第十一航空艦隊 (日本海軍)
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第十一航空艦隊は、大日本帝国海軍の部隊。
歴史[編集]
1941年1月15日、連合艦隊に付属していた第一、第二、第四連合航空隊がおのおのその数字の上に「二十」が加えられ航空戦隊と改称され、これらを統合して第十一航空艦隊が新編された[1]。 この艦隊の新編は基地航空部隊の戦略的用法に道を開いたものである。基地航空部隊を統一指揮することにより、その移動力と長大な攻撃距離を利用し、適時所要方面に大兵力を集中できるばかりでなく、広正面の統制ある飛行哨戒を実施できるなどの利点があり、また艦隊の編成により、管理、教育訓練、補給などの能率、航空艦隊の独立による基地航空部隊の士気高揚の効果もあった[2]。
12月から開始した太平洋戦争ではフィリピン・マレー・ジャワに進出し南方作戦の航空作戦に参加。ガダルカナル戦が始まると、テニアン島にあった司令部はラバウルに移動し南東方面航空作戦に参加。
1942年12月、南東方面艦隊が編成されるとその隷下に入る(南東方面艦隊司令部要員は第十一航空艦隊司令部要員が兼任)。航空部隊がトラック島に撤退し、本土とラバウルの補給が途絶えた後は自給自足の生活で終戦まで部隊を維持した。
編制[編集]
- 1941年1月15日[4]
- 第21航空戦隊:高雄海軍航空隊・鹿屋海軍航空隊・東港海軍航空隊・葛城丸・小牧丸
- 第22航空戦隊:美幌海軍航空隊・元山海軍航空隊・富士川丸
- 第24航空戦隊:千歳海軍航空隊・横浜海軍航空隊・神威・五洲丸
- 附属:峯風・沖風
- 1941年4月10日[5]
- 第21航空戦隊:鹿屋海軍航空隊・東港海軍航空隊・第一航空隊・葛城丸
- 第22航空戦隊:美幌海軍航空隊・元山海軍航空隊・富士川丸
- 第23航空戦隊:高雄海軍航空隊・第三航空隊・小牧丸
- 第24航空戦隊:千歳海軍航空隊・横浜海軍航空隊・神威・五洲丸
- 附属:峯風・沖風
- 1941年12月10日
- 第21航空戦隊:鹿屋海軍航空隊・東港海軍航空隊・第1航空隊・葛城丸
- 第22航空戦隊:美幌海軍航空隊・元山海軍航空隊・富士川丸
- 第23航空戦隊:高雄海軍航空隊・台南海軍航空隊・第3航空隊・小牧丸
- 附属:りおん丸・慶洋丸・加茂川丸
- 1942年7月14日
- 第22航空戦隊:美幌海軍航空隊・元山海軍航空隊・富士川丸
- 第24航空戦隊:千歳海軍航空隊・神威、第1航空隊・第14航空隊・五州丸
- 第25航空戦隊:横浜海軍航空隊・台南海軍航空隊・秋津洲、第四航空隊・最上川丸
- 第26航空戦隊:三沢海軍航空隊・木更津海軍航空隊・第6航空隊
- 附属:りおん丸・慶洋丸・名古屋丸
- 第34駆逐隊:羽風・秋風・太刀風
- 1944年4月1日
- 1944年8月15日
- 附属:第958海軍航空隊・第105航空基地隊・第18・20・26・28・32・34・211・212設営隊
- 1945年6月1日
- 附属:第958海軍航空隊・第105航空基地隊・第18・28・211・212設営隊
要職[編集]
- 司令長官
- 参謀長
- 大西瀧治郎少将:1941年1月15日 - 1942年2月10日
- 酒巻宗孝少将:1942年2月10日 - 1942年12月24日
- 中原義正少将:1942年12月24日 - 1943年11月29日
- 草鹿龍之介少将:1943年11月29日 - 1944年4月6日
- 富岡定俊少将:1944年4月6日 - 1944年11月7日
- 入船直三郎少将:1944年11月7日 -
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 「開戦時帝国海軍戦時編成-外戦部隊編成表」(防衛省蔵)
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