船舶無線

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概要[編集]

船舶無線(せんぱくむせん)とは、船舶の安全航行確保に用いられる業務無線の総称である。

通信用途の他にレーダービーコンなど海上交通用途があり、主に海上保安庁海上運送事業者、漁業協同組合などが利用している。運用時の無線機周波数出力、通信目的により、各国諸法規に基づく海上無線通信士など無線従事者免許に加えて無線局免許状を要する。短波帯長距離通信は衛星通信の発達により、漁業無線など一部運用に縮小している。

日本での歴史[編集]

日本における船舶無線の利用に目をつけたのは海軍である。1899年(明治32年)5月12日付でイギリス公使館付武官であった川島令次郎は無線電信の研究を喚起する意見書を海軍省に送った。さらにアメリカに留学していた海軍大尉秋山真之も同年6月21日付意見書で海軍省軍事課長宛に清国および韓国における無線電信施設設置権を我が国が獲得しておくべきとの具申を行っている。この時は結局具体的にはまとまらなかったが、その後1900年(明治33年)2月9日に海軍に無線電信調査委員会が設置された。そして船に搭載して通信試験を行い1901年(明治34年)に試験完了し三四式無線電信機(年号より三四)と称することになった。 [1]

三六式無線電信機[編集]

その後三四式のように直接火花放電をアンテナに直結するのでなくインダクションコイルから送信する機構に改良した電信機ができ三六式無線電信機が1903年(明治36年)に開発され、当時日露戦争前に急いで海軍の15艦に装備された。1904年(明治37年)から始まった日露戦争においてバルチック艦隊との戦いで三六式無線電信機が大活躍するのである。[2]

公衆通信の開始[編集]

海軍を中心とした我が国の開発と実用化は見事な成果を収めたが、その後逓信省は1907年(明治40年)公衆通信開始の準備に着手、全国から無線電信オペレーターの要員を募集した。そして無線設備の建設には佐伯美津留がその任にあたることになる。1908年(明治41年)には初めての海岸局、銚子無線電信局が完成した。同年初めて天洋丸と銚子無線局との交信が行われたが失敗に終わり、次に開局した丹後丸と銚子無線電信局と初めて公衆無線通信が行われた。天洋丸局長および丹後丸局長であった米村嘉一郎は上記無線電信オペレーターとして集められた要員の一人である。[3]


関連項目[編集]


  1. ^ 福島雄一『にっぽん無線通信史』明治編、朱鳥社
  2. ^ 福島雄一『にっぽん無線通信史』明治編、朱鳥社
  3. ^ 米村嘉一郎「電波界50年」(連載「思い出の記」第2回)『電波時報』1958年7月号