防弾

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弾丸を食い止めた防弾ガラス

防弾(ぼうだん)とは、ある物が、銃弾を食い止められること。

単純に、硬い材料で厚い壁を作ることでも防弾性は得られ、軍事目的や、犯罪抑止効果を見込む場合は、そのような防弾がなされることもある。例えば、足利義晴天文19年(1550年)2月に築城した中尾城は、鉄砲玉を防ぐ為に礫(こいし)を入れた白壁が塗られ[1]、防弾の意識が鉄砲伝来時期から城壁に備えられていたことがわかる。しかし、外見では防弾であることがわかってほしくない場合や、軽さややわらかさ、透明性などが要求される場合には、特殊な材料が用いられる。

防弾を意識した鉄盾(防弾盾)の使用は、日本の場合、戦国期より始まり、和本『伊賀路濃知辺(いがじのしるべ)』の記述によれば、天正12年(1584年)、徳川家康が伊賀忍者に尾張の蟹江城攻めで忍び込むよう命じた際、石垣で上から射殺される者が続出したため、「鉄之盾三十枚」を与えたと記されており、攻城戦で用いられた(後述の「実験結果」からも3mm厚あれば防弾できた[2])。

防弾の例[編集]

  • 防弾ガラス - ガラスをポリカーボネイトなどのプラスチックとの積層構造にする。ポリカーボネイトのみからなる、一見ガラスに見える防弾素材もある。
  • 防弾チョッキ - ケブラーなどの特殊繊維を織り込む。セラミックスなどの硬板を使ったものもある。
  • 防弾壁 - ケブラーなどからなる補強材を貼り付けるか埋め込む[3][4]
  • 防弾車 - 大量の金属材を使い一目で防弾とわかるようにつくられたもの(装甲車)や、一見通常車両に見えるものがある。
  • 土嚢 - 市街戦等、即席で積み上げ、陣地作りにも繋がるもので、土で盛るという意味では「土塁」の部類であって防弾壁ではない[5]。同様に「石塁」も十分防弾に繋がる(元寇後に築かれた石塁の厚さは1 - 2mあり、後世の銃器も防ぐことが可)。少例として、日ロ戦争時、友軍の遺体を重ねて利用した「人塁」がある[6]。特に極寒地で土が掘れない状況下では凍りついた遺体が土塁の代わりとなる(極限時では他の人体も防弾となりうる)。
  • 竹束 - 遺体を重ねた人塁と同様、有機素材を用いた防弾盾(ただし、戦場遺体は甲冑着用者も含む)。人体に比べ、腐敗による劣化は低いが、火攻に弱い。

実験結果[編集]

  • 国立歴史民俗博物館の2006年企画展示「歴史の中の鉄砲伝来 -種子島から戊辰戦争まで-」を開くにあたって行われた実験によれば、十匁玉で10gを使用した場合、これを防ぐには3mm厚の鉄板か、9cm厚のヒノキ板が必要という結果が出ている[7][8](この実験結果に従った場合、火縄銃に対し、鉄板はヒノキ板の30倍の防弾性があることになる)。
  • フジテレビ系列の番組『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』が行なった実験(「トリビアの種」№078)では、45口径スミス&ウェッソンpc945(軍用銃)を5メートルの距離から撃ち、ティシューペーパーを何枚重ねたら防げるかを検証した結果、200枚目で威力が衰え、2354枚で貫通を防ぐことに成功している。
  • ディスカバリーHVチャンネル『怪しい伝説:潜水兵の水中爆発防御法』内の実験結果では、30Kgの鉄札製鎧と15Kgの紙札(束を重ね、鋲=リベットで留めたもの)製鎧[9]に向かって、19世紀頃に使用されたフリント・ロック式の拳銃が撃たれたが、いずれも防弾には成功している[10]。鉄も紙も防弾性は同等であるが、番組内では、耐弾性では紙札は鉄札に及ばないとまとめている。
  • 徳川家康が造らせた南蛮胴は実験(同じものを製作して行われた)で火縄銃の弾をはじくことが確認されている(NHK『その時歴史が動いた』より)。日本の胴具と違い、弾丸を受け流すように流線的形状となっている[11]
  • 鉄砲戦を想定して築かれた松本城の場合、1、2階部分を構成する土壁の厚さが約30cmあり、火縄による鉄砲玉を防ぐ厚さとなっており、防弾性が城壁に備えられていた。従って、土塁であれば、厚さ30cm以上が防弾の目安といえる。
  • ディスカバリーHVチャンネル『ノルマンディー上陸作戦のすべて』の番組内解説と実験映像では、水面から銃弾が入って、威力が弱まるまでの距離は90cm以上としており、それ未満(水面着弾から兵士までの距離が90cm以下)では防弾に繋がらないとしている。

備考[編集]

  • 信憑性は別として、『遠野物語』で語られる猿の経立が、毛皮に松脂を塗り、その上に砂をつけ、鎧のように硬くして、鉄砲の弾も通らなかったという防弾伝承が記述されている。
  • TBS系列の番組『夢の扉』の実験では、ポリカーボネイトでも盾程度の厚さの場合、防弾できないことが判っている。ただし、防弾チョッキにも用いられるフィブラシートを専用の接着剤で張り付ければ、多少、防弾性は向上すると考えられる[12]
  • 自然防弾として、水中に深く潜る行為がある(角度によっては「水面跳弾」を起こす為)。
  • 日本の具足は角度と部分によっては3mm厚を超えており[13]、前述の「実験結果」に従った場合、部分的には防弾性を有している。ただし、小札製の鎧は鉄板一枚から成る具足と異なり、その量とヒモで結ぶ製法上、生産に時間を要し、その為、本来なら防御性が高いにもかかわらず、戦国期では当世具足=一枚の鉄板厚にとって代わられている。
  • 伊達正宗の甲冑である「黒漆五枚胴具足」の胴部の厚さは4mm厚であり、現代の22口径の銃弾にも耐えられるとされる[14]事からも、南蛮胴ではない国産の具足でも防弾は意識されていた事がわかる。

脚注[編集]

  1. ^ 参考・今谷明著 『戦国の世 日本の歴史[5]』 岩波ジュニア新書 2000年 p.103
  2. ^ 後世、弾の形状が突き出た流線型となった第一次世界大戦前後においてもドイツ軍野砲の防楯の厚さは3mm厚であるが、銃器の性能が高まり、貫通力が増すにつれて、厚さも増している(防楯 (日本軍)も参照。倍の厚さとなっている)。
  3. ^ 前述のように、防弾を意識して壁を補強するといった行為自体は戦国期から見られる(実際、実験が行われて防げたのか、どの程度、防弾効果があったのかは不明)。
  4. ^ 例として、フィブラシート(ケブラー同様アラミド繊維、特殊な編み方をし、防弾チョッキにも用いられる)を張り付ける。フィブラシートは鉄の7倍もの引っ張り強度を有し、大型トラックで引っ張っても千切れないが、ハサミで容易に切れる扱いやすさも兼ね備えている。2011年11月25日(金曜)、テレビ東京放送の『所さんのそこんトコロ』の番組内実験では、専用の接着剤で壁にフィブラシートを張り付け、重さ1トンの鉄球を時速20km/hでぶつけ、20トンの衝撃を与えたが、破れなかった。このフィブラシートであれば、鉄より軽く防弾性を高める事が可能。
  5. ^ 土塁は防弾だけを目的とせず、人を含んだ多目的遮蔽物である。
  6. ^ 人塁は、一種の有機性の複合素材といえ、皮・肉・骨からなる(場合によって防具を含む)。難点としては、土や石と異なり、環境によって腐敗=強度の劣化が進む事があげられる。
  7. ^ 『多聞院日記』に「鉄砲も通さぬ用意」があると記述される鉄甲船の鉄板外装厚も3mmとされ(鉄甲船を参照)、「鉄板では、3mm厚が防弾性の最低限の目安」といえる厚さである。
  8. ^ 木製の門は最低でも9cm厚なければ、防弾できないということになる。例として、高知城追手門は厚さ15cmのケヤキでできており、城門にも防弾意識があることがわかる。
  9. ^ 当番組で製作された紙札製鎧は重量だけなら日本戦国期に着用された当世具足(10kg前後)より重い。
  10. ^ 日本の「試し胴」で当世具足の胴が撃ち抜かれる実験結果があるが(火縄銃を参照)、当世具足の場合、鉄板一枚から成り、鉄札(さね)のように重ねられているわけではない(そもそも当世具足は軽さに重きが置かれている)。鉄札の厚さが一枚1.5mmとしても縅(おど)したものは計3mm厚であり、中世日本の鎧では小筒も防げないとする見解は、これらの実験結果からも妥当ではない。鉄札で縅した=重ねた胴なら防弾は可能である。
  11. ^ 日本の胴具の場合、弓弦を耳の後ろまで引く都合上、中心部が突き出た流線的形状だと弦が引っかかってしまう為、丸みをおびているものの、弾丸を受け流すほどの角度には至らなかった。
  12. ^ テレビ東京が行った実験結果(1トンの鉄球をぶつけ、20トンの衝撃を与えても破れない)、そして「3mm厚の鉄板が防弾の最低限の目安」であることを考慮すれば、フィブラシート=鉄の7倍の引っ張り強度の有無は大きい。
  13. ^ 腿部は「草摺」と「佩盾」(共に小札で2枚重ね、部分的には計4枚重ねとなる)に守られ、上腕部も腕を下げた状態なら「袖(小札2枚重ね)」と「鎧直垂上腕部に張りつけられた鉄片」、つまり部分的には3枚分の厚さとなり、いずれも3mm厚は超える。
  14. ^ NHKBSプレミアム 『BS歴史館 華麗なる独眼竜・伊達正宗』番組内において、甲冑師が防弾性を解説している。