沖ノ島

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沖ノ島
Okinoshima aerial01.jpg
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成)
座標 北緯34度14分39.4139秒 東経130度6分20.7382秒 / 北緯34.244281639度 東経130.105760611度 / 34.244281639; 130.105760611
面積 0.97[1] km²
海岸線長 約4 km
最高標高 243.6 m
所在海域 日本海玄界灘
所属国・地域 日本の旗 日本福岡県宗像市
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沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市に属する、九州本土から約60キロメートル離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロメートルの孤島である。宗像大社の神領で、沖津宮(おきつぐう)が鎮座する。

概要[編集]

「神の島」[2]と呼ばれ、島全体が御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも毎年5月27日以外の上陸は基本的に許されず、その数も200人程度に制限されている。 山の中腹には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ。宗像大社HP参照)をまつっている。無人島であるが、現在は沖津宮の神職が10日交代で派遣され、常時滞在している。

エジプト考古学者の吉村作治が提唱し、九州全土、特に宗像地方を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が行われており、2009年(平成21年)1月5日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成遺産の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載され、2015年(平成27年)7月28日に文化庁文化審議会により2017年の審査対象として選出された。

島で一番高い一ノ岳の頂上には、海上保安庁の無人灯台がある。海面から灯火までの高さは253メートルである。

大島から見た全景
沖ノ島に鎮座する宗像大社沖津宮

海の正倉院[編集]

出土した土器から縄文時代前期には漁民らが漁業の基地として使用していたらしい。その範囲は、北九州、瀬戸内海山口県にまで広がっている。

沖ノ島で祭祀が始まったのは出土遺物の年代編年から4世紀後半頃と推測される。391年倭国高句麗へと出兵した際、北部九州が前線となった時期に相当する。また、宗像氏ヤマト王権の力を背景に朝鮮半島中国(当時は北魏)との交易に乗り出したのも同時期であり、そうした遺物も確認されている。
祭祀の終了は9世紀末頃とみられ、894年遣唐使が廃止されたことや神道神社の形式が確立したことによるものとされる。

17世紀前半、黒田藩が沖ノ島に防人をおいたことから発見されたが、島での見聞については「お言わずさま」といって一切口外が許されなかった。しかし、日露戦争時には、陸軍の防衛基地が設置されてから島の様子が世間に知られるようになった。

第二次世界大戦後、宗像大社復興期成会が結成され、三次1954年(昭和29年)- 1971年(昭和46年)の発掘調査が行われ、沖津宮社殿周辺の巨石に寄り添う23の古代祭祀跡から約8万点の祭祀遺物が出土(そのほか約2万点の縄文時代弥生時代の遺物が出土)した。これらのうち第一次、第二次調査出土品は1962年(昭和37年)に国宝に指定、第三次調査出土品は1978年に重要文化財に指定された。2003年には上述の国宝と重要文化財を統合、同年と2008年には未指定物件が追加指定され、関連遺物全てが国宝に指定されている(約8万点とされる)。こうしたことから、沖ノ島は海の正倉院と称される[3]。 島のまわりの海底からは人工的な階段や道らしい遺跡も見つかっている。

祭祀遺構[編集]

沖ノ島17号遺跡(複製)
国立歴史民俗博物館展示。

沖ノ島の祭祀遺構の特徴は考古遺跡ながら埋蔵文化財化しておらず、遺構や遺物が千年以上も地表に露出したまま荒らされずに残されている点にあり、四つの時期に区分される。[4]

  1. 4世紀後半から5世紀にかけての岩上祭祀/巨石の上で祭祀を行ったもので、三角縁神獣鏡などの銅鏡が見つかっており、宗像氏と関連がある津屋崎古墳群の副葬品と共通するものも多い
  2. 5世紀後半から7世紀にかけての岩陰祭祀/巨石の岩陰で祭祀を行ったもので、新羅の都・慶州の大陵苑王墓(世界遺産)から出土したものと同じ金製指輪など朝鮮半島由来の遺物が多い
  3. 7世紀後半から8世紀前半にかけての半岩陰・半露天祭祀/岩陰に接する平場で祭祀を行ったもので、唐三彩など中国由来の遺物がみられる
  4. 8世紀から9世紀末にかけての露天祭祀/岩陰から離れた平地で祭祀を行ったもので、遺物は滑石製形代類と呼ばれる人や馬に似せた祭祀専用の石製品になる

日本海海戦[編集]

1905年(明治38年)5月27日、沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎(1889~1974)が、樹上から日露戦争日本海海戦の始終を目撃している。彼は両艦隊の乗組員以外で同海戦を目撃した数少ない人物の一人であり[5]、その子細は創建以来書き継がれている沖津宮日誌に記されている。

戦跡遺構[編集]

1940年(昭和15年)、日本陸軍は沖ノ島に有効射程20キロの96式2連装15センチカノン砲を4門据え、下関要塞重砲兵連隊が配備され、艦船潜水艦の撃退を任務とした。海軍も艦船を探査する防備衛所を置き、戦時中には陸海軍合わせて200人ほどの軍人兵士駐屯していた。白岳(標高162m)近くのの中に弾薬庫、島西部の高台には砲台跡など、戦争遺跡が残されている。

これら軍事施設を築き、炊事のために神木である原始林伐採し、オオミズナギドリとその食糧とした[6]

島への上陸[編集]

禊の様子

一般人の上陸が許可されるのは、通常毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時に限られている。上陸できるのは事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人[注釈 1]の男性(女人禁制のため)のみである[注釈 2]。筑前大島から2時間弱で島に到着する。この上陸はすべて神事の一環として行われるため、前日に筑前大島の中津宮に参拝し、沖津宮奉賛会費(事実上の船代)2万円を支払い[注釈 3]、島内に分宿。大祭当日は釣り船などに分乗し、現地に着いたあとは全裸で海に入って垢離)をしなくてはならない。島全体が天然記念物でもあるため、島内の「一草一木」たりとも持ち帰ることは許されない。ただし、島内の湧き水(ご神水)のみは例外とされている。島での滞在は2時間程。

同日、女性は大島にある瀛津宮から沖ノ島を遥拝する[注釈 4]

玄界灘の中間に浮かぶ孤島であるため、荒天時などに付近を航行中の船が避難できるよう港湾設備が整備されている。そうした際に寄港して上陸する場合にも、社務所に許可を取って禊をすることが必要である。

自然[編集]

島を上空から見ると北東から南西に向かって紡錘形をなし、北部に主峰一ノ岳(標高243.6m)がある。地質は主に石英斑岩からなる。

沖ノ島は、亜熱帯性植物の北限でビロウオオタニワタリ等の亜熱帯性植物が生育し、森林域はタブノキヤブニッケイ等を中心とした原生林であるため1926年(大正15年)10月20日に「沖の島原始林」として国の天然記念物に指定されている。また、ヒメクロウミツバメカンムリウミスズメ及びオオミズナギドリなどの海鳥の集団繁殖地となっており、1978年(昭和59年)3月31日に国指定沖ノ島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積97ha、うち特別保護地区94ha)[7]

沖ノ島灯台[編集]

沖ノ島灯台
沖ノ島の位置(日本内)
沖ノ島
航路標識番号 5817
位置 北緯34度14分21秒
東経130度6分18秒
座標: 北緯34度14分21秒 東経130度6分18秒
所在地 福岡県宗像市(沖ノ島)
塗色・構造 白塔形
灯質 単閃白赤互光 毎30秒に白1閃光赤1閃光
光達距離 17海里
塔高 20 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 253 m (平均海面 - 灯火)

沖ノ島灯台(おきのしまとうだい)は、島の主峰一ノ岳の頂上に建つ白塔形の灯台である。灯火標高は253mで、日本では6番目の高さである[8]

沖ノ島が登場する作品[編集]

小説[編集]

  • 『ST 警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』今野敏 講談社 - 沖ノ島の港湾工事現場で発生した水死事件を巡り、特殊能力を持つ刑事たちが捜査にあたる。島で見聞きしたことを誰にも話してはいけない「御言わず様」の掟などを紹介している。
  • 坂の上の雲司馬遼太郎 - 日本海海戦を沖ノ島から宗像繁丸(宗像大社神職)と佐藤市五郎が眺望するシーンが描かれている

ドラマ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 宗像市市勢要覧資料編(2008年版) (PDF) による。
  2. ^ 藤原新也安部龍太郎『神の島 沖ノ島』(小学館2013年)。
  3. ^ 沖ノ島 海の正倉院(福岡県保健環境研究所)
  4. ^ 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議パンフレットより
  5. ^ 他に対馬北東部でも目撃者が複数人いた。
  6. ^ 沖ノ島、今も戦争の跡 世界遺産候補「神の島」に砲台・弾薬庫…古木も伐採 元軍人「祭神にお詫びしたい」 withnews(朝日新聞)2015年8月15日(2015年8月15日閲覧)
  7. ^ 国指定沖ノ島鳥獣保護区沖ノ島特別保護地区 指定計画書 環境省、平成15年8月27日 (PDF)
  8. ^ 灯台豆知識”. 敦賀海上保安部. 2013年11月17日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 渡島用に借り出される筑前大島船籍の船への分乗の上限。また、この内の半数強が地元の氏子優先で、筑前大島の宿泊キャパシティからも一般人の参加は実質100人を切る
  2. ^ 例外として灯台の保守点検、文化財自然保全状況の確認、港湾整備などの関係者が許可を得た上で上陸が認められ、最近では2012年(平成24年)11月1日に宗像大社が招聘した世界遺産登録専門家会議の韓国人中国人スリランカ人イギリス人研究者がチャーター船で上陸している。これらの場合も女人禁制と禊は行われている
  3. ^ 荒天で渡島が中止になっても返金されない
  4. ^ 荒天で渡島が中止になった場合には、大祭参加者もここを訪れる

関連項目[編集]

外部リンク[編集]