椿 (松型駆逐艦)

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椿
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1944年6月20日[1]
進水 1944年9月30日[1]
就役 1944年11月30日[1]
除籍 1945年11月30日
その後 1948年7月28日解体完了
要目
排水量 基準:1,262トン(計画)[2]
公試:1,530t(計画)[2]
公試:1,561t(完成公試状態)[1]
全長 100.00m(計画)[1][2]
全幅 9.35m(計画)[1][2]
吃水 3.30m(計画)[1][2]
主缶 ロ号艦本式缶2基[2]
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000(計画)[2]
速力 27.8kt(計画)[2]
29.05kt(1,360トンにおける全力公試)[1]
航続距離 18ktで3,500海里(計画)[2]
18.0ktで3,794海里(公試状態)[1]
燃料 重油370t(計画)[2]
乗員 211名(計画)[2]/265名[3]/290名[4]
兵装
(竣工時[1]
40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm三連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
九二式61cm4連装魚雷発射管 1基
九三式魚雷4本(予備魚雷なし)
爆雷投射機2基
爆雷投下軌条2基
二式爆雷 36個
電探 二号二型(対水上用) [2]
一号三型(対空用)[5]
水測装置 九三式探信儀[1]
九三式聴音機[1]

椿(つばき)は、大日本帝国海軍駆逐艦松型(丁型)の15番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「楢型」3番艦「椿」)。丁型一等駆逐艦第5498号艦として舞鶴海軍工廠で建造された。

艦歴[編集]

本籍は舞鶴鎮守府[1]。就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海に回航され、訓練の後2月5日付で「」とともに第一海上護衛隊の指揮下に入り、缶系統に不具合が発生したものの修理を行い、2月16日にモタ38船団を護衛して門司を出撃した[6]。3月15日付で「桜」「」「」「」「」とともに第五十三駆逐隊を編成する[7]。4月に入り、かつて日米交換船として活躍し、1943年(昭和18年)9月9日のイタリア無条件降伏により上海にて自沈後引き揚げられたイタリアの大型客船コンテ・ヴェルデ (SS Conte Verde) を日本に回航する計画が持ち上がった[8]。4月10日、「寿丸」と仮称されたコンテ・ヴェルデを砲艦宇治」、第21号掃海艇とともに護衛して[9]上海を出港する。しかし、18時過ぎに呉淞灯台沖を航行中に磁気機雷に触雷し中破[10]。艦後部を中心に被害があり、行方不明者1名と負傷者30名を出した[10]江南造船所英語版で修理が行われ[11]、一応の修理を終えた後の5月8日にシモ04船団を護衛して上海を出港する[12]。シモ04船団は大きく迂回航路をとり、5月17日に油谷湾に到着[13]。5月25日付で呉鎮守府部隊に編入され[14]呉海軍工廠で本格的に修理が行われるも、江南造船所製作のディーゼル発電機の状態が不良で[15]、代替用のディーゼル発電機もなかなか到着しなかった[15]。7月に入り、左舷運転で18ノットが出るまでに回復したものの、ディーゼル発電機を含む電気系統の修理は完了しなかった[16]。7月13日に備讃瀬戸に回航された後[16]、7月24日に備讃瀬戸で第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機の攻撃を受け中破し、28日にも再度の空襲を受けた。8月15日の終戦時、で中破状態で残存。11月30日に除籍ののち長く放置された後、1948年(昭和23年)7月1日から播磨造船呉ドックで解体が開始され、7月28日に解体が終了した。

歴代艦長[編集]

※注記のないものは『艦長たちの軍艦史』367-368頁による。

艤装員長[編集]

  1. 宇那木勁 少佐: - 1944年11月1日[17]
  2. 田中一郎 少佐:1944年11月12日 -

駆逐艦長[編集]

  1. 田中一郎 少佐:1944年11月30日 - 1945年7月[18]
  2. 本多敏治 少佐(松型駆逐艦及び橘型駆逐艦駆逐艦長と兼務):1945年7月[19] -

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 「椿要目簿(抜粋)」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』108頁から110頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』83頁。
  3. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.8
  4. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.8
  5. ^ 『日本海軍全艦艇史』641頁、No1843の写真(「要目簿」添付写真『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』108頁)。
  6. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.13,14,15,16 、『第一護衛艦隊戦時日誌』C08030142100, pp.48
  7. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.60
  8. ^ 『海防艦戦記』303ページ
  9. ^ 『第六十三号海防艦戦時日誌』pp.10
  10. ^ a b 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.14
  11. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.20
  12. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.43
  13. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.46
  14. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.33
  15. ^ a b 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128100, pp.15
  16. ^ a b 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128100, pp.31
  17. ^ 昭和19年11月6日(発令11月1日付)海軍辞令公報(甲)第1636号 p.18』 アジア歴史資料センター Ref.C13072101800 
  18. ^ #佐藤 艦長(文庫)470頁
  19. ^ #佐藤 艦長(文庫)481頁

参考文献[編集]

  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年一月一日至昭和二十年一月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127800
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年二月一日至昭和二十年二月二十八日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127900
  • 第一護衛艦隊司令部『自昭和二十年二月一日至昭和二十年二月二十八日 第一護衛艦隊戦時日誌』(昭和20年1月1日~昭和20年3月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030142100
  • 第六十三号海防艦『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第六十三号海防艦戦時日誌』(昭和20年4月1日~昭和20年4月30日 第63号海防艦戦時日誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030593400
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年五月一日至昭和二十年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128000
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年六月一日至昭和二十年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年七月一日至昭和二十年七月十五日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128100
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年、ISBN 4-05-603251-3
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 福井静夫『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争  34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年5月。ISBN 4-7698-2009-7
    • 「戦場の錯誤」<駆逐艦「椿」艦長・田中一郎少佐の証言>(太平洋戦争時、嵐水雷長、椿艦長等)
    • 「押し問答」<駆逐艦「楢」艦長・本多敏治少佐の証言>(太平洋戦争時、叢雲水雷長、青葉水雷長、楢艦長等)
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「幸運と不運」<駆逐艦「竹」艦長・宇那木勁少佐の証言>(太平洋戦争時、磯波水雷長、海軍兵学校教官、椿艤装員長、竹艦長等)