白雲 (吹雪型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
Sirakumo.jpg
艦歴
発注 大正15年度計画(昭和2年度艦艇補充計画
起工 1926年10月27日
進水 1927年12月27日
竣工 1928年7月28日
その後 1944年3月16日戦没
除籍 1944年3月31日
性能諸元
排水量 基準:1,680t
公試:1,980t
全長 118.5メートル
全幅 10.36メートル
吃水 3.19
機関 艦本式タービン2基2軸
艦本式ロ号専焼缶4基
50,000馬力
最大速 38.0ノット
航続距離 5,000/14ノット
兵員 219人
兵装 12.7cm50口径連装砲×3
7.7mm機関砲(機銃)×2
61cm魚雷発射管×9 他

白雲(しらくも)は、日本海軍吹雪型駆逐艦8番艦[1]。1928年(昭和3年)7月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1902年(明治35年)竣工の白雲型駆逐艦白雲に続いて2隻目。1944年(昭和19年)3月、船団護衛中に釧路沖の太平洋で米潜水艦の雷撃を受け沈没した[2]

艦歴[編集]

太平洋戦争まで[編集]

1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐艦に第四十二号駆逐艦の艦名が与えられる[3][4]藤永田造船所で10月27日に起工、1927年(昭和2年)12月27日に進水し、1928年(昭和3年)7月28日に竣工した[5]。8月1日附で白雲と改名され、第12駆逐隊に編入した[6]。吹雪型5-8番艦は艦名に雲がつき、4隻を雲級とする記述もある[7]。12月1日、第12駆逐隊は第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。

1935年(昭和10年)4月、満州国皇帝の溥儀が戦艦比叡を御召艦として来日することになり、第12駆逐隊(叢雲薄雲、白雲)は比叡の供奉艦に指定された[8]。第12駆逐隊は比叡を護衛して日本と中国大陸を往復した。9月26日、白雲は三陸沖で台風により多数の艦が損傷する第四艦隊事件に遭遇し、魚雷格納庫などに軽微な損傷を受けた[9]1940年(昭和15年)以降は中国南部での沿岸作戦、北部仏印進駐作戦に参加した。

太平洋戦争開戦~昭和17年まで[編集]

白雲は太平洋戦争開戦時、叢雲 、東雲と共に第三水雷戦隊第12駆逐隊に所属していた。12月15日、東雲ボルネオ島攻略作戦で沈没した[10]南方進攻蘭印作戦に従事し、1942年(昭和17年)3月1日にはバタビア沖海戦に参加。重巡三隈、重巡最上と共に米重巡洋艦ヒューストン、オーストラリア軽巡パース、オランダ駆逐艦エヴェルトセン(エべルツェン)の撃沈に貢献した。

3月10日に第12駆逐隊は解隊され[11]、白雲は第20駆逐隊(朝霧天霧夕霧)に編入された[11]。3月下旬、南遣艦隊指揮官小沢治三郎中将は臨時部隊を編制し、ベンガル湾で独自の作戦を行う方針を示した[12]。南遣艦隊は5分割され、白雲は栗田健男少将の指揮下で重巡熊野、重巡鈴谷と共に北方隊に配属された[13]。4月1日、白雲を含む南遣艦隊はメルギーから出撃[14]し、北方隊は輸送船8隻を撃沈した[14]。6月のミッドウェー海戦、7月のインド洋方面通商破壊作戦(B作戦)などの諸作戦に参加した。

連合軍は8月7日にガダルカナル島フロリダ諸島に上陸し、ガダルカナル島の戦いが始まった。8月20日に同島ヘンダーソン飛行場が稼働し、23-24日の第二次ソロモン海戦後も、連合軍が同島周辺の制空権を支配していた。白雲など第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将)は8月24日、南方海域を担務する外南洋部隊に編入され[15]、陸軍川口清健少将の支隊を乗せた佐渡丸、浅香丸を護衛し、トラック泊地を出発した。しかし25日には、ガダルカナル島へ向かった第二水雷戦隊と輸送船団が航空攻撃で駆逐艦睦月と輸送船金龍丸を失い、揚陸を断念する事態となった。

このため橋本少将と川口少将が協議し、26日夜半に洋上(北緯1度5分 東経156度35分 / 北緯1.083度 東経156.583度 / 1.083; 156.583)で陸兵一個大隊約600名を第20駆逐隊4隻に移乗させ、軽巡川内が輸送船を護衛してラバウルに送り、高速の駆逐艦のみで27日夜に揚陸する方針を決めた[16]。しかし27日午前7時、外南洋部隊から揚陸を28日夜に変更し、第20駆逐隊はショートランド泊地に寄港して第24駆逐隊司令の村上暢之助大佐が指揮する駆逐艦海風、駆逐艦江風、駆逐艦磯風の輸送隊と合同するよう指令された[16][17]

この時、第20駆逐隊はサンタイサベル島北方沖まで移動しており、ショートランド泊地に寄港すると燃料が不足した。そのため第20駆逐隊司令の山田雄二大佐は、同島北側で待機し、28日午後にフロリダ諸島周辺で合流する方針を伝えた[18][19]。第20駆逐隊は28日にフロリダ諸島沖の合流海域をめざしたが[18]、8時20分にB-17に触接され、午後2時30分に同島東海上のラモス島附近でヘンダーソン飛行場のSBDドーントレス急降下爆撃機(米軍の記録で11機)の攻撃を受けた[20][21][22]。約2時間の戦闘で白雲は軽負傷2名だったが機関室浸水により航行不能に陥った[20][23]。また朝霧が沈没、夕霧も至近弾で損傷し[24][25]、山田司令らが戦死した[26][20][27]

3隻となった第20駆逐隊は揚陸を断念し、白雲は天霧に曳航され、夕霧と共にイサベル島北側からショートランドへ向かった[20][28]。駆逐艦陽炎が8月29日昼に合流し、30日朝に4隻でショートランド泊地に到着した[29]。海風など3隻も揚陸を中止して輸送作戦は失敗し、宇垣纏連合艦隊参謀長は陣中日誌戦藻録に『茲に鼠上陸の第一日は見事に失敗せり。如何にするとも此敵機を壊滅するに非ざれば目的を達し難し』と記した[30]

10月1日、第20駆逐隊は解隊され[31]、白雲は夕霧と共に呉鎮守府警備駆逐艦となり[32][33]、修理のため日本に戻った[34][35]。白雲の修理は12月10日から藤永田造船所で行われた[36]

  • 戦史叢書で1942年10月11日-12日に白雲がソロモン海で輸送艦隊を護衛し、駆逐艦叢雲の雷撃処分をしたとあるのは、白雪の誤り[37][38]

昭和18年~沈没[編集]

1943年(昭和18年)3月上旬に修理が終わり、訓練に従事した[39]。4月1日、白雲は薄雲、朝雲と共に第9駆逐隊に編入し[40]第五艦隊第一水雷戦隊の指揮下でアリューシャン列島千島列島などを担当する北東方面の海域に投入された。白雲は呉から横須賀に回航した後、重巡摩耶を護衛して北方に向かった[41][42][43]。白雲は摩耶、駆逐艦若葉、駆逐艦初霜等と共にアッツ島の戦いに伴う迎撃作戦や輸送作戦に従事した[44][45]

6月6日夜、千島列島で行動中の駆逐艦沼風が対潜攻撃し、白雲と薄雲が支援に向かった[46]。深夜、白雲は沼風と衝突し[47]、沼風は大破[48]、白雲も艦首を一部切断した[49]。両艦は応急修理で自力航行が可能となり[50]、白雲は朝雲、沼風は若葉に護衛されて幌筵島に帰投した[51]。白雲は摩耶に接舷して修理を行った[52]。その後、第五戦隊と共に幌筵を出発し[51]、大湊を経て函館に回航され、本格的な修理に入った[53][54]。このため第9駆逐隊の僚艦が参加したキスカ島撤退作戦に加わらなかった。

第9駆逐隊は9月1日にが編入し[55]、10月31日に朝雲が転出した[56]。修理完了後の白雲は北方に戻り、船団護衛や警戒任務に従事した。1944年(昭和19年)2月上旬、重巡高雄等と共に空母雲鷹の救援に協力した[57][58]

  • 3月1日、第9駆逐隊に不知火が編入したが、不知火は台湾方面の船団護衛中で、白雲と合流することはなかった[59][60]

3月15日、白雲など第9駆逐隊3隻は輸送船4隻(山菊丸、慶安丸、梅川丸、日連丸)を護衛して小樽を出撃、得撫島に向かった[61]。対潜警報により釧路港に避難したあと、3月16日午後4時に釧路を出発した[61][62][63]。同日午後11時35分、愛冠岬60km沖で米潜水艦トートグ の雷撃を受けた。白雲と日蓮丸に命中して両艦は沈没し、白雲は橋本正雄艦長ら全乗員が戦死した[61]。日本軍記録 北緯42度18分 東経145度11分 / 北緯42.300度 東経145.183度 / 42.300; 145.183[61][64]。米軍記録 北緯42度25分 東経144度55分 / 北緯42.417度 東経144.917度 / 42.417; 144.917。霞が対潜攻撃を行ったがトートグを撃沈できず、薄雲は船団を護衛して釧路に退避した[65][66]

  • 第一水雷戦隊の戦時日誌によると、3月13-15日に陸軍航空隊が北海道南方沖に米潜水艦数隻を発見しており、海軍への情報伝達の不備が白雲など喪失の一因と指摘している[67]

3月31日、白雲は除籍された[68]。同日附で第9駆逐隊は解隊され、薄雲と霞、不知火は新設の第18駆逐隊に編入した[69]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』271-273頁による。階級は就任時。

艤装員長[編集]

  • 若木元次 中佐:1927年12月15日 -

艦長[編集]

  • 若木元次 中佐:1928年7月28日 - 1929年11月30日
  • 小林徹理 中佐:1929年11月30日 - 1930年11月15日
  • 西村祥治 中佐:1930年11月15日 - 1931年11月2日
  • 酒井一雄 少佐:1931年11月2日[70] - 1933年11月15日
  • 岡野慶三郎 中佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
  • 阪匡身 中佐:1934年11月15日 - 1935年11月21日
  • 安武史郎 少佐:1935年11月21日 - 1936年12月1日
  • 山隈和喜人 少佐:1936年12月1日 - 1937年7月15日[71]
  • (兼)山本岩多 中佐:1937年7月15日 - 1937年10月20日[72]
  • 山本皓 少佐:1937年10月20日[72] - 1937年12月1日[73]
  • 小川莚喜 中佐:1937年12月1日 - 1939年11月20日[74]
  • 前川新一郎 中佐:1939年11月20日 - 1940年11月15日[75]
  • 人見豊治 中佐:1940年11月15日[75] -
  • 佐藤重吉 少佐:1942年6月30日 -
  • 平山敏夫 少佐:1942年12月29日 -
  • 橋本正雄 少佐:1944年1月22日 - 3月16日戦死

参考文献[編集]

  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 藤原盛宏、岡武文発行人 『わが青春と海軍』 株式会社トムス出版部、1974年3月。
    藤原は当時海軍主計少尉、昭和17年3月より11月まで第11駆逐隊庶務主任。サボ島沖海戦時、第11駆逐隊司令駆逐艦「白雪」乗艦。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書29 北東方面海軍作戦』 朝雲新聞社、1969年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 北東方面陸軍作戦(2) 千島・樺太・北海道の防衛』第44巻、朝雲新聞社、1971年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』 朝雲新聞社、1975年8月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070086900 『自大正15年至昭和1年達完/9月』。
    • Ref.C12070089800 『昭和3年達完/6月』。
    • Ref.C12070160500 『昭和17年1月〜3月 内令1巻/昭和17年1月(2)』。
    • Ref.C12070161200 『昭和17年1月〜3月 内令1巻/昭和17年3月(1)』。
    • Ref.C12070164500 『昭和17年7月〜9月 内令3巻/昭和17年8月分(2)』。
    • Ref.C12070165700 『昭和17年10月〜12月 内令4巻止/昭和17年10月(1)』。
    • Ref.C12070176200 『昭和18年1月〜4月 内令1巻/内令昭和18年4月(1)』。
    • Ref.C12070180400 『昭和18年9月〜10月 内令4巻/内令昭和18年9月(1)』。
    • Ref.C12070181500 『昭和18年9月〜10月 内令4巻/内令昭和18年10月(5)』。
    • Ref.C12070180400 『昭和18年9月〜10月 内令4巻/内令昭和18年9月(1)』。
    • Ref.C12070196900 『昭和19年1月〜7月 内令/昭和19年3月(5)』。
    • Ref.C12070496700 『昭和19年8月〜9月 秘海軍公報/昭和19年9月(2)』。
    • Ref.C05034104000 『満洲国皇帝御行動に関する件』。
    • Ref.C05034101200 『第596号10.3.9満洲国皇帝陛下御来訪の際御召艦及警衛艦の件』。
    • Ref.C05034650000 『赤軍4水戦機密第6号 10.9.29夕霧、初雪遭難事件報告(1)』。
    • Ref.C13071974300 『昭和12年12月1日現在10版内令提要追録第3号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030096400 『昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030096500 『昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030096600 『昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030096700 『昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030096800 『昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030096900 『昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030400200 『昭和17年10月1日〜昭和17年10月31日 佐伯防備隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030325700 『昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030325800 『昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030325900 『昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030326000 『昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(6)』。
    • Ref.C08030326100 『昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(7)』。
    • Ref.C08030326200 『昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(8)』。
    • Ref.C08030326500 『昭和18年1月1日〜昭和18年4月30日呉鎮守府戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030326600 『昭和18年1月1日〜昭和18年4月30日呉鎮守府戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030326700 『昭和18年1月1日〜昭和18年4月30日呉鎮守府戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030326800 『昭和18年1月1日〜昭和18年4月30日呉鎮守府戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030326900 『昭和18年1月1日〜昭和18年4月30日呉鎮守府戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030327000 『昭和18年1月1日〜昭和18年4月30日呉鎮守府戦時日誌(6)』。
    • Ref.C08030019200 『昭和16年12月1日〜昭和19年6月30日第5艦隊戦時日誌AL作戦(3)』。
    • Ref.C08030019300 『昭和16年12月1日〜昭和19年6月30日第5艦隊戦時日誌AL作戦(4)』。
    • Ref.C08030019400 『昭和16年12月1日〜昭和19年6月30日第5艦隊戦時日誌AL作戦(5)』。
    • Ref.C08030019500 『昭和16年12月1日〜昭和19年6月30日第5艦隊戦時日誌AL作戦(6)』。
    • Ref.C08030083900 『昭和18年3月1日〜昭和18年5月31日第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030084000 『昭和18年3月1日〜昭和18年5月31日第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030084400 『昭和18年6月1日〜昭和18年7月31日第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030084500 『昭和18年6月1日〜昭和18年7月31日第1水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030084600 『昭和18年6月1日〜昭和18年7月31日第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030085600 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030085700 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日第1水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030085800 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030085900 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030086000 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日第1水雷戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030086100 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日第1水雷戦隊戦時日誌(6)』。

脚注[編集]

  1. ^ #艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』(4番艦の深雪は除籍済)
  2. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.7『(2)第九駆逐隊(不知火欠)第二十一駆逐隊ハ北方部隊指揮官直接指揮下ニ月頭來千島方面作戰輸送ニ従事シアリタル處十六日二三三五白雲釧路南東海面ニテ被雷沈没セリ』
  3. ^ #達大正15年9月p.15『達第九十三號 艦艇製造費ヲ以テ大正十五年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦四隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年九月二十九日 海軍大臣財部彪|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 第三十七號驅逐艦|石川島造船所ニ於テ建造 第四十一號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第四十二驅逐艦|浦賀船渠ニ於テ建造 第四十三號驅逐艦』
  4. ^ #達大正15年9月p.16『達第九十四號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ項「第三十五號」ノ下ニ「第三十七號」ヲ、「第四十號」ノ下ニ「第四十一號」「第四十二號」「第四十三號」ヲ加フ|大正十五年九月二十九日 海軍大臣財部彪』
  5. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『白雲|(艦要目略)|藤永田造船所|大正15-10-27|昭和2-12-27|3-7-28|(装備略)』
  6. ^ #達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 白雲(シラクモ)トス』
  7. ^ ポケット海軍年鑑(1937)p.47 叢雲『(略)雲級には薄雲 白雲 東雲がある。』
  8. ^ #満洲国皇帝御行動に関する件p.9『二.御召艦及供奉艦 御召艦 軍艦比叡 供奉艦 第十二駆逐隊(叢雲、薄雲、白雲)』
  9. ^ #夕霧初雪遭難事件報告(1)p.44『十二驅|白雲|一.第一聯管楯魚雷格納庫蓋破損、發煙蓋筒流出/二.舵頭室水雷科倉庫進水』
  10. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.15-19『内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』
  11. ^ a b #内令昭和17年3月(1)p.35『内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ』
  12. ^ #叢書26海軍進攻作戦590頁『ベンガル湾機動作戦』
  13. ^ #叢書26海軍進攻作戦636頁
  14. ^ a b #叢書26海軍進攻作戦663-669頁
  15. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.9『八月二十四日鳴戸外南洋部隊ノ指揮下ニ入ル/第三水雷戰隊(第十九駆逐隊缺)外南洋部隊ニ編入』
  16. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦21-22頁
  17. ^ #外南洋増援部隊(1)pp.19-20『又(司令官)3sdノ護衛セル川口支隊ハ洋上ニ於テ輸送船ヨリ20dgニ移乗2sd司令官ノ指揮下ニ入リ同夜二一〇〇「タイボ」岬附近ニ揚陸ノ豫定ヲ以テ「ガダルカナル」ニ向ヒツツアリシモ20dgハ敵「コンソリデット」ノ觸接ヲ受ケ一方「ガダルカナル」ニ對スル航空攻撃行ハレザリシ爲二十七日ノ揚陸ハ二十八日夜ニ延期セラレタルヲ以テ24dg(凉風缺)磯風ハ「ショートランド」ニ引返シ20dgハ燃料ノ関係上「ショートランド」歸着ヲ断念シ二十八日Y婁ノ揚陸ニ応ゼン爲「イサベル」島附近ヲ適宜行動セリ』
  18. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦24-25頁『第一次輸送の挫折』
  19. ^ #外南洋増援部隊(1)p.20『(ニ七)八月二十八日〇六〇〇24dg(凉風缺)磯風(陸兵計四五〇名分乗)ハ24dg司令指揮ノ下ニ「ショートランド」ヲ出撃「フロリダ」島北方海面ニ於テ20dgヲ合同同夜「ガダルカナル」島「タイボ」岬附近ニ揚陸ヲ決行セントセシモ…』
  20. ^ a b c d #戦史叢書83ガ島戦26頁
  21. ^ #外南洋増援部隊(5)pp.27-28『天霧駆逐艦長(宛略)被害ノ状況』
  22. ^ #外南洋増援部隊(1)pp.20-21『一四三〇20dgハ「イサベル」島北方海面ニ於テ敵飛行機十籔機ノ攻撃ヲ受ケ之ト交戰敵數機ヲ撃墜我亦敵機ノ爆撃ニ依リ20dg司令戰死朝霧沈没白雲航行不能夕霧亦相當ノ損傷ヲ受ケタリシヲ以テ一九二五24dg(凉風缺)磯風ハ本日ノ揚陸ヲ断念シ引返セリ』
  23. ^ #外南洋増援部隊(5)p.11『天霧駆逐艦長(宛略)20dg戦斗概報 一.一四〇〇ヨリ一六〇〇ノ間敵二〇機ノ雲間ヨリスル執拗ナル空爆ヲ受ク全砲撃ヲ集中撃攘セリ/二.戰果 撃墜五機他ニ不確實ナルモノ二機/三.天霧機密第四〇番電ノ通』
  24. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.60『二十八日(天候略)一木川口支隊ノ第一回増援隊発進シタルモ敵機ノ空襲ニ依リ中止朝霧沈没夕霧白雲大破ス』
  25. ^ #外南洋増援部隊(1)p.8『20dg|(始)八月二十七日|(終)八月三十一日(朝霧白雲八月二十八日)|二十八日敵機ノ爆撃ニ依リ朝霧沈没白雲航行不能夕霧相當ノ損傷ヲ受ク』
  26. ^ #外南洋増援部隊(5)p.17『20dg司令|二十九日一四二八3sd参謀、八通司令(2sd参謀)|發鷹松少佐、宛川口支隊長 一.朝霧沈没ニ伴フ戰死六十二名(本中隊将校全部及大隊砲小隊手柴中尉ヲ含ム)他ハ全部収容セリ/二.大隊砲二門及弾薬全部沈没/三.重傷三軽傷二』
  27. ^ #外南洋増援部隊(1)pp.20-21『一四三〇20dgハ「イサベル」島北方海面ニ於テ敵飛行機十籔機ノ攻撃ヲ受ケ之ト交戰敵數機ヲ撃墜我亦敵機ノ爆撃ニ依リ20dg司令戰死朝霧沈没白雲航行不能夕霧亦相當ノ損傷ヲ受ケタリシヲ以テ一九二五24dg(凉風缺)磯風ハ本日ノ揚陸ヲ断念シ引返セリ』
  28. ^ #外南洋増援部隊(1)p.21『天霧ハ白雲ヲ曳航夕霧護衛ノ下ニ「ショートランド」ニ向フ』
  29. ^ #戦史叢書83ガ島戦30-31頁
  30. ^ #戦史叢書83ガ島戦27頁
  31. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル(略)』
  32. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.2-3『内令第千八百二十五號/横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 山雲|呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 白雲 右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  33. ^ #S1709呉鎮日誌(3)p.4『一日 夕霧及白雲(二十驅解隊)呉鎮部隊ニ編入』
  34. ^ #S1709呉鎮日誌(4)p.17『一日(天候略)一.戦時編制一部改定(イ)夕霧及白雲ヲ呉鎮部隊ニ編入 (ロ)朝霧及金龍丸ヲ戦時編制ヨリ除カル/二.夕霧及白雲ヲ警備驅逐艦ト定メラル(以下略)』
  35. ^ #S1709呉鎮日誌(3)p.19『二日0910呉鎮長官(宛略)夕霧及白雲ハ呉歸着後整備作業ニ従事スベシ』
  36. ^ #S1709呉鎮日誌(8)p.1『四.参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動|白雲|大阪藤永田造船所修理中』
  37. ^ #叢書83ガ島戦200-202頁
  38. ^ #S1710四水戦日誌(3)pp.17-18『15日1800(将旗)3sd(宛略)3sd機密第151800番電 SNB ZOB戦斗概報第三號/一.十一日夜6Sノ夜戦ニ際シ直衛d吹雪沈没初雪被弾前部水線上破口荒天航行竝ニ二十四節以上ノ航行危険/二.日進千歳11dg(2D欠)9dg(峯雲欠)ハ増援兵力ヲ「ガ」島ニ揚陸シタル後11dgハ古鷹救援ニ赴キ「ソロモン」諸島南方海面ヲ経テ避退中(2/3未着)一四二〇夏雲沈没叢雲大火災爆發収拾ノ途ナク朝雲白雪乗員ヲ収容シテ一旦避退夜陰ニ乗ジ更ニ叢雲ヲ曳航セントセシモ大火災艦尾切断シテ見込ナク遂ニ之ヲ処分セリ』
  39. ^ #S1801呉鎮日誌(6)p.60『五(天候略)驅逐艦白雲ハ艦長所定ニ依リ三月八日ヨリ三月十一日マデ伊予灘ニ於テ單獨訓練ヲ實施セシム』
  40. ^ #内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム(略)』
  41. ^ #叢書29北東方面523-524頁
  42. ^ #第五艦隊AL作戦(3)p.27『麾下艦船部隊ノ行動|第九駆逐隊|白雲』
  43. ^ #S1803一水戦日誌(3)p.34『一五(天候略)摩耶白雲、陸奥湾ニ向ケ横須賀発』
  44. ^ #S1803一水戦日誌(3)p.25『51cg熱田分遣隊機密第270432番電 敵艦六隻砲撃中』-p.27『5F機密第270501番電 摩耶若葉白雲ヲ率ヰ陸奥海湾出撃』
  45. ^ #S1803一水戦日誌(4)pp.9-11『(二)配備』
  46. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.37『六日(天候略)2030薄雲白雲出撃』
  47. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.18『六日 白雲(宛略)白雲機密第062308番電 我沼風ト衝突地点ロハッカ岬ノ122度12浬』
  48. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.18『一.沼風士官室右舷大破全部浸水第一缶室以後無事自力航行不能/二.白雲艦首右舷ニ湾曲錨鎖庫塗具庫ニ浸水航行差支ナシ』
  49. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.20『白雲機密第070230番電沼風自力航行可能(微速)本艦艦首切断ノ為舵利カズ漂白作業中』
  50. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.21『9dg機密第070400番電 沼風士官室右舷及艦橋下部大破六節ニテ自力航行可能白雲ハ0415頃應急修理完成六節程度ニテ自力航行可能ノ見込 若葉ハ合同後沼風ヲ朝雲ハ白雲ヲ護衛幌筵海峡通過幌筵ニ帰投ス』
  51. ^ a b #叢書29北東方面598-599頁
  52. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.38『七日(天候略)0115朝雲出撃/0210若葉出撃/0900阿武隈大湊ニ向ケ幌筵出撃|0030朝雲ニ出撃ヲ命ズ/0129若葉ニ出撃発令(通信0150)/0120朝雲出撃/0200若葉出撃/0800若葉幌筵皈着/0900頃朝雲白雲沼風ヲ護衛シ幌筵ニ皈投/0930薄雲幌筵皈着|一.白雲ハ上甲板線ヨリ下方艦首ヨリ九米迄切断屈曲塗具庫錨鎖庫ニ浸水セリ人員異常ナシ/二.白雲摩耶ニテ応急処理』
  53. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.40『一二(天候略)0600二十一駆(欠初春)五戦隊ヲ護衛大湊ニ向ケ幌筵発/0630白雲修理ノ為大湊ニ向ケ幌筵発(第二天洋丸護衛)』
  54. ^ #S1806一水戦日誌(1)p.2『白雲ハ十二日幌莚海峡発大湊爾後函館ニテ修理』
  55. ^ #内令昭和18年9月(1)p.26『内令第千八百十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年九月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「白雲」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ』
  56. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|(略)』
  57. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.9『麾下艦船部隊ノ行動|1sd|9dg|白雲|横須賀2月2日1321/横須賀雲鷹護衛/2月7日0005大湊』
  58. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.11『五(天候略)0743白雲 雲鷹護衛ヲ止メ大湊ニ向ケ発』
  59. ^ #内令昭和19年3月(1)p.17『内令第三百八十八号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年三月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「霞」ノ下ニ「、不知火」ヲ加フ|第十九驅逐隊ノ項中「敷波」ノ下ニ「、天霧」ヲ加フ』
  60. ^ #S1809一水戦日誌(6)p.48『一五(天候略)1000不知火【タモ11】船團ヲ護衛門司ニ向ケ高雄發』
  61. ^ a b c d 戦史叢書44巻142-143頁
  62. ^ #S1809一水戦日誌(6)p.48『一六(天候略)1600九駆山菊丸慶安丸梅川丸日連丸ヲ護衛釧路發2335薄雲ハ船團ヲ護衛反轉釧路ニ向フ|2335白雲被害ニ即應霞附近敵潜制圧ニ任ズ』
  63. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.22『機密第151259番電 (ヘ乙)船團(山菊丸慶安丸梅川丸)(ホ)船團(日連丸)護衛艦九駆(霞白雲薄雲)三月十六日一六〇〇釧路發速力7.5節(以下略)』
  64. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.29『十六(天候略)2335 N42°18′E145°11′白雲雷撃ヲ受ケ轟沈』
  65. ^ #S1809一水戦日誌(5)p.23『機密第170015番電 2335北緯42度18分東経145度11分ニ於テ白雲雷撃ヲ受ケ轟沈船團ハ薄雲護衛シ釧路ニ避退セシム霞ハ附近制圧中』
  66. ^ #S1809一水戦日誌(5)pp.26-27『機密第171133番電 日連丸生存者少尉三名准尉一命見習士官一名下士官兵四二名(内死亡者二名)船員一名ガ0730頃北緯42度38分東経144度38分ニ於テ救助白雲乗員ハ總員壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタルモノト認ム/一一三〇波風ヲ合同霞薄雲波風ハ現場附近ヲ掃蕩中』
  67. ^ #S1809一水戦日誌(6)pp.18-19『(2)敵潜情報ノ入手及警報發令ニ関シテハ凡有手段ヲ講ズルヲ要ス特ニ陸軍航空部隊ノ發見情報ノ迅速入手ニ関シ準備アルヲ要ス (i)三月十三日乃至三月十五日北海道南方海面ニ於テ陸軍航空部隊ノ發見セル敵潜水艦情報ハ十六日0100頃陸軍計根別航空隊将校ノ釧路出張ニ依リ九駆司令発電ヲ経テ同海域ニ敵潜數隻存在シアルコト初メテ明トナレリ右情況ニ於テ釧路ヲ出撃セル「ヘ乙」船團ハ十六日夜日連丸白雲ノ被害ヲ惹起セリ』。
  68. ^ #内令昭和19年3月(5)p.41『内令第五百十三号|横須賀鎮守府在籍 軍艦 那珂 軍艦 香取|呉鎮守府在籍 軍艦 阿賀野 右帝国海軍籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 舞風|呉鎮守府在籍 驅逐艦 白雲|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 峯風 驅逐艦 追風 驅逐艦 文月 驅逐艦 海風|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 太刀風|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(略)|昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  69. ^ #内令昭和19年3月(5)p.39『内令第五百十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|(略)第九驅逐隊ノ項ヲ削ル|(略)第十八驅逐隊/薄雲、霞、不知火|(略)』
  70. ^ 『官報』第1455号、昭和6年11月4日。
  71. ^ 海軍辞令公報 号外 第4号 昭和12年7月15日付』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100 
  72. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第78号 昭和12年10月20日付』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072400 
  73. ^ 海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  74. ^ 海軍辞令公報(部内限)第405号 昭和14年11月20日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076900 
  75. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 

関連項目[編集]