卯月 (睦月型駆逐艦)

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卯月
Uzuki.jpg
基本情報
建造所 東京石川島造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 睦月型駆逐艦
艦歴
起工 1924年1月11日
進水 1925年10月15日
竣工 1926年9月14日(第二十五号駆逐艦)
最期 1944年12月12日沈没
除籍 1945年1月10日
要目(計画)
基準排水量 1,315トン
常備排水量 1,445トン
全長 102.72 m
最大幅 9.16 m
吃水 2.92 m
主缶 ロ号艦本式缶4基
主機 艦本式タービン2基2軸
出力 38,500馬力
速力 37.25ノット
燃料 重油450トン
航続距離 14ノットで4,500海里
乗員 154名
兵装 45口径三年式12cm単装砲4門
留式7.7mm機銃2挺
61cm3連装魚雷発射管2基6門
(八年式魚雷12本)
爆雷投射器
爆雷12個
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卯月(うづき)は日本海軍駆逐艦[1]睦月型駆逐艦の4番艦である[2]。艦名は旧暦4月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「卯月」に続いて2代目。姉妹艦「睦月」の沈没に伴い、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定された[3]

艦歴[編集]

太平洋戦争まで[編集]

1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日、第二十五駆逐艦と命名される[4]。 1924年(大正13年)1月11日、第25駆逐艦(卯月)は東京石川島造船所で起工[5]。これは浦賀船渠で建造された第24駆逐艦(弥生)と同日の起工である[6]。 同年4月24日、艦名を「第二十五号駆逐艦」に改正[7]1925年(大正14年)10月15日進水[5]1926年(大正15年)9月14日に竣工[5]佐世保鎮守府に所属した。1928年(昭和3年)8月1日附で「第二十五号駆逐艦」は「卯月」と改名された[1]

1930年(昭和5年)10月26日、神戸沖で戦艦「霧島」を御召艦とする特別大演習観艦式が開催される。11月中旬、昭和天皇は「霧島」に乗艦し、岡山県宇野から横須賀へ移動することになった[8]。第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、卯月)は「霧島」の供奉艦に指定される[9]。11月21日「霧島」は横須賀に到着し、天皇は退艦した[10]

1937年(昭和12年)からの支那事変において、「卯月」は中支、南支方面に進出する。また仏印進駐作戦に参加した。当時の第30駆逐隊は睦月型4隻(睦月、如月、弥生、卯月)で編制されていた[11]。続いて1939年(昭和13年)には「如月、弥生、卯月、夕月」という編制となる[12]1940年(昭和15年)6月、30駆は「睦月、如月、弥生、望月」となり[13]、最終的に「卯月」は第23駆逐隊に編入され[14]、かわりに「三日月」は第三航空戦隊へ転出した。

太平洋戦争緒戦[編集]

1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦時は第1航空艦隊・第2航空戦隊・第23駆逐隊(菊月、夕月、卯月)に所属していた[15]。 ただし実際には南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官(旗艦「鹿島」)指揮下の南洋部隊に編入されており、第四艦隊所属艦(第六水雷戦隊《旗艦夕張》、第十八戦隊《天龍龍田》、第十九戦隊《沖島》)や第六戦隊(青葉、加古、衣笠、古鷹)、吹雪型駆逐艦「」と共に行動した。 緒戦はグアム島攻略作戦の船団護衛に従事する。 1942年(昭和17年)に入ると、ラバウル方面、ラエサラモアブーゲンビル島モレスビーの各攻略作戦に参加した。5月4日のツラギ島攻略作戦中(珊瑚海海戦)に23駆僚艦/姉妹艦「菊月」が撃沈された事にともない、「卯月」はMO攻略部隊から除かれ、ナウルオーシャン攻略部隊に編入された[16]。その攻略作戦も旗艦/敷設艦「沖島」が撃沈されたり、米空母出現の報告もあって、5月15日に中止された。5月21日、第23駆逐隊(卯月、夕月)は佐世保での修理を命ぜられ、トラック泊地を出発した[17]

1942年(昭和17年)5月25日、第23駆逐隊の解隊にともない「夕月」は第29駆逐隊に、「卯月」は第30駆逐隊に編入され、30駆は定数4隻(睦月、弥生、望月、卯月)を回復する[18][17]。第29駆逐隊・第30駆逐隊は開戦劈頭のウェーク島の戦いにおいて、それぞれ所属艦2隻(疾風如月)を喪失していた。 「卯月」は一旦佐世保港へ帰港して整備したあと、再びソロモン諸島に進出した。

6月24日、SN作戦(南洋諸島航空基地建設・強化)の下令にともない兵力部署が改定され、支援部隊(第六戦隊《青葉衣笠加古古鷹》、第十八戦隊《天龍龍田》)、第一護衛隊(第六水雷戦隊《夕張、卯月》、第29駆逐隊《追風、夕月》)、第二護衛隊(第30駆逐隊《睦月》)という配置が決定する[19]。6月下旬、駆逐艦3隻(卯月、追風、夕月)、第21駆潜隊、第23駆潜隊は、軽巡洋艦「夕張」の指揮下、ガダルカナル島へ進出する輸送船団護衛部隊に加わった[20]。この部隊を第六戦隊が間接的に支援していた[21][17]。 7月上旬、ガダルカナル島攻略作戦に参加した。ラバウルに帰投後、第十八戦隊(天龍、龍田)の指揮下で東部ニューギニア攻略作戦に参加する[22]。7月10日、第六水雷戦隊は解隊され、同隊所属艦はそのまま第二海上護衛隊に編入される[17]。7月22日、ニューギニア島ブナで米軍大型爆撃機のべ100機の反復攻撃を受け輸送船「綾戸山丸」が被弾して擱座、救援のため接近した「卯月」も至近弾をうけ死傷者16名を出し、ラバウルへ避退した[23]

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月6日、護衛部隊(軽巡《龍田》、駆逐艦2隻《卯月、夕月》、駆潜艇2隻)は輸送船3隻(南海丸、幾内丸、乾陽丸)を護衛してラバウルを出撃、ブナへ向かった[24]8月7日、米軍はガダルカナル島に上陸、ガダルカナル島の戦いが始まる。3隻(龍田、卯月、夕月)は輸送船団の護衛任務を続け、ラバウル停泊中だった軽巡2隻(天龍、夕張)、駆逐艦「夕凪」のみ第八艦隊旗艦「鳥海」や第六戦隊重巡4隻と合流してガダルカナル島へ突入した(第一次ソロモン海戦[25]。8月9日、ラバウルへ戻る。8月10日、「卯月」は米潜水艦S-44に撃沈された重巡「加古」乗組員救助のために出動、8月11日早朝舟艇3隻と共にシンブリ島へ到着し、同島に上陸していた加古生存者650名を救出した[26]。 8月22日、「卯月」はラバウルで糧食や弾薬を搭載し、ガダルカナル島の日本軍守備隊へ輸送するよう下令される[27]。8月25日、ガダルカナル島に到着するが爆撃により損傷[28]。内地へ帰投し、佐世保海軍工廠で12月まで修理を行った。なお姉妹艦「睦月」が第二次ソロモン海戦で、「弥生」がラビ攻略作戦従事中に撃沈された事にともない「卯月」がネームシップとなり、睦月型は『卯月型駆逐艦』と変更された[3]

12月1日、構成艦2隻(睦月、弥生)を喪失した第30駆逐隊は解隊された[29]。修理完成後の12月上旬、空母2隻(龍鳳冲鷹)が陸軍の九九式双発軽爆撃機をトラック泊地へ輸送する事になった[30]。護衛艦として駆逐艦2隻(卯月、時津風)が指定される。12月12日、先行して横須賀を出撃した2隻(龍鳳、時津風)は米潜水艦「ドラム」に襲撃され、被雷した「龍鳳」は母港へ引き返した[30]。13日、「卯月」は空母「沖鷹」を護衛して横須賀を出発、途中で出迎えにきた駆逐艦2隻(朝雲時雨)と合流、トラック泊地へ進出する[30]。 その後コロンバンガラ島ムンダ飛行場への輸送作戦に参加した[31][32]12月25日午後6時、米潜水艦「シードラゴン」(USS Seadragon, SS-194) から雷撃されて損傷した「南海丸」を護衛中、「卯月」は「南海丸」と衝突する[33]。被雷地点南緯05度02分 東経152度33分 / 南緯5.033度 東経152.550度 / -5.033; 152.550[34]。衝突により「卯月」の左舷には5m程の穴があき、機関部にも浸水、舵故障により航行不能、負傷者6名を出した[35]。 ラバウルに停泊していた第31駆逐隊(長波)、第27駆逐隊(有明)、第17駆逐隊(谷風浦風)は救援のため、急遽出動する[36]。「卯月」は第27駆逐隊「有明」に曳航され「谷風」の護衛下でラバウルへ向かうが[37]、12月26日午前8時に「有明」はB-24爆撃機の空襲により中破した[38][39]。 単独回航された「有明」にかわって「浦風」が「卯月」を曳航し、2隻を「長波」が護衛してラバウルへ帰投した[40]。「南海丸」は当初「長波、浦風」に[41]、続いて「鶴見」と掃海艇21号に護衛されてラバウルへ戻った[42]

太平洋戦争中盤以降の戦い[編集]

1943年(昭和18年)1月5日に同地で爆撃を受けさらに損傷。トラックまで後退して工作艦「明石」支援下で応急修理をおこなう。6月24日、駆逐艦2隻(卯月、)は「神光丸」に曳航される秋月型駆逐艦1番艦「秋月」を護衛してサイパンを出発、7月5日に長崎に到着した[43]。以後、「卯月」は佐世保で本格修理を実施した。なお3月31日、第30駆逐隊は卯月型3隻(卯月、望月三日月)という戦力で再編成された[44]。翌日、第30駆逐隊は第三水雷戦隊に編入され、ソロモン諸島方面で行動する[45]。 だが「三日月」は7月29日に、「望月」は10月24日に撃沈され、第30駆逐隊は一時的に「卯月」のみとなった(後述)。 その後の同隊には、1943年(昭和18年)11月30日附で卯月型最終艦「夕月[46]、1944年(昭和19年)5月1日附で駆逐艦2隻(秋風松風[47]、1944年8月20日附で駆逐艦2隻(皐月夕凪[48]等が編入されているが、最前線で活動する第30駆逐隊の構成艦は次々に撃沈されることになった。

「卯月」は1943年(昭和18年)10月に佐世保を出港し、トラック泊地へ進出。10月18日、上海〜佐世保〜トラック泊地という航海を終えた『丁四号輸送部隊第一部隊』(軽巡木曾多摩)と合流する[49][50]。ラバウルへ向かうが、21日日付変更直後、「木曾」はニューアイルランド島・セントジョージ岬北東約40浬で爆撃を受け損傷、一時航行不能となった[51][52]。「木曽」の機関復旧により、「多摩」は先行してラバウルへ向かった[53]。2隻(木曾、卯月)は幾度か空襲をうけたが、ラバウルからかけつけた零式艦上戦闘機や第27駆逐隊「五月雨」の救援を得て、正午前にラバウルへたどりついた[49][54]。「多摩」は23日に、「木曽」は28日にトラックへ戻った[49]。「卯月」はラバウルに残り、同方面で輸送作戦に従事する。

10月23-24日、「卯月」は第30駆逐隊僚艦「望月」とニューブリテン島ジャキノットへ輸送作戦を実施するが、米軍機50機に襲撃され「望月」が撃沈される[55]。揚陸を断念した「卯月」は「望月」生存者を収容し、救援にかけつけた「天霧」と合流してラバウルへ帰投した[55]。続いて10月29-30日、卯月型2隻(卯月、文月)はニューブリテン島西部イボキ・ガロベ輸送任務に従事した[55]。 10月31日夜、単艦でブカ島方面へ輸送任務従事中の「卯月」は同島西20浬で米軍艦隊(指揮官アーロン・S・メリル少将:巡洋艦4、駆逐艦8)と遭遇、被弾したが逃げ切る事に成功した[56][57]。「卯月」は『先ノ敵ハ駆逐艦五以上ヲ伴フ重巡二乃至三隻ナルコト確実ナリ』と報告している[58]。この重巡洋艦の正体はクリーブランド級軽巡洋艦(満載積載量約1万4000トン。日本の高雄型重巡洋艦は満載約1万3000トン)だった。

11月2日のブーゲンビル島沖海戦では輸送隊(天霧、夕凪、文月、卯月、水無月)として参加するが、上層部の命令により輸送隊は反転したため(水無月は単艦でブカ島輸送成功)、米軍と直接交戦する事はなかった[59]。本海戦で第三水雷戦隊旗艦「川内」、駆逐艦「初風」が沈没した。11月5日以降、ラバウルは米軍機動部隊艦載機の空襲を受け、栗田健男中将指揮下の重巡洋艦部隊が大損害を受ける(ラバウル空襲)。「卯月」に損傷はなかった。11月中旬以降ラバウル方面に投入されていた艦艇は次々に撤収し、11月20日の時点での襲撃部隊(南東方面艦隊直率戦力)は「夕張、天霧、文月、水無月、卯月、夕凪、大波、長波(航行不能)、巻波、秋風、夕霧」という陣容であった[60]

11月21日-22日、第31駆逐隊司令香川清登大佐が率いる第31駆逐隊/警戒隊(大波巻波)、輸送隊(第11駆逐隊《天霧夕霧》、第30駆逐隊《卯月》)はブカ島への輸送を実施して成功した[61]。11月24日午後1時30分、第一次輸送作戦と同戦力でラバウルを出撃、3隻(天霧、夕霧、卯月)は2049ブカ到着、揚陸を終えて22時には帰路についた[61]。25日午前零時、アーレイ・バーク大佐率いる米軍第23駆逐部隊(駆逐艦5隻)に迎撃され、駆逐艦3隻(夕雲型駆逐艦《大波、巻波》、初雪型《夕霧》)を撃沈される[61]。0030、「卯月」は避退中に砲撃されたが重大な損傷はなく、「天霧」と合同し0530ラバウルへ到着した[61]

12月前半は月明期で米軍に発見されやすく、この機会に第三水雷戦隊所属艦艇はトラックやパラオに後退して整備することになった[62][63]。 「卯月」は「あけぼの丸」を護衛してパラオに移動(夕凪は途中で分離)[64][65]。 12月8日にパラオ到着以後[66]、整備中に「卯月」機関部に故障の危険性があることが判明[67]。一旦「国洋丸」を護衛してラバウルに移動(途中で内地から来た皐月が合流)[63][68]。 12月16日(着任17日)、第三水雷戦隊司令官は伊集院松治少将から中川浩少将にかわり[69]、日本本土に回航された「夕張」を除く各艦(文月、水無月、卯月)は19日までにラバウルへ戻った[62][65]。 12月19日の第三水雷戦隊は旧式駆逐艦(文月、水無月、皐月、松風、夕凪、卯月、秋風、太刀風)という戦力となる[62]。 直後、「卯月」はトラック泊地に回航される[70][71]。 12月26日、駆逐艦2隻(天霧、卯月)はタンカー2隻(日栄丸、旭東丸)を護衛してトラック泊地を出発[72]。29日、パラオから来た夕雲型駆逐艦12番艦「早波」と合流して船団護衛任務をかわり、「卯月」はパラオに到着した(天霧は31日パラオ着)[73][74]

昭和19年の行動[編集]

1944年(昭和19年)1月4日、駆逐艦2隻(卯月、太刀風)はタンカー2隻(富士山丸、神国丸)を護衛してパラオを出発[75][76]。 1月10日トラック泊地着[77][78]。 この頃、前年11月中旬のラバウル空襲で大破、トラック泊地に回航されていた夕雲型駆逐艦4番艦「長波」の内地修理が決まる[79]1月15日長良型軽巡洋艦1番艦「長良」は「長波」を曳航してトラックを出発[80]、駆逐艦2隻(卯月、夕凪)は警戒隊として同行する[81]。 18日、長波回航隊はサイパンに立ち寄る[82][83]。 1月24日、長波回航部隊(長良、長波、卯月、夕凪)は豊後水道を通過[84]。1月25日、2隻(長良、長波)は呉に到着[85]。2隻(卯月、夕凪)は佐世保へ帰港[86][87]佐世保海軍工廠阿賀野型軽巡洋艦4番艦「酒匂」の建造等や修理整備で多忙だったが、「卯月」の修理を『万難を排して』実施する[88]。 2月11日には姉妹艦「皐月」も佐世保に到着、共に修理に従事する[89][90]。 3月以降はサイパンへの船団護衛に従事した。

3月上旬、第十一水雷戦隊司令官高間完少将座乗の軽巡洋艦「龍田」以下、護衛艦9艦(軽巡《龍田》、駆逐艦《野分朝風夕凪卯月》、海防艦《平戸》、敷設艇《測天巨済》、第20号掃海艇)は東松二号船団(加入船舶12隻)を護衛、サイパン・グアム方面への船団護衛任務に就くことになった[91]。3月13日未明、旗艦「龍田」および輸送船「国陽丸」は米潜水艦「サンドラス」 (USS Sand Lance, SS-381) の雷撃により沈没する(国陽丸沈没3時29分、龍田沈没15時36分)[91]。「卯月」と択捉型海防艦「平戸」は米潜水艦に対し爆雷攻撃を行い、この間に高間司令官は「龍田」から第4駆逐隊「野分」に移乗して旗艦を変更した[92][91]パガン島に向かった「高岡丸」を除く船団は3月19日にサイパン島到着、ここでテニアン島行きの2隻(柳河丸、巨濟)、グアム島行きの3隻(玉鉾丸、朝風、第20掃海艇)、エンダービー島行きの2隻(第一眞盛丸、測天)に分離[91]。卯月以下トラック島行きの4隻(卯月、夕凪、対馬丸、あとらんちっく丸)も船団から分離し、20日附で第二海上護衛隊の指揮下に入った[91]

4月上旬、「卯月」は東松三号船団の復航船団に編入される[93]。船団部隊指揮官伊集院松治少将(第一特設船団司令官)の指揮下、護衛艦6隻(卯月、第48号駆潜艇他)、加入船舶4隻を護衛して4月3日サイパン島を出発、損害なく4月10日横須賀に到着した[93]。 4月中旬、「卯月」は東松六号船団に加入[94]。船団部隊指揮官松山光治少将(第七護衛船団司令官)の指揮下、護衛艦(帆風〔旗艦〕、卯月、夕凪、三宅、海防艦6号、10号、12号駆潜艇、掃海艇2隻《20号、28号》、敷設艇3隻《猿島、巨濟、由利島》)で加入船舶18隻を護衛する[94][95]。東松六号船団は4月15日東京湾を出撃[94]。被害なく4月23日朝、サイパンに到着した[94][96]。 その後も「卯月」は各方面への輸送船団を護衛した。

6月17日、第17駆逐隊の「浦風」と任務を交代した「卯月」は、6月18-20日の『マリアナ沖海戦』に補給部隊の護衛艦として参加する[97]。6月20日午後、補給部隊は「西方急速避退」の命令を受けて避退を開始[98]。 護衛艦(卯月、雪風夕凪初霜)と油槽船(速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、玄洋丸、あづさ丸)という編制で航行中、米軍機動部隊艦載機の空襲を受ける[99][100]。 油槽船2隻(清洋丸、玄洋丸)が被弾炎上。「卯月」は「玄洋丸」に横付けし最後の燃料補給を受けると、玄洋丸乗員を収容する[101]。さらに主砲を発射して同船を自沈処分とした[102][103]。一方、「清洋丸」は第17駆逐隊の「雪風」に処分された[104][105]。 その後も船団護衛で内地シンガポール間、内地マニラ間を往復した。

7月上旬、マリアナ沖海戦に続くサイパンの戦いで、サイパン島の地上戦に巻き込まれた第三水雷戦隊司令部は全滅、第三水雷戦隊司令官中川浩少将も戦死した。そこで日本海軍は第三水雷戦隊の残存艦艇を基幹として、8月20日附で第三十一戦隊を編制する(司令官江戸兵太郎少将)[106][107]。旗艦予定だった長良型3番艦「名取」が編成直前の8月18日に撃沈されたため、代艦として長良型2番艦「五十鈴」を旗艦にあてた[106]。第30駆逐隊(卯月、夕月、秋風、皐月、夕凪)も第三十一戦隊に編入されている[106]。各艦・各隊は瀬戸内海で戦隊訓練・対潜訓練を実施した[107]。だが8月25日に船団護衛任務中の「夕凪」は米潜水艦ピクーダ(USS Picuda, SS-382)に撃沈された[108]

9月8日、第八護衛船団司令官佐藤勉少将指揮下のヒ75船団[109]、護衛艦(空母《神鷹》、第30駆逐隊《夕月卯月》、海防艦3隻《三宅、満珠、干珠》)[110]、加入船舶(秋津洲西貢丸浅間丸、雄鳳丸、良栄丸、日栄丸、万栄丸、あまと丸、東邦丸せりあ丸)は[111]シンガポールを目指して日本本土(門司)を出撃[112][113]。 9月12日夕刻に「浅間丸」は台湾基隆市へ向かい[114]、残るヒ75船団は9月13日に高雄市へ到着[115][116]。9月14日、護衛艦3隻(海防艦18号、水雷艇、第28号掃海艇)[115]と油槽船3隻(富士山丸、黒潮丸、大邦丸)を加えて出港する[117]

9月17日、水上機母艦「秋津洲」、特設巡洋艦「西貢丸」、駆逐隊司令澤村成二大佐指揮下の第30駆逐隊(夕月、卯月)はヒ75船団から分離してフィリピンマニラ港へ向かう[118][115]。ヒ75船団はシンガポールへ向かった(22日着)[110]。夕刻、駆逐艦「秋風」(第30駆逐隊)が合流する[119]。 9月18日午前10時40-50分頃、米潜水艦フラッシャー(USS Flasher, SS-249)の雷撃で「西貢丸」が轟沈[120][121]。第30駆逐隊(夕月、卯月、秋風)は対潜掃蕩作戦を行い、水上機母艦「秋津洲」はマニラへ先行した[122]。9月19日、第30駆逐隊もマニラ到着[123][124]。 だが同地は既に米軍機動部隊の脅威にさらされていた[125]。9月21日午後、マニラ湾で出撃準備中だった駆逐艦「皐月」(第30駆逐隊所属)が[126]、米軍機動部隊艦載機の攻撃で沈没する[127]。「皐月」沈没の直前、第30駆逐隊(卯月、夕月、秋風)はマタ27船団を護衛してマニラを離れていた[128][129][130]。 9月24日、「秋津洲」は退避した先のコロン島(コロン湾)で米空母艦載機の攻撃を受け、給糧艦「伊良湖」等と共に撃沈された。

10月30日、空母「隼鷹」、軽巡洋艦「木曾」、第30駆逐隊(夕月秋風、卯月)という編制で佐世保を出発、ブルネイ・マニラ方面へ向かう[131]。11月3日、「秋風」は米潜水艦ピンタド(USS Pintado, SS-387)の雷撃により撃沈された[108]。隼鷹輸送隊は11月10日にマニラに到着すると「木曾」を分離。12日、レイテ沖海戦から生還した重巡洋艦「利根」・駆逐艦「時雨」を加えて日本へ向かった[132]。途中で米潜水艦に襲撃されるも、各艦とも被害はなかった。マニラに残った「木曾」は直後の空襲で大破、着底沈没している。11月16日、隼鷹輸送隊は内地帰投。航海中の11月15日、第三十一戦隊旗艦「霜月」は米潜水艦カヴァラ(USS Cavalla, SS/SSK/AGSS-244)に雷撃されて沈没、司令部も全滅した[106][108]。そのため12月1日附で鶴岡信道少将を新司令官として第三十一戦隊司令部を再建した[106]

沈没[編集]

1944年(昭和19年)12月9日、駆逐艦3隻(卯月、夕月、)はマニラを出港しオルモック輸送作戦第9次作戦に参加する。12日にオルモック湾で魚雷艇PT490等と交戦し、「卯月」は沈没した。13日、卯月型の最終艦「夕月」は損傷し、「桐」によって処分される。「卯月、夕月」の沈没をもって睦月型(卯月型)全12隻は全て喪われた。

1945年(昭和20年)1月10日、駆逐艦「卯月」は帝国駆逐艦籍より除籍された[133]。 全隻を喪失した卯月型は艦艇類別等級別表より削除される[134]。また第30駆逐隊も解隊された[135]

最終時兵装[編集]

1944年(昭和19年)8月31日の調査によると本艦の兵装は12cm単装砲2門、61cm3連装魚雷発射管1基、25mm3連装機銃2基、同連装2基、同単装6基、単装機銃座2基、八一式爆雷投射機2基、爆雷投下軌条2基、13号電探1基となっている。(『日本駆逐艦物語』p267,p280による)

歴代艦長[編集]

※脚注無き限り『艦長たちの軍艦史』252-253頁及び『官報』による。

艤装員長
  1. 郷田喜一郎 中佐:1926年1月15日[136] -
駆逐艦長
  1. 郷田喜一郎 中佐:1926年9月14日 - 1927年12月1日
  2. 吉田庸光 中佐:1927年12月1日 - 1928年7月11日[137]
  3. 五藤存知 少佐:1928年7月11日 - 1928年7月23日[138]
  4. 山下深志 中佐:1928年7月23日[138] - 1928年12月10日[139][140]
  5. (兼)鈴木田幸造 中佐:1928年12月10日[139] - 1929年11月1日[141] (本職:彌生駆逐艦長)
  6. 山本正夫 少佐/中佐:1929年11月1日[141] - 1930年12月1日[142]
  7. (兼)西岡茂泰 少佐:1930年12月1日[143] - 1931年12月1日[144] (本職:彌生駆逐艦長)
  8. 杉浦嘉十 少佐:1931年12月1日 - 1933年11月15日
  9. 清水利夫 少佐:1933年11月15日 - 1934年10月22日[145]
  10. (兼)杉野修一 少佐:1934年10月22日[145] - 12月15日[146] (本職:彌生駆逐艦長)
  11. 倉永恒記 少佐:1934年12月15日 - 1935年10月10日
  12. 井上良雄 少佐:1935年10月10日 - 1936年12月1日
  13. 岡部三四二 少佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日[147]
  14. 鈴木保厚 少佐:1937年12月1日 - 1938年3月5日[148]
  15. 清水逸郎 少佐:1938年3月5日 - 1938年12月15日[149]
  16. 石井勵 大尉/少佐:1938年12月15日 - 1939年11月15日[150]
  17. 氏家忠三 少佐:1939年11月15日 - 1940年4月4日[151]
  18. (兼)作間英邇 少佐:1940年4月4日[151] - 1940年5月1日[152] (本職:夕月駆逐艦長)、以後10月15日まで駆逐艦長の発令無し。
  19. (兼)志摩岑 少佐:1940年10月15日[153] - 1940年11月15日[154] (本職:三日月駆逐艦長)
  20. 西村正夫 少佐:1940年11月15日 - 1942年5月15日[155]
  21. 竹内仁司 少佐:1942年5月15日 - 1943年5月25日[156]
  22. 渡邊芳郎 大尉/少佐:1943年5月25日 - 1944年12月12日 戦死、同日付任海軍中佐[157]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月(ウヅキ)トス』
  2. ^ #艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.4『驅逐艦|一等|睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月』
  3. ^ a b #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』
  4. ^ #達大正12年7月p.7『達第百六十二號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦五隻ニ左ノ通命名ス|大正十二年七月十九日 海軍大臣財部彪|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第十九驅逐艦|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 第二十一驅逐艦|浦賀造船所ニ於テ建造 第二十三驅逐艦|石川島造船所ニ於テ建造 第二十五驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第二十七驅逐艦』
  5. ^ a b c #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『卯月|(艦性能略)|石川島造船所|13-1-11|14-10-15|15-9-14|(武装略)』
  6. ^ #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『彌生|(艦性能略)|浦賀船渠會社|13-1-11|14-7-11|15-8-28|(武装略)』
  7. ^ #達大正13年4月p.17『達第四十九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦及掃海艇ノ欄中「第一、第二」等トアルヲ「第一號、第二號」等ニ改ム/備考第二號中「第一驅逐艦」「第二驅逐艦」ヲ「第一號驅逐艦」「第二號驅逐艦」ニ改ム/同三號中「第一掃海艇」「第二掃海艇」ヲ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」ニ改ム 大正十三年四月二十四日 海軍大臣 村上格一』
  8. ^ #S5御召艦準備p.26『一.軍艦霧島行動予定』
  9. ^ #S5御召艦準備p.2『一.御召艦 軍艦霧島/二.供奉艦 第三十駆逐隊(睦月、如月、彌生、卯月)/三.右ノ外宇野港ヘハ呉鎮守府ヨリ警備艦トシテ軍艦天龍及第十八駆逐隊ヲ派遣ノ予定』
  10. ^ #S5御召艦準備p.25『5.11.21(霧島艦長)天皇陛下ニハ午後1時28分横須賀御入港午後2時17分天機御麗シク御退艦遊バザル』
  11. ^ #駆逐隊編制(昭和12年12月1日)p.8『驅逐隊編制|第三十驅逐隊|睦月、如月、彌生、卯月』
  12. ^ #駆逐隊編制(昭和13年12月5日)p.4『驅逐隊編制|第三十驅逐隊|如月、彌生、卯月、夕月』
  13. ^ #駆逐隊編制(昭和15年6月25日)p.3『驅逐隊編制|第二十三驅逐隊|菊月、三日月』-『第三十驅逐隊|睦月、如月、彌生、望月』
  14. ^ #駆逐隊編制(昭和15年12月25日)p.5『驅逐隊編制|第二十三驅逐隊|菊月、夕月、卯月』
  15. ^ #駆逐隊編制(昭和16年12月31日現在)p.2『第二十三驅逐隊|菊月、夕月、卯月』
  16. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)251頁
  17. ^ a b c d #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)44頁『第六水雷戦隊のSN作戦における活躍と同隊の解隊』
  18. ^ #内令昭和17年5月(3)p.39『内令第九百三十一號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十三駆逐隊ノ項ヲ削ル|第二十九駆逐隊ノ項中「追風」ノ上ニ「夕月、」ヲ加フ|第三十駆逐隊ノ項中「望月」ノ下ニ「、卯月」ヲ加フ』
  19. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)40-41頁『SN作戦計画の下令』(望月、弥生、夕凪は護衛任務中。朝凪修理中)
  20. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)380-381頁
  21. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)43頁『第六、第十八各戦隊のSN作戦における活躍』
  22. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)395頁
  23. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)400頁
  24. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)409頁
  25. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)410頁、430頁
  26. ^ #S1708加古戦闘詳報p.12『翌11日早朝駆逐艦卯月及呉鎮守府第三特別陸戦隊舟艇三隻ノ救援ヲ受ケ「カビエン」ニ輸送「メウェパセージ」停泊中ノ六戦隊僚艦ニ収容セラレタリ』
  27. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)554頁
  28. ^ #S1709第八艦隊日誌(1)pp.59-60『二十五日(天候略)増援部隊ハ「ガ」島北方150浬附近ニ於テ空襲ヲ受ケ金龍丸沈没神通被弾、船団ハ北方ヘ避退ス、敵機動部隊「サンクリストバル」島ノ南東方面ニ於テ伊一五発見、一木先遣支隊ノ消息判明ス、呉五特横五特佐五特ノ一部ヲ以テ「ラビ」攻略ヲ開始ス、空襲ニ依リ睦月沈没卯月至近弾ニ依リ船体漏洩箇所ヲ生ズ』
  29. ^ #内令昭和17年12月(1)p.4『内令第二千二百十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第三十驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  30. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)217頁
  31. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.25『25日|(略)四.1300第二回第四次ムンダ輸送隊(卯月、南海丸)ラバウル発』
  32. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(5)p.7『第二回|四次|26日|卯月駆艦長|南海丸(15K)、(卯月)|25粍連装機銃6、設営機材人員(計大発96隻分)|(略)』
  33. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.25『25日|(略)五.1730同右地点ケケチ19ニ於テ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ南海丸大破/六.1755卯月南海丸ト衝突大破航行不能重軽傷7』
  34. ^ #S1712南海丸日誌pp.3-4『25日1300第十七設営隊ヲ「コロンバンガラ」島ニ輸送ノ為駆逐艦卯月護衛ノ下ニ出撃 同日1735東経152度33分南緯5度2分ノ地点ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ避退行動中1755駆逐艦卯月ト觸衝夫々損傷ヲ蒙リタルモ一時「エーベル」湾ニ避泊…』
  35. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(5)p.13『三.我損害 卯月大破(衝突) 左舷中部径5米大破孔 二.三罐室満水舵故障航行不能 重軽傷6』
  36. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.25『25日|(略)六.1755卯月南海丸ト衝突大破航行不能重軽傷7/七.2100長波2130有明2200谷風浦風右救護ノ為ラバウル発』
  37. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.25『26日|三.0225有明卯月ヲ曳航谷風之ヲ護衛帰途ニ就ク』
  38. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.26『26日|(略)五.0801 B-24三来襲有明至近弾ニヨリ損傷戦死28戦傷40単独ラバウル回航1200』
  39. ^ #佐藤 艦長(文庫)227-228頁
  40. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.26『26日|六.0940浦風卯月曳航開始(略)九.1300長波卯月ノ護衛ニ任ジ谷風ヲラバウルニ先行セシム(略)一二.2000長波浦風卯月ラバウル帰着』
  41. ^ #S1712南海丸日誌pp.3-4『…26日0318救援駆逐艦長波浦風ノ護衛ノ下ニ26日1418自力航行「ラバウル」ヘ帰着ス』
  42. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.26『26日|(略)六.1200鶴見掃21ヲシテ南海丸ノ護衛ニ任ゼシム(1500ラバウル帰着)』
  43. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)299頁(如月は開戦劈頭で沈没)
  44. ^ #内令昭和18年3月(3)p.47『内令第五百二十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||第三十驅逐隊|三日月、望月、卯月|』
  45. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後93頁
  46. ^ #内令昭和18年11月(6)p.21『内令第二千五百二十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十一月三十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十七驅逐隊ノ項中「五月雨」ノ下ニ「、春雨」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「卯月」ノ下ニ「、夕月」ヲ加フ』
  47. ^ #内令昭和19年5月(1)pp.3-4『内令第六百十一號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年五月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十二驅逐隊ノ項中「水無月」ノ下ニ「、夕凪」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「夕月」ノ下ニ「、松風、秋風」ヲ加フ』
  48. ^ #秘海軍公報昭和19年8月(4)pp.45-46『内令第九七七號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年八月二十日 海軍大臣|第二十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「秋風」ノ下ニ「皐月、夕凪」ヲ加フ』
  49. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)436-438頁『第十七師団の南東方面への派遣』
  50. ^ #S1804十四戦隊日誌(4)p.8『(1)第一輸送隊(略)18日0800「トラック」着燃料補給 卯月ヲ加ヘ19日1100「ラバウル」ニ向ケ「トラック」発之字運動航行24節ニテ南下中…』
  51. ^ #S1804十四戦隊日誌(3)p.29『21日|0004第一次輸送隊「ニューアイルランド」島「セントヂョージ」岬沖ニテ敵機ト交戦木曽爆弾1命中』
  52. ^ #S1804十四戦隊日誌(4)pp.8-9『21日0004「ニューアイルランド」島「セントジョージ」岬ノ36度44浬附近ニ於テ後方低雲中ヨリ突如敵機来襲之ト木曽被爆1個(一番煙突右舷第二缶室)(略)一時停止多摩卯月ニテ木曽周辺警戒曳航準備中0030再ビ敵哨戒機2機ノ低空爆撃至近弾4ヲ受ケタルモ被害ナシ』
  53. ^ #S1804十四戦隊日誌(4)p.9『0040木曽自力航行可能トナリ卯月ヲシテ木曽ノ警戒ニ当ラシメ多摩ハ「ラバウル」ニ先行中0200ヨリ0330迄ニ2回ノ爆撃(爆弾2発宛)ヲ受ケタルモ被害ナシ』
  54. ^ #S1804十四戦隊日誌(4)p.9『木曽ハ約十節ニテ卯月ノ護衛下ニ0315迄敵機18機ノ執拗ナル攻撃ヲ撃退、0500以後味方直衛機及五月雨ノ増援ヲ得テ1130「ラバウル」着1410火災鎮火排水…』
  55. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後331-332頁『十月下旬輸送作戦』
  56. ^ #S1807三水戦日誌(4)p.67『(ニ)卯月(10月31日敵大巡ノ砲撃ニヨル)左舷前部ニ小破孔3(何レモ長サ10糎幅5糎以下)』
  57. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後379-380頁『船団発見に伴う航空攻撃と「敵ブカ上陸」の誤報-十月三十一日』
  58. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後386-388頁『水上部隊の第一回出撃-敵を逸す』
  59. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後390-391頁『第二回出撃-輸送隊の反転帰投』
  60. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後414-415頁『邀撃空戦と艦艇の被害』
  61. ^ a b c d #戦史叢書96ガ島撤収後429-431頁『ブカ輸送と「セントジョージ岬沖海戦」』
  62. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後441-442頁『十二月の作戦輸送』
  63. ^ a b #S1812三水戦日誌(1)p.11『(一)十二月前半ハ月明期ニシテ作戰輸送困難ナルト敵機ノ夜間空襲ノ顧慮上「トラツク」「パラオ」等ニ於テ整備休養ニ任ゼシメ傍々往復ノ途上船團護衛ニ從事セシムルヲ適当ト認メ第二十二駆逐隊ヲ「トラツク」ニ(往航長波ヲ曳航護衛)第三十駆逐隊(卯月)ヲ「パラオ」ニ(往航あけぼの丸 復航國洋丸護衛)同航セシム』
  64. ^ #S1812三水戦日誌(2)p.27『三日(天候略)一.三十駆(卯月)夕凪あけぼの丸ヲ護衛〇四二〇「ラバウル発」』
  65. ^ a b #S1812三水戦日誌(1)pp.13-16『四麾下及一時指揮下ニ入リタル艦船ノ行動(イ)麾下艦船』
  66. ^ #S1812三水戦日誌(2)p.30『八(天候略)二.三十駆(卯月)「パラオ」着』
  67. ^ #S1812三水戦日誌(1)p.12『(三)卯月ハ「パラオ」ニ於テ各部検査整備中「タービン」舵取機械等ニ重大故障惹起ノ虞アルヲ発見当方面作戰ニ従事セシメ得ザルヲ以テ内地ニ回航整備セシムルコトトナレル處十二月二十一日附ヲ以テGF附属ニ編入「トラツク」ニ回航セリ』
  68. ^ #S1812三水戦日誌(2)p.33『十七(天候略)一.〇八〇〇皐月國洋丸卯月ニ合同』
  69. ^ #S1812三水戦日誌(1)p.21『(イ)司令部(一)主要職員官氏名』
  70. ^ #S1812三水戦日誌(2)p.35『二二(天候略)二.三十駆(卯月)一〇〇〇「ラバウル」發』
  71. ^ #S1812三水戦日誌(2)p.36『二四(天候略)二.三十駆(卯月)〇八〇〇「トラツク」着』
  72. ^ #S1704第2海上護衛隊(5)p.70『二六(天候略)一.早波〇七一七パラオ着/二.天霧卯月二隻日榮丸旭東丸ヲ護衛一六三五スラバヤニ向ケトラック發(東経一三五度迄護衛パラオニ回航)』
  73. ^ #S1704第2海上護衛隊(5)pp.72-73『二九(天候略)一.早波(天霧卯月日榮丸旭東丸)船団ニ 一三〇〇合同護衛開始(略)三.卯月天霧二隻日榮丸船団護衛ヲ早波ト交代ス卯月ハ先行一四〇〇パラオ着』
  74. ^ #S1812三水戦日誌(2)p.25『三十一日〇九三〇天霧駆逐艦長(宛略)pp着』
  75. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.11『自一月四日至一月十日30dg(卯月)自「パラオ」至「トラツク」間富士山丸神國丸護衛』
  76. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.59『四(天候略)四.30dg(卯月)「トラツク」ニ向ケ「パラオ」発(船團護衛)』
  77. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.49『一月十日〇七〇八31dg司令(宛略)卯月太刀風PT着』
  78. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.62『一〇(天候略)一.30dg(卯月)〇七〇八「トラツク」着』
  79. ^ #S1812二水戦(3)p.6『(2)中旬(略)長波回航漸ク決定十五日長良曳航「トラツク」発』
  80. ^ #S1812二水戦(3)p.80『十五(天候略)長良長波曳航一四〇〇呉ニ回航ノ爲「トラツク」発(略)』
  81. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.12『自一月十五日至一月二十四日30dg(卯月)夕凪自「トラック」至内地(内海)間長波回航隊(警戒隊)』
  82. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.16『(四)麾下竝ニ一時指揮下ニ入リタル艦船部隊ノ行動』
  83. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.66『一八(天候略)二.30dg(卯月)夕凪(長波回航隊)〇七〇〇「サイパン」着一七〇〇發』
  84. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.21『長波一月二十四日一四三二(宛略)發長波回航部隊指揮官 回航部隊一〇三〇豊後水道通過警戒隊(卯月夕凪)一四三〇平群島着』
  85. ^ #S1812二水戦(3)p.14『(5)31dg(長波)「トラツク」ニ在リテ待機中九日附YB整備部隊ニ編入セラレタル十五日長良曳航「トラツク」発二十五日呉着被害箇所修理工事ニ着手』
  86. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.15『卯月夕凪 前月ニ引續キ指揮下ヲ離レ海上護衛任務ニ從事中ノ処二十五日佐世保着同地ニ於テ修理ニ着手ス三月上旬完成ノ予定』
  87. ^ #S1902三水戦(1)p.19『卯月|一.二五|(三月上旬)|佐世保』
  88. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.37『一月二十七日一〇三五佐廠總務部長(宛略)一.卯月整備工事ハ目下當工廠工事殺到ノ現状ニ於テ萬難ヲ排シ貴機第二二〇九〇七番電(十二月)ニ依ル外罐管(二号罐外側及三號罐一部)換装罐圍及重油「タンク」漏洩部修理等ヲ実施シ三月六日完成ノ予定/二.夕凪整備工事ハ水中聴音機装備罐室送風機(全部)及其他諸工事ヲ実施三月四日完成ノ予定』
  89. ^ #S1902三水戦(1)p.20『皐月|一.一一|(三月二六)|佐世保|一月四日ノ對空戰闘被銃爆撃ニ依ル損傷箇所修理』
  90. ^ #S1902三水戦(1)pp.25-26『(四)麾下一時指揮下ニ入リタル艦船ノ行動(イ)麾下艦船』
  91. ^ a b c d e #叢書46海上護衛戦359-361頁『東松二号船団』
  92. ^ #S1812十一水戦日誌(3)pp.10-11『13日/0314龍田国陽松雷撃ヲ受ク(八丈島ノ247度40浬)船団ハ緊急右45度一斉回頭ンテ回避(略)0630一時将旗ヲ野分ニ移揚ス船団ハ青ヶ島ノ南方ヲ経テ第二航路ヲ取ル野分一戦速ニテ船団ニ追及平戸卯月ハ制圧ヲ続行ス(以下略)』
  93. ^ a b #叢書46海上護衛戦363頁『東松三号船団』
  94. ^ a b c d #叢書46海上護衛戦367頁『東松三号船団』
  95. ^ #海防艦三宅戦記63-64頁『東松六号船団、三五一五船団作戦輸送護衛』
  96. ^ #海防艦三宅戦記66頁
  97. ^ #S1906玄洋丸p.10『6-17|1440卯月ト会合ス/1550秋月ト会合ス(略)1845秋月浦風本隊復皈ノ為分離』
  98. ^ #S1906あづさ丸pp.5-6『…一五四五ニ至リ「急速西方ニ避退セヨ」トノ命ニ接シ概ネ補給部隊ハ合同ノ儘全速力(約十五節)ヲ以テ西方ニ避退セルモ一七〇〇頃遂ニ二七〇度方向ニ本隊ヲ見失ヘリ、一七二五頃二七〇度遠距離ニ敵機十六機北上スルヲ以テ直ニ總員配置ニ就キ對空戰闘用意ヲナス』
  99. ^ #S1906玄洋丸p.6『一.第一補給部隊 速吸日栄丸国洋丸清洋丸響初霜夕凪栂/第二補給部隊 玄洋丸あづさ丸雪風卯月(浦風ト交代)|二.敵機来襲ノ際ハ各艦概ネ針路300度全力運転ナリ』
  100. ^ #S1906あづさ丸p.6『間モナク更ニ二四〇度方向ニ十九機西方ニ飛行シツヽアルヲ認メ各艦概ネ五,〇〇〇米ニ散開待機セリ 當時ノ陣形左ノ如シ(註)第一補給部隊(一)速吸日栄丸国洋丸清洋丸響初霜夕凪栂 第二補給部隊玄洋丸あづさ丸雪風卯月(二)敵機来襲ノ際ハ各艦概ネ針路三〇〇度全速運転ナリ』
  101. ^ #S1906玄洋丸p.8『…駆逐艦卯月ヲ右舷ニ横付セシメ同艦ニ対シ蒸氣アル迄燃料ヲ補給セリ(約一二〇頓)2130頃退船準備完了セルヲ以テ総員ヲ上甲板ニ集合2140軍艦旗ヲ降下総員ニ対シ訓示ヲ與ヘ卯月ニ移乗ヲ開始シ2205「キングストン」ヲ開キ機械室重油タンク等ヲ開放ノマヽ之ニ急速注水ヲ開始セリ…』
  102. ^ #S1906玄洋丸p.9『2210頃移乗完了横付ヲ離ス際ハ既ニ左舷ニ約八度傾斜シ急速浸水シツヽヲ認メタルモ尚卯月ニ対シ玄洋丸ノ處分ヲ命ジ尚六〇〇米ノ距離ニテ十二糎砲弾八發ヲ發射ソノ一弾ハ艦橋下ニ命中火災ヲ起シ漸次拡大シ沈没確實ト認メタルヲ以テ補給部隊ニ急速合同スル如ク行動セリ』
  103. ^ #淵田,奥宮(1992)429頁『(ロ)玄洋丸』
  104. ^ #S1906玄洋丸p.19『6-20|2045|雪風|各艦|我今ヨリ清洋丸ヲ處分ス』
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  118. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.11『九月十七|航海中|ヒ七五船團ト分離西貢丸船団護衛「マニラ」ニ向フ』
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  125. ^ #S1906第30駆日誌(2)p.32『二十一日一一二三大海参一部長|〇九三〇菲島東方海面敵機動部隊アリ』
  126. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.17『(一)任務企図 九月二十日二二〇〇「マニラ」湾ニ到着ヲ以テ神威船團護衛任務終了三十駆機密第 番電ニ依リ本艦特別任務ノ有無ニ関シ南西方面艦隊司令部ト連絡ノ上至急燃料補給後同月二十一日午後同地發二十一日早朝「マニラ」發ノ第三十駆逐隊ニ合同セントス』
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  128. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.11『九月二一|航海中|マタ二七A船団護衛高雄ニ向ケ假泊地出撃 敵機動部隊艦載機ヲ発見、安土丸分離』
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  132. ^ #S1906第30駆日誌(3)p.13『12日/1100時雨ト共ニ隼鷹筑摩護衛「マニラ」出港』
  133. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍 軍艦厳島|呉鎮守府在籍 軍艦八十島|舞鶴鎮守府在籍 軍艦神鷹|右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦曙、驅逐艦満潮、驅逐艦朝雲、驅逐艦山雲、驅逐艦野分、驅逐艦早霜、驅逐艦秋霜、驅逐艦若月、驅逐艦霜月|呉鎮守府在籍 驅逐艦浦風、驅逐艦島風|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦秋風、驅逐艦 卯月、驅逐艦夕月、驅逐艦初春|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦長波、驅逐艦濱波、驅逐艦沖波、驅逐艦岸波|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  134. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「八十島」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同「卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風」「、野分」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波」「、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同「島風」ヲ削ル(以下略)』
  135. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一駆逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』
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参考文献[編集]

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  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 沈着冷静 <駆逐艦「有明」艦長・吉田正一大佐の証言>(昭和15年10月〜昭和18年7月まで有明駆逐艦長、同年8月〜昭和19年6月まで浦風駆逐艦長)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』(原書房、1981年、第3刷)ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
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関連項目[編集]