ブレーメン (客船・3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Bundesarchiv Bild 102-11081, Schnelldamper "Bremen".jpg
基本情報
船籍 Kaiserliche Marine Jackドイツ(1928年〜1946年)
所有者 ロイド社
建造所 Deutsche Schiff- und Maschinenbau
経歴
進水 1928年8月2日
竣工 1929年6月24日
就航 1929年7月16日
その後 1946年に解体
要目
総トン数 51,656トン
全長 938.6フィート(286.1m)
全幅 101.7フィート(31m)
機関方式 蒸気タービン4基
25,000馬力
スクリュー4軸
速力 27.5ノット
旅客定員 2139名、1等811名、2等500名、特別クラス300名、3等617名
乗組員 966名
その他 水上機1機、射出機1基
テンプレートを表示

ブレーメンSS Bremen)は、1929年に就航した北ドイツ・ロイド汽船(略称 NDL en)のオーシャン・ライナーで、北大西洋横断のために建造された大型客船である。

船歴[編集]

1930年代を予告する革新的な船形デザインの評判と高速性能を誇ったドイツの豪華客船だった。処女航海では西航、東航ともに新記録を樹立し姉妹船オイローパと共に長年にわたり保たれていたイギリス船の速度の記録を覆した。1930年代では、国家間[1]で大きさ・豪華さに重点をおいた客船の建造競争があり、2隻を所有したドイツも、他国と火花を散らしていた。姉妹船オイローパはその後第二大戦の賠償でフランスに譲渡、リベルテと改名している。

1924年、ニューヨーク航路に就航したコルンブスColumbus・英語版)の[2]好評判を受けてNDLは二隻の新造船を計画、クルーズ航海も可能な3万5千総トンサイズの船体を念頭に進められ起工後にボイラーとその推進機関は25,000馬力を発揮するものに変更され5万総トンの船体に大型化されている。 1927年6月18日デシマーク造船(en)、ブレーメン・ヴェザー造船所で起工。 ブレーメンとその姉妹船オイローパは、大西洋を巡航速度27.5ノット、5日で横断できるように設計されていた。このことにより、通常3隻を交代させる必要がある大西洋横断を閑散シーズンには2隻で毎週行うことが可能となった。ブレーメンはテストの際、最高速度32ノットを記録した。

運行計画の本来はブレーメンとオイローパは同時に就航する予定であったが、オイローパは艤装作業中に火災が発生、鎮火放水したものが滞留してしまい船尾が着底する沈没状態になり排水引き上げと修理に時間がかかったため、1929年7月16日、ブレーメンはブレーマーハーフェン - ニューヨーク間の処女航海を単独で行った。この際、ブレーメンは4日17時間42分、平均速度27.85ノットでニューヨークに到着し、モーリタニアから西回り航路のブルーリボン賞を奪った。さらに次の航海では、4日14時間30分、平均速度27.91ノットを記録し東回り航路のブルーリボン賞を受賞した。これによりブレーメンは、初めて処女航海で記録を破った船舶となった。[3][4]後に、ブレーメンの記録は1930年に西回り航路を姉妹船オイローパに、1935年に東回り航路をノルマンディーに破られた。

バルバス・バウを採用した最初の大型客船で、建造に際しドイツの最先端工業技術を結集し、内装デザインや備品をドイツ国内から広いコンペティションで募集した。竣工時にはカタパルトが設置され1935年まで、ハインケルHe12で入港に先立つ24時間前頃に郵便物を積み込み先行輸送するサービスを行っていた。

斬新な船形デザインが災いし、のちに煤煙対策で煙突は6.4mかさ上げ延長された。

1935年頃のブレーメン

1933年1月にナチス政権を握った際、ブレーメンはニューヨーク港の桟橋に停泊しており、ナチズムファシズムを批判する抗議活動に使用された。7月、反ナチズム活動家のグループが乗り込み、船首マストに掲げられていたナチ党旗(ハーケンクロイツ旗)を引きずり下ろし、ハドソン川に投げ込む事件が発生した。当時のナチス・ドイツでは、帝政時代と同じ三色旗を暫定的な国旗とし、これと共にハーケンクロイツ旗を掲揚すると定めていたが、ドイツ側からの抗議に対しアメリカ政府は「棄てられたのは正式な国旗ではなくあくまでナチ党旗であり、国旗の名誉を汚したとは言えない」旨の返答をしたため、これを受けて総統アドルフ・ヒトラーは、1935年9月15日に「国旗法」を公布し、三色旗を廃止してハーケンクロイツ旗のみを国旗とすることを定めた。[3][5][6]

1939年8月26日ドイツ海軍ポーランド侵攻のため、ドイツの商船は帰還し、港に停泊するよう命じた。ブレーメンはちょうどニューヨークに到着済みで、北大西洋をイギリス巡洋艦を避けるように進路を取りソビエト連邦の国旗を掲揚するなど偽装したのち、9月6日に中立国だったソ連のムルマンスクに到着した。10月10日、ブレーメンは再び出港し、10月13日ブレーマーハーフェンに到着した。この際、ブレーメンはイギリスの潜水艦サーモンに発見されたが、護衛のDo 18がついていたためサーモンは潜航し、艦長のE.O. Bickford少佐は当時の海事法も考慮し、魚雷攻撃を中止した。[7]

ドイツ国防軍は、アシカ作戦に向けてブレーメンを徴用する計画であったが、中止となったため、艤装半ばのまま係船された。1941年、造船所の埠頭で火災に遭い全焼した。調査によるとこの火災は放火によるもので、レジスタンスの破壊工作などではなく、容疑者はキャビンボーイのある少年で、所有者の待遇や管理職上司に対する個人的な恨みによる犯行で、当夜の出火した時刻に船長は所要でブレーメンから外出していた。戦況から再生可能な備品機器は撤去転用され、ブレーメンの船骸は敗戦後に1946年に解体された。解体工事では水底に埋没した船底の一部が残された。

1929年当時のブレーメン

要目[編集]

  • 総トン数:51,656総トン
  • 全長:286.0m(938.6フィート)
  • 全幅:31m(101.7フィート)
  • 機関:主缶重油専焼 主機タービン4基4軸
  • 軸馬力:135,000馬力
  • 最高速力:27.83ノット
  • 乗客定員:2139名(1等客811名、2等客500名、観光客用クラス300名、3等客617名)
  • 乗員:966名
  • 搭載機:水上機1機、カタパルト1基
  • 所属:北ドイツ・ロイド社
  • 竣工:1929年6月24日

脚注[編集]

  1. ^ イギリス、ドイツ、フランス、イタリア
  2. ^ 1913年に船体が竣工、内装や艤装未成で第一次世界大戦で工事中断後終戦でイギリスに賠償船として引き渡されたホワイト・スター・ラインのホメリック(en)の姉妹船にあたり、船名はホメリックが名乗る予定だったものを引き継いだ。
  3. ^ a b Huchthausen, Peter A. (2005). Shadow Voyage: The Extraordinary Wartime Escape of the Legendary SS Bremen. Hoboken, New Jersey: John Wiley & Sons. OCLC 55764562. ISBN 0471457582 
  4. ^ Huchthausen, Peter A.. “The SS Bremen Article”. 2007年11月2日閲覧。
  5. ^ Bailey, Bill (1993). “Chapter XIV: Ripping the Swastika off the Bremen”. The kid from Hoboken : an autobiography. San Francisco: Circus Lithographic Prepress. OCLC 27835027. http://www.larkspring.com/Kid/Book2/2-14.html 2007年11月2日閲覧。 
  6. ^ Historical flags (Germany)”. Flags of the World (2003年12月27日). 2007年11月2日閲覧。
  7. ^ http://web.ukonline.co.uk/chalcraft/sm/salmon.html

参考資料[編集]

  • 「世界の艦船」海人社
  • 『豪華客船物語』六興出版 松井邦雄著 1990年8月 ISBN 4-8453-6048-9
  • 『豪華客船スピード競争の物語』 成山堂書店 1998年2月 著 Denis Griffiths・翻訳 粟田 亨 ISBN 978-4425712915
  • NTT出版『豪華客船の文化史』野間恒著 1993年4月 ISBN 4-87188-210-1

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

記録
先代:
モーリタニア
ブルーリボン賞 (船舶)(西回り航路)保持船舶
1929年〜1930年
次代:
オイローパ
ブルーリボン賞 (船舶)(東回り航路)保持船舶
1929年〜1935年
次代:
ノルマンディー