槇 (松型駆逐艦)

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槇
艦歴
計画 1944年(昭和19年)度計画
建造所 舞鶴海軍工廠
起工 1944年2月19日
進水 1944年6月10日
就役 1944年8月10日竣工
除籍 1945年10月5日
その後 1947年8月14日イギリスに引渡し、解体
要目(計画値)
排水量 基準:1,262トン
公試:1,530トン
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000馬力
速力 27.8ノット
航続距離 18ノットで3,500海里
燃料 重油370トン
乗員 211名/259名[1]
兵装
(1944年9月)
40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)

(まき)は日本海軍駆逐艦[2][3]。艦名は楢型駆逐艦の4番艦「」に続いて2代目。

概要[編集]

一等駆逐艦「」は[3]松型駆逐艦の8番艦。1944年(昭和19年)8月10日に竣工[2]。訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属したのち[4]第43駆逐隊に編入[5]捷号作戦にともなう10月下旬のレイテ沖海戦では、小沢機動部隊所属艦として参加、小破した[2]。修理後、第41駆逐隊(涼月冬月)と共に空母「隼鷹」を護衛してマニラ輸送作戦を実施、帰路に米潜水艦の雷撃で損傷した[2]。戦後は復員輸送に従事、のちにイギリスに引き渡されたが解体された。

艦歴[編集]

建造[編集]

1944年(昭和19年)2月19日[6]、本艦は仮称第5484号艦として舞鶴海軍工廠で起工[7][8]。後日、行動を共にする秋月型駆逐艦8番艦「冬月」も舞鶴で建造中だった[6]6月5日、建造中の駆逐艦や海防艦と共に命名される[3]。同日附で駆逐艦3隻(、槇、)は松型駆逐艦に類別される[9]。 6月10日、「槇」は進水[10][11]。同日、松型4番艦「」も舞鶴で竣工した[10][12]

7月1日、日本海軍は、白露型駆逐艦4番艦「村雨」水雷長[13]球磨型軽巡洋艦3番艦「北上」水雷長[13]等を歴任した阿賀野型軽巡洋艦3番艦「矢矧」水雷長石塚栄少佐[14]海軍兵学校63期[15]を槇艤装員長に任命する[16]。同日附で、舞鶴海軍工廠の槇艤装員事務所は事務を開始[17]。 8月10日、就役[18][19][20]。艤装員事務所を撤去[21]。石塚少佐も制式に槇駆逐艦長(初代)となる[22]。主な初代幹部は、航海長大山雅清中尉、砲術長宇田広美大尉、水雷長芦田森一大尉[22]

竣工後[編集]

1944年(昭和19年)8月10日の竣工と共に、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将[23]海軍兵学校41期)に編入[24]瀬戸内海に回航され訓練に従事する[25]。 9月30日付で第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将・海兵40期)麾下の第43駆逐隊(駆逐隊司令菅間良吉大佐《海兵50期》)[26]に編入[27][5]。既に松型1番艦「」は沈没しており、第43駆逐隊は本艦の編入で4隻編制(竹、梅、桃、槇)となった[28][5]。 当時の航海長が病気で退艦し、後藤英一郎中尉(槇乗組)が10月7日附で槇航海長に任命されるまで本艦は航海長欠員だったが、任務は続行された[18][29]。 10月10日、第43駆逐隊から「松」が除籍され、松型6番艦「」が編入される[30]

10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島英語版に上陸し、日本軍捷一号作戦を発動した[31]。この作戦は第一機動艦隊司令長官小沢治三郎中将(海兵37期)が率いる機動部隊第三艦隊)が囮となって第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入しアメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった[31][32]。 10月20日夕刻、小沢機動部隊(空母4隻《瑞鶴瑞鳳千代田千歳》、航空戦艦2隻《日向伊勢》、巡洋艦3隻《大淀五十鈴多摩》、秋月型駆逐艦4隻《初月秋月若月霜月》、松型駆逐艦4隻《》)は豊後水道を出撃[31][33]。10月22日、「槇」は空母「千代田」から重油の洋上補給を行う[34][35]。 10月24日、松型2隻(桐、杉)は小沢機動部隊から分離、沖縄に退避した[35][36]

10月25日エンガノ岬沖海戦における「槇」は、空母2隻(千代田、千歳)および航空戦艦「日向」を中心とする第二群(千歳、千代田、日向、五十鈴、霜月、槇)の護衛を担当[37][38][39]。 朝8時からの空襲第一波で、8時56分に秋月型1番艦「秋月」が轟沈[40]。「槇」は『我レ、秋月ノ救助ニ向フ』を打電して救助活動を行う[40][41]。第二群の指揮を執る第四航空戦隊司令官松田千秋少将・海兵44期)の命により救援を行った[42]。9時37分、「千歳」が沈没[43][44]。 続く10時ごろからの空襲第二波で「千代田」が航行不能となり、3隻(日向、霜月、槇)が掩護をおこなう[45]。 午後1時50分、日向指揮下各艦は「槇」を残して北方へ向かった[46]

つづいて本艦は長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」とともに「千代田」の救援にあたる[47][48]。「槇」は総員退艦準備中の「千代田」に接近する[48][32]。しかし「五十鈴」も空襲を受けて後退[49]。これを見て「千代田」に接近しようと速度を落としたところ、3発の爆弾が一番砲付近、第一缶室および魚雷発射管付近に命中し、戦死者31名と負傷者35名を出した[50][51]。「槇」に救助されていた秋月乗組員も多数戦死した[52]。機関故障と舵故障により、「千代田」乗員の救助は結局出来ずに待避した[52][32]。槇側は、この間の戦闘で敵機5機を撃墜したと主張している[53]。 被弾後、松型5番艦「」が接近して同艦駆逐艦長山下正倫中佐(海兵53期)から「大丈夫か?」(いかがなりや)と声をかけられる一幕もあった[54][53]。また単艦で引き返す秋月型4番艦「初月」(第61駆逐隊司令天野重隆大佐座乗)と遭遇、信号を交わしてすれ違うが、このあと「初月」は米軍水上艦部隊に撃沈された[55][56]。「槇」は「初月」の奮戦により助かったと言える[55]。 海戦後は10月26日16時に中城湾に帰投[57][55]。ここで「槇」は「桑」から瑞鳳生存者を受け入れ、桑指揮下で奄美大島に向かう[58]。補給部隊のタンカー「たかね丸」(日本海運、10,021トン)から240トンの重油を補給してもらった[59]。フィリピンへむかった2隻(大淀、若月)を除く機動部隊残存艦(日向、伊勢、五十鈴、霜月、桑、槇)は10月29日にへ帰投。約20日間、呉海軍工廠で修理を実施した。

レイテ沖海戦で第二艦隊は、戦果のほどはさておいて多数の弾薬を消費した[60]レイテ決戦の夢を捨てきれない連合艦隊では、航空隊を陸揚げして「失業」状態の隼鷹型航空母艦1番艦「隼鷹」を活用して弾薬や軍需品の緊急輸送を行う事となった[61]。空母の格納庫と高速力は、輸送艦としても適していた[62]。同艦は第30駆逐隊(秋風、卯月、夕月)に護衛されて10月27日から11月18日までの第一回輸送を終え[63]、11月23日に瀬戸内海を出撃して第二回輸送を行う事となり、この第二回輸送に「槇」は加わる[64]。「槇」は第41駆逐隊(冬月涼月)とともに「隼鷹」を護衛してフィリピンに向かう[65]。11月30日にマニラ到着[66][67][68]。 同地で軍需品を陸揚げしたあと、12月1日出発[68]。12月3日に馬公に到着[69]。日本に戻る途中の金剛型戦艦3番艦「榛名」(初霜護衛)[70][71] と合流する[72][73]。 12月6日、5隻(榛名、隼鷹、冬月、涼月、槇)は馬公を出港して日本本土に向かう[68][74]。しかし、12月9日未明の佐世保に入港直前、悪天候の中を航行する日本艦隊は野母崎沖でアメリカ潜水艦のウルフパックに発見される。「榛名」より『槇は隼鷹の後につけ』の命令があり、本艦は2隻(榛名、隼鷹)右側を反航して南下、「隼鷹」の後方につく直前に雷撃を受けた[75]。 「隼鷹」は米潜水艦レッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) の魚雷が2本命中。中破したが佐世保に帰投することが出来た[76]。続いて潜水艦シーデビル (USS Seadevil, SS-400) と潜水艦プライス (USS Plaice, SS-390) が攻撃を行い、シーデビルは0時28分に魚雷を4本発射して、それは戦艦か空母に命中したと判断された[77]。プライスは1時28分と31分に魚雷3本と4本をそれぞれ発射して、3本のうちの2本と4本のうちの2本の計4本が照月型駆逐艦に命中して撃破したと判断された[78]。いずれかの攻撃にせよ艦首に魚雷が1本命中して艦首を喪失[79]。戦死者4名[68]長崎港に回航して調査の後、佐世保に帰投した[80]。他艦(隼鷹、榛名、冬月、涼月)は被害なく佐世保に到着した[81]

槇駆逐艦長石塚栄少佐(海兵63期)の証言によると、回避運動を取るとその魚雷が「隼鷹」に向かってしまうため、回避運動をとらずにわざと艦首すれすれに魚雷を当てたともいう[68]。後藤英一郎(槇航海長)の証言によると、左前方から魚雷が接近したため右旋回をやめて直進したという[82]。「榛名」は『五島沖にて敵潜水艦の攻撃を受け、槇、轟沈』と発信した[83][84]。その後、三菱長崎造船所1945年(昭和20年)3月15日まで修理に当たった[68]。またこの時大型水中聴音機も装備した。修理完了後は呉に回航された[2]

4月6日から7日の大和特攻(坊ノ岬沖海戦)では、「花月」(第三十一戦隊旗艦)および「」とともに、前路掃討隊として豊後水道出口まで艦隊に随伴した[85]。以後は瀬戸内海で数回の対空戦闘を行ったが無傷で、終戦時は呉に在泊していたとも[86]、「榧」「」とともに山口県屋代島の日見海岸に疎開し、そのまま終戦を迎えたともされる[87]。10月5日に除籍。12月1日に特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。1947年(昭和22年)8月14日[88]、賠償艦としてシンガポールイギリスに引渡された。その後、「槇」は解体された。

歴代艦長[編集]

1944年9月の「槇」艦型略図。25mm3連装機銃4基、同単装12基を装備

※『艦長たちの軍艦史』364-365頁による。

艤装員長[編集]

  1. 石塚栄 少佐 1944年7月1日[16] - 1944年8月10日[22]

駆逐艦長[編集]

  1. 石塚栄 少佐 1944年8月10日[22] -

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b c d e #陽炎型、2014333頁『槇(まき)』
  3. ^ a b c #達昭和19年6月pp.3-4『達第百八十一號 昭和十八年度及昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦二隻及海防艦九隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年六月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 杉(スギ) 第三十六號海防艦 第四十號海防艦|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 槇(マキ) 第六十一號海防艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 樅(モミ) 伊號第三百七十二潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四百四潜水艦|日立造船所株式會社ニ於テ建造 海防艦 大東(ダイトウ)』
  4. ^ #S1906十一水戦(3)p.21『十二日一二五二総長(宛略)機密第一二一二五二番電 八月十日附槇ヲ11sdニ編入』
  5. ^ a b c #内令(秘)昭和19年10月(1)p.6『内令第一一二一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年九月三十日 海軍大臣 第四十三驅逐隊ノ項中「桃」ノ下ニ「、槇」ヲ加フ』
  6. ^ a b #S1902舞鎮日誌pp.8-9『(a)新造艦船 早霜 二月二十日完成引渡ヲ了ス/冬月 一月二十日進水艤装中/松 二月三日進水艤装中/第五千四百八十四號艦 船臺ニ在リ船殻工事中/臺三六六號艦 二月十日、第五四八八號艦 二月十九日起工/第二四一二號艦 二月十日起工、第二四一一號艦何レモ日本海船渠ニテ船殻工事中』
  7. ^ #舞廠造機部293-295頁『松型駆逐艦』
  8. ^ #S1902舞鎮日誌p.49『十九(天候略)工廠工事 呂四六潜竣工受領/第五四八八號艦起工(略)』
  9. ^ #内令昭和19年6月pp.6-7『内令第七百三十八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年六月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「桑」ノ下ニ「、杉、槇、樅」ヲ加フ(以下略)』
  10. ^ a b #S1906舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船|桃 兵装艤装竝ニ諸公試試験完了六月十日引渡ヲ了ス/槇 六月十日進水/第一二六六號艦 第五四九二號艦 第五四九六號艦}船臺ニ在リテ船殻工事中(以下略)』
  11. ^ #S1906舞鎮日誌p.44『十(天候略)(略)其ノ他 五四八八號艦進水式驅逐艦桃引渡』
  12. ^ #S1906舞鎮日誌p.20『十一日〇九一四桃驅逐艦長|十一日一一〇〇長官外|桃機密臺一一〇九一四番電 十日一〇〇〇竣工受領十四日舞鶴發』
  13. ^ a b 昭和17年11月25日(発令11月25日付)海軍辞令公報(部内限)第996号 p.17』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088300 
  14. ^ 昭和18年12月31日(発令12月29日付)海軍辞令公報(部内限)第1291号 p.46』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094900 
  15. ^ 昭和11年3月20日(水)官報第2763号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959243 p.4
  16. ^ a b 昭和19年7月5日(発令7月1日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1526号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099900 
  17. ^ 昭和19年7月8日(土)海軍公報(部内限)第4734号 p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C12070479600 『○事務開始 驅逐艦槇艤装員事務所ヲ七月一日舞鶴海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
  18. ^ a b #最後の海空戦(文庫)22-25頁『「槇」の誕生』
  19. ^ #S1908舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船 槇 八月十日完成引渡ヲ了ス』
  20. ^ #S1906十一水戦(3)p.20『十日一四一三槇クカ(宛略)機密第一〇一四一三番電 十日竣工十三日出撃準備完了即日出港十五日午後桂島着ノ予定』
  21. ^ 昭和19年8月18日(金)海軍公報 第4773号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C12070496200 『○事務所撤去 第二十九號海防艦艤装員事務所ハ八月八日之ヲ撤去セリ|槇艤装員事務所ハ八月十日之ヲ撤去セリ』
  22. ^ a b c d 昭和19年8月14日(発令8月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1563号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100500 
  23. ^ #S1906十一水戦(3)p.6『(一)司令部(イ)主要職員官氏名』
  24. ^ #S1906十一水戦(3)p.36『一〇(天候略)〇七四五清霜竹桂島発/梅桃涼月桂島ヨリ八島回航/桑大津島出動|清霜竹桂島出撃、桑梅桃涼月出動諸訓練|槇11sd編入』
  25. ^ #S1906十一水戦(3)p.5『(四)麾下艦船部隊竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』
  26. ^ 昭和19年7月21日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1541号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100100 
  27. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.52
  28. ^ #内令昭和19年7月p.21『内令第八百六十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月|・|第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃|』
  29. ^ 昭和19年10月13日(発令10月7日付)海軍辞令公報(甲)第1618号 p.39』 アジア歴史資料センター Ref.C13072101500 
  30. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.35-36『内令第一一六二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十月十日海軍大臣|第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル|第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下ニ「、桐」ヲ加フ』
  31. ^ a b c #最後の海空戦(文庫)25-26頁『出撃』
  32. ^ a b c #秋月型(平成二十七)潮333頁
  33. ^ #佐藤艦長続編(文庫)242、468頁
  34. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.19,20
  35. ^ a b #最後の海空戦(文庫)27-28頁
  36. ^ #佐藤艦長続編(文庫)244-248頁『敵艦隊にまぎれこむ』
  37. ^ #佐藤艦長続編(文庫)465頁(第四警戒航行序列)《杉、桐欠》
  38. ^ #レイテ霜月p.4『友軍ノ戰闘経過ノ概要』
  39. ^ #レイテ霜月p.55『別紙第二 霜月合戰圖第一回対空戰斗(自10月25日0800 至同日0900)』
  40. ^ a b #最後の海空戦(文庫)30-32頁『「秋月」轟沈』
  41. ^ #佐藤艦長続編(文庫)469頁
  42. ^ 木俣『日本水雷戦史』535ページ
  43. ^ #レイテ霜月p.9『〇九三七|千歳沈没』
  44. ^ #日向捷1号p.11『〇九三七|(千歳被爆沈没)』
  45. ^ #レイテ霜月p.11『一一〇五|〇度方向ニ敵機數機發見「左対空戰斗」打方始ム』
  46. ^ #レイテ霜月p.13『一三五〇|敵ヲ北方ニ誘出スベク日向ト共ニ北進ス針路〇度速力二〇節之字運動A法|槇列ヲ解キ千代田ノ警戒ニ向フ』
  47. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.47 、木俣『日本水雷戦史』536ページ
  48. ^ a b #最後の海空戦(文庫)34-36頁『直撃弾「槇」に命中』
  49. ^ 『軍艦五十鈴戦時日誌』pp.6,7,8
  50. ^ #佐藤艦長続編(文庫)258頁
  51. ^ 木俣『日本水雷戦史』537ページ
  52. ^ a b #最後の海空戦(文庫)38-40頁『襲いくる危機』
  53. ^ a b #佐藤艦長続編(文庫)471頁
  54. ^ 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『松型駆逐艦』101ページ
  55. ^ a b c #最後の海空戦(文庫)42-44頁『死地へ行く「初月」』
  56. ^ #日向捷1号p.29『初月機密第二五一九〇五番電 我敵水上艦艇ト交戰中』
  57. ^ 雨倉, 96ページ
  58. ^ #レイテ桑p.5『十月二十六日一四二〇|中城湾着 中城湾ニテ瑞鳳乗員三一〇名ヲ五十鈴槇ニ移乗セシム/瑞鳳戰死者(二名)ヲ荼毘ニ付シタル後槇ヲ率ヒ奄美大島ニ回航奄美大島着主隊ト合同』
  59. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.12
  60. ^ 木俣『日本空母戦史』791ページ
  61. ^ 木俣『日本空母戦史』791、792ページ
  62. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録146頁『緊急マニラ輸送行』
  63. ^ 木俣『日本空母戦史』792、795ページ
  64. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.57
  65. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.57 、遠藤, 203、215ページ
  66. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.26『三十日一五四二隼鷹艦長(宛略)隼鷹冬月涼月槇一五三〇マニラ着』
  67. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.54『三〇(天候略)(略)一五三〇隼鷹冬月涼月槇マニラ着』
  68. ^ a b c d e f #佐藤艦長続編(文庫)472頁『乗員の意気ますます軒昂』
  69. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.55『三(天候略)(略)一一四五冬月涼月槇隼鷹ヲ護衛シ馬公着』
  70. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.25『三十日一〇一二(指揮官)2YB(宛略)NSB支援部隊電令作第二號 一.省略/二.霞及初霜ハ榛名艦長ノ指揮ヲ承ケ馬公迄同艦ノ護衛ニ任ジタル後昭南ニ帰投予定ノ修理整備ニ從事スベシ』
  71. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.55『五(天候略)一〇二〇 二十一駆(初霜)霞榛名ヲ護衛シ馬公着』
  72. ^ 木俣『日本空母戦史』796ページ
  73. ^ #最後の海空戦(文庫)44-45頁『嵐の長崎沖、早朝』
  74. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.55『六(天候略)〇〇四〇 四十一駆榛名隼鷹ヲ護衛馬公発(以下略)』
  75. ^ #最後の海空戦(文庫)46頁
  76. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録152頁
  77. ^ 「SS-400, USS SEA DEVIL」p.83,84
  78. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.150,151,152,153
  79. ^ #最後の海空戦(文庫)48-50頁『艦首をもがれた「槇」』
  80. ^ 『第五艦隊戦時日誌』C08030019900, pp.32
  81. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.56『九(天候略)一一〇〇冬月涼月隼鷹榛名佐世保着(以下略)』
  82. ^ #最後の海空戦(文庫)47頁
  83. ^ #最後の海空戦(文庫)51頁
  84. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録153頁(涼月砲術長は、敵潜攻撃に向かった駆逐艦「」は帰投しなかった…と回想している)
  85. ^ 雨倉, 104ページ
  86. ^ 『日本海軍史 第7巻』
  87. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』、『艦長たちの軍艦史』、『艦長たちの太平洋戦争 続篇』
  88. ^ #最後の海空戦(文庫)54頁

参考文献[編集]

  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年
  • 岡本孝太郎 『舞廠造機部の昭和史』 文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 片岡紀明 「エンガノ岬沖の死闘―駆逐艦「槇」航海長・後藤英一郎」『最後の海空戦 若き最前線指揮官たちの日米戦争』 光人社NF文庫、2011年4月(原著2003年)。ISBN 978-4-7698-2683-5
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 倉橋友二郎 『駆逐艦隊悲劇の記録 海ゆかば・・・』 徳間書店、1967年6月。 著者は1944年6月~1945年5月まで駆逐艦「涼月」砲術長勤務。
  • 倉橋友二郎 『激闘駆逐艦隊』 朝日ソノラマ、1987年12月。
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「戦術の極意」<駆逐艦艦長・石塚栄少佐の証言>(砲術長、村雨水雷長、北上水雷長、矢矧水雷長、槇艦長等)
    • 「勝敗の分岐点」<駆逐艦艦長・川畑誠少佐の証言>(太平洋戦争時、奄美大島根拠地隊副官、横須賀第一陸戦隊副官、水雷艇「鷺」艇長、重巡鈴谷水雷長、桐艦長等)
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』(朝雲新聞社、1967年)
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 元「島風」機関長・海軍少佐上村嵐『暴れん坊"駆逐艦気質"メモランダム 乗艦島風を偲びつつ任務に柔軟に対応した駆逐艦乗り独特の気風に迫る
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年1月~6月達/達昭和19年6月』。Ref.C12070125000。
    • 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年6月』。Ref.C12070195400。
    • 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。Ref.C12070195500。
    • 『昭和19年8月〜9月 秘海軍公報/9月(1)』。Ref.C12070496600。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。Ref.C12070497400。
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年2月29日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030360000。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357800。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年8月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030358000。
    • 『昭和19年10月25日 駆逐艦霜月戦闘詳報』。Ref.C08030590100。
    • 『昭和19年11日 駆逐艦桑菲島沖海戦戦闘詳報』。Ref.C08030590300。
    • 『昭和19年10月20日~昭和19年10月29日 軍艦日向捷号作戦戦闘詳報』。Ref.C08030577100。
    • 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(1)』。Ref.C08030576900。
    • 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(2)』。Ref.C08030577000。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。
    • 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030102400。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030127600。
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127600
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127700
    • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
    • 軍艦五十鈴『昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 十一月十一日送付 軍艦五十鈴戦時日誌 菲島沖海戦』(昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(6)軍艦五十鈴) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030038500
    • 第五艦隊司令部『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第五艦隊(第三遊撃部隊)戦時日誌』(昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030019900
    • 第三十一戦隊司令部『自昭和十九年十二月二十二日至昭和二十年一月三十一日 第三十一戦隊戦時日誌』(昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030074800
    • 第三十一戦隊司令部『自昭和二十年二月一日至昭和二十年三月三十一日 第三十一戦隊戦時日誌』『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第三十一戦隊戦時日誌』(昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030074900
  • SS-390, USS PLAICE(issuuベータ版)
  • SS-400, USS SEA DEVIL(issuuベータ版)

関連項目[編集]