雲龍型航空母艦

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雲龍型航空母艦
竣工直前の「雲龍」1944年7月16日[1]
竣工直前の「雲龍」
1944年7月16日[1]
基本情報
種別 航空母艦[2]
運用者  大日本帝国海軍
建造数 6隻、竣工3隻
前級 大鳳
船体諸元 (主に基本計画時)
基準排水量 計画 17,150英トン[3]
生駒 17,500英トン[3]
公試排水量 雲龍 20,100トン[3]
生駒 20,450トン[3]または20,350トン[4]
満載排水量 雲龍 21,779トン[3]
生駒 22,005トン[3]
22,400トン[要出典]
全長 227.35m[3]
水線長 223.00m[3]
垂線間長 206.52m[3]
水線幅 22.00m[3]
深さ 20.50m(飛行甲板まで)[3]
吃水 雲龍公試 7.76m、同満載 8.13m[3]
生駒公試 7.86m、同満載 8.20m[3]
装甲 #防御を参照。
動力機関
ボイラー ロ号艦本式専焼缶(空気余熱器付[5])8基[6]
主機関 艦本式タービン(高中低圧[5])4基[6]
推進器 4軸 x 340rpm、直径3.800m[6]
生駒 直径3.900m[6]
出力 152,000馬力[3]
葛城、阿蘇:104,000馬力[7]
速力 34.0ノット[3]
葛城、阿蘇:32.0ノット[7]
燃料 3,750トン[3]
航続距離 8,000カイリ / 18ノット[3]
人員・装備
乗組員 雲龍計画乗員 1,151名(+司令部16名)[8]
生駒計画乗員 1,101名(+司令部24名)[8]
雲龍竣工時定員 1,561名[9]
1,556名[要出典]
搭載能力 雲龍計画
九一式魚雷36本[10]
爆弾 800kg72個、250kg288個、60kg456個[11]
飛行機用軽質油 360トン[12]
飛行甲板 216.90m x 27.00m[3]
エレベーター2基[13]
搭載機 #搭載機を参照
搭載艇 計画 12m内火艇3隻、12m内火ランチ2隻、8m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船2隻[13]
火器 40口径12.7cm連装高角砲6基[14]
25mm機銃 3連装9基、同連装2基(雲龍基本計画時)[14]
同 3連装13基(生駒基本計画時)[14]
同 3連装22基(葛城最終時)[15]
12cm28連装噴進砲6基(葛城最終時)[15]
九五式爆雷6個(計画)[10]
爆雷投下台1基(葛城最終時)[15]
レーダー 葛城最終時:21号電探1基、22号電探1基、13号電探2基
ソナー 計画 仮称九一式四号探信儀1組[10]
水中聴音機3基、探信儀1組(葛城最終時)[16]
カタパルト1基(計画のみ)[11]
個艦の要目はそれぞれの記事を参照のこと
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雲龍型航空母艦(うんりゅうがたこうくうぼかん)は、日本海軍太平洋戦争中に運用した中型航空母艦である。竣工が1944年(昭和19年)以降となったために、搭載機がなく、また出撃機会もなかった。

計画[編集]

マル4計画で大型空母1隻(後の「大鳳」)を計画した日本海軍は[17]、アメリカ海軍の第3次ヴィンソン案に対抗する形で1940年マル5計画を発案[18]、1941年春の概案では30,000トン級の大鳳型空母(または排水量45,000トンの大型空母[19])3隻を計画していた[20]。しかし予算、資財、建造能力などの制約から大型空母は1隻(または1隻ないし2隻[19])に減らされ、代わりに10,000トン級の飛龍型空母2隻(または新設計の17,000トンの中型空母)を建造する計画となり[21]、この中型空母は仮称艦名「第800号艦」とされた[19]。ここで開戦が決定的となったため、1941年(昭和16年)8月にマル5計画を前倒しする形で昭和十六年度戦時艦船建造及航空兵力拡充計画(通称マル急計画)が策定され、中型空母1隻を建造することになった[19]。この時、新型空母の設計はほどんど進んでいなかったため、マル急計画の中型空母は「飛龍」の設計を流用して建造を促進することになった[19]。これが雲龍型航空母艦である。計画番号はG16 [22]

雲龍型はマル急計画で1隻、また1942年1月時点ではマル5計画で1隻の建造が予定された[19]。しかしミッドウェー海戦で4隻の空母を喪失したことによりマル5計画は改マル5計画に大きく改定され、雲龍型は「第5001号艦」から「第5015号艦」までの計15隻の整備計画があげられた[19]。このうち「第5002号艦」と「第5005号艦」は戦艦「第110号艦」(後の「信濃」)の空母改造決定により、その後に中止となった[19]

この時に航空本部は飛龍型が10年前の設計であること、構造が複雑であること、決して大型艦ではなく新型艦上機の運用に十分対応出来ないことにより難色を示し[19]、当時の航空本部総務部長であった大西瀧治郎が中心として書かれた『航空母艦整備方針に関する意見書』[注釈 1]を提出、構造の簡単で建造の容易な、戦時急造艦のような最低限の防御力をもった空母の新規開発を主張した[23]。艦政本部は工数が雲龍型と大差無いなどの反論を行い、軍令部は雲龍型の建造継続を決定した[19]

結局マル急計画で1隻、改マル5計画で13隻の計14隻の建造が計画されたが、その後の戦局悪化、資源不足などにより実際に起工されたのは6隻に留まる[24]。そのうち竣工したのは雲龍・天城・葛城の3隻のみである。 太平洋戦争の戦局の悪化により、笠置・阿蘇・生駒の3隻は途中で建造中止となっている。

艦型[編集]

雲龍型は先に建造された飛龍の図面を流用し部分的な改正を加えた[25]。主な改正点は艦橋位置の変更、エレベーターを2基とし大型化、舵を変更、対空兵装増強、その他戦訓対策であった[25]

船体[編集]

船体形状は「飛龍」の線図をほぼ流用した[19]。構造も船体、飛行甲板共に「飛龍」と同じであり、寸法の変更も無い[25]。ただし「飛龍」が装備した半平行舵は小舵角での旋回半径が大きく、「蒼龍」の装備した並列2枚釣合舵に戻された[26]

艦橋[編集]

艦橋の位置が「飛龍」の左舷艦中央から雲龍型では右舷前部に移された[19]。これは改装後の「赤城」「飛龍」の実績に基づいており、「蒼龍」と同じ位置に戻された[19]。形状は「飛龍」に近いが、機銃、電探の装備や防弾板の装着などで印象はやや変化した[19]。艦橋構造物は4層からなり、前方に方位測定室、後方に缶室通風路などが設けられるなどして大型化した[27]。またトップは九四式高射装置に代わり21号電探を装備、高射装置は舷側に移された[27]

兵装[編集]

高角砲は「飛龍」と同じ40口径12.7cm連装高角砲6基を装備した[28]

25mm機銃は「飛龍」が3連装7基、連装5基の計31挺、「雲龍」の基本計画時(1941年10月頃)で3連装9基、連装2基で合計は「飛龍」と同じ31挺だった[14][19]。その後の建造から竣工までに増強され、「雲龍」竣工時で3連装13基39挺、「天城」竣工時で3連装21基63挺と言われる[29]。「葛城」の最終時では3連装22基66挺となっていた[15]。「雲龍」の竣工時、煙突直後の3連装機銃4基は防煙シールド付であったが、「葛城」は前方の2基だけ防煙シールドを取り付けて完成した[30]。単装機銃も建造中の1944年5月の時点で橇式を24挺[31]、同年8月の噴進砲装備時には同25挺、10月竣工の「葛城」は更に増備した可能性があるとされる[32]

28連装噴進砲は、「雲龍」の竣工前の写真で既に砲座が準備されている[1]。「雲龍」「天城」は竣工直後に6基をで装備、「葛城」は竣工時に既に装備していたと言われる[32]。「葛城」のみ30連装を装備とされる[32]が、引き渡し目録によると他と同じ28連装を装備していた[15]

爆雷は「雲龍」計画時で6個、「生駒」計画時で10個となっている[10]。「葛城」は最終時に爆雷投下台1基が装備されていた[15]

航空兵装[編集]

飛行甲板寸法は飛龍と全く同じ[19]、航空機用エレベーターは中央エレベータが廃止されて3基から2基に減少すると共に、大型化した新型機に対応するため前部が14x14メートル、後部は14x13.6メートルへ拡大され[25]、昇降スピードもアップされた[19]。格納庫は上下2段、ミッドウェー海戦の戦訓対策で泡沫式消火装置が壁面に設置された[25]

着艦制動装置は計画では呉式9基9索であったが、空廠式4基12索に変更され、新型・大型の艦上攻撃機に対応するものとなっている[25]。また滑走制止装置も従来のものを新型機用に改良した空廠式(三式10型)滑走制止装置を装備した[25]

爆弾や魚雷は、信濃や大鳳で採用されたのと同じように飛行甲板まで揚弾される専用の揚弾筒が採用され[19]、前部に昇降式大型、後部に同小型が設置された[25]。魚雷は36本を搭載可能で、同時調整可能数は6本といわれる[25]

飛行甲板は、戦後に撮影された天城の写真等より、鋼板にリノリウムラテックス等を貼った仕様で木甲板では無かったと考えられる。

レーダー・ソナー[編集]

「雲龍」竣工直前の写真では艦橋上に21号電探1基の搭載が確認される[1]。その他竣工時には飛行甲板上に隠顕式に21号電探1基、メインマスト上に13号電探1基を搭載した[19]。その他「葛城」の公試写真では左舷無線マスト2基のうち前方の1基に13号電探が装備されている[19][33]。「天城」「葛城」は艦橋上の21号電探を22号電探1基、13号電探1基と換装[19]、その時期は1944年末から翌年初めと推定されている[34]。また、飛行甲板前部に短波方向探知機のアンテナを埋め込み式に装備、飛行機の運用が無いときに使用して、潜水艦の通信波を受信して方位等知ることを意図していた[19]

ソナーは「雲龍」の計画として探信儀に「仮称九一式四号1」の記載があり[10]、「葛城」の引き渡し目録では「水中聴音機3基、探信儀1組」となっている[16]。実際には九三式または零式水中聴音機の装備が推定されている[19]

機関[編集]

機関は翔鶴型や大鳳型(蒸気温度350度、圧力30kg/平方cm[35])、隼鷹型(蒸気温度420度、圧力40kg/平方cm[6])で使用された高温・高圧缶の採用が見送られ[19]飛龍と同じで、鈴谷型重巡洋艦と同一の機関を搭載[36]、蒸気温度220度、圧力22kg/平方cmだった[6]。最も出力152,000馬力、速力34ノットは空母として十分な値だった[19]。ただ初期建造艦は資材入手に困難があり三菱長崎造船所で建造された「天城」「笠置」は巡洋艦伊吹型の機関(蒸気温度200度、圧力22kg/平方cm[37])を流用、呉海軍工廠建造の「葛城」「阿蘇」は駆逐艦の機関[注釈 2](蒸気温度350度、圧力30kg/平方cm[38])を転用した[19]。このため「葛城」「阿蘇」は出力104,000馬力に低下し速力32ノットになった[19]。駆逐艦2隻分の機関を搭載するとなるとタービン4基に対し缶(ボイラー)は6基で十分な力量があるが、空母の場合は速力の変更がたびたびあり、また急に高速力を発揮する必要もあるので、余力を持たせる為8基搭載になった[36]

煙突は「飛龍」とほぼ同じ下方排出である[39]。後期建造艦は工事簡易化のために6角形とする計画だったようである[39]。「笠置」は6角形煙突だったとする文献もある[40]が、竣工した3隻の他、「笠置」[41]「生駒」[19][42]も写真から通常の楕円形だったことがわかる。

また戦訓対策から吸排気口は両舷に分散された[43]

電源は「第5006号艦」(阿蘇)までは「飛龍」と同様の直流220Vであり、「第5007号艦」(生駒)以降は当時の新造艦と同じ交流440Vとする計画だった[44]。この点については「天城」「笠置」も建造時に交流だったとする関係者の回想もある[19]

防御[編集]

弾火薬庫の装甲については「雲龍」「天城」「笠置」は「飛龍」と同様に140mmから50mmNVNC鋼、砲弾に対する舷側装甲については「葛城」「阿蘇」ではその必要性が薄れたことより装甲厚が薄くされ100mmから75mmNVNC鋼とされている[19]。また機関部舷側は甲鈑製造が間に合わず25mmDS鋼に2枚重ねで代用された[7]。反面、魚雷の威力増大により水中防御の充実が図られた[19]。「生駒」以降も甲鈑製造簡易化のために変更が行われた[19][7]

装甲に関しては上記のように個々の艦による違いや時期によっても違いがあり、何種類かの計画値が伝えられているので表にまとめて示す。

時期 弾薬庫舷側 同甲板 機関室舷側 同甲板 備考 出典
第302号艦(雲龍)型5隻 基本計画時
(1941年頃)
140-50mmNVNC鋼 56mmCNC鋼 46mmCNC鋼 25mmDS鋼 [45]
5001号艦(天城)
5004号艦(笠置)
1943年9月1日付 同上 56mmCNC1鋼 同上 25mmCNC2鋼 [22]
笠置 1943年10月 140-50mm 50mm 46mm 25mm 装甲種類の記載無し [24]
5003号艦(葛城)
5006号艦(阿蘇)
1943年9月1日付 100-95mmNVNC鋼 56mmCNC1鋼 25mmDS鋼2枚 25mmCNC2鋼 [22]
第5007号艦(生駒)型9隻 基本計画時
(1942年頃)
140-50mmNVNC鋼 56mmCNC鋼 46mmCNC鋼 25mmDS鋼 [45]
5007号艦(生駒)から
5015号艦まで
1943年9月1日付 55-46mmNVNC+25mmH鋼 56mmCNC1鋼 46mmCNC鋼 25mmCNC1鋼 [22]

ミッドウェー海戦の戦訓として格納庫には「炭酸ガス式消火装置」に代わって、2%石鹸水と空気を混合して庫内を泡で覆う「泡沫式消火装置」が設置された[25]。その他防御力の強化として吸気口の位置の改善、舵取室と舵取機械室の防御強化、格納庫の通風強化など、不燃対策として不燃性塗料の使用やリノリュームの廃止、可燃性の備品を撤去するなどが実行された[25]。またガソリンタンクの周りをコンクリートで囲み漏洩防止を行った[25]

排水量[編集]

「雲龍」の基本計画時の公試排水量は20,100トンの計画であった[3]が、航空艤装の変更、対空機銃の増加などで20,400トンまで増加した[46]。また「葛城」「阿蘇」では機関変更により20,250トンとなった[46]。その他にも出典により色々な値があり、公試平均吃水を含めて以下の表にまとめる。

時期 基準(英トン) 公試(トン) 満載(トン) 公試平均吃水(m) 備考 出典
第302号艦(雲龍)型5隻 基本計画時
(1941年頃)
17,150 20,100 21,779 7.76 [3]
5001号艦(天城)
5004号艦(笠置)
1943年9月1日付 17,460 20,400 7.82 [22]
笠置 1943年10月 18,300 21,200 7.83 [24]
雲龍型 不明 20,450 7.860 原典不明 [47]
5003号艦(葛城)
5006号艦(阿蘇)
1943年9月1日付 17,260 20,200 7.78 [22]
葛城 1945年10月5日 20,200トン 8.03 引渡目録 [注釈 3]
葛城 不明 20,250 原典不明 [46]
葛城・阿蘇 不明 20,200 7.770 原典不明 [47]
第5007号艦(生駒)型9隻 基本計画時
(1942年頃)
17,500 20,450
または20,350[4]
22,005 7.86 [3]
5007号艦(生駒)から
5015号艦まで
1943年9月1日付 17,500 20,450 7.86 [48]
生駒 不明 17,480 20,450 7.86 原典不明 [49]

後期艦[編集]

加えて後期艦は雲龍型から改良が施されており、5007号艦(生駒)以降は「雲龍改」型、又は「飛龍改改」型と呼ばれ、下記の様な変更点があった[50]

  • 主機械は重巡「伊吹」と同じタービンを搭載[注釈 4]。出力変更なし。
  • 缶も「伊吹」と同一のものを搭載し[注釈 4]、蒸気圧力はそれまでの22kg/平方cmから20kg/平方cmに低下した[6]
  • 推進器の直径を3.8mから3.9mへ大型化。
  • 甲板側の防御鋼板を一部変更。
  • 搭載標準を 一七試艦戦:18+2機、一六試艦爆:27+0機、一七試艦偵:6+0機へ変更。
  • それに伴い航空機用の標準搭載を変更。250kg爆弾:288→250発、60kg爆弾:456→260発、ガソリン360→230トンとなり、新たに30kg爆弾:144発搭載。

更に、川崎重工業艦船工場にて建造予定だった艦(生駒)は戦訓により機関室を交互配置にする予定であったという[51]

搭載機[編集]

搭載機数は基本計画時には常用57機、補用8機を予定しており、内訳は零式戦闘機12+3機、九九式艦上爆撃機27+3機、九七式艦上攻撃機18+2機(機数は常用+補用機)であった[52]。ただし、資料によって搭載機数が異なる。以下は各種文献にある計画機数である。

日付 原典 艦戦 艦爆 艦攻 艦偵 合計 露天繋止数 備考 出典
1941年10月20日 一般計画要領書 零式艦戦
12+3機
九九式艦爆
27+3機
九七式艦攻
18+2機
57+8機 雲龍基本計画時 [52]
1942年11月28日 現状報告資料 建造中の空母 12+3機 27+3機 18+2機 57+8機 5006号艦(阿蘇)まで [53]
1943年9月1日 新艦船主要要目一覧表 零式艦戦
12機
九九式艦爆
27機
九七式艦攻
18機
57機 天城・笠置・葛城・阿蘇 [48]
1944年10月 建造中水上艦艇主要要目一覧表 18機 18機 18機 3機 57機 笠置 [24]
不明 原典不明 零戦
21機
彗星
18機
天山
21機
60機 彗星9機
天山2機
雲龍型 [54]

生駒の場合は以下の通り。

日付 原典 艦戦 艦爆 艦攻 艦偵 合計 露天繋止数 備考 出典
一般計画要領書 一七試艦戦
18+2機
一六試艦攻
27+0機
一七試艦偵
6+0機
51+2機 基本計画時
1943年9月1日付も同様[48]
[52]
1942年11月28日 現状報告資料 建造中の空母 18+1機 27+0機 27+0機 72+1機 5007号艦(生駒)以降 [53]
不明 原典不明 烈風
18+2機
流星
24機
彩雲
3機
45+2機 流星4機
彩雲3機
雲龍改型(生駒) [54]

運用[編集]

雲龍と天城の竣工直後に起きたレイテ沖海戦の後、空母から発艦する特別攻撃部隊である神武攻撃部隊を編成し、雲龍・天城に秋月型駆逐艦4隻を護衛として付け、フィリピン諸島東方海域の敵機動部隊や水上艦艇を攻撃するといった作戦を日本海軍は計画していた。しかし、戦況の悪化により神武攻撃部隊は空母発着艦訓練を実施する事も無く特攻隊として陸上基地より出撃し散って行った。 このため、結局雲龍から飛び立った航空機は横須賀航空隊が行ったロケット発艦実験の時に発艦した流星のみとなった。

神武特別攻撃隊が全滅した後も、第一航空戦隊所属の艦載機部隊第六〇一航空隊はまだ存在しており、戦力化に向け訓練を続けていた。 しかし、信濃・雲龍が相次いで戦没した上に、艦船燃料の払底が危惧されたため、昭和20年2月11日をもって艦隊航空隊としての再建を断念されて基地航空隊へと変貌し、空母機動部隊は消滅する事となった。

竣工した雲龍型は2隻が戦没(雲龍は潜水艦の雷撃により戦没、天城は空襲により大破着底)し、終戦まで健在だったものは3番艦の葛城1隻のみである。

評価[編集]

雲龍型と同時期に計画されたアメリカ海軍エセックス級航空母艦は、全長、全幅、排水量いずれも翔鶴型航空母艦を上回る大型空母でありながら、太平洋戦争中に17隻、最終的には24隻が完成しており国力の違いを見せつけた。しかしながら戦艦・巡洋艦・駆逐艦など他艦種においては、日米の建造数の差はより開いている。日米の工業生産力の差を考えれば、大戦中に3隻の雲龍型、大鳳を含めて4隻の正規空母を竣工させた事は、大いに健闘したといってよい。

しかしながら、せっかく竣工させた3隻であるが、完成当時には肝心の艦載機の搭乗員の育成が追いついておらず、ほぼ戦力化できないまま終戦を迎えた。状況を考えるに雲龍型よりもさらに建造容易な空母を日本海軍は建造すべきであったという意見もあるが、搭載機の連続射出が可能なカタパルトを実用化できなかった日本海軍にとっては、これより小型サイズの空母を建造しても機動部隊の戦力足り得なかったのも事実である。

また、雲龍型航空母艦が戦力として運用されたとしても、1945年以降の主力として計画されていた「烈風」や「流星」といった新型機は雲龍型の飛行甲板の全長・全幅では同時発艦機数に難があると見られていた[55]

同型艦[編集]

  • 302号艦 : 雲龍(うんりゅう):1944年8月6日竣工。1944年12月19日、物資輸送任務中、ガトー級潜水艦レッドフィッシュ(SS-395)の雷撃により沈没。
  • 5001号艦 : 天城(あまぎ):1944年8月10日竣工。1945年(昭和20年)7月28日、呉港外三ツ子島沿岸にて爆撃を受け大破横転。
  • 5002号艦 : 第110号艦(信濃)を空母に改装する代償として建造取止[44]
  • 5003号艦 : 葛城(かつらぎ):1944年10月15日竣工。呉港外の三ツ子島沿岸に停泊中、爆撃を受けるも本艦のみ軽微な損傷で敗戦まで残り、戦後復員輸送に使用される。
  • 5004号艦 : 笠置(かさぎ):1945年4月1日、進捗率84パーセントで建造中止。
  • 5005号艦 : 第110号艦を空母に改装する代償として建造取止[44]
  • 5006号艦 : 阿蘇(あそ):1944年11月1日、進捗率60パーセントで建造中止。弾頭の実験に使用される。
  • 5007号艦 : 生駒(いこま):1944年11月17日、進捗率60パーセントで建造中止。以下「雲龍改型」ともされる[50]
  • 5008号艦 : 鞍馬(くらま): 戦況の悪化により建造取止。
  • 5009号艦 : 戦況の悪化により建造取止。
  • 5010号艦 : 戦況の悪化により建造取止。
  • 5011号艦 : 戦況の悪化により建造取止。
  • 5012号艦 : 戦況の悪化により建造取止。
  • 5013号艦 : 戦況の悪化により建造取止。
  • 5014号艦 : 戦況の悪化により建造取止。
  • 5015号艦 : 戦況の悪化により建造取止。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(国立公文書館)
    • Ref.A03032074600『建造中水上艦艇主要要目及特徴一覧表』。
  • 同(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08011358700『軍艦引渡目録 葛城 八雲 北上(①-引渡目録-383)/昭和20年10月15日軍艦葛城引渡目録』。(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070180900『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年9月(6)』。(防衛省防衛研究所)
  • 川崎まなぶ 『日本海軍の航空母艦 その生い立ちと戦歴』 大日本絵画、2009年ISBN 978-4-499-23003-2
  • 衣島尚一「-悲運の正規空母- 日本海軍航空母艦「雲龍型」」、『艦船模型スペシャル』No.46モデルアート社、モデルアート社、2012年12月、 46-59頁。
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (COMPILED BY 福井静夫『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第3巻 空母I』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年9月ISBN 4-7698-0453-9
  • 『日本の航空母艦パーフェクトガイド』〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ 特別編集、学習研究社、2003年4月ISBN 4-05-603055-3
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」。
  • 「重巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」。
  • 「駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 丸 2012年10月号雲龍型特集p.72によると『急速建造航空母艦型に関する計画要求概要』
  2. ^ #海軍造船技術概要p.267を始め「陽炎型駆逐艦」の機関を流用したとする文献が多いが、#海軍造船技術概要p.1675によると「秋月型駆逐艦」、また「建造中水上艦艇主要要目及特徴一覧表」笠置の備考欄には「但し葛城・阿蘇は駆乙用機関4基」と記入されている。ちなみに#海軍造船技術概要p.1699では陽炎型と秋月型は基本的に同一であるが、減速装置を新計画として推進器の回転数を減少させ、機関配置の違いにより低圧タービン車室と復水器の形状を変更しただけ、とされている。
  3. ^ #葛城引渡目録画像2による。ただし基準排水量としては数値が大きすぎ、公試排水量とすると吃水8.03mに対し小さすぎる。
  4. ^ a b 「一般計画要領書」には第302号艦(後の「雲龍」)として主機械が「艦本式タービン」、缶が「艦本式ロ号」とあり、一方で第5007号艦(後の「生駒」)の搭載機関として主機械が「一号丙300型タービン」、缶は「一号乙300型ロ号」と記載がある。ただし、ボイラーとタービンの命名基準は1941年(昭和16年)に変更、「1号」は使用蒸気20kg/平方cmで温度300℃、ボイラーの「乙」は空気余熱を行い、給水収熱を行わないもの、タービンの「丙」は高中低圧の3胴式、「300型」は第300号艦(重巡「伊吹」)で初めて使用した形式、ボイラーの「ロ号」はロ号艦本式缶と同じ意味であり、実質は「艦本式タービン」と「ロ号艦本式缶」の組み合わせ。#昭和16年9月~10月内令3巻/昭和16年10月(4)画像5-12、昭和16年10月28日付の内令第1297号『主及巡航「タービン」竝ニ減速装置ノ呼稱』、同日の内令第1298号『水管式主罐ノ呼稱』(詳細省略)

出典[編集]

  1. ^ a b c #写真日本の軍艦第3巻p.233の写真及び解説。
  2. ^ #昭和18年9月~10月 内令4巻/昭和18年9月(6)画像24、内令第千九百八十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年九月二十五日(中略) | 航空母艦 | | 雲龍型 | 雲龍、天城 |
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u #航空母艦一般計画要領書 p.3
  4. ^ a b #航空母艦一般計画要領書 p.55
  5. ^ a b #昭和造船史1pp.780-781
  6. ^ a b c d e f g #航空母艦一般計画要領書p.34
  7. ^ a b c d #海軍造船技術概要p.267
  8. ^ a b #航空母艦一般計画要領書 p.41
  9. ^ #昭和18年9月~10月 内令4巻/昭和18年9月(6)画像33-35、昭和18年9月25日内令第1994号、『航空母艦定員表其ノ十ヲ別表ノ如ク定ム(別表一葉添)』。別表は「雲龍」の定員表。士官61人、特務士官37人、准士官56人、下士官372人、兵1035人。
  10. ^ a b c d e #航空母艦一般計画要領書 p.11
  11. ^ a b #航空母艦一般計画要領書 p.29
  12. ^ #航空母艦一般計画要領書 p.54
  13. ^ a b #航空母艦一般計画要領書 p.45
  14. ^ a b c d #航空母艦一般計画要領書 p.7
  15. ^ a b c d e f #葛城引渡目録画像4
  16. ^ a b #葛城引渡目録画像5。
  17. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.5777、建造状況
  18. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.597-598、計画の発想
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 丸 2012年10月号雲龍型特集
  20. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.599-600、計画の概案
  21. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.601、計画概案に対する海軍省の検討
  22. ^ a b c d e f #海軍造船技術概要p.1599、「新造艦船主要要目一覧表 昭和18年9月1日 艦本総二課」
  23. ^ 「日本の航空母艦パーフェクトガイド」(学研)p135~136「航空本部の急増空母案」
  24. ^ a b c d 「建造中水上艦艇主要要目及特徴一覧表」(国立公文書館)pp.11
  25. ^ a b c d e f g h i j k l #写真日本の軍艦第3巻p.230
  26. ^ #日本の航空母艦p.97
  27. ^ a b #日本の航空母艦pp.214-217
  28. ^ #衣島2012p.52
  29. ^ #衣島2012pp.52-53
  30. ^ #衣島2012p.53
  31. ^ 「あ号作戦直前の空母対空兵装 (昭和19年5月現在)」#日本空母物語p.417
  32. ^ a b c #日本空母物語p.421
  33. ^ #日本海軍史3p.199の写真
  34. ^ 東清二「図で見る空母『蒼龍・飛龍・雲龍』変遷史」#写真日本の軍艦第3巻p.232
  35. ^ #航空母艦一般計画要領書pp.33-34
  36. ^ a b #海軍造船技術概要p.1675
  37. ^ #重巡洋艦一般計画要領書p.17
  38. ^ #駆逐艦一般計画要領書p.24、陽炎型と秋月型の値。
  39. ^ a b #日本の航空母艦p.237
  40. ^ #終戦時の日本海軍艦艇p.14、"KASAGI HAS HEXAGONAL FUNNELS."
  41. ^ #衣島2012p.56左中の写真及び解説。
  42. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.251下の写真
  43. ^ #日本の航空母艦p.237
  44. ^ a b c #海軍造船技術概要p.265
  45. ^ a b #航空母艦一般計画要領書 p.38
  46. ^ a b c #海軍造船技術概要p.266
  47. ^ a b #終戦時の日本海軍艦艇p.14
  48. ^ a b c #海軍造船技術概要p.1599、「新艦船主要要目一覧表」
  49. ^ #海軍造船技術概要p.296「航空母艦要目比較」
  50. ^ a b #川崎戦歴55頁
  51. ^ 福井静夫「日本空母物語」p.275
  52. ^ a b c #一般計画要領書 p.30
  53. ^ a b #日本の航空母艦パーフェクトガイドp.105
  54. ^ a b #川崎戦歴54頁
  55. ^ 月刊『丸』 2012年10月号 特集 決戦空母「雲龍」型

関連項目[編集]