わかば (護衛艦)

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わかばローマ字JS Wakaba, DE-261)とは、1956年から1971年に就役していた海上自衛隊護衛艦である。その前身は日本海軍松型駆逐艦(橘型《改丁型》駆逐艦)「梨(なし)」であり[1]、数奇な艦歴で知られる。

同型艦はなく、ネームシップの“わかば”のみである。

  • 本項目では日本海軍駆逐艦「梨」と併せて記述する。

駆逐艦 梨[編集]

基本情報
建造所 川崎重工業 神戸艦船工場
運用者  大日本帝国海軍
種別 一等駆逐艦
艦級 松型駆逐艦(基本計画番号F55B)
経歴
計画 1942年戦時建造補充(改マル5計画)追加計画
起工 1944年9月1日
進水 1945年1月17日
竣工 1945年3月15日
就役 1945年3月15日
除籍 1945年9月15日
最後 1945年7月28日沈没
その後 1954年9月21日浮揚、改装の後海上自衛隊警備艦として再就役
要目
排水量 基準 1,350トン
公試 1,580トン
全長 100,0m
全幅 9.35m
吃水 3.40m
機関 蒸気タービン方式、2軸推進
艦本式三号丙型蒸気タービン × 2基
艦本式三号乙ロ号 × 2基
出力 19,000PS
速力 最大速 27.8ノット
燃料 370t
航続距離 18ktで3,500海里
乗員 211名
兵装 八九式 12.7cm(40口径)高角砲単装1基&連装1基
九六式 25mm機銃 3連装 4基、単装 12基
九三式 61cm4連装魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
二式爆雷 36発
回天 1基
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艦歴[編集]

駆逐艦「梨」は橘型の10番艦(仮称4810号艦)として、川崎重工業神戸艦船工場1944年(昭和19年)9月1日に起工。同年12月8日、駆逐艦()や海防艦「志賀」等に艦名が与えられる[2]。同日附で各艦(柿、樺、梨、椎、榎)は松型駆逐艦に類別[1]。日本海軍は「松型」「橘型」を区別しておらず、艦艇類別等級上は全隻『松型駆逐艦』である[1]

1945年(昭和20年)1月17日、進水。2月9日、神戸川崎造船所内に設置された梨艤装員事務所は、事務を開始[3]。 2月15日、フィリピン方面で沈没した最上型重巡洋艦4番艦「熊野」より生還した左近允尚敏中尉が、梨艤装員に補職される[4]。 2月20日、日本海軍は睦月型駆逐艦11番艦「望月」水雷長[5]吹雪型駆逐艦3番艦「初雪」水雷長[5][6]陽炎型駆逐艦1番艦「陽炎」水雷長(昭和17年5月~昭和18年5月8日沈没時)[6]阿賀野型軽巡洋艦2番艦「能代」水雷長(昭和18年7月~沈没時)[7][8][9]等を歴任した高田敏夫少佐を、梨艤装員長に任命する[10]。 本艦は同年3月15日に竣工した[11]。呉鎮守府籍[12]。梨艤装員事務所は撤去され[13]、高田少佐(艤装員長)は制式に梨駆逐艦長となる[14]。主要幹部は、航海長左近允尚敏中尉、砲術長中島純一大尉、水雷長原田盛之大尉[14]

竣工(3月15日)をもって第十一水雷戦隊(司令官高間完少将。旗艦「酒匂」)に配属され、山口県柳井市東方及び南方の瀬戸内海において訓練に従事した。燃料事情が悪化しているため、訓練航海は月に数回しか行われず、それも殆どは呉より日帰りの短期のものであった[15]。乗組員の練度も不充分だった[16]。同年3月に発動された天一号作戦への参加が予定されていたものの中止され、同年4月初頭には柳井市南方の八島(やしま)泊地に移動し、主に停泊訓練を行った。

同年5月20日、駆逐艦2隻(梨、萩)は第十一水雷戦隊・第三十一戦隊所属の第52駆逐隊に編入[17][18]。第52駆逐隊は松型駆逐艦6隻()編制となった[19]。 第52駆逐隊司令杉谷永秀大佐(3月10日まで秋月型駆逐艦3番艦「涼月」艦長)は[20]、陽炎型1番艦「陽炎」と同日・同場所で沈んだ陽炎型3番艦「黒潮」沈没時の駆逐艦長[21]である(高田梨駆逐艦長は、陽炎沈没時の水雷長)[22]。第三十一戦隊旗艦の秋月型駆逐艦13番艦「花月」艦長東日出夫中佐[23]は、陽炎・黒潮と同日・同場所で沈んだ陽炎型4番艦「親潮」沈没時艦長である[24]。 5月25日附で、「海上挺進部隊」の所属艦となる。その後も呉軍港空襲等の対空戦闘に従事した[25]

7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将から松本毅少将へ交代[26][27]。同月初頭には呉にて改装工事を受け、「回天」の搭載・運用能力が追加されている[15]。以後「回天」基地の所在する山口県平生(ひらお)に移動し、同年7月中は周防灘での回天の各種訓練に従事した。折からの燃料不足により第52駆逐隊には充分な燃料の割り当てがなく、「梨」と「萩」以外の艦は海岸近くに偽装した上で係留されていた[15]。 同年7月15日、第十一水雷戦隊は解隊[28][29]。 同日附で、前月の空襲で損傷した「」が第52駆逐隊から除かれ[30]、損傷した他隊の駆逐艦と共に特殊警備駆逐艦に指定[31]。代艦として、松型駆逐艦「」を編入する[30]7月26日には瀬戸内海西部の山口県平郡島(へいぐん-とう)沖に移動、第52駆逐隊の他の駆逐艦と合流し、4隻合同訓練を行った。

7月28日、平郡島北岸沖において停泊中、アメリカ空母機動部隊艦載機の空襲を受ける。早朝から午後にかけてグラマンF6F戦闘機による複数回の攻撃を受け、艦の各所にロケット弾を被弾[32][33]、このうち午後の艦後部弾薬庫へ命中した1発により大きな損傷を受け、浸水により傾斜が増大、総員退艦が発令された後、午後2時に転覆沈没した[15]。確認された戦死者は38名[15]、行方不明者を含む犠牲者は60名以上であった[34]。生存者155名は僚艦「萩」と地元漁民に救助され、「萩」にて翌日に呉に帰還した。

梨航海長左近允尚敏大尉は8月8日附で姉妹艦「初桜」航海長へ転任[35]、同艦航海長として終戦の日を迎えた。梨駆逐艦長高田敏夫少佐は8月10日附で第42突撃隊特攻長に任命され[36]、8月15日を迎えた。

1945年(昭和20年)9月15日除籍[37]

尚、平郡島では毎年7月に慰霊祭が行われている。1987年(昭和62年)10月25日には「梨」の沈没地点を望む海岸に慰霊碑が建立され、除幕式が行われた[15]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』370-371頁による。

艤装員長
  1. 高田敏夫 少佐:1945年2月20日[10] - 1945年3月15日[14]
駆逐艦長
  1. 高田敏夫 少佐:1945年3月15日[14] - 1945年8月10日[36]

諸元[編集]

  • 基準排水量 1,350t
  • 武装

年表[編集]


護衛艦 DE-261 わかば[編集]

わかば
JS Wakaba (DE-261).jpg
基本情報
建造所 川崎重工業 神戸艦船工場
呉造船所(修復工事)
運用者  海上自衛隊
種別 警備艦
艦級 わかば型警備艦
経歴
進水 1954年9月21日(浮揚作業完了)
竣工 1955年9月10日(修復工事開始)
就役 1956年5月31日
1958年3月26日(再就役)
除籍 1971年3月31日
最後 1975年5月、古沢鋼材に売却
要目
排水量 基準 1,250トン
満載 1,560トン
全長 100,0m
全幅 9.35m
吃水 3.28m
機関 蒸気タービン方式、2軸推進
艦本式三号丙型蒸気タービン × 2基
艦本式三号乙ロ号 × 2基
出力 15,000PS
速力 最大速 25.5ノット
燃料 395t
航続距離 16ktで4,680海里
乗員 175名
兵装 68式50口径3インチ連装砲(2次) × 1基
54式対潜弾発射機(2次) × 1基
54式爆雷投射機(2次) × 4基
54式爆雷投下軌条(2次) × 2条
65式533mm連装魚雷発射管(5次) × 1基
C4ISTAR Mk.63 砲射撃指揮装置 (2次)
レーダー AN/SPS-12対空(2次)
Mk.34射撃(2次)
US SO水上(2次)
SPS-5B水上(2次)
AN/SPS-8Bロシア語版高角測定(3次新設、6次撤去)
ソナー SQS-11A捜索(3次)
SQR-4/SQA-4攻撃(3次)
T-3国産試作ソナー(4次)
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わかばに搭載されたAN/SPS-8高角測定レーダー
(写真はアメリカ海軍巡洋艦「プロビデンス」に装備されたもの)

沈没後の本艦は海底に放置されていたが、同地漁協において本艦を引き揚げて漁礁とする計画が持ちあがり、大蔵省中国財務局に申請があった[38]1954年(昭和29年)9月21日に廃鉄鋼材(スクラップ)としての利用を目的に浮揚された。10年近く海中にあったものの、調査の結果状態は良好であったため、北星船舶は防衛庁(当時)に売り込みをかけた[38]。同庁では引き揚げた業者より購入して再就役させる計画を立て、改修費約3億4500万円と引揚分の費用をかけて修理改装[38]1956年(昭和32年)5月31日、警備艦「わかば」として海上自衛隊に編入[11]。1958年には改めて兵装を装備した上で乙型警備艦「DE-261 わかば」として再就役した。

このため、「梨」(「わかば」)は海上自衛隊に在籍した唯一の日本海軍の戦闘艦艇である[39]。なお、艦名が変更されたのは、梨(なし)をひらがなで表記した際の誤解[40]を避けるものとされている。

「わかば」の名を受け継いだ日本の艦艇としては、神風型駆逐艦 (初代)「若葉」、初春型駆逐艦3番艦「若葉」に次いで3代目となる。

艦歴[編集]

「わかば」は浮揚した「梨」の船体の損傷部を修理し、艦橋をあけぼの(初代)型に準じたものとして新造している。尚、「梨」時代の兵装は全て撤去された。

主に横須賀に配備され、当初は無兵装で練習艦任務に就いたが、その後、他の海上自衛隊警備艦と同様のアメリカ式武装と電子兵装を搭載する再改装が施されて乙型警備艦(DE)として再就役した。後には実験艦としての役割が与えられ、海自艦艇で唯一AN/SPS-8Bロシア語版高角測定レーダーを装備するなど、いわゆるレーダーピケット艦的な内容の艦となった。同型艦がないため、運用には苦労したという。

1962年三宅島噴火の際には避難民の輸送に活躍した。1968年、実用実験隊に編入され、ソナー魚雷など新兵器の試験艦任務に充てられた。1970年には浦賀水道で訓練中に小型タンカーと接触する事故を起こしている。

1971年(昭和46年)3月31日に除籍[11]江田島の古沢鋼材に払い下げられ、解体された[11]

諸元[編集]

  • 基準排水量 1,250t
  • 武装 68式 76mm連装速射砲、連装魚雷発射管、ヘッジホッグ・爆雷投射器・爆雷投下軌条など
    • 試験艦として改装が多岐にわたるため、武装は一定しない

エピソード[編集]

本艦の復旧にあたっては、民間企業である北星船舶工業に一度払い下げられていたものを、漁協への権利放棄(約160万円)と国の高取値(約9億円)等の経緯が国会の議場でも批判された[38]。また、状態は良好とされたものの、長期間海中に浸かっていた機関部は念入りにレストアされたにもかかわらず就役後もすさまじい雑音を発したと伝えられる。このため、本艦は実用性よりも海自が自認する旧海軍後継組織としての“血統書”の意味合いがあったのではとする意見が、当時から現在に至るまで根強く残っている。

高森直史著『海軍食グルメ物語』によると、わかばの補給長は「梨」の主計兵であったという。「梨」の旧乗組員は優先的にわかばに配置されたようであるが、同じ艦なので主機等の習熟訓練他を考えると合理的でもある。 また、わかばでは何度か幽霊騒ぎがあったと言う。

尚、「梨」より修理改装の際に外された前部高角砲魚雷発射管は、江田島海上自衛隊第一術科学校にて展示保存されており、現存している。

年表[編集]

参考文献・資料[編集]

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 指揮官の決断 <駆逐艦「梨」艦長・高田敏夫少佐の証言>(太平洋戦争時、駆逐艦初雪水雷長、陽炎水雷長《沈没時》、軽巡能代水雷長《沈没時》、駆逐艦艦長《沈没時》等)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
  • フォト・ドキュメント「「梨」から「わかば」へ 改丁型駆逐艦の再生
海人社『世界の艦船』2007年4月号 No.672 p45~p49
高橋治夫 「護衛艦に生まれ変わった“わかば”」 p196~p197
  • ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』 雑誌『』編集部/編、光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4
  • 歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦 簡易設計ながら生存性に秀でた戦時急造艦の奮戦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3
岡田幸和「改丁型駆逐艦「梨」、護衛艦「わかば」に変身」 p138~p146
COLOR PHOTO「改丁型「梨」搭載の単装高角砲と発射管」 p111~p118
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/12月(1)』。Ref.C12070498100。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/12月(1)』。Ref.C12070498200。
    • 『昭和19年10月1日~昭和19年11月15日 捷号作戦戦時日誌(7)軍艦能代・軍艦妙高』。Ref.C08030038600。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030127700。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030127800。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)』。Ref.C08030127900。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)』。Ref.C08030128000。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)』。Ref.C08030128100。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d #海軍公報S19-12(2)p.11『○内令第一三二九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年十二月八日 海軍大臣|驅逐艦、一等松型ノ項中「楡」ノ下ニ「、柿、樺、梨、椎、榎」ヲ加フ|潜水艦、一等伊伊二百一型ノ項中「、伊號第二百五」ノ下ニ「、伊號第二百六」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號第三百七十三」ノ下ニ「、伊號第三百七十四」ヲ、同二等並型ノ項中「、波號第百十」ノ下ニ「、波號第百十一、波號第百十二」ヲ加フ|海防艦、鵜來型ノ項中「屋久」ノ下ニ「、神津、保高」ヲ、「男鹿」ノ下ニ「、金輪」ヲ、「久賀」ノ下ニ「、志賀、伊王」ヲ、同第一號型ノ項中「第七十三號」ノ下ニ「、第七十五號、第七十七號、第七十九號」ヲ、「第八十三號」ノ下ニ「、第八十五號、第八十七號」ヲ、「第九十三號」ノ下ニ「、第九十五號」ヲ、「第二百十五號」ノ下ニ「、第二百十七號」ヲ、「第二百二十一號」ノ下ニ「、第二百二十七號」ヲ、同第二號型ノ項中「第百二十四號」ノ下ニ「、第百二十六號」ヲ、「第百五十號」ノ下ニ「、第百五十四號、第百五十六號、第百八十六號、第百九十號、第百九十二號」ヲ加フ|輸送艦、一等第一號型ノ項中「第十六號」ノ下ニ「、第十七號、第十八號」ヲ加フ』
  2. ^ a b #海軍公報S19-12(1)pp.40-41『○令達 達第三八一號 昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦五隻潜水艦四隻海防艦十九隻及輸送艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年十二月八日 海軍大臣|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 柿(カキ) 伊號第三百七十四潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 樺(カバ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 梨(ナシ) 第百二十六號海防艦|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 椎(シヒ) 驅逐艦 榎(エノキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二百六潜水艦 第十七號輸送艦 第十八號輸送艦|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 波號第百十一潜水艦 波號第百十二潜水艦 第二百十七號海防艦|三井造船株式會社玉野造船所ニ於テ建造 海防艦 金輪(カナワ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 志賀(シガ) 海防艦 伊王(イワウ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 海防艦 神津(カウヅ) 海防艦 保高(ホタカ)|日本海船渠株式會社ニ於テ建造 第七十七號海防艦 第七十九號海防艦 第八十五號海防艦 第八十七號海防艦 第九十五號海防艦|浪速船渠株式會社ニ於テ建造 第二百二十七號海防艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第百五十四號海防艦 第百五十六號海防艦|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 第百八十六號海防艦 第百九十號海防艦 第百九十二號海防艦』
  3. ^ 昭和20年2月18日(日)海軍公報 第四九三五號 p.21』 アジア歴史資料センター Ref.C12070528200 『○事務開始(略)|驅逐艦梨艤装員事務所|神戸川崎造船所内|二月九日|』
  4. ^ 昭和20年2月19日(発令2月15日)海軍辞令公報(甲)第1726号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103500 
  5. ^ a b 昭和16年4月15日(発令4月15日付)海軍辞令公報(部内限)第620号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080800 
  6. ^ a b 昭和17年5月15日(発令5月15日付)海軍辞令公報(部内限)第860号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085400 
  7. ^ 昭和18年7月10日(発令7月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1169号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  8. ^ 昭和19年11月18日(発令11月15日付)海軍辞令公報(甲)第1646号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102000 
  9. ^ #捷号作戦日誌(7)p.13『二.人員ノ現状』
  10. ^ a b 昭和20年2月26日(発令2月20日)海軍辞令公報(甲)第1731号 p.33』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103500 
  11. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18pp.56-57『護衛艦に生まれ変った梨』
  12. ^ 昭和20年3月22日(木)海軍公報 第四九六四號 p.16』 アジア歴史資料センター Ref.C12070528600 『○内令二四〇號|驅逐艦 梨 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|海防艦 金輪 第百九十四號海防艦 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|佐世保鎮守府在籍 海防艦 金輪 第百九十四號海防艦 右警備海防艦ト定メラル|昭和二十年三月十五日 海軍大臣』
  13. ^ 昭和20年3月30日(金)海軍公報 第四九七一號 p.8』 アジア歴史資料センター Ref.C12070504400 『○事務所撤去 |驅逐艦椎艤装員事務所|三月一三日/驅逐艦梨艤装員事務所|三月一五日|』
  14. ^ a b c d 昭和20年3月26日(発令3月15日)海軍辞令公報(甲)第1755号 p.24』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103900 
  15. ^ a b c d e f g 左近允尚敏駆逐艦梨の戦闘』 - なにわ会
  16. ^ #佐藤 艦長(文庫)455-456頁『瀬戸内での対空戦闘』
  17. ^ a b 昭和20年5月28日(月)海軍公報 第五〇二四號 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C12070505100 『内令第四四七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和二十年五月二十日 海軍大臣|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月、」ノ下ニ「宵月、」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「榧、」ノ下ニ「椎、」ヲ加フ|第五十二驅逐隊ノ項中「楓、」ノ下ニ「梨、萩、」ヲ加フ』
  18. ^ #S1906十一水戦(7)p.34『備考(略)二十日附宵月41dg 椎43dg 梨萩52dgニ夫々編入』
  19. ^ #S1906十一水戦(7)p.34『備考(五月二十日ヨリノ軍隊區分)』
  20. ^ 昭和20年3月10日付 海軍辞令公報(甲)第1749号 p.35』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103800 
  21. ^ 昭和18年6月2日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1134号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  22. ^ #佐藤 艦長(文庫)452-453頁
  23. ^ 昭和20年1月11日(発令12月26日付)海軍辞令公報(甲)第1690号 p.42』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800 
  24. ^ 昭和18年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1131号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091300 
  25. ^ #佐藤 艦長(文庫)457頁
  26. ^ 昭和20年7月12日(発令7月1日付)海軍辞令公報(甲)第1854号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 
  27. ^ #S1906十一水戦(8)p.25『司令官|少将|松本毅|十日着任』
  28. ^ #S1906十一水戦(8)p.34『一五|将旗ヲ徹ス』
  29. ^ 昭和20年7月25日(発令7月15日付)海軍辞令公報(甲)第1867号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106400 
  30. ^ a b 昭和20年7月25日(水)海軍公報 第五〇七九號 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C12070505800 『内令第六四一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和二十年七月十五日 海軍大臣|第五十二驅逐隊ノ項中「楡」ヲ「樺」ニ改ム 第五十三驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  31. ^ 昭和20年7月25日(水)海軍公報第5079号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C12070505800 『内令第六四三號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 欅 驅逐艦 橘/呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柳 右警備驅逐艦ト定メラル|伊號第五百一潜水艦 伊號五百二潜水艦 伊號第五百三潜水艦 伊號第五百四潜水艦 伊號第五百五潜水艦 伊號第五百六潜水艦 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府豫備艦 軍艦 酒匂 右特殊警備艦ト定ム|横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柿 驅逐艦 楠 驅逐艦 菫 驅逐艦 初櫻/呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 楢 驅逐艦 椿/佐世保鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 楡 驅逐艦 雄竹/舞鶴鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 榎 驅逐艦 初梅 右特殊警備驅逐艦ト定ム|呉鎮守府在籍 伊號第五百三潜水艦 伊號第五百四潜水艦 右特殊警備潜水艦ト定ム|昭和二十年七月十五日 海軍大臣』
  32. ^ #佐藤 艦長(文庫)457-458頁
  33. ^ これによる損害が原因で沈没したため、「梨」は「爆撃機でも攻撃機でもなく戦闘機により撃沈された駆逐艦」という珍しい記録を持つこととなった。
    同様の記録を持つ駆逐艦には、「梨」の他に、1941年、ウェーク島攻略の際にF4F戦闘機の攻撃で魚雷ないし爆雷の誘爆により沈没した、駆逐艦「如月」が存在する。
  34. ^ #佐藤 艦長(文庫)459頁
  35. ^ 昭和20年8月16日(発令8月8日)海軍辞令公報(甲)第1887号 p.16』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106900 
  36. ^ a b 昭和20年8月18日(発令8月10日)海軍辞令公報(甲)第1888号 p.202』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106900 
  37. ^ #ハンディ判艦艇写真集18p.52『駆逐艦(丁型)一覧表』-『梨』
  38. ^ a b c d #日本の海軍力38頁
  39. ^ ただし、特務艇などの再利用は他にも存在する
  40. ^ 「存在していない」という意味での「なし」と誤読される危険があるため

関連項目[編集]