日振 (海防艦)

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日振
基本情報
建造所 日立造船桜島造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 占守型海防艦(1944年1月)
御蔵型海防艦(1944年6月)
建造費 5,112,000円(予算成立時の価格)[注釈 1]
艦歴
計画 マル急計画
起工 1944年1月3日[1][2]
進水 1944年4月10日[1][2]
竣工 1944年6月27日
最期 1944年8月22日被雷沈没
除籍 1944年10月10日
要目(竣工時)
基準排水量 940トン
全長 78.77m
最大幅 9.10m
吃水 3.06m
主機 艦本式22号10型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.5ノット
燃料 重油 120トン
航続距離 16ノットで5,000カイリ
乗員 定員149名[注釈 2]
兵装 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 3連装2基
九四式爆雷投射機2基
爆雷120個
単艦式大掃海具1組
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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日振 (ひぶり)は、日本海軍海防艦。普遍的には日振型海防艦の1番艦とされており、本艦を鵜来型海防艦に含める文献も存在するが、海軍省が定めた艦艇類別等級では御蔵型海防艦の8番艦。1944年6月に竣工し、同年8月被雷沈没した。艦名は愛媛県日振島にちなむ。

建造に至る経緯[編集]

マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の19番艦[注釈 3]、仮称艦名第328号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型(基本計画番号E20)の基本計画の決定により第322号艦型に計画変更[注釈 4]。1943年7月5日、海防艦改乙型(基本計画番号E20b)の設計が完了したため、第310号艦型と第320号艦型の未起工艦のうち間に合った本艦を含む8隻は基本計画番号E20bに従って建造されることになったが、日立造船に割り当てられた本艦を含む3隻は用兵側から要望のあった掃海具を装備し、三式爆雷投射機装備型と並行して建造されることになった。

艦歴[編集]

1944年1月3日[1][2]、日立造船株式会社桜島造船所で起工。1月25日、日振と命名され、占守型に分類されて同級の17番艦に定められる[注釈 5]。本籍を佐世保鎮守府と仮定。4月10日[1][2]、進水。6月5日、艦艇類別等級の改正により御蔵型に分類され、同級の8番艦に定められる。27日竣工し、本籍を佐世保鎮守府、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入され、基礎術力練成教育にあたる。艤装員長/海防艦長の石川大尉は、商船学校出身の海防艦長が多かった当時としては数少ない兵学校出身(64期)で、衆望を担って就任したとされる。

8月2日から5日まで佐世保海軍工廠で主機械の修理。修理中の4日、第一海上護衛隊に編入。5日、モタ22船団を護衛するため佐世保発。途中基隆を経由して12日に左営沖に到着。16日、軍隊区分掃蕩隊第三掃蕩小隊を佐渡松輪擇捉とともに編成し佐渡海防艦長の指揮下で行動。17日からヒ71船団に同行したが、同船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、小隊(当時は擇捉欠)は遭難現場に留まり潜水艦の掃討にあたった。しかし成果は無く、21日には現場を引き払いマニラへ向かう。

同月22日0400ごろ、小隊の各艦は北緯14度25分 東経120度00分 / 北緯14.417度 東経120.000度 / 14.417; 120.000バターン半島マリベレス英語版の西方50キロ地点でアメリカ潜水艦ハーダーハッドに発見された。海防艦はルソン島寄りから松輪、日振が並航し、佐渡はその後ろを航行し三角形の陣形を成していた[3]。攻撃は0500時から0830時までの間に行われた。まず、ハーダーが日振と松輪を目標に、ハッドが佐渡を目標に攻撃し、3隻は損害を受ける。日振はハーダーの魚雷が命中して艦体が両断され、前部はすぐに沈んで後部だけ浮いて、航行不能となった[3][4]。その後、ハーダーの三度目の攻撃でさらに被雷し、沈没した[4]ほか、他の2艦も撃沈された。残存艦が択捉のみとなった第三掃蕩小隊は24日に編成を解かれた。海防艦長の石川浩大尉以下乗員154名が戦死した。

10月10日、日振は御蔵型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。

海防艦長[編集]

艤装員長
  1. 石川浩 大尉:1944年5月4日 - 1944年6月27日
海防艦長
  1. 石川浩 大尉:1944年6月27日 - 1944年8月22日 戦死、同日付任海軍少佐

注釈[編集]

  1. ^ これは第310号艦型の価格であり、基本計画番号E20bとしての価格ではない。
  2. ^ この数字は特修兵を含まない。
  3. ^ マル急計画の当初計画での番数。
  4. ^ のち、基本計画番号E20の建造は予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした。
  5. ^ この日時点で択捉型海防艦のうち除籍となった艦が2隻あるため、それら除籍艦を含めると通算で19番艦。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『昭和造船史 第1巻』、p. 828。
  2. ^ a b c d 『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇、p. 22。
  3. ^ a b #海防艦戦記p.108
  4. ^ a b #Blair p.718

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和18年10月30日付 内令第2241号。
    • 昭和19年1月25日付 達第17号、内令第200号、内令第204号。
    • 昭和19年6月5日付 内令第738号。
    • 昭和19年6月27日付 内令第794号、内令員第1113号、内令員第1114号。
    • 昭和19年10月10日付 内令第1159号、内令第1165号。
    • 昭和19年5月5日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1463号。
    • 昭和19年7月5日付 海軍辞令公報 甲 (部内限) 第1526号。
    • 昭和20年2月3日付 秘海軍辞令公報 甲 第1711号。
    • 呉防備戦隊戦時日誌。
    • 第一海上護衛隊戦時日誌。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』。
    • 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
    • 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0. 
  • 海防艦顕彰会(編)『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年。