夕霧 (吹雪型駆逐艦)

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Yugiri II.jpg
艦歴
発注 昭和2年度艦艇補充計画
起工 1929年4月1日
進水 1930年5月12日
就役 1930年12月3日
その後 1943年11月25日戦没
除籍 1943年12月15日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,680t 公試:1,980t
全長 118m (水線長:115.3m)
全幅 10.36m
吃水 3.2m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基2軸 50,000hp
速力 38.0ノット
航続距離 14ktで5,000浬
乗員 219名(もしくは220名)
兵装 50口径12.7cm連装砲 3基6門
13mm単装機銃 2挺
61cm3連装魚雷発射管 3基

夕霧(ゆうぎり/ゆふぎり)は[1]日本海軍駆逐艦[2]吹雪型駆逐艦[3]の14番艦(特II型の4番艦)である[4]。 霧級[5][6]や夕霧級と表記されたこともある[7]。 この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦の「夕霧[8]に続いて2隻目。

概要[編集]

一等駆逐艦夕霧(ゆうぎり/ゆふぎり)(2代目)は[9]、日本海軍が舞鶴工作部(当時)[10]で建造した吹雪型駆逐艦[3][11]1930年(昭和5年)12月に竣工した[12]。当時の所属は第8駆逐隊であった[13]

1935年(昭和10年)9月26日、悪天候下で演習中、吹雪型2隻(夕霧、初雪)は艦首切断の損傷に見舞われた[14]第四艦隊事件[15]1939年(昭和14年)11月1日、従来の第8駆逐隊は第20駆逐隊に改称した[16]

太平洋戦争開戦時、霧級4隻(朝霧、天霧、夕霧、狭霧)[6]は引き続き第三水雷戦隊麾下の第20駆逐隊を編制しており[17]、馬来部隊(指揮官小沢治三郎海軍中将・南遣艦隊司令長官)に所属してマレー作戦に従事した[12]。 第20駆逐隊は1942年(昭和17年)1月24日に狭霧を喪失した[18]。 その後、第20駆逐隊は馬来部隊所属の各部隊・各艦と共にエンドウ沖海戦シンガポール方面作戦、スマトラ上陸作戦、アンダマン諸島攻略に従事した[17][19]。 同年3月10日に駆逐艦白雲が第20駆逐隊に編入され[20][21]、4隻(朝霧、天霧、夕霧、白雲)で4月上旬のベンガル湾機動作戦、6月のミッドウェー作戦(戦艦部隊護衛)、7月下旬のB作戦(実施前に中止)に従事した[17][20]

ガダルカナル島攻防戦にともない第20駆逐隊は陸軍部隊をガダルカナル島に緊急輸送することになったが、8月28日にサンタイサベル島附近で米軍機の空襲を受け朝霧沈没[17][22]、夕霧と白雲大破という損害を受けた[20][23]。 夕霧は呉海軍工廠で修理をおこない[12]、第20駆逐隊は解隊された[24]

修理後の夕霧は1943年(昭和18年)1月16日附で第八艦隊に編入され[25]、ソロモン諸島に進出した。 1943年(昭和18年)2月25日、霧級2隻(夕霧、天霧)は第11駆逐隊に編入された[26]。 5月16日、夕霧は米潜水艦(グレイバック)の雷撃により損傷し、内地に戻った[12]。8月上旬より呉で修理をおこなった。 11月9日、修理を終えた夕霧は呉を出撃し、ラバウルに進出する[12]。11月24日、ブカ島輸送作戦に従事中の日本軍輸送部隊は米軍水雷戦隊の奇襲攻撃を受け、駆逐艦3隻(大波[27]、巻波[28]、夕霧[12])は一方的に撃沈された(セント・ジョージ岬沖海戦[29]

艦歴[編集]

太平洋戦争以前[編集]

舞鶴要港部工作部で建造[1]。舞鶴工作部が建造した吹雪型は、全24隻中6隻(吹雪、初雪、敷波、夕霧、漣、響)である[30]1928年(昭和3年)12月11日、日本海軍は建造予定の駆逐艦を夕霧(ゆふぎり)と命名する[1]。同日附で、吹雪型駆逐艦(一等駆逐艦)に類別した[3]1929年(昭和4年)4月1日、夕霧は起工した[10]。日本海軍において、電気溶接を採用した最初期の艦艇である[10]1930年(昭和5年)5月12日、夕霧は進水した(重巡洋艦高雄と同日)[31]。 8月9日、夕霧艤装員事務所は事務を開始する[32]。 12月2日、夕霧艤装員事務所は撤去された[33]。 12月3日、竣工する[34]。同日附で、第8駆逐隊(同年12月1日、霧級2隻〈天霧、朝霧〉で新編)[35]に編入された[13]。当時の司令駆逐艦は天霧であった[36]

1931年(昭和6年)1月31日、竣工した駆逐艦狭霧が第8駆逐隊に編入され[37]、8駆は霧級4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)を揃えた[38]

1932年(昭和7年)、第一次上海事変において長江水域の作戦に参加。5月19日、狭霧は新編の第10駆逐隊(狭霧、漣)に転出した[37][39]。第8駆逐隊は霧級3隻(天霧、朝霧、夕霧)で行動することになった[40]

1935年(昭和10年)9月26日、三陸沖で演習中に台風に遭遇し、夕霧は艦首切断という損傷を受けた(第四艦隊事件[34]大湊工作部で応急修理をおこなった。その後、夕霧をふくめ損傷各艦は舞鶴工作部(昭和11年7月1日、舞鶴海軍工廠に昇格)で修理工事を行った[41]。性能改善と設計方針見直しのため、舞鶴工作部で建造中の白露型駆逐艦海風(昭和10年5月4日、起工)は一時工事中止に至った[41]。この間の10月24日附で、夕霧は第8駆逐隊から除かれた[42]

1936年(昭和11年)12月1日、夕霧は第8駆逐隊に復帰した[43]日中戦争に際しては1937年(昭和12年)以降、上海杭州湾上陸作戦、華南沿岸での諸作戦、北部仏印進駐作戦に参加。

1939年(昭和14年)11月1日、日本海軍は駆逐隊の名称を変更する[16]朝潮型駆逐艦4隻(朝潮大潮満潮荒潮)で編制されていた第25駆逐隊を第8駆逐隊と改名する[16]。吹雪型3隻(朝霧、夕霧、天霧)の第8駆逐隊は第20駆逐隊に改称した[16]

1940年(昭和15年)5月1日、日本海軍は第一艦隊麾下に第三水雷戦隊を新編した[44]。編制当初の三水戦は、川内型軽巡洋艦川内、第12駆逐隊(叢雲、白雲、東雲、薄雲)、第20駆逐隊(朝霧、夕霧、天霧)である[44]。 8月1日、狭霧が第20駆逐隊に編入され[37]、同隊は吹雪型の霧級4隻(朝霧、夕霧、天霧、狭霧)となった[45][46]。 同年9月、第三水雷戦隊(旗艦川内)は北部仏印進駐にともなう陸軍輸送船団護衛任務に従事した。

1941年(昭和16年)1月19日、土佐沖で演習中の夕霧は軽巡洋艦北上と衝突するが、2隻とも損傷程度は軽微だった[47]

太平洋戦争前期[編集]

太平洋戦争開戦時、第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:軽巡〈川内〉、第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪〉、第12駆逐隊〈叢雲、白雲、東雲〉、第19駆逐隊〈浦波、磯波、綾波、敷波〉、第20駆逐隊〈天霧[48]、朝霧[49]、夕霧[34]、狭霧[37]〉)は馬来部隊(指揮官小沢治三郎南遣艦隊司令長官、旗艦「鳥海」)に所属し、他部隊からの編入部隊(第七戦隊の最上型重巡洋艦など)と共に南方作戦におけるマレー作戦に従事した[50][51]

1942年(昭和17年)1月24日、夕霧を含め第三水雷戦隊はエンドウ沖海戦でイギリス軍駆逐艦2隻と交戦した[52]。同日[37]ボルネオ島方面作戦に従事していた姉妹艦狭霧がオランダ潜水艦K-16に撃沈された[18][53]。 同年3月10日、日本海軍は第12駆逐隊を解隊し、同駆逐隊所属だった駆逐艦白雲を第20駆逐隊に編入した[21][54]。第20駆逐隊は吹雪型4隻(夕霧、朝霧、天霧、白雲)となり、引き続き馬来部隊(指揮官小沢治三郎第一南遣艦隊司令長官)として、麾下各部隊・各艦(鳥海、由良、香椎、占守、龍驤、熊野、鈴谷、三隈、最上)などと共にシンガポール方面作戦[55]、北部スマトラ攻略作戦(T作戦)[56][57]、アンダマン諸島攻略作戦(D作戦)[58]とビルマ攻略作戦(U作戦)[59][60]、ベンガル湾機動作戦などに従事した[61]

4月初旬、南雲機動部隊のセイロン島攻撃に策応し、小沢中将指揮下の馬来部隊機動部隊はベンガル湾で通商破壊作戦を実施した[62][63]。第20駆逐隊4隻は中央隊(鳥海、由良、龍驤、夕霧、朝霧)、北方隊(熊野、鈴谷、白雲)、南方隊(三隈、最上、天霧)に区分されて行動した[64][65]。 作戦実施直前の4月3日0645(日本時間)、南アンダマン島ポートブレアに停泊していた機動部隊警戒部隊(第三水雷戦隊)に対し連合軍爆撃機が空襲を敢行、夕霧は至近弾で若干の損傷を受けた(戦闘航海に影響なし)[63]。翌日以降、馬来部隊機動部隊はベンガル湾に進出し、4月6日の作戦で大きな戦果を挙げた[63][66]。中央隊の由良・龍驤・夕霧は艦砲射撃により商船3隻を撃沈している[67]。夕霧は、由良による商船撃沈を支援した[68]。 作戦後、機動部隊各艦は燃料補給を行いつつベンガル湾を離れ、4月11日シンガポールに帰投した(由良はペナン寄港)[66][69]。同地到着前日の10日、連合艦隊は第二段作戦第一期兵力部署を発動し、第三水雷戦隊は主隊に編入された[69]

南方作戦が一段落すると、馬来部隊に編入されていた各部隊・各艦(第三水雷戦隊を含む)は内地に帰投した[66][69]。 5月下旬より、第三水雷戦隊はミッドウェー作戦に従事した。 連合艦隊司令長官山本五十六大将直率の主隊は[70]、第一戦隊(大和、長門、陸奥)、第二戦隊(山城、扶桑、伊勢、日向)、第九戦隊(北上、大井)、第三水雷戦隊(軽巡〈川内〉、第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪、叢雲〉、第19駆逐隊〈磯波、浦波、敷波、綾波〉、第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)、他部隊駆逐隊(第24駆逐隊〈海風、山風、江風、涼風〉[注釈 4]、第27駆逐隊〈時雨、白露、有明、夕暮〉)、空母隊(鳳翔、夕風)、特務隊(千代田、日進)[注釈 5]、燃料補給部隊であった[71]

5月29日朝、主力部隊は桂島泊地を出撃した[72]。第20駆逐隊は第一艦隊司令長官高須四郎中将指揮下の警戒部隊(第二戦隊〈伊勢、日向、山城、扶桑〉、警戒隊〈指揮官岸福治第九戦隊司令官:第九戦隊〔北上、大井〕[73]、第24駆逐隊〔海風、江風〕、第27駆逐隊〔夕暮、白露、時雨〕、第20駆逐隊〔天霧、朝霧、夕霧、白雲〕〉、第二補給隊〔さんくらめんて丸、東亜丸、山風〕)に区分されており[74]、6月4日0500に主力部隊主隊(山本長官直率)と分離した[75]。 海戦に敗北したあと内地にもどった三水戦は[76]、6月下旬より奄美大島方面で対潜掃蕩に従事した[34]

7月下旬、第三水雷戦隊はインド洋方面通商破壊を主目的とするB作戦に従事するため[77]、マレー半島西岸のメルギーに進出した[34][78]。B作戦参加部隊の兵力部署において、第20駆逐隊は三水戦司令官指揮下の機動部隊・北方隊(三水戦〈川内、第19駆逐隊〔浦波、敷波、綾波〕[注釈 6]に所属していた[77]。 8月7日、ガダルカナル島の戦い生起にともないB作戦は中止される[79][80]。第20駆逐隊はマカッサルとダバオを経由して、8月23日までにトラック泊地に進出した[34][54]

ガダルカナル島の戦い[編集]

1942年(昭和17年)8月24日、第三水雷戦隊の大部分は外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入される[81]。同日、三水戦(司令官橋本信太郎少将、軽巡〈川内〉、第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)は輸送船2隻(佐渡丸、浅香山丸。川口支隊主力約5000名)を護衛してトラック泊地を出撃した[82][83]。 日本海軍は第二次ソロモン海戦に敗北し(空母龍驤沈没、水上機母艦千歳損傷)[84]、第二水雷戦隊が護衛していた輸送船団も空襲で2隻沈没(輸送船〈金龍丸〉、駆逐艦〈睦月〉)旗艦神通損傷の被害を受け、ラバウルに撤退していた[85]。 上級部隊の命令により、ガ島への増援輸送は駆逐艦をもって実施されることになった(鼠輸送[83]

8月26日夜半、第20駆逐隊は船団(川内、佐渡丸、浅香山丸)と分離、4隻(夕霧、朝霧、天霧、白雲)は陸軍一個大隊600名を分乗させ、ガダルカナル島へ向かう[83]。だがショートランド泊地より出動予定の第24駆逐隊(海風江風磯風〈臨時指揮下〉)との行動調整がうまくゆかず、第20駆逐隊はイサベル島北側を機宜行動した[83]。 8月28日昼過、第20駆逐隊はガダルカナル島より発進した米軍急降下爆撃機SBDドーントレス11機の空襲をうける[86]。朝霧は轟沈[86]。白雲は航行不能となり[54]、夕霧も損傷した(至近弾で機関部損傷、上部構造物損傷、最大発揮速力28ノット)[86]。駆逐隊司令含め32名が戦死、重軽傷40名と記録されている[86]。 白雲は天霧に曳航され、夕霧の護衛下でショートランド泊地へ向かった[86]。駆逐艦陽炎(第15駆逐隊)が救援に向かい、29日昼頃に合同した[86]。第24駆逐隊はガ島突入を中止して反転し、第一次駆逐艦輸送作戦は失敗に終わった[86]。8月30日0600~0730までに、陽炎と第20駆逐隊はショートランドに到着した[87]

この間、外南洋部隊増援部隊指揮官は田中頼三第二水雷戦隊司令官から橋本信太郎第三水雷戦隊司令官に交代した[88][89]。31日0600、三水戦(川内、浦波、敷波)はショートランドに到着し、橋本少将は田中少将より増援部隊指揮官を引き継いだ[89]。田中少将(二水戦司令官)は夕霧に乗艦しショートランドを出発、トラック泊地に向かう[89][90]。9月2日、夕霧はトラック泊地に到着し、田中少将は二水戦旗艦を夕霧から神通に変更した[91][92]

9月7日、夕霧は連合艦隊主隊に編入された[93]。 10月1日、第20駆逐隊は解隊された[24][94]。天霧は第八艦隊に編入される[95]。夕霧と白雲は呉鎮守府警備駆逐艦となり[96]、呉鎮守府部隊に編入された[94][97]。 10月6日、夕霧は呉に到着した[34][98]。神通と白雲は10月8日呉に到着した[54]。夕霧と神通は呉海軍工廠で修理を行う。

太平洋戦争中期以降[編集]

1943年(昭和18年)1月16日、神通は第二水雷戦隊に、夕霧は第八艦隊(司令長官三川軍一中将)に[99]、それぞれ編入された[25][100]。1月25日、夕霧は呉を出発する[34]。 2月4日、外南洋部隊によるケ号作戦(ガダルカナル島撤収作戦)に、夕霧は第二次作戦より参加した[101]。ただし、巻波駆逐艦長人見豊治中佐指揮下の附属隊(巻波、夕霧)は、ショートランド泊地待機である[102]。 2月25日、霧級2隻(天霧、夕霧)は第11駆逐隊に編入され、この時点で11駆は定数4隻(白雪、初雪、天霧、夕霧)を回復した[26]。夕霧はソロモン諸島での輸送任務に従事した[34]

3月3日、第11駆逐隊の駆逐艦白雪が沈没した[103]ビスマルク海海戦[104]。同艦は4月1日附で第11駆逐隊から除籍され、11駆は3隻(初雪、天霧、夕霧)となった[105]

4月下旬より、外南洋部隊の駆逐艦3隻(天霧、夕霧、望月)はサンタイサベル島レカタ基地への輸送を複数回実施した[106]。同時期にはコロンバンガラ島輸送従事中の第15駆逐隊(親潮、黒潮、陽炎)が機雷によって全滅する惨事も起きた[107]。 5月16日、ムッソウ島沖(カビエン北西12浬)で夕霧は米潜水艦(グレイバック)の雷撃を受け、艦首部切断の損傷を受ける[34]。戦死者9名[108]。夕霧は天霧に曳航され、ラバウルに移動した[108]。 7月上旬より、トラック泊地で応急修理をおこなった[109]。 この間、第11駆逐隊司令は杉野修一大佐から山代勝守大佐に交代した[110]。 また7月6日のクラ湾夜戦で第三水雷戦隊旗艦新月が沈没し、三水戦司令官秋山輝男少将が戦死した[111][112]。 重巡洋艦鳥海艦長有賀幸作大佐が臨時の増援部隊指揮官となったあと、7月10日附で伊集院松治大佐が第三水雷戦隊司令官(増援部隊指揮官)に任命された[111][112]。 7月中旬、第11駆逐隊の駆逐艦初雪が空襲を受けて沈没し[113][114]、10月15日附で除籍された[115]。健在の第11駆逐隊所属艦は天霧のみという状態だった[116]

7月24日[109]、夕霧と択捉型海防艦隠岐は輸送船団を護衛してトラック泊地を出発する[117][118]。 8月1日、夕霧と隠岐は横須賀に到着した[119][120]。夕霧は8月5日に横須賀を出発、8月7日に呉へ到着した[34]呉海軍工廠で修理をおこなう[34]。 11月9日、夕霧は呉を出撃した[121]。13日にサイパン島到着[121]。翌日出発し、15日トラック泊地到着[121]。翌日出発し、18日ラバウルに到着した[121]。 さっそく第三水雷戦隊所属各艦で合同訓練を行ったあと[122][123]、夕霧はブカ島輸送に従事した[121][124]

11月21日、第31駆逐隊司令香川清登大佐を指揮官とする第一次ブカ島輸送作戦が実施された[125]。作戦は警戒隊(大波、巻波)、輸送隊(第11駆逐隊〈天霧、夕霧〉、第30駆逐隊〈卯月〉)の駆逐艦5隻で行われた[125]。同日1330にラバウルを出撃し、夜間にブカ島へ到着する[125]。22日朝、ラバウルに帰投した[125]。 11月24日、第一次と同じ編成で、第二次ブカ島輸送が行われる[125]。輸送成功後の帰途、セント・ジョージ岬沖でアーレイ・バーク大佐指揮下の米駆逐艦5隻と夜間水上戦闘になる[126]。最初に警戒隊2隻(大波[127]、巻波[128])が被雷・被弾して沈没した[125]。夕霧は魚雷9本を発射したが命中せず、25日0130に集中砲火を浴びて沈没した(セント・ジョージ岬沖海戦[125]。輸送隊2隻(天霧、卯月)はラバウルに帰投できた[125]。南東方面部隊指揮官草鹿任一中将は伊177潜水艦伊181潜水艦に遭難艦の救助を命じ、伊177は夕霧乗員と便乗者計278名を救助した[125]。伊181潜水艦は11名を救助した[125]ブーゲンビル島ブカ島に対する駆逐艦輸送はこの敗戦をもって打ち切られ、あとは小舟艇や潜水艦輸送に頼らざるを得なくなった[129]

12月15日、第11駆逐隊は解隊された[130]。同日附で、夕霧は帝国駆逐艦籍[131]、初雪型駆逐艦[132]から除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』282-283頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  • 神山徳平 中佐:1930年8月1日 - 1930年10月18日[133]

艦長[編集]

  • 神山徳平 中佐:1930年10月18日[133] - 1931年11月2日[134]
  • 大森仙太郎 中佐:1931年11月2日 - 1932年12月1日
  • 久宗米次郎 中佐:1932年12月1日 - 1933年11月15日
  • 成田忠良 中佐:1933年11月15日[135] - 1936年2月15日[136]
  • 小川莚喜 少佐:1936年2月15日 - 1936年6月15日
  • 小西要人 中佐:1936年6月15日 - 1936年12月1日
  • 清水利夫 中佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 山田勇助 中佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
  • 福岡徳治郎 中佐:1938年12月15日 - 1939年11月1日
  • 隈部伝 少佐:1939年11月1日 - 1941年4月1日[137]
  • 本倉正義 少佐:1941年4月1日 -
  • 前川二三郎 少佐:1942年9月3日 -
  • 尾辻秀一[注釈 7] 少佐:1943年10月25日 - 11月25日戦死

参考文献[編集]

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  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻四の1』明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻十の2』明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻十一の2』明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第六 昭和七年至昭和十年』 東京書籍株式会社、2016年3月。ISBN 978-4-487-74406-0
  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎 『日本軽巡戦史』 図書出版社、1989年3月。
  • ノンフィクション作家佐藤和正 「命令誤認〈砲艦「橋立」艦長・山代勝守大佐の証言〉」『艦長たちの太平洋戦争 続篇 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社、1984年4月。ISBN 4-7698-0231-5
  • 志賀博ほか 『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』 潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7
    • (36-49頁)当時「天霧」水雷長・海軍大尉志賀博『特型「天霧」「夕霧」セントジョージ岬沖海戦 恐るべしバーク戦法。ブカ輸送に殉じた夕雲型巻波、大波と夕霧の悲劇
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • (255-342頁)戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 城英一郎著 『侍従武官 城英一郎日記』 野村実・編、山川出版社〈近代日本史料選書〉、1982年2月。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ミッドウェー海戦』第43巻、朝雲新聞社、1971年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』第54巻、朝雲新聞社、1972年3月。
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊(1) ―開戦まで―』第91巻、朝雲新聞社、1975年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。
  • 『写真 日本の軍艦 駆逐艦I 睦月型・神風型・峯風型』第10巻、雑誌『』編集部/編、光人社、1990年5月。ISBN 4-7698-0460-1
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年。
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • (220-229頁)戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
  • 『大捷マレー沖海戦 世界を震撼させた革命的航空戦術と南方電撃作戦を徹底分析』第2巻、歴史群像編集部、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1994年3月。
  • 『勇躍インド洋作戦 南方資源地帯確保へさらなる進攻と南雲機動部隊の西進作戦を徹底分析』第3巻、歴史群像編集部、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1994年6月。
  • 『ミッドウェー海戦 主力空母四隻喪失。戦勢の転換点となった大海空戦の全貌を解明する』第4巻、歴史群像編集部、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1994年9月。
  • 『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡』第19巻、歴史群像編集部、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1998年8月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030022700。
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    • 『昭和16年12月1日〜昭和19年4月30日 第4根拠地隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030251000。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「次ぎに驅逐艦に於ては、昭和十二年末に於ては米國一一六隻、日本七六隻、比率七割となるのであるが、こゝにも我が夕霧級のすばらしいものが十數隻もある。米國の驅逐艦には舊式のものが多く米國のヤーネル少将をして「米國の百五十隻の驅逐艦と、日本の三十隻の驅逐艦とを取代へてもよい」と嘆聲を洩らさしめたほどである。」
  2. ^ 「(昭和十年九月)二十七日 金曜日(第四艦隊の遭難)(中略)第四艦隊は、去る二十五日函館を出港、大演習第二期対抗演習の発動点に向け航行中のところ、昨日、函館の東南東約三百浬の太平洋上において猛烈な敵厚に遭遇し、駆逐艦初雪及び夕霧が艦首を切断するなど艦船多数が損傷、多数の死傷者を出す第四艦隊事件。これにより実施予定の対抗演習は中止となり、特別演習のみ実施されることとなる。」
  3. ^ (昭和16年)一月一九日(日)晴(略)土佐沖にて夜戦訓練中、3sdの「北上」(軽巡洋艦)「夕霧」(駆逐艦)衝触。人員異状なし。損害軽微。』
  4. ^ 涼風は修理中のため実際には同行せず(戦史叢書43巻の193頁より)
  5. ^ 甲標的母艦2隻(千代田、日進)は主隊所属だが、連合艦隊より攻略部隊に続行するよう命じられていた(戦史叢書43巻の173-175頁より)
  6. ^ 19駆の磯波は、MI作戦帰投中に浦波と衝突、艦首切断して修理中(戦史叢書43巻の534-535頁より)
  7. ^ 参議院議員尾辻秀久ならびに鹿児島県議尾辻義は実子。

出典[編集]

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  2. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 89a夕霧(ゆうぎり)
  3. ^ a b c #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ66(原本93頁)『◎昭和三年十二月十一日(内令三五六)艦艇類別等級表中驅逐艦一等吹雪型ノ項「狭霧」ノ下ニ「、夕霧」を加フ』
  4. ^ 幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ160(原本251頁)『吹雪型(十六隻) 艦種一等驅逐艦 艦名考風波等気象に採る。(略)夕霧 (起工)昭和4-4-1 (進水)5-5-12 (竣工)5-12-3 (建造所)舞鶴工作部』
  5. ^ 日本軍艦集2600年版p.443『一等驅逐艦 天霧(あまぎり) (艦要目略) 所謂特型驅逐艦で、同型計23隻、この中霧級には天霧のほかに、朝霧、夕霧、狭霧の三隻がある。』
  6. ^ a b ポケット海軍年鑑(1937)コマ48(原本78頁)『一等驅逐艦"狭霧 さぎり"  全要目{排水量1,700噸 速力34.0節 備砲12.7糎砲6門 魚雷發射管9門 起工昭和4年3月 竣工昭和6年1月 建造所浦賀船渠會社} 特型驅逐艦はわが海軍驅逐艦の中堅主要部隊である。わが驅逐艦名のゆかしさは世界に比類のない、外國の追随を許さぬ詩的なものであるが、"吹雪"より始る特型驅逐艦は "吹雪 ふぶき" "初雪 はつゆき" "白雪 しらゆき" 雪級3隻(深雪が除籍された) 雲級4隻 "浦波 うらなみ" "磯波 いそなみ" "綾波 あやなみ" "敷波 しきなみ" 波級4隻 "天霧 あまぎり" "朝霧 あさぎり" "夕霧 ゆうぎり" 霧級4隻 外に"朧" "曙"等一文字名のものが8隻、合計23隻で各大體4隻づゝをもつて驅逐隊一隊を編制、時には水雷戰隊となり、或ひは航空戰隊に加はり、また警備戰隊に入つて活躍する。』
  7. ^ #日米若し戦はばコマ24(原本38頁)[注釈 1]
  8. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ204(原本369頁)『◎水雷艇驅逐艇雷電東雲叢雲曙漣夕霧不知火命名ノ件』/『明治三十一年三月十六日(達二七)』
  9. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ209(原本378頁)『◎驅逐艦夕霧命名ノ件』/『昭和三年十二月十一日(達一八五)』
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  76. ^ 戦史叢書43巻、534-535頁「主力の内地帰投」
  77. ^ a b 戦史叢書54巻、119-121頁「九 B作戦計画とその取りやめ/兵力部署の下令」
  78. ^ 日本軽巡戦史、228-230頁「第二次インド洋作戦、中止」
  79. ^ 戦史叢書54巻、75-77頁「一 全般経過の概要」
  80. ^ 戦史叢書54巻、121-122頁「米軍の「ガ」島来攻とB作戦の取りやめ」
  81. ^ #第八艦隊日誌(1)p.9『八月二十四日 鳴戸外南洋部隊ノ指揮下ニ入ル 第三水雷戰隊(第十九駆逐隊缺)外南洋部隊ニ編入』
  82. ^ 戦史叢書83巻、10-11頁「川口支隊」
  83. ^ a b c d 戦史叢書83巻、21-22頁「輸送開始と外南洋部隊の延期命令」
  84. ^ 日本空母戦史、322-326頁「竜驤の沈没(八月二十四日)」
  85. ^ 戦史叢書83巻、5-6頁「船団によるガ島輸送の挫折」
  86. ^ a b c d e f g 戦史叢書83巻、24-28頁「第一次輸送の挫折」
  87. ^ 戦史叢書83巻、30-31頁
  88. ^ #第八艦隊日誌(1)pp.21-22『八月三十一日 第二十四駆逐隊 第十一駆逐隊(叢雲缺)陸軍増援部隊ヲ「タイボ」ニ揚陸ス 増援部隊ノ指揮ヲ三水戰司令官 二水戰司令官ヨリ引継グ(以下略)』
  89. ^ a b c 戦史叢書83巻、31-33頁「増援部隊指揮官の更迭」
  90. ^ #戦隊行動調書p.36『艦在所 9.2←霧夕→8.31』
  91. ^ #戦隊行動調書p.36『艦在所 9.25←通神→9.2』
  92. ^ #S1709二水戦日誌(1)p.3『(一)2Sd(dg)缺 九月二日夕霧「トラック」着後将旗ヲ夕霧ヨリ神通ニ復歸/神通自九月一日至九月三十日「トラック」ニ於テ應急修理ニ從事 九月九日早潮ニ将旗ヲ移揚自九月九日至九月二十三日前進部隊本隊トシテ「ガダルカナル」奪回支援竝ニ敵艦隊捕捉撃滅作戰ニ從事/九月二十五日附神通呉鎭部隊ニ、五十鈴2sdニ夫々編入/九月二十六日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ變更/「カ」號作戰支援部隊トシテ「トラック」ニ待機』
  93. ^ #第八艦隊日誌(2)p.9『(3)軍隊区分ノ変更』/『夕霧|九-七|GF電令作第二七〇號ニ依リGF主隊ニ編入』
  94. ^ a b #S1709呉鎮日誌(3)p.4『(ロ)任務、編制、配備(略)一日 夕霧及白雲(二十驅解隊)呉鎭部隊ニ編入』
  95. ^ #第八艦隊日誌(2)p.27『(3)軍隊区分ノ変更』/『天霧|一〇-一|第八艦隊ニ編入』
  96. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.2-3『内令第千八百二十五號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 山雲|呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 白雲|右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  97. ^ #S1709呉鎮日誌(4)pp.17-18『五 作戰經過概要 昭和十七年十月 呉鎭守府』(1942年10月1日記事)
  98. ^ #S1709呉鎮日誌(4)pp.1-3『四 参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動』(1942年10月)
  99. ^ #第八艦隊日誌(4)p.27〔軍隊区分ノ変更〕/『夕霧|一-一六|戰時編成改定ニ依リ8F附属』
  100. ^ #S1801呉鎮日誌(2)pp.33-34『五 作戰經過概要 昭和十八年一月 呉鎭守府』(1943年1月16日記事)
  101. ^ #第八艦隊日誌(5)p.22『白雪 黒潮 朝雲 五月雨 舞風 江風 10dg(風雲 夕雲 秋雲)、17dg(谷風 浜風 浦風 磯風)、16dg(時津風 雪風)、8dg(大磯 荒潮)、皐月 長月 文月 川内 巻波 夕霧|二-四|「ケ」號作戰第二次輸送ヲ實施ス』
  102. ^ 戦史叢書83巻、562頁「第二次撤収(二月四日)」
  103. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 88b白雪(しらゆき)
  104. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 273-274白雪(しらゆき)
  105. ^ #内令昭和18年4月(1)画像26-27『内令第五百七十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル 第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム 第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル 第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル 第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  106. ^ 戦史叢書96巻、163-164頁「レカタ輸送」
  107. ^ 戦史叢書96巻、161頁「第十五駆逐隊触雷位置図」
  108. ^ a b 戦史叢書96巻、168頁
  109. ^ a b #S1807三水戦日誌(1)pp.25-27『四、参考(一)麾下艦船部隊ノ行動』(1943年7月)
  110. ^ 艦長たち(続篇) 1984, p. 209.
  111. ^ a b #S1807三水戦日誌(1)pp.6-7『(ロ)軍隊区分 南東方面部隊、外南洋部隊増援部隊 第三水雷戰隊ハ前月ニ引續キ其ノ大部ヲ以テ外南洋部隊増援部隊其ノ他ハ外南洋部隊附属トシテ内地ニ囘航整備ニ從事ス/1. 第三水雷戰隊司令部ハ増援部隊司令部トシテ作戰指導ニ任ズ/2.七月五日、六日RD方面輸送並ニ支援作戰中「コロンバンガラ」戰闘ニ於テ六日0000以後旗艦新月消息不明トナリシ爲鳥海艦長増援部隊指揮官トナル/3.七月十日 第三水雷戰隊司令官伊集院大佐着任増援部隊指揮官トナル(以下略)』
  112. ^ a b 戦史叢書96巻、230頁
  113. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 274初雪(はつゆき)
  114. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 88a初雪(はつゆき)
  115. ^ #S18.9-10内令4巻/昭和18年10月(4)画像8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一驅逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
  116. ^ 艦長たち(続篇) 1984, p. 210.
  117. ^ #S1807三水戦日誌(1)pp.42-43『二四(天候略)二、一五〇〇夕霧 平安丸 興津丸ヲ護衛横須賀ニ向ケ「トラック」発』
  118. ^ #S1612四根日誌(3)p.43『(七)護衛船団並ニ無護衛船団ニ関スル調査(一八、七)』『〃(二四)|四七二三|三|一八六一六|隠岐、夕霧|トラック-横須賀|一〇.〇|』
  119. ^ #S1612四根日誌(3)p.52『八月分麾下艦船部隊行動 第二海上護衛隊』
  120. ^ #S1807三水戦日誌(2)pp.30-33『四 参考(一)麾下艦船部隊ノ行動』(1943年8月分)
  121. ^ a b c d e #S1807三水戦日誌(5)pp.15-19『(二)麾下竝ニ一時指揮下ニ入ル艦船ノ行動』(1943年11月分)
  122. ^ #S1807三水戦日誌(5)p.14『訓練、補給、整備等ニ関スル計畫指導(1)訓練 今月ハ月暗期ニ於テハ作戰輸送頻繁ニ實施セラル且晝間及月明期夜間ニ於ケル敵機ノ空襲激化セル爲計畫内教練訓練ヲ實施シ得ズ専ラ各艦ノ單獨訓練ニ委セタルモ夕霧秋風夕凪等最近内地ニ於ケル修理ヲ完了訓練ノ暇ナク合同セル艦又ハ艦長交代セル艦アルヲ以テ十一月二十日天霧夕霧秋風夕凪ヲ率ヒ湾外ニ出動自隊訓練ヲ實施セル外十九日卯月夕凪秋風陸軍機動決戰トノ聯合訓練ヲ實施セリ』
  123. ^ #S1807三水戦日誌(5)pp.20-24『(二)一時指揮下ニ入レル艦船』(1943年11月分)
  124. ^ #S1807三水戦日誌(5)pp.35-36『第四 戰果及被害(イ)輸送人員及物件』『(二)「ブカ」』
  125. ^ a b c d e f g h i j 戦史叢書96巻、429-431頁「ブカ輸送と「セントジョージ岬沖海戦」」
  126. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 180-181吉川潔
  127. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 94b大波(おおなみ)
  128. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 94a巻波(まきなみ)
  129. ^ 戦史叢書96巻、431-432頁「ボーゲンビル島の孤立」
  130. ^ #内令昭和18年12月(2)p.46『内令第二千六百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波」ノ下ニ「、濱波」ヲ加フ』
  131. ^ #内令昭和18年12月(2)p.48『内令第二千六百八九十號 呉鎭守府在籍 驅逐艦 夕霧 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル  昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  132. ^ #内令昭和18年12月(3)p.22『内令第二千七百八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦、航空母艦瑞鳳型ノ項中「龍鳳」ノ下ニ「、千歳、千代田」ヲ、同大鷹型ノ項中「冲鷹」ノ下ニ「、神鷹」ヲ加フ|同水上機母艦ノ部中「、千歳、千代田」ヲ削ル|驅逐艦、一等初雪型ノ項中「、夕霧」ヲ削ル』
  133. ^ a b 『官報』第1143号、昭和5年10月20日。
  134. ^ 『官報』第1455号、昭和6年11月4日。
  135. ^ 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  136. ^ 『官報』第2735号、昭和11年2月17日。
  137. ^ 海軍辞令公報(部内限)第608号 昭和16年4月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080600 

関連項目[編集]