四十口径八九式十二糎七高角砲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
四十口径八九式十二糎七高角砲
Type89 127mm.jpg
種類 艦砲/高射砲
原開発国 日本の旗 日本
運用史
配備期間 1932年2月〜1945年
配備先  大日本帝国海軍
関連戦争・紛争 太平洋戦争
開発史
開発期間 1929年1931年
製造数 1,306門
諸元
重量 20.3トン(A1型)
要員数 11名

砲弾 通常弾, 三式弾, 照明弾
弾薬包全長: 970.8mm
砲弾重量 23.00 kg
34.320kg(弾薬包)
口径 127mm口径 / 40口径長
砲尾 横鎖栓式
仰角 -8°/+90°
俯仰速度: 12°/s(人力の場合3度/秒)
旋回角 旋回速度: 6度/秒(人力の場合3度/秒)
発射速度 14発/分
初速 720 m/s
最大射程 14,622 m

四十口径八九式十二糎七高角砲[1](40こうけいはちきゅうしき12せんち7こうかくほう)は、日本海軍が他の砲の設計を転用せず、はじめから高角砲として設計された砲である。通称12.7センチ高角砲1932年(昭和7年)2月6日正式採用された。

概要[編集]

日本海軍は対空兵器として45口径三年式12cm砲を対空砲(いわゆる高角砲)として改設計した四十五口径十年式十二糎高角砲を配備していた。だが、航空機の発達や対空砲として設計されたわけではない十年式は性能不足が生じることが予想されたため、高角砲(対空砲)として設計した砲を開発することとなった。

設計に当たっては

  • 発射速度を大とする。1門あたり毎分14発を目標とした。
  • 弾の威力を大きくする。既存の12cm高角砲より径を0.7cm大きくし、被害半径を拡大させた。
  • 弾薬包の重量を35kg以下に抑える。砲員の体力消耗により発射速度が低下することを押さえるため。
  • 砲架はなるべく軽量化し、動作速度を上げる。俯仰速度は12度/秒となった。
  • 信管は自動調停とする。これも発射速度の低下を抑えるため。

とされた。

尾栓は閉鎖速度の速い横鎖栓式とされた。以後日本海軍で開発された高角砲は全てこの尾栓方式を採用している。

1929年(昭和4年)より設計が開始され1931年(昭和6年)に第1号機が完成し、翌年2月に四十口径八九式十二糎七連装高角砲架とともに制式採用[1]された。

評価[編集]

最大毎分14発を発射可能なことから(20発発砲したという例も報告されている)発射速度が大きく操縦性良好で命中精度も高かったため使用実績は良好であり、対空戦闘のみならず対艦戦闘においても高い評価を得ていたというのが通説である。「なぜこの砲を両用砲としてもっと積極的に使わなかったのか」という声は、当時の関係者からも聞かれている。

ただし、この説は後年から見た評価も含まれており、項目ごとに見ていくと評価も変わってくる。
まず、俯仰速度や旋回速度など操縦性は駆逐艦の主砲として広く使用された50口径三年式12.7センチ砲のカタログ値とほぼ同じであり、数字上では三年式に比べ、操縦性が良いとは言えず、(後述にもあるように)実際、高速機に対応出来ないと指摘されている。
射撃速度もカタログ上では最大毎分14発を発射可能となっているが、1933年(昭和8年)の『砲術年報』には「訓練すれば毎分12発で撃てる非常によい砲」と記され、1939年(昭和14年)に実施された対空演習の実績によれば、本砲は1分間に7、8発発射できればよい方と報告されている。雷撃機の撃退を主眼とした長距離対空砲として設計されたこともあって、最大射撃速度を発揮できるのは仰角30度の状態で、仰角がそれ以上でもそれ以下でも射撃速度は低下したようであり、実戦でカタログ値通りの射撃速度を発揮できたとは言い難いようである[2]
他にも本砲の時限信管は装填時に自動的に調停されるがこの調停器の開発は難航した[2]。当初は誤差が許容範囲内(±0.2秒)に収まらず、一説では1935年(昭和10年)にようやく安定した精度が出るようになったと言われているが、1939年の演習で信管調定機の誤差について触れられており、これを考慮した場合、最長で1939年頃までこの問題に悩まされたようである。

それをふまえても、50口径三年式12.7センチ砲が事実上対空射撃が出来ない対艦用だったのに比べ、本砲は対艦戦闘もできる対空砲なため、両用砲としての能力を持っているのも事実である。しかし、他国も両用砲を高く評価していたとは言えない面もある。

戦艦を例に論証することとなるが、仏独伊が大和型と同時期に建造した戦艦でも両用砲ではなく、副砲と高角砲を分離する選択をしている。特に仏海軍では、ダンケルク級で一旦両用砲を採用したが、両用砲は平射砲としても対空砲としても能力不足という判定から、次のリシュリュー級で、再び高角砲と副砲に分離しているという事実はあまり認知されていない。他にもキング・ジョージ5世級戦艦の両用砲は、装填機構や砲の追従性の問題で急降下爆撃機に対処が困難であり、対艦戦闘の火力も確保すべく砲弾を重くしていたため、連射速度が速いとは言えず、両用砲でありながら対空射撃の能力が低いという問題があった。 また、ノースカロライナ級以降の米戦艦搭載両用砲(MK.28 5インチ両用砲)は、対艦用として考えた場合、有効射程が短すぎて、駆逐艦の雷撃を阻止できない可能性が多分にあり、能力不足と指摘されている[3]第三次ソロモン海戦では同砲を装備した戦艦ワシントンとサウスダコタが日本軍水雷戦隊を迎撃したが、駆逐艦綾波を撃沈したのみで水雷戦隊の阻止に失敗し、雷撃を許している。

実際、1944年(昭和19年)になりアメリカ軍の苛烈な航空攻撃に直面したレイテ沖海戦参加艦である大和などから下記のような報告がされている[2]

  • 砲の射程や威力に不満はないものの「砲が重すぎるため、高速機への対応が不十分(砲重量が重く旋回速度が遅いため、高速機に対する照準が追従できない)」
  • 「できれば一〇高(秋月型駆逐艦で採用した長10cm高角砲)程度のものを両舷2群ほど増設してほしい」
  • 発射速度が遅く弾幕を形成できない

このため、大和などからは再三、秋月型駆逐艦に採用された長10センチ高角砲への換装か増設を要望する声が上がっていたが、実現しなかった。ただし、松型駆逐艦では対策として電動機の出力を上げて旋回速度を上昇させた物を装備している。

以上の事をふまえた場合、対空射撃が事実上できない平射砲と比べれば、対空射撃もできる両用砲は合理的に見える。あくまで日本海軍に限れば、対艦戦闘を重視した場合、旋回速度などがほぼ同じなら、本砲より対艦戦闘に強い三年式を使用したことは、決して不自然ではない。また、採用しなかった海軍や艦艇が存在するのも理由がある。

ただし、実戦では戦艦の副砲だろうが、巡洋艦や駆逐艦の主砲(平射砲)だろうが「魚雷を放つ前に敵艦を撃破」[4]の成功例がないことや「砲撃による相手艦の行動不能や撃沈」[5]が上手くいったとは言えず、水雷戦隊阻止においてそれらの優位性が証明される事はなかった。しかし、これは現在から見た場合の分析であり、「日本海軍が両用砲としても運用できる本砲を積極的に活用しなかったことは失敗」と判断するのは後知恵とも言えるのである。

形式[編集]

連装砲架[編集]

A1型
初期の開発型
A1型改1
重巡洋艦用。波よけ盾付き
A1型改2
航空母艦用。煤煙よけ盾付き
A1型改3
大和型戦艦用。爆風よけ盾付き
A2型
大量生産用
A3型
照準器の変更
A4型
照準器の変更
B1型
松型駆逐艦2番砲用。電動機を10kWから15kWに強化し、旋回・俯仰速度が上昇している。
B2型
高射装置搭載艦用

単装砲架[編集]

B1型改4
松型駆逐艦1番砲用。

搭載艦船[編集]

日本海軍の高角砲では最も成功した砲といわれている。戦艦、空母をはじめとする多くの主要艦艇に搭載された。

画像集[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 昭和7年2月6日付 海軍内令兵 第6号。四〇口径ではない。
  2. ^ a b c 秋元78-82頁
  3. ^ 秋元134p
  4. ^ 第三次ソロモン海戦の綾波も魚雷発射前に命中弾を与えたものの、損傷を受けていなかった魚雷発射管から魚雷が放たれており、その魚雷で米側は損害を受けているため、迎撃に成功したとは言い難い。
  5. ^ 例とすればスラバヤ沖海戦では砲撃戦が発生したのだが、双方、砲撃による命中弾は少なく、この海戦で撃沈された艦艇の大半は魚雷によるものであった。

参考文献[編集]

  • 国本康文『40口径八九式12.7センチ高角砲』歴史群像太平洋戦史シリーズVol.47 松型駆逐艦、学研、2003年、p119-127 ISBN 4-05-603251-3
  • 鈴木範樹『重巡摩耶の改装後の対空兵装』丸スペシャルNo4 重巡鳥海・摩耶、潮書房、1976年、p36-37
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』グランプリ出版、1997年 ISBN 4-87687-184-1
  • 海軍砲術史刊行会『海軍砲術史』昭和50年 非売品
  • 秋元健治 『戦艦大和・武蔵 そのメカニズムと戦闘記録』 現代書館、2008年 ISBN 978-4-7684-6976-7

関連項目[編集]