峯風型駆逐艦

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峯風型駆逐艦
試運転中の「羽風」(1920年秋、長崎沖)[1]
試運転中の「羽風」(1920年秋、長崎沖)[1]
基本情報
種別 一等駆逐艦[2]
命名基準 天象気象
建造所 舞鶴海軍工廠10隻
三菱合資会社長崎造船所5隻
運用者  大日本帝国海軍
同型艦 15隻[2]
前級 江風型駆逐艦
次級 神風型駆逐艦 (2代)
要目 (計画)
基準排水量 1,215英トン[3]
常備排水量 1,345英トン[4][5]
全長 336 ft 6 in (102.57 m)[4]
水線長 常備状態 326 ft 3 in (99.44 m)[6]
垂線間長 320 ft 0 in (97.54 m)[4]
全幅 29 ft 3 in (8.92 m)[注釈 1]
水線幅 最大幅と同じ
深さ 19 ft 0 in (5.79 m)[4]
吃水 9 ft 6 in (2.90 m)[4]
ボイラー ロ号艦本式重油専焼缶4基[7]
(「羽風」「太刀風」を除いて過熱器付[8])
主機関 パーソンズタービン2基[5][注釈 2]
推進器 2軸 x 400rpm[7]
出力 計画 38,500shp[4]
1943年 17,000shp[9]
速力 39ノット[4]
燃料 重油:400英トン(峯風など7隻)[10]
または 395英トン(汐風以下8隻)[10][4]
航続距離 3,600カイリ / 14ノット[4]
乗員 峯風竣工時定員 145名[11]
1943年現状 154名[12]
兵装 竣工時計画
12cm単装砲4門[13]
6.5mm単装機銃2挺(計画)[13]
または 三年式機砲2挺(1920年)[5]
53cm二連装発射管3基[14]
六年式魚雷8本[15][注釈 3]
機雷投下軌道2本[16]
一号機雷16個[17]
1943年
45口径三年式12cm単装砲4門[13]
三年式機砲2挺[13]
六年式二連装発射管3基[14]
六年式改二魚雷6本[14]
水圧二型投下台2基[14]
落下軌道4本[14]
九五式爆雷18個[14]
搭載艇 計画:20ft内火艇1隻、20ftカッター2隻、20ft通船1隻[18]
1943年:6m内火艇1隻、6mカッター1隻、20ft内火艇1隻[19]
特殊装備 対艦式大掃海具二型2組、一型小掃海具2組(1943年)[14]
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6番艦矢風艦型図

峯風型駆逐艦(みねかぜがたくちくかん)は、八四艦隊計画八六艦隊計画に基づいて1917年大正6年)から1918年(大正7年)にかけて15隻が建造された日本海軍の一等駆逐艦である[20]。大正7年度計画艦のうち、第13番艦以降の最後の3隻は兵装の配置を変更したため、非公式に野風型或いは峯風改型と呼ばれる事もある。一番艦の就役開始は1920年(大正9年)3月16日、最後の艦の除籍は1947年昭和22年)。

概要[編集]

日本の天城型巡洋戦艦アメリカレキシントン級巡洋戦艦など、30ノットを超える速力を持つ巡洋戦艦の出現に対応して、38,500馬力のオール・ギヤードタービンを搭載して39ノットの高速を発揮している。4番艦「島風」は特に性能良好で、当時の日本海軍最速記録となる速力40.7ノット[21]を発揮し、後年、日本海軍最後の艦隊型駆逐艦であり、先代「島風」の記録を更新する40.9ノットを発揮した丙型駆逐艦「島風」に名前を引き継いでいる。

これまで日本の駆逐艦はイギリスの駆逐艦の設計をモデルに改良を重ねてきたが、凌波性の向上のため同時期に計画された中型駆逐艦樅型と同様、艦首楼甲板を艦橋の直前でカットしてウエルデッキを設けて甲板を乗り越えた海水を受け止めるとともに、艦橋を極力船体中央部に移動する事で波浪の直撃を避けるというかなり思い切った設計変更を行った。この方式は第一次世界大戦前のドイツ海軍G132級以降の水雷艇に採用した方式である。また、同時期に計画された戦艦や巡洋艦と同様、艦首にスプーンバウを採用して秘密兵器たる1号機雷の使用を考慮している。

主機はパーソンズ式インパルス・リアクション・ギアード・タービンを搭載した。しかし竣工から故障が多くその後の国産タービン(艦本式タービン)開発の契機となった。

これまでの駆逐艦と比べて凌波性がかなり改善されたといえるが、それでも用兵側の満足に達せず、14ノットで3,600浬と言う航続力も更に延伸する事を望まれたが、航洋駆逐艦としてようやく実用に足る性能をもった艦形であると言える。

用兵側の満足に達する凌波性を達成するには後の吹雪型駆逐艦まで、航続力を達成するには無条約時代の陽炎型駆逐艦まで待たなければならなかった。

改良型である一等駆逐艦神風型一等駆逐艦睦月型とともに昭和初期まで水雷戦隊の主力を担っていたが、特型駆逐艦の充実と艦の老朽化に伴って徐々に除籍または他艦種への類別変更を行い、太平洋戦争に駆逐艦として参加した艦も大半が後方での船団護衛任務や、空母部隊の随伴艦として訓練時の事故救難任務に当たっている。

1940年(昭和15年)4月には2隻(島風、灘風)が哨戒艇に転籍[22]1942年(昭和17年)には「矢風」が標的艦となっている。その他の艦は駆逐艦籍のまま活躍した。同型艦15隻中終戦時に残存したのは駆逐艦4隻(澤風、汐風、夕風、波風)と特務艦になった矢風の1隻だった。

トンボ釣り[編集]

1940年(昭和15年)より第34駆逐隊3隻(羽風、秋風、太刀風)は第三航空戦隊、第3駆逐隊2隻(汐風、帆風)は第一航空戦隊に所属して航空機が海面に不時着したときの乗員の救助、機体の回収などの任務に当たった。これをトンボ釣りと称した。一部の艦は1936年(昭和11年)ころから既に兵装の一部を撤去してトンボ釣りを行っていたらしい。

1941年(昭和16年)第一航空艦隊(いわゆる空母機動部隊)が編成されると第34駆逐隊は第11航空艦隊附属となって基地航空隊の航空機救助に当たった。第3駆逐隊の2隻は第四航空戦隊戦附属となり、「汐風」は空母「龍驤」の、「帆風」は特設航空母艦「春日丸」(大鷹)、続いて瑞鳳型航空母艦祥鳳」の護衛に当たった。

1942年に入り各艦通常の駆逐艦としての任務となった。

回天搭載艦[編集]

「汐風」、「波風」の2隻は1944年(昭和19年)から翌年にかけて回天搭載艦に改造された。

  • 主砲は1番主砲を残して撤去
  • 魚雷兵装は全て撤去
  • 25mm連装機銃6基、同単装(もしくは13mm単装)機銃8挺

艦尾にスロープを設け回天4基(汐風)を搭載した。 ちなみに「波風」は損傷復旧の際に1番缶を撤去し出力25,000馬力、速力29.5ノットとなっている。

対潜学校練習艦[編集]

「澤風」は1944年より対潜学校練習艦として横須賀にあった。兵装は

  • 主砲は4番主砲を残して撤去
  • 魚雷兵装は全て撤去
  • 25mm3連装機銃4基、同単装機銃4挺
  • 爆雷36個

を装備。また1番砲跡に15cm9連装対潜噴進砲を装備した。

最終兵装[編集]

夕風の場合

  • 12cm単装砲2門(1,3番砲)
  • 53cm連装魚雷発射管1基(2番発射管)
  • 25mm連装機銃4基、同単装4挺
  • 爆雷36個

であった。

野風型(峯風改型)[編集]

野風。それまでの同型艦と兵装位置を変え、後檣の前後に3番、4番砲を装備している。

大正6年度計画で建造した峯風型9隻に引き続いて大正7年度計画で建造された大型駆逐艦。同年計画された6隻の内、最後の3隻が該当する。日本海軍の公式な艦種は3隻とも峯風型であり『野風型』は存在しない[20]

峯風型は12センチ3番砲と4番砲の間に2番連装魚雷発射管と3番連装魚雷発射管を配置し、更に2つの魚雷発射管の間に後檣を設置したため、主砲や魚雷発射管の統一指揮や給弾が困難だった。そのため野風型では後檣を後部に移し、ここに3番砲と4番砲を背中合わせに配置するとともに魚雷発射管を連続的に配置するように改めた。このため峯風型と異なる艦型となったのである。

この設計変更は成功を収め、続く神風型や睦月型にも採用され、更には特型以降の後部主砲塔の背負式配置に発達する事となった。

同型艦[編集]

峯風(みねかぜ)
1920年(大正9年)5月29日舞鶴海軍工廠で竣工。佐世保近海警備のほか主にトラック島方面への船団護衛に従事。1944年(昭和19年)2月10日、米潜水艦ポーギー(USS Pogy)の雷撃により台湾北緯23度00分 東経157度27分 / 北緯23.000度 東経157.450度 / 23.000; 157.450にて戦没[23]
澤風(さわかぜ/さはかぜ)
1920年3月16日三菱長崎造船所で竣工。大戦中は主に船団護衛に従事。無事終戦を迎え、船体は福島県小名浜港で防波堤に転用された。
沖風(おきかぜ)
1920年8月17日、舞鶴海軍工廠で竣工。大戦中は主に船団護衛に従事。1943年(昭和18年)1月10日、米潜水艦トリガー(USS Trigger)の雷撃で勝浦燈台南方8海里にて戦没[23]
島風 [I] (しまかぜ)
1920年11月15日、舞鶴海軍工廠で竣工。1940年(昭和15年)4月1日哨戒艇に改装され艦種変更、「第一号哨戒艇」と改名される[22]第二次ソロモン海戦等に参加。1943年1月13日、米潜水艦ガードフィッシュ(USS Guardfish)の雷撃でカビエン沖にて戦没。
灘風(なだかぜ)
1921年(大正10年)9月30日、舞鶴海軍工廠で竣工。1940年4月1日、哨戒艇に改装され艦種変更、「第二号哨戒艇」と改名される[22]1945年(昭和20年)7月25日、英潜水艦「スタッボーン(HMS Stubborn)」の雷撃によりジャワ海にて戦没。
矢風(やかぜ)
1920年7月19日、三菱長崎造船所で竣工。1942年(昭和17年)5月5日標的艦に改造。同年7月20日、峯風型から除籍[24]特務艦標的艦)に艦種変更される[25]。その後、航空攻撃訓練や船団護衛任務に従事。無事終戦を迎えたが横須賀係留中に浸水し着底。浮揚後に解体された。
羽風(はかぜ)
1920年9月16日、三菱長崎造船所で竣工。南方攻略作戦に参加した後、主に船団護衛に従事。1943年1月23日、米潜水艦ガードフィッシュの雷撃によりカビエン沖にて戦没[23]
汐風(しおかぜ/しほかぜ)
1921年7月29日、舞鶴海軍工廠で竣工。大戦中は主に空母機動部隊護衛や船団護衛に従事。無事に終戦を迎え、船体は福島県小名浜港で堤防に転用された。
秋風(あきかぜ)
1921年4月1日、三菱長崎造船所で竣工。大戦中は主に船団護衛に従事。南東方面艦隊に所属してソロモン諸島で行動中の1943年(昭和18年)3月、秋風虐殺事件の舞台となった。1944年(昭和19年)11月3日、空母「隼鷹」を護衛してフィリンピン方面輸送作戦従事中、米潜水艦ピンタド(USS Pintado)の雷撃で南シナ海にて戦没[23]
夕風(ゆうかぜ/ゆふかぜ)
1921年8月24日、三菱長崎造船所で竣工。大戦中は主力部隊警戒隊として待機のまま無事に終戦を迎えた。1947年(昭和22年)8月14日、戦時賠償艦としてイギリスに引き渡された。
太刀風(たちかぜ)
1921年12月5日、舞鶴海軍工廠で竣工。第十一航空艦隊附属として行動。1944年(昭和19年)2月17日、米空母艦載機の攻撃によりトラック島沖にて戦没(トラック島空襲)。
帆風(ほかぜ)
1921年12月22日、舞鶴海軍工廠で竣工。北方作戦に参加した後、主に船団護衛に従事。1944年(昭和19年)7月6日、米潜水艦パドル(USS Paddle)の雷撃でセレベス海サンギ島西岸沖北緯03度25分 東経124度30分 / 北緯3.417度 東経124.500度 / 3.417; 124.500にて戦没[23]
野風(のかぜ)
1922年(大正11年)3月31日、舞鶴海軍工廠で竣工。1943年7月、キスカ島撤退作戦などに参加。1945年(昭和20年)2月16日、米潜水艦パーゴ(USS Pargo)の雷撃で東シナ海北緯12度27分 東経109度40分 / 北緯12.450度 東経109.667度 / 12.450; 109.667地点で戦没[23]
波風(なみかぜ)
1922年11月11日、舞鶴海軍工廠で竣工。1943年7月、キスカ島撤退作戦などに参加。無事に終戦を迎え1947年10月3日、戦時賠償艦として中華民国に引き渡された。
沼風(ぬまかぜ)
1922年7月24日、舞鶴海軍工廠で竣工。キスカ島撤退作戦などに参加。1943年(昭和18年)12月18日、米潜水艦「グレイバック(USS Grayback)」の雷撃で沖縄南方沖北緯26度30分 東経128度13分 / 北緯26.500度 東経128.217度 / 26.500; 128.217にて戦没[23]

駆逐隊の変遷[編集]

峯風型は15隻からなり、4隻からなる駆逐隊に1隻足りないので性能がほぼ等しい神風型1番艦「神風」を加えた16隻で4個駆逐隊を編成した。すべて横須賀鎮守府に新製配備されたため、横鎮の固有番号の1桁駆逐隊である。

第二駆逐隊[編集]

横須賀鎮守府籍の峯風澤風矢風沖風で編成した峯風型最初の駆逐隊。1918年(大正7年)12月1日付で舞鶴鎮守府に転出した海風型駆逐艦楢型駆逐艦からなる先代に続く三代目の第二駆逐隊である。1920年(大正9年)より第二艦隊第二水雷戦隊に投入されたが、「矢風」は1923年(大正12年)から1年以上戦線離脱している。大正末より大湊要港部警備艦として北方漁場保護にあたった。1932年(昭和7年)以降はトンボ釣りに転じ、1935年(昭和10年)に解隊して以後も、航空隊附属の練習・救援艦として航空支援任務に就く艦が多かった。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

1920年(大正9年)5月29日:澤風の竣工を機に編成、8月17日に沖風が竣工し編成完結。
1923年(大正12年)5月15日:第二艦隊第二水雷戦隊
1923年(大正12年)9月20日:矢風は第三駆逐隊に転出。
1924年(大正13年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。第三駆逐隊より矢風を編入。
1925年(大正14年)4月1日:大湊要港部部隊に転籍。
1925年(大正14年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。
1926年(大正15年)12月1日:大湊要港部部隊。
1928年(昭和3年)12月10日:横須賀鎮守府予備艦。
1932年(昭和7年)1月28日:第一次上海事変で武力衝突発生。臨時派遣。
1932年(昭和7年)12月1日:第一艦隊第一航空戦隊
1934年(昭和9年)11月15日:第一艦隊第一水雷戦隊。矢風、沖風離脱。
1935年(昭和10年)4月10日:解隊。

第五駆逐隊→第四駆逐隊[編集]

横須賀鎮守府籍の羽風島風秋風灘風で編成した峯風型2個目の駆逐隊。1918年(大正7年)12月1日付で第七駆逐隊にスライドした神風型駆逐艦からなる先代に続く三代目の第五駆逐隊である。長らく峯風型駆逐隊は第一・第二・第三・第五と五駆だけが飛んでいたが、1922年(大正11年)12月1日に第四駆逐隊にスライドした。代わりに楢型駆逐艦からなる先代四駆が第七駆逐隊にスライドしており、峯風型四駆は四代目となる。1920年(大正9年)より第二艦隊第二水雷戦隊に投入されたが、同時に「島風」が第三駆逐隊の太刀風と交代し、以後はこの顔ぶれで推移する。二駆と違い、1941年(昭和16年)の解隊までトンボ釣りに転じることなく、第一水雷戦隊や大湊・馬公の警備艦として活動している。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

1920年(大正9年)11月15日:島風の竣工を機に編成、翌年9月30日に灘風が竣工し編成完結。
1923年(大正12年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。同時に第四駆逐隊にスライド。島風と太刀風を交代。
1925年(大正14年)12月1日:二駆に代わり大湊要港部部隊に転籍。
1926年(大正15年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。
1930年(昭和5年)12月1日:第一艦隊第一水雷戦隊。
1931年(昭和6年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。
1932年(昭和7年)12月1日:大湊要港部部隊。
1933年(昭和8年)11月15日:馬公要港部部隊。
1937年(昭和12年)8月19日:太刀風離脱。12月1日復帰。
1940年(昭和15年)3月31日:解隊。
(1940年(昭和15年)4月1日:灘風は哨戒艇に艦種変更。)

第三駆逐隊(四代)[編集]

横須賀鎮守府籍の汐風夕風太刀風帆風で編成した峯風型3個目の駆逐隊。1919年(大正8年)11月1日付で呉鎮守府に転出した江風型駆逐艦樅型駆逐艦からなる先代に続く四代目の第三駆逐隊である。後発の第一駆逐隊とともに第二艦隊第二水雷戦隊に投入された。1926年(大正15年)まで二水戦にとどまり、代替わりの激しい大正末期にしては最前線部隊での活動が姉妹艦より長い。「太刀風」と五駆の「島風」が交換されたり、二駆から離脱した「矢風」を引き受ける一方夕風が頻繁に離脱したりするなど、編成の変更が著しい。解隊は早いが、末期には第四艦隊第五水雷戦隊に編入されて大陸戦線にも向かっている。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

1921年(大正10年)12月1日:太刀風の竣工を見据えて編成、12月26日に帆風が竣工し編成完結。
1922年(大正11年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1923年(大正12年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。同時に夕風離脱。島風と太刀風を交代。
1924年(大正13年)7月1日:第二駆逐隊より矢風を編入。
1925年(大正14年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。夕風復帰。矢風は第二駆逐隊に転出。
1926年(大正15年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。
1930年(昭和5年)12月1日:大湊要港部部隊。
1932年(昭和7年)12月1日:横須賀鎮守府部隊。
1933年(昭和8年)12月11日:横須賀鎮守府横須賀警備戦隊。
1934年(昭和9年)11月15日:馬公要港部部隊。
1935年(昭和10年)11月15日:横須賀鎮守府横須賀警備戦隊。
1937年(昭和12年)9月1日:第三艦隊第三水雷戦隊
1937年(昭和12年)12月1日:第四艦隊第五水雷戦隊。同時に夕風離脱。
1938年(昭和13年)12月15日:解隊。
(1940年(昭和15年)4月1日:島風は哨戒艇に艦種変更。)

第一駆逐隊[編集]

横須賀鎮守府籍の野風沼風波風に加え、神風型の神風(第一駆逐艦)で編成した峯風型最後の駆逐隊。1920年(大正9年)10月13日付で舞鶴鎮守府に転出した磯風型駆逐艦からなる先代に続く三代目の第一駆逐隊である。編成未了のまま第二艦隊第二水雷戦隊に投入され、二水戦在籍中に編成が完結した。長らく二水戦で活動したが、大正15年度より最前線部隊からはずれ、大湊での北方警備に就くことが多くなる。太平洋戦争中も解隊することなく北方警備を継続した。末期に南方に転戦し、「神風」が終戦まで残存した。峯風型では、北方任務中に損傷離脱した「波風」が再投入されることなく残存した。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

1922年(大正11年)7月31日:沼風の竣工を機に編成、翌年1月6日に第一駆逐艦(神風)が竣工し編成完結。
1922年(大正11年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊
1925年(大正14年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。
1928年(昭和3年)12月10日:大湊要港部部隊。
1929年(昭和4年)11月30日:横須賀鎮守府予備艦。
1933年(昭和8年)11月15日:大湊要港部部隊。以後、北方警備に従事。
1938年(昭和13年)8月25日:神風離脱、12月15日復帰。
1943年(昭和18年)12月18日:沖縄沖で沼風戦没、翌年2月5日除籍。
1944年(昭和19年)9月18日:択捉島沖で波風損傷、修理・改造のため離脱。1945年(昭和20年)2月に修理完了、連合艦隊附属に転出。終戦時残存。
1945年(昭和20年)2月15日:同年1月15日に解隊した第三十駆逐隊より汐風を、第一護衛艦隊より朝顔を編入。
1945年(昭和20年)2月20日:東シナ海で野風戦没、4月10日除籍。
1945年(昭和20年)8月15日:神風、汐風、朝顔残存。神風、汐風は10月5日除籍、朝顔は11月30日除籍。

第三駆逐隊(五代)[編集]

1938年(昭和13年)12月15日に解隊した先代三駆のうち、哨戒艇に改造した島風を除く汐風夕風帆風で再編成した。再編成当初よりトンボ釣り任務が主体で、第一艦隊第一航空戦隊に属した。第四航空戦隊の編成と同時に転出し、太平洋戦争では「龍驤」を護衛してフィリピン戦線に向かった。「帆風」は一時「祥鳳」護衛艦となった。フィリピン攻略序盤の1942年(昭和17年)1月10日をもって解隊し、南方の船団護衛に回った。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

1940年(昭和15年)10月15日:旧第三駆逐隊所属艦で再編成。
1940年(昭和15年)11月15日:第一艦隊第一航空戦隊
1941年(昭和16年)4月10日:第一航空艦隊第四航空戦隊に転籍。夕風は第三航空戦隊付に転出。
1942年(昭和17年)1月10日:解隊。汐風、帆風は第四航空戦隊付に転出。
(1942年(昭和17年)4月1日:第三航空戦隊解隊。夕風は第一艦隊附属に転出。)
(1942年(昭和17年)4月10日:汐風、帆風は第五艦隊附属に編入。)
(1942年(昭和17年)7月14日:夕風は第三艦隊附属に編入。)
(1942年(昭和17年)10月1日:汐風、帆風は第一海上護衛隊に編入。)
(1943年(昭和18年)1月15日:夕風は第三艦隊第50航空戦隊に編入。)
(1944年(昭和19年)1月1日:第50航空戦隊解散、夕風は連合艦隊附属に編入。終戦時残存、1945年(昭和20年)10月5日除籍。)
(1944年(昭和19年)4月5日:帆風は第九艦隊附属に編入。)
(1944年(昭和19年)7月6日:帆風が戦没、9月10日に除籍。)
(1944年(昭和19年)12月26日:汐風は第三十駆逐隊に編入。以後は第三十駆逐隊の項に譲る。)

第三十四駆逐隊[編集]

1940年(昭和15年)3月31日に解隊した旧四駆の駆逐艦が舞鶴鎮守府に転籍し、哨戒艇に改造した灘風を除く羽風秋風太刀風が9月15日付で第三十四駆逐隊を再編成した。1939年(昭和14年)11月15日で解隊した樅型駆逐艦からなる先代に続く二代目である。第三駆逐隊(五代)と同様、再編成当初よりトンボ釣り任務が主体で、第一艦隊第三航空戦隊に編入された。翌年には第十一航空艦隊附属として、トンボ釣り・標的訓練に活用された。開戦後は十一航艦向け輸送船を中心とした船団の護衛に従事することが多かった。「羽風」の戦没を機に解散し、太刀風・秋風は船団護衛任務を継続した。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

1940年(昭和15年)9月15日:旧第四駆逐隊所属艦で再編成。
1940年(昭和15年)11月15日:第一艦隊第三航空戦隊
1941年(昭和16年)12月10日:第十一航空艦隊に転籍。
1943年(昭和18年)1月23日:カビエン沖で羽風戦没、3月1日除籍。
1943年(昭和17年)4月1日:解隊。太刀風、秋風は第十一航空艦隊附属へ。
(1944年(昭和19年)2月18日:トラック島で太刀風戦没、3月31日除籍。)
(1944年(昭和19年)5月1日:秋風は第三十駆逐隊に編入。以後は第三十駆逐隊の項に譲る。)

参考文献[編集]

  • 『海軍制度沿革 巻四の1』明治百年史叢書、海軍省/編、原書房、1971年
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻十の1』明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 『日本駆逐艦史』世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年ISBN 4-905551-41-2
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • 牧野茂福井静夫/編 『海軍造船技術概要』 今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』 雑誌『』編集部/編、光人社、1990年5月ISBN 4-7698-0460-1
  • 森恒英 『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』 グランプリ出版、1995年1月ISBN 4-87687-154-X
  • 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和11年12月1日現在10版内令提要追録第1号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071968200。
    • 『昭和14年6月1日現在10版内令提要追録第5号原稿 巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13071983400。
    • ref.C13071989600 『昭和15年6月25日現在 10版 内令提要追録第7号原稿 巻1追録/第6類 機密保護 艦船要目公表範囲他』。
    • 『昭和15年1月~12月達/4月(1)』。Ref.C12070106900。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。Ref.C12070164200。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.2では(29'-0")8.9154mとしているが、8.9154mになるのは29'-3"。また#戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」で29呎3吋となっているので29'-0"は誤記と思われる。
  2. ^ 当時の表記はパーソンス
  3. ^ #海軍造船技術概要p.388では魚雷12本としている。

出典[編集]

  1. ^ #日本駆逐艦史1992p.69下写真と解説
  2. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92。大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム (別表)艦艇類別等級表 | 駆逐艦 | 一等 | 峯風型 | 峯風、澤風、沖風、島風、灘風、矢風、羽風、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風、野風、羽風、沼風 |(峯風型の部分を抜粋)
  3. ^ #艦船要目公表範囲1940-06画像5。
  4. ^ a b c d e f g h i 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.2
  5. ^ a b c #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
  6. ^ #海軍造船技術概要p.388
  7. ^ a b 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.22
  8. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.577-578、「峯風型駆逐艦起工、進水、竣工年月日及製造場所一覧表」
  9. ^ 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.22の現状欄。「註 上記ノモノハ昭和十八年三月現在ニ於ケル機関限度標準ニ依ル」
  10. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その二「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
  11. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.575-576。将校・機関将校8人、准士官・特務士官3人、下士35人、卒99人。
  12. ^ 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.26。士官7人、特務士官2人、准士官3人、下士官44人、兵98人。
  13. ^ a b c d 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.6
  14. ^ a b c d e f g 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.10
  15. ^ #写真日本の軍艦第10巻p.31
  16. ^ #日本の駆逐艦pp.21-22
  17. ^ #海軍造船技術概要p.384
  18. ^ 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.34の計画欄。
  19. ^ 「一等駆逐艦 一般計画要領書 附現状調査」p.34の現状欄。「註 上記現状ハ昭和十八年四月現在ニ於ケル兵器簿ニ依ル」
  20. ^ a b #艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|峯風型|峯風、澤風、沖風、島風、灘風、矢風、羽風、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風、野風、波風、沼風』
  21. ^ 新造時の全力公試で常備排水量1,379トン、出力40,652馬力において40.698ノットを記録する。
  22. ^ a b c #S15達4月(1)pp.2-3『達第七十二號 舊驅逐艦ヲ特務艦籍ニ編入シ左ノ通命名ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 吉田善吾|第一號哨戒艇(舊驅逐艦島風) 第二號哨戒艇(舊驅逐艦灘風) 第三十一號哨戒艇(舊驅逐艦菊) 第三十二號哨戒艇(舊驅逐艦葵) 第三十三號哨戒艇(舊驅逐艦萩) 第三十四號哨戒艇(舊驅逐艦薄) 第三十五號哨戒艇(舊驅逐艦鳶) 第三十六號哨戒艇(舊驅逐艦藤) 第三十七號哨戒艇(舊驅逐艦菱) 第三十八號哨戒艇(舊驅逐艦蓼) 第三十九號哨戒艇(舊驅逐艦蓬) 第四十六號哨戒艇(舊驅逐艦夕顔)』
  23. ^ a b c d e f g #叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  24. ^ #内令昭和17年7月(3)p.19『内令第千三百十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年七月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、敷設艦ノ項中「勝力、」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、矢風」ヲ削ル』
  25. ^ #内令昭和17年7月(3)p.19『内令第千三百十七號 特務艦類別表中左ノ通改正ス 昭和十七年七月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|運送艦ノ部中「伊良湖」ノ下ニ「、大瀬」ヲ、測量艦ノ項中「筑紫」ノ下ニ「、勝力」ヲ、標的艦ノ項中「攝津」ノ下ニ「、矢風」ヲ加フ』

関連項目[編集]