若竹型駆逐艦

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若竹型駆逐艦
呉竹
呉竹
艦級概観
艦種 二等駆逐艦
艦名
前級 樅型駆逐艦
次級
性能諸元
排水量 基準:820トン
全長 83.8m
全幅 8.08m
吃水 2.51m
主缶 ロ号艦本式重油専焼缶3基
主機 ブラウン・カーチス式オールギアードタービン2基2軸
21,500shp
最大速力 35.5ノット
航続距離
乗員
兵装 12cm単装砲3基
6.5mm単装機銃2基
53cm連装発射管2基4門

若竹型駆逐艦(わかたけかたくちくかん)は、大日本帝国海軍駆逐艦の艦級。

概要[編集]

若竹型は樅型の準同型艦とも言える艦級で、前型とは艦幅を若干広げた程度の差しかない。23隻の建造が予定されていたがワシントン海軍軍縮条約締結により8隻のみが建造された。以後二等駆逐艦は建造されておらず本型が最後となった。1930年代にはより高性能な後継艦が就役し始めたため、太平洋戦争では多くが船団輸送に従事した[1]。低速力(最大発揮速力17ノット程度)の新型海防艦丙型海防艦丁型海防艦)に対して優速の駆逐艦は護衛艦としても適任であり、本艦型は手頃な艦として重用された[1]

同型艦[編集]

若竹(わかたけ)
1922年(大正11年)9月30日、川崎造船所で竣工。当初名は第二駆逐艦1928年(昭和3年)8月1日、若竹と改名[2]。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1944年(昭和19年)3月30日、パラオ大空襲の際にパラオ湾口にて航空機の攻撃により戦没。
呉竹(くれたけ)
1922年(大正11年)12月21日、川崎造船所で竣工。当初名は第四駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、呉竹と改名[3]。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1944年(昭和19年)12月30日、バシー海峡にて米潜水艦「レザーバック」の雷撃を受け戦没[4]
早苗(さなえ / さなへ)
1923年(大正12年)11月5日、浦賀船渠で竣工。当初名は第六駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、早苗と改名[5]。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1943年(昭和18年)11月18日、セレベス海北緯55度00分 東経120度00分 / 北緯55.000度 東経120.000度 / 55.000; 120.000地点で米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け戦没[4]
早蕨(さわらび)
1924年(大正13年)7月24日、浦賀船渠で竣工。当初名は第八駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、早蕨と改名[6]。昭和7年12月5日、台湾海峡で荒天により転覆沈没。
朝顔(あさがお / あさがほ)
1923年5月10日、石川島造船所で竣工。当初名は第十駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、朝顔と改名[7]。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、呉で終戦を迎える。が、7日後に関門海峡で触雷大破し浸水着底した。
夕顔(ゆうがお / ゆふがほ)
1924年5月21日、石川島造船所で竣工。当初名は第十二駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、夕顔と改名[8]。1940年4月1日、哨戒艇に類別変更し第46号哨戒艇に改称。パラオ、トラック方面の船団護衛に従事したが、1944年(昭和19年)11月10日、石廊崎沖で米潜水艦「グリーンリング」の雷撃を受け戦没。
芙蓉(ふよう)
1923年3月16日、藤永田造船所で竣工。当初名は第十六駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、芙蓉と改名[9]。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、1943年(昭和18年)12月20日、マニラ湾口で米潜水艦「パファー」の雷撃を受け戦没[4]
刈萱(かるかや)
1923年8月20日、藤永田造船所で竣工。当初名は第十八駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、刈萱と改名[10]。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、1944年(昭和19年)5月10日、ルソン北緯15度47分 東経119度32分 / 北緯15.783度 東経119.533度 / 15.783; 119.533地点で米潜水艦「コッド」の雷撃を受け戦没[4]
  • 建造中止:第十四駆逐艦、第二十駆逐艦
  • 計画のみ:第二二駆逐艦、第二四駆逐艦、第二六駆逐艦

当初予定艦名[編集]

計画当初の艦名には漢字2文字の植物名が予定されていた(後の固有艦名とはまた違う植物名)。その後番号名に改められ、竣工時は「第O駆逐艦」(Oは偶数。奇数はのちの神風型)となる[11]1924年(大正13年)4月24日に「第O号駆逐艦」と号を付けた[12]。 更に1928年(昭和3年)8月1日、若竹型駆逐艦は、神風型駆逐艦睦月型駆逐艦と共に固有艦名を与えられた[13]

当初予定艦名 命名 1928年改名
桔梗(ききょう) 第二(号)駆逐艦 若竹
百合(ゆり) 第四(号)駆逐艦 呉竹
菖蒲(あやめ) 第六(号)駆逐艦 早苗
海棠(かいどう) 第八(号)駆逐艦 早蕨
杜若(かきつばた) 第十(号)駆逐艦 朝顔
躑躅(つつじ) 第十二(号)駆逐艦 夕顔
紫苑(しおん) (第十四駆逐艦) (建造中止)
紫陽(あじさい) 第十六(号)駆逐艦 芙蓉
刈萱(かるかや) 第十八(号)駆逐艦 刈萱
沢瀉(おもだか) (第二十駆逐艦) (建造中止)
牡丹(ぼたん) (第二十二駆逐艦) (計画のみ)
芭蕉(ばしょう) (第二十四駆逐艦) (計画のみ)
撫子(なでしこ) (第二十六駆逐艦) (計画のみ)

参考書籍[編集]

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
  • 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年達完/10月』。Ref.C12070079300。
    • 『大正12年達完/1月』。Ref.C12070081500。
    • 『大正13年達完/4月』。Ref.C12070083400。
    • 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。
    • 『昭和11年12月1日現在10版内令提要追録第1号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071968200。
    • 『昭和14年6月1日現在10版内令提要追録第5号原稿 巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13071983400。

脚注[編集]

  1. ^ a b #叢書46海上護衛戦436-437頁『護衛艦としての旧式駆逐艦及び水雷艇』
  2. ^ #達昭和3年6月p.9『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 若竹ワカタケ トス』
  3. ^ #達昭和3年6月p.9『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 呉竹クレタケ トス』
  4. ^ a b c d #叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  5. ^ #達昭和3年6月p.9『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第六號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 早苗サナヘ トス』
  6. ^ #達昭和3年6月p.9『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第八號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 ワラビ トス』
  7. ^ #達昭和3年6月p.9『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 朝顔アサガホ トス』
  8. ^ #達昭和3年6月p.10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕顔ユフガホ トス』
  9. ^ #達昭和3年6月p.10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第八號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 ヨウ トス』
  10. ^ #達昭和3年6月p.10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十八號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 刈萱カルカヤ トス』
  11. ^ #達大正10年10月pp.11-12『達第百九十號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス 大正十年十月十二日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|一等驅逐艦七隻 第一驅逐艦 第三驅逐艦 第五驅逐艦 第七驅逐艦 第九驅逐艦 第十一驅逐艦 第十三驅逐艦|二等驅逐艦十隻 第二驅逐艦 第四驅逐艦 第六驅逐艦 第八驅逐艦 第十驅逐艦 第十二驅逐艦 第十四驅逐艦 第十六驅逐艦 第十八驅逐艦 第二十驅逐艦|一等掃海艇六隻 第一掃海艇 第二掃海艇 第三掃海艇 第四掃海艇 第五掃海艇 第六掃海艇』
  12. ^ #達大正13年4月p.17『達第四十九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦及掃海艇ノ欄中「第一、第二」等トアルヲ「第一號、第二號」等ニ改ム/備考第二號中「第一驅逐艦」「第二驅逐艦」ヲ「第一號驅逐艦」「第二號驅逐艦」ニ改ム/同三號中「第一掃海艇」「第二掃海艇」ヲ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」ニ改ム 大正十三年四月二十四日 海軍大臣 村上格一』
  13. ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 神風カミカゼ トス(以下同)』

関連項目[編集]