は横須賀からキスカ島への輸送中に米軍機の攻撃を受け、「朧」は轟沈。「初春」も大破した。2隻(若葉、初霜)は「初春」の救援にかけつけ、同艦を護衛して幌筵島に送り届けた。「初春」は舞鶴海軍工廠で長期修理を余儀なくされる[42]。 11月7日、若葉駆逐艦長は黒木少佐から峯風型3番艦「沖風」艦長末次信義少佐に交代[46]。また第一水雷戦隊司令官も大森仙太郎少将から森友一少将に交代した[47]。黒木は第三水雷戦隊参謀となり、秋月型駆逐艦5番艦「新月」(三水戦旗艦)がクラ湾夜戦で沈没した際に戦死した。

1943年(昭和18年)3月27日、「若葉」は第五艦隊司令長官細萱戊子郎中将(旗艦「那智」)の指揮下で、重巡2隻(那智摩耶)、軽巡洋艦2隻(多摩阿武隈)、駆逐艦4隻(第21駆逐隊《若葉、初霜》、第6駆逐隊《》)と共に米艦隊(指揮官チャールズ・マクモリス少将:重巡1、軽巡1、駆逐艦4)と交戦した(アッツ島沖海戦)。輸送船の護衛を下令され戦闘に加わらなかった「電」は、第五艦隊(那智、摩耶、阿武隈、多摩、若葉、初霜、雷)の稚拙な戦闘を強く非難している[48]。 3月30日、悪天候の幌筵海峡に停泊中、「若葉」は第6駆逐隊司令駆逐艦「雷」[注釈 7]に衝突され、若干の損傷を受けた[49]。「雷」は艦首を損傷した[50]。 翌日、4隻(那智、摩耶、若葉、初霜)は内地に向け出発[51]。 4月1日附で第五艦隊司令長官は細萱中将から河瀬四郎中将に交代[52]。「薄雲」も制式に第9駆逐隊に編入された[53]。 このあと第21駆逐隊は内地と千島間の船団護衛に従事。 6月8日、第一水雷戦隊司令官森友一少将の急病により、一水戦司令官は森から木村昌福少将に交代する[54]

7月、第21駆逐隊(若葉、初霜)は北方部隊(第五艦隊)の従来戦力(那智阿武隈木曾多摩朝雲薄雲)等に加え、各方面から集められた駆逐艦(島風五月雨長波夕雲風雲秋雲)等と共にケ号作戦(キスカ島撤退作戦)に加わった。第一水雷戦隊司令官木村昌福少将(旗艦「阿武隈」)の指揮下でキスカ島へ向け航行中の7月26日、「若葉」は濃霧により姉妹艦「初霜」と触衝して大きな損傷を受けた。第21駆逐隊司令駆逐艦は「若葉」から島風型駆逐艦「島風」へ移乗。「若葉」は幌筵に帰投し、つづいて内地に回航され修理を行った[55]。 8月20日附で第21駆逐隊司令は、白露型4番艦「村雨」初代艦長、陽炎型8番艦「雪風」艦長(開戦時)等を歴任した脇田喜一郎大佐[56]に交代(天野大佐は、9月21日より第10駆逐隊司令[57]。第61駆逐隊司令として秋月型「初月」沈没時に戦死)。修理完了後、千島方面の船団護衛北海道東方の対潜掃討活動に従事。 10月1日、峯風型2番艦「澤風」艦長二ノ方兼文少佐は若葉駆逐艦長に任命される[58]。「初春」も長期修理を終えて第21駆逐隊に復帰した。

1944年(昭和19年)5月25日、第21駆逐隊司令は脇田大佐から山本祐二大佐[59]に交代(脇田は7月21日より第41駆逐隊司令[60]。秋月型5番艦「霜月」沈没時に戦死)。 6月より硫黄島輸送作戦に従事。 8月5日、第21駆逐隊司令は山本大佐から第22駆逐隊司令石井汞中佐に交代する[61]。 10月、第五艦隊は台湾沖航空戦の大誤報を元にした残敵掃蕩を命じられるが[42]、志摩長官の判断により各艦は米軍機動部隊(健在)に捕捉されることなく奄美大島への退避に成功した[62]

10月下旬のレイテ沖海戦では、第五艦隊司令長官志摩清英中将が指揮する第二遊撃部隊(重巡2隻《那智足柄》、軽巡《阿武隈》、第18駆逐隊《不知火》、第7駆逐隊《》、第21駆逐隊《若葉、初霜、初春》)に所属し、レイテ湾に突入する計画であった[63]。だが輸送任務のため、第21駆逐隊(若葉、初春、初霜)は志摩艦隊本隊より遅れて行動を開始する[64]ミンドロ島東を南下、ミンダナオ島入口で志摩艦隊本隊と合流する事を目指していた[63]10月23日、航海中に救助した陸兵をマニラで上陸させると、補給を受けて南下を開始する[65]。 だが10月24日午前8-9時、第21駆逐隊は米軍空母艦載機約20の空襲を受ける[63]。この戦闘で司令駆逐艦の「若葉」は直撃弾と至近弾による艦底損傷により浸水被害を受け[66]、沈没した[67]。沈没地点パナイ島西方北緯11度36分 東経121度36分 / 北緯11.600度 東経121.600度 / 11.600; 121.600[68]。第21駆逐隊司令石井汞大佐と二ノ方(若葉駆逐艦長)は生還した[69][70]。戦死30名(准士官以上1、下士官兵29)、重軽傷(准士官以上7、下士官兵67)と記録されている[71]。 昼前には「初霜」も被弾[72][73]。これらの被害により第21駆逐隊司令は志摩艦隊本隊との合流を諦める[69]。2隻(初霜、初春)はミンドロ島西側を北上退避[63]、25日午前4時にマニラへ帰投した[74]。スリガオ海峡へ突入した第二遊撃部隊は、軽巡「阿武隈」が沈没して木村昌福司令官は駆逐艦「」に移乗、「曙」が西村艦隊の重巡「最上」を処分、旗艦「那智」が「最上」と衝突して損傷、レイテ湾へ突入することなく撤退し、27日には軽巡「鬼怒」(第十六戦隊司令官左近允尚正中将座乗)と駆逐艦「浦波」救援のため派遣した「不知火」を喪失した[75]

11月13日、姉妹艦「初春」はマニラ湾で空襲を受け、軽巡「木曾」、駆逐艦複数隻(沖波秋霜)と共に撃沈された。11月15日、「若葉」は第21駆逐隊から除籍され、代艦として白露型駆逐艦時雨」を編入する[76]。 12月10日、「若葉」は初春型駆逐艦[77]、 帝国駆逐艦籍[78]より除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』298-299頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 則満宰次 少佐:1934年5月25日[14] - 1934年10月10日[16]

艦長[編集]

  1. 則満宰次 少佐:1934年10月10日[16] - 1935年11月21日[19]
  2. 中村謙治 少佐:1935年11月21日[19] - 1937年12月1日[21]
  3. 沢村成二 少佐:1937年12月1日[21] - 1938年1月12日[24]
  4. (兼)塚本守太郎 少佐:1938年1月12日[24] - 1938年12月1日[27](本職:初霜駆逐艦長)
  5. 大島一太郎 少佐:1938年12月1日[27] - 1939年10月15日[31]
  6. 安並正俊 少佐:1939年10月15日[31] - 1940年10月15日[33]
  7. 吉井五郎 少佐:1940年10月15日[33] - 1941年9月10日[36]
  8. 黒木政吉 少佐:1941年9月10日[36] - 1942年11月7日[46]
  9. 末次信義 少佐:1942年11月7日[46] -
  10. 二ノ方兼文 少佐:1943年10月1日[58] - 1944年11月15日[79]

注釈[編集]

  1. ^ 後日、則道は駆逐艦「狭霧」艦長、軽巡「北上」艦長、第61駆逐隊司令(秋月型照月座乗)、重巡「筑摩」艦長等を歴任。レイテ沖海戦における「筑摩」沈没時に戦死。
  2. ^ 中村謙治は中佐進級後、12月20日より朝潮型駆逐艦「朝雲」艦長、吹雪型「」艦長、陽炎型駆逐艦「不知火」初代艦長、青葉型重巡洋艦「青葉」副長等を歴任。サボ島沖海戦における「青葉」大破時に戦死。大佐進級。
  3. ^ 後日、塚本は睦月型「長月」艦長、朝潮型「夏雲」艦長等を歴任。サボ島沖海戦における「夏雲」沈没時に戦死。
  4. ^ 後日、早川は第二水雷戦隊司令官。多号作戦において「島風」沈没時に戦死。
  5. ^ 後日、安並は吹雪型「薄雲」艦長、陽炎型2番艦「不知火」艦長等を歴任。
  6. ^ 阿部は第8駆逐隊司令、第10駆逐隊司令、軽巡「大淀」艦長、空母「信濃」艦長等を歴任。「信濃」沈没時に戦死。
  7. ^ この時の雷駆逐艦長前田実穂少佐は、後日陽炎型駆逐艦12番艦「磯風」駆逐艦長。

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』
  2. ^ #日本軍艦集2600年版p.42『一等驅逐艦 若葉(わかば) 基準排水量1,368噸、長さ102.96米、幅9.94米、平均吃水2.67米、速力34節、備砲12.7糎砲5門、魚雷發射管6門、起工昭和6年12月12日、進水昭和9年3月18日、竣工昭和9年10月31日、建造所浦賀船渠會社―同型に、初春、子日、初霜、有明及び夕暮がある。』
  3. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』
  4. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.93『神風型〔三等驅逐艦〕
  5. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.161『初春型〔六隻〕 艦種一等驅逐艦 艦名考気象等に採る。若葉(わかば)【二代】』
  6. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『若葉|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-12|9-3-18|9-10-31|(艦装備略)』
  7. ^ #第3983号若葉p.3『(宛略)電報 第六十一駆逐艦十二月十二日午前十一時工廠ニ於テ起工ス 十二日』
  8. ^ #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『子日|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-15|7-12-22|〃(8-9-30)|(艦装備略)』
  9. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』
  10. ^ #達昭和7年8月p.7『達第百五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|呉海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 最上モガミ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 三隈ミクマ』
  11. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.203『◎二等巡洋艦最上及三隈命名ノ件』
  12. ^ a b #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『初霜|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|8-1-31|8-11-4|9-9-27|(艦装備略)』
  13. ^ 昭和9年3月20日(火)海軍公報第2125号 p.8』 アジア歴史資料センター Ref.C12070342700 『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦若葉一昨日十八日午前九時四十五分進水セリ』
  14. ^ a b 昭和9年5月26日 官報第2218号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958693 p.7
  15. ^ 昭和9年6月9日(土)海軍公報第2190号 p.38』 アジア歴史資料センター Ref.C12070343500 『○事務所設置 驅逐艦若葉艤装員事務所ヲ本月五日佐世保海軍工廠内ニ設置セリ』
  16. ^ a b c 昭和9年10月11日 官報第2335号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958811 p.3
  17. ^ 昭和9年11月6日(火)海軍公報第2314号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C12070345500 『○事務所撤去 驅逐艦若葉艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠内ニ設置中ノ處去月三十一日撤去セリ』
  18. ^ 昭和10年11月16日 官報第2663号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959142 p.9
  19. ^ a b c d 昭和10年11月22日 官報第2668号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959147 p.3
  20. ^ 昭和11年12月2日 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.21
  21. ^ a b c 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  22. ^ 昭和17年11月5日(発令11月5日付)海軍辞令公報(部内限)第978号 p.49』 アジア歴史資料センター Ref.C13072087900 
  23. ^ 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 pp.22,25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  24. ^ a b c d 昭和13年1月12日(発令1月12日付)海軍辞令公報(号外)第120号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073300 
  25. ^ 昭和13年8月5日(発令8月5日付)海軍辞令公報(部内限)号外第221号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  26. ^ 昭和13年10月20日(発令10月20日付)海軍辞令公報(部内限)号外第252号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074400 
  27. ^ a b c 昭和13年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(部内限)第267号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  28. ^ 昭和13年12月5日(発令12月5日付)海軍辞令公報(部内限)号外第269号 p.49』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
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  38. ^ #S1612五航戦(経過)pp.3-4『(六)同夜機動部隊ハ南方ニ偽航路ヲ執リ爾後概ネ16節乃至20節ヲ以テ硫黄島ノ南方海面ヲ経テ21日朝父島ノ南西方約350浬ニ於テ第21、第27駆逐隊及第2補給隊ト合同豊後水道方面ニ向ヒツヽ警戒隊ハ第二補給隊ヨリ補給ヲ行ヒ同夜第二補給隊ヲ分離、23日0930豊後水道掃海水道外ニ達シ呉鎮守府防備部隊ノ警戒裡ニ内海ニ入リ1833廣島湾ニ假泊24日1345假泊地発1600呉ニ入港セリ』
  39. ^ #海軍駆逐隊(2015)308頁
  40. ^ a b #潜水艦戦争196頁
  41. ^ #内令昭和17年7月(4)p.38『内令第千三百九十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年七月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十八驅逐隊ノ項中「霰、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「子日、」ヲ削ル』
  42. ^ a b c #海軍駆逐隊(2015)310-311頁
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  45. ^ #S1708一水戦日誌(1)pp.5-6『3.八月二八日聯合艦隊電令作第二四三號及北方部隊電令作第二九二號ニ依リ第六驅逐隊機動部隊ニ編入セラレ本職ノ指揮下ヲ離ル、之ニ伴ヒ北方部隊信令第一五三號ニ依リ薄雲ヲ第六驅逐隊ヨリ除カレ第二十一驅逐隊ニ編入セラル』
  46. ^ a b c 昭和17年11月9日(発令11月7日付)海軍辞令公報(部内限)第980号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  47. ^ 昭和17年11月7日(発令11月7日付)海軍辞令公報(部内限)第979号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  48. ^ #電詳報其弍(5)1712pp.16-17『七.所見 (イ)近迫攻撃ニ缺クルモノアリ (ロ)射撃ニ関シ更ニ研究ノ余地大ナリ斯カル戰斗ヲ以テセバ晝間同等程度ノ兵力ニテハ敵ニ打撃ヲ與フルコト不可能ナリ (ハ)水雷戦隊ノ遠距離少数射線発射又研究ノ余地大ナリ (ニ)積極的戦法ニ缺クルモノ大ナリ』
  49. ^ #S1801一水戦(1)pp.30-31『三十一日 二十一駆司令(宛略)若葉三月三十日幌筵海峡荒天碇泊中一八二五走錨シ出港セントスル雷ト觸衝右舷十六番十七番「ビーム」間水線上ニ長サ一五〇糎幅五〇糎ノ破口ヲ生ジ三十一日應急修理完成戦斗航海ニ先ヅ支障ナキモノト認ム』
  50. ^ #雷海戦記307頁(雷艦首損傷写真)
  51. ^ #S1801一水戦(1)p.7『三十一日 那智摩耶若葉初霜横須賀ニ向ケ幌筵海峡発』
  52. ^ 昭和18年4月1日(発令4月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1085号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090400 
  53. ^ #内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム|第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル|第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  54. ^ 昭和18年6月9日(発令6月8日付)海軍辞令公報(部内限)第1140号 p.44』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091500 
  55. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)35頁
  56. ^ 昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 
  57. ^ 昭和18年9月22日(発令9月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1221号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093100 
  58. ^ a b 昭和18年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1229号 p.33』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093500 
  59. ^ 昭和19年5月25日(発令5月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1481号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072098300 
  60. ^ 昭和19年7月21日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1541号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100100 
  61. ^ 昭和19年8月11日(発令8月5日付)海軍辞令公報(甲)第1560号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100500 
  62. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)37-38頁
  63. ^ a b c d #サイパン・レイテ海戦記216-218頁『志摩艦隊の行動』
  64. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.3『当隊ハ第二遊撃部隊ト共ニ馬公ニ待機中第二航空戦隊基地物件並ニ人員輸送ノ命ヲ受ケ23日午後「マニラ」ニ到着セルモ既ニ第二遊撃部隊ハ「コロン」ヲ出撃シ有リタルヲ以テ24日2000B点ニ於テ是ト合同スベク「マニラ」ニ於ケル補給終了後成ル可ク速ニ出撃ノ予定ノ所初霜ノ補給遅レ2125「マニラ」湾内ニ合同以後一戦速ヲ以テ南下1800概ネB点ニ到着ノ予定ナリキ』
  65. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)40頁
  66. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『0813|各艦銃爆撃ヲ受ク若葉直撃弾1至近弾1(補機室附近)ヲ航行不能』
  67. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)41-43頁
  68. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『24日0858若葉沈没若葉ノ位置N11°36′E121°36′司令駆逐艦ヲ初春ニ変更』
  69. ^ a b #佐藤 艦長続編(文庫)44頁
  70. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『0945|若葉ノ乗員救助終了(初霜ニテ救助セル員数准士官以上5下士官兵73)』
  71. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.11『10月24日対空戦闘 駆逐艦若葉初春死傷者調査表』
  72. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)402-403頁
  73. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『1152/敵機8機ノ奇襲ヲ受ケ初霜直撃弾1ヲ受ク(二番砲塔左舷側全力発揮差支ナシ)敵機約二十機当隊ヲ襲撃ス対空戦闘ヲ始ム』
  74. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『25日0110/「マニラ」湾ニ入ル/0400 マニラ三号桟橋ニ横付負傷者陸揚燃料補給ヲナス』
  75. ^ #サイパン・レイテ海戦記402-403頁
  76. ^ #秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日 海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ| |第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫| |第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  77. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.12『内令第一三三三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年十二月十日 海軍大臣 驅逐艦、一等初雪形ノ項中「浦波、」ヲ、同初春型ノ項中「、若葉」ヲ、同不知火型ノ項中「不知火、」ヲ、同夕雲型ノ項中「、藤波」ヲ、同秋月型ノ項中「秋月、」「、初月」ヲ削ル』
  78. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.18『内令第一三四〇號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦波、驅逐艦 不知火|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 若葉、驅逐艦 秋月、驅逐艦 初月|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 藤波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略) 昭和十九年十二月十日 海軍大臣』
  79. ^ 昭和19年11月18日(発令11月15日付)海軍辞令公報(甲)第1646号 p.9』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102000 

参考文献[編集]

  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「迫真の演技」<駆逐艦「長月」艦長・二ノ方兼文中佐の証言>(太平洋戦争時、鈴谷水雷長、長月艦長、沢風艦長等。1943年10月〜沈没まで若葉艦長。)
    • 「本領発揮」<駆逐艦「初霜」艦長・酒匂雅三中佐の証言>(太平洋戦争時、隼艦長、鴻艦長、沢風艦長、初霜艦長、潮艦長等)
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 戦史研究家佐伯玲治『北方から南方へ第二十一駆逐隊の栄光 初春、子日、初霜、若葉。第一水雷戦隊の初春型駆逐艦四隻の転戦譜
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 橋本衛 『特型駆逐艦「雷」海戦記 一砲術員の見た戦場の実相』 光人社NF文庫、2014年8月(原著1984年)。ISBN 978-4-7698-2255-4
  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6
  • レオンス・ペイヤール著、長塚隆二訳 『潜水艦戦争 1939-1945』 早川書房、1973年12月。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 近代デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊軍艦集. 1935年版』 海軍研究社、1935年5月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』 海軍研究社、1937年2月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『日本軍艦集 2600年版』 海軍研究社、1940年7月。
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』 海軍大臣官房、1940年
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070095800 『昭和7年達完/8月』。
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    • Ref.C13071974300 『昭和12年12月1日現在10版内令提要追録第3号原稿/巻1追録/第6類機密保護』。
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    • Ref.C13120032900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/1.経過』。
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関連項目[編集]