国立歴史民俗博物館

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg 国立歴史民俗博物館
National Museum of Japanese History
National Museum of Japanese History 2008.jpg
国立歴史民俗博物館の位置(千葉県内)
国立歴史民俗博物館
国立歴史民俗博物館の位置
施設情報
愛称 歴博、れきはく
専門分野 日本文化歴史、民俗
管理運営 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
開館 1981年
所在地 285-8502
千葉県佐倉市城内町117
位置 北緯35度43分28.19秒 東経140度13分8.69秒 / 北緯35.7244972度 東経140.2190806度 / 35.7244972; 140.2190806
ウェブサイト 国立歴史民俗博物館
プロジェクト:GLAM

国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん)は、千葉県佐倉市城内町にある、大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営する博物館。日本考古学歴史、民俗について総合的に研究・展示する博物館である。通称、歴博(れきはく)。佐倉城趾の一角にある。

法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項並びに第5条である。

設立の経緯[編集]

日本には明治時代から東京京都奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館(のちの国立博物館)が存在したが、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見は早くからあり、歴史学者の黒板勝美はすでに昭和戦前に国立歴史博物館の必要性を訴えていた。しかし、国立の歴史系博物館の設置構想が具体化するのは第二次世界大戦後のことであった。1966年、日本政府は「明治百年」記念事業の一環として歴史博物館の設置を決定し、以後、学識経験者らによって建設地、展示内容などが検討されはじめた。1971年には文化庁内に博物館設置のための基本構想委員会が置かれ、1978年には同じく文化庁内に国立歴史民俗博物館設立準備室が設置されて、ようやく開館へ向けての準備が本格化した。同準備室の室長は歴史学者東京大学名誉教授の井上光貞であった。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とすること、博物館は大学共同利用機関とし、調査研究機能を充実することといった歴博の基本コンセプトは、井上の発想によるところが大きい。[1]

国の機関としての国立歴史民俗博物館は1981年に発足し、井上光貞が初代館長となった。ただし、博物館としての一般公開が始まるのは2年後の1983年3月のことである。初代館長であり、歴博の設置準備において終始指導的立場にあった井上は一般公開開始直前の1983年2月に急死し、東京大学文学部教授の土田直鎮(なおしげ)が2代館長となった(土田も館長着任期間中の1993年1月に急死した)。

歴代館長[編集]

  1. 井上光貞 (1981年4月 - 1983年3月)
  2. 土田直鎮 (1983年4月 - 1993年1月)
  3. 石井進 (1993年3月 - 1997年9月)
  4. 佐原真 (1997年9月 - 2001年8月)
  5. 宮地正人 (2001年9月 - 2005年8月)
  6. 平川南 (2006年4月 - 2014年3月)
  7. 久留島浩 (2014年4月 - )

組織と理念[編集]

歴博は開館当初から国立大学共同利用機関として位置付けられた。歴史資料の展示公開を行うことが歴博の重要な業務であることは言うまでもないが、歴博は展示施設であるとともに考古学歴史学民俗学の研究機関であり、他の研究機関や大学と共同で研究を推進し、調査研究の基盤のもとに展示を行うことが重視された。

歴博は組織上も研究を重視し、開館当初は情報資料研究部、歴史研究部、考古研究部、民俗研究部が置かれた。このうち情報資料研究部は展示資料の材質、技法、保存修復、博物館運営におけるコンピュータの活用、展示手法の研究などを行う部門であり、歴史研究部、考古研究部、民俗研究部の役割は読んで字のごとくである。各研究部はそれぞれ4から6の部門に分かれ、それぞれの部門に教授助教授助手(現在は、教授、准教授助教)が配置された。2004年に歴博が大学共同利用機関法人人間文化研究機構の所管になるとともに、研究組織の改組が行われ、「研究部」のもとに情報資料研究系、歴史研究系、考古研究系、民俗研究系が置かれることとなった。

建築[編集]

展示[編集]

歴博の展示は概論的なものになることを避け、各時代ごとにその時代を象徴するようないくつかの事物(弥生時代であれば「稲作」、古墳時代であれば「前方後円墳」など)を取り上げたテーマ展示が主体となっている。展示室は常設展示の第1~第5展示室と、企画展示室に分かれている。常設展示は対象を高校生以上と想定し、復元模型やレプリカを多用しているのが特色である。日本の文化財は紙、木、繊維など脆弱な素材から成り、常設展示に耐えないものが多いため、実物とほとんど見分けのつかない精巧なレプリカが活用されている。2014年現在の総合展示は以下のような構成になっている。

  • 第1展示室 原始・古代 (旧石器時代-奈良時代) 日本文化のあけぼの / 稲と倭人 / 前方後円墳の時代 / 律令国家 / 沖ノ島
  • 第2展示室 中世 (平安時代-安土桃山時代王朝文化 / 東国と西国 / 大名一揆 / 民衆の生活と文化 / 大航海時代のなかの日本 / 印刷文化
  • 第3展示室 近世 (江戸時代) 国際社会のなかの近世日本 / 都市の時代 / ひとともののながれ / 村から見える「近代」/ 絵図・地図にみる近世 / 寺子屋「れきはく」(体験コーナー)
  • 第4展示室 民俗 (列島の民俗文化) 「民俗」へのまなざし / おそれと祈り / くらしと技
  • 第5展示室 近代 (明治時代-昭和初期) 文明開化 / 産業と開拓 / 都市の大衆の時代
  • 第6展示室 現代 (「戦争-高度経済成長」) 戦争と平和/戦後の生活革命

収蔵品[編集]

歴博の収蔵品は「収集資料」と「製作資料」とに大別される。「収集資料」は実物資料であり、古文書古記録絵図などの歴史資料、考古資料民俗資料などが主なものである。「製作資料」は、建造物の模型、古墳・町並み・集落などの復元模型、考古資料など各種遺物の模造(レプリカ)などがある。

収集資料(実物資料)については、開館時に文化庁から歴博へ管理換えになったものが大部分を占めている。なお、2004年をもって博物館が国有施設から独立行政法人へ移行したことにより、文化庁買上げ品(=国有財産)が歴博へ移管されることはなくなった。

収蔵品中には個人のコレクションが一括して収蔵されたものがあり、特色あるコレクションとしては以下のものが挙げられる。

  • 田中忠三郎が発掘した縄文遺跡の考古学資料約1万点、および民俗資料を含む約2万点
  • 野村正治郎収集近世衣装コレクション(小袖、宮廷衣装、櫛、髪飾りなど)-1973-74年度文化庁買上げ
  • 秋岡武次郎収集古地図コレクション-1975年文化庁買上げ
  • 紀州徳川家旧蔵雅楽器類-1972年文化庁買上げ
  • 上田綱治郎収集甲冑武具コレクション
  • 田中教忠収集古典籍類

歴博の常設展示においては、土器・石器のような長期展示可能なものを除き、実物資料の代わりにレプリカが多用されている。常設展示されていない実物資料は企画展示で公開される場合がある。「洛中洛外図屏風甲本」の原本は例年秋に公開されている。

指定文化財[編集]

額田寺伽藍並条里図

国宝[編集]

書跡・典籍[編集]

  • 宋版漢書(慶元刊本)61冊
  • 宋版後漢書(慶元刊本)60冊
  • 宋版史記(黄善夫刊本)90冊

古文書[編集]

  • 額田寺伽藍並条里図(麻布)
  • 後宇多院宸記(文保三年具注暦)自筆本(東寺旧蔵)

重要文化財[編集]

絵画[編集]

  • 絹本著色宗祇像 三条西実隆賛
  • 絹本著色足利義輝像 策彦周良賛
  • 紙本金地著色洛中洛外図 六曲屏風一双(歴博甲本、町田本)
  • 紙本金地著色洛中洛外図 六曲屏風一双(歴博乙本)
  • 紙本著色結城合戦絵詞
  • 紙本著色前九年合戦絵詞
  • 紙本著色醍醐花見図 六曲屏風一隻
  • 紙本白描隆房卿艶詞絵巻(たかふさきょうつやことばえまき/「艶詞」を「こいことば」と読む説もある)

彫刻[編集]

  • 木造地蔵菩薩立像 建武元年(1334年)康成作在銘
    • 附:像内納入品(地蔵菩薩印仏(4種)一括、地蔵菩薩印仏包紙1紙、願文・結縁交名等6通、毛髪・切爪包3包)

工芸品[編集]

  • 黒韋威肩白腹巻 大袖付(くろかわおどしかたじろはらまき)
  • 色々威腹巻 大袖付
  • 色々威腹巻 大袖付
  • 太刀 無銘伝国行
  • 白繻子地(しろしゅすじ)紅梅文様描絵小袖 酒井抱一
  • (指定見込み)黒綸子地桐唐草入大葉文様小袖(2016年度指定見込み、官報告示を経て正式指定となる。)

書跡・典籍[編集]

(日本文学)

  • 伊勢物語(伝為氏筆本)
  • 源氏物語 6帖(若紫、絵合、行幸、柏木、鈴虫、総角残巻)
  • 後拾遺和歌抄 2帖(田中教忠旧蔵)
  • 続詞花和歌集 2帖(田中教忠旧蔵)
  • 大和物語 2帖
  • 詞花和歌集 後奈良天皇宸翰(附:尊朝法親王自筆書状)
  • 春日若宮神主祐茂百首和歌
  • 新古今和歌集 上下 2帖 正安二年藤原為相本奥書
  • 千五百番歌合 10帖
  • 千載佳句
  • 万葉集 巻第十一
  • 袖中抄 20巻 内5巻正安二年僧祐尊書写奥書
  • 奥義抄 巻上
古筆・宸翰類[編集]
  • 白氏文集 新楽府上残巻(小野道風本)伝伏見天皇臨模
  • 伏見天皇宸翰源氏物語抜書(料紙打曇紙金銀泥下絵)
  • 伏見天皇宸翰後撰和歌集 巻第四残巻(筑後切)
  • 伏見天皇宸翰御歌集 春部百首、秋部九十九首 2巻(広沢切本)
  • 伏見天皇宸翰和漢朗詠集 巻下残巻(料紙打曇紙)
  • 後柏原天皇宸翰著到和歌(有栖川宮伝来)4巻
歴史、伝記、法制など[編集]
  • 寛平御遺誡 寛元三年書写校合奥書(田中教忠旧蔵)
  • 江都督納言願文集 巻第三、第六残闕 2帖(田中教忠旧蔵)
  • 扶桑略記 巻第四(東洋文庫旧蔵)
  • 醍醐雑事記 巻第一残巻(田中教忠旧蔵)
  • 本朝世紀(自康保四年五月二十七日至安和元年五月十六日)(田中教忠旧蔵)
  • 大織冠伝
  • 別聚符宣抄
  • 弁官補任
  • 律 巻第三(衛禁・職制律)(東洋文庫旧蔵)
  • 令義解 巻第一(官位令)(東洋文庫旧蔵)
  • 延喜式 巻第五十
仏典[編集]
  • 紫紙金字華厳経 巻第六十三
漢籍[編集]
  • 周易 自巻第一至巻第六(巻第二、第六補写)(田中教忠旧蔵)
  • 臣軌 下巻(田中教忠旧蔵)
  • 李嶠雑詠百廿首 上下(田中教忠旧蔵)
  • 白氏後集 巻第五十九(金沢文庫本)(田中教忠旧蔵)
  • 白氏文集 巻第八、第十四、第三十五、第四十九(金沢文庫本)(田中教忠旧蔵)
  • 文集(田中教忠旧蔵)
  • 宋版五燈会元(普門院本)7冊
  • 宋版後漢書 30冊
  • 宋版春秋経伝集解 16冊
  • 宋版致堂先生読史管見(金沢文庫本)淳煕九年刊本 8冊
  • 宋版備急千金要方(金沢文庫本)23冊

古文書[編集]

書状類[編集]
  • 後光厳院宸翰消息
  • 後醍醐院宸翰消息(東寺旧蔵)
  • 大江広元筆消息(元暦元年五月十八日 文覚御房宛 )
  • 平宗盛筆消息(仁安二年九月十八日 右兵衛督宛 )
日記類[編集]
  • 勘仲記 自筆本 83巻
  • 愚昧記 承安二年春 自筆本
  • 春記 自長暦二年八月十七日 至同年十月廿九日(田中教忠旧蔵)
  • 大理秘記(第一巻)竹林院左府記、吉続記(第二巻)吉田内府記(乾元元年十二月)(田中教忠旧蔵)
  • 中右記部類 巻第七[2]
  • 中右記部類 巻第十九
  • 都玉記(建久九年、建暦二年 大嘗会事)
  • 民経記 自筆本 48巻(附:写本6巻1帖3冊)
  • 伯家記録
顕広王記7巻、仲資王記8巻、業資王記5巻、業顕王西宮参詣記1巻、忠富王記4巻
その他古文書・古記録類[編集]
  • 阿不幾乃山稜記(方便智院本)(田中教忠旧蔵)
  • 越前島津家文書(六十通)9巻(附:重富島津家文書6巻)
  • 高山寺文書(聖教紙背)三十五通(六曲屏風貼付)
  • 栄山寺々領文書(栄山寺旧蔵)
  • 官宣旨(栄山寺旧蔵)
  • 起請文(栄山寺旧蔵)
  • 神代系図(田中教忠旧蔵)
  • 大安寺資財帳 天平十九年二月とあり
  • 帝系図(田中教忠旧蔵)
  • 大神宮法楽寺寺領文書紛失記 康永三年八月日(田中教忠旧蔵)

歴史資料[編集]

書状類2620点、文書・記録類231点、書跡類128点、遺品類74点

考古資料[編集]

  • 対馬シゲノダン遺跡出土品
  • 銅印 印文「山邊郡印」
  • 肥後マロ塚古墳出土品
鉄眉庇付冑2頭、鉄衝角付冑1頭、鉄短甲1領、鉄頸甲3領
  • 梵鐘(千葉県成田市八代出土)
  • 鹿児島県広田遺跡出土貝製品 152点(附:土器残欠2個体分)

弥生時代開始時期繰り上げ説[編集]

2003年5月、博物館の研究チームが、弥生時代の開始時期を定説より約500年早い紀元前1000年頃との研究成果を発表した。2003年12月、四国地方の弥生時代の開始時期は紀元前810年~前600年頃と発表した。

交通[編集]

  • 京成佐倉駅より
    • 徒歩15分
    • バス5分「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」下車
  • JR佐倉駅より
    • バス10分「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」下車
  • 東京駅八重洲口(京成高速バス3番のりば)より
    • 「国立歴史民俗博物館」行の高速バス約1時間30分「国立歴史民俗博物館」下車

脚注[編集]

  1. ^ 本節の記述は参考文献の(土田、1984)による。
  2. ^ 「中右記部類」の第七と巻第十九は旧所蔵者が異なり、別個に重要文化財に指定されている。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]