桃型駆逐艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
桃型駆逐艦
檜
艦級概観
艦種 二等駆逐艦
艦名
前級 樺型駆逐艦
次級 楢型駆逐艦
性能諸元
排水量 基準:755トン
全長 88.4m
全幅 7.7m
吃水
機関 蒸気タービン2軸推進、16,700shp
最大速力 31.5ノット
航続距離
乗員
兵装 12cm単装砲3基
6.5mm単装機銃2基
45cm3連装発射管2基6門

桃型駆逐艦(ももかたくちくかん)は、大日本帝国海軍駆逐艦の艦級。

概要[編集]

磯風型と同じく1915年(大正4年)度計画で建造された駆逐艦。樺型同様第一次世界大戦に向けて急造された艦型であった。魚雷発射管に3連装発射管を初めて装備した。本型は推進効率が良く、艦尾波が大きく立たないので夜戦に有利と言われていた。

竣工後は同型艦4隻で第十五駆逐隊を編成、樺型8隻に続いて地中海へ派遣され船団護衛任務に就いている。

「樫」は除籍後に満州国海辺警備隊へ譲渡され「海威(ハイウェイ)」となった。しかし太平洋戦争が始まり無償貸与の形で再び日本海軍が使用した。

同型艦[編集]

桃(もも)[編集]

1916年(大正5年)12月23日、佐世保海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加。1940年(昭和15年)4月1日、除籍。

樫(かし)[編集]

1917年(大正6年)3月31日、舞鶴海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加、船団護衛任務についていた。
日本に帰国してからは魚雷発射管を撤去され水上機の運用試験などに使用された。
1937年(昭和12年)5月1日除籍。満州国に譲渡され「海威」となる。九〇式一号水上偵察機一機を運用していた。
1942年(昭和17年)6月29日満州国海軍から日本海軍への無償貸与という形で日本海軍に編入され「海威」として日本海軍の船になる。東シナ海などで護衛・哨戒活動を行った。
1944年(昭和19年)10月10日、沖縄十・十空襲により戦没。

檜(ひのき)[編集]

1917年3月31日、舞鶴海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加。1940年4月1日、除籍。

柳(やなぎ)[編集]

1917年5月5日、佐世保海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加。1940年4月1日除籍。佐世保海兵団の練習船として使用。戦後解体、船体は北九州市若松区若松港の防波堤として使用(軍艦防波堤)。

駆逐隊の変遷[編集]

桃型は4隻からなり、定数4隻の駆逐隊をちょうど一個隊編成できる。4隻とも佐世保鎮守府に配備され、転属は一度もない。大正7年4月1日の駆逐隊・潜水隊の番号改称にともなう番号変更を除くと、まったく変動がない駆逐隊である。

第十五駆逐隊→第二十四駆逐隊[編集]

佐世保鎮守府籍ので編成した。編成日は樫・檜の竣工日の翌日である。第十五駆逐隊は三代目で、初代・二代目は日露戦争の鹵獲駆逐艦が配属された短命の駆逐隊であった。佐世保鎮守府所属の樺型駆逐艦すべてが第二特務艦隊に召集されて地中海に遠征していたため、編成より半年間は佐世保にとどまったが、年末より第二特務艦隊へ編入されている。帰国後は一度だけ第一艦隊第一水雷戦隊に編入された。後半は頻繁に第一遣外艦隊に編入され、大陸での活動が長かった。昭和12年5月31日、白露型駆逐艦海風が竣工し、第二十四駆逐隊は海風以降に竣工する白露型駆逐艦と交代することになり、この日をもって桃型駆逐艦は駆逐隊より離脱した。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。

大正6年4月1日:竣工済みのと合わせ、竣工の翌日に編成。
大正6年5月5日:竣工により編成完結。
大正6年12月12日:地中海で船団護衛中の第二特務艦隊へ編入。
大正7年4月1日:駆逐隊・潜水隊の番号改称により第二十四駆逐隊に改称。
大正8年8月9日:第二特務艦隊解散、佐世保鎮守府予備艦
大正8年12月1日:第一艦隊第一水雷戦隊。
大正9年12月1日:佐世保鎮守府予備艦。
大正14年12月1日:鎮海要港部に派遣。
大正15年12月1日:佐世保鎮守府予備艦。
昭和2年12月1日:第一遣外艦隊に編入。
昭和4年11月30日:佐世保鎮守府予備艦。
昭和6年12月1日:第一遣外艦隊。
昭和8年11月15日:佐世保鎮守府予備艦。
昭和12年5月1日:樫除籍。満州国海辺警備艦「海威」となる。
昭和12年5月31日:解隊、全艦離脱。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
  • 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9

関連項目[編集]