萩 (樅型駆逐艦)

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Japanese patrol boats 32 and 33.jpg
ウェーキ島に接岸する第三十二号哨戒艇(葵、左)と第三十三号哨戒艇(萩、右)
艦歴
計画 1917年度[1]
起工 1920年2月28日[1]
進水 1920年10月29日[1]
就役 1921年4月20日[1]
その後 1940年4月1日哨戒艇編入、第三十三号哨戒艇と改名[1]
1941年高速輸送艦に改造[1]
1941年12月22日接岸強行擱座、放棄[1]
除籍 1942年1月10日[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:公表値 770トン
常備:850.00トン
全長 全長:290 ft 0 in (88.39 m)
水線長:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水 8 ft 0 in (2.44 m)
深さ 16 ft 3 in (4.95 m)
推進 2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
機関 主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[2]
出力:21,500shp
ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
速力 36ノット
燃料 重油250トン
航続距離 3,000カイリ / 14ノット
乗員 計画乗員 107名[3]
竣工時定員 110名[4]
兵装 45口径三年式12cm砲 単装3門
三年式機砲 2挺
53cm連装発射管 2基4門
魚雷8本
搭載艇 内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻
備考 ※トンは英トン

(はぎ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の11番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「」があるため、こちらは「萩 (初代)」や「萩I」などと表記される。1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十三号哨戒艇に改称。1941年(昭和16年)12月22日、ウェーキ島上陸作戦で、接岸を強行して擱座し放棄された[1]

艦歴[編集]

1920年大正9年)2月28日、浦賀船渠で起工[5]。同年10月29日午後4時30分進水[6]1921年(大正10年)4月20日竣工[7]

1937年昭和12年)、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]

1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十三号哨戒艇に改称。

1941年11月20日に南洋部隊に編入され[8]、太平洋戦争緒戦のウェーク島攻略作戦に参加した。

11月20日、呉発[9]。サイパンを経て12月2日にルオットに到着[9]。同日、ルオット発[9]。ウオッゼで陸戦隊を収容しルオットに戻った[9]

12月8日、ウェーク島攻略部隊(「第三十三号哨戒艇」の他、軽巡洋艦「夕張」、特設巡洋艦「金剛丸」、「金龍丸」など)とウェーク島攻略援護隊(軽巡洋艦2隻)はルオットから出撃した[10]。 12月10日にウェーク島に到着[11]。しかし波浪が高く艦の動揺のため特設巡洋艦「金剛丸」、「金龍丸」は大発を降ろせず、駆逐艦2隻も失い攻略部隊などはルオットに引き帰した[12]。「第三十二号哨戒艇」と「第三十三号哨戒艇」は大発を降ろすことに成功し陸戦隊も移乗したが、避退命令が出たたため陸戦隊は取り残されることになった[13]。この陸戦隊は駆逐艦「睦月」に収容された[14]

ウェーク島攻略は兵力が増強され再び行なわれた。その際、攻略部隊では最悪哨戒艇を擱坐させてでも揚陸を行なうことに決め、了承を得た[15]。攻略部隊などは12月21日にルオットから出撃[16]。12月22日にウェーク島に到着した[17]。「第三十二号哨戒艇」は大発を降ろすことに成功したが「第三十三号哨戒艇」は大発を降ろせず、擱坐上陸が決定された[18]。その後「第三十三号哨戒艇」も大発を降ろすことに成功し、それから「第三十二号哨戒艇」は12月23日0時30分に、「第三十三号哨戒艇」もその20分後くらいに擱坐して陸戦隊を上陸させた[19]

1942年(昭和17年)1月10日に除籍。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 中島直熊 少佐:1920年9月1日[20] -
駆逐艦長
  • 中島直熊 少佐:1921年4月20日[21] - 12月1日[22]
  • 長井実養 少佐:1921年12月1日[22] - 1922年12月1日[23]
  • 鈴木田幸造 少佐:1922年12月1日[23] - 1924年12月1日[24]
  • 河瀬四郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年5月20日
  • 横山茂 少佐:1925年5月20日[25] - 1925年12月2日[26]
  • 栗田健男 少佐:1925年12月2日 - 1926年12月1日
  • 伊藤弁之助 少佐:1926年12月1日[27] - 1927年5月25日[28]
  • (兼)武田喜代吾 少佐:1927年5月25日[28] - 8月10日[29]
  • 清水他喜雄 少佐:1927年8月10日[29] - 1929年9月5日[30]
  • 木村昌福 少佐:1929年9月5日 - 1930年11月15日
  • (兼)島崎利雄 少佐:1930年11月15日 - 1930年12月1日
  • 広瀬貞年 大尉:1930年12月1日[31] - 1932年12月1日[32]
  • 岩瀬奥市 大尉:1932年12月1日[32] - 1933年10月1日[33]
  • 折田常雄 大尉:1933年10月1日 - 1935年4月25日
  • 飛田健二郎 大尉:1935年4月25日[34] - 1936年12月1日[35]
  • 岩上次一 少佐:1936年12月1日 - 1938年2月21日
  • 中俣勇 少佐:1938年2月21日[36] - 1938年12月1日[37]
  • 浅海六郎 大尉:1938年12月1日[37] - 1939年11月15日[38]
  • 川橋秋文 少佐:1939年11月15日[38] -

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本海軍史』第7巻、301頁。
  2. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
  3. ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
  4. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
  5. ^ #T10公文備考24艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)画像19-22、大正9年10月20日浦賀船渠提出の工事予定概括表
  6. ^ #T10公文備考24艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)画像41『大正九年十月二十九日(中略)浦賀船渠株式會社ニテ建造中ノ驅逐艦萩本日午後四時三十分無事進水セリ』
  7. ^ #T10公文備考24艦船1/駆逐艦蕨製造一件画像29『大正十年四月二十日(中略)萩艤装員長 海軍大臣 本日午後二時受領軍艦旗ヲ掲揚ス』
  8. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、124ページ
  9. ^ a b c d 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、143ページ
  10. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、139、144、156-157ページ、波高し「ウェーキ島」の攻略、320ページ
  11. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、160-161ページ
  12. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、161-167、170ページ
  13. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、165-166ページ
  14. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、166ページ
  15. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、171、176ページ
  16. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、200-201ページ
  17. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、202ページ
  18. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、204-205ページ
  19. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、205、208ページ
  20. ^ 『官報』第2426号、大正9年9月2日。
  21. ^ 『官報』第2615号、大正10年4月22日。
  22. ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  23. ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  24. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  25. ^ 『官報』第3821号、大正14年5月21日。
  26. ^ 『官報』第3984号、大正14年12月4日。
  27. ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  28. ^ a b 『官報』第120号、昭和2年5月26日。
  29. ^ a b 『官報』第186号、昭和2年8月11日。
  30. ^ 『官報』第808号、昭和4年9月6日。
  31. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  32. ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  33. ^ 『官報』第2028号、昭和8年10月3日。
  34. ^ 『官報』第2492号、昭和10年4月26日。
  35. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  36. ^ 海軍辞令公報 号外 第140号 昭和13年2月21日付』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 
  37. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第267号 昭和13年12月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  38. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800 

参考文献[編集]

  • 『海軍制度沿革 巻十の1』明治百年史叢書 第182巻、海軍省/編、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『日本駆逐艦史』世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで』朝雲新聞社
  • 山本唯志「波高し「ウェーキ島」の攻略」『丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ8 戦勝の日々 緒戦の陸海戦記』潮書房、1988年、315-333ページ
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年 公文備考 巻24 艦船1/駆逐艦蕨製造一件』。Ref.C08050173000。
    • 『大正10年 公文備考 巻24 艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)』。Ref.C08050173200。

関連項目[編集]