ホバート (軽巡洋艦)

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HMS Apollo at Miami 1938.jpg
艦歴
発注
起工 1933年8月15日
進水 1934年10月9日
就役 1936年1月13日
退役
その後 1962年2月22日に売却
除籍
性能諸元
排水量 7,105トン
全長 562 ft 3 in
全幅 56 ft 8 in
吃水 15 ft 8 in
機関 パーソンズ式タービン
4缶4軸推進 72,000 hp
最大速 32.5ノット
乗員 570名
兵装 6インチ砲8門
4インチ砲8門
3ポンド砲4門
21インチ魚雷発射管8門
艦載機 スーパーマリン ウォーラス1機
モットー Sic Fortis Hobartia Crevit

ホバート (HMAS Hobart) は、オーストラリア海軍軽巡洋艦パース級の1隻で、元はイギリス海軍所属のアポロ (HMS Apollo) と称した。

艦歴[編集]

HMAS Hobart SLV AllanGreen 1oc.jpg


デヴォンポート工廠で建造され、1933年8月15日に起工し、1934年10月9日に進水。1936年1月13日に就役した。

1938年9月28日にオーストラリア海軍に引き渡されホバートとなる。

エスピリトゥサント島にて応急修理を受けるホバート。魚雷による衝撃で後部甲板が捲れ上がっている。1943年7月23日

第二次世界大戦が始まり1939年9月3日にオーストラリアとドイツが戦争状態になったときホバートはバス海峡の哨戒中であった[1]。ホバートはポート・メルボルンへ戻り、それからシドニーへ移動した[1]

10月13日(または14日[1])にシドニーから出港し、10月26日にシンガポールに到着[2]。10月28日に出港し、軽巡洋艦バーミンガムとともにスマトラ島西岸沖やスンダ海峡を哨戒して11月5日にシンガポールに戻った[1]。これ以降、ホバートはインド洋で主に船団護衛に従事した[1][3]

1940年6月10日、アデンでイタリアの参戦を迎えた[4]。 1940年8月にはベルベラからの撤退を支援した。1940年12月にアーストラリアに戻り1941年6月までオーストラリア周辺で活動した。8月に地中海へ移動したが、日本の参戦後は東南アジアに戻った。1942年5月、珊瑚海海戦に参加。1943年7月20日、ホバートは日本の潜水艦伊11に雷撃され左舷後部に命中した魚雷によって大きな損害を受けた。その修理には1945年初めまで要した。修理完了後、東南アジアなどで上陸作戦支援などに従事した。1962年2月22日に三井物産の現地法人に売却され、日本に曳航後大阪府堺市で解体された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e HMAS Hobart (I) | Royal Australian Navy(2018年10月31日閲覧)
  2. ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.133
  3. ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, pp.133-134
  4. ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.134

参考文献[編集]

外部リンク[編集]