SOS

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SOS(エスオーエス)は、かつて船舶を中心に用いられていたモールス符号による遭難信号である。現代では遭難に限らず助けを求める合図として使用されることがある。

世界の法規におけるSOS[編集]

遭難信号は半世紀以上にわたって国際条約の無線通信規則では・・・― ― ― ・・・とされてきた。その間、SOSという語は単なる通称に過ぎなかった。

1905年[編集]

遭難信号・・・― ― ― ・・・は1905年、ドイツの無線規則に採用されたことを嚆矢とする[1][2][3][4]。それまでドイツ船が使ってきた全局呼出符号「・・・― ― ― ・」の末尾「・」を、雑音や混信により聞き逃さないように「・・・― ― ― ・・・」へ変えて、これを遭難信号として定めた。

・・・― ― ― ・・・は一塊のモールス符号としては長く、けして緊急時に打ち易いとは言えないし、また各種通信略号を多用する無線通信士にとって特段にこれが覚えやすい符号とも言えない。また雑音や混信に不利なドット(・)の数が、ダッシュ(―)よりも多い。それにも関わらず、このような符号が考案されたのは、全局呼出符号・・・― ― ― ・をベースにして改良されたことによる。

遭難信号・・・― ― ― ・・・は周囲の無線局に遭難の事実を知らせるのと同時に、全局に通信中止を求める符号だった。なお条文中ではSOSという語を使っていない。

Regelung der Funkentelegraphie im Deutschen Reich
独逸国無線電信条例 第4条-a
4. Verfahren
 a) Beforderungszeichen
 Zur Anwendung kommen die bekannten Morsezeichen, denen folgende Signale hinzugefugt sind
― ― ― ― ― ― Ruhezeichen; darf nur von offentlichen Kustenstationen gegeben werden;
・・・― ― ― ・・・ Notzeichen; wird von einem Schiffe in Not solange wiederholt, bis alle anderen Stationen ihren Verkehr abgebrochen haben;
・・・― ― ― ・ Suchzeichen; darf von Schiffen auf hoher See wiederholt mit ihren eigenen Namen, die dem Zeichen folgen mussen, gegeben werden; es ist zu beantworten durch "hier" mit nachfolgenden Namen.

1906年[編集]

ドイツのベルリンで1906年に開催された第一回国際無線電信会議において世界共通の遭難信号・・・― ― ― ・・・が定められ、1908年7月1日に発効[5]したが、やはりSOSという語は使わなかった。・・・― ― ― ・・・は遭難の事実の通知と、周辺各局へ通信中止を求める符号である。そして制定以来50年以上にわたって国際的な無線通信規則上の遭難信号は一貫して・・・― ― ― ・・・である。

REGLEMENT DE SERVICE, ANNEXÉ A LA CONVENTION RADIOTÉLÉGRAPHIQUE INTERNATIONALE.
国際無線電信条約附属業務規則 第16条
XVI  Les navires en détresse font usage du signal suivant:
 ・・・― ― ― ・・・
répété à de courts intervalles.
    Dès qu'une station perçoit le signal de détresse, elle doit suspendre toute correspondance et ne la reprendre qu'après avoir acquis la certitude que la communication, motivée par l'appel de secours, est terminée.
  Dans le cas où le navire en détresse ajoute à la fin de la série de ses appels de secours l'indicatif d'appel d'une station déterminée, la ré- ponse à l'appel n'appartient qu'à cette dernière station.  A défaut de l'indication d'une station déterminée dans l'appel de secours, chaque station qui perçoit cet appel est tenue d'y répondre.

1959年[編集]

国際条約の無線通信規則の条文にSOS[6]という語が盛り込まれたのは非常に遅く1959年だった。

それは同年にジュネーブで開かれた無線通信主管庁会議で改正された無線通信規則の第36条(パラグラフ1389)で、1961年1月1日に発効した。すなわち1960年12月31日までSOSは単なる通称である。

(Additional) Radio Regulations
国際電気通信条約付属無線通信規則 第36条 6-(1)
CHAPTER VIII Distress, Alarm, Urgency and Safety
Article36 Distress Signal and Traffic. Signal and Traffic.
§6-(1)  The radiotelegraph distress signal consists of the group ・・・― ― ― ・・・, symbolized herein by SOS transmitted as a single signal in which the dashes are emphasized so as to be distinguished clearly from the dots.

なお無線通信規則の条文中ではないが、1947年に開かれたアトランティック・シティ国際無線電信会議で附属無線通信規則の附録第9号「無線通信用諸種の略号及び符号」[7]の第二節「略符号」[8]SOSという語が初めて登場している。発効したのは1949年1月1日だった。

日本の法規におけるSOS[編集]

日本の無線開発は逓信省が海軍省に協力する形ですすめた。そのため先に無線電信を実用化したのは海軍省である。海軍省は1901年(明治34年)、日本初の無線通信規則「無線電信通信取扱規則」[9]第18条の略符号で、遭難信号に相当する「故障(危険あり)  ナラ[10] ・―・ ・・・ 」を定めた。

やがて日露戦争(1904~05年)の開戦が近くなると、海軍無線への混信防止の観点より逓信省の無線研究は中止となり、公衆通信サービス(無線電報業務)の創業はさらに遅れてしまった。

1908年(明治41年)[編集]

逓信省は銚子無線電信局JCS(海岸局)と東洋汽船所属の天洋丸TTY(船舶局)による公衆通信サービスを創業するために、「無線電報規則」[11]と、その下位規程であって、危急信号・・・― ― ― ・・・を盛り込んだ「無線電報取扱規程」[12]を定め、1908年(明治41年)5月1日に施行した。

1908年7月1日に発効するベルリン第一回国際無線電信会議の国際無線電信条約附属業務規則第16条にはSOSという語が使われていないことに歩調を合わせ、この語を使わなかった。(ただしこの「無線電報取扱規程」に関していえば、1925年(大正14年)の改訂の際よりSOSを使い始めている。)

無線電報取扱規程
明治41年 逓信省公達第341号(1908年4月9日) 第6条 「危急      ・・・― ― ― ・・・」
大正14年 逓信省公達第726号(1925年9月25日) 第45条「船舶危急 SOS ・・・― ― ― ・・・」
昭和3年 逓信省公達第1204号(1928年12月) 第45条「遭難   SOS ・・・― ― ― ・・・」

逓信省が公衆通信サービスを創業したため、これまで海軍無線電信所から海軍艦船へ送っていた(軍用通信に相当しない)日々の官報などは、海軍省が逓信省に電報料金を払って逓信省の公衆通信サービスを利用することとなった。逓信省の海岸局と海軍省の艦船間で無線電報が交わされるため、「海軍無線電報取扱規約」[13]を定め、その第8条に危急信号・・・― ― ― ・・・を盛り込み、両省で整合をとった。

海軍無線電報取扱規約
明治41年 海軍省達第129号(1908年10月28日) 第8条 「危急 ・・・― ― ― ・・・」

1915年(大正4年)[編集]

日本の無線は「電信法」で政府が管掌するとされていたが、1915年(大正4年)11月1日に施行された「無線電信法」で、民間企業、私学校、個人による私設無線を認めた。あわせて施行された私設無線に関する規則「私設無線電信規則」[14]の第22, 23条にある船舶危急符号は国際条約の無線通信規則に準拠し、SOSとはしていない。

私設無線電信規則
大正4年 逓信省令第46号(1915年10月26日) 第22-23条 「船舶危急符号 ・・・― ― ― ・・・」

1933年(昭和8年)[編集]

上記「私設無線電信規則」に代わる新たな「私設無線電信無線電話規則」[15]が1933年(昭和8年)に作られたが、やはり遭難信号にSOSという語を用いていない。本規則は1934年(昭和9年)1月1日より施行され、SOSという語を採用しないまま太平洋戦争の終戦を迎えた。

私設無線電信無線電話規則
昭和8年 逓信省令第46号(1933年12月29日) 第58-59条 「遭難符号 ・・・― ― ― ・・・」

1950年(昭和25年)[編集]

そして終戦後の1950年(昭和25年)6月、新しい電波法のもとに施行された最初の「無線局運用規則[16]の第76,80,82,85,89条の条文中および「別表第2号の2[17]」において、ようやく遭難信号SOSが登場したのである。

2018年(平成30年)時点では電波法第52条第1号にある遭難通信[18]に使われる遭難信号として、総務省令 無線局運用規則の「別表第2号[19]の2[20]の(1)[21]」にSOSが残っている。

通称としてのSOS[編集]

モールス符号には遭難信号・・・― ― ― ・・・のように長いものは定義されておらず、これを文字にすることはできない。そのため新聞・雑誌では表記に苦慮するし、また口述するにしても・・・― ― ― ・・・をその都度ドット(・)とダッシュ(―)で『ドドドダーダーダードドド』と発声するのは煩わしい。

そこで1909年頃より・・・― ― ― ・・・を便宜的にいくつかの塊に分割されているものと見なすことで文字化し、また口述するようになった。例を挙げれば下表のようにいろんな分割法が考えられるが、最終的にはドット群「・・・」とダッシュ群「― ― ― 」に分割した、・・・(S)、― ― ― (O)、・・・(S)、が一番シンプルという理由で、新聞などの文字メディアを通じて広まったとされる。

すなわち、たまたまドット群「・・・」が「S」で、ダッシュ群「― ― ― 」が「O」であったに過ぎないという。

遭難符号・・・― ― ― ・・・を便宜的に分割して文字化する
分割数 文字化の例
2分割 V(・・・― )、7(― ― ・・・) 3(・・・― ― )、B(― ・・・)
3分割 V(・・・― )、T(― )、B(― ・・・) S(・・・)、O(― ― ― )、S(・・・)
4分割 I(・・)、W(・― ― )、N(― ・)、I(・・)
5分割 E(・)、U(・・― )、T(― )、D(― ・・)、E(・)

SOSという単語は・・・― ― ― ・・・を文字化や口述するための便宜的な手段(通称)として、非常に早い時期より、一般人はもとより無線通信士、無線技術者、電波行政関係者に至るまで、広く受け入れられている。ときにSOSが"Save Our Souls"(我らを救え)や"Save Our Ship"(我が船を救え)の略と言われることがあるが、これらは1912年のタイタニック号沈没事故の頃に考案されたもので、後付けである。

しかしV73BVTBSOSIWNIEUTDE等と多くの分割法があるにもかかわらず、SOSが選ばれ、それが広く支持されたのは、単に分割の単純さだけではなく、当初の頃より"Send Out Succor"(救援の送信)、あるいは"Suspend Other Service"(他の通信は沈黙せよ)、"Stop Other Service"(左同)等の遭難信号としてふさわしいフレーズ(語呂合わせ)[22]が作られ、語られていたからとも考えられるが[23]、これについては検証されていない。

歴史[編集]

以下ここでは・・・― ― ― ・・・をSOSと表記する。

初の遭難信号SSSDDDの提案[編集]

海難事故に遭った船舶が、無線電信により実際に救助された最初の事例は、1899年4月28日にドーバー海峡の北入口、グッドウイン砂洲の浅瀬に常時係留されている「イースト・グッドウィン灯台船」が、濃霧の中を航海してきた「マシューズ号(SS R.F. Matthews)」に追突された事件である[24]。船体を損傷したイースト・グッドウィン灯台船はサウス・フォアランド灯台[25]に無線電信で救助を求めて無事救出されたが、この時期にはまだ遭難信号というものを定めていなかった[26]

1900年4月25日にマルコーニ国際海洋通信会社[27]が設立された。マルコーニ国際海洋通信会社は、北ドイツ・ロイド社の大型客船「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ号(SS Kaiser Wilhelm der Grosse)」に無線局を開設して、同年5月15日より世界初の海上移動における無線電報サービスをスタートさせた[28][29]。1901年になるとキュナード・ライン社の大型客船ルカーニア号(RMS Lucania)やその姉妹船カンパニア号(RMS Campania)をはじめ、続々とマルコーニ局が置かれた。

こうして海上移動の無線電報サービスは順調に発展していったが、世界共通の遭難信号は1903年8月4日から13日にベルリンで開かれた無線電信予備会議[30]で提案されたものが最初である。イタリア代表より遭難信号SSSDDDの提案があったが採択には至らなかった[26][31]

マルコーニ社のCQDとテレフンケン社のSOS[編集]

しかし会議終了後の1903年12月7日に、マルコーニ国際海洋通信会社の無線局を設置していたレッド・スター・ラインの「クルーランド号(SS Kroonland)」がアントウェルペンからニューヨークに向かってアイルランド沖を航海中にステアリング・ギアを破損する事故を起こし、翌12月8日に無線電信で救助された[32][33]。クルーランド号は無線電信で助けを求めた最初の定期航路船である。幸い乗員乗客900名は無事だったが、この事故で専用の遭難信号を制定する重要性が強く認識された。

マルコーニ国際海洋通信会社はただちにその検討に入り、1904年1月7日の社内通達第57号で自社の遭難信号を「CQD」と定めた。施行日は1904年2月1日だった[34]。『マルコーニ社の遭難信号「CQD」の"CQ"はAll Station(全局)、"D"はDanger(危険)またはDistress(遭難)を意味する。』とマルコーニ自身が説明している[35]。なお「CQD」はマルコーニ社の社内符号であり他の無線会社には関係しない。

一方でライバルのテレフンケン社があるドイツ帝国では、無線電信条例(Regelung der Funkentelegraphie im Deutschen Reich:1905年3月30日公布)を定めて1905年4月1日より施行した。この無線法では全局呼び出し信号「・・・― ― ― ・」SOEとは別に、遭難信号「・・・― ― ― ・・・」SOSを規定した。ドイツ船が全局呼び出しに用いていたSOEでは、Eが1短点(・)で緊急時に聞き落とす恐れがあるため、3短点のS(・・・)に変更した符号を新たに定めたものだった。これはドイツの規則であり他国の無線会社には関係しない。

また「SOS」は意味のない長(―)・短(・)の配列が先にできて、後になり文字化されたが、「CQD」は意味のある文字から作られたという違いもある。文字に意味があるので、一塊につないでしまう「CQD」(―・―・― ―・― ―・・)ではなく、文字が聞き取れる「CQD」(―・―・  ― ―・―  ―・・)である。

マルコーニ社の「CQD」やテレフンケン社の「SOS」の他にも、1905年12月にアメリカ東海岸で起きた海難事故ではシンプルに「HELP」[36][37]が使われるなど、無線会社間で遭難信号は統一されていなかった。

また日本艦船で初となる遭難信号は1904年(明治37年)5月15日未明に海軍二等巡洋艦吉野が発したものだが[38][39][40]、(前述した)「故障(危険あり)  ナラ ・―・ ・・・ 」符号が用いられたかどうかは不明である。

遭難信号の統一[編集]

1906年10月3日から11月3日にベルリンで開かれた第一回国際無線電信会議[41]において世界共通(無線会社共通)の遭難信号の制定が討議された。審議の際にはマルコーニ社の社内符号CQDや、船舶で使われていた旗旒信号のNC(遭難)[42]を無線電信でも使ってはどうかとアメリカから提案されたが、最終的には開催国ドイツの無線法で定めていたSOSが採択された。会議最終日(1906年11月3日)に調印された国際無線電信条約附属業務規則の第16條にはSOSが規定され、発効日を1908年7月1日とした[43]

条約調印各国は発効日までにそれぞれの国会で批准し、自国の関係法規を整合させ、これを実行に移すことになった。日本は1908年(明治41年)3月18日に枢密院で批准し、同年6月22日に公布、同年6月23日に官報で告示している[5]。これに並行し、枢密院で批准された直後の1908年4月9日、無線に関する法律「電信法」のもとに定めた無線電報取扱規程[12]の第6条に「危急 ・・・― ― ― ・・・」が盛り込まれた。日本では・・・― ― ― ・・・を「危急」と命名し、国際無線電信条約附属業務規則が発効するよりも、二月早い1908年5月1日に施行されたのである。

初のCQD[編集]

しかし「他社とは交信しない」[44]ことを方針とするマルコーニ社にとって、他社との符号共通化など全く無価値だった。SOSを定めたベルリン会議の無線規則が1908年7月1日に発効してもこれを使おうとはせず、自社のCQD規定をそのまま残した。

マルコーニ社の遭難信号CQDが初めて使われたのは1909年1月23日、ニューヨークから北東へ200kmほど離れたナンタケット沖で起きた、ロイド・イタリアーノ・ラインの「フロリダ号」とホワイト・スター・ラインの「リパブリック号(RMS Republic)」の衝突事故である。リパブリック号に開設されたマルコーニ局MKCがCQDを発信すると、ただちにマルコーニ社のシアスコンセント海岸局MSCおよびホワイト・スター・ライン「バルチック号(RMS Baltic)」のマルコーニ局MBSと連絡が取れ、掛け付けたバルチック号によって乗客1500人が救われた[45][46][47]。無線電信が多くの人命を救ったと大いに注目を集め、リパブリック号のジャック・ビンズ通信士[48]は英雄となった。

無線通信の商用化以来、しばらくの時代は、船舶無線局のオーナーはその船を所有する海運会社ではなく、無線会社だった。契約した船に各無線会社が自社の無線局を開設して、自社の通信士を配置していた。したがって「マルコーニ社製の無線機を使う船」というよりも「マルコーニ社の無線局を開設している船」とする方が誤解が少ない。またこの時代のマルコーニ社の無線局はMarconiの頭文字"M"で始まる3文字のコールサインを使用していた[49][50]

初のSOS[編集]

SOSを初めて使ったのは、1909年8月11日、ニューヨークからジャクソンビル (フロリダ州)に向かっていたクライド・ライン「アラパホ号(SS Arapahoe)」のユナイテッド・ワイアレスVBハッテラス岬沖でプロペラシャフトを破損した際に無線電信で救助を求めたところ、ユナイテッド・ワイアレス社ハッテラス岬海岸局HAおよびクライド・ライン「ヒューロン号(SS Huron)」のユナイテッド・ワイアレス局VHと連絡がとれ、全員救助された事故だったとする説と、1909年6月10日、アゾレス諸島沖で難破したキュナード・ラインの「スラボニア号(RMS Slavonia)」のマルコーニ局MVAが発信したものだという説がある。

アラパホ号の事故では、翌日の新聞各紙が同号のSOSの発信を伝えている[51][52]。しかしスラボニア号の事故の場合、直後の新聞各紙は『スラボニア号がCQDを発した』と報じている[53][54]

スラボニア号の沈没から1年も後になって、同号がSOSを発したとする記事が雑誌Modern Electrics(1910年9月号 315ページ)や新聞Lincoln Daily News(1910年8月1日 1ページ)に登場した。特にModern Electrics誌は「スラボニア号SOS説」の出典元として使われることがあるが、Modern Electrics誌には事実検証できるものが一切示されておらず、現在もなお検証がなされていない[55][56]

アラパホ号の事故から半月後の1909年8月26日に起きたアラスカ汽船のオハイオ号の事故でも、同船のユナイテッド・ワイアレス局AOSOSを使っている[57]。その後も、1909年11月のノールマハル号[58]、1910年2月のケンタッキー号[59]、1910年3月のタグス号[60]、1910年7月のモムス号[61]等の事故において、ユナイテッド・ワイアレス社は国際的な遭難信号SOSを使っている。

偽のSOS事件[編集]

SOSが広く知られるようになると、悪質な偽SOS事件が起きた。

1910年10月23日夜、ロードアイランド州ニューポートの税関監視艇アクシネット(Acushnet)号RCUが「オクラホマ号(SS Oklahoma)」のユナイテッド・ワイアレス局QBが発する遭難信号SOSを受信した。遭難地点が聞こえなかったため、ナンタケット灯台船無線局にも協力を要請し、オクラホマ号を探呼したがコンタクトは取れなかった。しかし複数の周辺局がオクラホマ号のSOSを聞いていたため大騒ぎになったのである[62][63]

オクラホマ号はJ.M. Guffey Petroleum Company所属の船で、新聞社の取材に対して、46名の乗員で19日にペンシルバニア州フィラデルフィアを出港し、テキサス州ポートアーサーへ向かっており、最後の連絡は10月21日19時でハッテラス岬沖だったと明かした。するとSOSが受信されたニューポートとは反対方向へ4日間も進んでいることになり、遭難信号の信憑性が疑われだした。 そして翌24日夜、当のオクラホマ号から『ポートアーサーに向け、メキシコ湾を安全航行している。』と連絡があり、昨夜のSOSが悪質なイタズラだったことが判明した[64]

空からの遭難信号CQD[編集]

このように1910年には遭難信号としてSOSが一般的になっていたにもかかわらず、マルコーニ社がCQDを使い続けたことで知られているのが、飛行船アメリカ号」の遭難事故である。新聞社の社員であり、冒険家でもあるウォルター・ウェルマンは1906年より飛行船で北極点を目指していたが、1909年4月6日、ロバート・ピアリーの犬ぞり探検隊に先を越されてしまった。そこでウェルマンは飛行船アメリカ号で世界初の大西洋横断飛行を計画したのである。1910年6月、飛行の様子を無線電信で逐次新聞社へ届けるために米国マルコーニ社と契約を交わし[65]、無線機とアンテナがアメリカ号に取り付けられた。

1910年10月15日の朝、アメリカ号でアトランティックシティを飛び立った通信士は、米国マルコーニ社のシアスコンセント海岸局MSCで働いていたジャック・アーウィン(Jack Irwin)[66]だ。初日は飛行も無線連絡も順調で、米国東海岸沿いを北東へ大圏コースで欧州へ向かっていたが、まもなくエンジン・トラブルと暴風に遭い、南東へ、さらに南へと低空で漂流しはじめた。アーウィン通信士は10月16日夕刻よりCQDで助けを求めたが、うまく通信を確立できないまま長い時が過ぎていった。

1910年10月18日早朝4時頃、一隻の船を発見し無線でCQDを送ったが応答がなく、電気ライトでモールス信号を送ってみたところ反応があった。アーウィン通信士は自分たちが無線を装備していることをライトで伝えると、しばらくして無線で返事がきた。その船はニューヨークに向かっていた英国Royal Mail Steam Packet社の「トレント号(SS Trent)号」(呼出符号RNR)で、アメリカ号の全乗員6名と猫1匹[67]が救助された。空からはじめて用いられた遭難信号は国際的なSOSではなく、マルコーニ社独自のCQDだったのである[68][69][70]

タイタニック号のSOS[編集]

1912年4月15日、ホワイト・スター・ラインの「タイタニック号」が沈没した際には、同船のマルコーニ局MGYが遭難信号CQDを発信し、後になってSOSも打った[71]。しかしその一週間前の4月8日早朝、ボルチモアからボストンに向かっていた Merchants & Miners Transportations社の「オンタリオ号(SS Ontario)」(呼出符号Q2)の事故でも遭難信号SOSが使われている[72][73]ように、タイタニック号がSOSを発した最初の船ではない。

ただし初めてSOSを使用したマルコーニ局に関してはタイタニック号に開設されたMGYだといわれており、もしそうならば、前述したスラボニア号のマルコーニ局MVAが初めてSOSを発したという説は自動的に否定される。なお他社と交信しない方針のマルコーニ社だったが、1911年6月より段階的に緩和され、1912年10月撤廃された[74]。これに同期するかのようにマルコーニ社のCQDの使用は終了した。

CQD、SOSの初発信30周年[編集]

1909年の初CQD、初SOSより30年目に当たる1939年の2月11日、ニューヨークのホテル・アスターで開かれた「ベテラン無線通信士協会」VWOA(Veteran Wireless Operators Association)第14回年次総会において、CQDをはじめて発信しリパブリック号とフロリダ号の乗員乗客を救ったジャック・ビンズ元通信士、およびSOSをはじめて発信しアラパホ号の乗員乗客を救ったハウブナー(Theodore D. Haubner)元通信士にマルコーニ・メモリアル・メダルの銀賞が贈られた[75][76]。受賞式典には当時のフロリダ号の船長をはじめ、救助に向かったバルチック号の船長と操舵主任も招待されている[77]。「ベテラン無線通信士協会」VWOAはかつて自分たちが所属していた無線会社の垣根を越えた、退役無線通信士の親睦会である。

SOSの電鍵(ヘンリーフォード博物館)[編集]

アラパホ号のハウブナー(Theodore D. Haubner)元通信士が初のSOSを打ったJ.H.Bunnell & Company製の電鍵と、その時に同氏が使用していたヘッドフォーンは、 同氏の家族によりミシガン州ディアボーンでエジソン学会が管理・運営するヘンリーフォード博物館に寄贈されている。

SOSの廃止まで[編集]

1979年の第11回国際海事機関IMO(International Maritime Organization)総会において最新技術を取り入れた新しい全世界的な海上遭難安全システムを確立することを決議[78]し、そのシステム検討に入った。

新しい全世界的な海上遭難安全システムはGMDSS(Global Maritime Distress and Safety System)と命名された。1988年11月、GMDSSを1992年2月1日より導入開始し、1999年2月1日に完全実施することを目標として「海上における人命の安全のための国際条約」(SOLAS条約)の改正を行った。日本ではこの移行日程に合わせて、1991年(平成3年)までに電波法電波法施行規則その他の関係諸規則が順次改正された。

1999年1月31日をもってモールス符号による遭難通信の取扱いは廃止された。今では船舶からの遭難信号の発信には、GMDSSによる非常用位置指示無線標識装置(EPIRB)が、航空機には航空機用救命無線機(ELT)が使われている。

誤発射[編集]

しかし自動化されたGMDSSに移行したことで、遭難信号の誤発射が急増した。

海上保安庁の発表によると2002年(平成14年)から2006年(平成18年)の5年間の遭難警報総数7802件中、誤発射が5702件もあった[79]。また1999年(平成11年)7月から2007年(平成19年)7月に発生した誤発射事件のうち795件について原因分析したところ(3件の不明を除き)、約65%が乗組員の人為的なミス(誤操作418件および整備不良95件)、約20%が機器不良(161件)、約15%が不可抗力(118件)だった[79]

現代のSOS[編集]

非常ボタンを表すピクトグラム

1976年(昭和51年)にリリースされたピンク・レディーの楽曲「S・O・S」では冒頭に置かれたモールス符号音SOSが問題となり放送できなかった(その後、冒頭のモールス符号音をカットしたものが放送されるようになった)。しかしテレビドラマ「マグマ大使」(フジテレビ、1966-67年(昭和41-42年))の主題歌では歌詞中に『SOS!SOS!』と連呼する箇所があったが、問題なくオンエアーされていた。これは音声による遭難信号は「メーデー」であって、「SOS」ではないからである。

しかし、その知名度は圧倒的にSOSの方が高い。モールス符号による遭難信号が廃止されたとはいえ、助けを求める言葉・文字としてSOS が広く社会に浸透しているため、形を変えて事故や災害現場で利用されることが少なくない。

東日本大震災で道路に書かれたSOS、宮城県女川町の江島
電車内に設置された非常ボタン(車内非常通報装置
駅のホームに設置された非常ボタン(列車非常停止警報装置

2014年(平成26年)4月にオーストラリアで砂州に取り残された5名が砂浜に巨大SOSを書いてヘリコプターに発見された事件や[80]、2016年(平成28年)8月にミクロネシアの無人島の砂浜に書かれたSOSの文字を海軍の航空機が発見し、二人の遭難者が救出されたこともあった[81]

また日本でも東日本大震災平成28年熊本地震の際に、食糧や水、負傷者の搬送などを求めるため、避難所となった学校の校庭や屋上などに、上空を飛ぶ飛行機やヘリコプターに見えるように大きく SOS の文字を作っている様子が見受けられた[82][83][84][85][86]

なお国際民間航空機関(ICAO)は国際民間航空条約の附属書12「捜索および救難」において対空目視信号(Ground-Air Visual Signal Code)を定めており、シンボル「V」には"Require assistance(救助を要す)"という意味が与えられている[87]

公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団が「SOS」の文字と受話器や押しボタンを組み合わせて、非常電話非常ボタンを表すピクトグラムを策定しており[88]鉄道車両内や鉄道駅などに表示されている場合がある。

モールス符号の SOS からの派生として、何かの信号を3回ずつ一定間隔で繰り返すことで、救助を求める信号となる(例:光を3回点滅させる、笛を3回鳴らす、銃を3回発砲する、石を3個重ねる、3本の棒切れを等間隔に立てる、周辺の物を燃やして3つの煙を等間隔に立てる、三角を描くように飛行する)[89]

またアップル社が2017年(平成29年)9月20日にリリースしたiPhoneのiOS11から「緊急SOS」機能が追加され話題をよんだ。これは緊急時にロックされたiPhoneから警察、海上保安庁、救急や消防へ通報できるものである。

脚注[編集]

  1. ^ "Regelung der Funkentelegraphie im Deutschen Reich" Elektrotechnische Zeitschrift 1905年4月27日号 Julius Springer 413-414ページ
  2. ^ J.W. Alcrn Radiotelegraph and Radiotelephone Codes Prowords and Abbreviations 1997 42ページ
  3. ^ 木村駿吉 「独逸国無線電信条例」 『世界之無線電信』 1905 内田老鶴圃 409-415ページ
    「独逸国無線電信条例
     独逸国逓信省は明治三十八年三月三十日を以て、公衆通信の為に無線電信を使用することに関係して条例を発布し、同年四月一日よりこれを実施せり。しかしてその主要なる事項左の如し (中略)
    第四條 通信規定
     第一号 通信の符号
     公開無線電報には普通モールス符号を用い かつ左の添符を加ふ、
    送信中止符 ― ― ― ― ― ― この符号は公開沿岸局のみより送信するを得るものとす
    危難符 ・・・― ― ― ・・・ この符号はすべて他の局の送信を止むるに至るまで、危難に頻する船舶より連続送信するものとす
    探求符 ・・・― ― ― ・ この符号はこれに次ぐに自己の船名をもってし、公海上の船舶より連続送信するものとす これに答ふるものは、ヒヤーなる語に次ぐに自己の船名をもってすべし」
  4. ^ 逓信省通信局編 『欧米に於ける電信電話事業』 1906 逓信省 609-620ページ
  5. ^ a b 明治41年6月23日逓信省告示629号
    国際無線電信条約附属業務規則(7月1日発効)
    「第十六條  遭難船舶は左の符号を使用し短少なる間隔を以て之を反復するものとす
    ・・・― ― ― ・・・
    局が遭難の符号を認むるときは直に総ての通信を中止することを要し且救助の呼出に基く通信の終了したることを確めたる後に非ざれば通信を再始することを得ず
    遭難船舶が其の救助の呼出の連続の終に指定する局の呼出符号を加える場合に於ては此の指定局に非ざれば其の呼出に応答すべからず救助の呼出中に指定局名を欠くときは此の呼出を認むる局は各之に応答することを要す」
  6. ^ 遭難信号・・・― ― ― ・・・はSOSの各文字の間に間隙を入れずに続けて送信される(SOSのように上線を引くのは、字間を空けずに送信する符号であることを示す)。
  7. ^ APPENDIX 9:Miscellaneous Abbreviations and Signals to be used in Radiocommunications
  8. ^ SECTION II. MISCELLANEOUS ABBREVIATIONS AND SIGNALS
  9. ^ 明治34年 海軍省内令第143号(1901年11月13日)
  10. ^ 和文符号ナ(・― ・)、ラ(・・・)だが、もし欧文符号で表現すればR(・― ・)、S(・・・)になる。
  11. ^ 明治41年逓信省令第16号(1908年4月8日)
  12. ^ a b 明治41年逓信省公達第341号(1908年4月9日)
  13. ^ 明治41年海軍省達第129号(1908年10月28日)
  14. ^ 大正4年逓信省令第46号(1915年10月26日)
  15. ^ 昭和8年逓信省令第46号(1933年12月29日)
  16. ^ 昭和25年電波監理委員会規則第7号(1950年6月30日)
  17. ^ 諸種の略号及び符号
  18. ^ 船舶または航空機が重大かつ急迫の危険に陥った場合に遭難信号を前置する方法その他、総務省令で定める方法により行う無線通信をいう。
  19. ^ 無線電信通信の略符号
  20. ^ その他の略符号
  21. ^ 国内通信及び国際通信に使用する略符号
  22. ^ 遭難信号は通信中止要求符号でもあったため、「Suspend Other Service」や「Stop Other Service」は非常に整合性が良かった。
  23. ^ SOSは「Stop Other Service」等を語源とするのかもしれない。
    しかし遭難信号・・・― ― ― ・・・に対し後付けされたものがSOSであるから、「SOSの語源」イコール「遭難信号・・・― ― ― ・・・の語源」ではない。
    もし強いて挙げるならば、遭難信号・・・― ― ― ・・・の語源に相当するのは、ドイツの一般呼出信号・・・― ― ― ・であろう。
  24. ^ "A Lightship Damaged : Wireless telegraphy used" The Express and Telegraph 1899年5月1日 2ページ
    これを3月3日とする文献も一部にあるが、上記をはじめとする当時の新聞は4月28日の事故として報じている。
    また同年3月にイースト・グッドウイン灯台船がこの浅瀬で座礁中のドイツの貨物船Elbe号を発見し無線電信で救助を要請したとする文献もあるが、Elbe号はそのあと自力で離礁・脱出したため、これは「救助された」事例から除外する。
  25. ^ マルコーニ社は1898年暮れより「イースト・グッドウィン灯台船」と「サウス・フォアランド灯台」に無線実験局を開設し、陸-海通信の試験を繰返していた。
    このサウスフォアランド灯台実験局は1899年3月27日にフランスのウィムローに建設した実験局との間でドーバー海峡横断試験を成功させたことでも有名。
  26. ^ a b 連邦通信委員会編 Distress Call FEDERAL COMMUNICATIONS COMMISSION 24th Annual Report for Fiscal Year 1958(米国連邦通信委員会, 1958年度 年次報告書) 政府印刷局US GPO 166ページ
  27. ^ マルコーニ国際海洋通信会社の50周年記念出版
    H.E. Hancock 「Formation of Marconi Marine Company」 Wireless At Sea :The First Fifty Years 1950 Marconi International Marine Communications Company Limited 23-27ページ
  28. ^ マルコーニ国際海洋通信会社の50周年記念出版
    H.E. Hancock 「Early Installations in Ships」 Wireless At Sea :The First Fifty Years 1950 Marconi International Marine Communications Company Limited 28ページ
  29. ^ Guglielmo Marconi 「Syntonic Wireless Telegraphy」 Journal of the Society of Arts May 17, 1901 - No.2530 Vol.XLIX 306-315ページ
  30. ^ Preliminary Conference on Wireless Telegraphy, ITUサイト
  31. ^ Orrin E. Dunlap Jr. The Story of Radio 1935 The Dial Press 57ページ
  32. ^ Accident at Sea Ottumwa tri-weekly courier 1903年12月10日 1ページ
  33. ^ The Kroonland Disabled :Red Star Liner First to Use Wireless Telegraphy in Distress New York Times 1903年12月9日 1ページ
  34. ^ Year Book of Wireless Telegraphy and Telephony 1913 Marconi Press Agency Limited 319ページ
  35. ^ タイタニック号沈没事件の査問員会において、ウィリアム・スミス上院議員の質問に答えたマルコーニの発言を報じた新聞記事
    Daily Captal Journal 1912年4月20日 10ページより引用
    「Marconi, the wireless inventor, who present at the investigation, explained that C.Q. means "all stations" and D means "danger" or "distress," adding that the international wireless conference has decided to substitute "S.O.S." for the distress call.」
  36. ^ Wireless Message Reaches Newport Albuquerque Evening Citizen 1905年12月11日 1ページ
  37. ^ Wireless Message Saved The Washington Post 1905年12月20日 3ページ
  38. ^ 日露開戦直後に、濃霧の旅順沖で二等巡洋艦吉野の左舷に一等巡洋艦春日が激突し、無線で救助を求めた吉野が沈没した事件
  39. ^ 電波監理委員会編 『日本無線史』第九巻 1951 p23
  40. ^ 木村駿吉 "序" 『世界之無線電信』 1905 内田老鶴圃 pp3-6
  41. ^ International Radiotelegraph Conference、ITUサイト
  42. ^ N旗とC旗を上下に並べて掲げる
  43. ^ 1912年、ロンドンの第二回国際無線電信会議で決まったという説は誤りである。
  44. ^ 電波監理委員会編 「第二章 無線通信の誕生(第二編 マルコニ式無線電信利用の独占)」 『日本無線史』第五巻 1951 26-28ページ
  45. ^ Department of Commerce(米国商務省)編 Important Events in Radiotelegraphy 1916年2月1日 GPO政府印刷局 12ページ
  46. ^ Orrin E. Dunlap Marconi :The Man and His Wireless 1937 Macmillan 164-179ページ
  47. ^ 英国系海運会社の大西洋航路の大型客船は、どの会社もほぼすべてがマルコーニ局を置いていたため、SOSを使わなくても、社内符号CQDで充分事足りると考えられた。
  48. ^ マルコーニ国際海洋通信会社の通信士
  49. ^ 1912年にロンドンで開かれた第二回国際無線電信会議において国別の国際呼出符字列が決議されて以降は国籍識別を前置したコールサインに移行した。この時にマルコーニ社の本社がある英国は国際符字Mを獲得した。
  50. ^ なお沈没したリパブリック号の呼出符号MKCは、1911年に同じホワイト・スター・ラインの新造船オリンピック号に継承された。
  51. ^ “STEAMER ARAPAHOE BREAKS SHAFT AT SEA" The New York Times 1909年8月12日 1ページ
  52. ^ “STEAMER ARAPAHO STILL ON THE ROCKS” The Washington Times 1909年8月12日 1ページ
  53. ^ "C.Q.D. Call Saved 410 on Slavonia" The Washington Times 1909年6月13日 1ページ
  54. ^ "Call of "C.Q.D. Again Saves Human Lives" The Salt Lake Herald 1909年6月13日 1ページ
  55. ^ スラボニア号をSOS第一号とするPatrick Robertsonの書籍、およびその翻訳本が日本では引用されることがある。しかし筆者Patrick Robertsonはその根拠となる出典を明示していない

    1) “Patrick Robertson The Shell Book of First Ebury Press 1974"、その翻訳本”大出健(翻訳) 『世界最初辞典-シェルブック』 講談社 1982”
    2) “Patrick Robertson The New Shell Book of Firsts Headline Book Pub 1994”、その翻訳本 ”大出健(翻訳) 『雑学・世界なんでもかんでも「最初のこと」』 講談社 1998”
  56. ^ スラボニア号を所有するキュナード・ライン社は、英国の「大手」海運会社の中で最もはやくマルコーニ国際海洋通信会社と契約している(1901年)。スラボニア号のマルコーニ局MVAが自社のCQDを使わず、なぜSOSを発信したかについて触れられた文献は現在のところ見当たらない。
  57. ^ “ALL OF THE PASSENGERS ARE RESCUED” The Seattle Star 1909年8月27日 1ページ
  58. ^ “SUBMERGED WRECK LIKELY ASTOR’S YACHT NOURMAHAL” The Salt Lake herald-Republican 1909年11月21日 1ページ
  59. ^ "Saving call via wireless "S. O. S.," Substituted for "C. Q. D." :brings succor to Kentucky Rock Island Argus 1910年2月5日 1ページ
  60. ^ Ships Crash in Fog : Wireless “S.O.S.” Call Interrupted New-York tribune 1910年3月3日 4ページ
  61. ^ S.O.S. Save Scores of Ship's Passengers The Mathews journal 1910年7月28日 8ページ
  62. ^ ”Ship Calls for Help:Oklahoma’s Wireless Message Reaches Revenue Cutter” The Washington Post Oct.24,1910 p3
  63. ^ ”Steamer Oklahoma in Peril:She Sends Out Wireless Calls for Aid - Cannot Be Located” The New York Times Oct.24,1910 p1
  64. ^ "Wireless Call was Hoax" The New York Times Oct.25,1910 p1
  65. ^ John Dilks "Jack Irwin, Marconi Wireless Man" QST Aug.2010 ARRL
  66. ^ 1年半前のリパブリック号のジャック・ビンズ通信士が打ったCQDを、シアスコンセント海岸局MSCで受信した通信士である。
  67. ^ 救助直後にアメリカ号のエンジニア兼写真家メルビン・ヴァニマンが猫を抱いた姿が撮影されている。この猫はアメリカ号が離陸した後、発見された"密航"猫である。
  68. ^ John Dilks "The CQD and Rescue" QST Nov.2010 ARRL
  69. ^ "Rescue Story in Wireless" The New York Times Oct.20, 1910 p1
  70. ^ "Real Aieship Story in a Blurred Scrawl" The New York Times Oct.23, 1910 p3
  71. ^ Orrin E. Dnlap Jr. MARCONI :The man and his wireless 1937 The Macmillan Company 183-203ページ
  72. ^ "General Distress Call Sent" The Washington Post Apr.8, 1912 p1
  73. ^ "Taaken Off Steamer: Passengers Transferred from Burning Ontario" Evening Star Apr.8, 1012 p1
  74. ^ 電波監理委員会編 「第四章 ベルリン第一回国際無線電信会議(第四編 条約の批准)」 『日本無線史』第五巻 1951 70ページ
  75. ^ "Honor Sarnoff, De Forest" 週刊Broadcasting 1939年2月15日号 78ページ
  76. ^ SEA CAPTAINS MEET LONG AFTER CRASH The New York Times 1939年2月12日
  77. ^ VWOA News Communications 1932年2月号 Bryan Davis Publishing Co. 41ページ
  78. ^ International Maritime Organization "Development of the maritime distress and safety system, RESOLUTION A.420(XI), Nov.15,1979" Resolutions and other decisions of the 11th Assembly IMO 1980 pp111-118
  79. ^ a b ”真の遭難者を救うために! ~海のSOSが悲鳴~” 海上保安庁警備救難部救難課 2007年11月22日
  80. ^ Giant SOS saves boaties in Australia (Video)
  81. ^ SOS ISLAND RESCUE Men stranded on tiny tropical island saved after US Navy aircraft spots their ‘SOS’ in the sand
  82. ^ 東日本大震災:「SOS」の文字…被災地上空ルポ(毎日新聞 2011年3月13日)
  83. ^ 忘れないあの日 カメラが捉えた3. 11 河北新報 On Line 2015年2月21日
  84. ^ 東日本大震災の記録―避難所の運営をとおして―石巻市立釜小学校
  85. ^ 特集:大規模災害と警察~震災の教訓を踏まえた危機管理体制の再構築~
  86. ^ “椅子で作った「SOS」に支援物資届く”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年4月18日). http://mainichi.jp/articles/20160418/k00/00e/040/166000c 2016年7月8日閲覧。 
  87. ^ 「Ground-air visual signal code」 Annex 12:Search and Rescue 8th Edition 2004 International Civil Aviation Organization Appendix-page1
  88. ^ [1]
  89. ^ 藤原宰太郎「名探偵に挑戦」第5集、KKベストセラーズ1995年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]