大鷹 (空母)

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春日丸 / 大鷹
大鷹(1943年9月30日、横須賀)[1]
大鷹(1943年9月30日、横須賀)[1]
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所(客船建造)[2]
佐世保海軍工廠(空母改造)[2]
運用者  大日本帝国海軍
種別 特設航空母艦[3]航空母艦[4]
艦級 大鷹型
母港 佐世保[3]
経歴
起工 1940年1月6日[2]
進水 1940年9月19日春日丸として進水[2]
竣工 1941年9月5日特設航空母艦として竣工[2]
就役 1942年8月31日航空母艦籍に編入、大鷹に改名[5]
除籍 1944年10月10日[6]
最後 1944年8月18日沈没[2]
改名 春日丸 → 大鷹[5]
要目(特記無きは計画)
基準排水量 17,830英トン[7]
公試排水量 20,000トン[7]
満載排水量 21,262.80トン[8]
全長 180.24m[7]
水線長 約173.70m[7]
垂線間長 168.00m[7]
全幅 23.70m[7]
水線幅 22.50m[7]
深さ 23.50m(飛行甲板まで)[7]
飛行甲板 長さ:162.0m x 幅:23.5m[9][注釈 1]
エレベーター(13x12m)2基[10]
吃水 公試平均 8.00m[7]
満載平均 8.26m[7]
ボイラー 三菱式水管缶4基[11]
補助缶2基[11]
主機 三菱ツェリー式(高低圧[12])タービン2基[13]
推進 2軸 x 140rpm[11]、直径5.000m[14]
出力 25,200hp[7]
速力 計画 21.0ノット[7][注釈 2]
1944年5月調査 21.63ノット[15]
燃料 計画 2,250トン[7]
1944年5月調査 2,273トン[15]
航続距離 計画 8,500カイリ / 18ノット[7][注釈 2]
1944年5月調査 8,538カイリ / 18ノット[15]
乗員 定員 747名(1941年4月26日)[16]
搭載能力 九一式魚雷 36本[17]
爆弾 800kg72個、250kg72個、60kg240個、30kg演習用90個[18]
飛行機用軽質油 190トン[8]
兵装 竣工時(春日丸)[19]
12cm単装高角砲4基
25mm連装機銃2基
13mm4連装機銃2基
最終時[20]
12cm単装高角砲4基
25mm3連装機銃8基
同連装機銃2基
同単装機銃20挺
九五式爆雷8個
搭載艇 12m内火艇1隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船1隻[10]
搭載機 計画(常用+補用)[9]
零式艦上戦闘機 9+2機
九七式艦上攻撃機 14+2機
合計23+4機
レーダー 最終時:21号電探1基[20]13号電探2基(推定)[21]
ソナー 最終時:水中聴音機1基[20]
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大鷹(たいよう)は、日本海軍航空母艦[5]大鷹型航空母艦1番艦[22]日本郵船の新田丸級貨客船三番船春日丸を空母に改造したもので、太平洋戦争では航空機輸送任務や船団護衛任務に投入された。

建造[編集]

大鷹の前身である春日丸は昭和初期に好況を博していた欧州航路の老齢船を置き換える目的で、またドイツの新型貨客船3隻(シャルンホルストグナイゼナウポツダム)に対抗しつつ1940年(昭和15年)開催予定の東京オリンピックを見込んで、日本郵船が建造した豪華客船新田丸級三姉妹船の第3船であった[23]。新田丸級三姉妹船(新田丸八幡丸、春日丸)は、日本郵船を象徴する客船であり、日本郵船株式会社のイニシャル“NYK”に因んでそれぞれNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruと命名されている。建造費用は優秀船舶建造助成施設による補助を受けていた。また3隻とも三菱長崎造船所で建造され、新田丸(起工1938年5月9日、進水1939年5月20日)、八幡丸(1938年12月14日、進水1939年10月31日)、春日丸(1940年1月6日起工)の順番で建造された。

本船は1940年(昭和15年)1月6日三菱重工業長崎造船所で起工、船台上で徴用され仮称艦名「第1003番艦[24]」となり、商船用の装備を取り外したのち9月19日に進水した[25]。同年11月1日には長崎造船所で大和型戦艦2番艦武蔵の進水において、艤装岸壁に向かう武蔵を春日丸の船体で隠し日本海軍期待の秘密兵器「軍艦武蔵」の存在への防諜に貢献した[26][27]1941年(昭和16年)5月1日、日本海軍は春日丸を特設航空母艦に定め、同日附で佐世保鎮守府所管となった[3]。同時に日本海軍は、空母鳳翔副長・赤城副長や各航空隊司令等を歴任し、同年3月25日まで航空機運搬船「小牧丸」艦長[28]だった石井芸江大佐(後日、空母橿原丸《隼鷹》初代艦長、冲鷹初代艦長、神鷹艦長等を歴任、神鷹の沈没時に戦死)を春日丸艦長に任命した[29]

佐世保海軍工廠へ回航後、航空母艦としての改装工事が行われた(八幡丸、新田丸は呉工廠で改造)[30]。基本的に客船に戻すのは難しいほどの改造を行ったが、三姉妹艦においてはもっとも簡単な工事であり、木造部分も多く残されるなど商船としての構造や艤装が残されていた[31]。また商船として完成する前に改造されたので、空母として三姉妹艦中最初に完成[32]。このため貨客船としては1番船の新田丸がネームシップであるが空母としては春日丸がネームシップとなり、『春日丸級特設航空母艦』と呼称された[33]。なお春日丸級特設空母のエレベーター6基(各艦2基×3隻)は、もともと浅間丸級貨客船(浅間丸龍田丸秩父丸《鎌倉丸》)を空母に改造するために製造されたものだった[34]

日米開戦前の同年9月5日、竣工。予想される日米の艦隊決戦に際して、春日丸級特設航空母艦は艦隊用補助空母としての役割を期待されていた[35]。しかし本型は小型のうえに速度も遅く、用途は限られており、大井篤海上護衛総隊参謀は『不渡り手形』『栄養不良児』と表現している[36]。さらに日本海軍は終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかったため、連合国軍の軽空母護衛空母と比較して、本型の航空機運用能力は非常に見劣りするものになってしまった[37]。特に、大戦中盤以降に登場した比較的大型の新型機(天山彗星流星彩雲)をカタパルトのない本型が実戦で運用するのは困難であったとみられる[37]

兵装[編集]

砲熕兵装の計画は12cm単装高角砲6門、25mm連装機銃4基8挺だったが、春日丸としての竣工時は12cm単装高角砲4門、25mm連装機銃2基、13mm4連装機銃2基だった[19]。高角砲用のスポンソンは6基分用意されたが中央の左右1門ずつが搭載されなかった[19]。1942年(昭和17年)6月10日付の官房機密第7162号で13mm4連装機銃を25mm連装機銃に交換し、3番、4番高角砲の搭載予定位置に25mm3連装機銃を仮装備をする訓令が出され、実際の工事は同年7月と推定される[19]。同年6月24日付の官房機密第7868号で九五式爆雷8個、手動投下台1組装備の訓令が出され、この工事は訓令直後の6月26日から7月1日の間に呉で行われたと思われる[38]。同年8月21日付の官房機密第10468号で艦首と艦尾にそれぞれ25mm3連装機銃2基と射撃指揮装置1基ずつを装備する訓令が出され、この工事は翌1943年(昭和18年)5月29日から7月15日まで佐世保海軍工廠で修理を行った時に装備したと推定される[39]。最終時の兵装は、1944年7月1日付「艦船要目概要一覧表」によると12cm単装高角砲4門、25mm3連装機銃8基、同連装2基、同単装20基、九五式爆雷x8、水中聴音機x1、21号電探x1だという[20][注釈 3]

21号電探は「軍艦大鷹戦時日誌」(昭和17年10月)に10月17日から27日の間に呉で装備したと書かれている[40]。乗員からの聞き取りでは電探の台にはローラーが付いていて、飛行機発着の無い夜間にだけ格納庫から前部エレベーターで飛行甲板に上げて使用していたという[40]

戦歴等[編集]

特設空母春日丸[編集]

1941年(昭和16年)8月11日、春日丸艦長は石井大佐から岩国海軍航空隊司令高次貫一大佐に交代する[41]。 9月1日、空母2隻(翔鶴、春日丸)、吹雪型駆逐艦2隻()という戦力で第五航空戦隊(司令官原忠一少将)[42]が新編された。原司令官は旗艦を春日丸に指定する[43]。 だが、五航戦として本格的に活動する機会はなかった。 9月10日、第五航空戦隊旗艦は春日丸から翔鶴に変更された[44]

春日丸は9月25日附で第一航空艦隊第四航空戦隊(司令官角田覚治少将:旗艦龍驤、第3駆逐隊《汐風帆風》)に編入された。10月、鹿児島に入港して空母龍驤と合同したのち、春日丸は台湾佐世保間の訓練航海に従事した[27]。アメリカとの戦争が勃発しなければ、昭和17年度の戦時編制において春日丸以下特設航空母艦群は第六航空戦隊(特設空母3、第31駆逐隊《長波巻波高波大波》)と第七航空戦隊(空母鳳翔・特設空母2、第25駆逐隊《秋月照月初月》)を編成予定だった[45][46][47]

太平洋戦争開戦時、特設空母春日丸は九六式艦上戦闘機九六式艦上爆撃機を固有艦載機として搭載していた[48]。本艦の艦載機は旧式ながら哨戒任務で活躍している。南方作戦~蘭印作戦において同方面に投入された航空機運用艦は、第十一航空戦隊(千歳瑞穂)などの水上機母艦が主力であり、当初から参加していた空母は四航戦(龍驤、春日丸)だけだった。春日丸は九六式艦上戦闘機13機を搭載してパラオへ輸送[27]、これが最初の航空機輸送任務となった[27]。12月12日、佐世保に帰投[27]。12月22日、空母祥鳳が第四航空戦隊に編入され[49]、春日丸は連合艦隊附属となった[50]。12月31日、呉鎮守府所属となる[27]。瀬戸内海では第十二連合航空隊(母艦航空隊搭乗員)の発着艦訓練に従事した[51]

1942年(昭和17年)2月25日から3月12日までトラック泊地への零式艦上戦闘機輸送任務に従事した[51]。つづいてマーシャル諸島およびソロモン諸島防備強化のため、零戦および基地機材と人員を輸送する[51]。4月3日に横須賀を出発、ロイ=ナムル島(ルオット島)で零戦を降ろし、続いてクェゼリン環礁に向かう[51]。5月3日、入港直前にアメリカの潜水艦ガトー (USS Gato, SS-212) が春日丸に魚雷5本を発射するが命中しなかった[52][51]。1本は命中寸前であった[53]。ガトーは護衛艦や一式陸上攻撃機(哨戒機)に反撃されたが、退避に成功している[51]。5月8日、ジャルート環礁(ヤルート環礁)に第十四航空隊(飛行艇部隊)の整備員を移送することになる[51]。マーシャル諸島への輸送を終えると、南下してブカ島ブーゲンビル州)に進出した[51]坂井三郎の回想によれば、ラバウルより零戦搭乗員20名(台南航空隊所属)が九七式飛行艇に搭乗して春日丸の傍に着水した[51]。乗艦すると零戦に乗り込み、春日丸より発艦してラバウル基地に移動した[51]。5月16日、約1ヶ月半におよぶ航海を終えて横須賀に帰投した[51]

1942年(昭和17年)8月7日、アメリカ軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸を開始、ガダルカナル島の戦いが始まった。8月17日、大和型戦艦1番艦大和山本五十六連合艦隊司令長官座乗中)、特設空母春日丸、第7駆逐隊()は柱島泊地を出撃し、トラック泊地に到着へ向かった[54][55]。ミッドウェー海戦時の戦艦部隊(大和、長門、陸奥)護衛は空母鳳翔だったが、今作戦では春日丸が護衛にあたった[55]。 20日、機関送風機軸の故障により春日丸は最大発揮速力20ノットに低下、折しも海上は無風状態で、着艦しようとした2機の戦闘機が着艦に失敗して損傷した[56]。27日、春日丸と護衛の駆逐艦曙は搭載機の一部をマロエラップ環礁タロア島(当初はルオット島)へ陸揚げするよう下令され、3隻(大和、漣、潮)と分離した[57][58]。29日、タロア島マロエラップ環礁)へ到着後、艦爆4・戦闘機4・搭乗員・整備員を揚陸、かわりに別部隊の戦闘機10機を搭載してラバウルへ向かった[59]

軍艦大鷹[編集]

ラバウル方面へ航海中の8月31日、特設航空母艦2隻(春日丸、八幡丸)は、それぞれ軍艦大鷹(タイヨウ)および軍艦雲鷹(ウンヨウ)と改名された[5][60][55]。2隻は同日附で正規の航空母艦となった[61]。大鷹は佐世保鎮守府籍に所属[62]。艦容に変化はない。 [63]。 9月2日、ラバウルに到着して航空機輸送任務を終えた[64]。大鷹はラバウルに入泊した唯一の日本空母となった[55]。つづいて第21航空戦隊、第23航空戦隊の戦闘機・艦爆輸送任務に従事する。9月13日にミンダナオ島ダバオを出発、17日カビエン沖合で航空隊を発艦、22日ダバオ~25日カビエン沖合で発艦、これで輸送任務を終了し、第7駆逐隊(潮、曙)の護衛下で9月28日にトラック泊地へ帰還した[65]。 ところがトラック泊地到着寸前、トラックの南水道南方で米潜水艦の発射した魚雷1本が大鷹の艦尾に命中した[66]。このアメリカの潜水艦はタンバー級潜水艦トラウト(USS Trout, SS-202) であった[67]。トラック泊地では宇垣纏連合艦隊参謀長と第二海上護衛隊の将校が「近来潜水艦に依る被害少くなれるは結構なり」と会談した直後の襲撃と被雷であった[68]。大鷹は羅針儀の故障により、附近を航行していた漣に水路嚮導を依頼する[69]。機関科勤務者を中心に死傷者13名(戦死3、重傷3、軽傷7)を出し[70]、速力16ノット(戦闘詳報では14ノット)で入泊した[71]。第四工作部(明石)が応急修理をおこなった[68][67]

10月1日、九六式艦上戦闘機3機、九六式艦上爆撃機5機を収容する[72]。 10月4日、駆逐艦2隻(時津風)と共にトラックを出発、14日呉着[73]。前部ガソリンタンクの損傷により気化燃料が漏れ出し、マリアナ沖海戦における空母大鳳のように爆沈しかねない情況下での航海だったという[67]。呉到着と共に時津風は指揮下を離れた[74]。 10月24日、大鷹艦長は10月1日まで特設水上機母艦神川丸艦長[75]だった篠田太郎八大佐に交代する(後任の神川丸艦長は松田尊睦大佐)[76]。 修理後は横須賀へ回航[77][67]。11月1日に横須賀を出発、6日にトラックへ到着した[71]。以後も航空機輸送任務に従事する。ガダルカナル島の戦いが激化するにつれて航空機の消耗は増える一方であり、大鷹型航空母艦は内地と前線を幾度も往復、航空機輸送任務に奔走した[78]

1943年(昭和18年)2月上旬から8月中旬まで、空母3隻(大鷹、雲鷹、冲鷹)は横須賀・トラック・フィリピン・スラバヤ方面の陸海軍機輸送任務に従事した[79]。海軍機だけでなく、陸軍機の輸送も行った。3月上旬、日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」部隊(飛行第六十八戦隊)のラバウル進出が決定する[80]。三式戦闘機を搭載した空母2隻(大鷹、冲鷹)は重巡鳥海、駆逐艦4隻(漣、黒潮親潮)に護衛されて4月4日に横須賀を出発したが[80][81]、4月8日夜、アメリカの潜水艦タニー(USS Tunny, SS/SSG/APSS/LPSS-282) が空母部隊を発見し[81]、距離800mの大鷹に対し艦尾発射管より魚雷4本を発射したが、早爆した[81]。魚雷命中と誤認したタニーは冲鷹に対し魚雷6本を発射するも同じく早爆に終わった[81]。10日、トラック泊地に到着して任務を終える[82]。だが三式戦部隊はトラックからラバウルへの空輸において、液冷エンジンの故障・航空機による航法誘導の失敗により、不時着機や行方不明機を多数出してしまった[80]

5月はフィリピンおよびシンガポールへの輸送作戦に従事[83]。 5月29日、大鷹艦長は篠原大佐から、4月26日まで神川丸艦長[84]だった松田尊睦大佐に交代する[85]。 7月23日より、トラックへの輸送に3回従事した。8月4日、大鷹は駆逐艦2隻(舞風大波)と共にトラックを出港[86]。舞風は4日夕刻に分離したため、護衛艦は夕雲型駆逐艦7番艦大波1隻となった[87]8月6日13時、対空訓練のため大鷹は之字運動をやめ速力18ノットで直進していた[88]。この時、アメリカの潜水艦パイク(USS Pike, SS-173) が大鷹に向けて魚雷6本を発射した。右舷に雷跡4本を認めた大鷹は左舷に転舵[89]、すると大鷹の右舷中央部(煙突附近)に魚雷1本が命中したが不発だった[90]。負傷者2名、不発魚雷は水線下5mに窪みを生じさせた[91]。潜望鏡に向けて高角砲と機銃を発砲、後方の大波も制圧射撃に加わったが[92]、パイクは損傷なく離脱して行った。8月9日、2隻は横須賀へ到着した。

8月17日、主力部隊(戦艦3隻《大和長門扶桑》、空母《大鷹》[93] 、巡洋艦3隻《愛宕高雄能代》、駆逐艦部隊《涼風海風秋雲夕雲若月天津風初風》)として呉を出撃し、23日トラックへ進出[94][95]。一度日本本土へもどったのち、9月7日に空母2隻(大鷹、冲鷹)は駆逐艦3隻(浦風風雲五月雨)に護衛されて横須賀を出発[96]。11日に到着した[97]

9月21日、3隻(大鷹、冲鷹、島風)はトラック泊地を出発[98][99]。24日、艦隊は島風型駆逐艦島風を先頭に、島風-冲鷹-大鷹という速力20ノットの単縦陣で航行していた[100]。悪天候の中、父島の北東200浬北緯28度2分 東経145度59分 / 北緯28.033度 東経145.983度 / 28.033; 145.983で輸送艦隊は敵潜に襲撃される[101][102]。 午前7時前後、暗号解読により待ち伏せていたアメリカの潜水艦カブリラ (USS Cabrilla, SS/AGSS-288)が魚雷6本を発射した[99]。3隻の誰もがカブリラに気付いておらず、大鷹が右舷500mに多数の雷跡を認めてから15秒後、すくなくとも魚雷3本(艦尾《起爆》、前部火薬庫《不発》、爆弾庫《不発》)が右舷に命中した[103][104]。前部弾薬庫にも1本が命中していたが、不発であった[105]。一方、艦尾附近に命中した魚雷はスクリューと舵取機室を破壊、機械も停止して本艦は航行不能となる[106][99]。被雷による死傷者は、戦死9名、重軽傷者24名と報告されている[107]。衝撃で海に投げ出された本艦乗組員のうち、2名は大鷹救助艇に、8名は島風に収容された[108]。島風は『敵潜撃沈』を報告しているがカブリラは沈んでいなかった[109]。またカブリラも島風の反撃と悪天候により空母2隻(大鷹、冲鷹)にとどめをさすことが出来ず、また連絡を受けたアメリカの潜水艦ジャック (USS Jack, SS-259)も大鷹を狙うが補足に失敗した[99]。 午後2時すぎに冲鷹による曳航準備は完了、2隻は速力11ノット程で横須賀へ向かった[110]。なお駆逐艦漣も救援に向かっていたが、会合点に艦隊を発見できず、25日13時に相手の位置を尋ねている[111]。また横須賀に停泊していた第27駆逐隊白露も25日に大鷹救援のため出動、護衛部隊に加わった[112]。26日16時30分、5隻(大鷹、冲鷹、島風、漣、白露)は横須賀に到着[113]。ドックにて調査したところ右舷への不発魚雷命中痕跡は五ヶ所にのぼり、さらに左舷にも命中時期不明の不発魚雷命中痕跡がいくつかあったという[114]

横浜船渠三菱重工業株式会社横浜造船所)における修理は長期間に及んだ[115][116]。この時に、飛行甲板を前方へ10m延長(長さ172m)したが、それでも龍鳳(潜水母艦大鯨改造空母)より13mも短く、低速という事もあって改造効果は薄かったとみられる[99]。 一方、田村俊夫は乗員からの聞き取り調査を行い、飛行甲板の延長は無かったとしている[117]。 11月17日、松田(大鷹艦長)は阿賀野型軽巡洋艦1番艦阿賀野艦長へ転任となった[118]。横須賀海軍港務部部長松野俊郎大佐が大鷹艦長の職務を兼務する[118]

船団護衛任務[編集]

1943年(昭和18年)11月15日、日本海軍は海上交通保護および対潜掃蕩を主任務とする海上護衛総司令部を設置した[119][120]。 主要職員は、司令長官及川古志郎海軍大将、参謀長島本久五郎少将、首席参謀後藤光太郎大佐、作戦参謀大井篤中佐等[121][122]12月15日、海上護衛総司令部麾下に第九〇一海軍航空隊が編制される[123]。同日附で空母3隻(雲鷹、海鷹、大鷹)は海上護衛総司令部部隊に編入[124]、12月20日には空母神鷹(ドイツ客船シャルンホルスト改造空母)も編入された[125][126]。だが大鷹は入渠修理中で、また対潜哨戒機の能力も不足かつ練度不充分であり直ちに海上護衛任務に就くことは出来なかった[125][127]。大井篤(作戦参謀)は、「(本型空母の使用方法について)楽しそうに研究していた護衛総司令部の参謀たちは、これには、スッカリ幻滅の悲哀を感じざるを得なかった」と回想している[36]

1944年(昭和19年)2月1日、護衛空母の飛行機隊の訓練・整備を担当する部隊として、第九三一海軍航空隊(司令大塚秀治中佐)が編成される[128][129]。 2月15日、大鷹艦長は松野大佐から、空母千代田艦長別府明朋大佐に交代[130]。 3月20日、日本海軍は駆逐艦時雨初代艦長・第11駆逐隊司令・軽巡球磨の艦長(沈没時)等を歴任した杉野修一大佐を大鷹艦長に任命する[131]。 4月中旬以降、修理を終えた大鷹は海上護衛総隊として本格的に行動することになった[132][133]。門司とシンガポールを結ぶヒ船団の護衛に使用されることとなり、4月19日に対潜哨戒用として第931航空隊所属の九七式艦上攻撃機12機を搭載した[134][135]

5月3日、最初の護衛航海としてヒ61船団(指揮官佐藤勉第八護衛船団司令官、輸送船11隻・護衛艦9隻《空母〔大鷹〕、海防艦〔佐渡、倉橋、海防艦五号、七号、一七号〕、駆逐艦3隻〔朝顔〕》)を編成し、門司を出港[134][136][137][138]。 5月6日、仁栄丸が機関故障を起こし海防艦2隻に護衛されて高雄市(台湾)に引き返した[139]。 5月7日朝に油槽船1隻(あかね丸)が米潜水艦に雷撃されて小破する[132][134]。米潜水艦ホー(USS Hoe, SS-258)の攻撃による戦果だった。5月9日、ヒ61船団は速力11ノットに落とし[139]、マニラに寄港した[140][141]。 同地で5隻(電、響、建川丸、日栄丸、あずさ丸)を分離[132]、大鷹は残る船団を護衛して5月18日にシンガポールに送り届けた(5月14日、電は米潜水艦ボーンフィッシュの雷撃で沈没した。)[132][134][142]

折り返し、ヒ62船団(輸送船8隻・護衛艦6隻《大鷹、佐渡、倉橋、五号、七号、十三号》)としてシンガポールを5月23日出航した[137][143]。マニラに立ち寄り[144]、6月7日六連着[145]、8日に無傷で門司へ到着した[134][132][146]。ヒ61-62船団運航指揮官の細谷大佐は、大鷹の護衛について『大鷹ガ護衛ニツキ昼間ハ少クトモ楽ナリ、大鷹ノ活動ハ献身的ナリ』と高く評価した[139]。 その後、呉海軍工廠に回航され修理に従事[147][146]

7月9日、修理完了[148]。 空母3隻(大鷹、海鷹、神鷹)は航空機輸送任務にともないヒ69船団(旗艦香椎)に加入され[149][150]、7月13日に出航しマニラへ第一航空艦隊再建用の機材(合計124機)を輸送する[151]。7月20日、ヒ69船団はマニラ到着[152]。荷揚げ後、大鷹はシンガポール発のヒ68船団に合流[153][154]。 7月23日マニラ出発[155]、7月30日六連着[156][157]。だがヒ68船団は輸送船3隻(大鳥山丸、安芸丸、東山丸)を米潜水艦の襲撃で喪失している。 8月2日、海上護衛司令長官及川古志郎大将は軍令部総長へ転任、後任は野村直邦海軍大将となる(海上護衛司令長官と横須賀鎮守府司令長官の兼務)[158][159]

8月8日、大鷹は門司および六連を出撃[160][161]駆逐艦3隻(藤波夕凪朝風《マニラ合流》)と海防艦9隻とともに、タンカー4隻(速吸、帝洋丸、永洋丸、あづさ丸)、陸軍特殊船、貨物船、給糧艦伊良湖などからなる重要船団ヒ71船団(指揮官:第六護衛船団司令官梶岡定道少将)を護衛していた[162]。 8月17日台湾の馬公を出発、フィリピンマニラ湾へ20日午後5時到着の予定だったという[160]。しかし当初より船団は米潜水艦3隻(レッドフィッシュピクーダスペードフィッシュ)の追跡を受けていた[160]。 8月18日朝、永洋丸が被雷し、駆逐艦夕凪に護衛されて高雄市に引き返した[162]。 ヒ71船団は南下を続けるが、フィリピン西岸に到達する頃には悪天候に悩まされた[162]。 ところが午後10時28分(戦闘詳報記録25分)、大鷹はルソン島東方にてアメリカのガトー級潜水艦ラッシャーUSS Rasher, SS-269)の雷撃に遭った[160]レーダーで船団を補足していたラッシャーは相手が空母とは気付かぬまま浮上状態で艦尾発射管より魚雷2本を発射[160]、魚雷1本が大鷹の右舷後部に命中し艦底部ガソリンタンクの爆発により300mもの火柱があがった[163]。続いて火災が大鷹の弾薬庫を誘爆させ、やがて左舷側のタンクも爆発し搭載していた九七艦攻12機ごと沈没した[160]。沈没地点記録北緯18度12分 東経120度22分 / 北緯18.200度 東経120.367度 / 18.200; 120.367[134][164][165]

なおもラッシャーは18本の魚雷をヒ71船団に発射したが、ラッシャーの発射した魚雷が命中したのは大鷹への一本のみであった。ヒ71船団の輸送船能登丸の二等運転士として船橋にいた宇野公一によれば、大鷹は輸送船団の中央後方にいて、速力12ノット程度で航行していたという[166]。大鷹の大爆発と沈没はヒ71船団を動転させた[167]。ヒ71船団は統制のとれないまま思い思いの方向に四散し、大損害を受けた[168]。大鷹を含め5隻(大鷹、速吸、帝洋丸、東亜丸、玉津丸)が沈没し、損傷艦も続出した[169]大井篤海上護衛総隊参謀は『たった一夜でまことに惨愴たる被害であった』と回想している[170]

8月30日、杉野修一大佐は大鷹艦長の任を解かれた[171]。 10月10日、大鷹は 軍艦籍[6]、 大鷹型航空母艦[172]のそれぞれから除籍された。

現在、大鷹の慰霊碑が長崎県佐世保市の旧海軍墓地東公園にある。

艦歴[編集]

  • 1940年(昭和15年)
  • 1941年(昭和16年)
    • 5月1日 - 徴用され特設航空母艦となる。佐世保鎮守府所管。
    • 9月5日 - 竣工。
  • 1942年(昭和17年)
    • 2月25日 - トラック泊地への零戦輸送に従事[51]
    • 3月12日 - 内地帰投。
    • 4月3日 - マーシャル諸島への航空機輸送任務に従事[51]
    • 5月3日 - 米潜水艦ガトーから雷撃されるが命中せず。
    • 5月16日 - 内地帰投。
    • 8月17日 - 大和、駆逐艦3隻(潮、漣、曙)と内地を出撃。
    • 8月27日 - 大和と分離、曙と共にタロア島へ。
    • 8月31日 - 大鷹に改名。これ以降、南方方面への航空機輸送任務に就く。
    • 9月2日 - ラバウル着。
    • 9月4日 - トラック着、すぐにパラオ方面へ進出[173]。。
    • 9月28日 - 曙、潮と共にトラック泊地着、だが寸前に米潜水艦トラウトから雷撃され小破する。
    • 10月4日 - 時津風、漣とトラック発、14日呉着[174]。16日~26日呉第四船渠で修理[175]。その後、横須賀回航。
    • 11月1日 - 横須賀発。6日トラック着[78]。カビエン冲経由16日横須賀着[78]
    • 11月19 - 横須賀発。25日トラック着[78]
    • 11月26日 - トラック発。12月5日横須賀着[78]
    • 12月15日 - 横須賀発。12月21日トラック着[78]
    • 12月22日 - トラック発、カビエン経由で横須賀着[78]
  • 1943年(昭和18年)
    • 2月1日 - 横須賀発。2月7日トラック着[78]
    • 2月11日 - 雲鷹と共にトラック発。2月17日横須賀着[78]
    • 2月24日 - 雲鷹と共に横須賀発。3月2日トラック着。
    • 3月6日 - 雲鷹と共にトラック発。3月12日横須賀着。
    • 4月4日 - 冲鷹、鳥海、護衛駆逐艦(響、漣、黒潮、親潮)と共に横須賀発[176]。4月10日、トラック着。
    • 4月16日 - 冲鷹、護衛駆逐艦(時雨、有明)と共にトラック発[177]。21日、横須賀着。
    • 5月1日 - スラバヤ発。5月6日マニラ着。5月8日マニラ発。5月13日スラバヤ着。
    • 5月16日 - スラバヤ発。5月18日昭南着。5月21日昭南発。5月25日馬公着。5月27日馬公発。5月29日佐世保着。
    • 7月23日 - 横須賀発。7月28日トラック着。
    • 8月4日 - 大波とトラック発。 8月6日米潜水艦パイクから雷撃されるが不発、8月9日横須賀着。
    • 9月24日 - 冲鷹、島風と横須賀回航中、米潜水艦カブリラから雷撃され大破、26日横須賀着。
  • 1944年(昭和19年)

歴代艦長[編集]

※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』75-76頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 石井芸江 大佐:1941年5月1日[29] - 1941年8月11日[41]
  2. 高次貫一 大佐:1941年8月11日[41] - 1942年8月31日[60]

艦長[編集]

  1. 高次貫一 大佐:1942年8月31日[60] - 1942年10月24日[76]
  2. 篠田太郎八 大佐:1942年10月24日[76] - 1943年5月29日[85]
  3. 松田尊睦 大佐:1943年5月29日[85] - 1943年11月17日[118]
  4. (兼)松野俊郎 大佐:1943年11月17日[118] - 1944年2月15日[130](本職:横須賀海軍港務部長)
  5. 別府明朋 大佐:1944年2月15日[130] - 1944年3月20日[131]
  6. 杉野修一 大佐:1944年3月20日[131] - 1944年8月30日[171]

同型艦[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4によると計画では幅23.7m
  2. ^ a b #海軍造船技術概要p.275では、速力22ノット、航続距離は18ノットで8,000カイリとしている。
  3. ^ #日本空母物語p.417の「表A あ号作戦直前の空母対空兵装(昭和19年5月現在)」の大鷹の項は、12cm単装高角砲6門、25mm3連装機銃6基、同連装機銃4基、21号電探1基となっている。

出典[編集]

  1. ^ #海軍艦艇史3p.162
  2. ^ a b c d e f 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.7
  3. ^ a b c #内令昭和16年5月(1)p.8『内令第四百七十一號 汽船 春日丸 右特設航空母艦トシ佐世保鎮守府所管ト定メラル|昭和十六年五月一日 海軍大臣 及川古志郎』
  4. ^ #内令昭和17年8月(3)画像45、内令第千六百十四號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、大鷹、雲鷹」ヲ加フ
  5. ^ a b c d #達昭和17年8月p.39『達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝国艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)』
  6. ^ a b #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.36-37『内令第一一六五號 呉鎮守府在籍 軍艦 白鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 長良、軍艦 名取|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朝風、驅逐艦 五月雨|呉鎮守府在籍 驅逐艦 敷波|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 夕凪|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 松|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和十九年十月十日 海軍大臣』
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4
  8. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.57
  9. ^ a b #海軍造船技術概要p.296
  10. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.46
  11. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.35
  12. ^ #昭和造船史1pp.780-781
  13. ^ #日本航空母艦史p.64
  14. ^ #海軍造船技術概要p.1678
  15. ^ a b c 「あ号作戦前後の対空兵装強化と戦訓改正」表B あ号作戦直前に空母の最大速力、航続距離、満載重油搭載量(昭和19年5月調査)、#日本空母物語p.417
  16. ^ #内令昭和16年4月(5)(C12070150500)画像39、内令第四百三十九號 特設艦船部隊定員令中左ノ通改正セラル 昭和十六年四月二十六日 海軍大臣及川古志郎 特設航空母艦定員表ヲ別表ノ如ク改ム(別表二葉添)。同画像42、特設航空母艦定員表 其ノ二 春日丸級、(詳細略)計 士官37人、特務士官25人、准士官31人、下士官187人、兵467人。#内令昭和16年4月(6)(C12070156500)画像1、画像4も同一内容
  17. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
  18. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.31
  19. ^ a b c d #田村2007p.180。「『官房機密第七一六二号』(一七・六・一〇)「特設航空母艦春日丸に二五ミリ機銃装備の件訓令」は、(中略)「記 佐世保工廠をして主題の件左記に依り施行せしむべし。 一、工事要領 (イ)現装備の一三ミリ四連装機銃二基を二五ミリ二連装機銃二基と換装すると共に之に関連する工事 (ロ)三番、四番一二センチ高角砲装備予定位置(砲架装備)に二五ミリ三連装機銃各一基を仮装備すると共に之に関連する工事(以下略)」
  20. ^ a b c d #田村2004p.115、「『艦船要目概要一覧表』(艦政本部総務部総務課総務第二課調査 一九年七月一日)には、大鷹と雲鷹の要目の概要が記載されている。(以下略)」
  21. ^ #田村2004p.116
  22. ^ #編制(昭和19年1月31日現在)p.4『艦艇類別等級別表|軍艦|航空母艦|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹』
  23. ^ #日本空母物語105、298頁
  24. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.625
  25. ^ #日本空母物語308頁『(2)大鷹(旧春日丸)』
  26. ^ 内藤初穂『戦艦大和へのレイクイエム』156頁
  27. ^ a b c d e f #木俣空母76-77頁『春日丸の飛行機輸送(昭和十六年十二月)』
  28. ^ 昭和16年3月25日(発令3月25日付)海軍辞令公報(部内限)第605号 p.49』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080500 
  29. ^ a b 昭和16年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第631号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081000 
  30. ^ #日本空母物語307頁
  31. ^ #日本空母物語309頁
  32. ^ #日本空母物語105頁
  33. ^ #内令昭和16年4月(5)pp.39-40『内令第四百四十號 特設艦船部隊特修兵配置表中左ノ通改正ス 昭和十六年四月二十六日 海軍大臣 及川古志郎 特設航空母艦ノ欄ヲ左ノ如ク改ム |特設航空母艦||飛鷹、隼鷹|春日丸級|(略)』
  34. ^ #日本空母物語296頁
  35. ^ #日本空母物語299頁
  36. ^ a b #海上護衛戦(角川)178179頁
  37. ^ a b #日本空母物語312頁『(4)わが商船改造空母の問題点』
  38. ^ #田村2007pp.184-185。「『官房機密第七八六八号』(一七・六・二四)「特設艦船爆雷兵装新設の件訓令」「佐世保工廠をして主題の件左記に依り施行せしむべし。 一、施行船名 特設航空母艦 春日丸(以下略)。二、工事要領 爆雷八個を搭載し左の工事を施工するもとのす。(以下省略)」
  39. ^ #田村2007p.182。「『官房機密第一〇四六八号』(一七・八・二一)「特設航空母艦春日丸に機銃装備の件訓令」「佐世保工廠をして主題の件 左記に依り施行せしむべし。 一、工事要領 艦首錨甲板および艦尾短艇甲板上に「フラット」を設け、その上にそれぞれ二五ミリ三連装機銃二基および機銃射撃装置一基を装備するとともにこれに関連する工事を施工するものとし詳細に関しては海軍艦政本部長をして佐世保海軍工廠に通牒せしむ。(以下省略)」
  40. ^ a b #田村2004p.112
  41. ^ a b c 昭和16年8月11日(発令8月11日付)海軍辞令公報(部内限)第688号 pp.22,24』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
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  43. ^ 昭和16年9月3日(水)海軍公報(部内限)第3888号 p.18』 アジア歴史資料センター Ref.C12070397300 『○旗艦指定 第五航空戦隊司令官ハ九月一日旗艦ヲ春日丸ニ指定セリ』
  44. ^ 昭和16年9月13日(土)海軍公報(部内限)第3897号 p.41』 アジア歴史資料センター Ref.C12070397400 『○旗艦變更 第五航空戦隊司令官ハ九月十日旗艦ヲ翔鶴ニ變更セリ/支那方面艦隊司令長官ハ九月十一日旗艦ヲ飛鳥ニ變更セリ』
  45. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『第六航空戰隊|《第三十一驅逐隊》|特設航空母艦三|横須賀 呉 佐世保』
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  47. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『佐世保|第二十五驅逐隊|《秋月》《照月》《初月》|第七航空戰隊』-『舞鶴|第三十一驅逐隊|《長波》《巻波》《高波》《大波》|第六航空戰隊』
  48. ^ 坂井三郎ほか『零戦搭乗員空戦記』(光人社、2000)37頁
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  50. ^ #木俣空母136頁
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  52. ^ #昭和17年5月横鎮日誌(2)p.9『3日1230春日丸船長|午前11時22分クエゼリン入口(ミルー島ノ330度750米)ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃(五射線キョーサ)ヲ受ケタルモ回避被害ナシ』
  53. ^ #S1709大鷹詳報(1)p.7『(ロ)敵潜水艦後方発射管ヨリスル斜進発射ニ依ル魚雷ニ対シ特ニ警戒ノ要アリト認ム 本艦四月末「ルオット」沖ニテ受ケタル雷撃ノ発射雷数ハ5本ニシテ始メ左右舷2本宛通過シタル後1本ノ魚雷ハ本艦ノ直極メテ近ク斜ニ通過セリ(略)』
  54. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)83頁『南東方面部隊の編成と聯合艦隊長官のトラック進出』
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  58. ^ #戦藻録(1968)176頁
  59. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)141頁『「矢風」の編入と春日丸のタロア、ラバウルへの飛行機輸送』
  60. ^ a b c 昭和17年8月31日(月)海軍公報(部内限)第4182号 p.43』 アジア歴史資料センター Ref.C12070422300 『○官房機密第一〇九四六號 本年八月三十一日現在左記上欄各艦ノ職名ヲ有スル者ハ特ニ發令セラルルモノノ外別ニ辭令ヲ用セズシテ下欄ノ相當職員ニ補命セラレタル義ト心得ベシ 昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 記|特設航空母艦 春日丸|航空母艦 大鷹|同 八幡丸|同 雲鷹』
  61. ^ #内令昭和16年10月(3)p.37『内令第千二百八十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、大鷹、雲鷹」ヲ加フ』
  62. ^ #内令昭和17年8月(4)pp.12-13『内令第千六百二十四號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|汽船 春日丸 右特設航空母艦トシ佐世保鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』~『内令第千六百二十五號 軍艦 雲鷹 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|軍艦 大鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 照月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 高波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル(中略)|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  63. ^ 昭和17年9月10日(木)海軍公報(部内限)第4191号 pp.12-13』 アジア歴史資料センター Ref.C12070422700 『○書類發送先 特設航空母艦春日丸宛書類ハ自今軍艦大鷹ニテ處理可致ニ付呉郵便局氣付ニテ送付相成度(軍艦大鷹)』
  64. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)142頁『飛行艇のラバウル派遣解除と一式陸攻の派遣』
  65. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)163頁『南西方面部隊からの航空兵力の転用』
  66. ^ #S1709大鷹詳報(1)p.5『1325右舷2本左舷ニ1本ノ雷跡ヲ認メ続イテ右185番ビーム水線下ニ1本命中、機械停止、防水ヲ下令ス 位置北緯7度46分 東経151度46分 / 北緯7.767度 東経151.767度 / 7.767; 151.767(南水道入口ヨリ189度17.4浬)』
  67. ^ a b c d #木俣空母344-345頁
  68. ^ a b #戦藻録(1968)196頁
  69. ^ #S1709大鷹詳報(1)p.5『1340転輪羅針儀故障ノ為附近航行中ノ駆逐艦漣ニ水路嚮導ヲ依頼ス』
  70. ^ #S1709大鷹詳報(1)pp.10-11『9月28日軍艦大鷹死傷者調査表 昭和17年9月28日』
  71. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)180頁『第二航空戦隊のトラック進出と米軍と誤認された「瑞鳳」』
  72. ^ #S1709大鷹詳報(2)p.2『17.10.1|竹島飛行場ヨリ九六艦戦3機九六艦爆5機収容』
  73. ^ #S1709大鷹詳報(1)p.28『4日|一.駆逐艦曙漣警戒呉ニ向ケ出港 二.警戒航行|一.1045大鷹機密第040705番電(大鷹時津風漣)行動予定GF参謀長横鎮参謀長宛報告』、p.29『損傷箇所修理ノタメ4日トラック発呉ニ回航14日呉着』
  74. ^ #S1709大鷹詳報(1)p.29『8日|0850(略)大鷹内地帰着後時津風本艦警戒任務解除ノ命令受領』
  75. ^ 昭和17年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第955号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072087200 
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  77. ^ #S1709大鷹詳報(1)p.20『第252航空隊基地進出協力ノタメ横須賀回航28日呉発29日横須賀着』
  78. ^ a b c d e f g h i #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)215-217頁『航空母艦による航空機輸送』
  79. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)294頁『航空母艦による航空機の輸送』
  80. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)322頁『三式戦闘機(陸軍)の輸送』
  81. ^ a b c d #木俣空母490-494頁『飛燕の輸送(四月)』
  82. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.6『4月4日-同10日|親潮、黒潮|冲鷹、大鷹|横須賀→「トラック」』
  83. ^ #木俣空母495-496頁『大鷹マニラへ(五月)』
  84. ^ 昭和18年4月26日(発令4月26日付)海軍辞令公報(部内限)第1102号 p.50』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090700 
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  86. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.3『本艦ハGF電令作第627号ノ任務ヲ終了シGF電令作第642号ニ依ル次期軍事機材輸送任務ノ為横須賀回航ヲ要シ便乗者431名托送品零戦3艦攻3水戦1発動機5其ノ他ヲ搭載ノ上4日0415「トラック」港出港9日1700横須賀着ノ予定ヲ以テ同地ニ向フ』
  87. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.3『4日1745舞風分離迄左右130度1500米ニ駆逐艦各1ヲ配ス舞風分離後大波本艦艦尾1000米ニ占位シ昼夜間共艦内哨戒第三配備之字運動A法(時隔5分)ヲ実施ス』
  88. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.2『本艦6日1300ヨリ高角砲機銃教練射撃開始ノ予定ヲ以テ之字運動ヲ止メ針路40度18節ニテ直進ス、警戒駆逐艦大波ハ大鷹ノ後方約1500米ヲ続行ス』
  89. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.7『6日1320大鷹艦長|発大鷹艦長6日1300北緯21度32分 東経153度20分 / 北緯21.533度 東経153.333度 / 21.533; 153.333ニテ近巨離ニ潜望鏡発見雷撃四ヲ受ケタルモ回避シ被害ナシ大波制圧中』
  90. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.9『同日1050大鷹艦長|大波|魚雷1本本艦右舷中部ニ撃角20度ニテ觸衝セシモ爆発セズ頭部切断沈没セリ』
  91. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.13『(ハ)船体 横須賀入港後調査ノ結果 水線下約5米ニテ104番ビーム前方63糎ニ経約45糎深3.5糎ノ円形凹部ヲ発見、円形凹部ハ魚雷頭部ニテ三日月型凹部ハ頭部脱落後再ビ気室前端ニテ衝撃セツモノト認ム両者共変形セルノミニテ支障ナシ』
  92. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.5『大鷹ノ射撃ニ依リ大波ノ前方1500米ニ潜望鏡ヲ認メ直ニ之ガ攻撃ニ移ル』
  93. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.51『一七日〇六〇〇(長官)2F(宛略)2F機密第一六二三二一番電 「トラツク」回航ニ關スル機密AdB命令要旨 一.第二軍隊區分(主力部隊ト合同後)區分指揮官兵力ノ順 主隊直率4S(摩耶缺)大鷹警戒隊(司令官)2sd 2sd(能代)24dg(涼風海風)秋雲(以下略)』
  94. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.4『(三)2sd(能代)ハ十六日主力部隊(長官1F直率)ノ指揮下ニ入リ主力部隊ノ警戒隊(司令官2sd、2sd(能代)初風天津風)トナリ十六日呉出撃八島假泊(海風ト合同佐鎮五特、便乗者一部移載)十七日假泊發十八日一一〇〇(長官)2F直率部隊(24dg(涼風)ヲ含ム)ト合同(指揮官)YBノ麾下(YB警戒隊)トナリ二十三日「トラツク」着』
  95. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.60『二三日一一五五(長官)1F(宛略)1F機密第二三一〇一九番電 大和長門扶桑愛宕高雄能代24dg(涼風海風)10dg(秋雲夕雲)天津風若月初風ヲ率ヒ「トラツク」着二三日〇七四五』
  96. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.25『四日一五〇八沖鷹(宛略)冲鷹大鷹浦風風雲五月雨左ニ依リ「トラツク」ニ向ケ七日〇五〇〇横須賀發(略)』
  97. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.9『(6)五月雨 前月ニ引續キ横須賀ニテ修理整備ニ従事中七日冲鷹大鷹ヲ護衛横須賀發十一日「トラツク」着…』
  98. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.19『(ロ)(略)次期軍事機材輸送任務ノ為横須賀回航ヲ要シ便乗者840名托送品零戦6其ノ他若干ヲ搭載ノ上21日0400「トラック」港出港…』
  99. ^ a b c d e #木俣空母529-531頁
  100. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.18『(二)我軍ノ兵力配備及行動 横須賀回航ノ途次島風冲鷹本艦ノ順ニテ単縦陣ニテ之字運動A法(時隔五分)ヲ実施基準針路320度速力20節ニテ航行中ナリ』
  101. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)403-404頁『「大鷹」被雷航行不能』
  102. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.24『(三)天候及戦場ノ状況 天候曇雨量9風向北東風速10米波浪4驟雨屡々来襲シ水平線附近特ニ視界不良ナリ本艦ノ北緯28度2分東経145度59分』
  103. ^ #S1709大鷹詳報(3)pp.20-21『0658|射点右110度400乃至500米ヨリ将ニ開進セントスル雷跡多数ヲ発見直ニ取舵一杯前進一杯ヲ令シタルモ約15秒後1本艦尾ニ命中爆発1本前部火薬庫(不爆)1本爆弾庫(頭部脱落不爆)ニ命中、2本前方1本後方通過防水ヲ令ス、高角砲機銃ヲ以テ攻撃ス、当時潜望鏡ヲ認メタル者ナシ』
  104. ^ #木俣空母530頁(大鷹被雷図では5本命中としている)』
  105. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.25『行動圖 註 艦底通過ト報告セルモノハ入渠調査ノ結果前部弾薬庫右舷ニ命中不爆ナリシ事判明ス』
  106. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.24『五.我ガ兵力ノ現状 大鷹船体 右10番「ビーム」附近ニ大破孔ヲ生ジ舵取機室大破シ操舵不能右舷主機械ハ推進軸屈曲左舷機械ハ電源切断ニヨリ強圧ポンプ停止セル為焼損停止運転不能』
  107. ^ #S1709大鷹詳報(3)pp.30-31『25日0612大鷹艦長|(被害詳報)発大鷹艦長(略)戦死者4名行方不明5名重傷3名軽傷21名』
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  109. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.9『(5)島風 一日ヨリ五日迄内海西部ニ於テ研究發射及電探射撃實施十日呉在泊修理整備十一日呉發十二日横須賀着十五日摩耶鳥海ヲ護衛横須賀發二十日「トラツク」着二十一日GF電令作第七二〇號ニ依リ冲鷹大鷹ヲ護衛「トラツク」發二十四日N二八度〇分E一四〇度一〇分ニ於テ大鷹敵潜ノ雷撃ヲ受ケ航行不能同敵潜ニ對シ爆雷攻撃ヲ爲ス(効果確實)二十六日横須賀着爾後横須賀ニ在リテ待機整備』
  110. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.23『1515|冲鷹320度ニ定針速力16節(實速9.2節)爾後曳航實速力11.2節』
  111. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.30『1256漣艦長|本艦1200ノ位置北緯29度16分東経145度34分針路340度速力20節1100予定会合点ニ於テ貴艦ヲ発見スルヲ得ズ貴艦1200ノ位置針路速力知ラサレ度』
  112. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.95『25日|白露大鷹部隊合同ノ為横須賀発2000合同護衛ニ就ク』
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  172. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)p.35『内令第一一五九號 艦艇類別等級別表中次ノ通改正ス 昭和十九年十月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等長良型ノ項中「長良、」「、名取」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「大鷹、」ヲ、同敷設艦ノ部中「、白鷹」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝風」「、夕凪」ヲ、同初雪型ノ項中「、敷波」ヲ、同白露型ノ項中「、五月雨」ヲ、同松型ノ項中「松、」ヲ削ル(以下略)』
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参考文献[編集]

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    • Ref.C12070115300 『昭和17年1月~12月達/達昭和17年8月』。
    • Ref.C12070497400 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。
    • Ref.C08030580500 『昭和16年12月1日~昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030317700 『昭和17年5月1日~昭和17年5月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030582900 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030583000 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030583100 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030116200 『昭和17年12年1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030100500 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030100600 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030100700 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030101100 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030101200 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030137300 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030137400 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030137500 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030137600 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030140600 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030140700 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030141000 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030141100 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030141400 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030708100 『昭和19年4月~昭和19年8月14日 船団護衛任務報告(2)』。
    • Ref.C08030685100 『昭和19年5月1日~昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030649400 『昭和19年6月1日~昭和19年12月31日 聖川丸戦時日誌戦闘詳報(2)』。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]