初春 (初春型駆逐艦)

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初春
艦歴
発注 マル1計画[1]
起工 1931年5月14日[2]
進水 1933年2月27日[2]
竣工 1933年9月30日[2]
最後 1944年11月13日戦没
除籍 1945年1月10日
性能諸元(竣工時)
排水量 基準:1,400t
公試:1,680t
全長 109.5m
全幅 10.0m
吃水 3.5m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
最大速 36.5ノット
兵員 205名
兵装 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
毘式四十粍機銃 2基
61cm3連装魚雷発射管 3基9門
(八年式魚雷18本)

初春(はつはる)は、日本海軍初春型駆逐艦1番艦である[3][4]。日本海軍の艦船名としては1907年(明治40年)竣工の神風型駆逐艦 (初代)初春」に続いて2隻目。日本の駆逐艦として初めて魚雷の次発装填装置を搭載した[5]1944年(昭和19年)11月、マニラ湾で米軍機の空襲を受け沈没した。

大改装前の子日と初春

艦歴[編集]

建造から太平洋戦争開戦まで[編集]

1921年(大正10年)のワシントン軍縮条約で大型艦の建造が制限された日本海軍は大型・重武装の補助艦艇の充実を図り、1928年(昭和3年)から基準排水量1680トンの吹雪型駆逐艦を就役させ、量産した。欧米列強は日本の造船技術力を警戒し1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議で新たに1,500トンを超える艦に保有制限を設けたが、新条約で補助艦艇の制限を想定していた日本海軍は1400トン級で吹雪型に匹敵する軽量・重武装の新駆逐艦の建造を計画し、藤本喜久雄造船大佐が設計を担当した。これが初春型である。1931年(昭和6年)5月14日、仮称第59号駆逐艦として佐世保工廠で起工[6][2]1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦3隻に初春、子日若葉の艦名が与えられ[1][3]、初春は1933年(昭和8年)2月27日に進水した[2][7]

しかし8月、重兵装と軽量化が災いして公試運転中に復原性能が著しく低いことが判明した。初春は9月30日、2番艦子日と同日に竣工[2][8]し、いったん海軍に引き渡した上で、復原性能を回復させるバルジの増設工事を行った。

ところが1934年(昭和9年)3月に友鶴事件が発生し、バルジ増設後も初春と子日の復原性能が不十分と判明した。このため両艦は2番主砲を撤去して後部に移すなど、大規模な上部構造の改装工事が行われた。9月27日に4番艦初霜、10月31日に3番艦若葉が竣工、第21駆逐隊に同型1-4番艦がそろったが、初春型の量産は打ち切られた[9][10]。さらに1935年(昭和10年)9月の第四艦隊事件が発生したため船体を補強する大規模な工事が行われた。この結果、最大速力が3ノット低下したが、ようやく水雷戦隊で活動可能な性能を整えた。

1940年(昭和15年)9月27日、牧野担少佐が艦長に就任した[11]。難産の末に誕生した初春型6隻は、1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時は前線任務から外れ、いずれも第一艦隊・第一水雷戦隊に所属して内海に待機した。しかしすぐに激戦地に投入され、戦争末期まで活躍した。

開戦、北方戦線での損傷[編集]

開戦を内海で迎えた第21駆逐隊(初春、子日、若葉、初霜)は12月21日、第27駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)と共に真珠湾攻撃を終えた第一航空艦隊と父島沖で合流、内海まで護衛した[12]1942年(昭和17年)1月、輸送船団の護衛を命じられダバオに入港した。1月24日、第一根拠地部隊(久保九次少将)の指揮でスラウェシ島ケンダリの攻略作戦が実施された。第21駆逐隊は増援として後からケンダリに向かったが、25日朝に初春が21ノットで航行中、第一根拠地部隊旗艦の軽巡長良の右舷中央部に衝突した。初春は第一砲塔から前部が壊れ、長良の損傷は軽かったが重傷者2名を出した。初春は若葉と子日に護衛されてダバオに戻り、前線任務から外れた[13][14]

5月20日に第二十一駆逐隊は北方部隊に編入され、軽巡洋艦「阿武隈」などとともにAQ攻略部隊(AQはアッツ)として[15]AL作戦(西部アリューシャン攻略作戦)に参加した。AQ攻略部隊は5月29日に川内湾を出撃[16]。6月7日夜にアッツ島ホルツ湾外に到着し、8日には同島のチチャゴフを占領した[17]。「阿武隈」および第二十一駆逐隊(「子日」除く)は6月10日にアッツ島を離れた[18]。「子日」を除く第二十一駆逐隊は6月13日にAOB攻略部隊(AOBはキスカ)に編入され、同日キスカ島到着[19]。6月22日、第二十一駆逐隊はアガッツ島で水上機部隊(「神川丸」、「君川丸」ほか)と合流[20]。7月5日に「初春」と「若葉」はキスカ島へ向かい、7日に到着した[21]。7月10日、「阿武隈」、第六、第二十一駆逐隊で護衛隊が編成された[22]。「初春」は水上戦闘機や特殊潜航艇などをキスカ島へ運んできた水上機母艦「千代田」を護衛して7月12日にキスカ島を出港[23]豊後水道で「千代田」と別れ、7月21日に横須賀に入港した[23]

8月4日に「初春」と「阿武隈」は横須賀を出港し、8月6日に大湊に到着[24]。8月7日、「初春」はキスカでアメリカ潜水艦の攻撃で損傷した駆逐艦「不知火」の回航時の護衛のためキスカ島へ向け出港[25]。しかし、8月8日にアメリカ艦隊がキスカ島を砲撃し、北方部隊指揮官は第一水雷戦隊などに加熊別湾進出を命じた[26]。「初春」は8月10日に加熊別湾に到着[27]。8月12日、加熊別湾に集結した艦隊(主隊、護衛隊)は出撃した[28]。しかし、同日日本の本土東方で不時着水偵を発見したとの報告があり、連合艦隊はアメリカ機動部隊出現と判断[29]。北方部隊の主隊、護衛隊も南下して索敵に従事することとなった[30]。しかし、結局なにも発見されず、北方部隊の主隊、護衛隊は8月16日に大湊に入港した[31]。水偵発見は誤報であったものと思われる[32]

8月25日、ラバウル進出を命じられた「富士山丸」を護衛して大湊を出港[33]。8月28日にアトカ島東部のナザン湾に敵巡洋艦等発見の報告があり、8月29日に北方部隊の主隊などが大湊を出港したが、台風のため加熊別湾に入泊[34]。「富士山丸」護衛中の「初春」は加熊別湾への進出を命じられた[35]。9月3日には今度は「呂号第六十二潜水艦」が巡洋艦等の発見を報告し、主隊などは再び出撃[36]。「初春」も9月8日に加熊別湾を出港して主隊に合流したが、陸軍のアッツ島からキスカ島への移駐協力のため9月11日に分離され片岡湾経由でアッツ島へ向かった[37]。途中から越冬資材を運ぶ「日遼丸」を護衛して9月15日にキスカ島に着いたものの移駐に「春風」は不要となり、翌日「射水丸」を護衛して出港し、大湊に帰着した[38]。監視艇からの敵味方不明の飛行機発見の報告を受けて9月30日に主隊および護衛隊(「春風」を含む)は大湊から出撃するも、特に何もなかった[39]

「初春」は駆逐艦「」とともにキスカ島への弾薬等の輸送を行うこととなり、「初春」は10月6日に大湊を出港して横須賀へ向かった[40]。10月11日、「初春」と「朧」はキスカ島へ向け横須賀を出港[40]。10月17日、北緯52度17分 東経178度08分 / 北緯52.283度 東経178.133度 / 52.283; 178.133の地点(またはキスカ島の31度9浬)でアメリカ陸軍航空軍B-26爆撃機6機の攻撃により「朧」は撃沈され、「初春」も損傷した[41]。「初春」は後部爆雷投射機付近に被弾し輸送弾薬が誘爆[42]。2、3番砲塔が使用不可能となったが、主機械には被害が無く1番砲塔と40mm機銃で応戦した[42]。「初春」は戦死者2名、負傷者14名を出し、また「朧」生存者17名(「朧」駆逐艦長山名寛雄少佐を含む)を収容した[42]。アメリカ側は1機が撃墜されている[43]。「初春」は幌筵島へ向かったが、その途中の10月20日に悪天候で両舷の推進軸が折れ航行不能となった[44]。「初春」との合同を命じられていた駆逐艦「若葉」が同日合同し、「初春」を曳航[44]。10月21日からは駆逐艦「初霜」に護衛され10月25日に幌筵島加熊別湾に着いた[44]。その後は給炭艦「室戸」に曳航され、11月6日に舞鶴に到着した[44]

ほぼ1年がかりの大修理は、同時に2番砲塔を撤去して25mm連装機銃と三連装機銃を増設、九一式水中探信儀の九三式への換装、22号電探と九三式水中聴音機の装備、更に爆雷兵装の増強工事なども並行して進められた[42]。この間、初春が救出した山名少佐が11月から6か月間、兼務艦長を務めた[45][46]。12月3日、海軍は横須賀海軍工廠に入渠中の駆逐艦の修理を優先させるため、初春の砲身を除く1番砲塔を横須賀に送るよう命じた。1943年(昭和18年)6月21日、寒冷地での行動用に重油タンクと重油管に過熱管を装備する工事が命じられた。修理と整備は同年12月17日に完了する予定だったが、海軍は8月に他の駆逐艦と共に修理を急ぐよう督促し、日程を繰り上げて10月2日、修理が完了。同日、舞鶴から出撃した[47][42]。その後はシンガポールトラック島、千島などで護送任務についた。

1944年(昭和19年)3月から北海道方面で活動。6月から硫黄島輸送作戦に従事した。8月5日、駆逐隊司令に石井汞中佐が就任した[48]。10月1日、大熊安之助少佐が艦長に就いた[49]

沈没[編集]

10月15日、第21駆逐隊(初春、若葉、初霜)が所属する第五艦隊(志摩清英中将)は、捷一号作戦発動に伴い第二遊撃部隊として台湾への進出を命じられ、20日に馬公に到着した。21日、第21駆逐隊は第二航空艦隊(第六基地航空部隊)の要請で高雄からマニラへの輸送任務を命じられ、第二遊撃部隊と分かれた[50]。輸送任務の終了後、ミンドロ島東を南下しミンダナオ島入口で第二遊撃部隊との合流を計画した[51]

しかし10月24日午前8-9時、第21駆逐隊は米空母艦載機約20の空襲を受けた。この戦闘で若葉がパナイ島西方で沈没し、昼前には初霜も被弾、初春は戦死者2名、重軽傷者19名を出した。初春と初霜は第二遊撃部隊との合流を諦めてミンドロ島西側を北上し、25日午前4時にマニラへ帰投した[52][51]。この結果、初春と初霜は同日未明に行われたスリガオ海峡での海戦に参加せず生還を果たした。

レイテ沖海戦で行動可能な艦艇を多数喪失した日本海軍は、初春と初霜をフィリピンの陸上兵力に輸送する多号作戦に投入した。10月31日、第二次輸送部隊(木村昌福少将)に駆逐艦6隻(初春、初霜、沖波)で警戒部隊を編制、船団を護衛しレイテ島西岸オルモックへの輸送に成功した[53][54]。11月9日の第三次隊(早川幹夫第二水雷戦隊司令官)では駆逐艦島風浜波と共に警戒部隊を構成しマニラを出発[55]。途中で第四次隊と合流し、駆逐艦3隻(長波朝霜若月)が第三次隊に編入してオルモックに向かい、初春と竹は第四次隊の駆逐艦秋霜、霞、潮などと共にマニラへ帰投した[56][57]。第三次隊はオルモック湾手前で米空母艦載機に襲撃され、朝霜を残して全滅した[58][59]

初春は再び難を逃れたが、11月13日にマニラ湾で停泊中、米艦載機による大規模な空襲を受けた。至近弾で火災が発生、船体から燃料が漏洩して大火災となり、軍艦旗を降ろして総員退去となった[60]。沈没位置は北緯14度35分 東経120度50分 / 北緯14.583度 東経120.833度 / 14.583; 120.833座標: 北緯14度35分 東経120度50分 / 北緯14.583度 東経120.833度 / 14.583; 120.833。当時マニラ湾にいた軽巡木曾、曙、沖波、秋霜も沈没または大破着底し、同日夜に残存した駆逐艦5隻もマニラ湾を脱出、フィリピンに残る日本の海上戦力はほぼ消失した[61][62]

初春乗員の一部は、マニラに陸上兵力として再配置された[63]1945年(昭和20年)1月10日、帝国駆逐艦籍から除籍された[64]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』294-295頁による。

艤装員長[編集]

  1. 田原吉興 少佐:1933年5月1日[65] - 1933年7月1日[66]

艦長[編集]

  1. 田原吉興 少佐:1933年7月1日[66] - 1935年10月31日[67]
  2. 丸安金兎 少佐:1935年10月31日[67] - 1936年12月1日[68]
  3. 吉田正義 少佐:1936年12月1日[68] - 1937年12月1日[69]
  4. (兼)新谷喜一 少佐:1937年12月1日[69] - 1938年11月15日[70]
  5. 前川新一郎 少佐:1938年11月15日[70] - 1939年11月20日[71]
  6. (兼)浜中脩一 少佐:1939年11月20日[71] - 1940年4月24日[72]
  7. 横山喜一 少佐:1940年4月24日[72] - 1940年9月27日[11]
  8. 牧野担 少佐:1940年9月27日[11] - 1942年11月15日[45]
  9. (兼)山名寛雄 少佐:1942年11月15日[45] - 1943年5月20日[46]
  10. (兼)人見豊治 中佐:1943年5月20日[46] - 1943年9月10日[73]
  11. 飛田清 少佐:1943年9月10日[73] - 1944年4月1日[74]
  12. 長倉義春 少佐:1944年4月1日[74] - 1944年10月1日[49]
  13. 大熊安之助 少佐:1944年10月1日[49] - 1944年11月15日[75]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ(略)』
  2. ^ a b c d e f #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『初春|一等駆逐艦|(艦要目略)|佐世保工廠|6-5-14|8-2-27|8-9-30|(艦装備略)』
  3. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』
  4. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』
  5. ^ #駆逐艦戦隊111頁
  6. ^ #艦船要目照会初春p.4『(略)電報 驅逐艦(假稱五九)五月十四日午前八時當府工廠ニ於テ起工ス』
  7. ^ 昭和8年3月1日(水)海軍公報第1815号 p.45」 アジア歴史資料センター Ref.C12070336100 『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦初春去月二十七日午前十時進水セリ』
  8. ^ #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『子日|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-15|7-12-22|〃(8-9-30)|(艦装備略)』
  9. ^ #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『初霜|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|8-1-31|8-11-4|9-9-27|(艦装備略)』
  10. ^ #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『若葉|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-12|9-3-18|9-10-31|(艦装備略)』
  11. ^ a b c 昭和15年9月28日(発令9月27日付)海軍辞令公報(部内限)第535号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078900 
  12. ^ #S1612五航戦(経過)pp.3-4『(六)同夜機動部隊ハ南方ニ偽航路ヲ執リ爾後概ネ16節乃至20節ヲ以テ硫黄島ノ南方海面ヲ経テ21日朝父島ノ南西方約350浬ニ於テ第21、第27駆逐隊及第2補給隊ト合同豊後水道方面ニ向ヒツヽ警戒隊ハ第二補給隊ヨリ補給ヲ行ヒ同夜第二補給隊ヲ分離、23日0930豊後水道掃海水道外ニ達シ呉鎮守府防備部隊ノ警戒裡ニ内海ニ入リ1833廣島湾ニ假泊24日1345假泊地発1600呉ニ入港セリ』
  13. ^ #叢書26海軍進攻作戦210-213頁
  14. ^ #S1612一根日誌(1)p.8『作戦指揮下ニ入リタル艦船部隊ノ行動』
  15. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、229、231ページ、戦史叢書第43巻 ミッドウェー海戦、234ページ
  16. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、254ページ
  17. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、255ページ
  18. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、255ページ
  19. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、231、257ページ
  20. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、269、271、273ページ
  21. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、274ページ
  22. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、284ページ
  23. ^ a b 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、286ページ
  24. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、289
  25. ^ 昭和17年8月1日~昭和17年10月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)、第7画像
  26. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、290-291ページ
  27. ^ 昭和17年8月1日~昭和17年10月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)、第8画像
  28. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、291ページ
  29. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、291、293ページ
  30. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、294ページ
  31. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、296ページ、昭和17年8月1日~昭和17年10月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)、第9画像
  32. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、296ページ
  33. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、301ページ
  34. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、301-302ページ
  35. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、302ページ
  36. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、302-303ページ
  37. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、303、307ページ
  38. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、307-308、336ページ
  39. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、330-331ページ
  40. ^ a b 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、337ページ
  41. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、337-338、400ページ、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、1942年10月16日の項
  42. ^ a b c d e #歴群兵装 143頁
  43. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、400ページ
  44. ^ a b c d 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、339ページ
  45. ^ a b c 昭和17年11月16日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第988号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088200 (p.12牧野艦長免職、杉岡中佐嵐艦長。p.13山名初春艦長補職)
  46. ^ a b c 昭和18年5月21日(発令5月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1021号 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091000 
  47. ^ #S1810舞鎮日誌p.11『(b)修理艦船 名取不知火秋風長良初春第二十四號掃海艇ノ損傷復舊工事ヲ初メ第二十二、二十三號掃海艇(二十八日入港)刈萱(二十五日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂三八潜水艦ノ出師準備、作業促進ニ努メ何レモ豫定通進捗初春ハ二日、長良七日、呂三八潜二十一日、掃二十四 二十二日、掃海二二 二十七日工事完成出撃セリ』p.69『二(天候略)初春修理完成一二五〇出撃』
  48. ^ 昭和19年8月11日(発令8月5日付)海軍辞令公報(甲)第1560号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100500 
  49. ^ a b c 昭和19年10月6日(発令10月1日付)海軍辞令公報(甲)第1612号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101400 
  50. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.3『当隊ハ第二遊撃部隊ト共ニ馬公ニ待機中第二航空戦隊基地物件並ニ人員輸送ノ命ヲ受ケ23日午後「マニラ」ニ到着セルモ既ニ第二遊撃部隊ハ「コロン」ヲ出撃シ有リタルヲ以テ24日2000B点ニ於テ是ト合同スベク「マニラ」ニ於ケル補給終了後成ル可ク速ニ出撃ノ予定ノ所初霜ノ補給遅レ2125「マニラ」湾内ニ合同以後一戦速ヲ以テ南下1800概ネB点ニ到着ノ予定ナリキ』
  51. ^ a b #サイパン・レイテ海戦記216-218頁
  52. ^ #第21駆逐隊捷1号作戦p.4『1152/敵機8機ノ奇襲ヲ受ケ初霜直撃弾1ヲ受ク(二番砲塔左舷側全力発揮差支ナシ)敵機約二十機当隊ヲ襲撃ス対空戦闘ヲ始ム』『25日0110/「マニラ」湾ニ入ル/0400 マニラ三号桟橋ニ横付負傷者陸揚燃料補給ヲナス』p.11『10月24日対空戦闘 駆逐艦若葉初春死傷者調査表』
  53. ^ #多号作戦経過概要p.6『(イ)1944年10月20日以降「オルモック」ニ向ケ出発セル増援護送船団』
  54. ^ #地獄のレイテ輸送作戦32頁
  55. ^ #地獄のレイテ輸送作戦43-44頁
  56. ^ #多号作戦経過概要p.6『第一水雷戦隊 島風、濱波、初春、竹、掃三〇、駆潜四六(註)第四次輸送部隊ト行會ヒタル際、長波、朝霜、若月加入初春及竹ハ分派ス』
  57. ^ #南海の死闘108頁
  58. ^ #捷1号作戦2YB作戦経過概要p.32『11・10(略)此ノ日2sd全滅ス 朝霜ダケ残ル』
  59. ^ #南海の死闘110-111頁
  60. ^ #秋月型(潮2015)267-269頁
  61. ^ #捷1号作戦2YB作戦経過概要pp.32-33『11・13|0730敵KdBノ艦上機「マニラ」船舶空襲三次ニ亘リ来襲、沖波初春被弾大火災沈没、潮擱座、木曾沈没「カビテ」曙秋霜大破 商船殆ド全部火災トナル』
  62. ^ #地獄のレイテ輸送作戦50-51頁
  63. ^ #10月18日以降増援兵力p.1『北比|マニラ|初春|1944 11.13|160(員数)』
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参考文献[編集]

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    • 元「柳」艦長・海軍少佐大熊安之助『松型「柳」艦長三たび痛恨の海に没したけれど 乗艦三隻の最期をみとった駆逐艦長が綴る海の勇者たちへの鎮魂歌
      太平洋戦争時、軽巡那珂水雷長、重巡妙高水雷長、芙蓉駆逐艦長、海軍兵学校教官、艤装員長、五月雨駆逐艦長、初春駆逐艦長、駆逐艦長。
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関連項目[編集]