睦月 (駆逐艦)

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睦月
Mutsuki.jpg
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
種別 駆逐艦
艦級 睦月型駆逐艦
経歴
起工 1924年5月21日
進水 1925年7月23日
竣工 1926年3月25日
除籍 1942年10月1日
最後 1942年8月25日沈没
要目(計画)
基準排水量 1,315トン
常備排水量 1,445トン
全長 102.72m
全幅 9.16m
吃水 2.92m
ボイラー ロ号艦本式缶4基
主機 艦本式タービン2基2軸、38,500馬力
速力 37.25ノット
燃料 重油450トン
航続距離 14ノットで4,500海里
乗員 154名
兵装 45口径三年式12cm単装砲4門
留式7.7mm機銃2挺
61cm3連装魚雷発射管2基6門
(八年式魚雷12本)
爆雷投射器
爆雷12個
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睦月(むつき)は、日本海軍駆逐艦[1]睦月型駆逐艦の1番艦である[2]。艦名は陰暦1月のこと。ネームシップの睦月が第二次ソロモン海戦で沈没すると、睦月型は卯月型駆逐艦と改定された[3]

艦歴[編集]

1923年(大正12年)度計画艦。同年7月19日舞鶴工作部で建造予定の駆逐艦に第十九駆逐艦の艦名が与えられた[4]。同日附で「第十九駆逐艦」、第二十一駆逐艦第二十三駆逐艦第二十五駆逐艦第二十七駆逐艦は一等駆逐艦に類別された[5]。1924年(大正13年)4月24日、艦名に「号」の字が加えられ艦名を第十九号駆逐艦に改正した[6]

第19号駆逐艦(睦月)は佐世保海軍工廠で1924年5月21日に起工、1925年(大正14年)7月23日進水、1926年(大正15年)3月25日に竣工し[7]佐世保鎮守府に所属する。その後1928年(昭和3年)8月1日附で第19号駆逐艦は睦月へと改名された[1]

1930年(昭和5年)11月中旬、神戸沖での観艦式を終えた昭和天皇が戦艦霧島を御召艦として、岡山県宇野から横須賀へ帰京する[8]。第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、卯月)は霧島の供奉艦に指定されていた[9]。11月21日、霧島は横須賀に到着し昭和天皇は退艦した[10]

1935年(昭和10年)9月下旬の昭和十年度大演習に参加した睦月は、妙高型重巡洋艦最上型重巡洋艦川内型軽巡洋艦吹雪型駆逐艦、空母鳳翔龍驤、潜水母艦大鯨等と共に第四艦隊事件(9月26日-27日)に遭遇する[11]。吹雪型初雪夕霧が艦首切断、龍驤、鳳翔、大鯨も艦橋・飛行甲板・艦体等に損傷、睦月、菊月、三日月、朝風も艦橋を中心に被害を受けた[11]。とくに睦月では艦橋破損時に坂本航海長が死亡、艦橋も破壊され制御不能となる[12]。この時、上妻一等水兵が約2時間以上一人で応急操舵を実施して台風の中の艦を制御し、睦月を沈没から救ったという[12]。本事件における睦月の殉職者は坂本大尉のみだった[13]。この修理の時に設計が改められ艦橋の形状が変る。

1937年(昭和12年)からの支那事変により中支、南支方面に進出する。1940年(昭和15年)11月15日、第30駆逐隊所属の姉妹艦卯月が第23駆逐隊に転出、代艦として望月が30駆に編入された。第30駆逐隊は転出と転入がたびたび繰り返されており、一時期は睦月のかわりに夕月が所属していた時期もある[14]

太平洋戦争緒戦[編集]

太平洋戦争開戦時、睦月は第四艦隊(司令長官井上成美中将)・第六水雷戦隊(司令官阿部弘毅少将:旗艦夕張)・第30駆逐隊(司令安武史郎大佐)に所属していた。開戦時の第30駆逐隊は睦月、如月、弥生、望月の4隻体制である[15]12月8日真珠湾攻撃をうけて第四艦隊はウェーク島攻略作戦を発動。第六水雷戦隊・第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将:天龍龍田)を基幹とする攻略部隊はクェゼリン環礁を出撃し、12月10日夜ウェーク島に接近する。

アメリカ軍の反撃により日本軍は思わぬ打撃を蒙った。第一次攻略作戦で第29駆逐隊は駆逐艦疾風を、第30駆逐隊は如月を喪失した。 12月21日以降の第二次攻略作戦では、南雲機動部隊より派遣された第二航空戦隊(司令官山口多聞少将:旗艦蒼龍)の空母2隻(蒼龍飛龍)、重巡2隻(利根筑摩)、第17駆逐隊(谷風浦風)が航空支援をおこない、第六戦隊(司令官五藤存知少将:旗艦青葉)の重巡4隻(青葉衣笠加古古鷹)が陸上支援に加わった。3日間の戦いの末、アメリカ軍は降伏した。

その後も第六水雷戦隊(夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊)・第十八戦隊・第六戦隊はラバウル方面、ラエサラモアブーゲンビル島ポートモレスビーの各攻略作戦に参加した。

第六水雷戦隊は3月8日から13日のラエ・サラモア攻略作戦においてSR方面攻略部隊として参加した。 上陸作戦はほぼ無血占領で終わったが3月10日に空母レキシントン・ヨークタウンの艦載機の攻撃によりSR方面攻略部隊は輸送船四隻が沈没、軽巡洋艦夕張などが小破という被害を出した。これはミッドウェー海戦以前に日本海軍が被った損害としては最大のものだった。SR方面攻略部隊18隻中、人的および物的の被害がなかったのは駆逐艦「望月」、「睦月」、「弥生」、特設掃海艇「第二号能代丸」および「羽衣丸」の5隻のみであった。


5月7-8日の珊瑚海海戦にはMO攻略部隊として参戦した[16]。B-17爆撃機により津軽が損傷したものの、MO攻略部隊の被害は限定的だった。だが空母祥鳳の沈没、第五航空戦隊瑞鶴翔鶴)の消耗にともない日本海軍はモレスビー攻略作戦を延期してナウル/オーシャン攻略作戦(RY作戦)を発動した[17]。5月9日、第30駆逐隊はラバウルまで輸送船団を護衛したのち、ショートランド泊地へ移動した[18]。5月11日、攻略部隊の旗艦/敷設艦沖島が米潜水艦の雷撃により大破、輸送船金龍丸により曳航退避する事になった[19]。だが金龍丸はブカ島沿岸で座礁する。12日午前5時40分、救援のため到着した睦月は沖島の曳航を開始したが、鎮火しかかっていた火災が再燃し、沖島は6時48分に沈没した[20]。その後、アメリカ軍機動部隊出現の報告が入り、RY作戦も延期された。

5月25日、第23駆逐隊の解隊にともない姉妹艦夕月は第29駆逐隊に編入、一方で第30駆逐隊には卯月が編入され、30駆は定数4隻(睦月、弥生、望月、卯月)を回復する[21][22]。 その頃、南方方面では連合軍の航空攻撃ならびに潜水艦の脅威が顕在化しつつあった[23][24]。5月30日、睦月は第二海上護衛部隊(司令官茂泉慎一中将)に編入される[25]。編入後ただちにトラック泊地を出撃し、米潜水艦に追撃されていた輸送船生駒山丸の救援に赴いた[26]。6月2日、睦月は第二海上護衛隊より除かれた[23][27]

1942年(昭和17年)6月中旬、ミッドウェー海戦の敗北により空母機動部隊の主力を失った日本海軍は、南方での連合国軍拠点攻略作戦を延期すると同時に、航空基地の強化と整備を行う必要に迫られていた[28]。佐世保での修理整備・休養を終えた第六戦隊・第十八戦隊・第六水雷戦隊各艦はトラック泊地やラバウルへと進出[29]。6月24日附で南洋諸島の航空基地確保・設営および強化を目的とした『SN作戦』が下令され、支援部隊(第六戦隊・第十八戦隊)、第一護衛隊(夕張、卯月、第29駆逐隊《追風、夕月》)、第二護衛隊(第30駆逐隊《睦月》)という兵力部署が決まる[30]。6月下旬以降、第六水雷戦隊はガダルカナル島を占領し、同島飛行場建設をおこなう陸戦隊や基地設営隊輸送船の護衛に任じた[22]。7月1日、睦月はラエへの輸送任務に従事[31]。6月29日より睦月は第二東亜丸を護衛する[32]。7月3日カビエン発、5日にトラックへ到着[32]。横須賀へ向かった[33]。12日睦月は横須賀に帰着、その2日前には弥生も船団を護衛して横須賀に帰投していた[32]

7月10日、第六水雷戦隊は解隊された[22]。同時に構成兵力(夕張、第29駆逐隊《夕月、追風、朝凪、夕凪》、第30駆逐隊《睦月、弥生、望月、卯月》)は能代丸、長運丸と共に第二海上護衛部隊へ編入された[22][34]。だが第30駆逐隊が第二海上護衛隊として作戦に従事する機会は訪れず、わずか4日で下記の第八艦隊へ異動した[35]

第八艦隊(外南洋部隊)[編集]

7月14日、日本海軍はミッドウェー海戦の敗北にともなう戦力の再編成を実施した。第八艦隊(司令長官三川軍一中将:旗艦鳥海)が新設され、これに第六戦隊(司令官五藤存知少将:青葉衣笠古鷹加古)を加えて外南洋部隊となる[36]。第30駆逐隊は第八艦隊7番隊として所属。この時、睦月は佐世保にて修理中だった。8月5日、第17駆逐隊(谷風浦風浜風磯風)が外南洋部隊に編入され、睦月の僚艦となった[37]。8月7日、アメリカ軍はウォッチタワー作戦を発動しガダルカナル島及びフロリダ諸島へ上陸を敢行、ガダルカナル島の戦いが開始された。8月8日~9日の第一次ソロモン海戦では、第二海上護衛隊より夕張、夕凪が鳥海以下第八艦隊に合流して海戦に参加、日本海軍の勝利に貢献している[38]。8月14日、睦月はラバウルに向け横須賀を出港、ソロモン方面へ進出した。

8月24日、第30駆逐隊司令艦睦月は、駆逐艦弥生磯風陽炎江風を率いてガダルカナル島米軍ヘンダーソン飛行場砲撃任務を命じられ、22時より約10分間の飛行場砲撃に成功した[39][40]。帰途F4F艦上戦闘機ワイルドキャット3機に襲撃され機銃掃射で睦月に軽傷者3名が出たが損害は軽微[41]。だが安武(30駆)司令は夜間対地射撃の効果について「目標視認も弾着観測も不可能では効果期待できず」と悲観的であった[42]。 ガ島砲撃部隊はソロモン諸島海域を離脱後、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:軽巡洋艦神通、第24駆逐隊《海風涼風》)及び哨戒艇1号(初代島風)2号、34号、35号に護衛された横須賀鎮守府所属横須賀第五特別海軍陸戦隊並びに陸軍一木支隊の輸送船3隻(ぼすとん丸、大福丸、金龍丸)と合流すべく北上した。この増援部隊輸送船団は8月16日以降漸次トラック泊地を出撃し、8月25日のガダルカナル島揚陸を予定して同島へ向かっていた[43]。だが8月24日の第二次ソロモン海戦に於いて日本軍機動部隊(第三艦隊/司令長官南雲忠一中将:空母翔鶴瑞鶴基幹)は空母龍驤を喪失したにもかかわらず、戦果は米空母エンタープライズ撃破に留まり、空母サラトガ及びガ島ヘンダーソン飛行場は健在であった[44]。低速の増援部隊輸送船団は依然としてアメリカ軍機の空襲圏内(ガダルカナル島より150浬)に留まっていたのである[45]

8月25日5時40分、駆逐艦5隻は増援部隊第二梯団(輸送船団)と合流[46]。合流後の6時5分、二水戦旗艦神通右側(左側)40度3km前方に海風(涼風)が位置し、神通と凉風の間を睦月、江風、磯風、陽炎、弥生の単縦陣が追い抜こうとしていた[47]。神通に最も接近していたのは磯風で、神通との距離は600mだった[47]。哨戒艇1号、2号、34号、35号に護衛される輸送船3隻(ぼすとん丸、大福丸、金龍丸)の輸送船3隻は艦距離600mの単縦陣を形成しており、涼風の左40度前方7kmを航行していた[47]。 直後、艦隊はヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーントレス急降下爆撃機8機の奇襲を受ける。このドーントレスは空母エンタープライズの所属機で、前日の戦闘で中破したエンタープライズからヘンダーソン基地に移動していた部隊であった。まず神通の前部甲板に爆弾1発が命中、火災となった[48]。続いて6時7分、今度は金龍丸にドーントレスの投下した爆弾が命中、大火災となった[49]

田中司令官は乗艦/旗艦神通が戦闘不能となった事により、神通、陽炎、涼風と共に船団を離れていった[50]。睦月、哨戒艇1号、2号は炎上した金龍丸の救援を行い、海風、磯風、江風、哨戒艇34号、35号がぼすとん丸、大福丸の護衛を続行する[51]。金龍丸は乗組員を弥生、哨戒艇1号、2号に収容後、睦月に雷撃処分され8時53分に沈没した[52]。 だが、金龍丸処分直後の8時27分、睦月はアメリカ陸軍B-17爆撃機3機に攻撃され[53]、睦月の後部機械室に爆弾1発が命中、9時40分に沈没した[54]。 准士官以上3名、下士官兵37名が戦死、負傷者11名[55]。第30駆逐隊司令艦は弥生に変更となった[56]。負傷者の手当を急ぐため、安武司令は弥生、哨戒艇1号、2号のラバウル回航を具申[57]。神通、涼風をトラック泊地へ避退させた後、二水戦旗艦を陽炎に変更して船団に戻っていた田中司令官は弥生、哨戒艇1号、2号の分離を認めた[58]。また輸送船団のガ島上陸も第八艦隊より中止命令が出され、ショートランド泊地への回航が決定する[59][60]。26日17時、陽炎、海風は船団から先行してショートランドへ向かい、磯風が船団護衛の指揮を執った[61]。22時、船団はショートランドに到着[62]。8月27日午前2時、睦月の生存者を乗せた弥生、哨戒艇1号、2号はラバウルに到着した[63]

半月後の9月11日、ラビの戦いで睦月の姉妹艦弥生も戦没した。


睦月型駆逐艦睦月は10月1日附で、 第30駆逐隊[64]、 帝国駆逐艦籍[65]のそれぞれから除籍された。睦月型駆逐艦の表記も卯月型駆逐艦に改定され、睦月は卯月型駆逐艦より除籍された[3]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』248-249頁による。

艤装員長[編集]

  1. 白石邦夫 中佐:1925年12月1日 - 1926年2月5日[66]

艦長[編集]

  1. 白石邦夫 中佐:1926年2月5日[66] - 1927年12月1日[67]
  2. 石橋三郎 中佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
  3. 金桝義夫 少佐:1928年12月10日 - 1929年4月23日
  4. 小野寺丑蔵 少佐:1929年4月23日[68] - 1929年11月1日[69]
  5. 佐藤慶蔵 少佐:1929年11月1日[69] - 1930年12月1日[70]
  6. 高次貫一 少佐:1930年12月1日 -
  7. 古木百蔵 少佐:不詳 - 1932年5月20日[71]
  8. 井原美岐雄 少佐:1932年5月20日 - 1934年11月15日
  9. (兼)前川新一郎 少佐:1934年11月15日 - 1935年10月31日[72] (本職:如月駆逐艦長)
  10. 吉田英三 少佐:1935年10月31日[72] - 1936年11月16日
  11. (兼)白濱政七 少佐:1936年11月16日[73] - 1936年12月1日[74] (本職:如月駆逐艦長)
  12. 新谷喜一 少佐:1936年12月1日[74] - 1937年12月1日[75]
  13. 岡三知夫 少佐:1937年12月1日[75] - 1938年8月1日[76]
  14. 有馬高泰 少佐:1938年8月1日[76] - 1938年8月2日[77]
  15. 杉岡孝七 少佐:1938年8月2日[77] - 1939年6月24日[78]
  16. (兼)菅間良吉 少佐:1939年6月24日[78] - 1939年11月1日[79] (本職:望月駆逐艦長)
  17. 太田良直治 少佐:1939年11月1日[79] - 1940年5月1日[80]
  18. 作間英邇 少佐:1940年5月1日[80] - 1940年11月15日[81]
  19. 森幸吉 少佐:1940年11月15日[81] - 1941年9月12日[82]
  20. 畑野健二 少佐:1941年9月12日[82] - 1942年9月8日[83]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第十九號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 睦月(ムツキ)トス』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.1『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月』
  3. ^ a b #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』
  4. ^ #達大正12年7月p.7『達第百六十二號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦五隻ニ左ノ通命名ス|大正十二年七月十九日 海軍大臣財部彪|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第十九驅逐艦|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 第二十一驅逐艦|浦賀造船所ニ於テ建造 第二十三驅逐艦|石川島造船所ニ於テ建造 第二十五驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第二十七驅逐艦』
  5. ^ #達大正12年7月p.7『達第百六十三號 艦艇類別等級表中驅逐隊ノ欄第十七ノ下ニ「第十九、第二十一、第二十三、第二十五、第二十七」ヲ加フ|大正十二年七月十九日 海軍大臣財部彪』
  6. ^ 大正13年4月24日付 達第49号。
  7. ^ #艦船要目(昭和12年12月1日現在)p.4『睦月|一等驅逐艦|(艦要目略)|佐世保工廠|大正13-5-21|14-7-23|15-3-25|(兵装略)』
  8. ^ #S5御召艦準備p.26『一.軍艦霧島行動予定』
  9. ^ #S5御召艦準備p.2『一.御召艦 軍艦霧島/二.供奉艦 第三十駆逐隊(睦月、如月、彌生、卯月)/三.右ノ外宇野港ヘハ呉鎮守府ヨリ警備艦トシテ軍艦天龍及第十八駆逐隊ヲ派遣ノ予定』
  10. ^ #S5御召艦準備p.25『5.11.21(霧島艦長)天皇陛下ニハ午後1時28分横須賀御入港午後2時17分天機御麗シク御退艦遊バザル』
  11. ^ a b #海軍人間語録74頁『四艦隊事件とハルゼー艦隊』
  12. ^ a b #海軍人間語録75-78頁『上妻一水ガンバリおとす』
  13. ^ #祭粢料下賜の件p.3『驅逐艦睦月 祭粢料五拾園 海軍大尉 坂井倉一』
  14. ^ #駆逐隊編制(昭和13年12月5日)p.4『驅逐隊編制|第三十驅逐隊|如月、彌生、卯月、夕月』
  15. ^ #編制(昭和16年12月31日現在)p.2
  16. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)268-269頁
  17. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)251頁
  18. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)329頁
  19. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)252頁
  20. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)254頁
  21. ^ #内令昭和17年5月(3)p.39『内令第九百三十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十三驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「追風」ノ上ニ「夕月、」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「望月」ノ下ニ「、卯月」ヲ加フ』
  22. ^ a b c d #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)44頁『第六水雷戦隊のSN作戦における活躍と同隊の解隊』
  23. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)55-56頁『第二海上護衛隊の作戦』
  24. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)pp.13-14『豪州方面基地航空兵力ハ最近急激ニ増強セラレタルモノノ如ク南方占領地区及海域ニ連日継続的ニ来襲ス。敵潜水艦ハ四月中旬以降其ノ行動頓ニ活発トナリ隻数急激ニ増加セリ(中略)茲ニ特記スベキハ敵潜水艦ノ攻撃精神ニシテ従来極メテ消極的ナル雷撃手法ノミヲ採リツツアリタル處最近浮上追跋砲撃等ノ積極的攻撃手法ヲ敢行スルニ及ビ非武装商船ノ単独航行ハ危険トナルタルヲ以テ兵力ニ余裕アル限リ集団護衛ヲ実施シツツアリ。敵魚雷ノ性能亦従来不爆故障ノモノ多ク雷撃回数ニ比シ船舶ノ損害尠カリシガ最近ニ至リ性能著シク向上セルハ特ニ注目スベキ事項ナリ』
  25. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)p.15『(三)任務編制配備(ロ)駆逐艦睦月 五月三十日編入』
  26. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)p.29『5月30日|二.1130睦月出港、生駒山丸ノ敵潜攻撃ヲ受ケツツアル現場(3度30分北143度40分東)ニ急行ス||5月31日1630睦月生駒山丸ノ追囁攻撃ヲ受ケツツアル現場ニ到着ス』
  27. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)p.34『(三)任務編制配備 備考/6月2日南洋部隊電令作第207号ニ依リ睦月ヲ第二海上護衛隊ヨリ除カル』
  28. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)38頁『作戦発想の経緯』
  29. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)43頁『第六、第十八各戦隊のSN作戦における活躍』
  30. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)40-41頁『SN作戦計画の下令』(望月、弥生、夕凪は護衛任務。朝凪整備中)
  31. ^ #S1705六水戦日誌(3)p.61『睦月0200「ラエ」着、ROニ向ケ「ラエ」発』
  32. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)59-60頁『北航船団の護衛』
  33. ^ #S1705六水戦日誌(3)p.62『睦月横須賀ニ向ケ「トラック」発|睦月第二東亜丸ヲ卯月北陸丸ヲ護衛』
  34. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)pp.51-52『(ロ)自7月10日至7月14日『区分/第2海上護衛隊|艦(隊)名/夕張、第29駆逐隊(夕月、追風、朝凪、夕凪)、第30駆逐隊(睦月、弥生、望月、卯月)、能代丸、長運丸』
  35. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)p.53『Ⅱ編制ノ経過概要 7月中旬以降當隊ノ編制右ノ如ク改メラレ稍兵力ノ充実ヲ見ルモ第三十駆逐隊ハ當隊ノ任務ニ従事スルニ至ラズシテ當隊ヨリ除カレ、夕張、第二十九駆逐隊又「ソロモン」「ニューギニヤ」方面作戦ニ従事中ニシテ本月ハ當隊固有ノ護衛任務ニ服スル機会ナク、専ラ能代丸、長運丸ノ2艦ニ依リ當隊任務ヲ遂行セリ』
  36. ^ #S1709第八艦隊日誌(1)pp.6-8『(三)任務編制配備』
  37. ^ #s1709第八艦隊日誌(1)p.8『8月5日第十七駆逐隊、白鷹外南洋部隊ニ編入』
  38. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(2)p.13『(一)麾下艦船部隊ノ行動』-pp.18-19『五.作戦経過概要』
  39. ^ #S1708外南洋部隊増援部隊詳報(1)pp.16-17『(20)30dg(卯月望月缺)磯風江風陽炎ハ8月24日2200「ルンガロード」ニ進入飛行場附近ヲ砲撃シタル後北方ニ避退セリ。陽炎ハ敵潜1隻ヲ砲撃及爆雷攻撃ニ依リ概ネ確実ニ撃沈セリ』
  40. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)216頁では睦月、弥生、望月としている。
  41. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)585頁
  42. ^ #S1708二水戦日誌(4)pp.19-21『25日1737 30dg司令/30dg戦闘概報第五号 一.行動概要 敵潜攻撃中ノ磯風ヲ除キ4隻ヲ以テ24日2200「ルンガロード」侵入飛行場附近ニ対シ約10分間砲撃ヲ加ヘ尓後「ツラギ」泊地附近ノ敵ヲ捜索シタル後湾外ニ出テ北方ニ避退セリ|二.(イ)敵ノ水上艦艇ヲ見ズ陸上ヨリノ反撃モナシ (ロ)侵入時「サボ」島ノ南方ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ帰途同島ノ北方ニ於テ浮上潜水艦ニ合ス (ハ)2400「ガダルカナル」ノ北方50浬ニ於テ戦闘機約5ノ銃爆撃ヲ受ク|三.戦果 浮上潜水艦ニ対シ陽炎ハ砲撃並ニ爆雷攻撃ニ依リ概ネ確実ニ之ヲ撃沈セリ 其ノ他攻撃効果不明|四.睦月ニ軽傷3名アリシ外被害ナシ|五.所見 夜間陸地攻撃ハ目標視認困難弾着観測不可能ニシテ効果ヲ期待出来ザルコト、敵ガ潜水艦飛行機ヲ以テ防備シツツアル現状ニ鑑ミ今次ノ如ク目的ト行動ヲ以テスル「ガダルカナル」攻撃ハ中止スルヲ可ト認ム (ロ)的戦闘機ノ行動極メテ活発ナルヲ以テ之ヲ撃滅スルニ非ザレバ第二梯団ノ上陸作戦ハ極メテ困難ト思考ス』
  43. ^ #S1708外南洋部隊増援部隊詳報(1)pp.10-11『(一)挺身隊(4dg《野分舞風欠》17dg《磯風欠》及陽炎)ハ陸軍一木支隊先遣隊(陸兵約900名)ヲ分乗4dg司令指揮ノ下ニ8月16日0500「トラック」ヲ出撃ス。同時刻第二梯団(陸軍輸送船ぼすとん丸、大福丸《一木支隊ノ約1500名乗船》護衛艦艇《神通、哨34、哨35》)「トラック」發|(二)8月17日0700哨1、哨2、金龍丸ヲ護衛シ「トラック」發|(三)24dgハ前進部隊電令作第24号ニ依リ2Sd司令官ノ指揮ヲ受ケ一木支隊ノ護衛ニ任ゼラレシヲ以テ8月17日1500「トラック」發|(四)8月18日1300 24dg第二梯団ニ合同ス』
  44. ^ #ラバウル海軍航空隊(学研M文庫)104、114頁
  45. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)586頁
  46. ^ #S1708外南洋部隊増援部隊詳報(1)pp.17『(21)第二梯団ハ8月25日0023月明下ニ船団触接中ノ敵「コンソリデット」1機ヲ認メ而モ既ニ敵航空威力圏内ニ進入シアリシヲ以テ益ヽ厳重ナル警戒ヲナシツツ南下シ0235哨戒艇(4隻)ヲ続イテ0540 30dg(望月、卯月缺)陽炎、江風、及磯風ヲ合同セリ。右部隊ハ概ネ新編入ノモノナリシヲ以テ警戒航行序列泊地進入揚陸竝ニ出港離脱要領等ヲ下令スルノ要アリ』
  47. ^ a b c #S1708二水戦日誌(6)p.52『附図第一 神通爆撃時ノ第二梯団ノ隊形(註)睦月以下駆逐艦5隻ハ合同ト同時ニ指揮下ニ入レラレタルヲ以テ信号命令発信中ナリ』
  48. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.34-35『25日六.0605神通対空戦闘、敵戦闘機3機艦橋掃射續イテ爆撃機1機突入爆弾神通全甲板(1.2番砲塔間)ニ爆弾1個命中火災ヲ起ス。敵飛行機170度方向ニ遁飛ス。神通浸水火災拡大ノ虞アリシヲ以テ全部火薬庫ニ漲水スルト共ニ艦内応急処置ニ全力ヲ盡ス』
  49. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.35-36『25日七.0607船団敵飛行機ノ爆銃撃ヲ受ケ金龍丸火災ヲ起ス』
  50. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.35-36『八.0615 24dg司令ヲシテ船団ヲ護衛一時北西方ニ避退セシムルト共ニ神通ハ陽炎凉風ヲ直衛トシ敵航空威力圏外ニ脱出スルに努ム(略)九.神通0705鎮火0715針路335度速力16節トナシ極力避退ニ努ム(略)一二.1000将旗ヲ陽炎ニ移揚シ涼風ヲシテ神通ヲ護衛「トラック」ニ回航セシメ陽炎ハ船団ニ追及…』
  51. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.15『25日24dg司令/一.金龍丸ハ尚火災鎮火セズ30dg(望月、卯月缺)ハ現場ニテ救援中|二.右以外ノ艦船ハ針路20度速力8.5節ニテ航行中、金龍丸乗員及陸戦隊員ノ一部ハ哨1哨2ニ収容セリ|三.其ノ他被害ナシ」
  52. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.12『尚金龍丸ハ乗員ヲ弥生、哨1、哨34ニ収容ノ後睦月ノ魚雷ニ依リ0853沈没セリ』-『1135弥生艦長/金龍丸乗員船長以下57名収容(内准士官以上14名下士官兵36名負傷者5名)』
  53. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)217頁
  54. ^ #S1708二水戦日誌(4)pp.12-13『25日30dg司令/30dg(望月卯月缺)ハ地点「ケムヌ14」ニ於テ金龍丸ノ救助処分ニ従事中、睦月ハ0827敵B-17三機ノ爆撃ヲ受ケ後部機械室ニ命中0940遂ニ沈没セリ、生存者ハ全部弥生ニ収容セリ|戦死(行衛不明モ含ム)准士官以上3名下士官兵37名、負傷者准士官以上3名下士官兵8名』
  55. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)587頁
  56. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.12『25日1145 30d司令/8月25日司令駆逐艦ヲ弥生ニ変更セリ』
  57. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.16『25日1300 30dg司令/一.金龍丸ハ大火災大爆発ヲ起セルヲ以テ睦月ノ魚雷ニテ処分セリ|二.睦月ハB-17三機ノ爆撃ヲ受ケ0940沈没セリ|三.金龍丸睦月ノ生存者ハ全部本艦ニ収容セリ|四.重傷者13名有リ至急陸上病院ニ入院セシムル必要有ルニ付「ラボール」ニ回航セシメラレ度』
  58. ^ #S1708外南洋部隊増援部隊詳報(1)p.18『0940睦月ハ金龍丸処分中敵B-17型3機ノ爆撃ヲ受ケ沈没セリ、弥生、哨一、哨二、ハ金龍丸、睦月ノ生存者ヲ収容避退ニ任ズ』
  59. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.21『25日2054 8F司令長官/外南洋部隊電令作第60号 第二梯団ハ機宜「ショートランド」ニ回航スベシ』
  60. ^ #ラバウル海軍航空隊(学研M文庫)106頁
  61. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.28『26日1700 2sd司令官/陽炎及海風ハ先行ス 磯風艦長ハ船団護衛ノ指揮ヲ執レ』
  62. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.37-38『26日四.1700磯風艦長ヲシテ船団護衛ノ指揮ヲ執ラシメ陽炎海風ハ「ショートランド」ニ先行ス(略)六.1920陽炎海風「ショートランド」着海風陽炎ヨリ補給|七.2200磯風江風哨34哨35ぼすとん丸、大福丸「ショートランド」着』
  63. ^ #S1708二水戦日誌(6)p.39『27日二.0330弥生、哨1、哨2「ラバール」着』
  64. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』
  65. ^ #内令昭和17年10月(1)p.3『内令第千八百二十六号|呉鎮守府在籍 驅逐艦 朝霧|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 睦月|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  66. ^ a b 『官報』第4034号、大正15年2月6日。
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  73. ^ 昭和11年11月17日付 官報第2964号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959446 で閲覧可能。
  74. ^ a b 昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 で閲覧可能。
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  78. ^ a b 昭和14年6月24日付 海軍辞令公報 (部内限) 第350号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072075900 で閲覧可能。
  79. ^ a b 昭和14年11月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第397号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072076600 で閲覧可能。
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  81. ^ a b 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第555号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072079400 で閲覧可能。
  82. ^ a b 昭和16年9月12日付 海軍辞令公報 (部内限) 第710号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072082100 で閲覧可能。
  83. ^ 昭和17年9月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第939号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072086800 で閲覧可能。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13071968200 『昭和11年12月11日現在10版内令提要追録第1号原稿/巻1 追録/第6類機密保護()』。
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    • Ref.C13072000700 『巻1 追録/第2類 編制(昭和16年12月31日現在 10版 内令提要追録第10号原稿巻1)』。
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    • Ref.C05021029500 『公文備考 昭和5年C儀制巻1/第3482号5.10.22御召艦準備に関する件』。
    • Ref.C08030057600 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。
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    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』(原書房、1981年、第3刷)ISBN 4-562-00302-2
  • 吉田俊雄 「7章 船乗り魂 上妻隆千代一水の「風に向かって艦(ふね)を立てただけです」」『海軍人間語録 現代に生きる海軍式言行録』 光人社、1985年6月。ISBN 4-7698-0271-4
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』(光人社、1984年) ISBN 4-7698-0231-5
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 貴重な勝利 <駆逐艦「清霜」艦長・梶本顗中佐の証言>(太平洋戦争時、夕風艦長、弥生艦長《沈没時》、三重空教官、兵学校教官、清霜艦長等)
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 奥宮正武 『ラバウル海軍航空隊』 学習研究社、2001年3月(原著1992年)。ISBN 4-05-901045-6
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。