ベンジャミン・グッゲンハイム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベンジャミン・グッゲンハイム
生誕 1865年10月26日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 1912年4月15日(満46歳没)
北大西洋ニューファウンドランド島
職業 実業家
配偶者 フローレット・セリグマン(1894年 - 1912年)
子供 3人

ベンジャミン・グッゲンハイムBenjamin Guggenheim1865年10月26日 - 1912年4月15日)は、アメリカ合衆国実業家で、ユダヤ系ドイツ人マイアー・グッゲンハイムの息子である。グッゲンハイム家の一員であり、タイタニック号沈没事故により亡くなった。

前半生[編集]

1865年に、マイアー・グッゲンハイムと妻バーバラの10人の子供(息子7人、娘3人)のうち、6番目の息子として生まれた[1]。彼は1894年に、フローレット・セリグマン(fr:Floretta Seligman1870年 - 1937年)と結婚した[2]。2人の間には3人の娘が生まれた。そのうち次女のペギー・グッゲンハイム(en:Peggy Guggenheim1898年8月26日 - 1979年12月23日)は、のちに美術品収集家として有名になった。

彼は父から莫大な財産を引き継いだが、父の商才までは引き継ぐことはできず、財産は拙劣な投資によって漸減していった。妻との仲は疎遠になったが、表向きは仕事を理由にして頻繁にニューヨークにある家を空け、パリに所有していたアパルトマンとの間を往復するようになった。

タイタニック号[編集]

タイタニック号では、1等船客としてシェルブールから乗船してニューヨークへ向かった。同行者は従者のヴィクター・ギグリオ[3]、運転手のルネ・ペルノ[4]、そして愛人のフランス人歌手マダム・アウベルト[5][6]と彼女のメイドを務めていたエマ[7][8]の合計4名だった。グッゲンハイムとギグリオは1等船室のB-82号、マダム・アウベルトとエマは同じく1等船室のB-35号、運転手のペルノは2等船室を割り当てられた。 氷山衝突後の4月15日0時10分頃には1等船室付きのスチュワード、ヘンリー・サミュエル・エッチェズ[9][10]に手伝ってもらい救命胴衣をつけた。グッゲンハイムとギグリオは、マダム・アウペルトとエマを救命ボート乗り場へ連れて行った。女性2人が渋々9号救命ボート[11][12]に乗りこんだ後、グッゲンハイムはエマにドイツ語で「またすぐに逢えるさ、ちょうど修理中なのだから。明日にはタイタニック号はまた動くだろう」と言って2人を見送った。ボートはその後、1時30分頃にタイタニック号から離れた。

事態の深刻さを悟っていたグッゲンハイムは、1時20分頃には救命胴衣を脱ぎ、夜会服に正装してギグリオ及び他の2人の船客と一緒に1等船客休憩室に現れた。グッゲンハイムは、「最上の服装に着替えてきた。これで紳士に相応しく沈んでいく準備は整った」と発言したという[13]。また、妻に宛てて「私は最善を尽くした」という手紙を生存者に託していた[13]。グッゲンハイムとギグリオの姿が最後に目撃されたとき、デッキチェアーに腰掛けた2人はブランデーグラスを傾け、葉巻をくゆらせていた。その後の2時20分に、タイタニック号は沈没した。グッゲンハイム、ギグリオ、運転手ペルノの遺体はついに確認されなかった。

映画A Night to Remember(SOSタイタニック 忘れえぬ夜)や『タイタニック』でも彼の最期が描かれている[14]

脚注[編集]

  1. ^ 英語版7 December 2010 at 10:56では、「7人兄弟の5番目」となっているが、ここでは実父マイアー・グッゲンハイムの英語版5 December 2010 at 09:26での記述によった。
  2. ^ Guggenheim-Seligman New York Times encyclopedia titanica 2010年12月12日閲覧(英語)
  3. ^ Mr Victor Giglio 2010年12月12日閲覧(英語)
  4. ^ Mr René Pernot 2010年12月12日閲覧(英語)
  5. ^ Mme. Léontine Pauline Aubart 2010年12月12日閲覧(英語)
  6. ^ 本名をレオンティーヌ・ポーリーヌ・アウベルト(Léontine Pauline Aubart)といい、当時24歳だった。パリ生まれの彼女は、「ニネット」(Ninette)という愛称でも知られていた。その後1964年10月29日に、77歳で死去している。
  7. ^ Mlle Emma Sägesser 2010年12月12日閲覧(英語)
  8. ^ 事故当時の年齢はマダム・アウペルトと同じ24歳で、スイス生まれだった。事故後アウペルトとともにパリに戻り、その後スイスに帰った。1926年に結婚してチューリッヒで暮らし、1964年5月24日に死去した。
  9. ^ Mr Henry Samuel Etches 2010年12月12日閲覧(英語)
  10. ^ エッチェズは5号救命ボートで脱出に成功し、後にアメリカ合衆国上院で沈没について証言した。彼はグッゲンハイムたちの最期についても証言を残している。
  11. ^ Titanic Survivors : Lifeboat 9 2010年12月12日閲覧(英語)
  12. ^ この救命ボートには、2人を含めて30人が乗り込んだ。
  13. ^ a b ウォルター・ロード 『タイタニック号の最期』 佐藤亮一訳、筑摩書房ちくま文庫〉、1998年、111-112頁。
  14. ^ Benjamin Guggenheimインターネット・ムービー・データベース) 2010年12月24日閲覧(英語)

参考文献[編集]

  • ジャック・ウィノカー編 『SOSタイタニック号』 佐藤亮一訳、恒文社、1991年 ISBN 4-7704-0742-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]