雷型駆逐艦

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雷型駆逐艦
IJN Sazanami at Yokosuka Meiji 33.jpg
基本情報
種別 水雷艇(駆逐艇) → 軍艦(駆逐艦) → 駆逐艦 → 三等駆逐艦
就役期間 1899年 - 1925年
次級 東雲型駆逐艦
要目 (新造時の雷)
常備排水量 345トン
垂線間長 67.2 m
6.3 m
吃水 1.5 m (平均)
ボイラー 水管ボイラー×4缶
主機 レシプロ蒸気機関×2基
推進器 スクリュープロペラ
出力 6,000馬力
速力 31ノット
燃料 石炭110トン
乗員 60名
兵装 40口径7.6cm砲×1門
40口径5.7cm砲×5門
・45cm単装魚雷発射管×2基
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雷型駆逐艦(いかづちがたくちくかん、英語: Ikazuchi-class destroyers)は、大日本帝国海軍が初めて運用した駆逐艦の艦級。第一期拡張計画に基づき、イギリス海軍B級駆逐艦の準同型艦として、明治29年30年度計画でイギリスヤーロー社に6隻が発注された。1899年より順次に就役し、日露戦争でも活躍した[1]

設計[編集]

本型は、ヤーロー社がアルゼンチン海軍向けに建造していた「コリエンテス」(ARA Corrientes)を発展させるかたちで設計されており[2]イギリス海軍B級駆逐艦の準同型艦とされている[1]。船型は同型と同じく乾舷の低い平甲板型とされ、艦首が波浪に突っ込んだときに海水をすくい上げないように、水はけの良い亀甲型(タートルバック)とされたのも同様である[3]

ボイラーはヤーロウ式の石炭専焼式水管ボイラーで、蒸気性状は圧力17.6 kgf/cm² (250 psi)、飽和温度であった。主機関は3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関とされた。各艦とも海上公試では計画値を上回る好成績を記録した[4]

兵装は、原型となったイギリス駆逐艦の構成が踏襲されており、艦砲としては40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門と40口径5.7cm砲(保式六斤速射砲)5門が搭載された。40口径7.6cm砲は上甲板後端、40口径5.7cm砲は司令塔上に1門と上甲板両舷に2門ずつが設置された。また魚雷については、上甲板後部の中心線上に2個の旋回台を設け、これに人力旋回式の45cm魚雷発射管を1門ずつ設置した[5]

同型艦[編集]

明治29年度計画で4隻、明治30年度計画で2隻が発注され、1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけて6隻が就役し、当初は水雷艇(駆逐艇)に類別された。このように小型の艦を単独で日本に回航するのは前例がなく、当初は分解輸送して日本国内で再組立する案もあったが、結局はイギリスで竣工したうえで日本に回航しており、以後、駆逐艦の国産化までこの方式が踏襲された[1]

1900年6月22日に軍艦(駆逐艦)に編入され、1905年(明治38年)12月12日に軍艦籍から駆逐艦に移籍、1912年(大正元年)8月28日には等級が付与され、三等駆逐艦となった。

霓は就役した年に座礁、沈没しているが、残りの艦は日露戦争に参加している。戦没艦はなかったものの、の2隻も事故で失われており、同型艦の半数を事故で喪失したことになるが、残りは艦歴を全うし、大正10年までに全艦退役した。

雷(いかづち)[編集]

1899年2月25日、竣工。同年5月25日、佐世保に到着。1912年(大正元年)10月9日、大湊港で機関破裂事故により船体切断・着底。1913年(大正2年)11月5日、除籍。1914年(大正3年)4月29日、売却。

電(いなづま)[編集]

1899年4月25日、竣工。同月26日に出航し[6]、同年6月25日、横須賀に到着。1909年(明治42年)12月16日、函館の葛登支灯台北北西の位置で木造汽帆船錦龍丸(総トン数660t)と衝突し、沈没。1910年(明治43年)夏に浮揚後、9月15日除籍。

曙(あけぼの)[編集]

1899年7月3日、竣工。1900年2月20日、横須賀に到着。1921年(大正10年)4月30日、特務艇(二等掃海艇)に類別。同年6月21日、雑役船(標的船)に編入。1925年(大正14年)5月2日、廃船。

漣(さざなみ)[編集]

1899年8月28日、竣工。1900年3月24日、佐世保に到着。1905年の日本海海戦では5月28日にロシア駆逐艦のベドーヴイを拿捕し、バルチック艦隊司令長官ロジェストヴェンスキー中将を捕虜とした。1913年4月1日、除籍。同年8月23日、雑役船(掃海船)に編入され漣丸に改称。同年10月〜11月、青島の戦いに従軍。1916年(大正5年)3月31日、雑役船(標的船)に編入。同年8月29日、館山沖で撃沈処分[7]。同年10月18日、廃船。1917年(大正6年)1月9日、売却。

朧(おぼろ)[編集]

発注時の艦名は第11号水雷艇駆逐艇[8]。1899年11月1日、竣工。1900年4月28日、神戸に到着。1921年4月30日、特務艇(二等掃海艇)に編入。同年6月21日、雑役船(標的船)に編入。同年10月末、廃船。

霓(にじ)[編集]

発注時の艦名は第12号水雷艇駆逐艇[8]。1900年1月1日、竣工。同年5月26日、横須賀に到着。同年7月29日、清国山東省南東岬沖で、濃霧のため座礁、8月3日に沈没。1901年(明治34年)4月8日、除籍。

出典[編集]

  1. ^ a b c 中川 1992.
  2. ^ Chesneau 1988.
  3. ^ 石橋 1992.
  4. ^ 阿部 1992.
  5. ^ 高須 1992.
  6. ^ 『官報』第4744号、明治32年4月28日。
  7. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編、艦歴表10頁。
  8. ^ a b 『官報』第4550号、明治31年8月29日。

参考文献[編集]

  • Chesneau, Roger (1988). Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905. Conway Maritime. pp. 237-238. ISBN 978-0851771335. 
  • 中川, 務「日本駆逐艦史」、『世界の艦船』第453号、海人社、1992年7月、 8-11頁。
  • 石橋, 孝夫「船体 (技術面から見た日本駆逐艦の発達)」、『世界の艦船』第453号、海人社、1994年2月、 160-165頁、 ISBN 978-4905551478
  • 阿部, 安雄「機関 (技術面から見た日本駆逐艦の発達)」、『世界の艦船』第453号、海人社、1994年2月、 166-173頁、 ISBN 978-4905551478
  • 高須, 廣一「兵装 (技術面から見た日本駆逐艦の発達)」、『世界の艦船』第453号、海人社、1992年7月、 174-181頁。
  • 福井, 静夫 『写真日本海軍全艦艇史』資料編、KKベストセラーズ、1994年ISBN 978-4584170540
  • 海軍歴史保存会 『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年ISBN 978-4474100589
  • 官報

関連項目[編集]