神風 (2代神風型駆逐艦)

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神風
Kamikaze II.jpg
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
種別 駆逐艦
艦級 神風型駆逐艦(2代目)
経歴
発注 1918年度計画
起工 1921年12月15日
進水 1922年9月25日
就役 1922年12月28日
除籍 1945年10月5日
最後 1945年12月1日特別輸送艦指定
1946年6月7日擱座
1946年6月27日特別輸送艦指定解除
要目
基準排水量 :1,270t
全長 102.6メートル
全幅 9.2メートル
吃水 2.9メートル
ボイラー ロ号艦本式缶4基
主機 パーソンズ式オールギアードタービン2基2軸 38,500 SHP
最大速力 37.3ノット
航続距離 14ノット/3,600カイリ
乗員 154名
兵装 新造時
45口径三年式12cm砲×4基4門
6.5mm単装機銃×2基
53センチ魚雷連装発射管×3基6門
爆雷投下軌条×2基
最終時
45口径三年式12cm砲×3基3門
25mm連装機銃×4基8門
25mm単装機銃×2基
40mm連装機銃[1]
53センチ魚雷連装発射管×2基4門
22号対水上電探[2]
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神風(かみかぜ)は[注釈 1]日本海軍駆逐艦[3][4]神風型(2代目)1番艦である[5][6]。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型(初代)「神風」に続いて2隻目[7]。 最初の艦名は第一駆逐艦[8][9][10]。 続いて「第一号駆逐艦[11][10]、最終的に『神風』と改名された[3][10]

太平洋戦争中、ペナン沖海戦や米潜水艦ホークビルとの戦闘を経験しながら終戦時シンガポールで唯一行動可能・無傷だった。

艦歴[編集]

大正時代[編集]

本艦は、八八艦隊計画で9隻建造された神風型駆逐艦(2代)のネームシップ[5]峯風型駆逐艦後期型である改峯風型を改良した艦隊型駆逐艦であった[12]。 この後、峯風型・神風型(風級)は睦月型駆逐艦(月級)に発展した[13]1921年(大正10年)10月12日、神風型駆逐艦7隻(第一駆逐艦《神風》、第三駆逐艦《朝風》第五駆逐艦《春風》第七駆逐艦《松風》第九駆逐艦《旗風》第十一駆逐艦《追風》第十三駆逐艦《疾風》)、若竹型駆逐艦10隻(第二駆逐艦《若竹》第四駆逐艦《呉竹》第六駆逐艦《早苗》第八駆逐艦《早蕨》第十駆逐艦《朝顔》第十二駆逐艦《夕顔》、第十四駆逐艦《建造中止》、第十六駆逐艦《芙蓉》第十八駆逐艦《刈萱》、第二十駆逐艦《建造中止》)および掃海艇4隻に、それぞれ艦名が与えられる[8]。 同年12月15日、第一駆逐艦は三菱長崎造船所で起工[14][15]

1922年(大正11年)2月16日、三菱長崎造船所で第三駆逐艦(朝風)が起工する[16]8月24日、第一駆逐艦は、姉妹艦や軽巡洋艦「夕張」および給油艦2隻(鳴戸早鞆)と共に艦艇類別等級表に登録された[17][18][19]。 同年9月20日、日本海軍は峯風型駆逐艦1番艦峯風艦長(心得)蒲田静三少佐を、本艦艤装員長(心得)とする[20]。第一駆逐艦(神風)は同9月25日午前10時40分に進水[14][21][22]。三菱長崎造船所内に第一駆逐艦艤装員事務所を設置、9月28日より事務を開始した[23]

12月1日、蒲田中佐は制式に第一駆逐艦艤装員長となる[24]12月28日竣工[14][6]。同日附で艤装員事務所を撤去[25]。蒲田静三(中佐)は第一駆逐艦(神風)駆逐艦長(初代)となった[26]。初代水雷長池内正方大尉[注釈 2]、初代砲術長大杉守一大尉[注釈 3]、航海長佐藤壽大尉[26]。横須賀鎮守府籍[27]

1923年(大正12年)1月6日、本艦は改良された峯風型駆逐艦3隻(野風波風沼風[28]第1駆逐隊に編入(先代の第1駆逐隊は、天津風型駆逐艦4隻)[29][30][31]。 新鋭駆逐艦として、第3駆逐隊(汐風夕風太刀風帆風)と共に第二水雷戦隊(旗艦北上)に所属[32]。 当時、横須賀には長門型戦艦1番艦「長門」や敷島型戦艦4番艦「三笠」など日本海軍の主力艦艇多数が停泊していたが、神風型駆逐艦 (初代)「神風」も同地にあった[33]

5月1日、第1駆逐隊司令竹内正大佐は天龍型軽巡洋艦2番艦「龍田」艦長へ転任[34][注釈 4]、市村久雄大佐(第21駆逐隊司令)が第1駆逐隊司令となる[34]9月1日、浦賀船渠で若竹型駆逐艦4番艦「早蕨」(第八駆逐艦)が進水[35]、正午に関東大震災が発生する。本艦は主力艦隊や第二水雷戦隊等と共に航海中で横須賀不在だったが[36]、救援活動のため各艦と共へ横須賀に戻った[37]。 12月1日、市村第1駆逐隊司令は軽巡「龍田」艦長へ転任[38][注釈 5]後藤章大佐(第25駆逐隊司令)が後任の第1駆逐隊司令に任命された[38]。第1駆逐隊は引き続き第二水雷戦隊に所属した[39]

1924年(大正13年)2月5日附で蒲田は第11駆逐隊司令に補職、峯風型6番艦「矢風」艦長石川哲四郎中佐が第一駆逐艦長となる[40]。3月10日、第一駆逐艦長は石川中佐から広岡正治中佐に交代する[41]4月24日、「第一駆逐艦」は「第一号駆逐艦」に改称[10][42]

12月1日附で第一号駆逐艦長は、広岡中佐から峯風型8番艦「汐風」艦長白石邦夫少佐に交代する[43]。同日附で第1駆逐隊司令は後藤大佐から岩村兼言大佐(第2駆逐隊司令)に交代[注釈 6][43]。二水戦旗艦も「北上」から長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」に交代した[44][45]。 同日附で、旧式化した初代神風型駆逐艦等は駆逐艦から掃海艇に類別変更、初代「神風」も掃海艇になった[46][47]

1925年(大正14年)12月1日、白石(第一号駆逐艦長)は第十九号駆逐艦(睦月)艤装員長に補職[48]。第十八号駆逐艦(若竹型駆逐艦8番艦刈萱)の艦長原顕三郎少佐が、第一号駆逐艦長に任命された[48]。第1駆逐隊司令も岩村兼言大佐から池田武義大佐(第2駆逐隊司令)に交代した[注釈 7][48]

1926年(大正15年)12月1日、原顕三郎少佐は第七号駆逐艦《松風》」艦長へ転任[注釈 8][49]樅型駆逐艦「楡」艦長佐藤慶蔵少佐が、本艦および峯風型14番艦「波風」艦長を兼務する[49]。池田大佐(第1駆逐隊司令)は第22駆逐隊司令に補職、後任の第1駆逐隊司令は田尻敏郎大佐(第28駆逐隊司令)[注釈 9]。 同日附で行われた艦艇類別等級表の改訂により、第一号型駆逐艦がもうけられ、旧神風型(白露、三日月)は白露型駆逐艦に類別された[50]

昭和初期[編集]

1927年(昭和2年)5月1日、石川哲四郎大佐(第3駆逐隊司令)が第24駆逐隊(桃、柳、樫、檜)司令へ転任、田尻大佐は第1駆逐隊司令と第3駆逐隊(汐風島風灘風夕風)司令の兼務を命じられた[51]5月28日附で佐藤少佐(第一号駆逐艦長、波風艦長)は兼務を解かれ、峯風型3番艦「沖風」駆逐艦長となる[注釈 10][52]。波風艦長には山下深志少佐が、第一号駆逐艦には峯風型15番艦「沼風」艦長帖佐敬吉少佐が、それぞれ着任した[52]8月10日附で帖佐少佐(第一号駆逐艦長、沼風艦長)は兼務を解かれ、第一号駆逐艦長には村瀬頼治少佐が任命される[53]9月15日附で田尻大佐(第1駆逐隊司令、第3駆逐隊司令)は第3駆逐隊司令の職務を免除された[54]。また村瀬(第一号駆逐艦長)は横須賀鎮守府附となり、帖佐敬吉少佐(沼風艦長)が再び沼風艦長と第一号駆逐艦長を兼務することになった[54]12月1日附で小林徹理少佐(峯風艦長)が第一号駆逐艦長に補職[55]。兼務を解かれた帖佐少佐は峯風艦長となる[55]。また沼風艦長には五藤存知少佐(前職浦風艦長)が任命された[55]。 同日附で田尻大佐(第1駆逐隊司令)は春日型装甲巡洋艦2番艦「日進」艦長へ転任、第4駆逐隊(羽風秋風太刀風帆風)司令江口喜八大佐は第1駆逐隊と第4駆逐隊の司令兼務を命じられた[55][注釈 11]

1928年(昭和3年)1月15日、江口大佐(第1駆逐隊司令、第4駆逐隊司令)は兼務を解かれ、第24駆逐隊司令石川哲四郎大佐が第1駆逐隊司令となる[56]4月1日、掃海艇「神風」は除籍[47]、また2隻(白露、三日月)除籍により白露型駆逐艦(初代神風型)も削除された[57]。旧「神風」は廃船8号と呼称されている[58]

8月1日、第一号駆逐艦は神風と改名[3][10]。これに伴い、第一号型駆逐艦は神風型駆逐艦と改名された[59]。 12月10日、峯風型4番艦「島風」艦長の長尾惣助中佐は神風駆逐艦長に補職[60]。石川大佐(第1駆逐隊司令)も「日進」艦長へ転任し、後任の第1駆逐隊司令は高橋忠治中佐(第7駆逐隊司令)となる[60]

1929年(昭和4年)3月5日附で高橋忠治中佐(第1駆逐隊司令)は第29駆逐隊(追風疾風朝凪夕凪)司令へ転任、第29駆逐隊司令染河啓三大佐を第1駆逐隊司令とする人事が行われる[61]。 11月30日、第一航空戦隊は空母2隻(赤城鳳翔)と第4駆逐隊(羽風、秋風、太刀風、帆風)から[62]、空母「加賀」と第1駆逐隊(野風、沼風、波風、神風)に変更[63]。第一航空戦隊司令官は高橋三吉少将から枝原百合一少将となる[64]。 同日附で神風駆逐艦長は長尾中佐から若竹型7番艦「芙蓉」艦長久宗米次郎少佐に交代する[64]。さらに第1駆逐隊司令染河啓三大佐は大湊防備隊司令へ転任(翌年、重巡「衣笠」艦長)、吹雪型駆逐艦1番艦「吹雪」艦長石戸勇三中佐が第1駆逐隊司令に補職された[64]

1930年(昭和5年)11月15日、久宗米次郎(神風艦長)は峯風型10番艦「夕風」艦長へ転任[注釈 12][65]大森仙太郎少佐が駆逐艦2隻(波風、神風)の艦長を兼務することになった[65] 11月30日、大森少佐(神風、波風艦長)は神風艦長の職務を解かれる[注釈 13][66]。日本海軍は樅型駆逐艦「楡」艦長伏見宮博義王少佐を神風駆逐艦長に任命した(後任の楡艦長は荘司喜一郎少佐)[66]。 同日附で第1駆逐隊司令は石戸中佐から小沢治三郎大佐に交代[66]第一航空戦隊も空母「加賀」(司令官枝原百合一少将)と第1駆逐隊から、空母「赤城」(司令官加藤隆義少将)および第2駆逐隊(峯風澤風沖風矢風)で再編[67][66]。第1駆逐隊(野風、沼風、波風、神風)と軽巡「北上」は横須賀鎮守府警備艦船予定となる[68]

1931年(昭和6年)1月31日附で第1駆逐隊司令小沢治三郎大佐は第4駆逐隊司令へ転任[注釈 14]、第6号掃海隊司令原顕三郎中佐(1925年から1926年にかけての神風駆逐艦長)が小沢の後任として第1駆逐隊司令となる[69]10月31日、第1駆逐隊司令原顕三郎中佐は第30駆逐隊(睦月如月弥生卯月)司令へ転任、第二水雷戦隊参謀阿部弘毅中佐が第1駆逐隊司令に任命される[70]

1932年(昭和7年)5月2日、神風駆逐艦長と沖風駆逐艦長を交代する人事が行われる(博義王《神風艦長→沖風艦長》、田村劉吉少佐《沖風艦長→神風艦長》)[71]5月17日、第1駆逐隊司令は阿部弘毅中佐から第16駆逐隊(朝顔芙蓉刈萱)司令小林徹理中佐に交代した[72][注釈 15]日中戦争では華北、華中の沿岸作戦に従事した[73]

1933年(昭和8年)4月1日、田村(神風艦長)は吹雪型駆逐艦7番艦「薄雲」艦長へ転任、第1駆逐隊司令の小林徹理大佐が駆逐隊司令と神風駆逐艦長を兼務する[74]。5月22日、小林(第1駆逐隊司令、神風駆逐艦長)は兼務を解かれ、小野良二郎少佐が神風駆逐艦長に任命された[75]。9月2日、小野(神風駆逐艦長)は呂号第六十潜水艦の艦長を命じられ、後任の本艦艦長は長門型戦艦1番艦「長門」運用長山口捨次少佐となる[76]

1934年(昭和9年)11月1日、小林徹理大佐(第1駆逐隊司令)は第6駆逐隊()司令へ転任、大湊要港部参謀高間完中佐が第1駆逐隊司令に補職[77]

1935年(昭和10年)11月1日、神風駆逐艦長は山口少佐から谷井保少佐に交代[78]。 11月15日、高間中佐(第1駆逐隊司令)は第5駆逐隊(朝風春風松風旗風)司令に補職、後任の第1駆逐隊司令は小柳冨次中佐となる[79][注釈 16]

1936年(昭和11年)4月15日、第1駆逐隊司令は小柳冨次中佐から稲垣義穐中佐に交代[80][注釈 17]。 10月8日、谷井(神風艦長)は第五水雷戦隊司令部附となり[注釈 18]、新たな神風駆逐艦長は渡辺保正少佐(前職、重巡妙高水雷長)に変わった[81]。 11月16日、稲垣中佐(第1駆逐隊司令)は敷設艦「白鷹」艦長へ転任、橋本象造中佐が後任の第1駆逐隊司令に任命された[82]

1937年(昭和12年)12月1日、渡辺(神風艦長)は白露型駆逐艦6番艦「五月雨」艦長に補職[注釈 19][83]。峯風型4番艦「島風」艦長有本輝美智少佐が、神風駆逐艦長として着任[83]。また第1駆逐隊司令も橋本象造大佐から中川浩中佐(第16駆逐隊司令)に交代した[83]

1938年(昭和13年)10月3日、第1駆逐隊司令中川浩中佐は第11掃海隊司令となり、後任の駆逐隊司令は杉本道雄大佐[84][注釈 20]。 11月15日、杉本大佐は佐世保防備隊司令へ転出、第1駆逐隊司令は手束五郎大佐に変わる[85][注釈 21]。 12月15日、有本(神風艦長)は峯風型9番艦「秋風」艦長へ転任[注釈 22]高島鉄郎少佐は駆逐艦4隻(野風沼風波風神風)艦長兼務を命じられた[86]

1939年(昭和14年)1月15日、手束(第1駆逐隊司令)は第41駆逐隊(山雲夏雲朝雲峯雲)司令を兼務することになった[87]。 2月2日、高島少佐の艦長兼務は駆逐艦3隻(野風、沼風、神風)艦長となり、矢野寛二少佐(前職、重巡利根水雷長)が波風艦長に任命された[88]。 4月1日、高島少佐は駆逐艦3隻(野風・沼風・神風)のうち神風艦長を解かれ、矢野寛二少佐(波風艦長)が神風駆逐艦長を兼務する[89]。 4月15日、手束五郎大佐(第1駆逐隊司令、第41駆逐隊司令兼務)は舞鶴防備隊司令へ転任、柴田力大佐が第1駆逐隊司令・第41駆逐隊司令を兼務する[90]。 9月28日、樅型駆逐艦2隻(楡、柿)艦長を兼務していた高須賀修少佐が神風駆逐艦長に任命され、矢野少佐の職務は波風駆逐艦長のみとなる[注釈 23][91]。 10月20日、柴田力大佐は第1駆逐隊司令の職務を解かれて第41駆逐隊司令を継続、第5駆逐隊司令荒木傳中佐が第1駆逐隊司令となる[92]。 11月15日、第1駆逐隊(神風、野風、波風)は大湊要港部所属[27][93][94]

1940年(昭和15年)2月10日、「沼風」が第1駆逐隊に編入[95]。 10月15日、高須賀少佐(神風艦長)は吹雪型駆逐艦「」艦長を命じられ[注釈 24]、樅型8番艦「」艦長橋本金松少佐が神風駆逐艦長となる[96]。 11月15日、第1駆逐隊司令は荒木傳大佐から貝塚武男大佐(砲艦「安宅」艦長)に交代[97][注釈 25]

太平洋戦争[編集]

1941年(昭和16年)10月11日、第1駆逐隊司令は貝塚武男大佐から橋立型砲艦1番艦「橋立」艦長香川清登中佐に交代[98][注釈 26]。 本艦は太平洋戦争開戦後も一等駆逐艦に類別され千島厚岸方面哨区の哨戒、海上護衛にあたった[99][27]

1942年(昭和17年)4月10日、神風駆逐艦長は橋本金松少佐から松本正平大尉に交代[100]。橋本少佐は白露型駆逐艦1番艦「白露」駆逐艦長となった[注釈 27][101]。 6月、アリューシャン方面の戦いの支援に当たり、7月から千島東方海面哨区の哨戒に従事する。10月、ミッドウェー作戦にともなうアッツ島攻略作戦(第二次)に参加、11月から千島東方、津軽海峡方面で船団護衛に従事した。

1943年(昭和18年)1月12日、第1駆逐隊司令は香川清登大佐[注釈 28]から脇田喜一郎中佐に交代[注釈 29][102][103]。 同年前半は宗谷海峡方面、北千島方面の船団護衛に従事した。 5月17日、古要桂次少佐(沼風艦長)が転出した事に伴い、脇田大佐が第1駆逐隊司令と沼風艦長を兼務する[104]。6月1日、山下喜義大尉(重巡「摩耶」水雷長)が沼風艦長に任命され、脇田大佐は兼務を解かれた[105]。 6月6日、「沼風」と吹雪型駆逐艦白雲」の衝突事故が発生[106]。大破した「沼風」は[107]9月中旬まで修理をおこなった[95]。 6月から津軽海峡方面での船団護衛、8月から千島方面での船団護衛に従事した。 8月20日附で脇田大佐(第1駆逐隊司令)は初春型駆逐艦3隻(初春若葉初霜)編制の第21駆逐隊司令に補職[注釈 30][108]。後任の第1駆逐隊司令は渡辺保正中佐(海兵49期、昭和11年~12年時の神風駆逐艦長。昭和18年7月1日まで駆逐艦「初風」艦長)[109][108]

10月10日附で、神風駆逐艦長は松本正平少佐から春日均少佐(海兵59期)に交代する[110]。松本は睦月型駆逐艦12番艦「夕月」艦長に補職[111]。同艦が多号作戦で沈没すると朝潮型駆逐艦9番艦「」艦長に任命され[112]、同艦が坊ノ岬沖海戦で沈没するまで霞駆逐艦長を務めた[113]。 一方、松本の後任として神風駆逐艦長に任命された春日少佐は、吹雪型駆逐艦2番艦白雪水雷長としてエンドウ沖海戦バタビア沖海戦に参加した経歴を持つ[114]。 戦況の悪化により僚艦は南方戦線に転出していくが、潜水艦による被害も増えた。12月18日には「沼風」(第1駆逐隊司令駆逐艦)が沖縄沖で米潜水艦グレイバック(USS Grayback)の雷撃により戦没[115][95]。第1駆逐隊司令渡辺保正大佐が戦死する[116]。第1駆逐隊は3隻編制となった[117]。第1駆逐隊司令は、野風駆逐艦長海老原太郎大尉(春日とは海兵同期)が兼務している[118]

1944年(昭和19年)2月9日、本艦は函館(北海道)で入渠整備をおこなう[27]。3月8日に出渠後、ふたたび千島方面での作戦輸送、船団護衛に従事した[27]。 9月18日、僚艦「波風」が択捉島沖で米潜水艦の雷撃で大破[94]。「神風」と「野風」は救援に従事[119]。「神風」が小樽まで曳航[94]。その後、「波風」は舞鶴海軍工廠で修理され、同時に回天搭載艦に改造されて連合艦隊に転出した(昭和20年2月5日附)[120]。 一方、本艦は12月7日から大湊で入渠整備を実施[27]。 12月26日、駆逐艦複数隻(神風、野風、旗風呉竹朝顔朝顔)は第三十一戦隊(司令官鶴岡信道少将)の指揮下に入る[121][122]

1945年(昭和20年)1月10日、第1駆逐隊(神風、野風)は連合艦隊附属となり南方進出を命じられ大湊を出港[27]。1月21日、門司着[27]。南方に向かう輸送船団の護衛に就く[123]門司から鎮海方面あるいは基隆間の船団護衛に従事した。 1月26日、第1駆逐隊(野風、神風)は輸送船3隻(永洋丸、讃岐丸、東城丸)を護衛し、門司を出港してシンガポールへ向かった[124][123]。28日、米潜水艦スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) が輸送船団を襲撃、海防艦「久米」と特設水上機母艦「讃岐丸」を撃沈、タンカー「永洋丸」を狙うが命中しなかった[125][126]。「神風」は両艦乗組員の救助に従事、生存者を鎮海(朝鮮半島)に送り届けると、基隆市(台湾)に移動した[123]。2月3日、基隆に到着した[127][128]

2月5日、駆逐艦4隻(神風、野風、汐風、朝顔)は第三十一戦隊の指揮下を離れた[129][130]。 2月10日、第1駆逐隊は北号作戦の支援を下令された[131]。2月13日、馬公を出撃[27]2月14日昼前、完部隊(指揮官松田千秋第四航空戦隊司令官《旗艦日向》、第四航空戦隊日向伊勢大淀》、第二水雷戦隊《初霜朝霜》)に合流する[132][133]。悪天候のため駆逐艦は速力を出せず、旧式の2隻(神風、野風)は速力18ノットの戦艦についてゆくのもやっとだった[134]。 2月15日夜、馬祖島で仮泊、ここで第1駆逐隊は完部隊と分離した[135]

第1駆逐隊(野風、神風)はシンガポールへと向かったが[134]2月20日になり僚艦「野風」がカムラン湾で米潜水艦パーゴ (USS Pargo, SS-264)[115][93]の雷撃で沈没した(4月10日除籍)[136]。海老原(野風艦長)は「神風」に救助されたが、輸送船に便乗中して内地帰投中に戦死した(3月29日)[134][137]。 2月15日附で第1駆逐隊に編入されていた駆逐艦2隻(汐風朝顔)も[138]、燃料不足で「神風」(シンガポール拠点)と合流はできず、「神風」は単艦で第十方面艦隊(司令長官福留繁中将)麾下の第五戦隊(羽黒足柄)附属となった[139]。同地には大破して行動不能となった重巡2隻(妙高高雄[140]、仮設艦首を装備した陽炎型駆逐艦9番艦「天津風」(2月10日附、艦長森田友幸大尉)[141][142]が取り残されていた[126]。3月19日、「天津風」はヒ88J船団に加入してシンガポールを去った[143]

ペナン沖海戦[編集]

5月7日(14日とも)[144][145]アンダマン諸島輸送作戦のため第五戦隊司令官橋本信太郎少将指揮下の2隻(重巡《羽黒》、駆逐艦《神風》)は、燃料と物資を満載してシンガポールを出港した[146][147]。輸送任務のため「神風」は魚雷と魚雷発射管を撤去したという[148][149]。 5月15日、B-24重爆1機に触接される[149]。日本軍偵察機から報告を受け2隻(羽黒、神風)は一旦反転[149]、駆逐艦5隻からなるイギリス第26駆逐隊も夜戦を企図してインド洋に反転した[148]。羽黒砲術長は「駆逐艦黒潮が空襲を受けているのを目撃した」と回想しているが[150]、これは陽炎型駆逐艦3番艦ではなく二等輸送艦第149号(雑役船 第二黒潮)である。 5月16日午前1時頃、2隻(羽黒、神風)はイギリス軍駆逐隊5隻に捕捉され、ペナン沖海戦が勃発した[151][152]。春日(神風艦長)は第五戦隊(羽黒)からの指示がなかった事について「士気の低下、緊張の欠如から来た油断」と指摘している[151][153]。「神風」は被弾して戦死27名、重傷者14名を出す[151]。「羽黒」は探照灯照射と共に砲戦を開始するが、すぐに被弾・被雷して可燃物に引火、大火災となった[154][149]。甲板に満載された物資のため、砲塔の旋回も出来ない状態だった[155][156]。また「羽黒」から機銃の誤射を受け、発光信号で「ワレカミカゼ」を送る場面もあったという[152]。 春日(神風艦長)は離脱を命じ2時50分にレーダーで捉えた陸地の方角へ急速離脱。残された「羽黒」は集中砲火を浴びて沈没した[157]。その後、「神風」はペナンに退避し陸揚作業と燃料補給の後、戦場へ引き返して羽黒生存者救助を実施[152]。乗員約320名を救助した(橋本少将戦死《中将進級》、杉浦嘉十羽黒艦長戦死)[146][153]。救助活動には駆潜艇57号も参加している[158]。5月17日、シンガポールに到着した[149]

バンカ海峡での戦闘[編集]

6月4日、輸送任務のため妙高型重巡3番艦「足柄」と駆逐艦「神風」はシンガポールを出港した。翌日バタヴィアジャカルタ)に到着し、陸軍兵(足柄約1200名、神風約400名)や物資を搭載[159]。6月7日、シンガポールに向け出港した[160]。その頃、イギリスの潜水艦トレンチャント (HMS Trenchant) は米潜水艦から日本艦隊バタビア入港の情報を得て、バンカ海峡北口附近で哨戒中だった[161]。また同じイギリスの潜水艦スティジァンもトレンチャント同様、バンカ海峡に配置された[161]6月8日、スティジァンは先行した「神風」を雷撃したが回避され、逆に追尾・攻撃された[161][160]。スティジァンは帆を張ってジャンク船に偽装し、ジャンク船団の群に紛れていたという[160][159]。 同日12時15分頃、バンカ海峡北側入り口でトレンチャントが速力18ノットの「足柄」を雷撃(魚雷8本発射)[161]。複数の魚雷命中により「足柄」は沈没した[140]。本艦から約1万2000mほどの距離だったという[159]。「神風」は三浦速雄大佐(足柄艦長)を含む乗員853名と陸兵400名を救助し、単艦でシンガポールに入港した[160]

足柄沈没によって、第二艦隊所属として南方の前線で戦い続けた第五戦隊は解隊された。このときシンガポールには大破した重巡2隻(高雄妙高)があったが、行動可能な艦船は「神風」のみとなっていた[162][159]。6月中旬から仏印方面輸送に2回従事[27]6月18日、護衛艦2隻(神風、第4号掃海艇)でタンカー1隻を護衛、シンガポールを出撃して仏印西岸ハッチェンに向かった[163]6月20日B-24爆撃機六機が襲来、その後も波状攻撃を受けてタンカーは炎上・航行不能となった[163]。「神風」も回避中に至近弾で少量の浸水被害を受け、タンカーの乗組員収容後、6月22日シンガポールに戻った[163]

「神風」は8月15日終戦の日)をシンガポールにおいて無傷で迎えた[27]。神風型の姉妹艦は一番艦の本艦が唯一、無傷で終戦を迎えている。

神風と米潜水艦ホークビルの闘い[編集]

1945年(昭和20年)7月15日、本艦は駆逐艦長春日均少佐(59期)の指揮下で、特設掃海艇3隻と共に、輸送船3隻を護衛してシンガポールを出撃[164][165]ハッチェンに向け航行中の7月18日昼過ぎ、船団が敵潜水艦の頻繁に出現するマレー半島テンゴール岬沖(北緯04度10分 東経106度30分 / 北緯4.167度 東経106.500度 / 4.167; 106.500[166])に差し掛かり、予定通り輸送船は陸地近くまで接近して航行、「神風」は沖に出て之字運動を開始した[164][167]。 この時、アメリカ海軍潜水艦ホークビル(USS Hawkbill, SS-366) が船団を発見し、特に「神風」を目標に攻撃態勢に入ろうとした[168]。ホークビルは艦首発射管から魚雷6本を発射[169][167]。しかし潜望鏡やソナーで敵潜水艦の存在を探知していた「神風」は回避行動を行い、魚雷は本艦の両側を通過して命中せず、しかもそのうちの1本は異常な動き方をしていた[170]。20分後、「神風」がホークビルを探知して距離を詰めていったので、ホークビルは「神風」が800メートルに近寄ってきたところで艦尾魚雷発射管より魚雷を3本発射[171][168]。この至近距離での攻撃でホークビルは勝利を確信し、潜望鏡をあげて観察を続けた[168]。「神風」は右転舵(回避前に面舵30度攻撃運動中、若干面舵回避)でこの攻撃も回避し、1本は神風の左舷側わずか2-3メートルのところをかすめ去った[170][167]。ホークビルは神風の至近を潜望鏡深度で通過、神風からは手の届くほどの近さであった[170][167]。 神風が爆雷攻撃を開始すると、有効弾がありホークビルは艦首を海上に急角度で突き出した[167][168]。「神風」はこの機を逃さず艦尾の40ミリ連装機銃[1]をホークビルに向けて発射。ホークビルのスキャンランド艦長も観念して5インチ砲による浮上砲戦を決しようとしていた[172][168]。しかし、急速注水に成功し、ホークビルは深度33メートルの海底に沈座した[168]。「神風」は水面上に浮かんできた木片や油膜からホークビルをおおむね撃沈したものと判断し、19時過ぎまで探査と爆雷攻撃を繰り返した[167]。この間、ホークビルでは「神風」が上部を通過するたびに「最後の時が来た」と腹をくくっていた[173][168]。やがて神風側は米潜水艦撃沈確実と判断[165]。船団を追ってこの海域を去っていった[168]。ホークビルは7月19日になってすぐに浮上したが[174]ジャイロコンパス、温度計、減速装置が破壊され、無線装置や音響兵器も使い物にならなくなった。ホークビルは哨戒を一旦中止し、スービック湾で修理を行った。スービック湾へ向かう途中、再び「神風」が護衛する輸送船団と遭遇したが今度は何事もなかった[175]

この壮絶な一騎討ちをおこなった「神風」は、その敢闘ぶりをアメリカ海軍から絶賛された[168]。ホークビルのスキャンランド艦長は1953年(昭和28年)11月、春日(当時神風艦長)に手紙を送ったという[176][168]。以来[177]幾度か文通し、スキャンランド艦長は春日を「最も熟練した駆逐艦艦長」[173]として称えた。これに対し春日は「今思うと、沈めんでよかった。何かこれでほッとした気持です」と述懐した[178][179][180]

戦後[編集]

1945年(昭和20年)10月5日、内地に帰投し除籍[27]。11月28日、本艦は東京で訊問を受ける福留繁(第十方面艦隊長官)を乗せてシンガポールを出発、12月8日浦賀[181]。20日、再び福留を乗せて本土を出発し、シンガポールに戻った[181]。 12月1日に特別輸送艦の指定を受け復員輸送に従事した。

1946年(昭和21年)6月4日(もしくは6月6日)夕刻、静岡県御前崎沖にて、サイゴンから浦賀港に向かっていた占守型海防艦2番艦「国後」(復員便乗者約500名)が座礁する[182][183]漁船の燈火を御前埼灯台(当時消燈中)と勘違いした為だったという[183]6月7日、「神風」は「国後」を救出作業中に自らも擱座[183][27]磯波により、2隻とも海岸側に約15度傾斜した状態となる[184]。国後便乗者は測天型敷設艇3番艦「巨済」に移乗[184]。「国後」と「神風」に対して、応援にかけつけた秋月型駆逐艦11番艦「夏月」(駆逐艦長西野繁中佐、レイテ沖海戦時の時雨艦長)や曳船による引きおろしを試みたが失敗し[184]、2隻(国後、神風)は放棄された。6月27日、除籍[27]。7月21日、春日少佐は免官[185]

1947年(昭和22年)10月31日、解体終了。

公試成績[編集]

状態 排水量(常備) 出力 速力 実施日 実施場所 備考
新造時 1,443トン 40,312馬力 38.67ノット 1922年(大正11年) 全力公試

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』237-239頁による。

艤装員長[編集]

  1. (心得)蒲田静三 少佐:1922年9月20日[20] - 1922年12月1日[24]
  2. 蒲田静三 中佐:1922年12月1日[24] - 1922年12月28日[26]

艦長[編集]

  1. 蒲田静三 中佐:1922年12月28日[26] - 1924年2月5日[40]
  2. 石川哲四郎 中佐:1924年2月5日[40] - 1924年3月10日[41]
  3. 広岡正治 中佐:1924年3月10日[41] - 1924年12月1日[43]
  4. 白石邦夫 少佐:1924年12月1日[43] - 1925年12月1日[48]
  5. 原顕三郎 少佐:1925年12月1日[48] - 1926年12月1日[49]
  6. 佐藤慶蔵 少佐:1926年12月1日[49] - 1927年5月28日[52]
  7. (兼)帖佐敬吉 少佐:1927年5月28日[52] - 1927年8月10日[53]
  8. 村瀬頼治 少佐:1927年8月10日[53] - 1927年9月10日[54]
  9. (兼)帖佐敬吉 少佐:1927年9月10日[54] - 1927年12月1日[55]
  10. 小林徹理 中佐:1927年12月1日[55] -
  11. 帖佐敬吉 少佐:1928年5月28日 -
  12. 小林徹理 中佐:不詳 - 1928年12月10日
  13. 長尾惣助 中佐:1928年12月10日[60] - 1929年11月30日[64]
  14. 久宗米次郎 少佐:1929年11月30日[64] - 1930年11月15日[65]
  15. (兼)大森仙太郎 少佐:1930年11月15日[65] - 12月1日[66]
  16. 伏見宮博義王 少佐:1930年12月1日[66] - 1932年5月2日[71]
  17. 田村劉吉 少佐:1932年5月2日[71] - 1933年4月1日[74]
  18. (兼)小林徹理 大佐:1933年4月1日[74] - 1933年5月20日[75]
  19. 小野良二郎 少佐:1933年5月20日[75] - 1933年9月1日[76]
  20. 山口捨次 少佐:1933年9月1日[76] - 1935年10月31日[78]
  21. 谷井保 少佐:1935年10月31日[76] - 1936年10月8日[81]
  22. 渡辺保正 少佐:1936年10月8日[81] - 1937年12月1日[83]
  23. 有本輝美智 少佐:1937年12月1日[83] - 1938年12月15日[86]
  24. (兼)高橋鉄郎 少佐:1938年12月15日[86] -1939年4月1日[89]
  25. (兼)矢野寛二 少佐:1939年4月1日[89] - 1939年9月26日[91]
  26. 高須賀修 少佐:1939年9月26日[91] - 1940年10月15日[96]
  27. 橋本金松 少佐:1940年10月15日[96] - 1942年4月10日[100]
  28. 松本正平 大尉:1942年4月10日[100] - 1943年10月10日[110]
  29. 春日均 少佐:1943年10月10日[110] -

注釈[編集]

  1. ^ 本来の漢字は『示申』だが、環境依存文字のため『神』とする
  2. ^ 後日、池内は水上機母艦(空母)千歳初代艦長等を歴任
  3. ^ 後日、大杉は重巡摩耶艦長、昭和18年当時の第十戦隊司令官等を歴任
  4. ^ 竹内は龍田艦長を経て、軽巡多摩艦長、鬼怒艦長等を歴任
  5. ^ 市村は龍田艦長を経て、軽巡五十鈴艦長、戦艦扶桑艦長、第一水雷戦隊司令官等を歴任
  6. ^ 後藤は翌年9月から重巡加古艤装員長・初代艦長、戦艦榛名艦長、第一水雷戦隊・第二水雷戦隊司令官等を歴任
  7. ^ 岩村は翌年11月から軽巡龍田艦長、重巡衣笠艦長、戦艦霧島艦長、伊勢艦長、山城艦長等を歴任
  8. ^ 原は、駆逐艦皐月艦長、磯波艦長、軽巡神通艦長、重巡高雄艦長等を歴任。太平洋戦争開戦時の第五水雷戦隊司令官
  9. ^ 池田は第22駆逐隊司令を経て、軽巡由良艦長、戦艦扶桑艦長、伊勢艦長等を歴任
  10. ^ 後日、佐藤は睦月艦長、叢雲艦長、初代艦長、艦長、早鞆艦長等を歴任
  11. ^ 田尻は日進艦長を経て、軽巡鬼怒艦長、重巡古鷹艦長等を歴任
  12. ^ 後日、久米は駆逐艦初雪艦長、浦波艦長、軽巡川内艦長、重巡青葉艦長《サボ島沖海戦時》、戦艦長門艦長、山城艦長等を歴任
  13. ^ 大森は駆逐艦夕霧艦長、戦艦伊勢艦長等を歴任。太平洋戦争開戦時の第一水雷戦隊司令官。海軍特攻部長
  14. ^ 小沢は第4駆逐隊司令、第11駆逐隊司令、重巡摩耶艦長、戦艦榛名艦長、第一航空戦隊司令官、第三戦隊司令官、南遣艦隊長官、第三艦隊長官、第一機動艦隊長官、軍令部次長、連合艦隊長官等を歴任
  15. ^ 阿部は第2駆逐隊司令を経て、第23駆逐隊司令、軽巡神通艦長、戦艦扶桑艦長等を歴任。真珠湾攻撃ミッドウェー海戦時の第八戦隊司令官。第三次ソロモン海戦時の第十一戦隊司令官
  16. ^ 高間は第5駆逐隊司令を経て、第8駆逐隊司令、第41駆逐隊司令、軽巡那珂艦長、重巡那智艦長、戦艦榛名艦長等を歴任。第三次ソロモン海戦時の第四水雷戦隊司令官。その後、第二水雷戦隊司令官、第十一水雷戦隊司令官等を歴任
  17. ^ 小柳は海軍大学校教官等を経て、第8駆逐隊司令、重巡那智艦長、戦艦金剛艦長、第二水雷戦隊司令官、ケ号作戦時の第十戦隊司令官等を歴任。レイテ沖海戦時の第二艦隊参謀長
  18. ^ 後日、谷井は駆逐艦白露艦長等を歴任。マリアナ沖海戦レイテ沖海戦時の第17駆逐隊司令。駆逐艦浦風沈没時に戦死
  19. ^ 渡辺は五月雨艦長を経て、駆逐艦海風艦長、大潮艦長、艤装員長・初代艦長、初風艦長等を歴任。第1駆逐隊司令として沼風沈没時に戦死
  20. ^ 中川は第11掃海隊司令を経て、第24駆逐隊司令、重巡古鷹艦長、軽巡阿賀野艤装員長・初代艦長、戦艦日向艦長、第三水雷戦隊司令官を歴任。サイパン島の戦いで戦死
  21. ^ 杉本は佐世保防備隊司令を経て、第23駆逐隊司令、知床特務艦長、隠戸特務艦長、健洋丸監督官等を歴任
  22. ^ 有本は秋風艦長を経て、駆逐艦夕立艦長、秋雲艤装員長・初代艦長、陽炎艦長《沈没時》等を歴任
  23. ^ 後日、矢野は駆逐艦艦長等を歴任、最終職は空母千歳副長。同艦沈没時に戦死《レイテ沖海戦
  24. ^ 高須賀は朧艦長を経て吹雪型艦長。同艦沈没時に戦死《第三次ソロモン海戦
  25. ^ 荒木は12月より第18駆逐隊司令。軽巡北上艦長、重巡古鷹艦長《サボ島沖海戦同艦沈没》、重巡愛宕艦長《レイテ沖海戦同艦沈没》等を歴任
  26. ^ 貝塚は大湊警備府参謀長を経て、空母鳳翔艦長、空母瑞鶴艦長《レイテ沖海戦同艦沈没時に戦死》
  27. ^ 橋本は白露艦長を経て、夕雲型駆逐艦風雲艦長《同艦沈没まで》、秋月型駆逐艦初月艦長。初月沈没時に戦死《レイテ沖海戦
  28. ^ 香川大佐は2月12日より第31駆逐隊《長波巻波大波清波》司令となり、11月25日のセント・ジョージ岬沖海戦で大波沈没時に戦死
  29. ^ 脇田中佐は、駆逐艦村雨艤装員長・初代艦長、朝潮艦長、吹雪艦長、朝雲艦長、雪風艦長等を歴任
  30. ^ 脇田大佐は第21駆逐隊司令を経て、第41駆逐隊司令。昭和19年11月25日、駆逐艦霜月沈没時に戦死

参考文献[編集]

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    • 当時「神風」水雷士・海軍中尉鈴木儀忠『おんぼろ神風マレー沖の米潜水艦撃沈劇 誇り高き老朽駆逐艦と米潜水艦の海底と洋上の一騎討ち
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    • 『官房機密 第1310号 14.12.15昭和6年(教育)年度艦船役務予定の件』。Ref.C05021175900。
    • 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003300。
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
    • 『昭和11年12月1日現在10版内令提要追録第1号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071968200。
    • 『昭和14年6月1日現在10版内令提要追録第5号原稿 巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13071983400。
    • 『第2647号 6.8.19大湊要港部所属1等駆逐艦(峯風、神風型)に毎年21錨鎖各2節宛貸与の件』。Ref.C05021614900。
    • 『昭和19年9月~昭和20年7月 武装商船警戒隊戦闘詳報 船名 アの部~ソの部まで(3)』。Ref.C08030691900。
    • 『昭和18年6月1日~昭和18年7月31日第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030084400。
    • 『昭和20年2月10日~軍艦大淀戦闘詳報』。Ref.C08030578500。
    • 『昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030074800。
    • 『昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030074900。
    • 『私の観た日本内地の状況と感想 昭和20年12月29日』。Ref.C14110797800。
    • 『復員輸送資料 其1(1)』。Ref.C14020252800。
    • 『復員輸送資料 其1(2)』。Ref.C14020252900。
    • 『復員輸送資料 其1(3)』。Ref.C14020253000。
    • 『復員輸送資料 其1(4)』。Ref.C14020253100。
    • 『復員輸送資料 其1(5)』。Ref.C14020253200。
    • 『復員輸送資料 其2』。Ref.C14020253300。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『戦史叢書46』481ページ
  2. ^ 『駆逐艦「神風」電探戦記』(光人社NF文庫 2011年)
  3. ^ a b c #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 神風カミカゼ トス』
  4. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.208『◎驅逐艦及掃海艇中改名ノ件 昭和三年六月十二日(達八〇)驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 第一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦神風カミカゼ トス(以下略)』
  5. ^ a b #艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』
  6. ^ a b #日本軍艦集2600年版p.47『一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。』
  7. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.159『神風型(九隻)』
  8. ^ a b #達大正10年10月pp.11-12『達第百九十號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス 大正十年十月十二日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|一等驅逐艦七隻 第一驅逐艦 第三驅逐艦 第五驅逐艦 第七驅逐艦 第九驅逐艦 第十一驅逐艦 第十三驅逐艦|二等驅逐艦十隻 第二驅逐艦 第四驅逐艦 第六驅逐艦 第八驅逐艦 第十驅逐艦 第十二驅逐艦 第十四驅逐艦 第十六驅逐艦 第十八驅逐艦 第二十驅逐艦|一等掃海艇六隻 第一掃海艇 第二掃海艇 第三掃海艇 第四掃海艇 第五掃海艇 第六掃海艇』
  9. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.207『◎第一驅逐艦外十六隻及第一掃海艇外五隻命名ノ件 大正十年十月十二日(達一九〇)軍費補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス』
  10. ^ a b c d e #艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表 |驅逐艦名前|神風カミカゼ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第一號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)第一驅逐艦』
  11. ^ #達大正13年4月p.17『達第四十九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦及掃海艇ノ欄中「第一、第二」等トアルヲ「第一號、第二號」等ニ改ム/備考第二號中「第一驅逐艦」「第二驅逐艦」ヲ「第一號驅逐艦」「第二號驅逐艦」ニ改ム/同三號中「第一掃海艇」「第二掃海艇」ヲ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」ニ改ム 大正十三年四月二十四日 海軍大臣 村上格一』
  12. ^ #ハンディ判艦艇写真集18p.93
  13. ^ #ポケット海軍年鑑(1937)p.50『一等驅逐艦"春風 はるかぜ" 全要目{排水量1,270噸 速力34節 備砲12糎砲4門 魚雷發射管6門 起工大正11年5月 竣工大正12年5月 建造所 舞鶴工作部} 長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米。これは月級驅逐艦の出現する前の所謂大型驅逐艦で、1,270噸の同型のものに"神風 かみかぜ" "朝風 あさかぜ" "松風 まつかぜ" "旗風 はたかぜ" "朝凪 あさなぎ" "夕凪 ゆふなぎ" "追風 おひて" "疾風 はやて"の8艦があり、いづれも輕快部隊の一威力をなしてゐる。就中追風疾風朝凪夕凪等の驅逐艦はいつも要港馬公にあつて南方の警戒線の中樞をなしてゐる。』
  14. ^ a b c #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『神風|(艦性能略)|三菱長崎造船所|10-12-15|11-9-25|11-12-28|(武装略)』
  15. ^ #神風製造一件p.2『(発信、受信略)第一驅逐艦十二月十五日午后三時半起工セリ。』
  16. ^ #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『朝風|(艦性能略)|三菱長崎造船所|11-2-16|11-12-8|12-6-16|(武装略)』
  17. ^ #達大正11年8月p.12『達第百五十四號 艦艇類別等級別表中巡洋艦二等ノ欄「神通」ノ次ニ「、夕張」ヲ、驅逐艦一等ノ欄「波風」ノ次ニ「、第一」「、第五」「、第七」「、第九」「、第十一」「、第十三」ヲ、同二等ノ欄「蓼」ノ次ニ「、第二」「、第四」「、第六」「、第八」「、第十」「、第十二」「、第十六」「、第十八」ヲ加フ 大正十一年八月二十四日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  18. ^ #達大正11年8月p.12『達第百五十五號 特務艦類別等級別表中運送艦ノ欄「神威」ノ次ニ「、鳴戸」「、早鞆」ヲ加フ 大正十一年八月二十四日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  19. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.59『大正十一年八月二十四日(達一五四)』
  20. ^ a b 大正11年9月21日 官報第3043号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955161 p.5
  21. ^ #神風製造一件p.3『(発信、受信略)第一驅逐艦本日(九月二十五日)午前十時四十分無事進水セリ。』
  22. ^ 大正11年9月26日(火)海軍公報 第2991号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C12070283100 『○驅逐艦進水 長崎三菱造船所ニ於テ建造ノ第一驅逐艦昨二十五日午前十時四十分進水セリ』
  23. ^ 大正11年9月25日(月)海軍公報 第2990号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C12070283100 『○事務所設置 第一驅逐艦艤装員事務所ヲ長崎三菱造船所内ニ設置シ本月二十八日ヨリ事務ヲ開始ス(九月二十三日第一驅逐艦艤装員長)』
  24. ^ a b c 大正11年12月2日 官報第3043号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955221 p.10
  25. ^ 大正12年1月6日(土)海軍公報 第3068号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C12070286100 『○事務所撤去 長崎三菱造船所内ニ設置中ノ本艦艤装員事務所ハ十二月二十八日撤去セリ(第一驅逐艦)』
  26. ^ a b c d 大正11年12月29日 官報第3125号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955245 p.17
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n #ハンディ判艦艇写真集18p.93(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇神風◇
  28. ^ #艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|峯風型|峯風、澤風、沖風、島風、灘風、矢風、羽風、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風、野風、波風、沼風』
  29. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.60『大正一一.一二.一(内令四三三)|横須賀鎮守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風|第一(一二.一.六 一)』
  30. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.59『大正九年.一〇.一三(内令三八四)第一驅逐隊ヲ削リ舞鎮ノ欄ニ第三十三驅逐隊(天津風、磯風、濱風、時津風)ヲ加フ』
  31. ^ #造艦テクノロジーの戦い258-259頁
  32. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.38『大正一一.一二.一(内令四三三 四三七)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 金剛 比叡 霧島/第五戰隊 名取 長良 鬼怒/第二水雷戰隊 北上 第一 第三驅逐隊/第二潜水戰隊 矢矧 韓崎 第十四 第十六潜水隊』
  33. ^ 大正12年1月6日(土)海軍公報 第3068号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070286100 『○艦船所在○一月六日午前十時調【横須賀】(長官)長門▲、(将旗)筑摩、満州、(長官)金剛、(将旗)北上▲、山城、阿蘇、加賀、安藝、薩摩、榛名、鳳翔、若宮、朝日、三笠、八雲▲、春日、千早、(司令)の風、沼風、波風、驅一、(司令)峯風、澤風、沖風、矢風、(司令)太刀風▲、帆風▲、夕風、汐風、(司令)灘風、秋風▲、羽風、島風▲、(司令)夕立、白露、三日月▲、夕暮▲、(司令)春風、初春、初雪、(司令)響、如月、神風、初霜、吹雪、有明、(司令)富士、萩、薄、蔦、浦風、夕凪、時雨、(司令)潜水九、潜八、(司令)潜一四、潜一五、(司令)潜二八▲、潜二九▲、潜三〇▲、(司令)潜四〇、潜三八、潜三九、(司令)潜四七、潜四六、潜四一、潜五八、(司令)雉、鴎、鴻、關東、武藏、松江、富士、神威、高崎、尻矢▲、洲埼』
  34. ^ a b 大正12年5月11日 官報第3232号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955355 p.4
  35. ^ 大正12年9月1日(土)海軍公報 第3266号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070288500 『○驅逐艦進水 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造ノ第八驅逐艦本日午前八時進水セリ』
  36. ^ 大正12年8月29日(土)海軍公報 第3265号 pp.11-12』 アジア歴史資料センター Ref.C12070288400 『○艦船所在○八月三十日午前十時調【航海中】』
  37. ^ 大正12年9月13日(木)海軍公報 第3269号 pp.8-9』 アジア歴史資料センター Ref.C12070288500 『○艦船所在○九月十三日午前十時調【横須賀】』
  38. ^ a b 大正12年12月4日(火)官報第3385号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955532 p.11
  39. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.38-39『大正一二.一二.一(内令四二一)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 金剛 比叡/第五戰隊 由良 名取 長良/第二水雷戰隊 北上 第一 第二驅逐隊 第四驅逐隊 第五驅逐隊/第二潜水戰隊 若宮』
  40. ^ a b c 大正13年2月6日 官報第3434号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955582 p.9
  41. ^ a b c 大正13年3月11日 官報第3462号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955610 p.2
  42. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.60『大正十三年四月二十四日(達四九)』
  43. ^ a b c d 大正13年12月2日(火)官報第3648号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955832 p.11第1駆逐隊司令交代・広岡免職、p.12白石補職
  44. ^ 大正13年12月6日(土)海軍公報第3631号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C12070293600 『○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ旗艦ヲ北上ヨリ五十鈴ニ、第二潜水戰隊司令官ハ旗艦ヲ平戸ヨリ長鯨ニ十二月一日孰レモ變更セリ』
  45. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.39-40『大正一三.一二.一(内令二九四)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 金剛 比叡 霧島/第五戰隊 長良 名取 由良 川内/第二水雷戰隊 五十鈴 第一 第四 第五驅逐隊/第二潜水戰隊 長鯨 第十四 第二十六潜水隊 伊號第五十一潜水艦』
  46. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.60『大正十三年十二月一日(達一三七)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ潜水母艦ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル|掃海艇ノ欄内「第六號」ノ次ニ「夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、水無月、長月、菊月、綾波、潮、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ加フ|水雷艇ノ欄ヲ得削ル|備考第三號ヲ左ノ通改ム 掃海艇ヲ呼稱スルニハ「掃海艇何」ヲ以テス但シ番号ヲ附スルモノハ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」等ト稱ス 備考第四號ヲ削リ第五號ヲ第四號トス』
  47. ^ a b #除籍駆逐艦(2)pp.34-38『舊神風(千噸以下)(略)(大正一三.一二.一驅逐艦神風掃海艇籍ニ入ル昭和三年四月一日掃海艇籍ヨリ除カル)』
  48. ^ a b c d e 大正14年12月2日(水)官報第3982号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956132 p.7岩村免職 p.8池田補職・白石免職、p.9原補職
  49. ^ a b c d 大正15年12月2日(木)官報第4283号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956433 p.8池田免職・田尻補職、p.9原免職・佐藤補職
  50. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64-65『◎艦艇類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三八)艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表)』-『驅逐艦|一等|第一號型|第一號、第三號、第七號、第九號、第十一號、第十三號、第十五號、第十七號』-『驅逐艦|三等|白露、三日月』
  51. ^ 昭和2年5月2日(月)官報第99号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956559 p.6
  52. ^ a b c d 昭和2年5月30日(月)官報第123号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956583 p.4
  53. ^ a b c 昭和2年8月11日(木)官報第186号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956646 p.4
  54. ^ a b c d 昭和2年9月16日(金)官報第217号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956677 p.6
  55. ^ a b c d e f 昭和2年12月2日(金)官報第279号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956739 p.7田尻免職・江口補職、p.8帖佐免職・小林補職・五藤補職
  56. ^ 昭和3年1月16日(月)官報第312号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956773 p.8
  57. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル』
  58. ^ 廃船引渡の件 pp.1-2』 アジア歴史資料センター Ref.C04021866300 『○廃船第八號(掃海艇神風)』
  59. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九号型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』
  60. ^ a b c 昭和3年12月11日(火)官報第587号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957052 p.7石川免職、p.8高橋補職・長尾補職
  61. ^ 昭和4年3月6日(水)官報第653号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957119 p.3
  62. ^ #昭和4年度艦船役務予定表p.2『第一航空戰隊(四月一日編成)|赤城、鳳翔、第四駆逐隊』
  63. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.43『昭和四.一一.三〇(内令二七五)|聯合艦隊|第一艦隊|第一戰隊 伊勢 山城 榛名 陸奥/第二戰隊/第三戰隊 川内 由良 長良/第一水雷戰隊 那珂 第十三 第十五 第十六 第二十七驅逐隊/第一潜水戰隊 迅鯨 第二十四 第二十六潜水隊|昭和四年 聯合艦隊 四.一(内令八四)赤城 鳳翔 第四驅逐隊(一航戰)/一一.三〇(内令二七八)加賀 第一驅逐隊(一空戰)|昭和四年 聯合艦隊 一一.三〇(内令二七八)赤城 第四驅逐隊(一空戰)|四.一 當分ノ間聯合艦隊附属艦船ノ一部ヲ以テ第一航空戰隊ヲ編制セラル(内令八五)』
  64. ^ a b c d e 昭和4年12月2日(月)官報第878号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957345 p.11高橋免職・枝原補職・染河免職、p.12石戸補職・長尾免職、p.13久宗補職
  65. ^ a b c d 昭和5年11月17日(月)官報第1166号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957633 p.3
  66. ^ a b c d e f 昭和5年12月2日(火)官報第1179号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957646 p.9枝原免職・加藤補職、p.10石戸免職・小沢補職・大森免職、p.11博義王補職
  67. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.43-44『昭和五.一二.一(内令二二八)(略)|昭和五年 聯合艦隊 一二.一(内令二三二)赤城 第二驅逐隊(一空戰)|昭和五年 聯合艦隊 一二.一(内令二三二)加賀、第一驅逐隊(一空戰)、第一掃海隊』
  68. ^ #昭和6年度艦船役務予定表p.15『警備艦船|横須賀|北上〔八(一二)〕、一驅(野風沼風波風神風)〔七(一二)〕』
  69. ^ 昭和6年2月3日(火)官報第1227号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957695 p.6
  70. ^ 昭和6年11月2日(月)官報第1454号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957922 p.15
  71. ^ a b c 昭和7年5月3日(火)官報第1599号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958070 p.5
  72. ^ 昭和7年5月18日(水)官報第1612号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958083 p.5
  73. ^ #艦艇・駆逐艦(1)pp.16-17『神風』
  74. ^ a b c 昭和8年4月4日(火)官報第1875号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958347 p.5小林補職、p.6田村免職
  75. ^ a b c 昭和8年5月22日(月)官報第1914号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958386 p.5
  76. ^ a b c d 昭和8年9月2日(月)官報第2003号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958475 p.5
  77. ^ 昭和9年11月2日(金)官報第2353号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958829 p.10
  78. ^ a b 昭和10年11月2日(土)官報第2651号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959130 p.4
  79. ^ 昭和10年11月16日(土)官報第2663号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959142 p.10
  80. ^ 昭和11年4月16日(木)官報第2784号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959264 p.6
  81. ^ a b c 昭和11年10月9日(金)官報第2933号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959415 p.8
  82. ^ 昭和11年11月17日(火)官報第2964号。国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959446 p.2
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  129. ^ #S1912三一戦隊日誌(2)p.17『五日〇九五八(長官)GF(宛略)|GF電令第六二七號 一.第一驅逐隊(神風野風)汐風朝顔ヲNSBヨリ除キGF附属トス/二.第一驅逐隊 汐風朝顔ハ準備出来次第出港船團護衛ニ從事シツツ昭南方面ニ進出スベシ 右進出行動中ノ護衛竝ニ運航ニ関シテハ海上護衛司令長官ノ指揮ヲ承クベシ』
  130. ^ #S1912三一戦隊日誌(2)p.38『五(略)一.本日附31Sヲ高警部隊ニ編入セラル 二.一駆(神風野風)汐風朝顔ヲ作戰指揮下ヨリ除カル』
  131. ^ #S20大淀戦闘詳報p.40『十日一四二五(長官)GF(宛略)GF電令作第五一〇號 一.4sf司令官ハ4sf(伊勢日向)大淀2sd(霞朝霜初霜)1dg(神風野風)ヲ指揮シ速ニ昭南ヲ出撃人員重要物資ヲ内地還送作戰ヲ実施スベシ 本作戰部隊ヲ北號作戰ト呼稱ス/二.南號作戰部隊ハ南號作戰ノ要領ニ依リ北號作戰部隊ノ護衛ヲ強化スベシ』
  132. ^ #木俣空母865頁
  133. ^ #S20大淀戦闘詳報p.43『十四日(司令官)4sf(宛略)信令第一九號 警戒航行序列ニ左ヲ追加ス 第八日向伊勢大淀ノ順ニ單縦陣距離一粁霞初霜朝霜夫々日向ノ〇度右八〇度左八〇度一.五粁野風神風夫々伊勢ノ右及左一〇〇度一.五粁』
  134. ^ a b c #佐藤 艦長(文庫)337-338頁
  135. ^ #S20大淀戦闘詳報p.9『十五日一九三〇馬祖島泊地ニ假泊朝霜ニ二五〇噸重油ヲ補給シ曩ニ海南島東方海面ニテ護衛隊ニ入リシ第一駆逐隊ト分離シ十六日〇〇〇〇假泊發北上中〇五五六本艦ノ左七〇度方向ニ魚雷音二ヲ聴知(水測)セルヲ以テ急速單独回避ヲ行フト共ニ信號弾ヲ以テ僚艦ニ通報シ之ヲ後方ニ躱シ得タリ』
  136. ^ 昭和20年4月18日(水)海軍公報第4988号 p.26』 アジア歴史資料センター Ref.C12070504600 『内令第三〇九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年四月十日 海軍大臣 第一驅逐隊ノ項中「野風、」ヲ削ル 第五十二驅逐隊ノ項中「檜、」ヲ削ル』
  137. ^ #八人武人生涯19-20頁
  138. ^ 昭和20年2月21日(水)海軍公報第4938号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C12070504000 『内令第一三六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十五日 海軍大臣 第一驅逐隊ノ項中「神風」ノ下ニ「、汐風、朝顔」ヲ加フ』
  139. ^ #造艦テクノロジーの戦い268頁
  140. ^ a b #重巡洋艦戦記(2010)24-25頁『末期(昭和19年末~終戦)』
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  168. ^ a b c d e f g h i j #佐藤 艦長(文庫)351-355頁『米潜艦長からの手紙』
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  174. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.176 、『駆逐艦神風』62ページ
  175. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.177,188
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  180. ^ #八人武人生涯30頁
  181. ^ a b #内地・福留p.1『私ハ東京ニ於テ米側ノ訊問ヲ受ケル爲ニ英司令部ヨリ上京ヲ命ゼラレ去ル十一月二十八日旧駆逐艦神風ニ乗艦シテ新嘉坡ヲ出發シ十二月八日浦賀到着翌九日ヨリ十九日迄東京ニ於テ訊問ヲ受ケ二十日再ビ神風ニ乗艦浦賀ヲ出發本二十九日當地ニ皈着セリ』
  182. ^ #八人武人生涯28-29頁では6月4日とする
  183. ^ a b c #最後のネイビーブルー79頁
  184. ^ a b c #最後のネイビーブルー236-237頁
  185. ^ 昭和21年8月2日(発令7月21日付)復員廰第二復員局辞令公報(甲)第37号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072159500 

関連項目[編集]