アポロ11号
|
| |
| 任務種別 | 有人月面着陸 |
|---|---|
| 運用者 | NASA |
| COSPAR ID |
|
| SATCAT № |
|
| 任務期間 | 8日と3時間18分35秒 |
| 特性 | |
| 宇宙機 |
|
| 製造者 |
|
| 打ち上げ時重量 | 100,756ポンド (45,702 kg) |
| 着陸時重量 | 10,873ポンド (4,932 kg) |
| 乗員 | |
| 乗員数 | 3名 |
| 乗員 | |
| コールサイン |
|
| 任務開始 | |
| 打ち上げ日 | 1969年7月16日13:32:00 (UTC) |
| ロケット | サターンV SA-506 |
| 打上げ場所 | ケネディ宇宙センター LC-39A |
| 任務終了 | |
| 回収担当 | USS Hornet |
| 着陸日 | 1969年7月24日16時50分35秒 (UTC)[1] |
| 着陸地点 |
北太平洋 北緯13度19分 西経169度9分 / 北緯13.317度 西経169.150度[1] |
| 軌道特性 | |
| 参照座標 | 月周回軌道 |
| 近点高度 | 54.5海里 (100.9 km)[2] |
| 遠点高度 | 66.1海里 (122.4 km)[2] |
| 傾斜角 | 1.25度[2] |
| 軌道周期 | 2時間[2] |
| 元期 | 1969年7月19日21:44 UTC[2] |
| 月オービター | |
| 宇宙船搭載構成物 | 司令・機械船 |
| 軌道挿入 | 1969年7月19日17:21:50 UTC[3] |
| 軌道脱出 | 1969年7月22日04:55:42 UTC[3] |
| 軌道周回数 | 30 |
| 月着陸船 | |
| 宇宙船搭載構成物 | 月着陸船 |
| 着陸 | 1969年7月20日20:17:40 UTC[4] |
| 帰還 | 1969年7月21日17:54 UTC |
| 着陸地点 |
静かの海 北緯0度40分27秒 東経23度28分23秒 / 北緯0.67408度 東経23.47297度[5] |
| 標本採集量 | 47.51ポンド (21.55 kg) |
| 船外活動回数 | 1 |
| 船外活動時間 | 2時間31分40秒 |
| 月着陸船のドッキング(捕捉) | |
| ドッキング(捕捉)日 | 1969年7月16日16:56:03 UTC[3] |
| 分離日 | 1969年7月20日17:44:00 UTC[3] |
| 月着陸船上段ロケットのドッキング(捕捉) | |
| ドッキング(捕捉)日 | 1969年7月21日21:35:00 UTC[3] |
| 分離日 | 1969年7月21日23:41:31 UTC[3] |
|
左から:アームストロング、コリンズ、オルドリン | |
アポロ11号は、史上初めて人類を月に着陸させることに成功したアポロ宇宙船、及びそのミッションの名称である。
目次
概要[編集]
アポロ11号はNASAのアポロ計画の5度目の有人ミッションとして、ニール・アームストロング船長、バズ・オルドリン操縦士、マイケル・コリンズ操縦士の3名の宇宙飛行士を乗せて[6]、1969年7月16日の東部夏時間午前9時32分 (13:32 UTC=協定世界時) に[6]、フロリダ州メリット島にあるケネディ宇宙センターからサターンV型ロケットで打ち上げられた。月軌道ランデブーを実現可能にしたアポロ宇宙船は、次の3つの部分から成る。3人の宇宙飛行士が乗り込める船室を備え、唯一地球に帰還する部分である司令船 (CM) 、推進力、電力、酸素、水を供給して司令船を支援する機械船 (SM) 、月に着陸するための下降段と、月を離陸して月周回軌道まで宇宙飛行士を再び帰すための上昇段の二段式になっている月着陸船 (LM) である。
アポロ11号はサターンVの第三段の推力で月に向かい、途中で司令船をサターンVから切り離して着陸船とドッキングし、およそ3日半かけて月周回軌道に到達した。アームストロングとオルドリンは二段式の月着陸船「イーグル」に乗り移り、司令船「コロンビア」から分離した後、下降段ロケットの噴射で減速しつつ、7月20日20:17 (UTC) に月面の静かの海に「イーグル」を軟着陸させた。着陸から6時間余り後の7月21日02:56:15 (UTC) にアームストロングは月面に足を降ろし、約20分後にオルドリンがそこに加わった。こうして二人は人類として初めて月面に降り立った人物となった。二人は共に2時間15分ほど船外で過ごし、47.5ポンド (21.5 kg)の月物質を地球に持ち帰るために採集した。コリンズは司令船「コロンビア」に一人残り、二人が月面にいる間、月周回軌道上で司令船を操縦する傍ら、月面の写真撮影を行なった。アームストロングとオルドリンは21時間半を月面で過ごした後、「イーグル」上昇段を離陸させ、月周回軌道上にて司令船「コロンビア」と再ドッキングし、コリンズと合流した。「イーグル」を投棄した後、宇宙飛行士たちは司令船を地球へ帰還する軌道に乗せる操作を行い、ロケットを噴射して月軌道を離脱した。三人は8日間以上の宇宙飛行を終えて、7月24日に地球に帰還し、太平洋に着水した。
月への着陸の様子は世界中に向けてテレビジョン放送で生中継された。アームストロングは月面に足を降ろし、この出来事について「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と述べた。アポロ11号は実質的に宇宙競争を終わらせ、アメリカ合衆国は、1961年に故ジョン・F・ケネディ大統領が掲げた「この60年代の終わりまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という国家目標を見事に達成した[7]。
枠組み[編集]
正規搭乗員[編集]
| 地位 | 宇宙飛行士 | |
|---|---|---|
| 船長 | ニール・A・アームストロング 最後にして2回目の宇宙飛行 | |
| 司令船操縦士 | マイケル・コリンズ 最後にして2回目の宇宙飛行 | |
| 月着陸船操縦士 | エドウィン・E・オルドリンJr. 最後にして2回目の宇宙飛行 | |
ニール・アームストロングを船長に、ジム・ラヴェルを司令船操縦士 (CMP) に、バズ・オルドリンを月着陸船操縦士 (LMP) に、それぞれ割り当てることが公式に発表されたのは1967年11月20日のことだった[8]。搭乗員全員がいずれも過去に宇宙飛行を経験したことのあるベテラン飛行士で編成されたのは、アメリカの宇宙開発史上、アポロ10号に次いで[9]、これが2度目のことだった[10]。以後、全員がベテラン飛行士で編成される3度目の機会は、1988年のSTS-26まで訪れることはなかった[10]。ラヴェルとオルドリンは以前、ジェミニ12号の搭乗員として一緒に飛行したことがあった。この搭乗員は当初、アポロ9号の予備搭乗員として編成されたが、月着陸船 (LM) の設計と製造に遅れが生じたため、アポロ8号とアポロ9号は搭乗員および予備搭乗員が丸ごと交換され、アームストロング船長率いる搭乗員はアポロ8号の予備搭乗員になった。通常の搭乗員ローテーション計画に基づけば、アームストロングは当時アポロ11号の船長になることが予想されていたが[11]、一人変更されることになった。アポロ8号に乗り組む予定だったマイケル・コリンズが両脚に故障を抱え始めたためである[12]。医師らは、問題は5番目と6番目の椎骨間の骨の成長にあるとみられ、外科手術を要すると診断した[13]。このため、ラヴェルがコリンズに代わってアポロ8号の搭乗員になり、コリンズは1968年12月に脊髄の手術を受けて[14]故障から回復すると、司令船操縦士としてアームストロング船長以下の搭乗員に加わった。その間、フレッド・ヘイズが月着陸船操縦士として、オルドリンが司令船操縦士として、それぞれアポロ8号の予備搭乗員を務めた[15]。アームストロング、コリンズ、オルドリンの3名がアポロ11号[注 1]の搭乗員として指名されたのは、1969年1月のことだった[17]。他のアポロ飛行ミッションでは、中央の座席に司令船操縦士が座ることになっていたが、前述の事情があって最後に搭乗員に加わったのはコリンズだったために、先にオルドリンが真ん中の座席で訓練されていた[18]。このため、アポロ11号では、宇宙船(司令船)に乗り込む際、まずアームストロングが左側の船長席に、次にコリンズが右側の席に、そして最後にオルドリンが中央の席に、それぞれ座ることになった[18]。
予備搭乗員[編集]
| 地位 | 宇宙飛行士 | |
|---|---|---|
| 船長 | ジェームズ・A・ラヴェルJr. | |
| 司令船操縦士 | ウィリアム・A・アンダース | |
| 月着陸船操縦士 | フレッド・W・ヘイズJr. | |
予備搭乗員の構成は、ラヴェルが船長、アンダースが司令船操縦士、ヘイズが月着陸船操縦士だった。このうち、アンダースとラヴェルはアポロ8号で一緒に飛行したことがあった[10]。ところが、1969年前半にアンダースは同年8月に実施される国家航空宇宙会議との仕事を引き受け、その日に宇宙飛行士を引退することを発表した。その時点で、万が一アポロ11号が予定されていた7月の打ち上げより遅れてアンダースを任用できなくなった場合に備えて、ケン・マッティングリーを地上支援員から異動させ、予備の司令船操縦士としてアンダースと並行して訓練を受けさせることにした。ラヴェル、ヘイズ、マッティングリーの3名は最終的にアポロ13号の搭乗員として配属されることになった[19]。
地上支援員[編集]
- チャーリー・デューク:宇宙船通信担当官 (CAPCOM)
- ロナルド・エヴァンス:CAPCOM
- オーウェン・K・ギャリオット:CAPCOM
- ドン・L・リンド:CAPCOM
- ケン・マッティングリー:CAPCOM
- ブルース・マッカンドレス2世:CAPCOM
- ハリソン・シュミット:CAPCOM
- ビル・ポーグ
- ジャック・スワイガート
- ウィリアム・カーペンティア:航空医官 (SURGEON)
飛行管制主任[編集]
- クリフォード・E・チャールズワース(緑チーム) - 打ち上げおよび船外活動 (EVA) 担当
- ジェラルド・D・グリフィン(金チーム)
- ジーン・クランツ(白チーム) -月面着陸担当
- グリン・ルーネイ(黒チーム) - 月面離陸担当
コールサイン[編集]
アポロ10号の搭乗員が自分たちの搭乗するアポロ宇宙船を「チャーリー・ブラウン (Charlie Brown)」および「スヌーピー (Snoopy)」(共に漫画『ピーナッツ』のキャラクターに因む)と名付けた[20]後で、広報担当のジュリアン・シアーは当時有人宇宙船センター長だったジョージ・ロウに、アポロ11号の搭乗員が自分たちのアポロ宇宙船を命名する際はもう少し真面目な名前をつけてもらえないだろうかと提案する書簡を送った。NASAの計画の初期段階において、アポロ11号の司令船は「スノーコーン (Snowcone)」(かき氷)、同じく着陸船は「ヘイスタック (Haystack)」(干し草積み)という暗号名で呼ばれており、その報道発表で使用されていた[21]。
その後、司令船は「コロンビア (Columbia)」と命名され、その由来はアメリカを象徴的に擬人化した伝統的な女性名「コロンビア」で、ジュール・ヴェルヌの1865年発表の小説『地球から月へ』に登場する、(アポロと同様にフロリダから)宇宙船を発射するための巨大な大砲「コロンビアード」にも因んでいる。月着陸船は、アメリカの国鳥であるハクトウワシをミッションの徽章の主役として起用することが決定された後、「イーグル (Eagle)」と命名された[22]。
徽章[編集]
アポロ11号のミッション徽章はコリンズが「アメリカ合衆国による平和的な月面着陸」を象徴することを願ってデザインした(ページ上部参照)。ラヴェルの提案で、コリンズはワシを象徴に選んだ上で、遠くに地球を望みながら月を背景にして、嘴(くちばし)に平和の象徴であるオリーブの枝をくわえたワシを描いた[23]。写実的に見れば、この画の中の日光は差してくる方向が正しくないし、地球の影も左ではなくもっと下の方に描かれるべきだった。NASAの役人たちには、このワシの鉤爪は(そのままでは)あまりに戦闘的すぎると見えたようで[23]、かなりの議論があった後、オリーブの枝を嘴から足の爪に移すことで巧みに爪を隠した。アームストロングは "eleven" の表記では非英語話者には理解しにくいであろうことを懸念したので、"Apollo 11" とアラビア数字表記になった[24]。また、アポロ11号の搭乗員たちは自分たちの名前を徽章に記載しないことに決め[注 2]、徽章は「月面着陸に向けて働いた“みんな”を代表する」ものとなった[25]。使われたすべての色は自然に由来する色で、徽章は青色と金色で円周を縁取られた[要出典]。前述のように着陸船は徽章に合わせて「イーグル」と命名された。
1971年にアイゼンハワーの1ドル硬貨が発行されたときには、硬貨の裏面にこの図案のワシが使用された[26]。アポロ11号のミッションから10年後にあたる1979年に発行された小さなアンソニーの1ドル硬貨でも、この徽章の図案が使用された[27]。
記念品[編集]
ニール・アームストロングは、自身の個人的な記念品である、ライト兄弟が初めて空を飛んだ1903年の飛行機の左のプロペラから取った木片と、その翼から取った布切れ[28][29]、そして当初ドナルド・スレイトンがアポロ1号の搭乗員の未亡人たちからもらった、ダイヤモンドが散りばめられた宇宙飛行士の階級章を月に持って行った。この階級章はアポロ1号で飛行し、ミッション後にスレイトンに与えられるはずだったが、発射台での悲惨な火災事故と後に続く葬儀を受けて、未亡人たちがスレイトンに渡したもので、アームストロングはそれを持ってアポロ11号に乗船した[30]。
ミッションのハイライト[編集]
打ち上げと月軌道までの飛行[編集]
「打ち上げ当日は、発射場近くの幹線道路や海岸に群がる見物客ばかりでなく、数百万の人々がテレビジョンでこの光景をじっと見守っていた」と、NASAの主任広報官だったジャック・キングはコメントしている。実際、打ち上げ前日の夕方までに、ケープ・ケネディから50マイル (80 km)以内のホテルの空き部屋がなくなるほどで[31]、ケープには100万人以上の人々が見物のために押し寄せた[32]。リチャード・M・ニクソン大統領もホワイトハウスでフランク・ボーマン(アポロ11号担当大統領補佐官[33])とともに事の進行を見ていた[34]。
現地時間の7月16日午前6時52分に3名の宇宙飛行士の宇宙船への搭乗が開始され、午前7時22分に搭乗が完了した[35]。
1969年7月16日13:32:00 UTC(現地時間午前9時32分00秒)、サターンV型ロケットはアポロ11号を搭載して、ケネディ宇宙センターの第39発射施設内にある39A発射台から打ち上げられた[6]。サターンVは12分後には、高度98.9海里 (183.2 km)から100.4海里 (185.9 km)の辺りで、地球を周回する軌道に入った。地球を一周半した後、16:16 (UTC) に予定通りロケットの第三段 (S-IVB) を点火[36]、16:22:13 (UTC) に月遷移投入 (Trans-lunar injection, TLI) し、月へと向かう軌道に乗せた。16:40 (UTC) に使い切ったロケットの第三段からアポロ司令・機械船 (CSM) を切り離し[37]、180度反転(トランスポジション)して、第三段に取り付けられている月着陸船 (LM) とドッキングした[38]。サターンVの第三段から月着陸船を抽出した後で、合体した宇宙船は月に向かう針路をとる一方、他方の第三段は月を通過する弾道を描くように飛行して太陽を周回する軌道に入った[3][39]。
打ち上げから25時間0分53秒5が過ぎたとき、アポロ11号は地球と月のちょうど中間にあたる193,000km地点に達した[40]。
7月19日17:21:50 (UTC) にアポロ11号は月の裏側を通過して機械船の推進エンジンを点火し、月周回軌道に乗った。その後、月を30周するうち[41]、飛行士たちは静かの海南部のサビンDクレーター (0.67408N, 23.47297E) から南西に約12マイル (19 km)の辺りに位置する着陸地点の過ぎ行く景色を目にした。この着陸地点はある程度予め選定されていたのだが、それは無人探査機レインジャー8号とサーベイヤー5号による先行調査や、月周回衛星ルナ・オービターが撮影した月面写真により、その比較的平坦で滑らかな地形が着陸や船外活動 (EVA) を行うのに支障がないと判断されたためであった[42]。
月への降下[編集]
7月19日22時30分 (UTC) 過ぎにアームストロングとオルドリンは月着陸船に乗り移り、着陸船の整備や地上との交信テストを始めた[43]。翌20日、月周回13周目に月の裏側で[44]月着陸船「イーグル」は司令船「コロンビア」から切り離され、同日18:11 (UTC) に司令船は着陸船から離れた[45]。「コロンビア」に一人残ったコリンズは、機体をゆっくりと回転させる着陸船「イーグル」に損傷がないことを目視にて確認した。
エンジンを点火し、降下を開始してしばらく経ってから、アームストロングとオルドリンは月面上の目標地点を通り過ぎるのが4秒ほど早いことに気づき、彼らは「このままでは飛びすぎてしまう」と報告した。これはすなわち、予定していた着陸目標よりも数マイル西の地点に着陸してしまうことを示していた。
降下のためのエンジン燃焼に入る5分前、月面から高度6,000フィート (1,800 m)で、着陸船の航法・誘導コンピュータが予期しない警報 "1202" と "1201" を発した[46]。その時、テキサス州ヒューストンのミッションコントロールセンター内にいたコンピュータ技師のジャック・ガーマンは、誘導管制主任のスティーブ・ベイルズにこのまま降下を続けても安全であることを告げ、このことは直ちに飛行士たちにも伝えられた。これらの警報は「実行オーバーフロー ("executive overflows")」を表示し、誘導コンピュータがその全てのタスクの処理をリアルタイムで完了できず、そのうちのいくつかを遅延させなければならない状態にあることを意味していた[47]。着陸の際、司令船とのランデブー用のレーダーは必要ではなくなるが、万が一着陸を中止して緊急脱出する事態に備えて、スイッチがオンになっていた。そのため、コンピュータには高度測定用レーダーからのものとランデブー用レーダーからのものの2系統のデータが同時に入ってきてしまい、演算処理が追いつかなくなったのである。
チェックリストのマニュアルに誤りがあったため、ランデブーレーダーのスイッチが間違った場所に置かれていました。これによって、誤った信号がコンピュータに送信されたのです。その結果、コンピュータは、その時間の15%を費やす余分な負荷となるスプリアスデータを受信しつつ、着陸のためのすべての通常の機能を実行するように求められていました。コンピュータ(というより、その中に入っているソフトウェア)は、十分に賢かったので、実行しなければならない命令以上に多くのことを頼まれているということを認識していました。それで、宇宙飛行士に分かるように警告を発して「今しなければならないこと以上に多くの命令が入ってきて手が回らない。だから遂行するのは重要な命令だけにするよ」と知らせました。すなわち、着陸に必要な命令を……。実際、コンピュータはエラー状態を認識する以上のことをするようにプログラムされていました。ソフトウェアには回復プログラム一式が組み込まれていたのです。ソフトウェアの動作としては、この場合、優先度の低い仕事を除外して、重要なものを再構築することでした。……もしコンピュータがこの問題を認識できずに回復動作をとらなかったら、アポロ11号の月への着陸が上手くいったかどうか、疑わしいと思います。[48][注 3]
—マーガレット・H・ハミルトン (Director of Apollo Flight Computer Programming MIT Draper Laboratory, Cambridge, Massachusetts) [52]からの手紙、"Computer Got Loaded" の題で、1971年3月1日刊『Datamation』誌上にて発表。
着陸[編集]
アームストロングが再び窓の外に目をやると、コンピュータがはじき出した着陸目標が、直径300メートル (980 ft)ほどもあるクレーター[注 4]のすぐ北と東の大きな岩がいくつも転がっている地帯にあるのが見えた。アームストロングは操縦を半自動に切り替え[53]、オルドリンに高度と速度のデータを読み上げてもらいながら、およそ25秒分の燃料を残して、7月20日日曜日20:17:40 (UTC) に月面に着陸した[4][54]。
アポロ11号は他のミッションよりも少ない残燃料量で着陸し、飛行士たちはかなり早い段階から燃料残量警告表示に直面することになった。これは後に、燃料タンク内で推進剤が想定以上に大きく揺れ動き(スロッシング)、燃料計の値が実際よりも少なく表示されていた結果であることが分かった。そのため、次回以降のミッションでは、これを抑える抑流板がタンク内に追加設置されることになった[4]。
降下している間、オルドリンはずっと、着陸船の操縦で多忙なアームストロングの横で、航法データを読み上げ続けた。着陸の直前、「イーグル」の脚部から垂れ下がっていた、長さ67インチ (170 cm)の探針のうちの少なくとも1本が月面に接地したことを示すライトが点灯した。それを知ったオルドリンは「接触灯点灯! ("Contact Light!")」と言葉を発して、3秒後に「イーグル」が着陸し、アームストロングは「(エンジンを)切るぞ。 ("Shutdown.")」と言った。すぐにオルドリンは「オーケー、エンジン停止。ACA (Attitude Controller Assembly) 解放。 ("Okay, engine stop. ACA – out of detent.")」と確認した。アームストロングは「ACA解放了解。自動に ("Out of detent. Auto")」と復唱し、オルドリンは「モード制御、両方とも自動。下降段エンジンの司令重複、オフ。エンジンアーム、オフ。413接続。 ("Mode control – both auto. Descent engine command override off. Engine arm – off. 413 is in.")」と続けた。
着陸段階にあった間、CAPCOM(通信担当官)だったチャールズ・デュークは「イーグル、君たちの着陸を確認した。 ("We copy you down, Eagle.")」と応えて、彼らの着陸を承認した。
アームストロングは、オルドリンが「エンジンアーム、オフ。 ("Engine arm is off")」と言って、着陸後のチェックリストを付ける作業が一通り完了したのを確認すると、デュークに「ヒューストン、こちら静かの基地。イーグルは舞い降りた。 ("Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.")」[55]と応答した。アームストロングがコールサインを「イーグル」から、予行演習にはなかった[56]「静かの基地」 (Tranquility Base) に変更したことで、着陸が完全に成功したことが強調され、聴取者たちに伝えられた。それを聞いたデュークは、ミッション管制センターで安堵の気持ちを表し、それに応答する際に「了解、しず……静か、月面上の君たちを確認した。君らのおかげで沢山の奴らが真っ青になっているよ。これでやっと一息つける。本当にありがとう。 ("Roger, Twan— Tranquility, we copy you on the ground. You got a bunch of guys about to turn blue. We're breathing again. Thanks a lot.")」[4][57]と、一瞬言い淀みながらも応えた。
着陸から2時間半後、船外活動の準備を始める前に、オルドリンは次のように地球に無線連絡した。
そのあと彼は、私的に聖餐式を行なった[60]。この当時NASAは、アポロ8号の宇宙飛行士が月を周回中に聖書の創世記の一節を朗読したことに反対していた無神論者のマダリン・マレー・オヘアと目下係争中であり、オヘアはNASAに対し、「宇宙飛行士は、宇宙にいる間は宗教的活動を放送することを控えるべきだ」と要求していた。それゆえ、オルドリンは月で聖餐式を行うことに直接言及することを差し控える選択をした。オルドリンはテキサス州ウェブスターにある長老派教会の長老で、聖餐用具は同教会の牧師であるディーン・ウッドラフ師が用意していた。オルドリンは月での聖餐式と教会及び牧師を巻き込んだことについて、『ガイドポスツ』誌の1970年10月号と自叙伝『地球への帰還』(原題:"Return to Earth")の中で説明している。ウェブスターの長老派教会は、このとき月で使用された聖餐杯を所有しており、毎年7月20日に最も近い日曜日を「月の晩餐の日」として記念行事を行なっている[61]。
この任務のスケジュールでは、宇宙飛行士たちが朝早くから起きていたことに表れているように、5時間の睡眠時間で着陸を履行することが求められていた。しかし、飛行士たちは睡眠時間を割愛することに決め、早期に船外活動の準備を始め、睡眠することはできないだろうと考えていた。
月面での活動[編集]
飛行士たちは、まず60度の視界がある着陸船の2つの三角窓から外の様子をよく観察し、初期アポロ科学実験装置 (Early Apollo Scientific Experiment Package, EASEP) と呼ばれる科学観測機器[62]と星条旗(アメリカ国旗)をどこに設置するか計画を立てた。船外活動の準備は予定よりも2時間余計にかかってしまった。アームストロングは船外活動用の生命維持装置 (PLSS) を身に着けたまま最初にハッチを通り抜けようとする際に大変な苦労を要した。2度の月飛行を経験したベテランのジョン・ヤング飛行士によると、着陸船のハッチは開発の途中で再設計されてサイズが小さく変更されていたのだが、宇宙服の背面に装備される生命維持装置の再設計にはそれが反映されていなかったため、アポロ宇宙飛行士たちの心拍数は月着陸船のハッチを出入りする時に最高値を記録することがよくあったそうである[63][64]。
初期のミッション日程表では、最初に月に降り立つ人物として、ニール・アームストロングではなくバズ・オルドリンを挙げている書籍も複数ある[65]。
1969年7月21日月曜日02:39:35 (UTC) に[66]、アームストロングはハッチを開け、02:51 (UTC) に月面へと降り始めた。胸の位置にある遠隔操作ユニット (Remote Control Unit) のせいで、アームストロングは自分の足元が見えなかった。9段のはしごを降りながら、アームストロングはDの字型のリングを引いて、「イーグル」の側面に折り畳まれていたモジュール装置積込アセンブリ (Modular Equipment Stowage Assembly, MESA) を展開してテレビカメラを起動した後、02:56:15 (UTC) にアームストロングは左足を月面に下ろした[67][68]。一歩目の着地は低速度走査テレビジョンに映し出されたが、この映像はテレビ中継の際に使用される商用のテレビジョン規格と互換性がなかった。そのため、一度特殊なモニタに映像を表示させておき、そのモニタの映像を従来型のテレビカメラで撮影することで本放送されたのだが、その画質は著しく低減されることとなった[69]。信号はアメリカのゴールドストーンで受信されていたが、オーストラリアのハニーサックル・クリーク追跡基地が受信した信号のほうが忠実度が高くて鮮明だった。数分後、通信の中継基地は感度が良好なオーストラリアのパークス電波望遠鏡に切り替えられた[70]。幾多の技術的困難と天候不順を乗り越え、月面からの史上初の船外活動をとらえた、ぼんやりとした白黒の映像が地球上で受信され、世界中の少なくとも6億人以上の人々がテレビ放送を通してこの映像を見ていたといわれている[71]。この放送形式のビデオの複製物は保存されており、広く入手することが可能だが、低速度走査テレビカメラで撮影されて月から伝送された元の高画質の録画映像は、NASAの日常業務で磁気テープを繰り返し利用しているうちに誤って破損されてしまった。
アームストロングは、はしごに掛けたまま、着陸船下降段に載せられていた、(西半球と東半球の)2つの地球の図と銘刻、及び3名の宇宙飛行士とニクソン大統領の署名が描かれている銘板を除幕した。銘板には次の文章が刻印されていた。
Here men from the planet Earth first set foot upon the Moon, July 1969 A.D. We came in peace for all mankind.(西暦紀元1969年7月、惑星地球より来る我ら、ここに月面への第一歩をしるす。我ら全人類を代表して平和のうちに来れり。)
月面の塵について「とてもきめの細かい (very fine-grained)」「ほとんど粉のよう (almost like a powder)」と説明した後[68]、着陸から6時間半が経とうとした頃に[3]、アームストロングは「イーグル」の脚の上に降り立ち、次のように宣言した。
アームストロングは「一人の男にとっては小さな一歩 ("That's one small step for a man")」と言うつもりでいたが、通信音声では "a" という単語は聞き取りにくく、最初、単語 "a" は生放送を見ていた大多数の人には伝えられていなかった。後にこの名文句について尋ねられたとき、アームストロングは「一人の男にとっては ("for a man")」と言ったと思っていたと述べており、後年発行されたこの句の活字版には、角括弧付きで "a" が含まれていた。ある解釈では、 "a" は欠落していたと主張され、彼は訛りによって "for a" の2単語を連続して不明瞭に発音したのだと説明されている。別の解釈では、パークス天文台付近の嵐をその一因とする、地球に繋いだ映像と音声の断続的性質で "a" の欠落を説明している。より最近のテープ音声のデジタル解析では、 "a" は発言されたかもしれないが、空電[注 6]のせいでよく聞き取れなかったことが明らかになったと主張されている[76][77]。
この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 | |
月面に足を踏み入れて7分後、アームストロングは細長い棒で土壌サンプルを採取して試料袋に詰め、袋を畳み、右腿のポケットに押し込んだ。これは、万が一緊急時に飛行士たちが船外活動を断念して着陸船に戻らなければならなくなった場合でも、多少なりとも月の土壌を地球に持ち帰れるよう保証するための作戦行動(緊急採集[78])だった[79]。
土壌サンプルの採取が完了して12分後[3]、オルドリンはアームストロングに続いて月に降り立ち、月面の風景について、簡潔な言い方で「荘厳にして荒涼 ("Magnificent desolation")」と表現した[68]。
アポロ11号は、1960年代の終わりまでに人間を月に着陸させるというケネディ大統領の指令を達成したばかりでなく[80]、アポロシステムの工学技術試験でもあった。そのため、技師たちはアームストロングが撮った月着陸船のスナップ写真からその着陸後の状態を判断することが可能だった。アームストロングはMESA(着陸船の器具収納部)からテレビカメラを取り外して月面のパノラマ映像を撮影し、着陸船から68フィート (21 m)離れたところに設置した三脚の上にカメラを載せた。テレビカメラのケーブルには一部に巻きつけられていたときの癖が残っていたため、船外活動中はずっと、その曲がりくねった所に足を引っかけてつまづくおそれがあった。
アームストロングは、地球の6分の1しかない月の重力の中を移動するのは「ひょっとしたら模擬訓練よりもよほど楽かもしれない……歩き回るのに何の苦労もない。 ("even perhaps easier than the simulations ... It's absolutely no trouble to walk around.")」と言った[68]。そこにオルドリンも参加して、両足で踏み切るカンガルー跳びなど、様々な歩行法を試みた。すると、背中に生命維持装置を背負っているために上体が後ろに反る傾向はあるものの、バランスを取るには大した問題もなく、慣れてくると、むしろ大股で歩くのがよいことが分かった。ただし、移動する際は常に六、七歩先のことを予想して歩く必要があったり、粒の細かい土の部分はかなり滑りやすかったりしたので、注意を要した。また、太陽の照っている所から着陸船の影に入ったときには、宇宙服の中の温度は全く変化がなかったが、ヘルメットの内部では明白な温度差が感じられたとオルドリンは報告した[68]。
飛行士たちは特別にデザインされた星条旗をテレビカメラにはっきりと写る所に立てた。しばらくすると突然、電話無線伝送を通じてリチャード・ニクソン大統領が飛行士たちに話しかけてきた。後にニクソンはこの交信を「かつてホワイトハウスからかけられた電話の中で最も歴史的な通話 ("the most historic phone call ever made from the White House.")」と呼んだ[81]。ニクソンは当初、通話中に読み上げる長い演説文を用意していたが、当時NASAの連絡担当官でホワイトハウスにいたフランク・ボーマンは、故ケネディ大統領の遺産である月面着陸に敬意を表しつつも、飛行士たちのスケジュールがぎっしりと詰まっていることを大統領に説明し、通話を手短に済ませるよう説得した[注 7]。アームストロングは大統領に謝辞を伝えた上で、この一瞬の重大さに簡潔に反応して次のような会話を交わした。
ニクソン: こんにちは、ニールとバズ。私はホワイトハウスの執務室から電話で君たちに話しかけています。そして、これはきっとこれまでにかけられた電話の中で最も歴史的な通話になるでしょう。君たちの成し遂げたことがどれほど国民皆の誇りに思うことか、言葉では言い表せないほどです。すべてのアメリカ人にとって、今日は生涯で最も誇るべき日となることでしょう。そして、世界中の人々もアメリカ人とともに、これが何と素晴らしい偉業であることかを認めるだろうと私は確信しています。君たちが成し遂げたことで、天上は人間世界の一部になりました。そして、君たちが静かの海から私たちに呼びかけてくれたことで、私たちは励まされ、地球に平和と静寂をもたらすための努力を倍加します。全人類史の中でかけがえのないこの一瞬に、この地球上のすべての人々は真に一つです。君たちが成し遂げたことに対する誇りと、そして君たちが無事に地球に帰還するようにとの祈りとで、私たちは一つです。
アームストロング: ありがとうございます、大統領閣下。アメリカ合衆国のみならず、平和を愛するすべての国の人々を代表して、興味と好奇心、未来への展望を持って、私たちがここにいることは誠に光栄かつ名誉なことです。私たちが今日ここに与ることができて光栄に存じます。
MESAは安定した作業プラットフォームを提供することができず、飛行士は着陸船の影で活動することを余儀なくされたため、作業はいくぶん遅れることになった。作業しているうち、月面を歩行して灰色の塵を巻き上げ、宇宙服の外皮 (Integrated Thermal Meteoroid Garment, ITMG) を汚してしまった。
飛行士たちは、受動月震計と月測距用再帰反射器 (Lunar Ranging Retroreflector, LRRR) を含めた、科学観測機器 (EASEP) を展開した。その際、オルドリンが2本の試料採取用のコアチューブを集めている間に、アームストロングは着陸船から196フィート (60 m)歩いて、リトル・ウェスト・クレーターの周縁部でスナップ写真を撮った。アームストロングは岩石ハンマーを使用してそれらのチューブを打ったのだが、アポロ11号でハンマーが使われたのはこの時だけである。そして、飛行士たちはスコップや伸張式の鋏を使って岩石試料を採集した。月面での活動の多くは想定よりも長引いたため、彼らは割り当てられていた34分間の活動時間の中頃で、採集した試料について文書に記載する手を止めなくてはならなかった。
この時に飛行士たちが採集した岩石試料からは、新種の鉱物としてアーマルコライト、トランキリティアイト、パイロクスフェロアイトの3種が発見された。このうち、アーマルコライト (Armalcolite) はアームストロング (Arm)、オルドリン (al)、コリンズ (col) の3名の宇宙飛行士の名に因んでいる。
月面で活動している間、ミッション管制センターは、アームストロングの代謝率がやや高めだったので、少しペースを落とすように伝えていた。彼は時間内に任務をやり遂げようとして、あまりにも急ピッチに仕事をこなしていた。しかし、月面を歩行している間は二人の飛行士の代謝率は予想されていた値よりも低かったため、管制センターは両飛行士に15分間の活動延長を許可した[82][83]。2010年のインタビューで、着陸船から最大で196フィート (60 m)歩いたアームストロングは、当時NASAが最初の月面歩行の時間と距離に制限をかけていたことを明かした。その理由は、月面で作業する間に飛行士たちの発する熱を下げるために、背中に備えられた生命維持装置がどの程度の量の冷却水を消費するかについて、経験に基づく裏付けが取れていなかったことによるものだった[84]。
月面からの上昇と帰還[編集]
予定されていた月面での活動をすべて消化すると、まずオルドリンが先に着陸船「イーグル」に戻った。採集した岩石や撮影したフィルムなどを収めた箱は重量が21.55キログラム (47.5 lb)に上り、月面機材運搬機 (Lunar Equipment Conveyor) と呼ばれるフラットケーブル滑車装置で引っぱり上げたが、ハッチから船内に入れるのには若干苦労した。アームストロングは宇宙服のポケットの袖に入っている記念品の袋を忘れないようにとオルドリンに念を押し、オルドリンは袋を放り投げた。それから、アームストロングははしごの3段目まで一気にジャンプして飛び乗り、はしごを上って船内に入った。船内の生命維持システムに移った後、月周回軌道まで帰るための着陸船上昇段の明かりをつけ、宇宙服の船外活動用生命維持装置、月面靴、ハッセルブラッド製カメラなど、不要になった機材を放り捨てると、ハッチを閉め、船内を与圧し、2人はようやく月面での初めての睡眠についた[85]。
ニクソン大統領のスピーチライターだったウィリアム・セイファイアは、最悪の事態として、万一アポロ11号の宇宙飛行士たちが月で遭難した場合を想定して、大統領がテレビ演説で読み上げる In Event of Moon Disaster (月で災難の場合)と題した追悼文を用意していた[86]。その不測の事態に対応するための計画は、セイファイアからニクソンの大統領首席補佐官だったH・R・ハルデマンに渡されたメモが発端だった。そのメモには、もしアポロ11号が不慮の事態に見舞われ、ニクソン政権がそれに対する反応を求められるかもしれなかった状況で、セイファイアが作成した追悼の言葉の原案が示されていた[87][88]。その計画によれば、ミッション管制センターが月着陸船との「交信を絶つ ("close down communications")」と、聖職者が海葬になぞらえた公的儀式で「彼らの魂を深い淵の底に委ね ("commend their souls to the deepest of the deep")」る手はずだった。用意された原稿の最後の一行では、ルパート・ブルックが第一次世界大戦期に詠んだ詩『兵士』にそれとなく言及している[88]。また、宇宙飛行士たちの妻らに大統領が見舞いの電話を入れることも計画されていた。
オルドリンは船内で作業しているとき、月面から離陸するために使用する上昇用エンジンを作動させる回路ブレーカーのスイッチを誤って壊してしまった。このことで、船のエンジンの点火が妨げられ、彼らは月面に取り残されてしまう懸念があった。幸いにも、フェルトペンの先でスイッチを作動させることができたが[85]、もしもそれがうまくいかなければ、上昇用エンジンを点火するために着陸船の電気回路は構成し直されていたかもしれなかった。
およそ7時間の睡眠の後、アームストロングとオルドリンはヒューストンからの目覚ましによって起こされ、帰還飛行の準備を始めるよう指示された。2時間半後の21日17:54:01 (UTC)[89] に「イーグル」は上昇段のエンジンを点火して月から離陸し、コリンズが乗っている月周回軌道上の司令船「コロンビア」を目指した。
21時間36分21秒を月面で過ごした[89]2人は、月レーザー測距実験に使用される再帰反射器アレイや、月震の観測に使用される受動月震実験装置群などの科学観測機器を月面に残してきた。また、飛行士3人が火災事故で犠牲になったアポロ1号のミッションパッチや、古くから平和の象徴とされてきたオリーブの枝を模した金のレプリカ及び地球からのメッセージを収めたシリコンディスクを入れた記念袋も置いてきた。ディスクには、アメリカのアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの歴代大統領及び世界73か国のリーダーたちの親善のメッセージが収録されているほか、アメリカ合衆国議会の代表者たち、NASAの設立に尽力した上下両院の4つの委員会のメンバー、及びNASAの歴代長官の名前の一覧も記録されている[90]。オルドリンは1989年に出版した自著『地球から来た男』(原題:Men from Earth[注 8])で、その中にはソビエト連邦の宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフとユーリイ・ガガーリンを記念したメダルも入っていたことを明かした[29]。さらに、NASAの宇宙飛行士訓練担当官ドナルド・スレイトンの著書『ムーンショット』 (Moonshot) によると、アームストロングにダイヤモンドの入った特製の飛行士の階級章を月面に置いてくるよう託していたそうである。
離陸時に「イーグル」の上昇段から撮影された映像には、月面の下降段から25フィート (8 m)ほど離れた場所に立てられた星条旗が、上昇段エンジンの噴射で激しくはためく様子がとらえられていた。オルドリンはちょうど旗がぐらついて倒れるのを目撃し[3]、「上昇を始めた時、私はコンピュータの操作に集中し、ニールは姿勢指示器を注視していたが、旗が倒れるのを長い間見ていられた」と報告した[41]。このため、以後のアポロミッションでは、上昇段エンジンの噴射で吹き飛ばされることのないように、星条旗は着陸船から少なくとも100フィート (30 m)以上離れた場所に立てられることになった。
21日21:35 (UTC)[89] に「イーグル」の上昇段は、月軌道上で待機していた司令船「コロンビア」とのランデブーとドッキングに成功し、約28時間ぶりに3人が再会した後[89]、「イーグル」の上昇段は1969年7月21日23:41 (UTC) に月周回軌道上に投棄された。アポロ12号の飛行の直前には、「イーグル」は依然として軌道上に留まっているようであることが確認されたが、後に出されたNASAの報告書には、「イーグル」は軌道が次第に減衰した結果、月面の「不確かな場所」 ("uncertain location") に衝突したのだろうと記されている[91]。場所が不確かである理由は、「イーグル」上昇段は投棄された後に追跡されていなかったこと、そして月の重力場が十分に一様ではないために、少々時間を置いた後では宇宙船の軌道が予測不可能になってしまうことによる。NASAは「イーグル」の軌道は投棄から数か月以内に減衰し、月面に衝突したのだろうと推定している。
7月22日04:56 (UTC) にアポロ11号は機械船の主エンジンを噴射して月周回軌道を離れ[89]、同日05:30 (UTC) に月の裏側でエンジンを噴射して地球帰還軌道に乗り[92]、地球への帰路に就いた。
7月23日、着水前の最後の夜に、3名の宇宙飛行士はテレビ放送で次のようにコメントした[93]。最初にコリンズが、
……我々を軌道に乗せたサターンV型ロケットは信じられないほど複雑な機械ですが、すべての部品は完璧に動作してくれました……我々は常に、この装備が正しく作動してくれることを確信していました。これはすべて、多くの人々が流した血と汗と涙によってのみ、可能になったことです……今皆様が目にしているのは私たち3人だけですが、水面下では何千、何万もの人たちによって支えられているのです。そして私は、それらすべての人々に申し上げたいです。『心からありがとう』と。
と述べ、続いてオルドリンが、
この飛行は、月に送られる使命を帯びた3人の男の奮闘以上に、政府と企業のチームの努力にとどまらず、さらには一国のすべての国民の努力さえも超えて、非常に大勢の方々のご尽力によって成し遂げられました。これは、未知なるものを探求する全人類の飽くなき好奇心を象徴しているのだと、私たちは感じています……個人的には、ここ数日のあの月での出来事を回想するとき、聖歌の一節が心に浮かんで参ります。『私はあなたの指の業なる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これを御心にとめられるのですか』
と加え、最後にアームストロングが、
この飛行に対して責任を担ってきたのは、まず第一に、この取り組みに先立つ科学の歴史とそれを築き上げてきた偉人たち、次いで、自らの意思を通じてこれを成し遂げたいという願いを表明したアメリカ国民、そして、国民の意思に従い、それを履行した4代にわたる政権と連邦議会、さらに、我々の宇宙船やサターンロケット、司令船コロンビア、着陸船イーグル、船外活動ユニット、月面における小さな宇宙船とも言うべき宇宙服などを作り上げた政府機関や企業のチームなどです。我々は、この宇宙船を設計し、試験し、建造し、飛行させるために心血を注ぎ、持てる限りの能力を発揮してくれたすべてのアメリカ人に対し、特別の感謝を捧げたく存じます。我々は今夜それらの方々に対して特別の感謝の言葉を申し上げ、また、今夜この放送を見聞きしている人々に神の祝福があらんことを祈ります。アポロ11号より、おやすみなさい[41]。
と結んだ。
地球への帰還に際して、グアムの追跡基地で装置の軸受が故障したことで、もしかすると地球帰還時の連絡に関して最後の一部分の受信が妨げられていた可能性があった。通常の修復作業では与えられた時間内に作業を終えるのは無理だったが、基地の主任だったチャールズ・フォースは、自身の10歳の息子グレッグに、軸受箱の中にその小さな手を入れてグリスを塗ってもらって急場をしのいだ。お手柄のグレッグは後にアームストロングから感謝された[94]。
着水と検疫[編集]
7月24日、宇宙飛行士たちは司令船「コロンビア」に乗って地球に帰還し、太平洋のウェーク島の東方2,660 km (1,440 nmi)、ジョンストン環礁の南方380 km (210 nmi)、司令船と飛行士たちの回収任務を担う航空母艦ホーネットからの距離わずか24 km (13 nmi)の北緯13度19分 西経169度9分 / 北緯13.317度 西経169.150度の海上に着水した[3][注 9]。現地時間のちょうど夜明け前 (16:51 UTC[3]) のことだった。そこはアメリカ領サモアのヴァティア村の近辺だった[95]。アポロ11号によって月に持ち込まれたアメリカ領サモアの旗は、アメリカ領サモアの首都パゴパゴにあるジーン・P・ヘイドン博物館に展示されている[96]。
16:44 (UTC) に減速用パラシュートが開き、7分後に司令船は船体を力強く水面に叩きつけられた。着水時に司令船は上下逆さまに落下したが、浮力袋によって10分以内に立て直された。「すべて順調。チェックリストは完全だ。スイマーらを待つ。 ("Everything's okay. Our checklist is complete. Awaiting swimmers")」が、公式な通信記録に残る、アームストロングの「コロンビア」から最後に発した言葉だった。上空でホバリングする海軍のヘリコプターから下りてきたダイバーが、船が漂流することのないように、司令船に海錨を取り付けた。別のダイバーらは船を安定させるために司令船に浮揚環管を取り付け、宇宙飛行士たちを下船させるためのボートを船の横につけた。月面から病原体を持ち帰る可能性がわずかに懸念されたが、たとえわずかでも起こりうることだとして、NASAは念のため回収現場で慎重な予防措置を取った。ダイバーらは宇宙飛行士たちに、ホーネット艦上の隔離施設に到着するまでの間ずっと、生物学隔離服 (Biological Isolation Garment, BIG) を着用させた。さらに、宇宙飛行士たちは次亜塩素酸ナトリウム製剤を使用して身体を擦り拭かれ、司令船は船体に付着しているかもしれない月の塵をベタダインを使って拭き取られた。その後、除染物質を積んだボートは故意に沈められた[97]。
もう一機のヘリコプター、シーキング —ヘリコプター66— は、宇宙飛行士たちを一人ずつ吊り上げ、ホーネットに帰艦するまでの0.5海里 (930 m)の移動中に機内ではNASAの航空医官が各飛行士に簡単な健康診断を施した。
ホーネット艦上に着地した後、宇宙飛行士たちはヘリコプターを降り、航空医官及び3人の乗組員と別れた。そのあと、ヘリコプターは格納庫ベイ2号へと入っていった。宇宙飛行士たちはそのベイの中を移動式隔離施設 (Mobile Quarantine Facility, MQF) まで30フィート (9.1 m)歩いて施設内に入り、地球ベースで21日分の検疫期間が開始された[98]。この措置は、続くアポロ12号とアポロ14号の2つのアポロミッションでも実施されたが、後に月に生命が存在しないことが証明されると、検疫措置は取り止めになった[97][99]。
リチャード・ニクソン大統領は個人的に、地球に帰還した宇宙飛行士たちを歓迎するために、ホーネットに乗艦していた。ニクソンは宇宙飛行士たちに「君たちが成し遂げたことのおかげで、世界はこれまでになく一層親密になった。 ("As a result of what you've done, the world has never been closer together before.")[100]」と祝福の言葉を伝えた。ニクソンが出発した後、ホーネットは重量5トンの司令船に近づいて舷側に寄せ、艦のクレーンを使って船を引き揚げ、台車に載せてMQFの隣まで運び込んだ。ホーネットはハワイの真珠湾基地に向けて航行し、基地に到着すると「コロンビア」とMQFは有人宇宙船センターまで空輸された[97]。
7月16日にNASAが発布した一連の規定[101]、地球外暴露法に従い、検疫試験計画が成文化され、月には未発見の病原体が存在するかもしれず、月面滞在中に宇宙飛行士たちがそれに曝されたかもしれないとの懸念から、宇宙飛行士たちの検疫が続けられた。しかし、3週間の隔離[注 10]を経て、宇宙飛行士たちに完全健康証明書が与えられた[102]。1969年8月10日にアトランタで、逆汚染に関する庁間委員会 (Interagency Committee on Back Contamination) の会合が開かれ、宇宙飛行士たち、飛行士の検疫に従事した者たち(NASAの医官ウィリアム・カーペンティアとMQFプロジェクト技師ジョン・ヒラサキ[103])、及び「コロンビア」自体の隔離がようやく解かれた[104]。宇宙船から取り外せる備品は、月試料が研究用に公開されるまでの間、隔離されたままだった[104]。
祝賀[編集]
8月13日、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスで盛大なパレードが行われ、3人は歓迎と祝福を受けた[105][106]。同日の晩にはロサンゼルスのセンチュリー・プラザ・ホテルで、連邦議会議員、44州の知事、合衆国最高裁判所長官、83か国の大使らが主宰する公式晩餐会が開かれた[106]。その席上で、リチャード・ニクソン大統領とスピロ・アグニュー副大統領から各宇宙飛行士の栄誉を称えて大統領自由勲章が授与された[106]。この祝賀会は以後45日間に及ぶ「偉大な飛躍 ("Giant Leap") ツアー」の始まりにすぎなかった。このツアーで3人の宇宙飛行士は25か国を歴訪し、イギリスの女王エリザベス2世など、世界の著名なリーダーたちを表敬訪問した。多くの国では、人類史上初の月面着陸を称える雑誌の特集が組まれたり、アポロ11号の記念切手や記念硬貨が発行されたりした[107][108]。
1969年9月16日、3人の飛行士はキャピトル・ヒルでの合衆国議会両院合同会議の開会前にスピーチし、月面に持って行った2枚の星条旗のうちの一方を下院に、もう一方を上院に渡した[109]。
月着陸競争[編集]
ソビエト連邦は月面に人間を着陸させることにおいてアメリカ合衆国と競争していたが、アメリカのサターンVに匹敵するN-1ロケットの開発の度重なる失敗により、勝利への道は阻まれた[110]。それでも、ソ連は何とかアメリカに勝とうとして、無人探査機を用いて月物質を地球に持ち帰る計画を立てた。アポロ11号が打ち上げられる3日前の7月13日に、ソ連はルナ15号を打ち上げ、アポロ11号よりも先に月周回軌道に到達させた[111]。しかし、月面への降下中にルナ15号は機能不全に陥り、月面の危難の海に落下、衝突した。これは、アームストロングとオルドリンが月面を離陸して地球への帰路につく約2時間前のことだった。後に、イギリスにあるジョドレルバンク天文台の電波望遠鏡は、月面へ降下中のルナ15号から受信した通信記録を発見したことを、アポロ11号の40周年記念となる2009年7月に発表した[112]。
遺産[編集]
宇宙船の所在[編集]
司令船「コロンビア」は、首都ワシントンD.C.にある国立航空宇宙博物館 (National Air and Space Museum, NASM) に展示されていた。「コロンビア」が展示されていた場所は同博物館のジェファーソン・ドライブ入り口正面の中央展示ホール内の Milestones of Flight コーナーで、同ホールには他に、ライトフライヤー号、スピリットオブセントルイス号、ベルX-1、ノースアメリカンX-15、マーキュリー宇宙船・フレンドシップ7号、ジェミニ4号など、アメリカの航空宇宙史を開拓してきた機体が展示されている。アームストロングとオルドリンの宇宙服は同博物館内の Apollo to the Moon コーナーに展示されている。隔離施設、浮揚環管、転覆した船体の立て直しに用いられた浮力球は、バージニア州シャンティリーのワシントン・ダレス国際空港に近い、NASMの別館である、スミソニアン協会のスティーブン・F・ウドバー=ハジー・センターに展示されている。
月着陸船「イーグル」の下降段は月面に残されたままである。2009年、ルナー・リコネサンス・オービター (Lunar Reconnaissance Orbiter, LRO) が、月の表面のあちこちに位置するかつてのアポロ宇宙船の着陸地点を、月着陸船、科学観測機器、宇宙飛行士が月面歩行時につけた足跡を見分けられるほど十分に解像度の高い画像として、初めて画像化することに成功した。上昇段の遺物は、投棄されて月に再衝突した後、月の表面の不明な場所にあると推定されている。
2012年3月、Amazonの創設者ジェフ・ベゾスから資金提供を受けた専門家チームは、アポロ11号を宇宙へと打ち上げたF-1ロケットエンジンの場所を特定した。エンジンは先進的な走査型超音波探知機を用いて大西洋の海底で発見された[113]。専門家チームは5基のエンジンのうちの2基の部品を海面まで引き揚げた。2013年7月、その大西洋から引き揚げられたエンジンのうちの1基の錆びついた表面の下にシリアルナンバーが記載されているのを管理人が発見し、NASAはそれがアポロ11号の打ち上げで使われたものであることを確認した[114][115]。
「コロンビア」は2017年にバージニア州シャンティリーにあるスティーブン・F・ウドバー=ハジー・センター内の国立航空宇宙博物館メアリー・ベイカー・エンゲン修復用格納庫 (NASM Mary Baker Engen Restoration Hangar) に移され、アポロ11号の月面着陸50周年を記念して4都市で開催される Destination Moon: The Apollo 11 Mission (デスティネーションムーン:アポロ11号のミッション)と題した巡回展に向けて準備が進められている。この巡回展は、2017年10月14日から2018年3月18日までスペースセンター・ヒューストンにて、2018年4月14日から同年9月3日までセントルイス科学センターにて、2018年9月29日から2019年2月18日までピッツバーグのハインツ歴史センターにて、そして2019年3月16日から同年9月2日までシアトルの航空博物館にて、開催される予定である[116][117]。
アポロ11号の月遷移投入に能力を発揮したサターンVの第三段S-IVBは、地球の公転軌道に近い、太陽周回軌道上に留まっている[118]。
40周年記念行事[編集]
2009年7月15日にLife.comは、同誌の写真家だったラルフ・モースがアポロ11号の打ち上げに先立って撮影した宇宙飛行士の未公表写真をウェブ上の写真ギャラリーで公開した[119]。2009年7月16日から同24日まで、NASAはアポロ11号ミッションで流れた本物の音声を40年前の月飛行の実時間に合わせてストリーミング配信した[120]。さらに、当時のビデオフィルムの復元作業が進められており、重要な場面を集めた予告編が公開されている[121]。2010年7月、アポロ11号が月へ降下して着陸するまでの間に宇宙から地球に伝送されたミッション管制センターの音声録音とフィルム映像が再同調され、初めて公開された[122]。ジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館は、アポロ11号が打ち上げられてから月に着陸するまでの交信記録を再放送するFlashウェブサイトを立ち上げた[123]。
2009年7月20日、アポロ11号の搭乗員だったアームストロング、オルドリン、コリンズの3名は、ホワイトハウスでバラク・オバマ大統領と面会した[124]。オバマは「私たちが話しているように、向こうで空を見上げる別世代の子供たちが、次なるアームストロング、コリンズ、オルドリンになろうとすることを期待しています」と述べ、「彼らが(月への)旅路に就きたいとき、彼らのためにNASAがそこを目指していることを確実にしておきたい」と加えた[125]。2009年8月7日、合衆国議会の法令により、アメリカで文民に贈られる最高位の賞である議会黄金勲章が3名の宇宙飛行士に授与された。この法案はフロリダ州選出の上院議員ビル・ネルソンと同州選出の下院議員アラン・グレイソンに支持されたものだった[126][127]。
イギリスの科学者グループは、40周年記念行事の一環として行われたインタビューで、月面着陸の重要性に反応して、次のように答えた。
ギャラリー[編集]
ロケット組立棟から発射台へと向かうサターンV AS-505
月面を踏む前に月の表面の様子について説明するニール・アームストロング
1969年7月21日付のワシントン・ポスト紙。「イーグル 着陸す」「二人の男 月面を歩く」の見出しが躍る。
注釈[編集]
- ^ 3人を指名した時点では、NASAは「Gミッション」と呼んでいた[16]。
- ^ 徽章内には宇宙飛行士名を入れるのが以前からの通例となっており、これはその後のアポロやスカイラブ・スペースシャトル計画等でも行われているため、今回は異例の措置となった。
- ^ 手紙に記述されている通り、ミッション中に原因はランデブーレーダーのスイッチが間違った場所にあったことにあると診断され、その結果、ランデブーレーダーと着陸レーダーの両方から同時に送られてきたデータをコンピュータに処理させようとしたのだった[1][49]。しかし、ソフトウェア技師のドン・アイルズ (Don Eyles) は、2005年の誘導制御会議 (Guidance and Control Conference) の論文で、実はこの問題は以前アポロ5号のために最初の無人月着陸船をテストしている最中に見られたハードウェア設計の欠陥が原因であると結論づけた。(緊急時着陸中止という万が一の事態に備えて)ランデブーレーダーをオンにしておくことはコンピュータとは関係ないはずだったが、無作為なハードウェアの電源の入れ方次第では、ランデブーレーダーシステムの2つの部品の間に生じる電気的位相の不整合により、コンピュータに対して固定型アンテナが2つのポジションの間を前後にディザリングするように見えることがある。ランデブーレーダーがインボランタリ・カウンタを更新すると、余分な疑似サイクルスチールにより、コンピュータは警告を発する[50]。アポロ宇宙船の司令船と着陸船の両方に搭載されているフライトソフトウェアは非同期実行を使って開発されたので、優先度の高い仕事が優先度の低い仕事に割り込めるようにできていた。アポロ11号の着陸過程で発生した一連の出来事は、そのグローバルエラー検出及び回復システムのおかげで、上手くいったのだった。これには、「強制終了してやり直し」する再起動能力及び再計算能力、そして、万が一の緊急事態に、通常の画面表示に優先度の高い警告表示を割り込ませる能力を提供する、表示インターフェースルーティン(「優先表示」)も含まれていた。このマルチプログラミング環境を利用した解決策を生み出すために以前より講じられていた措置としては、マルチプロセッシングのための解決策が提案された。マルチプログラミング環境では、ある一定の時刻でアクティブに実行されているのは1つのプロセスのみであるが、同じシステム内の他のプロセス(スリープ中または待機中)が実行中のプロセスと並行して存在している。これを背景にして、優先表示機構が生み出され、宇宙飛行士と搭載されるフライトソフトウェアとのマンマシンインタフェースを本質的に同期表示方式から非同期表示方式へと変えることで、ミッションをリアルタイムで再構成する必要が生じた場合にそのような再構成を可能にした[51]。
- ^ 当初計画されていた着陸楕円の西部に位置していることに因み、後にウェストと命名された。
- ^ NASAの録音の写しには、実際に言ったか否かにかかわらず、冠詞の "a" が意図されたと説明されており[68]、そこには、個人の行為としての a man と種としての mankind を対比する意図があった。
- ^ 空電とは、雷などの大気中の放電によって生じる電磁波で、ラジオなどの受信機の雑音の原因となる。
- ^ この逸話はフランク・ボーマンが関わったドキュメンタリー番組『When We Left Earth: The NASA Missions (英語版) 』のパート2で紹介されている。
- ^ 鈴木健次・古賀林幸訳による和訳書が1992年に角川書店から出版されている(ISBN 4-04-703233-6)。
- ^ このとき、日本航空の国際線旅客機の運行乗務員が、ミッドウェー諸島付近にて大気圏内を2000km/hで落下中のアポロ11号を目撃した。撮影に夢中で、客室への放送は忘れたという。[要出典]
- ^ 最初はアポロ宇宙船内、次にホーネット艦上のMQF、最後に有人宇宙船センターの月試料研究所 (Lunar Receiving Laboratory, LRL) 内にて。
出典[編集]
- ^ a b c (PDF) Apollo 11 Mission Report. Houston, Texas: NASA. (November 1969). OCLC 10970862. MSC-00171 2013年7月10日閲覧。.
- ^ a b c d e “Apollo 11 Mission Summary”. The Apollo Program. Smithsonian National Air and Space Museum. 2013年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l Orloff 2000, pp. 102–110.
- ^ a b c d “The First Lunar Landing”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA (1995年). 2013年6月13日閲覧。
- ^ Williams, David R. (2003年12月11日). “Apollo Landing Site Coordinates”. US National Space Science Data Center. 2013年9月7日閲覧。
- ^ a b c 毎日新聞社 1969, p. 10.
- ^ Stenger, Richard (2001年5月25日). “Man on the Moon: Kennedy speech ignited the dream”. CNN. オリジナルの2010年6月6日時点によるアーカイブ。
- ^ Brooks et al. 2009, p. 374.
- ^ Orloff 2000, p. 72.
- ^ a b c Orloff 2000, p. 90.
- ^ Hansen 2005, pp. 312–313.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 52.
- ^ Collins 2001, pp. 288–289.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 123.
- ^ Cunningham 2010, p. 109.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 35.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 35, 102, 123.
- ^ a b Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 88.
- ^ Slayton & Cassutt 1994, p. 237.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 232-233.
- ^ “Technical Information Summary, Apollo-11 (AS-506) Apollo Saturn V Space Vehicle (PDF)”. George C. Marshall Space Flight Center. Huntsvill, AL: NASA. p. 8 (1969年6月25日). 2012年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月12日閲覧。
- ^ Collins 2001, pp. 334–335.
- ^ a b Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 128.
- ^ Collins 2001, pp. 332–334.
- ^ Collins 2001, p. 332.
- ^ “1971–78 Dollar Eisenhower”. CoinSite. ROKO Design Group, Inc. (1994年). 2009年7月20日閲覧。
- ^ “Susan B. Anthony Dollar – 1979–1999”. United States Mint. 2014年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Hansen 2005, p. 527.
- ^ a b Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 127.
- ^ Slayton & Cassutt 1994, pp. 191–192.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 54.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 55.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, p. 57.
- ^ “President Richard Nixon's Daily Diary”. Richard Nixon Presidential Library. p. 2 (1969年7月16日). 2018年9月3日閲覧。
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 88-89.
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 15.
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 16.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 104-105.
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 19.
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 28.
- ^ a b c “Apollo-11 (27)”. Historical Archive for Manned Missions. NASA. 2013年6月13日閲覧。
- ^ “Apollo 11 Lunar Landing Mission (PDF)”. Washington, D.C.: NASA (1969年7月6日). 2013年6月13日閲覧。
- ^ 毎日新聞社 1969, pp. 80-81.
- ^ 毎日新聞社 1969, pp. 88-91.
- ^ 毎日新聞社 1969, pp. 91-92.
- ^ Bizony 2009, pp. 45-46.
- ^ Collins, Michael; Aldrin, Edwin E., Jr. (1975). “A Yellow Caution Light”. In Cortright, Edgar M. Apollo Expeditions to the Moon. Washington, D.C.: NASA. OCLC 1623434. NASA SP-350 2013年6月13日閲覧。. Chapter 11.4.
- ^ Hamilton, Margaret H. (1971年3月1日). “Computer Got Loaded”. Datamation (Cahners Publishing Company). ISSN 0011-6963.
- ^ Martin, Fred H. (1994年7月). “Apollo 11: 25 Years Later”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA. 2013年6月13日閲覧。
- ^ Eyles, Don (2004年2月6日). “Tales from the Lunar Module Guidance Computer”. 27th annual Guidance and Control Conference. Breckenridge, Colorado: American Astronautical Society. 2013年6月13日閲覧。
- ^ Hamilton, Margaret H.; Hackler, William R. (2008年12月). “Universal Systems Language: Lessons Learned from Apollo”. Computer (Washington, D.C.: IEEE Computer Society) 41 (12): 34–43. doi:10.1109/MC.2008.541. ISSN 0018-9162 2013年6月13日閲覧。.
- ^ Rayl, A.J.S. (2008年). “NASA Engineers and Scientists-Transforming Dreams Into Reality”. 50th Magazine. NASA. 2014年6月9日閲覧。
- ^ Mindell, David A. (2008). Digital Apollo: Human and Machine in Spaceflight. Cambridge, Massachusetts: MIT Press. pp. 195–197. ISBN 978-0-262-13497-2. LCCN 2007032255.
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 101.
- ^ Bizony 2009, p. 51.
- ^ Failure is Not an Option (TV production). The History Channel. August 24, 2003. OCLC 54435670.
- ^ “James May speaks to Charles Duke”. BBC Archives (2009年). 2009年6月7日閲覧。
- ^ “Post-landing Activities”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA (1995年). 2013年6月13日閲覧。
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 112.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 284-285.
- ^ Chaikin, Andrew (1994). A Man on the Moon: The Triumphant Story Of The Apollo Space Program. New York: Penguin Group. pp. 204, 623. ISBN 0-14-027201-1.
- ^ “Experiment: Early Apollo Scientific Experiment Package”. NASA. 2009年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月18日閲覧。
- ^ “First Steps”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA (1995年). 2006年9月23日閲覧。
- ^ Waligora, J.M.; Horrigan, D.J. (1975). “Chapter 4: Metabolism and Heat Dissipation During Apollo EVA Periods”. Biomedical Results of Apollo. Foreword by Christopher C. Kraft, Jr.. Washington, D.C.: NASA. NASA SP-368 2017年2月14日閲覧。.
- ^ Chaikin, Andrew (1998). A Man on the Moon. Penguin Group. ISBN 0-14-027201-1.[要ページ番号]
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 124.
- ^ Duggan, Paul (2012年8月25日). “Neil Armstrong, first man to step on the Moon, dies at 82”. The Washington Post 2013年5月25日閲覧。
- ^ a b c d e f “One Small Step”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA (1995年). 2013年6月13日閲覧。
- ^ Macey, Richard (2006年8月5日). “One giant blunder for mankind: how NASA lost Moon pictures”. The Sydney Morning Herald (Sydney) 2013年6月13日閲覧。
- ^ Sarkissian, John M. (2001年). “On Eagle's Wings: The Parkes Observatory's Support of the Apollo 11 Mission”. Publications of the Astronomical Society of Australia (Collingwood, Victoria: CSIRO Publishing for the Astronomical Society of Australia) 18 (3): 287–310. Bibcode 2001PASA...18..287S. doi:10.1071/AS01038 2013年5月24日閲覧。. October 2000 website version, part 10 of 12: "The Television Broadcasts." Original version available from CSIRO Parkes Observatory (PDF).
- ^ Sarkissian, John M. (2001年). “On Eagle's Wings: The Parkes Observatory's Support of the Apollo 11 Mission” (PDF). Publications of the Astronomical Society of Australia (Collingwood, Victoria: CSIRO Publishing for the Astronomical Society of Australia) 18 (3): 287–310. Bibcode 2001PASA...18..287S. doi:10.1071/AS01038 2006年9月22日閲覧。.
- ^ “Apollo Moon Landing – 35th Anniversary”. NASA Education. NASA (2004年7月15日). 2013年6月13日閲覧。 Includes the "a" article as intended.
- ^ “Armstrong 'got Moon quote right'”. BBC News (London). (2006年10月2日) 2013年6月13日閲覧。 News story on reanalysis which suggests the line was said correctly (with the "a" article).
- ^ Ghosh, Pallab (2009年6月3日). “Armstrong's 'poetic' slip on Moon”. BBC News (London) 2013年6月13日閲覧。 News story on later reanalysis which suggests the line was said incorrectly.
- ^ Carreau, Mark (2006年9月30日). “Hear what Neil Armstrong really said on the moon”. Houston Chronicle 2013年6月13日閲覧。
- ^ Adams, Cecil. “Did astronaut Neil Armstrong muff his historic "one small step" line?”. 2018年8月23日閲覧。
- ^ Mikkelson, Barbara & David P. "One Small Step" at Snopes: Urban Legends Reference Pages.
- ^ 毎日新聞社 1969, pp. 132-133.
- ^ Meyer, Charles (2009年). “Lunar Sample Compendium: Contingency Soil (10010) (PDF)”. Astromaterials Research & Exploration Science. NASA. 2013年6月13日閲覧。
- ^ “Events of 1969: Apollo 11”. UPI.com (United Press International). (1969年) 2013年6月13日閲覧。
- ^ “Exhibit: Apollo 11 and Nixon”. American Originals. Washington, D.C.: National Archives and Records Administration (1996年3月). 2008年4月13日閲覧。
- ^ “EASEP Deployment and Closeout”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA (1995年). 2013年6月13日閲覧。
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 144.
- ^ “Neil Armstrong Explains His Famous Apollo 11 Moonwalk”. space.com. New York: TechMediaNetwork, Inc. (2010年12月10日). 2013年5月25日閲覧。
- ^ a b “Trying to Rest”. Apollo 11 Lunar Surface Journal. NASA (1995年). 2013年6月13日閲覧。
- ^ “White House 'Lost In Space' Scenarios”. The Smoking Gun (2005年8月8日). 2013年5月25日閲覧。 Scanned copy of the "In Event of Moon Disaster" memo.
- ^ Mann, Jim (1999年7月7日). “The Story of a Tragedy That Was Not to Be”. Los Angeles Times 2013年5月25日閲覧。
- ^ a b Safire, William (1999年7月12日). “Essay; Disaster Never Came”. The New York Times 2013年5月25日閲覧。
- ^ a b c d e 毎日新聞社 1969, p. 160.
- ^ “Apollo 11 Goodwill Messages” (PDF) (プレスリリース), Washington, D.C.: NASA, (1969年7月13日), Release No: 69-83F 2013年6月14日閲覧。
- ^ Williams, David R.. “Apollo Tables”. National Space Science Data Center. NASA. 2006年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年9月23日閲覧。
- ^ 毎日新聞社 1969, p. 173.
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 385-387.
- ^ Rodriguez, Rachel (2009年7月20日). “The 10-year-old who helped Apollo 11, 40 years later”. CNN 2011年1月10日閲覧。
- ^ “Vatia and Pola Tai”. AFAR Media. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “Jean P. Haydon Museum”. www.fodors.com. 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b c Fish, Bob (2009). Hornet Plus Three: The Story of the Apollo 11 Recovery. Foreword by Richard Gordon (1st ed.). Reno, Nevada: Creative Minds Press. ISBN 978-0-9749610-7-1.[要ページ番号]
- ^ “Apollo 11 Prelaunch Mission Operation Report, no. M-932-69-1”. NASA. p. 49 (1969年7月8日). 2017年10月24日閲覧。 “The crew will be quarantined for approximately 21 days after liftoff from the lunar surface.”
- ^ “After Splashdown”. Apollo to the Moon. Washington, D.C.: National Air and Space Museum (1999年7月). 2013年8月15日閲覧。
- ^ Gannon, Frank (2008年7月23日). “24 July 1969: Home From The Moon”. The New Nixon. Richard Nixon Foundation. 2010年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月20日閲覧。
- ^ Extra-Terrestrial Exposure, 34 Fed. Reg. 11975 (July 16, 1969), codified at 14 C.F.R. pt. 1200
- ^ “A Front Row Seat For History”. NASAexplores. NASA (2004年7月15日). 2013年6月14日閲覧。
- ^ Carmichael, Scott W. (2010). Moon Men Return: USS Hornet and the Recovery of the Apollo 11 Astronauts. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. p. 118. ISBN 9781591141105.
- ^ a b “The Apollo Spacecraft - A Chronology. Vol. IV. Part 3 (1969 3rd quarter)”. NASA History Program Office. NASA. p. 312 (1978年). 2017年10月24日閲覧。
- ^ Taylor, Alan (2014年7月15日). “The Year Men Walked on the Moon”. The Atlantic 2017年10月24日閲覧。
- ^ a b c “Richard Nixon: Remarks at a Dinner in Los Angeles Honoring the Apollo 11 Astronauts”. The American Presidency Project (1969年8月13日). 2017年10月24日閲覧。
- ^ Wilson, Bill (1969年7月23日). “Families Wait for Moon Men”. The Australian Women's Weekly (Sydney) 37 (8): 2–4 2013年7月19日閲覧。.
- ^ “Lunar Missions: Apollo 11”. Lunar Hall of Fame (2008年). 2008年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月9日閲覧。
- ^ “The Apollo 11 Crew Members Appear Before a Joint Meeting of Congress”. United States House of Representatives. 2018年3月3日閲覧。
- ^ Lindroos, Marcus. “The Soviet Manned Lunar Program (PDF)”. MIT OpenCourseWare. Massachusetts Institute of Technology. 2011年10月4日閲覧。
- ^ Armstrong, Collins & Aldrin, Jr. 1973, pp. 138-139.
- ^ Brown, Jonathan (2009年7月3日). “Recording tracks Russia's Moon gatecrash attempt”. The Independent (London) 2011年1月10日閲覧。
- ^ “Amazon boss Jeff Bezos 'finds Apollo 11 Moon engines'”. BBC News (London). (2012年3月28日) 2013年6月14日閲覧。
- ^ Kolawole, Emi (2013年7月19日). “Bezos Expeditions retrieves and identifies Apollo 11 engine #5, NASA confirms identity” 2017年2月13日閲覧。
- ^ Bezos, Jeff (2013年7月19日). “F-1 Engine Recovery - Updates”. 2018年8月23日閲覧。
- ^ “Apollo 11 Command Module Columbia”. 2017年8月27日閲覧。
- ^ “Apollo 11 Moonship To Go On Tour”. 2017年8月27日閲覧。
- ^ https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1969-059B
- ^ “LIFE: Up Close With Apollo 11”. Life.com. オリジナルの2013年5月21日時点によるアーカイブ。 2013年6月14日閲覧。
- ^ “Apollo 11 Onboard Audio”. Apollo 40th Anniversary. NASA. 2013年6月14日閲覧。
- ^ “Apollo 11 Partial Restoration HD Videos (Downloads)”. NASA. 2013年6月14日閲覧。
- ^ Riley, Christopher (2010年7月20日). “Sound restored to mission control film shot during Apollo 11 moon landing”. The Guardian (London) 2013年7月11日閲覧。
- ^ “We Choose the Moon”. John F. Kennedy Presidential Library and Museum. 2009年7月19日閲覧。
- ^ “Apollo 11 Crew Meets With President Obama”. Image of the Day Gallery. NASA (2009年7月20日). 2014年6月9日閲覧。
- ^ Zeleny, Jeff (2009年7月21日). “Obama Hails Apollo Crew From a Lens of Childhood”. The New York Times
- ^ “Text of S.951 as Engrossed in Senate: New Frontier Congressional Gold Medal Act – U.S. Congress – OpenCongress”. OpenCongress.org. 2012年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月14日閲覧。
- ^ “Text of H.R.2245 as Enrolled Bill: New Frontier Congressional Gold Medal Act – U.S. Congress – OpenCongress”. OpenCongress.org. 2012年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月14日閲覧。
- ^ Bizony 2009, §4 リスクの要素.
- ^ “Moon landings: British scientists salute space heroes”. The Daily Telegraph (London). (2009年7月17日). オリジナルの2013年3月8日時点によるアーカイブ。 2013年6月14日閲覧。
この記事にはアメリカ航空宇宙局が作成したアメリカ合衆国政府の著作物であるウェブサイトもしくは文書本文を含む。
参考文献[編集]
洋書[編集]
- Brooks, Courtney G.; Grimwood, James M.; Swenson, Loyd S., Jr. (1979). Chariots for Apollo: A History of Manned Lunar Spacecraft. NASA History Series. Washington, D.C.: Scientific and Technical Information Branch, NASA. ISBN 978-0-486-46756-6. LCCN 79001042. OCLC 4664449. NASA SP-4205 2010年7月20日閲覧。.
- Carmichael, Scott W. (2010). Moon Men Return: USS Hornet and the Recovery of the Apollo 11 Astronauts. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-110-5. OCLC 562772897.
- Chaikin, Andrew (1994). A Man on the Moon: The Triumphant Story Of The Apollo Space Program. New York: Penguin Group. ISBN 0-14-027201-1. OCLC 890357362.
- Collins, Michael; Aldrin, Edwin E., Jr. (1975). “A Yellow Caution Light”. In Cortright, Edgar M. Apollo Expeditions to the Moon. Washington, D.C.: NASA. OCLC 1623434. NASA SP-350 2013年6月13日閲覧。.
- Collins, Michael (2001) [1974]. Carrying the Fire: An Astronaut's Journeys. Foreword by Charles W. Lindberg. New York: Cooper Square Press. ISBN 0-8154-1028-X. LCCN 2001017080. OCLC 45755963.
- Cunningham, Walter (2010). The All-American Boys. ipicturebooks. ISBN 978-1-87696-324-8. OCLC 713908039.
- Hansen, James R. (2005). First Man: The Life of Neil A. Armstrong. New York: Simon & Schuster. ISBN 978-0-7432-5631-5. LCCN 2005049992. OCLC 937302502.
- Manned Spacecraft Center (November 1969) (PDF). Apollo 11 Mission Report. Houston, Texas: NASA. OCLC 10970862. MSC-00171 2013年7月10日閲覧。.
- Mindell, David A. (2008). Digital Apollo: Human and Machine in Spaceflight. Cambridge, Massachusetts: MIT Press. ISBN 978-0-262-13497-2. LCCN 2007032255. OCLC 751829782.
- Orloff, Richard W. (2000). Apollo by the Numbers: A Statistical Reference. NASA History Series. Washington, D.C.: NASA History Division, Office of Policy and Plans. ISBN 0-16-050631-X. LCCN 00061677. OCLC 829406439. NASA SP-2000-4029 2013年6月12日閲覧。.
- Slayton, Donald K. "Deke"; Cassutt, Michael (1994). Deke! U.S. Manned Space: From Mercury to the Shuttle. New York: Forge. ISBN 0-312-85503-6. LCCN 94002463. OCLC 29845663.
- Waligora, J.M.; Horrigan, D.J. (1975). “Chapter 4: Metabolism and Heat Dissipation During Apollo EVA Periods”. Biomedical Results of Apollo. Foreword by Christopher C. Kraft, Jr.. Washington, D.C.: NASA. NASA SP-368 2017年2月14日閲覧。.
和書[編集]
- Armstrong, Neil、Collins, Michael、Aldrin, Jr., Edwin E. 『アポロ11号全記録 大いなる一歩』 日下実男(訳)、アーサー・C・クラーク(解説)、早川書房、1973年9月30日。全国書誌番号:69003532。
- 『アポロ写真集 月着陸第1号』 朝日新聞社、1969年8月28日。全国書誌番号:69001979。
- Bizony, Piers 『アポロ11号 月面着陸から現代へ』 日暮雅通(訳)、河出書房新社、2009年。ISBN 978-4-309-25228-5。
- 『人類が月を歩いた アポロ11号の全記録』 毎日新聞社編、毎日新聞社、1969年8月5日。全国書誌番号:69001968。
外部リンク[編集]
- (英語)Apollo 11 - NASAホームページ上のミッション紹介。
- (英語)The Apollo 11 Flight Journal - 「生きた文書」として更新が続けられている、NASA本部の歴史課が公開している詳細な飛行記録。
- (英語)The Apollo Lunar Surface Journal - 上に同じく歴史課が公開している、アポロ11号を含むアポロ有人月面活動の記録。
- アポロ11号月面着陸ミッションの記録 - アメリカン・ビュー(駐日アメリカ大使館公式マガジン)
- アポロ11号 - JAXA宇宙情報センターの項目
- Apollo Maniacs(アポロ マニアックス) - アポロに関する情報が豊富な個人ウェブサイト
| |||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||