白雲 (吹雪型駆逐艦)

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Sirakumo.jpg
艦歴
発注 大正15年度計画(昭和2年度艦艇補充計画
起工 1926年10月27日
進水 1927年12月27日
就役 1928年7月28日
その後 1944年3月16日戦没
除籍 1944年3月31日
性能諸元
排水量 基準:1,680t
公試:1,980t
全長 118.5メートル
全幅 10.36メートル
吃水 3.19
機関 艦本式タービン2基2軸
艦本式ロ号専焼缶4基
50,000馬力
最大速 38.0ノット
航続距離 5,000/14ノット
兵員 219人
兵装 12.7cm50口径連装砲×3
7.7mm機関砲(機銃)×2
61cm魚雷発射管×9 他

白雲(しらくも)は日本海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の8番艦で[2]、特型駆逐艦[3]。雲級(くもクラス)の1隻[4]。当初の艦名は、第42号駆逐艦[1]。この名を持つ日本海軍の艦船としては白雲型駆逐艦「白雲」に続いて2隻目。太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)3月16日深夜、船団護衛中に北海道釧路沖合で米潜水艦の雷撃により撃沈された[5]

艦歴[編集]

1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦(のちの初雪)」、「第四十一号駆逐艦(〃薄雲)」、「第四十二号駆逐艦(〃白雲)」、「第四十三号駆逐艦(〃磯波)」の艦名が与えられる[6]。同日附で4隻は一等駆逐艦に類別される[7]。 「白雲」は藤永田造船所で同年10月27日に起工、1927年(昭和2年)12月27日に進水、1928年(昭和3年)7月25日に竣工[8]。「白雲」の建造スケジュールは、姉妹艦「東雲、薄雲、磯波」とほぼ同一だった[9][10][11]1928年(昭和3年)8月1日附で「第42号駆逐艦」は「白雲」と改名される[1]。同日、第12駆逐隊に編入。同年12月1日、第12駆逐隊は第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。


1935年(昭和10年)4月、満州国愛新覚羅溥儀皇帝が戦艦「比叡」(当時艦長井上成美大佐)を御召艦として来日することになり、第12駆逐隊(叢雲、薄雲、白雲)は御召艦「比叡」の供奉艦に指定された[12]。第12駆逐隊は「比叡」を護衛して日本と中国大陸を往復した。 同年9月26日、「白雲」は三陸沖で演習中、台風により多数の艦が損傷する第四艦隊事件に遭遇する。当時、第四水雷戦隊旗艦「那珂」は第11駆逐隊(初雪白雪)、第12駆逐隊(白雲、薄雲、叢雲)、第7駆逐隊()、第8駆逐隊(天霧夕霧)を率いて演習をおこなっていた[13]。艦首切断に至った「初雪、夕霧」ほどではないものの、「白雲」は若干の被害を受けた[14]

日中戦争に際しては1940年(昭和15年)以降、華南での沿岸作戦、北部仏印進駐作戦に参加した。1941年(昭和16年)9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、「白雲」と「薄雲」は第51駆逐隊を編制し、空母「赤城」および「加賀」と共に第五航空戦隊となる予定であった[15][16]。しかし太平洋戦争の勃発により、「白雲、薄雲」が「赤城、加賀」を護衛する事はなかった。

太平洋戦争緒戦[編集]

太平洋戦争では、ひきつづき吹雪型3隻(白雲、叢雲、東雲)で第12駆逐隊を編制、第三水雷戦隊に所属していた。12月15日、単独行動中の「東雲」がオランダ軍飛行艇の空襲により沈没(翌年1月15日附で除籍)、第12駆逐隊から除籍された事にともない同隊は「白雲、叢雲」の2隻となる[17]南方進攻蘭印作戦従事中の3月1日、「白雲、叢雲」はバタビア沖海戦に参加。 第三水雷戦隊・第五水雷戦隊・第七戦隊第2小隊(重巡三隈最上)と共にアメリカ海軍重巡洋艦「ヒューストン」、オーストラリア海軍軽巡洋艦「パース」、オランダ海軍駆逐艦「エヴェルトセン」の撃沈に貢献した。

バタビア沖海戦から間もない3月10日、前述のように「東雲」を喪失して「白雲、叢雲」の2隻編制になっていた第12駆逐隊は解隊[18]。「白雲」は第20駆逐隊(朝霧天霧夕霧)に、「叢雲」は第11駆逐隊(吹雪白雪初雪)に編入された[18]。第20駆逐隊は引き続き第三水雷戦隊として行動。3月下旬、馬来部隊指揮官小沢治三郎中将は臨時部隊(鳥海、第七戦隊、第三水雷戦隊、第四航空戦隊)を編制し、ベンガル湾で独自の作戦を行う方針を示した[19]。また南雲忠一中将ひきいる南雲機動部隊のセイロン島方面機動作戦実施を知り、山本五十六連合艦隊司令長官や南方部隊指揮官/第二艦隊司令長官近藤信竹中将の許可をとり、馬来部隊の行動と南雲機動部隊の作戦を呼応することにした[19]。馬来部隊は5分割され、中央隊(指揮官小沢中将:鳥海由良龍驤、夕霧、朝霧)、北方隊(栗田少将:熊野鈴谷、白雲)、南方隊(三隈艦長:三隈最上、天霧)、補給隊(綾波駆逐艦長:綾波汐風、日栄丸)、警戒隊(三水戦司令官:川内、第11駆逐隊)という編制になる[20]。4月1日、「白雲」を含む馬来部隊機動部隊はミャンマーのメルギーから出撃[21]。空母「龍驤」を基幹として、中央隊は輸送船8隻撃沈・8隻大破(のち1隻は北方隊が撃沈)・地上施設襲撃(油槽2個爆破、倉庫二棟爆破)、北方隊8隻撃沈、南方隊5隻撃沈、合計21隻(約137,000トン)撃沈・8隻(約47,000トン)大破という大戦果をおさめた[21]。6月のミッドウェー海戦、7月のインド洋方面通商破壊作戦(B作戦)などの諸作戦に参加した。

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月24日、第19駆逐隊をのぞく第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将)は外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入された[22]。8月28日、第20駆逐隊(朝霧、天霧、夕霧、白雲)は陸軍川口清健少将の支隊をガダルカナル島へ輸送中、米軍機の空襲を受けて「朝霧」が沈没、「白雲」と「夕霧」は損傷した[23][24]。経過は以下のとおり。

連合軍は1942年(昭和17年)8月7日にガダルカナル島フロリダ諸島に上陸作戦を敢行し、ガダルカナル島の戦いが始まった。日本軍は三川司令長官直率の重巡洋艦部隊を中心に迎撃し、第一次ソロモン海戦で米軍水上兵力に打撃を与える。事態を楽観視した日本軍(大本営、日本陸軍、連合艦隊、第十一航空艦隊、第八艦隊)はパプアニューギニアポートモレスビー陸路攻略作戦(ラビの戦い)に重点を移し、『残敵掃蕩』のために陸軍一木清直大佐の一木支隊、川口支隊、海軍陸戦隊の小部隊をもってガ島を奪還する方針を示した[25]。トラック泊地にあった一木支隊のうち一木大佐以下先遣隊(916名)は陽炎型駆逐艦6隻(嵐、萩風、陽炎、谷風、浦風、浜風)に乗りガダルカナル島へ先行上陸したが[26][27]、8月20日のイル川渡河戦で全滅した[28]

8月24日、日米機動部隊が対決した第二次ソロモン海戦により空母「龍驤」が撃沈される。8月25日、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を発進した急降下爆撃機SBDドーントレス8機と、長距離飛来したB-17重爆3機はガ島へ向かっていた陸軍増援部隊輸送船団および護衛の第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)を襲撃し、二水戦旗艦「神通」を中破、駆逐艦「睦月」と輸送船「金龍丸」を撃沈する[29]。連合艦隊司令部は輸送船団によるガ島揚陸作戦の中止を通達、同時に駆逐艦による急速輸送(鼠輸送)を下令する[30]。外南洋部隊(第八艦隊)も追認し、第二水雷戦隊および輸送船2隻はブーゲンビル島ショートランド泊地に向かった[30]。損傷した軽巡「神通」は駆逐艦「涼風」に護衛されてトラック泊地へ回航され、増援部隊指揮官田中二水戦司令官は駆逐隊「陽炎」に将旗を掲げたのち、駆逐艦「海風」と共に26日夕方ショートランド泊地へ移動した[31]。輸送船団(駆逐艦《磯風、江風》、哨戒艇34・35、輸送船《ぼすとん丸、大福丸》)は26日夜になりショートランド泊地に到着した[31]。輸送船乗船中の兵員の一部(約450名)は直ちに駆逐艦3隻(海風、江風、磯風)に移乗、第24駆逐隊司令村上暢之助大佐の指揮下で27日午前5時30分にショートランド泊地を出撃、27日夜のガ島揚陸を目指した[31][32]

一方、輸送船2隻(佐渡丸、浅香丸)を護衛してトラック泊地を出発して南下中だった第三水雷戦隊(司令官橋本少将)は川口清健支隊長と協議、8月26日夜半北緯1度5分 東経156度35分 / 北緯1.083度 東経156.583度 / 1.083; 156.583地点で陸兵一個大隊約600名を第20駆逐隊(天霧、朝霧、夕霧、白雲)に移乗させ、27日夜のガ島揚陸を予定して急速南下させた[31][33]。輸送船2隻は軽巡「川内」に護衛され、ラバウルに向かった[31]。ところが27日午前7時、外南洋部隊より駆逐艦部隊のガ島揚陸を『28日夜』に変更するよう命令があり、第24駆逐隊は27日夕刻ショートランドに戻った[31]。第20駆逐隊に対してはショートランドに立ち寄り、第20駆逐隊と合同して28日夜の揚陸を行うよう下令[31]。これに対し第20駆逐隊はサンタイサベル島北方海域まで進出しており、ショートランド泊地へ戻ると燃料が不足する事態となった[31]。第20駆逐隊司令はイサベル島北側で待機し、28日午後フロリダ諸島周辺で第24駆逐隊と合流したいと申し入れる[31]。この27日ガ島揚陸中止を巡る南東方面部隊指揮官と外南洋部隊指揮官の異なった命令により増援部隊は混乱し、第20駆逐隊被害の一因となった[31]

8月28日午前6時、第24駆逐隊(海風江風磯風《一時編入》)と支援部隊の第六戦隊第1小隊(青葉古鷹)はショートランド泊地を出撃した[34][35]。第20駆逐隊も呼応して南下を開始してガダルカナル島へ向かった[34]。8時20分、第20駆逐隊は南緯7度5分 東経158度55分 / 南緯7.083度 東経158.917度 / -7.083; 158.917地点でB-17重爆の触接を受け、午後になりラモス島附近でガ島ヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーントレス(米軍記録11機、対空砲火で1機喪失)の攻撃を受けた[36][37]。第20駆逐隊司令山田雄二大佐は戦死[38]。約2時間の対空戦闘を実施[39]。この戦闘により「朝霧」は魚雷に誘爆して轟沈(生存者は准士官以上8名、下士官兵128名、陸兵83名)[36]。「夕霧」は至近弾で戦死32名・重軽傷者40名[36]。「白雲」は軽負傷2名だったが機関室浸水により航行不能[36]。便乗陸兵は62名が戦死、重軽傷5名、大隊砲2門と弾薬を喪失した[40]。第20駆逐隊の苦戦は「青葉」偵察機も視認しており、『青葉飛行機の偵察に依れば味方駆逐艦3隻1650沈没せり、地点「ラモス」島附近』と報告している[41]。航行不能となった「白雲」は「天霧」に曳航され、「夕霧」の護衛下でイサベル島北側をまわってショートランドへ向かう[36][42]。田中司令官は駆逐艦「陽炎」に第20駆逐隊掩護を命じ、同艦は29日昼頃「白雲」以下と合同した[43]。第24駆逐隊司令は独断で28日夜の揚陸を中止して反転し、宇垣纏連合艦隊参謀長は陣中日誌戦藻録に『茲に鼠上陸の第一日は見事に失敗せり。如何にするとも此敵機を壊滅するに非ざれば目的を達し難し』と記している[43]。外南洋部隊は敷設艦「津軽」に「白雲」曳航を担当させようとしたが実施されず、「天霧、夕霧、白雲、陽炎」は8月30日朝にショートランド泊地に到着した[44]

重巡洋艦「衣笠」に第二水雷戦隊司令部を置いて指揮をとっていた田中司令官は[45]、駆逐艦輸送(鼠輸送)の中止、輸送基地のショートランド泊地からラバウルへの後退、陸軍川口支隊が主張する大発動艇によるガ島揚陸作戦の実施を第八艦隊に意見具申した[46]。ガ島への急速輸送を目指す第八艦隊側とは正反対の立場であり[47]、外南洋部隊(第八艦隊)は田中の更迭を決断[46]。増援部隊指揮官は第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将(旗艦「川内」)に交代し、「衣笠」も外南洋部隊支援隊に復帰した[46]。8月31日、田中少将は増援部隊の指揮を橋本(三水戦司令官)に引き継ぎ、駆逐艦「夕霧」に移乗してトラック泊地へ向かった[48]。これ以後、ガダルカナル島への輸送作戦(鼠輸送・東京急行)は第三水雷戦隊が担当することになった。

10月1日、第20駆逐隊は解隊された[49]。「白雲」と「夕霧」は呉鎮守府警備駆逐艦に指定される[50][51]。2隻は呉鎮守府司令長官豊田副武大将の指揮下に入ると[52]、整備・修理のため日本本土へ戻った[53]。その後、第二次ソロモン海戦で中破した軽巡洋艦「神通」(10月8日呉着)[54]、サボ島沖海戦で大破した重巡洋艦「青葉[55]南太平洋海戦での損傷修理および休養のため本土に戻っていた重巡「熊野」や駆逐艦「秋雲時津風初風谷風浦風」等と呉で待機した[56]。「白雲」の修理は12月10日から大阪の藤永田造船所で行われた[57]

なお戦史叢書では呉鎮守府警備駆逐艦(豊田司令長官指揮下)の「白雲」が10月11日-12日に生起した水上機母艦「日進」護衛およびサボ島沖海戦に、外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に所属する第11駆逐(白雪、叢雲、初雪、吹雪)の司令駆逐艦(駆逐隊司令杉野修一大佐)として参加し、第11駆逐隊第1小隊2番艦の駆逐艦「叢雲」救援と雷撃処分を「白雲」が実施したことになっている[58]。だが「白雲」は前述のように8月28日の空襲で大破、第20駆逐隊の解隊にともない警備駆逐艦となって外南洋部隊(第八艦隊)から除かれ、サボ島沖海戦時は日本本土に戻っていた(10月8日着)[59]。さらに大修理が必要な状態であり、最前線で戦闘に参加できる状態ではなかった[60]。水上機母艦「日進」の護衛および「叢雲」の処分を実施したのは、「白雲」と名前が似ている第11駆逐隊第1小隊の司令駆逐艦(吹雪型2番艦)「白雪」である[61][62]

太平洋戦争中盤以降[編集]

1943年(昭和18年)1月16日、修理を終えた「夕霧」は第八艦隊に復帰したが[63]、「白雲」の修理は続いた[64]。2月15日、重巡「青葉」の修理が終わり、第八艦隊に復帰して呉鎮守府部隊を去ったが[65][66]、「白雲」の修理は続いた[67]。3月上旬、修理完成と共に訓練を実施[68]。 4月1日、白雪型駆逐艦(4月1日附で初雪型駆逐艦と改定)の「白雲」と「薄雲」は[69]ビラ・スタンモーア夜戦で姉妹艦「峯雲」を喪失し一等駆逐艦朝潮型(4月1日附で満潮型と改定)[69]の「朝雲」だけになっていた第9駆逐隊に編入される[70]第五艦隊(司令長官河瀬四郎中将:旗艦「那智」)・第一水雷戦隊(旗艦「阿武隈」)の指揮下に入った「白雲」は呉から横須賀に回航されたのち、重巡洋艦「摩耶」を護衛して北方海域に進出した[71][72][73]。当時の第五艦隊には第9駆逐隊(朝雲、白雲、薄雲)のほかに、重巡洋艦「那智」、軽巡洋艦「多摩木曾阿武隈」、駆逐艦「初春初霜若葉」、特設巡洋艦「赤城丸」や特設水上機母艦「君川丸」等、多数の艦船が所属していた[74]。このうち第6駆逐隊(雷、電、響)は4月15日附で南洋部隊に編入され、北方部隊から除かれた[71]。「白雲」は「摩耶、若葉、初霜」等と共にアッツ島の戦いに伴う敵艦隊迎撃作戦や輸送作戦に従事したが特に成果はなく[75][76]アッツ島の日本軍守備隊(司令官山崎保代陸軍大佐)は5月29日に玉砕した[77]

6月6日夜、千島列島で行動中の駆逐艦「沼風」より対潜水艦戦闘実施中との報告を受け、駆逐艦「白雲、薄雲」は「沼風」の支援にむかった[78]。深夜、「白雲」はその「沼風」と衝突事故を起こす[79]。「沼風」は大破[80]、「白雲」も艦首を一部切断[81]。応急修理の結果、2隻とも6ノット航行可能となる[82]。救援のため駆逐艦「朝雲」と「若葉」がそれぞれ出動[83]。「白雲、沼風」は「朝雲」に護衛されて幌筵島に帰投したのち、「白雲」は重巡「摩耶」に接舷して応急修理をおこなった[84]。6月6日には軽巡「阿武隈」で第一水雷戦隊司令官森友一少将が脳溢血で倒れ、損傷した「白雲、沼風」と入れ替わるように幌筵を出発していている[83]。 6月10日、軽巡「阿武隈」で大湊病院まで搬送された第一水雷戦隊司令官森友一少将はただちに入院、新司令官は木村昌福少将にかわり「阿武隈」に将旗を掲げた[85][86]。第一水雷戦隊司令官病気交代の騒動の裏で「白雲」は第五戦隊と共に幌筵を出発[83]。さらに「白雲」は大湊を経て函館に回航され、修理に従事した[87][88]。「白雲」は7月中修理に従事しており、木村一水戦司令官のもとで大成功を収めたキスカ島撤退作戦に参加できなかった[89]

同年9月1日、第9駆逐隊に「朝雲」の姉妹艦「」が編入され、定数4隻(満潮型《朝雲、霞》、初雪型《薄雲、白雲》)を回復する[90]。だが「朝雲」は10月31日附で第10駆逐隊(秋雲風雲)に転出し、第9駆逐隊は3隻(薄雲、白雲、霞)に減少した[91]。修理完了後の「白雲」は北東方面に戻り、船団護衛や警戒任務に従事した。

1944年(昭和19年)2月上旬には、重巡洋艦「高雄」等と共に、空母「雲鷹」の救援に協力した[92]。だが下令により「雲鷹」の横須賀到着(2月7日)までは護衛せず、大湊へむかっている[93]。以前と同様に船団護衛に従事する。当時の北方海域では米軍潜水艦の活動により、多くの被害を出していた[94]。3月1日、第9駆逐隊に不知火型(陽炎型)駆逐艦「不知火」が編入され、同隊は定数4隻(薄雲、白雲、霞、不知火)を回復[95]。この時点で「不知火」は台湾方面の船団護衛と内地帰投後の整備任務を控えており、「霞、白雲、薄雲」とは合流していない[96][97]

3月15日、日本陸軍航空隊は北海道南方方面に米軍潜水艦数隻を発見したが、その情報を日本海軍が知った時は遅かった[98]。3月16日夕刻、第9駆逐隊(霞、白雲、薄雲)は輸送船4隻(山菊丸、慶安丸、梅川丸、日連丸)を護衛して釧路を出発[99]。同日深夜、得撫島に向かう途中の愛冠岬60km沖で米潜水艦「トートグ」 (USS Tautog, SS-199)の襲撃を受ける[100]。「白雲」は轟沈し、「霞」が敵潜制圧を実施し「薄雲」は船団を護衛して釧路に退避した[101]。「白雲」の艦長以下全乗組員が戦死した。日本軍記録 北緯42度18分 東経145度11分 / 北緯42.300度 東経145.183度 / 42.300; 145.183[102]。米軍記録 北緯42度25分 東経144度55分 / 北緯42.417度 東経144.917度 / 42.417; 144.917。船団はこのあと「日連丸」も「トートグ」の雷撃により撃沈された[103]

3月31日、トラック島空襲で沈没した艦船と共に「白雲」の除籍が決定した[104]。初雪型駆逐艦からも削除された[105]。 同日附で第9駆逐隊は解隊され、「薄雲、霞、不知火」は新たに編制された第18駆逐隊に所属することになった[106]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』271-273頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  • 若木元次 中佐:1927年12月15日 -

艦長[編集]

  • 若木元次 中佐:1928年7月28日 - 1929年11月30日
  • 小林徹理 中佐:1929年11月30日 - 1930年11月15日
  • 西村祥治 中佐:1930年11月15日 - 1931年11月2日[107]
  • 酒井一雄 少佐:1931年12月1日 - 1933年11月15日 ※1931年12月1日より第二予備艦
  • 岡野慶三郎 中佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
  • 阪匡身 中佐:1934年11月15日 - 1935年11月21日
  • 安武史郎 少佐:1935年11月21日 - 1936年12月1日
  • 山隈和喜人 少佐:1936年12月1日 -
  • (兼)山本岩多 中佐:1937年7月15日 - 10月20日[108]
  • 小川莚喜 中佐:1937年12月1日 -
  • 前川新一郎 中佐:1939年11月20日 -
  • 人見豊治 中佐:1940年11月18日 -
  • 佐藤重吉 少佐:1942年6月30日 -
  • 平山敏夫 少佐:1942年12月29日 -
  • 橋本正雄 少佐:1944年1月22日 - 3月16日戦死

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 白雲(シラクモ)トス』
  2. ^ #艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』(4番艦の深雪は除籍済)
  3. ^ #ポケット海軍年鑑(1937)p.47『一等驅逐艦 "叢雲 むらくも" 全要目{排水量1,700頓 速力34.0節 備砲12.7糎砲6門 魚雷發射管9門 起工昭和2年4月 竣工昭和4年5月 建造所 藤永田造船所} 一等驅逐艦中、特型と呼ばれるのがこの1,700頓驅逐艦である。12.7糎砲は6門、魚雷發射管は實に9門を有つてゐる大型驅逐艦である。長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米。近頃は驅逐艦も航空機に對する兵装を改善し、更に新鋭なる武器を装備し、空中からの攻撃を反撃しつゝ戦闘をつゞけなければならない。水上にあつては隊伍を組んで主力艦に肉薄し魚雷戦を挑む外に水中の敵潜水艦を驅つて輕快なる運動と機敏なる操縦によつて爆雷をもつて戦ふのである。驅逐艦生活も亦、限りなく男兒を魅するかずかずの壮烈さをもつてゐる。雲級には"薄雲 うすぐも" "白雲 しらくも" "東雲 しののめ"がある。』
  4. ^ #日本軍艦集2600年版p.44『一等驅逐艦 薄雲(うすぐも) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工大正5年10月21日、進水昭和2年12月26日、竣工昭和3年7月26日、建造所石川島造船所-特型驅逐艦。雲級にはこのほかに、東雲、白雲、叢雲の三隻がある。』
  5. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.7『(2)第九駆逐隊(不知火欠)第二十一駆逐隊ハ北方部隊指揮官直接指揮下ニ月頭來千島方面作戰輸送ニ従事シアリタル處十六日二三三五白雲釧路南東海面ニテ被雷沈没セリ』
  6. ^ #達大正15年9月p.15『達第九十三號 艦艇製造費ヲ以テ大正十五年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦四隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年九月二十九日 海軍大臣財部彪|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 第三十七號驅逐艦|石川島造船所ニ於テ建造 第四十一號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第四十二驅逐艦|浦賀船渠ニ於テ建造 第四十三號驅逐艦』
  7. ^ #達大正15年9月p.16『達第九十四號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ項「第三十五號」ノ下ニ「第三十七號」ヲ、「第四十號」ノ下ニ「第四十一號」「第四十二號」「第四十三號」ヲ加フ|大正十五年九月二十九日 海軍大臣財部彪』
  8. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『白雲|(艦要目略)|藤永田造船所|大正15-10-27|昭和2-12-27|3-7-28|(装備略)』
  9. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『東雲|(艦要目略)|佐世保工廠|大正15-8-12|昭和2-11-26|3-7-25|(装備略)』
  10. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『薄雲|(艦要目略)|石川島造船所|大正15-10-31|昭和2-12-26|3-7-26|(装備略)』
  11. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『磯波|(艦要目略)|浦賀船渠會社|大正15-10-18|昭和2-11-24|3-6-30|(装備略)』
  12. ^ #満洲国皇帝御行動に関する件p.9『二.御召艦及供奉艦 御召艦 軍艦比叡 供奉艦 第十二駆逐隊(叢雲、薄雲、白雲)』
  13. ^ #夕霧初雪遭難事件報告(1)p.3『航行隊形』/pp.42-45『別紙第三、主ナル被害損傷調』
  14. ^ #夕霧初雪遭難事件報告(1)p.44『十二驅|白雲|一.第一聯管楯魚雷格納庫蓋破損、發煙蓋筒流出/二.舵頭室水雷科倉庫進水』
  15. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第五十一驅逐隊|薄雲、白雲|(戦時編制ニ依ル所属)第五航空戦隊』
  16. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』
  17. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.15-19『内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』
  18. ^ a b #内令昭和17年3月(1)p.35『内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ』
  19. ^ a b #叢書26海軍進攻作戦590頁『ベンガル湾機動作戦』
  20. ^ #叢書26海軍進攻作戦636頁
  21. ^ a b #叢書26海軍進攻作戦663-669頁『馬来部隊機動部隊、ベンガル湾を制圧』
  22. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.9『八月二十四日鳴戸外南洋部隊ノ指揮下ニ入ル/第三水雷戰隊(第十九駆逐隊缺)外南洋部隊ニ編入』
  23. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.60『二十八日(天候略)一木川口支隊ノ第一回増援隊発進シタルモ敵機ノ空襲ニ依リ中止朝霧沈没夕霧白雲大破ス』
  24. ^ #外南洋増援部隊(1)p.8『20dg|(始)八月二十七日|(終)八月三十一日(朝霧白雲八月二十八日)|二十八日敵機ノ爆撃ニ依リ朝霧沈没白雲航行不能夕霧相當ノ損傷ヲ受ク』
  25. ^ #叢書49ガ島以前506-510頁『第一次ソロモン海戦直後の情況判断』
  26. ^ #叢書49ガ島以前519-521頁『一木先遣隊の輸送』
  27. ^ #外南洋増援部隊(1)p.11『(五)挺身隊ハ八月十八日2030「ガダルカナル」島「タイボ」岬西方泊地ニ進入シ2100上陸成功2330右揚陸作業ヲ終了後豫定計画ニ従ヒ4dg(野分舞風缺)及陽炎ハ「ツラギ」及「ルンガ」泊地附近ノ警戒ニ任ジ17dg(磯風缺)ハ「レ」號作戰参加ノ爲「ラバール」ニ向フ』
  28. ^ #叢書49ガ島以前535-537頁『一木先遣隊の戦闘』
  29. ^ #叢書49ガ島以前586-587頁『金龍丸及び「睦月」の沈没』
  30. ^ a b #叢書49ガ島以前589-591頁『輸送方法の転換』
  31. ^ a b c d e f g h i j #戦史叢書83ガ島戦21-22頁『輸送開始と外南洋部隊の延期命令』
  32. ^ #外南洋増援部隊(1)pp.19-20『(五)八月二十七日〇五三〇24dg(凉風缺)磯風ハ一木支隊後續隊(約四五〇名)ヲ分乗同夜「ガダルカナル」揚陸ノ爲「ショートランド」ヲ出撃セリ』
  33. ^ #外南洋増援部隊(1)pp.19-20『又(司令官)3sdノ護衛セル川口支隊ハ洋上ニ於テ輸送船ヨリ20dgニ移乗2sd司令官ノ指揮下ニ入リ同夜二一〇〇「タイボ」岬附近ニ揚陸ノ豫定ヲ以テ「ガダルカナル」ニ向ヒツツアリシモ20dgハ敵「コンソリデット」ノ觸接ヲ受ケ一方「ガダルカナル」ニ對スル航空攻撃行ハレザリシ爲二十七日ノ揚陸ハ二十八日夜ニ延期セラレタルヲ以テ24dg(凉風缺)磯風ハ「ショートランド」ニ引返シ20dgハ燃料ノ関係上「ショートランド」歸着ヲ断念シ二十八日Y婁ノ揚陸ニ応ゼン爲「イサベル」島附近ヲ適宜行動セリ』
  34. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦24-25頁『第一次輸送の挫折』
  35. ^ #外南洋増援部隊(1)p.20『(ニ七)八月二十八日〇六〇〇24dg(凉風缺)磯風(陸兵計四五〇名分乗)ハ24dg司令指揮ノ下ニ「ショートランド」ヲ出撃「フロリダ」島北方海面ニ於テ20dgヲ合同同夜「ガダルカナル」島「タイボ」岬附近ニ揚陸ヲ決行セントセシモ…』
  36. ^ a b c d e #戦史叢書83ガ島戦26頁
  37. ^ #外南洋増援部隊(5)pp.27-28『天霧駆逐艦長(宛略)被害ノ状況』
  38. ^ #外南洋増援部隊(1)pp.20-21『一四三〇20dgハ「イサベル」島北方海面ニ於テ敵飛行機十籔機ノ攻撃ヲ受ケ之ト交戰敵數機ヲ撃墜我亦敵機ノ爆撃ニ依リ20dg司令戰死朝霧沈没白雲航行不能夕霧亦相當ノ損傷ヲ受ケタリシヲ以テ一九二五24dg(凉風缺)磯風ハ本日ノ揚陸ヲ断念シ引返セリ』
  39. ^ #外南洋増援部隊(5)p.11『天霧駆逐艦長(宛略)20dg戦斗概報 一.一四〇〇ヨリ一六〇〇ノ間敵二〇機ノ雲間ヨリスル執拗ナル空爆ヲ受ク全砲撃ヲ集中撃攘セリ/二.戰果 撃墜五機他ニ不確實ナルモノ二機/三.天霧機密第四〇番電ノ通』
  40. ^ #外南洋増援部隊(5)p.17『20dg司令|二十九日一四二八3sd参謀、八通司令(2sd参謀)|發鷹松少佐、宛川口支隊長 一.朝霧沈没ニ伴フ戰死六十二名(本中隊将校全部及大隊砲小隊手柴中尉ヲ含ム)他ハ全部収容セリ/二.大隊砲二門及弾薬全部沈没/三.重傷三軽傷二』
  41. ^ #外南洋増援部隊(5)p.6『6S司令官(宛略)青葉飛行機ノ偵察ニ依レバ味方駆逐艦三隻1650沈没セリ地点「ラモス」島附近二十八日一八〇〇』
  42. ^ #外南洋増援部隊(1)p.21『天霧ハ白雲ヲ曳航夕霧護衛ノ下ニ「ショートランド」ニ向フ』
  43. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦27頁
  44. ^ #戦史叢書83ガ島戦30-31頁
  45. ^ #外南洋増援部隊(1)p.20『(ニ六)八月二十八日〇七一五将旗ヲ陽炎ヨリ衣笠ニ移揚ス』
  46. ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦31-33頁『増援部隊指揮官の更迭』
  47. ^ #S1709八艦隊日誌(1)pp.55-56『「ガ」飛行場ヲ敵ハ使用シ始メタルモノノ如シ爾後「ショートランド」ヲ基地トシ軽快艦艇ヲ以テ毎夜「ケ」ニ突入敵艦艇撃滅ニ決ス』
  48. ^ #外南洋増援部隊(1)p.8『備考 八月三十一日〇八〇〇増援部隊ノ指揮ヲ3sd司令官ニ引継グト同時ニ川内19dg(磯波綾波缺)17dg(磯風浜風缺)モ増援セラレタリ』-p.24『(三五)八月三十一日〇九一五夕霧「ショートランド」發「トラック」ニ向フ』
  49. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』
  50. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.2-3『内令第千八百二十五號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 山雲|呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 白雲|右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  51. ^ #S1709呉鎮日誌(3)p.4『一日 夕霧及白雲(二十驅解隊)呉鎮部隊ニ編入』
  52. ^ #S1709呉鎮日誌(3)p.19『二日0910呉鎮長官(宛略)夕霧及白雲ハ呉歸着後整備作業ニ従事スベシ』
  53. ^ #S1709呉鎮日誌(4)p.17『一日(天候略)一.戦時編制一部改定(イ)夕霧及白雲ヲ呉鎮部隊ニ編入 (ロ)朝霧及金龍丸ヲ戦時編制ヨリ除カル/二.夕霧及白雲ヲ警備驅逐艦ト定メラル(以下略)』
  54. ^ #S1710佐伯防備隊日誌(1)p.34『十月七日1130呉防戦司令官(宛略)呉防戰機密第071130番電 伯防司令ハ哨四十六及駆潜一隻ヲ以テ本日日没時ヨリ神通沖ノ島通過迄E2哨区ノ對潜掃蕩ヲ実施スベシ』
  55. ^ #S1709呉鎮日誌(5)pp.39-41『四参考 (イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動』
  56. ^ #S1709呉鎮日誌(6)pp.5-6『十三(天候略)一.呉海兵團ヨリ人員ヲ派遣シ熊野秋雲時津風初風谷風浦風ノ機関科整備作業ヲ援助セシム』
  57. ^ #S1709呉鎮日誌(8)p.1『四.参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動|白雲|大阪藤永田造船所修理中』
  58. ^ #叢書83ガ島戦200-202頁『「叢雲、夏雲」の喪失』
  59. ^ #S1709呉鎮日誌(4)pp.1-2『四参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動/白雲』
  60. ^ #S1709呉鎮日誌(4)p.35『廿七(略)官房機密第一三一三五號ニ依リ白雲及夕霧損傷部復舊大修理竝ニ其ノ他整備ノ件指令』
  61. ^ #わが青春と海軍156頁
  62. ^ #S1710四水戦日誌(3)pp.17-18『15日1800(将旗)3sd(宛略)3sd機密第151800番電 SNB ZOB戦斗概報第三號/一.十一日夜6Sノ夜戦ニ際シ直衛d吹雪沈没初雪被弾前部水線上破口荒天航行竝ニ二十四節以上ノ航行危険/二.日進千歳11dg(2D欠)9dg(峯雲欠)ハ増援兵力ヲ「ガ」島ニ揚陸シタル後11dgハ古鷹救援ニ赴キ「ソロモン」諸島南方海面ヲ経テ避退中(2/3未着)一四二〇夏雲沈没叢雲大火災爆發収拾ノ途ナク朝雲白雪乗員ヲ収容シテ一旦避退夜陰ニ乗ジ更ニ叢雲ヲ曳航セントセシモ大火災艦尾切断シテ見込ナク遂ニ之ヲ処分セリ 夏雲戦死駆逐艦長以下十七名 叢雲ハ全員行衛不明』
  63. ^ #S1801呉鎮日誌(1)p.5『十六日 直率部隊ヨリ神通(第二水雷戰隊ニ編入)及夕霧(第八艦隊ニ編入)ヲ除ク|二十日 直率部隊ヨリ大波ヲ除ク(第三十一驅逐隊ニ編入』
  64. ^ #S1801呉鎮日誌(2)p.16『四.参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動|白雲|藤永田造船所船渠ニ入渠』
  65. ^ #S1801呉鎮日誌(4)p.4『十五日(一)青葉(八艦隊ニ編入)ヲ直率部隊ヨリ除キ山霜丸ヲ加フ』
  66. ^ #S1801呉鎮日誌(5)p.44『四.参考(イ)部下艦船(特設ヲ含ム)ノ行動|青葉|一五 外南洋ニ向フ』
  67. ^ #S1801呉鎮日誌(5)p.44『四.参考(イ)部下艦船(特設ヲ含ム)ノ行動|白雲|大阪』
  68. ^ #S1801呉鎮日誌(6)p.60『五(天候略)驅逐艦白雲ハ艦長所定ニ依リ三月八日ヨリ三月十一日マデ伊予灘ニ於テ單獨訓練ヲ實施セシム』
  69. ^ a b #内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニ改メ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』
  70. ^ #内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム|第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル|第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  71. ^ a b #叢書29北東方面523-524頁『北方情勢と北方部隊の概況』
  72. ^ #第五艦隊AL作戦(3)p.27『麾下艦船部隊ノ行動|第九駆逐隊|白雲』
  73. ^ #S1803一水戦日誌(3)p.34『一五(天候略)摩耶白雲、陸奥湾ニ向ケ横須賀発』
  74. ^ #第五艦隊AL作戦(3)pp.25-28『麾下艦船部隊ノ行動』
  75. ^ #S1803一水戦日誌(3)p.25『51cg熱田分遣隊機密第270432番電 敵艦六隻砲撃中』-p.27『5F機密第270501番電 摩耶若葉白雲ヲ率ヰ陸奥海湾出撃』
  76. ^ #S1803一水戦日誌(4)pp.9-11『(二)配備』
  77. ^ #S1803一水戦日誌(4)pp.4-5『(四)北方部隊ハ直チニ整備艦艇ノ急速進出ヲ令シ他方AO所在ノ潜水艦(伊三一、三四、三五潜)ヲ熱田島ニ集結シテ同島周辺ノ敵ヲ攻撃撃破(戦艦一、巡洋艦一、艦型不詳二)スルト共ニ水上部隊及航空部隊ヲ以テ敵海上兵力ノ奇襲及緊急輸送ヲ企圖セルモ好機ナシ二十日以後熱田島陸上ノ戦勢愈逼迫シ護衛部隊(長波ヲ加フ)ヲ以テ天象ヲ利用シ熱田島附近ノ敵艦艇ヲ奇襲弾薬糧食ノ緊急輸送ヲ再度企圖シ二十五日幌筵ヲ出撃セシメタルモ護衛部隊ガ天候ノ好機ヲ待チアル間二十九日ニ至リ熱田島守備隊ハ連絡全ク杜絶全員壮烈ナル戰死ヲ遂ゲタリ』
  78. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.37『六日(天候略)2030薄雲白雲出撃』
  79. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.18『六日白雲(宛略)白雲機密第062308番電 我沼風ト衝突地点ロハッカ岬ノ122度12浬』
  80. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.18『一.沼風士官室右舷大破全部浸水第一缶室以後無事自力航行不能/二.白雲艦首右舷ニ湾曲錨鎖庫塗具庫ニ浸水航行差支ナシ』
  81. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.20『白雲機密第070230番電沼風自力航行可能(微速)本艦艦首切断ノ為舵利カズ漂白作業中』
  82. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.21『9dg機密第070400番電 沼風士官室右舷及艦橋下部大破六節ニテ自力航行可能白雲ハ0415頃應急修理完成六節程度ニテ自力航行可能ノ見込 若葉ハ合同後沼風ヲ朝雲ハ白雲ヲ護衛幌筵海峡通過幌筵ニ帰投ス』
  83. ^ a b c #叢書29北東方面598-599頁『主隊および水雷戦隊、水上機部隊』
  84. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.38『七日(天候略)0115朝雲出撃/0210若葉出撃/0900阿武隈大湊ニ向ケ幌筵出撃|0030朝雲ニ出撃ヲ命ズ/0129若葉ニ出撃発令(通信0150)/0120朝雲出撃/0200若葉出撃/0800若葉幌筵皈着/0900頃朝雲白雲沼風ヲ護衛シ幌筵ニ皈投/0930薄雲幌筵皈着|一.白雲ハ上甲板線ヨリ下方艦首ヨリ九米迄切断屈曲塗具庫錨鎖庫ニ浸水セリ人員異常ナシ/二.白雲摩耶ニテ応急処理』
  85. ^ #戦場の将器150頁
  86. ^ #S1806一水戦日誌(1)pp.39-40『一〇(天候略)0530阿武隈大湊着/1400 10dg幌筵海峡ニ向ケ横須賀出撃|0845司令官森少将大湊病院ニ入院』-『一一(天候略)1500阿武隈幌筵ニ向ケ大湊出撃(略)1045新司令官木村少将着任』
  87. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.40『一二(天候略)0600二十一駆(欠初春)五戦隊ヲ護衛大湊ニ向ケ幌筵発/0630白雲修理ノ為大湊ニ向ケ幌筵発(第二天洋丸護衛)』
  88. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.2『白雲ハ十二日幌莚海峡発大湊爾後函館ニテ修理』
  89. ^ #S1806一水戦日誌(2)p.36『(二)麾艦船部隊ノ行動|第一水雷戦隊/阿武隈|第二十一駆逐隊/若葉/初霜/初春|第九駆逐隊/朝雲/薄雲/白雲|軍隊区分ニ依ル配属艦/木曾/五月雨/長波/響/島風|第十駆逐隊/夕雲/風雲/秋雲』
  90. ^ #内令昭和18年9月(1)p.26『内令第千八百十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年九月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「白雲」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ』
  91. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ』
  92. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.9『麾下艦船部隊ノ行動|1sd|9dg|白雲|横須賀2月2日1321/横須賀雲鷹護衛/2月7日0005大湊』
  93. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.11『五(天候略)0743白雲 雲鷹護衛ヲ止メ大湊ニ向ケ発』
  94. ^ #第五艦隊AL作戦(5)pp.20-21『(二)潜水艦ヲ以テスル海上交通破壞作戦ハ依然熾烈ニシテ千島方面ニ於テモ敵潜跳梁甚シク駆逐艦一隻輸送船四隻ノ犠牲ヲ出シタリ』
  95. ^ #内令昭和19年3月(1)p.17『内令第三百八十八号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年三月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「霞」ノ下ニ「、不知火」ヲ加フ|第十九驅逐隊ノ項中「敷波」ノ下ニ「、天霧」ヲ加フ』
  96. ^ #S1809一水戦日誌(6)p.48『一五(天候略)1000不知火【タモ11】船團ヲ護衛門司ニ向ケ高雄發』
  97. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.22『十五日一七三八5F参謀長(宛略)不知火ノ呉ニ於ケル急速整備ハ約一週間程度トシ哨信儀ヲ必ズ装備シ水中聴音器ハ極力船体基礎工事ノミ實施ノ上大湊ニ於テ兵器装備ノコトニ取計ハレ度』
  98. ^ #S1809一水戦日誌(6)pp.18-19『(2)敵戦情報ノ入手及警報發令ニ関シテハ凡有手段ヲ講ズルヲ要ス特ニ陸軍航空部隊ノ發見情報ノ迅速入手ニ関シ準備アルヲ要ス (i)三月十三日乃至三月十五日北海道南方海面ニ於テ陸軍航空部隊ノ發見セル敵潜水艦情報ハ十六日0100頃陸軍計根別航空隊将校ノ釧路出張ニ依リ九駆司令発電ヲ経テ同海域ニ敵潜數隻存在シアルコト初メテ明トナレリ右情況ニ於テ釧路ヲ出撃セル「ヘ乙」船團ハ十六日夜日連丸白雲ノ被害ヲ惹起セリ』
  99. ^ #S1809一水戦日誌(6)p.48『一六(天候略)1600九駆山菊丸慶安丸梅川丸日連丸ヲ護衛釧路發2335薄雲ハ船團ヲ護衛反轉釧路ニ向フ|2335白雲被害ニ即應霞附近敵潜制圧ニ任ズ』
  100. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.22『機密第151259番電 (ヘ乙)船團(山菊丸慶安丸梅川丸)(ホ)船團(日連丸)護衛艦九駆(霞白雲薄雲)三月十六日一六〇〇釧路發速力7.5節(以下略)』
  101. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.23『機密第170015番電 2335北緯42度18分東経145度11分ニ於テ白雲雷撃ヲ受ケ轟沈船團ハ薄雲護衛シ釧路ニ避退セシム霞ハ附近制圧中』
  102. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.29『十六(天候略)2335 N42°18′E145°11′白雲雷撃ヲ受ケ轟沈』
  103. ^ #S1809一水戦日誌(5)pp.26-27『機密第171133番電 日連丸生存者少尉三名准尉一命見習士官一名下士官兵四二名(内死亡者二名)船員一名ガ0730頃北緯42度38分東経144度38分ニ於テ救助白雲乗員ハ總員壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタルモノト認ム/一一三〇波風ヲ合同霞薄雲波風ハ現場附近ヲ掃蕩中』
  104. ^ #内令昭和19年3月(5)p.41『内令第五百十三号|横須賀鎮守府在籍 軍艦 那珂 軍艦 香取|呉鎮守府在籍 軍艦 阿賀野 右帝国海軍籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 舞風|呉鎮守府在籍 驅逐艦 白雲|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 峯風 驅逐艦 追風 驅逐艦 文月 驅逐艦 海風|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 太刀風|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(略)|昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  105. ^ #内令昭和19年3月(5)p.21『内令第四百九十九号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「川内型」ノ項ヲ、同阿賀野型ノ項中「阿賀野、」ヲ、同練習巡洋艦ノ項中「香取、」ヲ削ル|驅逐艦一等峯風型ノ項中「峯風、」「太刀風、」ヲ、同神風型ノ項中「追風、」ヲ、同卯月型ノ項中「文月、」ヲ、同初雪型ノ項中「白雲、」ヲ、同白露型ノ項中「海風、」ヲ、同不知火型ノ項中「舞風、」ヲ削ル|驅潜艇、第十四号型ノ項中「第二十二号、」「第四十号、」ヲ削ル』
  106. ^ #内令昭和19年3月(5)p.39『内令第五百十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八驅逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二驅逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  107. ^ 『日本海軍史』第9巻、347頁。
  108. ^ 『日本海軍人事手帳(?)』による。

参考文献[編集]

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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 藤原盛宏、岡武文発行人 『わが青春と海軍』 株式会社トムス出版部、1974年3月。
    藤原は当時海軍主計少尉、昭和17年3月より11月まで第11駆逐隊庶務主任。サボ島沖海戦時、第11駆逐隊司令駆逐艦「白雪」乗艦。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』 朝雲新聞社、1975年8月。
  • 近代デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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関連項目[編集]