東京大学検見川総合運動場

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2011年8月撮影

東京大学検見川総合運動場(とうきょうだいがくけみがわそうごううんどうじょう)は、千葉県千葉市花見川区の花園町・朝日ケ丘町・畑町に跨る東京大学の総合運動場。運動場の他、農学生命科学研究科附属緑地植物実験所、薬学系研究科附属薬用植物園が隣接している。

設備[編集]

検見川セミナーハウス

所在地[編集]

  • 検見川総合運動場
    千葉市花見川区花園町1035
    (花園小学校隣)
  • 緑地植物実験所:千葉市花見川区畑町1051
  • 薬用植物園:千葉市花見川区畑町1479
  • 総武線 新検見川駅より徒歩8分ほど
  • 京葉線 検見川浜駅からも行くことができる。

歴史[編集]

草創期(昭和13〜15年)[編集]

  • 東京大学運動会が京浜沿線・板橋など近郊の候補地から選定して建設が決まった。
  • 起伏のある地形がグラウンドとしての総合的な利用の向いており、東京大学から40分ほどで行けるという地理的な要因から選ばれた。
  • 丘陵地と平地で厚生されていたため地ならしの必要があり、建設当時は「我々のグランドは我々の手で」をスローガンに7月のみ勤労奉仕学生が三年間建設に従事していた。

混乱期(昭和16-38年)[編集]

検見川厚生農場時代[編集]

  • 戦前は食糧難から東京大学検見川厚生農場として利用された。主に乳製品などが生産された。

ゴルフ場時代(昭和28〜37年)[編集]

  • 戦後食料余剰の時期にゴルフ場として運営されていた。当時は国立施設が使用されることに反対の声も多かった。
  • 戦中から戦後にかけ燃料不足を補うため東京都は、東京大学検見川厚生農場の一部を借り受け草炭を採掘していたが、1947年昭和22年)7月28日に採掘現場で縄文時代丸木舟が掘り出され、その後1951年(昭和26年)3月には、今から2000年前(弥生時代後期)のハスの実3粒が発掘された。3粒のハスの実のうちの1粒が植物学者大賀一郎博士によって発芽に成功、翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせ大賀ハスと名づけられた。

発展期(昭和38年〜)[編集]

東京オリンピック会場としての利用[編集]

売却問題[編集]

  • 東京大学は、法人化に伴い財政難に陥っており、大賀ハスの生育されている施設を含めた、同運動場の売却を検討している。これに対し、千葉市民らが、大賀ハスが千葉市の市花となっており、シンボルキャラクターともなっていることなどを考慮し、存続を求めている[1]
  • 現在は騒動は収束している。

記念史の発行[編集]

  • 昭和52年、東京大学運動会により四十年記念史が発行される。

地域の顔としての検見川グラウンド[編集]

  • 毎年、近隣の千葉市立花園小学校畑小学校などが遠足で訪れる。(なお、花園小学校はグラウンドまで徒歩1分ほどである。)
  • 毎年、近隣住民で結成された大賀ハスふるさとの会が観蓮会を開催している。
  • その他、クロスカントリー大会が開催されたこともある。

周囲の写真[編集]

北側は広い道路で周囲の住宅地と区切られている。
東側からはグラウンド内部を見ることができる。

検見川地区はかつて沼であったため、起伏の大きな地形が特長である。

周囲は道路に囲まれているが、一周するのに自転車で約20分かかる。

南側は周囲と5メートルほど高さの差がある。

脚注[編集]

  1. ^ 大賀ハス:ゆかりの研修施設 東大が売却検討 千葉 毎日新聞 2012年1月4日

参考文献[編集]

東京大学検見川総合運動場四十年史

西側には大賀ハスの観蓮池がある。

外部リンク[編集]