天城 (雲龍型空母)

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天城
三菱長崎造船所にて竣工直後(1944年8月)
三菱長崎造船所にて竣工直後(1944年8月)
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
種別 航空母艦[2]
艦級 雲龍型[2]
建造費 予算 93,442,000円[3]
母港 横須賀[4]
経歴
計画 昭和18年[5](改マル5計画[6])
起工 1942年10月1日[7]
進水 1943年10月15日[7]
竣工 1944年8月10日[7]
除籍 1945年11月20日[8][注釈 1]
その後 1945年7月28日被爆、その後横転[9]
戦後解体[10]
要目(特記無きは計画)
基準排水量 1943年9月計画 17,460英トン[11]
または 17,480英トン[要出典]
公試排水量 1943年9月計画 20,400トン[11]
または 20,450トン[10]
全長 227.35m[12]
水線長 223.0m[11][12]
垂線間長 206.52m[12]
水線幅 22.00m[11]
深さ 20.5m(飛行甲板上面まで)[11][12]
飛行甲板 216.90m x 27.00m[12]
エレベーター2基[13]
吃水 1943年9月計画 7.82m[11]
ボイラー ロ号艦本式専焼缶(空気余熱器付)8基[7]
主機 艦本式タービン(高中低圧)4基[7]
推進 4軸[11] x 340rpm、直径3.800m[14]
出力 152,000shp[11]
速力 34.0ノット[11]
燃料 重油 3,750トン[11]
航続距離 1943年9月時 8,000カイリ / 18ノット[11]
乗員 1,556名[要出典]
竣工時定員 1571名[注釈 2]
搭載能力 計画
九一式魚雷36本[15]
爆弾 800kg72個、250kg288個、60kg456個[16]
飛行機用軽質油 360トン[17]
兵装 竣工時[18]
40口径12.7cm連装高角砲6基
25mm3連装機銃21基
25mm単装機銃23挺[19]または24挺(橇式)[20]、または30挺
28連装噴進砲(竣工後装備)6基[19]
爆雷6個(計画)[15]
装甲 計画[11]
弾薬庫舷側:140-50mmNVNC鋼
同甲板:56mmCNC1鋼
機関室(軽質油タンク)舷側:46mmCNC1鋼
同甲板:25mmCNC2鋼
搭載艇 計画 12m内火艇3隻、12m内火ランチ2隻、8m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船2隻[13]
搭載機 計画(常用+補用)[21]
一七試艦戦:18+2機
一七試艦偵:3+0機
一六試艦爆:24+0機
合計:45+2機
レーダー 竣工時:21号電探2基、13号電探1基[22]
最終時:21号電探1基、13号電探2基、22号電探1基[23]
ソナー 仮称九一式四号探信儀1組[15]
その他 カタパルト(後日装備、計画)[16]
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天城(あまぎ)は、日本海軍航空母艦[2]雲龍型の2番艦[2]

概要[編集]

軍艦天城雲龍型航空母艦の2番艦[24]太平洋戦争中の1942年(昭和17年)10月、三菱長崎造船所で起工[24]。本艦の機関は改鈴谷型重巡洋艦の流用品だった[24]1943年(昭和18年)10月15日に進水、1944年(昭和19年)8月10日に竣工[24][25]。搭載航空機や燃料がなく、出撃機会のないまま、呉軍港で待機した[24][25]1945年(昭和20年)3月19日呉軍港空襲で損傷[26][24]。7月24日と7月28日の空襲で爆弾複数発と至近弾複数発を受けて大破、進水を止められず三ツ子島海岸で転覆した[27][24]。終戦後、浮揚されて解体処分[24]。本艦は輸送任務・復員輸送任務共に一度も投入されなかった[24]

艦名[編集]

天城の艦名は静岡県伊豆半島の中央にある天城山に因んで名付けられた[28][29]。 その名を持つ艦としては、明治時代の天城(スループ)[29]、未完成の天城型巡洋戦艦1番艦天城に続き[30][31]、本艦は3隻目[28]遠藤昭によると候補艦名として那須があったという[32]

艦歴[編集]

太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)、開戦決定により実行を発動した通称マル急計画により[33]、早急な完成が望まれたために飛龍型空母の図面を流用し、部分的な改正を加えられた仮称艦名第302号艦(後の雲龍)が計画され[34]ミッドウェー海戦後に決定した改マル5計画により更にその同型艦15隻が計画、天城は第5001号艦として1942年(昭和17年)10月1日三菱重工業長崎造船所にて起工[35]。完成予定は1944年12月の予定で、他艦も含め1943年中期頃までは工事は比較的順調に進行したが、以後は損傷艦の修理や材料の逼迫、労働者の不足などの困難があったという[36]1943年(昭和18年)9月25日に天城と命名さる[1]。同年10月15日昭和天皇の名代として久邇宮朝融王臨席のもと[37]、進水[7]。翌1944年(昭和19年)8月10日に竣工した[7]

竣工と同日に横須賀鎮守府[4]。同型艦の雲龍の所属する第三艦隊第一航空戦隊に編入され[38]、同部隊の旗艦となった。第一航空戦隊は搭載部隊である第601海軍航空隊の再建を待つこととなったが、第601航空隊は台湾沖航空戦捷号作戦のために順次抽出されて搭載部隊としては運用されなかった。また既に日本海軍は深刻な燃料や航空機不足となっていたために補充の航空部隊は用意されず、したがって雲龍・天城・葛城には出撃の機会がなかった。同年11月15日、第一航空戦隊は連合艦隊附属となった[38]。当時の雲龍航海士(森野廣少尉)によれば、天城に特攻兵器桜花を搭載してフィリピンへ輸送する予定だったが、天城艦長宮嵜俊男大佐の意見具申により、急遽雲龍が桜花を輸送することになったと回想している[39]。12月19日、雲龍は東シナ海で米潜水艦レッドフィッシュに撃沈された[40]

1945年(昭和20年)1月1日、第一航空戦隊は第二艦隊に編入、同年2月には第一航空戦隊司令部が廃止され、天城は第二艦隊司令長官伊藤整一中将(旗艦大和)直率となった[38]。同年3月19日アメリカ第58任務部隊による呉軍港空襲では、爆弾1発が命中し小破[38][26]。4月20日、呉鎮守府部隊に編入[38]。横須賀鎮守府予備艦だった天城は第4予備艦に指定され[41]、以後は呉港外の三ツ子島沿岸にて停泊係留され、飛行甲板上に樹木を並べて島に偽装し、対空浮き砲台として使用された[24]

同年7月24日、天城はアメリカ第38任務部隊による呉軍港空襲において飛行甲板に爆弾2発が命中、甲板を損壊し更に左舷機関室艦底部に浸水が発生した。この時既に天城は予備艦として運用されていたために必要最小限の人員しか配置されておらず、人員不足で損傷箇所の応急対応がままならなかった[27][24]。7月28日の第3次空襲により再度爆撃を受け、直撃弾1発、至近弾5発の被害を受けた[27]。やはり人員不足で損害対応が行えず、これにより浸水が増大[27]。翌7月29日朝、左舷側方向に大傾斜し横転した[27]。水深が浅い海域であったために全没はしておらず、船体の殆どは水上に露出した状態ではあったが、復旧は不可能と判断され沈没と判定された。

11月20日除籍[8][注釈 1]

戦後[編集]

1946年(昭和21年)12月5日、播磨造船所呉船渠(旧呉海軍工廠)により天城の解体が始った[10]。まず左に61度傾いた船体の引き起こしを始めたが、陸岸に近いため35度まで引き起こすのが限度だった[42]。次に排水を始めたがエレベーター孔など浸水口が多数あり、飛行甲板も非防水だったので、水中発破で上甲板以上の構造物600トンを撤去、更に100トン浮力タンク12個を設置した[42]。1時間7,000トンの能力のポンプを計4回使用、特に4回目は12日連続で使用の上1947年(昭和22年)7月31日、浮揚に成功した[42]。浮揚した船体はドックで解体され[43]同年12月11日に完了した[10][24]

浮き桟橋として[編集]

浮揚された天城の船体の一部は、当時の運輸省鉄道総局に譲渡されている。

鉄道総局の運行していた青函連絡船は戦後直後、粗製乱造の戦時標準船と戦中の酷使で疲弊した船舶で占められており、これらの船は故障が続発していた。そのため天城の船体を函館港に船舶修理用のポンツーンとして係留。鉄道総局の工機部がそこで連絡船の修理を行うこととしたのである。

1947年(昭和22年)8月には解体中の天城の一部を流用して全長120m・全幅14mの浮き桟橋(写真日本の軍艦第3巻によると二重底をほとんどそのまま使用し長さ119.92m、幅14.2m[43])が完成し、東興丸に曳航されて函館港に到着。青函連絡船の有川貨物桟橋の沖合に係留され、修理プラットフォームとして使用されている。

だがその頃、函館船渠が機能を回復しドライドックや専門の設備を持つ函館船渠が青函連絡船の修理を受け持つようになったため、本格的な修理能力を持たない浮き桟橋は徐々に使用されなくなり、1948年(昭和23年)8月には廃止され使用された期間は約1年と僅かであった。

民間に売却し、海上倉庫や防波堤、重油タンクなどに転用する案も出たものの、改装費用や係留先の関係上全て断念となった。結局、スクラップとして売却され解体された[44]

年表[編集]

歴代艦長[編集]

※脚注無き限り『艦長たちの軍艦史』78-79頁、『日本海軍史』第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 山森亀之助 大佐:1944年6月27日 -

艦長[編集]

  1. 山森亀之助 大佐:1944年8月10日 -
  2. 宮嵜俊男 大佐:1944年10月23日 -
  3. 平塚四郎 大佐:1945年4月20日 - 1945年8月15日[45]

著名な写真[編集]

空襲により横転した状態の天城
(1946年8月、アメリカ海軍により撮影されたカラー写真)

この天城が横転している写真は終戦直後アメリカ軍によって撮影されたもので、カラーの動画も撮影されている[46]この映像は同じく呉軍港空襲で大破着底し、天城と同時に撮影された日向伊勢榛名を撮影したものと共に呉軍港の被害状況を伝える際や、太平洋戦争末期の「壊滅した連合艦隊」の象徴としてドキュメンタリーなどで数多く用いられている。[要出典]

同名艦[編集]

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正8年 達完/達大正8年7月』。Ref.C12070075900。
    • 『大正13年 達完/達大正13年4月』。Ref.C12070083400。
    • 『昭和18年9月~12月 達/9月(2)』。Ref.C12070119800。
    • 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年9月(6)』。Ref.C12070180900。
    • 『昭和19年8月 秘海軍公報/8月(2)』。Ref.C12070501800。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月 秘海軍公報/4月(3)』。Ref.C12070504700。
  • 海軍歴史保存会 『日本海軍史』第7巻、第10巻、海軍歴史保存会、1995年11月
  • 片桐大自 『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』 潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 衣島尚一「空母蒼龍 飛龍の誕生から終焉~雲龍型の登場」、『艦船模型スペシャル』No.10 飛龍・蒼龍・雲龍型モデルアート2003年12月臨時増刊No.467、モデルアート社、2003年12月、 36-43頁。
  • 衣島尚一「-悲運の正規空母- 日本海軍航空母艦「雲龍型」」、『艦船模型スペシャル』No.46モデルアート社、モデルアート社、2012年12月、 46-59頁。
  • 『日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦』 呉市海事歴史科学館/編、ダイヤモンド社2005年ISBN 4-478-95056-3
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第九 自昭和十八年至昭和二十年』 東京書籍株式会社、2016年9月。ISBN 978-4-487-74409-1
  • 坂本幸四郎 『青函連絡船ものがたり』 朝日新聞社、1987年12月(原著1987年12月)、第1刷。ISBN 4-02-260476-X
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • 野元為輝ほか 『航空母艦物語 体験で綴る日本空母の興亡と変遷!』 潮書房光人社、2013年6月。ISBN 978-4-7698-1544-0
    • 当時「雲龍」航海士・海軍少尉森野廣井『最新鋭空母「雲龍」薄幸の生涯 改飛龍型ともいえる一万七千トンの中型正式空母と共に歩んだ五ヵ月間
  • 長谷川藤一 『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』 グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)、第3刷。ISBN 4-87687-184-1
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (COMPILED BY 福井静夫『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫 『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』 光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』 ベストセラーズ、1994年ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫 『日本空母物語』福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月ISBN 4-7698-0655-8
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<2> 開戦以後』戦史叢書第88巻、朝雲新聞社1975年
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第3巻 空母I』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年9月ISBN 4-7698-0453-9
  • 写真日本の軍艦 第4巻 空母II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年10月ISBN 4-7698-0454-7
  • 横井俊之ほか 『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』 潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9
    • 戦史研究家塚田享『劫火にたえた天城、葛城、龍鳳 呉軍港に悲運をかこった三空母の苦悩と最後
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍航空母艦戦歴一覧 伊吹および雲龍型未成艦をふくむ空母二十九隻の太平洋戦争
  • 『日本の航空母艦パーフェクトガイド』〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ 特別編集、学習研究社、2003年4月ISBN 4-05-603055-3
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c 伊達久「航空母艦『蒼龍・飛龍・天城・葛城・笠置・阿蘇・生駒』行動年表」#写真日本の軍艦第3巻pp.106-107では、除籍日は1945年11月30日になっているが、その他の出典では11月20日になっている。
  2. ^ 以下の内令、内令員を勘案すると計 士官61人、特務士官37人、准士官56人、下士官375人、兵1042人。
    • 昭和18年9月25日内令第1994号(#昭和18年9月〜10月 内令4巻/昭和18年9月(6)画像33-35)、『航空母艦定員表其ノ十ヲ別表ノ如ク定ム(別表一葉添)』。別表は「雲龍」の定員表。士官61人、特務士官37人、准士官56人、下士官372人、兵1035人。
    • 昭和18年11月25日内令第2492号(#昭和18年8月〜12月内令/昭和18年11月(5)画像32-41)、『(前略)「運用長兼分隊長」ヲ「内務長兼分隊長」ニ改メ之ヲ副長ノ次トシ「整備長」及「工作長兼分隊長」ヲ「分隊長」二、(以下略)』。運用長を内務長とする名称変更と席次変更が主。
    • 昭和19年1月19日内令第150号(#内令昭和19年1月(4)画像11)、『航空母艦定員表其ノ十中「雲龍」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ』。
    • 昭和19年8月10日内令員第1472号(#昭和19年7月.昭和19年8月 内令員/内令員 昭和19年8月(2)画像20)、『航空母艦定員表其ノ十中「葛城」ノ下ニ「、天城」ヲ加ヘ機関兵曹「五十九」ヲ「六十二」ニ、機関兵「二百二」ヲ「二百九」ニ、下士官「三百七十二人」ヲ「三百七十五人」ニ、兵「千三十五人」ヲ「千四十二人」ニ改ム』。
    但し、昭和19年10月31日付の内令提要(#S19-10-31内令提要巻1上/第3類定員(11)画像39)では 士官61人、特務士官37人、准士官56人、下士官372人、兵1035人と雲龍定員制定時と同じのままになっている。

出典[編集]

  1. ^ a b c #昭和18年9月〜12月達/9月(2)画像17。『達第二百二十八號 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十八年九月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 天城(アマギ)』
  2. ^ a b c d #昭和18年9〜10月 内令4巻/昭和18年9月(6)画像24、内令第千九百八十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年九月二十五日(中略) | 航空母艦 | | 雲龍型 | 雲龍、天城 |
  3. ^ #戦史叢書88海軍軍戦備2p.37
  4. ^ a b #昭和19年8月秘海軍公報/8月(2)画像38、『内令第九五〇號 軍艦天城 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル(中略)昭和十九年八月十日 海軍大臣』
  5. ^ #日本航空母艦史p.92
  6. ^ #戦史叢書88海軍軍戦備2pp.32-43
  7. ^ a b c d e f g h i j #昭和造船史1pp.780-781
  8. ^ a b c d 中川努「主要艦艇艦歴表」p.6#日本海軍全艦艇史資料篇
  9. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.235上写真の解説
  10. ^ a b c d e f 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時残存(内地)艦艇処分状況(1948年3月20日現在)」p.20、#終戦と帝国艦艇(復刻版)巻末資料2。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l #海軍造船技術概要p.1599、「新造艦船主要要目一覧表 昭和18年9月1日 艦本総二課」
  12. ^ a b c d e 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.3、第302号艦型の計画値。「註.本表ハ(以下記載計画ノ項モ同様)昭和十六年十月二十日艦本機密第一二号ノ一〇〇(数文字不明)ヲ大臣ニ報告セル当時ノモノヲ示ス」。ページ数の記載が無いので、ページ数は戦後に複写された版からとる(以下の出典の「一般計画要領書」でも同様)。
  13. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.45
  14. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.34
  15. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.11
  16. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.29
  17. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.54
  18. ^ #衣島2003pp.40-41
  19. ^ a b #終戦時の日本海軍艦艇p.14
  20. ^ #日本空母物語p.417、表A「あ号作戦直前の空母対空兵装(昭和19年5月現在)」
  21. ^ #海軍造船技術概要p.296
  22. ^ #衣島2012p.54
  23. ^ #衣島2012p.50、図「天城」艦橋詳細の解説文。#写真日本の軍艦第3巻p.235上の写真。
  24. ^ a b c d e f g h i j k l #空母二十九隻328-329頁『天城(あまぎ)』
  25. ^ a b #空母二十九隻301-303頁『悲運をかこつ三空母』
  26. ^ a b #空母二十九隻303-306頁『古鷹山を前に』
  27. ^ a b c d e #空母二十九隻305-308頁『巧妙なカモフラージュ』
  28. ^ a b #聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.77-78
  29. ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ27(原本26頁)『天城(あまぎ)【初代】 艦種二等砲艦 三檣「バーク」型 艦名考山名に採る、天城山は尼本山、萬次郎嶽、狩野山(古名)の別稱あり、伊豆國田方・加茂の2郡に跨る、標高4081尺、全山良材に富む、明治海軍草創當時の造船材(主として欅材)は此山より伐採せるもの多しと云ふ。
    艦歴明治16年巡洋艦に列す、同27・8年戰役從軍:同27年9月大同江を溯り陸軍援護に從事、同11月大連占領及旅順口占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及占領に從事、同31年3月砲艦二等に列す、同37・8年戰役從軍:同38年6月除籍(要目略)起工 明治8-9-9/進水 同10-3-13/竣工 同11-4-4/建造所 横須賀』
  30. ^ #達大正8年7月p.6『達第百二十三號 軍備補充費ヲ以テ大正八年度建造ニ着手スヘキ巡洋戰艦二隻及二等巡洋艦三隻ニ左ノ通命名セラル|大正八年七月十七日 海軍大臣 加藤友三郎|巡洋戰艦二隻 マギ カギ|二等巡洋艦三隻 ナガ  トリ
  31. ^ #達大正13年4月p.9『達第四十號 軍備補充費ヲ以テ建造スヘキ左記軍艦ノ建造ヲ取止メラル|大正十三年四月十四日 海軍大臣 村上格一|記 戰艦 土佐、紀伊、尾張|巡洋戰艦 天城、高雄、愛宕』
  32. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
  33. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.811
  34. ^ 東清二「図で見る空母『蒼龍・飛龍・雲龍型』変遷史」#写真日本の軍艦第3巻pp.229-230
  35. ^ 東清二「図で見る空母『蒼龍・飛龍・雲龍型』変遷史」#写真日本の軍艦第3巻p.232
  36. ^ #戦史叢書88海軍軍戦備2p.19
  37. ^ #昭和天皇実録九巻210頁『(昭和十八年十月)十五日 金曜日(略)三菱重工業株式会社長崎造船所において軍艦天城命名式挙行につき、朝融王を差し遣わされる。』
  38. ^ a b c d e f g h i j 伊達久「航空母艦『蒼龍・飛龍・天城・葛城・笠置・阿蘇・生駒』行動年表」#写真日本の軍艦第3巻pp.106-107
  39. ^ #野元、航母(2013)279-280頁『マニラへの緊急輸送』
  40. ^ #空母二十九隻328頁『雲龍(うんりゅう)』
  41. ^ #S20.1-8秘海軍公報/4月(3)画像33-34、「内令第三三八號 (中略) 横須賀鎮守府予備艦 軍艦 長門 軍艦 天城 (中略) 右第四豫備艦ト定ム | 昭和二十年四月二十日 海軍大臣|」
  42. ^ a b c d #写真日本の軍艦第3巻p.236
  43. ^ a b #写真日本の軍艦第3巻p.239
  44. ^ #青函連絡船ものがたり pp.323-326
  45. ^ 昭和20年8月27日付 秘海軍辞令公報 甲 第1897号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072107000 で閲覧可能。
  46. ^ #衣島2012p.43、『軍艦の塗装 in color 第25回 〜航空母艦「雲龍」「天城」「葛城」の迷彩塗装』

関連項目[編集]