華川ダム

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華川ダム (破虜湖)
1951年5月の華川ダム(破虜湖)攻撃
正式名称화천댐
韓国
所在地江原特別自治道華川郡
座標北緯38度07分02秒 東経127度46分44秒 / 北緯38.11722度 東経127.77889度 / 38.11722; 127.77889座標: 北緯38度07分02秒 東経127度46分44秒 / 北緯38.11722度 東経127.77889度 / 38.11722; 127.77889
着工1939年
竣工1944年
事業主体韓国水力原子力
ダム
堤高81.5 m (267 ft)
堤頂長435 m (1,427 ft)[1]
排水能力5,428 ㎥/s
貯水池
ダム湖破虜湖
総貯水容量1,018,000,000 ㎥
流域面積3,901 k㎡
湛水面積38.9 k㎡
発電所
運転開始1944年5月
水頭74.5 m
タービン数4 x 27 MW
定格出力108 MW[2]
華川ダム
各種表記
ハングル 화천댐
漢字 華川댐
発音 ファチョンデム
日本語読み: かせんだむ
英語表記: Hwacheon Dam
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華川ダム(ファチョンダム、朝鮮語: 화천댐)は、大韓民国江原特別自治道華川郡北漢江にあるダムダム湖の名前は破虜湖(パロこ、朝鮮語: 파로호[3]朝鮮半島の一次電力源として1944年に完成した。朝鮮戦争中に空襲の目標となり、また北朝鮮任南ダムからの洪水を防ぐ役目も担った。

日本統治時代の朝鮮における第二次世界大戦下で日本人により建設された。1939年7月に漢江水力電気株式会社が建設を開始し、1944年10月に完工した。最初の発電機はその数ヶ月前に稼動し、10月に第二の発電機が稼動した[2][4]。第三の発電機は1957年に稼働し、最後に第四の発電機が1968年に導入されている。上流に平和のダムが2005年に完成する前に、北朝鮮の任南ダムの崩壊または任南ダムからの過度の放流に対する第一の防御線として機能した[5]

朝鮮戦争当時、1951年5月26日から4日間にわたりダム付近で張都暎が率いた韓国軍第6師団と中国軍第63師団が交戦し、中国軍を大きく撃破して中国軍に2万人を超える死者、2,617人の捕虜が出た[6]。韓国側は、中国軍兵士の遺体をダム湖に水葬したことから湖の水が赤くなったと伝えられる。破虜湖の戦いは朝鮮戦争当時、韓国軍が収めた勝利の中で最も大きな勝利だったという。戦後、1955年李承晩大統領(当時)がダム湖を訪れた際、「虜」(異民族、蛮族)を「破」したという意味で「破虜湖」に命名。2019年現在も、自ら揮毫した破虜湖記念碑が残っている[7][8]

朝鮮戦争[編集]

1951年4月8日深夜、北朝鮮軍と中国軍はダムの余水路から下流へ超過放流を行い、国連軍の5つの浮き橋を使用不可能にした[9]。ダムの水力発電能力と下流地域を氾濫させる能力が、その地域におけるキーとして注目された[10]。4月9日、ダムの確保を任務とした第7騎兵連隊(既にその地域で難しい作戦を達成していた)は、困難な抵抗に遭って失敗した[11][12]。4月16日から21日の間、友軍がダムを確保したが、ダムの水門を破壊する前に中国の逆襲により撃退された。B-29 隊がダムの無力化に失敗した後、4月30日にスカイレイダー隊はティニー・ティムロケット弾と2発の2000ポンド爆弾を投下し、余水路水門の一つに穴を開けた[13]。5月2日、19航空群はコルセア12機の護衛と、Mk13 魚雷を装備した8機のスカイレイダーで出撃し、発射された8本の魚雷うち7本がダムに命中し、そのうち6本が爆発した。この攻撃で水門の一つを破壊し、他のいくつかも破損させて、洪水の脅威を緩らげた[14]。参加した米国海軍飛行中隊の一つ、VFA-195 は「タイガース」から「ダム・バスターズ」に名を改めた[10]。この攻撃は、世界的に表面目標に対して航空魚雷が使用された最後の作戦であると同時に、朝鮮戦争中に魚雷が使われた唯一の瞬間だった[15][16][17][18]

破虜湖[編集]

1951年5月26日から4日間にわたりダム付近で韓国第6師団と中国義勇軍が交戦し、中国軍が大きく敗走し、中国軍に2万人を超える死者が出た。韓国側は、中国軍兵士の遺体をダム湖に水葬したことから湖の水が赤くなったと伝えられる。戦後、李承晩大統領(当時)がダム湖を訪れた際、「虜」(異民族、蛮族)を「破」したという意味の破虜湖として命名。2019年現在も、自ら揮毫した記念碑が残っている。[19][20]

機能[編集]

堤高78メートル、堤頂長435メートルの重力式コンクリートダム[1]。流域面積3,901平方キロメートル、総貯水容量1,018,000,000立方メートル。このうち、809万立方メートルは調整可能(有効貯水容量)で、213万立方メートルは洪水調節のために使用される。貯水池の面積は38.9平方キロメートル。ダムの排水は、16の水門によって制御され、毎秒5,428立方メートルの最大放流量を有する[21]。発電所は、ダムの2.5キロメートル南西、ちょうど尾根上に位置している。発電所には27メガワットの水車発電機が4台あり、74.5メートルの有効落差を得ている[2][4]

脚注[編集]

  1. ^ a b Kehoekkwansil, Kyōngje (1959). Korea's continuing development. Korea (South). Puhŭngbu: Ministry of Reconstruction, Republic of Korea. pp. 122. https://books.google.co.jp/books?id=W__sAAAAMAAJ&q=Hwachon+dam+meter&dq=Hwachon+dam+meter&hl=en&ei=Iy07TpTwE-STmQWXpKndAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y 
  2. ^ a b c Hydroelectric Plants”. Korea Hydro & Nuclear Power Co.. 2011年8月4日閲覧。
  3. ^ 中国、韓国政府に「破虜湖」の名称変更を求める”. www.chosunonline.com. Chosun Online | 朝鮮日報. 2019年5月28日閲覧。
  4. ^ a b Hwacheon Dam” (Korean). Hawcheon-gun. 2011年8月5日閲覧。
  5. ^ Hyŏn, In-tʻaek; Miranda Alice Schreurs (2007). The environmental dimension of Asian security: conflict and cooperation over energy, resources, and pollution. US Institute of Peace Press. pp. 196–197. ISBN 1929223730. https://books.google.co.jp/books?id=qVciKjS6C44C&pg=PA196&dq=Hwacheon+Dam+Peace+Dam&hl=en&ei=rEY7TrCCH4mKmQXf_6HUAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=Hwacheon%20Dam%20Peace%20Dam&f=false 2011年8月5日閲覧。 
  6. ^ 国防軍史研究所 2010, p. 74.
  7. ^ 파로호전투(破虜湖戰鬪)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2024年1月13日閲覧。
  8. ^ 오랑캐무찌른歷史(역사)자랑 「破虜湖(파로호)」命名記念碑除幕式盛大(명명기념비제막식성대)”. newslibrary.naver.com. 경향신문 (1955年11月20日). 2024年1月13日閲覧。
  9. ^ Gleick, Peter H.; Pacific Institute for Studies in Development, Environment, and Security (2000). The world's water: the biennial report on freshwater resources. Island Press. p. 185. ISBN 1559637927. https://books.google.co.jp/books?id=b61zOkAs5NcC&pg=PA185&dq=Hwachon+dam+meter&hl=en&ei=tjI7TqjRKYmJmQWStrWCAw&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 2011年8月5日閲覧。 
  10. ^ a b Sears, David (2010). Such men as these : the story of the Navy pilots who flew the deadly skies over Korea. Cambridge, MA: Da Capo Press. pp. 164. ISBN 0306818515. https://books.google.co.jp/books?id=J_mTyQcDju0C&pg=PA160&dq=Hwachon+dam+attack&hl=en&ei=fDU7TvOyL8jMmAXtjunnAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=Hwachon%20dam%20attack&f=false 
  11. ^ Daily, Edward L. (1992). "Skirmish" red, white and blue: the history of the 7th U.S. Cavalry, 1945–1953. Turner Publishing Company. pp. 96–98. ISBN 1563110881. https://books.google.co.jp/books?id=eOxdB02xqxgC&pg=PA96&dq=Hwachon+dam+attack&hl=en&ei=fDU7TvOyL8jMmAXtjunnAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=Hwachon%20dam%20attack&f=false 2011年8月5日閲覧。 
  12. ^ Jr, Donald W. Boose (2008). Over the beach : US Army amphibious operations in the Korean War. Fort Leavenworth, Kan.: Combat Studies Institute Press. pp. 271–275. ISBN 0980123674. https://books.google.co.jp/books?id=HGlEGF2O8z0C&pg=PA271&dq=hwachon+dam+operation+dauntless&hl=en&ei=SF07TruNF-STmQWXpKndAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 
  13. ^ Edwards, Paul M. (2006). Korean War almanac (1. ed. ed.). New York: Facts On File. pp. 191–200. ISBN 0816060371. https://books.google.co.jp/books?id=5gYCm0bM68sC&pg=PA192&dq=Hwa+chon+Dam+capture&hl=en&ei=SGA7TtX7MuLbmAWWzJTRAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=Hwa%20chon%20Dam%20capture&f=false 
  14. ^ Hallion, Richard P. (2011). The naval air war in Korea. Tuscaloosa: University of Alabama Press. pp. 120–122. ISBN 0817356584. https://books.google.co.jp/books?id=TLVnjOU1lf4C&pg=PA121&dq=Hwachon+dam+attack&hl=en&ei=fDU7TvOyL8jMmAXtjunnAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=Hwachon%20dam%20attack&f=false 
  15. ^ Polmar, Norman; Bell, Dana (2004). One hundred years of world military aircraft. Annapolis, MD: Naval Institute Press. pp. 293. ISBN 1591146860. https://books.google.co.jp/books?id=YlHDyi87AQYC&pg=PA293&dq=hwachon+dam+surface+target&hl=en&ei=eX47TsCcNu7OmAXN-LnxAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=hwachon%20dam%20surface%20target&f=false 
  16. ^ Thompson, Robert F. Dorr, Warren (2003). Korean air war. St. Paul, MN: Motorbooks International. pp. 75. ISBN 0760315116. https://books.google.co.jp/books?id=bvyEpFNGIbcC&pg=PA75&dq=aerial+torpedo+in+the+korean+war&hl=en&ei=iKU7TpKbMMPRmAWX7t3zAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 
  17. ^ The War Stabilizes, 25 January – 30 June 1951”. Department of The Navy – Naval Historical Center. 2011年8月5日閲覧。
  18. ^ Hearn, Chester G. (2007). Carriers in combat : the air war at sea. Mechanicsburg, PA: Stackpole Books. pp. 239. ISBN 081173398X. https://books.google.co.jp/books?id=sg8ivuKMD5cC&pg=PA239&dq=torpedoes+in+the+korean+war&hl=en&ei=Q6Q7TorQOMmImQXcmYGDAw&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=torpedoes%20in%20the%20korean%20war&f=false 
  19. ^ 파로호전투(破虜湖戰鬪)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2024年1月13日閲覧。
  20. ^ 오랑캐무찌른歷史(역사)자랑 「破虜湖(파로호)」命名記念碑除幕式盛大(명명기념비제막식성대)”. newslibrary.naver.com. 경향신문 (1955年11月20日). 2024年1月13日閲覧。
  21. ^ Kim, Taesoon; Jun-Haeng Heo and Chang-Sam Jeong (2006). “Multireservoir system optimization in the Han River basin using multi-objective genetic algorithms”. Wiley InterScience. Hydrological Processes (John Wiley & Sons, Ltd.) 20: 2057–2075. http://hydro-eng.yonsei.ac.kr/data_files/MultireservoirsystemoptimizationintheHanRiverbasinusingmilti-objectivegeneticalgorithms.pdf 2011年8月5日閲覧。.