若葉 (初春型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
若葉
Wakaba II.jpg
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 初春型駆逐艦
艦歴
発注 マル1計画 [1]
起工 1931年12月12日[2]
進水 1934年3月18日[2]
竣工 1934年10月31日[2]
最期 1944年10月24日戦没
除籍 1944年12月10日
要目
基準排水量 1,400t
公試排水量 1,680t
全長 109.5 m
最大幅 10 m
吃水 3.5m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
最大速力 36.5kt
乗員 205名
兵装 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
40mm単装機銃 2基
61cm3連装魚雷発射管 3基9門
(八年式魚雷18本)
テンプレートを表示

若葉(わかば)は、日本海軍初春型駆逐艦3番艦である[3][4]1934年(昭和9年)10月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1906年(明治39年)竣工の神風型駆逐艦 (初代)若葉に続いて2隻目。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦時に空襲を受け沈没した。

艦歴[編集]

建造~太平洋戦争緒戦[編集]

1931年(昭和6年)12月12日、佐世保工廠で第61駆逐艦として起工した[2][5]1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に初春、2番艦に子日、3番艦に若葉の艦名が与えられた[1][6]1933年(昭和8年)夏、竣工前の初春と子日の公試運転で復原性能の不良が判明し、進水前に大きな設計変更が必要になった。

1934年(昭和9年)3月18日に進水[2][7]。同型4番艦初霜より約1か月遅い同年10月31日に竣工した[2]。若葉は第21駆逐隊に編入され、初春型1-4番艦がそろった。1941年(昭和16年)9月10日、黒木政吉少佐が艦長に就任した[8]

同年12月8日の太平洋戦争開戦を内海で迎えた。21日、第21駆逐隊(初春、子日、若葉、初霜)と第27駆逐隊白露時雨有明夕暮)は真珠湾攻撃を終えた第一航空艦隊と父島沖で合流、内海まで護衛した[9]1942年(昭和17年)1月、第21駆逐隊は輸送船団を護衛してダバオに入港し、仏印作戦に参加した。25日、スラウェシ島ケンダリの攻略部隊に合流したが、初春が軽巡長良と衝突し、戦線から離脱した。子日、若葉、初霜の3隻となった第21駆逐隊はマカッサル攻略作戦に参加した。

2月のバリ島攻略作戦で、第21駆逐隊は長良と共に支援隊を編制した。19日、攻略隊の第8駆逐隊(大潮朝潮満潮荒潮)がバリ島の上陸作戦に成功したが、同日深夜にバリ島沖海戦が勃発し、満潮が大破した。支援隊は20日朝に第8駆逐隊と合流し、マカッサルまで護衛した。

2月末の スラバヤ沖海戦で、第21駆逐隊は測量艦筑紫と共にバリ海峡を警戒したが、3月1日未明に連合軍の米駆逐艦4隻が海峡に高速で突入し、損傷を与えられず逃走を許した[10]南方作戦蘭印作戦が完了し、第21駆逐隊は内地に帰投した。

北方戦線での戦い[編集]

初春が戦線に復帰し再び4隻となった第21駆逐隊は、北方部隊(第五艦隊)に編入され[11]、6月のミッドウェー海戦時にはアリューシャン攻略作戦に参加した。第21駆逐隊は引き続きアリューシャン方面の輸送作戦を支援したが、7月5日に子日がアガッツ島沖で米潜水艦トライトンに撃沈された。

8月28日、薄雲が第21駆逐隊に編入した[12]。10月17日、初春と駆逐艦キスカ島への輸送中に米軍機の攻撃を受け朧が沈没、初春も大破した。若葉と初霜が救援に駆けつけ、初春を護衛して幌筵島に送り届けた[13]。11月7日、艦長は末次信義少佐に交代した[14]1943年(昭和18年)1月23日、軽巡木曾と共に幌筵島からキスカ島へ輸送中、浮上航走中の敵潜水艦を発見して反転・帰投したが、後に潜水艦伊35が哨戒中だったと判明した。

1943年(昭和18年)2月以降、アリューシャン方面にチャールズ・マクモリス少将の米艦隊が出現し、輸送船団の攻撃を始めた。日本軍は幌筵島からアッツ島へ向かう増援部隊の護衛に第五艦隊(細萱戊子郎中将)の主力を配置した。3月27日、若葉は重巡那智摩耶、軽巡多摩阿武隈、他の駆逐艦3隻(初霜、)と共に船団を護衛中、北太平洋でマクモリス少将が率いる軽巡リッチモンド 、重巡ソルトレイクシティ 、駆逐艦4隻(BaileyCoghlanモナハンデイル)に遭遇した。第五艦隊は米艦隊を撃退したが弾薬が欠乏し、アッツ島への輸送を断念した。

帰投した若葉が悪天候の幌筵海峡で停泊中の30日、出港してきた雷に触接された。31日、若葉は那智、摩耶、初霜と共に内地に向かった[15]。4月1日、薄雲が第9駆逐隊に移った[16]。その後、第21駆逐隊は内地と千島間の船団護衛に従事した。

第21駆逐隊(若葉、初霜)は、6月28日に発動されたキスカ島撤退作戦(ケ号作戦)に参加した(編制はキスカ島撤退作戦参照)。幌筵島を7月7日に出撃した第一期作戦は天候に恵まれず、18日に帰投した。22日に出撃した第二期作戦では、濃霧の中を航行中の26日に初霜が右舷に衝突し、若葉の艦尾が駆逐艦長波に衝突した。第21駆逐隊司令の天野重隆大佐は若葉から駆逐艦島風に移譲して指揮を続けたが、若葉は幌筵島に帰投したため、キスカ島兵員の撤収には参加できなかった。内地で修理を行い、完了後は再び千島方面の船団護衛、北海道東方の対潜掃討に従事した[17]。10月1日、二ノ方兼文少佐が艦長になった[18]。初春も10月2日に修理を終え、前線任務に復帰した。

中部太平洋への転戦、沈没[編集]

1944年(昭和19年)6月から硫黄島輸送作戦に従事。8月5日、駆逐隊司令に石井汞中佐が就任した[19]。第21駆逐隊(若葉、初春、初霜)が所属する第五艦隊は、捷一号作戦で第二遊撃部隊(志摩清英中将)を編制することが決まった。10月14日、台湾沖航空戦での戦果の誤認を受けて同作戦が発動され、第二遊撃部隊は15日に内海から出撃。20日に台湾・馬公に到着した。

フィリピンへの大規模な米軍の上陸を阻止するため、第二遊撃部隊はレイテ湾への突入を計画した。第21駆逐隊は21日に第二航空戦隊(第六基地航空部隊)の要請で高雄からマニラへの兵員輸送任務に充てられ、第二遊撃部隊と分かれた。23日、兵員をマニラで上陸させた。ミンドロ島東を南下し、24日にミンダナオ島入口で第二遊撃部隊との合流をめざした。

しかし24日午前8時、米機動部隊の艦載機約20機が襲来した。若葉は直撃弾と至近弾で艦底が損傷して航行不能になり、同9時前に沈没した。沈没海域はパナイ島西方北緯11度36分 東経121度36分 / 北緯11.600度 東経121.600度 / 11.600; 121.600[20]。戦死30名(准士官以上1、下士官兵29)、重軽傷(准士官以上7、下士官兵67)。乗艦していた石井司令と二ノ方艦長は救助された。初春と被弾した初霜は第二遊撃部隊との合流を断念、ミンドロ島西を北上してマニラへ帰投した[21][22][23]

12月10日、帝国駆逐艦籍から除籍された[24]。艦名は海上自衛隊護衛艦わかば(旧駆逐艦梨)に継承された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』298-299頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 則満宰次 少佐:1934年5月25日[25] - 1934年10月10日[26]

艦長[編集]

  1. 則満宰次 少佐:1934年10月10日[26] - 1935年11月21日[27]
  2. 中村謙治 少佐:1935年11月21日[27] - 1937年12月1日[28]
  3. 沢村成二 少佐:1937年12月1日[28] - 1938年1月12日[29]
  4. (兼)塚本守太郎 少佐:1938年1月12日[29] - 1938年12月1日[30]
  5. 大島一太郎 少佐:1938年12月1日[30] - 1939年10月15日[31]
  6. 安並正俊 少佐:1939年10月15日[31] - 1940年10月15日[32]
  7. 吉井五郎 少佐:1940年10月15日[32] - 1941年9月10日[8]
  8. 黒木政吉 少佐:1941年9月10日[8] - 1942年11月7日[14]
  9. 末次信義 少佐:1942年11月7日[14] -
  10. 二ノ方兼文 少佐:1943年10月1日[18] - 1944年11月15日[33]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ(略)』
  2. ^ a b c d e f #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『若葉|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-12|9-3-18|9-10-31|(艦装備略)』
  3. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』
  4. ^ #日本軍艦集2600年版p.42『一等驅逐艦 若葉(わかば) 基準排水量1,368噸、長さ102.96米、幅9.94米、平均吃水2.67米、速力34節、備砲12.7糎砲5門、魚雷發射管6門、起工昭和6年12月12日、進水昭和9年3月18日、竣工昭和9年10月31日、建造所浦賀船渠會社―同型に、初春、子日、初霜、有明及び夕暮がある。』
  5. ^ #第3983号若葉p.3『(宛略)電報 第六十一駆逐艦十二月十二日午前十一時工廠ニ於テ起工ス 十二日』
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』
  7. ^ 昭和9年3月20日(火)海軍公報第2125号 p.8』 アジア歴史資料センター Ref.C12070342700 『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦若葉一昨日十八日午前九時四十五分進水セリ』
  8. ^ a b c 昭和16年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第708号 pp.23, 25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 
  9. ^ #S1612五航戦(経過)pp.3-4『(六)同夜機動部隊ハ南方ニ偽航路ヲ執リ爾後概ネ16節乃至20節ヲ以テ硫黄島ノ南方海面ヲ経テ21日朝父島ノ南西方約350浬ニ於テ第21、第27駆逐隊及第2補給隊ト合同豊後水道方面ニ向ヒツヽ警戒隊ハ第二補給隊ヨリ補給ヲ行ヒ同夜第二補給隊ヲ分離、23日0930豊後水道掃海水道外ニ達シ呉鎮守府防備部隊ノ警戒裡ニ内海ニ入リ1833廣島湾ニ假泊24日1345假泊地発1600呉ニ入港セリ』
  10. ^ #叢書26海軍進攻作戦478頁
  11. ^ #海軍駆逐隊(2015)308頁
  12. ^ #S1708一水戦日誌(1)pp.5-6『3.八月二八日聯合艦隊電令作第二四三號及北方部隊電令作第二九二號ニ依リ第六驅逐隊機動部隊ニ編入セラレ本職ノ指揮下ヲ離ル、之ニ伴ヒ北方部隊信令第一五三號ニ依リ薄雲ヲ第六驅逐隊ヨリ除カレ第二十一驅逐隊ニ編入セラル』
  13. ^ #叢書29北東方面337-339頁
  14. ^ a b c 昭和17年11月9日(発令11月7日付)海軍辞令公報(部内限)第980号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  15. ^ #S1801一水戦(1)pp.30-31『三十一日 二十一駆司令(宛略)若葉三月三十日幌筵海峡荒天碇泊中一八二五走錨シ出港セントスル雷ト觸衝右舷十六番十七番「ビーム」間水線上ニ長サ一五〇糎幅五〇糎ノ破口ヲ生ジ三十一日應急修理完成戦斗航海ニ先ヅ支障ナキモノト認ム』p.7『三十一日 那智摩耶若葉初霜横須賀ニ向ケ幌筵海峡発』
  16. ^ #内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム(略)』
  17. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)35頁
  18. ^ a b 昭和18年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1229号 p.33』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093500 
  19. ^ 昭和19年8月11日(発令8月5日付)海軍辞令公報(甲)第1560号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100500 
  20. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『24日0858若葉沈没若葉ノ位置N11°36′E121°36′司令駆逐艦ヲ初春ニ変更』
  21. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.3『当隊ハ第二遊撃部隊ト共ニ馬公ニ待機中第二航空戦隊基地物件並ニ人員輸送ノ命ヲ受ケ23日午後「マニラ」ニ到着セルモ既ニ第二遊撃部隊ハ「コロン」ヲ出撃シ有リタルヲ以テ24日2000B点ニ於テ是ト合同スベク「マニラ」ニ於ケル補給終了後成ル可ク速ニ出撃ノ予定ノ所初霜ノ補給遅レ2125「マニラ」湾内ニ合同以後一戦速ヲ以テ南下1800概ネB点ニ到着ノ予定ナリキ』p.4『0813|各艦銃爆撃ヲ受ク若葉直撃弾1至近弾1(補機室附近)ヲ航行不能』P.11(若葉初春死傷者調査表)
  22. ^ #サイパン・レイテ海戦記216-218頁
  23. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)40-44頁
  24. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.18『内令第一三四〇號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦波、驅逐艦 不知火|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 若葉、驅逐艦 秋月、驅逐艦 初月|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 藤波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略) 昭和十九年十二月十日 海軍大臣』
  25. ^ 昭和9年5月26日 官報第2218号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958693 p.7
  26. ^ a b 昭和9年10月11日 官報第2335号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958811 p.3
  27. ^ a b 昭和10年11月22日 官報第2668号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959147 p.3
  28. ^ a b 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  29. ^ a b 昭和13年1月12日(発令1月12日付)海軍辞令公報(号外)第120号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073300 
  30. ^ a b 昭和13年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(部内限)第267号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  31. ^ a b 昭和14年10月16日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第391号 pp.22-23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076400 
  32. ^ a b 昭和15年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第543号 pp.40-41』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  33. ^ 昭和19年11月18日(発令11月15日付)海軍辞令公報(甲)第1646号 p.9』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102000 

参考文献[編集]

  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「迫真の演技」<駆逐艦「長月」艦長・二ノ方兼文中佐の証言>
    • 「本領発揮」<駆逐艦「初霜」艦長・酒匂雅三中佐の証言>
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 戦史研究家佐伯玲治『北方から南方へ第二十一駆逐隊の栄光 初春、子日、初霜、若葉。第一水雷戦隊の初春型駆逐艦四隻の転戦譜
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 橋本衛 『特型駆逐艦「雷」海戦記 一砲術員の見た戦場の実相』 光人社NF文庫、2014年8月(原著1984年)。ISBN 978-4-7698-2255-4
  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6
  • レオンス・ペイヤール著、長塚隆二訳 『潜水艦戦争 1939-1945』 早川書房、1973年12月。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 近代デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊軍艦集. 1935年版』 海軍研究社、1935年5月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』 海軍研究社、1937年2月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『日本軍艦集 2600年版』 海軍研究社、1940年7月。
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』 海軍大臣官房、1940年
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070095800 『昭和7年達完/8月』。
    • Ref.C12070164300 『昭和17年7月〜9月 内令3巻/昭和17年7月分(4)』。
    • Ref.C12070176200 『昭和18年1月〜4月 内令1巻/内令昭和18年4月(1)』。
    • Ref.C12070497900 『昭和19年9月〜12月 秘海軍公報号外/11月(3)』。
    • Ref.C12070498200 『昭和19年9月〜12月 秘海軍公報号外/12月(2)』。
    • Ref.C05110623300 『第3983号6.12.23若葉』。
    • Ref.C05110623400 『第4055号6.12.15子日』。
    • Ref.C13071974300 『昭和12年12月1日現在10版内令提要追録第3号原稿/巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C13120032900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/1.経過』。
    • Ref.C08030753300 『昭和17年12月9日〜昭和18年8月22日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その2(5)』。
    • Ref.C08030082100 『昭和17年8月1日〜昭和17年10月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030083700 『昭和18年3月1日〜昭和18年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030589600 『昭和19年10月24日 第21駆逐隊捷1号作戦戦闘詳報』。

関連項目[編集]