夕雲 (駆逐艦)

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艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1940年6月12日
進水 1941年3月16日
就役 1941年12月5日竣工[1]
その後 1943年10月6日戦没
除籍 1943年12月1日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t[2]
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp[2]
最大速力 35.5kt[2]
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

夕雲(ゆうぐも/ゆふぐも)は[3]日本海軍駆逐艦一等駆逐艦夕雲型の1番艦である[4]。艦名は海上自衛隊やまぐも型護衛艦6番艦「ゆうぐも」に引き継がれた。

艦歴[編集]

竣工まで[編集]

駆逐艦「夕雲」は1939年度(マル4計画)仮称第116号艦として建造を認められる。1940年(昭和15年)6月12日、舞鶴海軍工廠にて起工[5]。太平洋戦争集結まで20隻建造された夕雲型駆逐艦のうち、舞鶴海軍工廠が建造したのは6隻(夕雲、巻波、早波浜波沖波早霜)である[2]

1941年(昭和16年)2月5日、正式に『夕雲』と命名され[3]、艦艇類別等級表に「一等駆逐艦夕雲型」が登録される[6]3月16日に進水した[5]。同日附で横須賀鎮守府籍となる[7]。当日の舞鶴には、巡洋艦3隻(吾妻木曾大井)、吹雪型駆逐艦「薄雲」、哨戒艇2隻(第36号《旧駆逐艦》、第37号《旧駆逐艦》)[8]等が所在、陽炎型駆逐艦15番艦「野分」が竣工間近だった[9]。また秋月型駆逐艦1番艦「秋月」(昭和15年7月20日起工)の建造も行っている。

日本海軍は7月1日附で、樅型駆逐艦8番艦駆逐艦長[10]吹雪型駆逐艦磯波駆逐艦長[11]、吹雪型浦波駆逐艦長[12]を務めた仙波繁雄中佐を夕雲艤装員長に補職する[13]。8月5日、艤装員事務所を設置[14]。 10月16日、仙波は制式に夕雲駆逐艦長(初代)となる[15]。 12月5日、竣工[16][17][18]。 同日附で横須賀鎮守府部隊の警備駆逐艦となる[19][20]。翌日出港、横須賀に向かった[21]

横須賀での行動[編集]

1941年(昭和16年)12月8日真珠湾攻撃および太平洋戦争開戦を経て、本艦は12月14日付で海面防備部隊に編入[22]。峯風型2番艦「澤風」や敷設艇「猿島」等と[23]東京湾外、伊豆諸島方面で対潜哨戒活動に従事する[24][25]。2月21日には、ソビエト連邦商船の臨検を実施している[26]

1942年(昭和17年)3月上旬、機関部の故障修理を実施[27][28]。 3月14日、この日に竣工した夕雲型2番艦「巻雲[29][30]とともに、夕雲型2隻(夕雲、巻雲)で第10駆逐隊を編成[31][32]。第10駆逐隊司令には、バリ島沖海戦で活躍した第8駆逐隊司令阿部俊雄大佐(海軍兵学校46期)が任命された[33]

3月16日、浦賀船渠で夕雲型6番艦「高波」が進水(夕雲進水と同日)[34][5]。同時期、米軍機動部隊出現の徴候があったため横須賀在泊の大型艦の一部を伊勢湾に移動させることになり、「夕雲」は先行して伊勢湾周辺の対潜掃蕩を実施するよう下令された[35][36]。 3月20日、横須賀に戻る[37][38]。その後も哨戒行動に従事した[39]。 3月28日、浦賀船渠で夕雲型3番艦「風雲」が竣工[34][40]。同日附で第10駆逐隊に編入される[41][42]。阿部司令の着任まで、風雲艦長吉田正義中佐が職務を代理した[43]

4月10日、戦隊改編により第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将・海兵36期)の直衛に任ずる部隊として第十戦隊(司令官木村進少将・海兵40期)が編成され[44]、第10駆逐隊も第十戦隊に編入された。4月13日、阿部司令は司令駆逐艦を「風雲」に指定[45]。 4月15日、一等陽炎型19番艦「秋雲」が第10駆逐隊に編入され、定数4隻(夕雲、巻雲、風雲、秋雲)となる[46]。 これまでの第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将・海兵41期)に代わって南雲機動部隊の直衛に就く第十戦隊は、旗艦「長良[47]以下、第10駆逐隊《第1小隊:(1)風雲、(2)夕雲、第2小隊:(3)巻雲、(4)秋雲》、第17駆逐隊《第1小隊:(1)谷風、(2)浦風、第2小隊:(3)浜風、(4)磯風》、第7駆逐隊《第1小隊:(1)潮、(2)漣、第2小隊:(3)曙》が所属していた[48]。だが第七駆逐隊は機動部隊から外されており、実際の機動部隊警戒隊(指揮官:第十戦隊司令官)は長良及び第4駆逐隊(司令有賀幸作大佐:野分萩風舞風)、第10駆逐隊、第17駆逐隊という編制である[49]

4月18日、米軍機動部隊(空母ホーネットエンタープライズ基幹)は日本本土空襲を敢行(ドーリットル空襲)。横須賀海軍工廠で空母に改造中の潜水母艦「大鯨」(空母龍鳳)が、爆撃により若干の損傷を受けた[50]第二艦隊司令長官近藤信竹中将は東日本在泊の艦艇(第四戦隊《愛宕高雄摩耶》、空母《祥鳳》、第4駆逐隊《嵐、野分》、第7駆逐隊《潮、曙、漣》、第10駆逐隊《風雲、夕雲、巻雲》、第8駆逐隊《朝潮荒潮》)を中心に『前進部隊本隊』を編制[51][52]。 その他の部隊・艦を指揮して日本本土を出撃した[53][54]。 その後、会敵することなく作戦中止となり、各艦・各隊は母港に帰投した[55][52]

第十戦隊は6月5日のミッドウェー海戦が初陣となった。だが海戦は惨敗、第10駆逐隊は最後まで戦闘力を維持していた第二航空戦隊旗艦「飛龍」(司令官山口多聞少将座乗)の直衛および被弾後の救援活動に従事した。海戦後、6月13日にに帰投した[56]

7月14日、臨時編成の第一航空艦隊が解散して第三艦隊が編成され、引続き南雲忠一中将が司令長官、草鹿龍之介少将が参謀長となった。この間の8月7日、ガダルカナル島にアメリカ軍が上陸してガダルカナル島の戦いが始まった。8月16日、第三艦隊は柱島泊地を出撃してトラック諸島に向かうが、アメリカ機動部隊が出現した事によりソロモン諸島東方海域に急行した[57]。8月24日の第二次ソロモン海戦でも空母の直衛を務めた。10月26日の南太平洋海戦では前衛部隊に配される。南太平洋海戦の後、11月3日に第10駆逐隊は第二水雷戦隊田中頼三少将・海兵41期)、第七戦隊(司令官西村祥治少将・海兵39期)とともに外南洋部隊に加勢された[58]。11月10日のガダルカナル島への鼠輸送では、92名の傷病兵を収容してショートランドに帰投した[59]

第三次ソロモン海戦では外南洋部隊支援隊(重巡《鈴谷摩耶》、軽巡《天龍》、駆逐艦《第10駆逐隊〔夕雲、巻雲、風雲〕、第8駆逐隊〔朝潮〕》)としてショートランド泊地を出撃、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地を砲撃する。第八艦隊主隊(鳥海衣笠五十鈴)と合流して退避中にニュージョージア島南方で米空母エンタープライズ艦載機の攻撃を受けた青葉型重巡2番艦「衣笠」が沈没[60]、2隻(夕雲、巻雲)は衣笠乗組員の救助をおこなった。 間を置かずブナとゴナの戦いに加わる。11月28日、第10駆逐隊司令指揮下の駆逐艦4隻(夕雲、巻雲、風雲、白露)による陸兵輸送作戦を実施するが、29日昼間にB-17の空襲を受けて「白露」が大破、「巻雲」も至近弾で損傷、輸送作戦は中止された。12月までブナ地区への兵員揚陸を行った。12月16日からはウェワク攻略作戦に参加した。

昭和18年の戦い[編集]

1943年(昭和18年)1月18日、第10駆逐隊司令は阿部大佐(後日、軽巡洋艦大淀艦長、空母信濃艦長)から吉村真武大佐[61]に交代(吉村大佐は1月7日まで軽巡龍田艦長)[62]。第10駆逐隊は吉村司令のもとでガダルカナル島からの撤退作戦に参加した(ケ号作戦)。

2月1日の第一次作戦では、「夕雲」はエスペランス岬へ接近する途中で触雷し航行不能となった姉妹艦「巻雲」全乗員を収容した上で、雷撃処分を行った。2月4日の第二次作戦でも輸送隊に加わり、2月7日の第三次作戦ではラッセル諸島からの撤退作戦を行った。作戦終了後はパラオに回航され[63]第四十一師団阿部平輔中将)をウェワクへ輸送する丙三号輸送作戦に従事し[63]、3月にはウェワクとマダンの間にあるハンサへ第二十師団青木重誠中将)の将兵を輸送する輸送船団の護衛を行った[63]。その後はラバウルを経てショートランドへ再進出する。

3月25日附で夕雲駆逐艦長は大迫東中佐[64]に交代する(仙波は4月10日より海軍兵学校副官)[65]。 3月31日から4月1日にかけてコロンバンガラ島への緊急輸送を二度にわたって実施[63]。4月3日、ショートランド泊地で僚艦「風雲」が機雷により小破した[66]。4月10日にはニューブリテン島ツルブへの輸送作戦を行う[67]。 このあと、第十戦隊(軽巡《阿賀野》、駆逐艦《雪風、夕雲、秋雲》)は第一航空戦隊瑞鶴瑞鳳)を護衛して内地へ帰投[68]。夕雲は5月9日に横須賀に帰投した。

整備と訓練の後に北方に向かい、幌筵島に到着した6月13日付で第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将・海兵41期、旗艦阿武隈)に加勢する[69]。7月に行われたキスカ島撤退作戦(ケ号作戦)に、途中反転の第一次作戦、成功した第二次作戦ともに収容駆逐隊として参加。 木村少将指揮下の艦隊は(阿武隈《木村少将旗艦》、木曾島風朝雲薄雲長波秋雲夕雲、風雲、若葉《初霜と衝突し離脱》、初霜《若葉の衝突後は燃料補給部隊護衛》、五月雨)、主隊(多摩)、燃料補給部隊(国後、日本丸)という部隊区分だった[70]。 撤退作戦を終えた後は8月3日付で機動部隊に復帰し、横須賀を経て再び南方へと向かった[71]。 9月20日、「夕雲」は第三水雷戦隊(司令官伊集院松治大佐・海兵43期)の指揮下に入り[72]ニュージョージア島の戦いに加わった。9月21日附で吉村は第10駆逐隊司令の職務を解かれ(10月11日より阿賀野型軽巡洋艦3番艦矢矧艤装員長)[73]天野重隆大佐(8月20日まで第21駆逐隊司令)[74]に交代する[75]。 本艦は間もなくニュージョージア島の戦いにおける、コロンバンガラ島からの撤退作戦「セ号作戦」に参加した[76]

9月28日夜と10月2日夜に二度にわたって行われた作戦では夜襲部隊として敵艦隊の出現に備えたが、何事も無くラバウルに帰投することができた。戦いは間を置かず続けられ、ベララベラ島からの撤退作戦が行われる[77][78]。10月6日未明にラバウルを出撃し、ブーゲンビル島南方海域で欺瞞航路をとった後、ベララベラ島近海に向かった[78]。6日夜、フランク・R・ウォーカー英語版大佐率いる駆逐部隊[79][80]の先制攻撃を受けて第二次ベララベラ海戦が始まった。伊集院(三水戦司令官)は夜襲隊(秋雲《旗艦》、風雲夕雲磯風時雨五月雨)と輸送隊(文月夕凪松風、小型艦艇多数)を率いてアメリカ水雷戦隊と交戦した[81][78]。秋雲《戦隊旗艦》-磯風-風雲-夕雲という四番艦として行動していたが、第42駆逐群の先制攻撃にいち早く応戦し、20時56分に魚雷を発射すると同時に砲撃を開始[82][83]。「夕雲」は第42駆逐群からの集中砲火を一身に浴びて火災が発生した[84]。「秋雲」と「風雲」も1分遅れで砲撃を開始する[82][83]。 だがその第42駆逐群もシャヴァリア (USS Chevalier, DD-451) に魚雷が命中して陣形は乱れ始め、シャヴァリアには後続のオバノン英語版 (USS O'Bannon, DD-450) が追突する[85]。米艦隊旗艦セルフリッジは27駆(時雨、五月雨)と交戦し、艦首に被雷して戦場から避退した[85]

隊列から脱落した「夕雲」に、21時5分米軍の魚雷が命中、21時10分(戦闘概報では20分)に沈没した[83][78]。駆逐艦長大迫東中佐を初めとして夕雲乗員の大半は戦死(241名)[83]。海戦の最中に「風雲」が何名か救助し、アメリカの魚雷艇によって78名が救助された[86][85]。しかし、捕虜となった水兵の一人がアメリカ兵から機関短銃を奪い取って銃撃戦となり、巻き込まれた日本兵8名が死亡している。その他、機関長以下25名は、やはり海戦で沈没したシャヴァリアのものと思しき無人の艦載艇を分捕った[87][88]。やがてアメリカ軍魚雷艇が出現して乗り移るよう指示されたものの猛烈な拒否行動を示したため魚雷艇は逃げ去り、1日半経ってからブーゲンビル島ブインに到着した[87]。一方で、アメリカ軍の魚雷艇は降伏を拒否されたのち夕雲の生存者分の食糧と飲料水を魚雷艇からボートへ分け与えると、反転し去っていったという[89]種子島洋二第一輸送隊隊長(元村雨駆逐艦長)は、死闘の続くソロモン海で「はじめて聞いたすがすがしい話」と述べている[89]第八艦隊司令長官鮫島具重中将(海兵37期)はブインの桟橋に赴いてカッターを出迎え、機関長以下25名の行動を称えた[90][91]

第10駆逐隊は夕雲型2隻(巻雲、夕雲)の喪失により陽炎型「秋雲」と夕雲型「風雲」の2隻編制となったため、10月31日附で朝潮型駆逐艦5番艦「朝雲」を編入した[92]。 駆逐艦「夕雲」は12月1日附で 夕雲型駆逐艦[93]、 第10駆逐隊[94]、 帝国駆逐艦籍[95]のそれぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 仙波繁雄 中佐:1941年7月31日[13] - 1941年10月16日[15]
駆逐艦長
  1. 仙波繁雄 中佐:1941年10月16日[15] - 1943年3月25日[64]
  2. 大迫東 中佐:1943年3月25日[64] - 1943年10月6日 戦死、同日付任海軍大佐[96]

参考文献[編集]

  • 岡本孝太郎 『舞廠造機部の昭和史』 文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎 「16.駆逐艦「夕雲」」『撃沈戦記 海原に果てた日本艦船25隻の航跡』 光人社NF文庫、2013年6月(原著1988年)。ISBN 978-4-7698-2786-3
  • 駆逐艦秋雲会『栄光の駆逐艦 秋雲』駆逐艦秋雲会、1986年
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
  • 須藤幸助 『駆逐艦五月雨』 朝日ソノラマ、1988年1月。ISBN 4-257-17097-2
  • 須藤幸助 『駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱』 光人社NF文庫、2010年1月。ISBN 978-4-7698-2630-9
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第六巻 昭和十八年二月十二日~九月』 中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403396-6
  • 種子島洋二 『ソロモン海「セ」号作戦―コロンバンガラ島奇蹟の撤収』 光人社、2003年9月。ISBN 4-7698-2394-0
  • 雑誌『』編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 「丸」編集部 『駆逐艦戦記 駆逐艦「神風」電探戦記』 光人社、2011年7月。ISBN 978-4-7698-2696-5
    • ソロモン海の死線を越えた二十七人の奇蹟の敵中漂流秘録及川幸介『地獄の海に記された「夕雲」奇蹟の生還記』
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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    • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030106000
    • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030106100
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    • 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年4月(4)』。Ref.C12070162400。
    • 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。Ref.C12070162800。
    • 『昭和18年9月~10月内令4巻/昭和18年10月(5)』。Ref.C12070181500。
    • 『昭和18年11月~12月内令5巻/昭和18年12月(1)』。Ref.C12070182600。
    • 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日ミッドウエー海戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030040400。
    • 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(1)』。Ref.C08030023800。
    • 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(2)』。Ref.C08030023900。
    • 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(3)』。Ref.C08030024000。
    • 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(4)』。Ref.C08030024100。

脚注[編集]

  1. ^ #S1612横鎮日誌(1)p.2『五日一〇三〇夕雲驅逐艦長(宛略)夕雲機密第一二番電 驅逐艦夕雲ヲ受領セリ』
  2. ^ a b c d #舞廠造機部186頁『さらに性能を向上した駆逐艦―夕雲型(甲型)』
  3. ^ a b #達昭和16年2月(1)pp.3-4『達第二十四號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等駆逐艦二隻、一等潜水艦一隻、駆潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等駆逐艦 舞風(マヒカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等駆逐艦 夕雲(ユフグモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十一潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第十七號駆潜艇|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 運送艦 伊良湖(イラコ)』
  4. ^ #艦艇類別等級表(昭和17年12月31日)p.4『驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、早波、濱波』
  5. ^ a b c #内令昭和17年5月(2)p.22『(艦名)夕雲|(艦種)一等駆逐艦|長(米)112.21|幅(米)10.77|喫水(米)3.20|排水量(噸)(基準)2,040|速力(節)34.0|(短艇數)5|(製造所)舞鶴工廠|起工年月日15-6-12|進水年月日16-3-16|竣工年月日16-12-5|大砲 12.7c/m…6|發射管8|探探燈1|機械 種類タルビン 數2|罐(電動機)艦本式3|推進器數2|馬力43,000』
  6. ^ #内令昭和16年2月p.18『内令第百三十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十六年二月五日海軍大臣及川古志郎|駆逐艦、一等陽炎型ノ項中「萩風」ノ下ニ「、舞風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||夕雲型|夕雲|| 潜水艦、一等伊九型ノ項中「伊號第十」ノ下ニ「、伊號第十一」ヲ加フ|駆潜艇第十三號型ノ項中「第十六號」ノ下ニ「、第十七號」ヲ加フ』
  7. ^ #内令昭和16年3月(1)p.44『内令第二百二十號 驅逐艦 夕雲 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十六年三月十六日 海軍大臣 及川古志郎』
  8. ^ #達昭和15年4月(1)pp.2-3『達第七十二號 舊驅逐艦ヲ特務艦籍ニ編入シ左ノ通命名ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 吉田善吾|第一號哨戒艇(舊驅逐艦島風) 第二號哨戒艇(舊驅逐艦灘風) 第三十一號哨戒艇(舊驅逐艦菊) 第三十二號哨戒艇(舊驅逐艦葵) 第三十三號哨戒艇(舊驅逐艦萩) 第三十四號哨戒艇(舊驅逐艦薄) 第三十五號哨戒艇(舊驅逐艦鳶) 第三十六號哨戒艇(舊驅逐艦藤) 第三十七號哨戒艇(舊驅逐艦菱) 第三十八號哨戒艇(舊驅逐艦蓼) 第三十九號哨戒艇(舊驅逐艦蓬) 第四十六號哨戒艇(舊驅逐艦夕顔)』
  9. ^ 昭和16年3月17日(月)海軍公報(部内限)第3748号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C12070393800 『○艦船所在○三月十七日午前十時』
  10. ^ 昭和13年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第273号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  11. ^ 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  12. ^ 昭和16年4月15日(発令4月15日付)海軍辞令公報(部内限)第620号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080800 
  13. ^ a b 昭和16年7月31日(発令7月31日付)海軍辞令公報(部内限)第681号 p.50』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  14. ^ 昭和16年8月9日(土)海軍公報(部内限)第3867号 p.9』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396600 『○事務所設置(略)驅逐艦夕雲艤装員事務所ヲ八月五日舞鶴海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
  15. ^ a b c 昭和16年10月20日(発令10月16日付)海軍辞令公報(部内限)第732号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 
  16. ^ #S1612舞鎮日誌(1)p.10『(2)新造艦船工事 夕雲ハ十二月五日竣工引渡ヲ了シ又巻波ハ十二月二十七日豫定通進水セリ』
  17. ^ #S1612横鎮日誌(4)p.33『五日(天候略)二.舞鶴海軍工廠ニテ艤装中ノ驅逐艦夕雲竣工受領』
  18. ^ #秋月型(潮2015)220頁『夕雲(ゆうぐも)』
  19. ^ #内令昭和16年12月(1)p.35『内令第千五百九十七號 横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 夕雲 右警備驅逐艦ト定メラル 昭和十六年十二月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  20. ^ #S1612横鎮日誌(1)p.2『五日一九五〇海軍大臣(宛略)官房機密第九二九番電 五日附夕雲ヲ警備驅逐艦ト定メラル』
  21. ^ #S1612舞鎮日誌(1)p.59『五(天候略)工廠工事 驅逐艦夕雲新造工事完成竣工式引渡ヲ終了ス(略)其ノ他 夕雲竣工翌六日出港セリ』
  22. ^ #S1612横鎮日誌(5)p.1『十四日(天候略)二.夕雲ヲ海面防備隊ニ編入』
  23. ^ #S1701横鎮日誌(2)pp.4-5『六日〇四五〇海面防備部隊指揮官(宛略)一.特設砲艦平壌丸三原山ノ一二六度五二浬(概位)ニ於テ潜水艦ノ不發魚雷ヲ受ケタルモノノ如ク船倉ニ浸水セリ/二.夕雲澤風猿島(夕雲艦長指揮)ハ基點(三原山)ノ九〇度一二浬)ヨリ九〇度六〇浬ヲ一邊トスル正方形(南ノ方ニトル)海面ヲ急遽掃蕩スベシ(以下略)』
  24. ^ #S1701横鎮日誌(2)pp.17-19『(イ)部下艦船部隊(特設ヲ含ム)ノ行動』
  25. ^ #S1702横鎮日誌(2)pp.42-44『(イ)部下艦船部隊(特設ヲ含ム)ノ行動』
  26. ^ #S1702横鎮日誌(4)pp.20-21『二十一(天候略)(略)三.夕雲一四三〇勝浦燈臺ノ五〇度二〇浬ニ於テソ聯商船(モロトフ一三〇〇噸)ヲ臨検セルモ不審ノ點ナキヲ以テ釈放ス』
  27. ^ #S1703横鎮日誌(2)p.14『七日一九〇〇夕雲艦長(宛略))夕雲機密第八三番電 機械室蒸氣管鋲締部兩舷共漏洩ニ付分解修理中急速發航ニ差支アリ 三月十四日修理完成ノ豫定』
  28. ^ #S1703横鎮(3)p.1『十四日〇六〇〇夕雲艦長(宛略)機關修理完成作戰地ニ向ケ横須賀發』
  29. ^ #S1703横鎮(3)p.2『十四日一一〇〇巻雲艦長(宛略)巻雲機密第一番電 巻雲ノ引渡ヲ受ク 一〇三〇』
  30. ^ #秋月型(潮2015)220-221頁『巻雲(まきぐも)』
  31. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.20-21『内令第四百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年三月十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎 第九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第十驅逐隊|夕雲、巻雲|』
  32. ^ #S1703横鎮(3)p.10『十四日一〇三〇大臣(宛略)官房機密第四六一番電 十四附驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 第九驅逐隊ノ次ニ「第十驅逐隊夕雲、巻雲」ヲ加フ』
  33. ^ 昭和17年3月16日(発令3月14日付)海軍辞令公報(部内限)第828号 p.12』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084600 
  34. ^ a b #S1703横鎮日誌(1)pp.17-18『(1)艦船關係 起工、進水、竣工』
  35. ^ #S1703横鎮日誌(3)pp.18-19『十五日一六〇〇警戒部隊指揮官|十六日一〇一五警戒部隊(二戰隊二小隊)摩耶高雄二十一驅二十七驅(二小隊)加賀(横鎮長官)|(略)三.各隊ハ左ニ依リ行動セヨ(イ)主隊(二戰隊二小隊 高雄 摩耶 二十一驅 二十七驅二小隊 夕雲 澤風缺)航空部隊(翔鶴缺)ハ伊勢湾ニ回航十六日一七〇〇入泊/(ロ)高雄摩耶二十七驅二小隊加賀ハ横須賀ニ於テ待機スベシ/(ハ)二十一驅(初春缺)卯月ハ伊勢湾ニ回航初春ハ佐世保ニ回航修理ニ任ズベシ/(ニ)夕雲ハ先行主隊入港伊勢湾外(概ネ神島ノ五〇浬内)ノ對潜掃蕩ヲ實施スベシ/(ホ)澤風ハ厳島丸ノ護衛ニ任ジタル上豫定ノ如ク伊勢湾ニ回航スベシ/(ヘ)第二戰隊第二小隊ハ桂島ニ於テ待機スベシ』
  36. ^ #S1703横鎮日(3)pp.31-32『十七日二〇〇〇警戒部隊指揮官|十八日一〇二〇聯合艦隊長官 軍令部總長(横鎮長官)|警戒部隊戰闘概報(第一號) 一.警戒部隊(第二戰隊一D、第九戰隊三航戰、二十七驅逐隊地D矢風)ハ三月十二日桂島泊地出撃十三日一二〇〇澤風ヲ十四日一三〇〇五航戰ヲ合同シ十五日未明地點ワマユ一二ニ進出セルモ敵情ヲ得ズ 聯合艦隊電令第九八號ニ依リ十六日一七四〇伊勢灣ニ入泊十五日一四二〇、五航戰ヲ警戒部隊ヨリ除ク(中略)三.澤風ハ十四日一七〇〇解列シ父島ニテ厳島丸ヨリ補給ノ上爾後同船ノ護衛ニ任ジタル後十七日一三一五父島發伊勢灣ニ回航中 夕雲ハ十七日伊勢灣ニ合同ス』
  37. ^ #S1703横鎮日誌(4)p.41-43『(イ)部下艦船(特設ヲ含ム)ノ行動』
  38. ^ #S1703横鎮日誌(5)pp.45-46『二〇(天候略)(略)五.夕雲一〇〇〇澤風一八三〇横須賀入港』
  39. ^ #S1703横鎮(5)p.51『二二日(天候略)(略)一.夕雲ハ湊沖、澤風ハ館山ニ進出待機ス(略)一.伊二六潜、夕雲出港』
  40. ^ #S1703横鎮日(4)p.22『二十八日一〇三〇風雲艤装員長(宛略)風雲機密第一番電 驅逐艦風雲受領セリ』
  41. ^ #内令昭和17年3月(4)p.42『内令第五百二十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年三月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「巻雲」ノ下ニ「、風雲」ヲ加フ|』
  42. ^ #秋月型(潮2015)221頁『風雲(かざぐも)』
  43. ^ #S1703横鎮日誌(4)p.31『三十日一〇〇〇風雲艦長(宛略)風雲機密第二番電 第一〇驅逐隊司令着任迄風雲驅逐艦長職務ヲ代理ス』
  44. ^ 昭和17年4月10日(発令4月10日付)海軍辞令公報(部内限)第841号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 
  45. ^ 昭和17年5月1日(金)海軍公報(部内限)第4079号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070411900 『○司令驅逐艦指定 第十驅逐隊司令ハ四月十三日司令驅逐艦ヲ風雲ニ指定セリ』
  46. ^ #内令昭和17年4月(4)p.3『内令第六百五十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「夕雲」ノ上ニ「秋雲、」ヲ加フ』
  47. ^ 昭和17年4月15日(水)海軍公報(部内限)第4068号 p.28』 アジア歴史資料センター Ref.C12070419900 『○旗艦指定 第十戰隊司令官ハ四月十三日旗艦ヲ長良ニ指定セリ/第一海上護衛隊司令官ハ四月十一日旗艦ヲ浮島丸ニ指定セリ』
  48. ^ #ミッドウエー海戦戦闘詳報(1)p.8『第十戦隊戦時日誌(一)艦隊区分』
  49. ^ #ミッドウエー海戦戦闘詳報(1)p.9『(二)軍隊区分(イ)五月二十日附機動部隊兵力部署』
  50. ^ #S1704横鎮日誌(6)p.34『一八(天候略)一.敵空襲ノ戰果 第四船渠入渠中ノ大鯨舷側ニ爆弾落下小火災兵員五名中程度ノ火傷工廠機械工場附近ニ爆弾及焼夷弾落下セシモ直ニ消火被害僅少工員重傷一軽傷一/二.出港 愛宕高雄祥鳳朝潮荒潮夕雲巻雲風雲嵐野分山雲七驅』
  51. ^ #S1704横鎮日誌(3)p.19『十八日一五〇〇第二艦隊長官(宛略)一.前進部隊(愛宕高雄四驅(二小隊缺)十驅、八驅ノ二艦)本十八日一八〇〇東京出撃シ取敢ズ四月十九日〇五〇〇地點ハフモ〇〇ニ達スル如ク行動ス/二.右部隊ニ摩耶及祥鳳ヲ加フ 前進部隊本隊トス』
  52. ^ a b #S1704横鎮日誌(4)p.33『二十三日〇八〇〇 二艦隊長官|二十三日一八〇五聯合艦隊長官 軍令部總長(横鎮長官)|一.十八日一三〇〇頃敵「ノースアメリカン」型一機横須賀ニ來襲横鎮下各砲台及在泊艦船ト共ニ之ヲ撃攘セリ/二.十八日一八〇〇 四戰隊(摩耶鳥海缺)四驅(2D缺)十驅逐隊(秋雲缺)七驅逐隊、朝潮荒潮ヲ率ヰ東京灣出撃灣外ニテ摩耶ヲ併セ十九日早朝敵ノ進攻地點ヲ推定索敵ニ努メタルモ敵情ヲ得ズ/三.に十日想チュ敵ノ補給或ハ再度空襲準備地點ヲ水底索敵ヲ行ヒタルモ又敵情ニ關シ得ル所ナシ/四.二十日午後ハ五戰隊(那智缺)祥鳳及二水戰(驅逐隊缺)ヲ加ヘ且北方部隊、警戒部隊、二十六航戰、二十一航戰、三潜戰等ヲモ統一指揮シ北寄リニ索敵ヲ續行セルモ適確ナル敵情ヲ得ズ既ニ東方ニ遁走セルモノト判断シアリシ所遇々本行動ノ任務ヲ解カレ原部署ニ復舊スルコトトナレリ/五.二十二日一一三〇須美壽島南方ヲ西航中ノ ソ聯船調査ノ爲摩耶及巻雲ヲ分派セル外敵ニ遭遇セズ直率部隊ハ同夜東京灣ニ歸投シ本行動ニ於ケル前進部隊内臨時部署ヲ解ケル』
  53. ^ #S1704横鎮日誌(3)pp.23-24『十八日一六四〇第二艦隊長官(宛略)前進部隊電令第二號 一.前進部隊本隊ハ聯合艦隊機密第八〇一番電ニ基キ東京灣東方海面ニ出現ノ敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス/二.前進部隊本隊(摩耶祥鳳缺)ハ一七〇〇東京灣ヲ出撃東方ニ進出ス/三.摩耶ハ別電ノ如ク本隊ニ合同スベシ/四.祥鳳ハ準備出來次第横須賀出撃本隊ニ合同スル如ク行動スベシ 朝雲山雲ハ祥鳳ノ出撃時祥鳳艦長ノ協議ニ應ジ野島埼附近迄同艦ノ警戒ニ任ズベシ/五.爾餘ノ前進部隊各隊艦ハ所定ノ如ク行動スベシ』
  54. ^ #祥鳳日誌(5)p.7『18日1605前進部隊指揮官(略)前進部隊本日ノ出撃要領左ノ通定ム 一.愛宕出港時刻1700/二.出撃順序(イ)一〇駆七駆八駆四戦隊ノ順序(以下略)』
  55. ^ #S1704横鎮日誌(4)p.16『二十日二一五〇 二艦隊長官(宛略)前進部隊電令作第一七號 一.聯合艦隊電令作第一二五號ニ基キ第二段作戰第一旗兵力部署ニ於ケル前進部隊以外ノ隊艦ハ左ノ當該隊艦各指揮官所定ニ依リ行動スベシ/二.第五戰隊(那智缺)高雄摩耶祥鳳 第十驅逐隊(秋雲缺) 第七驅逐隊 朝潮荒潮ハ横須賀入港迄本職其ノ行動ヲ區處ス/三.二水戰(驅逐隊缺)ハ桂島ニ回航訓練ニ從事スベシ』
  56. ^ 木俣『日本水雷戦史』148ページ
  57. ^ 『第十一戦隊戦時日誌』C08030051400, pp.21
  58. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.10
  59. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15
  60. ^ 『第七戦隊戦時日誌』pp.8,9,13
  61. ^ 昭和18年1月18日(発令1月18日付)海軍辞令公報(部内限)第1036号 pp.9-10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089400 
  62. ^ 昭和18年1月9日(発令1月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1027号 pp.20-21』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089000 
  63. ^ a b c d 『栄光の駆逐艦 秋雲』40ページ
  64. ^ a b c 昭和18年3月26日(発令3月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1081号 p.46』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090100 
  65. ^ 昭和18年4月10日(発令4月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1090号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090500 
  66. ^ #高松宮日記6巻160頁
  67. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』41ページ
  68. ^ #高松宮日記6巻223頁『○第三艦隊参謀長(一-一九三四)第一航空戦隊(「翔鶴」欠)、「阿賀野」「夕雲」「秋雲」「雪風」、五-八頃各所属軍港着。「翔鶴」」十八日、其他約二週間ノ予定ニテ整備ニ従事セシメラル』
  69. ^ 『第一水雷戦隊戦時日誌』C08030084400, pp.8
  70. ^ #五月雨出撃す223,226頁『キスカ島撤退作戦』
  71. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』47ページ
  72. ^ 『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030106000, pp.43
  73. ^ 昭和18年10月13日(発令10月11日付)海軍辞令公報(部内限)第1237号 p.17』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  74. ^ 昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 
  75. ^ 昭和18年9月22日(発令9月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1221号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093100 
  76. ^ #撃沈戦記(2013)209-210頁『戦場はソロモン』
  77. ^ #神風電探戦記167頁
  78. ^ a b c d #S1806二水戦日誌(4)pp.31-35『七日二三一一(指揮官)SYB|八日一四〇〇南東方面部隊|SYB機密第〇七二三一一番電 SYB戰闘概報第三號十月六日(ベララベラ島轉進作戰)』
  79. ^ 木俣『日本水雷戦史』365ページ
  80. ^ #撃沈戦記(2013)214-215頁『"東京急行"を阻止せよ』
  81. ^ #撃沈戦記(2013)211-212頁『「秋雲」旗艦となる』
  82. ^ a b 『栄光の駆逐艦 秋雲』50ページ
  83. ^ a b c d #撃沈戦記(2013)216-218頁『開戦』
  84. ^ #五月雨出撃す241頁
  85. ^ a b c #撃沈戦記(2013)218-220頁『ソロモン最後の勝利』
  86. ^ 木俣『日本水雷戦史』367ページ
  87. ^ a b 『栄光の駆逐艦 秋雲』50ページ、木俣『日本水雷戦史』369ページ
  88. ^ #神風電探戦記192-198頁『転がりこんだ機動艇』
  89. ^ a b #ソロモン海セ号作戦223-224頁
  90. ^ 木俣『日本水雷戦史』369ページ
  91. ^ #神風電探戦記222-223頁
  92. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ』
  93. ^ #内令昭和18年12月(1)p.1『内令第二千五百五十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「夕雲、」ヲ削ル(以下略)』
  94. ^ #内令昭和18年12月(1)p.2『内令第二千五百五十六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十二月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「夕雲、」ヲ削ル』
  95. ^ #内令昭和18年12月(1)p.7『内令第二千五百六十號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 夕雲 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)|昭和十八年十二月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「夕雲、」ヲ削ル』
  96. ^ 昭和19年8月12日(発令昭和18年10月6日付)海軍辞令公報(甲)第1561号 p.27』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100500 

関連項目[編集]