7月5日の海戦 (1942年)

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7月5日の海戦
USS Growler (SS-215) underway on 5 May 1943 (80-G-394372).jpg
米ガトー級潜水艦グロウラー
戦争太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日:1942年7月5日
場所アメリカ合衆国キスカ島
結果:アメリカの勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
原田覚(千代田艦長)
宮坂義登(18駆司令)
ハワード・W・ギルモア(グロウラー艦長)
戦力
水上機母艦1
輸送船1
駆逐艦3
潜水艦1
損害
駆逐艦1沈没
駆逐艦2大破
なし
アリューシャン方面の戦い

7月5日の海戦は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)7月5日(連合軍記録、7月4日[注釈 1]アリューシャン列島キスカ島沖で発生した小規模な海戦である。

概要[編集]

7月5日の海戦は、太平洋戦争大東亜戦争[1]中の1942年(昭和17年)7月5日に発生した、アメリカ潜水艦による奇襲攻撃[2][3]特殊潜航艇甲標的[4]水上戦闘機および海軍陸戦隊を輸送するため[5][6]、水上機母艦千代田と輸送船あるぜんちな丸は第18駆逐隊の駆逐艦3隻(不知火[注釈 2][7]に護衛されて日本列島本州横須賀からアリューシャン列島キスカ島に進出した[8][9]。 7月5日、キスカ湾沖合に停泊していた第18駆逐隊を、アメリカ海軍ガトー級潜水艦グロウラーが奇襲した[10][11]。 グロウラーは魚雷攻撃により霰を撃沈し[12][13]、不知火と霞を撃破した[14][15]。船体切断に追い込まれた不知火[16][17]と霞は[18][19]舞鶴海軍工廠で1年以上におよぶ修理をおこなった[20][21]。本記事では、日本軍のアリューシャン列島防備強化の経緯と、損傷艦の内地帰投についても記述する。

経過[編集]

アリューシャン西部の長期確保指示[編集]

1942年(昭和17年)5月5日大本営は大海令第18号と大海指第94号によりミッドウェー島アリューシャン列島西部要地攻略を命じた[22]MI作戦AL作戦[23]。陸海軍中央協定が結ばれ、AL作戦成功後のアッツ島は日本陸軍が、キスカ島は日本海軍が、それぞれ防備を担当することになった[24]アリューシャン方面の戦い[25]第四航空戦隊(空母龍驤隼鷹)を基幹とする第二機動部隊はアリューシャン方面に進出し、6月4日にウナラスカ島ダッチハーバー空襲した[26][27]。だがミッドウェー攻略にむかった南雲機動部隊はアメリカ軍の邀撃により、主力空母4隻と重巡1隻を喪失した[28][29]ミッドウェー海戦、6月7日の大海令第101号により作戦中止)[30][31]。 北方部隊[注釈 3](指揮官細萱戊子郎第五艦隊司令長官)はミッドウェー作戦の戦況を見て幾度か命令を変更したあと、最終的にAL作戦(アダック島上陸中止、アッツ島とキスカ島攻略)の続行に至った[32][33]連合艦隊もミッドウェー作戦部隊から第三戦隊・第五戦隊・第八戦隊・空母瑞鳳などを北方部隊に編入する[34][35]。内地で待機していた空母瑞鶴なども、北方部隊に増強された[36]。北方部隊(第五艦隊)と増援艦艇は米軍機動部隊出現に備えてアリューシャン方面で行動したが、連合軍は出現せず空振りに終わった[37][38]

6月8日第七師団より抽出された北海支隊[39]はアリューシャン列島のアッツ島を[40][41]、舞鶴鎮守府第三特別陸戦隊はキスカ島を[42][43]、それぞれ占領した[44][45]。 当時の防備計画では、キスカの地上兵力は海軍陸戦隊・12cm平射砲4・7cm野戦高角砲4・13mm機銃単装4・探照灯2、キスカ海面防備として特殊潜航艇4基(千代田にて輸送予定)[46]・陸上固定の四連装魚雷発射管1(後日、魚雷艇に変更されるが未進出)・第13駆潜隊(駆潜艇3)、東港海軍航空隊の飛行艇6という貧弱なものであった[47][48]。6月9日にキスカ進出を果たした東港航空隊支隊の飛行艇6機は偵察や哨戒とともに米軍前進基地の攻撃を実施したが、大きな戦果はなかった[49][50]。 6月11日、連合艦隊はミッドウェー島に配備予定の第二聯合特別陸戦隊・設営隊の一部をアリューシャンに配備変更し、さらに特殊潜航艇も6基に増やした[51][5]。大本営は水上戦闘機6機の派遣を決定した[8][51]

一方、連合軍はキスカ島気象観測室からの連絡途絶により、飛行艇母艦ギリス英語版アトカ島に派遣した[11]PBYカタリナ飛行艇はキスカ島湾内に艦船複数隻を[注釈 4]、アッツ島に幕舎を発見した[52][53]。まずアメリカ陸軍のB-24型重爆ウムナック島より発進し[52]、キスカ島への空襲を開始する[54][55]6月12日には駆逐艦(第6駆逐隊)が空襲を受けて損傷した[56]。駆逐艦に司令駆逐艦を変更し、響は内地に帰投した[57][58]。 6月19日、キスカでタンカー日産丸が空襲を受けて沈没[57][59]、球磨川丸も小破した[60]。連合軍爆撃機の空襲に対して日本側は打つ手がなく[61][62](さらに投棄燃料を毒ガスと誤認)[63]、水上機部隊は零式水上観測機4機(6月23日、残存3機)を残してアガッツ島のマクドナルド湾へ避退した[64][8]。白山丸と球磨川丸も荷揚げを中止し、大湊に向かった[64][8]

6月17日発令の北方部隊軍隊区分によるキスカ方面所在部隊は、AOB(キスカ島)防備部隊(第13駆潜隊、駆逐艦帆風、まがね丸、白山丸、球磨川丸、舞三特)、協力部隊(第21駆逐隊〈若葉初春初霜〉)、水上機部隊(母艦〈神川丸君川丸〉、駆逐艦〈汐風〉)、基地航空部隊(東港空支隊、第二日の丸)という戦力であった[57][37]。キスカ島の陸上防備は舞鶴鎮守府第三特別陸戦隊が担当していた[65]

6月23日[66][67]、大本営陸海軍部は大陸命第647号と大海指第106号により北方部隊(第五艦隊)によるキスカとアッツの長期確保を指示した[68][69]。7月1日、第13駆潜隊と第五警備隊(舞三特より改編)の第五艦隊編入にともない、北方部隊指揮官(第五艦隊司令長官)はAO(アリューシャン)防備部隊を編成した[8][70]。AO防備部隊(指揮官佐藤俊美第五警備隊司令)は、第五警備隊・第13駆潜隊・特設監視艇1隻・基地航空部隊(東港空支隊)という貧弱な戦力であった[8]

輸送部隊のキスカ進出と被害[編集]

連合艦隊および北方部隊は兵力増強のため、千代田艦長原田覚大佐を指揮官とする輸送部隊(母艦〈千代田〉、輸送船〈あるぜんちな丸、鹿野丸、菊川丸〉、第18駆逐隊〈不知火、霞、陽炎、霰〉)を編成した[70]。輸送部隊は、ミッドウェー作戦中止により浮いた第二聯合特別陸戦隊・第11・第12設営隊、および各種兵器・資材・水上戦闘機6機・特殊潜航艇甲標的6基(乙坂昇一中尉〈海兵67期〉以下隊員約50名)[46]の輸送を命じられた[71][72][6]。 6月28日[73]、第18駆逐隊(不知火[74]、霞、霰)は水上機母艦(甲標的母艦)千代田[75]と輸送船あるぜんちな丸(12,759総トン。後日、空母海鷹として就役)を護衛して横須賀を出発、キスカ島に向かった[76][77]

当時の東京湾ではアメリカのナーワル級潜水艦ノーチラス (USS Nautilus, SF-9/SS-168) が活動しており、ノーチラスは6月25日に白露型駆逐艦山風(第24駆逐隊)を撃沈した[78][79][80]。続いて、ノーチラスは横須賀を出発したばかりの千代田輸送隊(千代田、あるぜんちな丸、不知火、霞、霰)を発見し、千代田に雷撃を敢行したが命中しなかった[81]。陽炎は横須賀を出発し、横須賀鎮守部所属艦艇(敷設艇浮島、駆潜艇、掃海艇など)[79]と協同で潜水艦掃蕩を実施する[77]。ノーチラスは爆雷攻撃を受けて損傷、ハワイに帰投した[79]。その後、横須賀に戻った陽炎は7月3日に輸送船鹿野丸を護衛して同地を出発、キスカ島に向かう予定であった[82]。だが積載の遅れにより輸送船を菊川丸に変更した[76]。7月9日、陽炎は菊川丸を伴って横須賀を出発、キスカ島へ向かった[83][84]

一方、千代田艦長指揮下の輸送部隊(千代田、あるぜんちな丸、不知火、霞、霰)は7月4日夕刻にキスカ島へ到着、キスカ港外で仮泊した[76][85]。7月5日早朝、千代田とあるぜんちな丸は、キスカ湾に入港した[76]。千代田が輸送してきた二式水上戦闘機6機[86]は東港空支隊に編入され、ただちに上空哨戒を開始した[87][88]。 第18駆逐隊3隻(不知火〔司令駆逐艦〕、霞、霰)は引き続きキスカ島沖で濃霧のため仮泊中[89][90]ハワード・W・ギルモア艦長が指揮するアメリカの潜水艦グロウラーUSS Growler, SS-215)の襲撃を受けた[10][91]。グロウラーは先頭の駆逐艦2隻に魚雷各1本を発射、3番目の艦に対して魚雷2本を発射したという[92][93]。 日本時間午前2時56分以降、グロウラーが発射した魚雷が次々に命中する[94]。魚雷1本が命中して大破した霰は主砲で反撃したが、まもなく船体が分断されて沈没した[95](戦死者104名)[96]。不知火と霞も大破した[76][97]。 不知火には魚雷1本が機関部に命中し[93][98]、自力航行・曳航も不可能になる[99][100]。不知火の戦死者は3名であった[96]。 霞には魚雷1本が一番砲塔下部に命中して艦首が脱落寸前となり[93][101]、艦各部にゆがみが生じて自力航行・曳航も不可能となる[102][103]。戦死者は10名であった[96]。負傷者は千代田に収容された[104][105]

また同日にはアガッツ島近海で行動中の第21駆逐隊の駆逐艦子日[106][107]、アメリカのタンバ―級潜水艦トライトン [108](USS Triton, SS-201)[93][109]の雷撃で撃沈されている[10][110]。わずか1日で駆逐艦2隻(霰、子日)喪失、2隻(霞、不知火)大破という事態に、宇垣纏連合艦隊参謀長(戦艦大和座乗)は各方面に苦言を呈することになった[111][112][113]。第五艦隊参謀長中澤佑大佐は、第18駆逐隊の被害について以下のように語っている。

○第五艦隊中沢参謀長ノ話 第十八駆逐隊ガヤラレタ時ハ第十八駆逐隊ハ南方カラキテ疲レテヰタノデ「キスカ」ニツイテヤレヤレト仮泊シタ。
日没ハ夕方(一八〇〇頃)ナルモ日出ハ当日〇〇五〇デアツタガ、先入主的ニヤハリ〇六〇〇頃トモ思ヘルノデ、当時第十八駆逐隊ハ一度配置ニツケテヰタカドウカ不明ナルモソレモ一因ナルベシ。仮泊中ヲ潜望鏡ヲ出シツヽ「霰」「霞」「不知火」ト順々ニねらヒウチヲシテ行ツタ由。其間一五〇〇位ノ所ヲ三十分ニ及ブ砲撃効ナシ。 — 昭和17年7月16日金曜日、高松宮宣仁親王著/大井篤ほか編『高松宮日記 第四巻』314-315ページ

当時の第18駆逐隊司令宮坂義登大佐(兵47期)は、転錨時刻を遅らせたこと、霧のため予定位置に停泊できなかったこと、アメリカ潜水艦の活動は仮泊地には及ばないと考えていたこと、北方に対する研究が不十分であったことが大被害の要因になったと回想している[76]

帰投[編集]

潜水艦の脅威[編集]

当初、アメリカ軍が北方に配備してた潜水艦は旧式のS型潜水艦6隻だけであった[59]。同年8月までに北方方面に計8隻(グロウラートライトンフィンバックトリガーグラニオンガトーコーヴィナハリバット)の大型潜水艦を揃えた[10]。これらのアメリカ軍潜水艦はアッツ島やキスカ島に出動し、日本軍の脅威となった[110][114]

たとえば、アメリカのガトー級潜水艦グラニオンがキスカ島近海で行動中の7月15日[115][116]、キスカ港外を哨戒中の第13駆潜隊(駆潜艇25号、26号、27号)を発見し[117]、魚雷攻撃で駆潜艇25号[118]と27号[119]を撃沈した[112][120]。第13駆潜隊は春山淳司令が戦死、駆潜艇26号を残すのみになった[121][122]。グラニオンは7月31日にも、キスカ港外で鹿野丸(国際汽船、8,572トン)を襲撃した[84][115]。鹿野丸は海防艦石垣(アッツ島まで)と駆潜艇26号(キスカ島まで)に護衛され、7月29日に到着したばかりだった[91][123]。当時のキスカには鹿野丸、駆潜艇26号、敷設艇2隻(浮島石埼)が在泊していた[124]。このグラニオンの雷撃で鹿野丸は航行不能に陥った[123][125](ただし、鹿野丸の反撃でグラニオンも沈没)[124][126]

潜水艦に対処する「駆潜艇」の沈没は、先の第18駆逐隊の損害と相まって、日本海軍に衝撃を与えた[122]。危機感を覚えた北方部隊(第五艦隊)は、アメリカ軍機動部隊が出現しないこともあり、日本軍空母機動部隊をふくめ増援部隊各艦を内地へ帰投させている[8][127]

これより前の7月10日、第一水雷戦隊司令官大森仙太郎少将を指揮官とする北方部隊護衛隊(軽巡洋艦阿武隈〉、第6駆逐隊〈〉、第21駆逐隊〈若葉、初春、初霜〉)が編成され、キスカ周辺の敵潜掃討と艦船の護衛警戒を行うことになった[128]。護衛隊各艦はキスカ湾に集結、まず第二次輸送部隊のうち「あるぜんちな丸」が阿武隈と電に護衛されてキスカを離れた(あるぜんちな丸・電は7月15日横須賀帰着)[129][84]。 次に千代田は初春に護衛され、7月12日にキスカを出発した(千代田は19日に内海西部へ到着した。)[129][84]。キスカ島に配備された甲標的は、基地設備不十分と米軍の爆撃等により、遂に作戦には使用されなかった[130][131]

キスカ島に残された不知火と霞は、前月に撃沈された日産丸の残骸に隠れて応急修理を行った[132]7月17日、大本営は大海指第114号により横須賀鎮守府に対し、夕雲型駆逐艦長波をして不知火・霞救難用資材人員の輸送を命じた[133](長波は20日、横須賀発。27日、キスカ到着)[134]。派遣されたのは横廠の村田章造(操船大尉)や小林勝二(造船中尉)を中心とする救難隊であり、甲標的関連でキスカ現地にいた桜井清彦(造船大尉)も作業に協力したという[135]

7月19日、陽炎は菊川丸を護衛してキスカに到着した[122][136]7月20日、陽炎は第18駆逐隊から除かれ、第15駆逐隊に編入された[137]黒潮親潮早潮、陽炎)[138][139]。また第18駆逐隊は第五艦隊に編入された[122][140]

[編集]

7月28日、霞は応急修理により曳航可能状態となった[134]。駆逐艦(第6駆逐隊)に曳航され[141]、陽炎に護衛されてキスカを出発した[142][143]。曳航速力は8ノット程であったという[144]。8月3日、幌筵島の片岡湾に到着する[134][145]。霞の曳航担当艦は雷から電にかわった[141][146]。陽炎は横須賀に帰投し、第二水雷戦隊の指揮下に戻った[147]。8月5日、電は霞を曳航して片岡湾を出発、9日石狩湾に到着した[134]。ここで霞曳航任務をタンカー富士山丸に引き継ぎ、電は主隊と合同すべく行動を開始した[134][148]。10日、富士山丸は霞を曳航して石狩湾を発ち、13日に舞鶴に到着した[134][149]

8月15日、第18駆逐隊は解隊された[150][151]。霞は第五艦隊附属となる[150]。8月31日、霞と不知火は戦時編制から除かれる[152]。2隻とも、特別役務駆逐艦に指定された[153][154]。霞が戦線に復帰したのは、1943年(昭和18年)7月以降であった[18]

不知火[編集]

霞がキスカを離れたあとも、不知火も同地に残って修理を続けた[155]。不知火は艦体中央部で前部と後部を切断し、1番砲塔と艦橋のある前半部に浮力タンクをつけ、浮砲台にしてキスカ島に残す予定であった[156]。ところが実際に切断したところ、前部分は転覆して沈没した[156]。結局、全長120mのうち後部75mを曳航して帰投することになった[135][157]。当初は横須賀海軍工廠での修理を予定したが[158]、最終的に不知火も舞鶴海軍工廠での修理に決まった[159]。 応急修理中の8月15日、第18駆逐隊は解隊され[151]、不知火は第五艦隊附属となった[150]。同日、不知火は電に曳航され、駆潜艇26号の護衛下でキスカを出発する[134]。20日、片岡湾に到着した[134][160]。同地で電は不知火曳航任務を神津丸に引き継いだ[134][155]。21日、神津丸は不知火を曳航して同地を出発、小樽経由で9月3日舞鶴に到着した[134][161]。不知火は舞鶴工廠で長期の修理と整備に入った[20][注釈 9]。すでに霞と不知火は呉鎮守府予備艦となり、31日に特別役務駆逐艦に指定されていた[153]。不知火が戦線に復帰したのは、1943年(昭和18年)11月以降であった[162]

海戦時の司令・艦長らのその後[編集]

1942年(昭和17年)7月5日の時点で、第18駆逐隊は駆逐隊司令宮坂義登大佐(司令駆逐艦不知火)[104]、不知火駆逐艦長赤澤次壽雄中佐、霞駆逐艦長戸村清中佐、陽炎駆逐艦長有本輝美智中佐[163]、霰駆逐艦長緒方友兄中佐であった[164]。 宮坂司令は短剣で自殺をはかったが、千代田に収容されて一命をとりとめた[注釈 10][165]7月14日附で宮坂大佐は第18駆逐隊司令職[166]を解かれた(7月28日附で呉鎮守府附)[167]。翌1943年(昭和18年)3月20日、宮坂は阿部弘毅少将(第三次ソロモン海戦時、第十一戦隊司令官)、西田正雄大佐(戦艦比叡沈没時艦長)達と共に予備役へ編入、即日召集された[168]

不知火駆逐艦長の赤澤中佐は、建造中の秋月型駆逐艦涼月の艤装員長に任命され[169]、竣工と共に同艦初代駆逐艦長となった[170]1944年(昭和19年)1月10日に涼月艦長を退任したあと[171]、3月20日附で第10駆逐隊司令に任命される[172]。6月8日、司令駆逐艦(夕雲型)風雲が米ガトー級潜水艦ヘイクに撃沈された時[173][174]、赤澤も戦死した。

陽炎駆逐艦長の有本中佐は、その後も陽炎艦長としてガダルカナル島の戦いに従事した。1943年(昭和18年)5月8日、第15駆逐隊(親潮、黒潮、陽炎)が機雷によって3隻とも沈没すると[137][175]6月1日附で陽炎駆逐艦長の任を解かれた[176]

霞駆逐艦長の戸村中佐は8月20日附で朝潮型駆逐艦満潮艦長に任命された[177]。その後、駆逐艦谷風艦長や重巡洋艦摩耶副長を経て、1944年(昭和19年)2月15日からは第6駆逐隊司令となる[178]。かつて霞を曳航した駆逐艦が6月11日にアメリカの潜水艦ボーンフィッシュの雷撃で撃沈された時も[179][180]、第6駆逐隊司令であった。

霰駆逐艦長の緒方中佐は7月31日附で霰駆逐艦長の職務を解かれ[181]、第56駆潜隊司令を経て翌年4月より軽巡洋艦木曾副長[182]となりキスカ島撤退作戦に参加した[183]。同年10月18日より秋月型駆逐艦秋月二代目駆逐艦長[184]等を歴任した[164]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 連合軍の時間記録は地方平時(+10時)、日本時間に直すには+1日して-5時間。
  2. ^ 第18駆逐隊所属の駆逐艦陽炎は別行動。
  3. ^ 昭和17年5月20日時点の北方部隊主要艦艇。第五艦隊旗艦「那智」、第四戦隊第2小隊(摩耶、高雄)、第四航空戦隊(龍驤、隼鷹)、第二十一戦隊(木曾、多摩)、第一水雷戦隊(軽巡〈阿武隈〉、第6駆逐隊〈暁、響、雷、電〉、第21駆逐隊〈若葉、初春、子日、初霜〉、第7駆逐隊〈潮、曙、漣〉)、第一潜水戦隊(旗艦〈伊9〉、第4潜水隊〈伊25、伊26〉、第2潜水隊〈伊15、伊17、伊19〉)、第13駆潜隊(駆潜艇25号、26号、27号)、特設巡洋艦(粟田丸、浅香丸)、特設砲艦(神津丸、第二日の丸)、特設敷設艦(まがね丸)、特設水上機母艦(君川丸)、特設運送艦(白山丸、球磨川丸、衣笠丸)、旧式駆逐艦(帆風、汐風)、補給部隊など。
  4. ^ 二次資料でも差異がある。『戦史叢書21』では5隻発見、『戦史叢書29』では4隻発見とする。
  5. ^ ○AOB(キスカ)防備部隊指揮官(一九-〇七〇〇)〇五〇五敵重爆三機来襲、〇六一〇避退セリ。此ノ間敵ハ毒ガスト推定セラル、霧状液体ヲ盛ニ放出セリ。
  6. ^ ○第二水雷戦隊(二八-二二〇〇)二十八日一六二五「千代田」、野島崎灯台ノ152°19′ニテ敵潜水艦ノ雷撃(艦尾二本、被害ナシ)、「霞」之ヲ制圧中。「陽炎」ハ準備出来次第出港、横鎮部隊ト協力之ヲ掃蕩撃滅スベシ。「霞」ハ便宜前任務(「千代田」、あるぜんちな丸、キスカ行護衛)ニ復皈スベシ。
  7. ^ ○「千代田」(四-一七一〇)「千代田」、第十八駆逐隊(「陽炎」欠)「キスカ」着。
  8. ^ ○第六〔誤記〕水雷戦隊(一二-一三〇〇)「霞」「不知火」共後部二ヶ、砲塔、機銃、探照灯完全、自衛上ノ支障ナシ、士気旺盛ナリ。日産丸ノ残骸ハ「不知火」ニ対シ湾口方面ノ防壁トナリ、又仮製(「暁」考案掃海具利用30m×一〇米(深)ノ「マントレット」)防禦網ヲ適当ナル位置ニ碇置セントス。敵機来ラザルトキ補強作業ニ全力傾注シツツアリ。
  9. ^ 歴史群像太平洋戦史シリーズ23『秋月型駆逐艦』「日本駆逐艦戦闘被害調査」160頁の不知火項目では、1942年11月15日に修理完成とするが誤認。
  10. ^ 『日本駆逐艦物語』153ページでは「司令は責任をとって自決したという。」と記載する。

出典[編集]

  1. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 102-103大東亞戦争と呼称決定
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  4. ^ 写真太平洋戦争(4) 1995, pp. 126-129キスカ島の特殊潜航艇
  5. ^ a b 戦史叢書29 1969, p. 281a兵力増強並びに防備実施状況
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  8. ^ a b c d e f g 戦史叢書77 1974, p. 110.
  9. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.52『自7月1日至7月4日18dg(陽炎缺)ハ5F長官ノ指揮下ニ入リ千代田あるぜんちな丸護衛任務ニ従事7月5日「キスカ」警泊中遭難』
  10. ^ a b c d 潜水艦戦争 1973, p. 196.
  11. ^ a b 戦史叢書29 1969, pp. 324a-326米軍反攻の経過概要
  12. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 301霰(あられ)
  13. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 92a〔霰(あられ)〕
  14. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 135.
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  18. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 302霞(かすみ)
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  74. ^ 佐藤、艦長たち 1993, p. 196○緒方(霰艦長)は「司令駆逐艦は霞」と回想するが、宮坂司令は不知火座乗。
  75. ^ 佐藤、艦長たち 1993, p. 195○緒方(霰艦長)は「18駆は水上機母艦春日を護衛」と回想しているが、実際は千代田である。
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    • (124-135頁)当時第十八駆逐隊軍医長・海軍軍医大尉林靖『隠密ハワイ航路「陽炎」艦橋で見た機動部隊強し 真珠湾、インド洋、ミッドウェーを疾駆した陽炎の奮戦と不知火の損傷
    • (255-342頁)戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 将口泰浩「第六章 アッツ島玉砕」『キスカ島奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯』新潮社〈新潮文庫〉、2012年8月(原著2009年)。ISBN 978-4-10-138411-5
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行者『高松宮日記 第四巻 昭和十七年 一月~九月』中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-X
  • 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • (260-267頁)元大本営参謀・海軍中佐吉田俊雄『陽炎型駆逐艦十七&十八駆逐隊の航跡 谷風ミッドウェーの奮戦と浦風、不知火、磯風、浜風の最後
    • (302-312頁)戦史研究家佐伯玲治『北方から南方へ第二十一駆逐隊の栄光 初春、子日、初霜、若葉。第一水雷戦隊の初春型駆逐艦四隻の転戦譜
  • 寺崎隆治ほか『補助艦艇奮戦記 縁の下の力持ち支援艦艇の全貌と戦場の実情』潮書房光人社、2016年6月。ISBN 978-4-7698-1620-1
    • (91-103頁)当時五駆潜隊司令・海軍少佐三瓶寅三郎『駆潜艇十五号キスカ湾の惨劇を語れ 米潜撃滅をめざしてアリューシャンに出撃。やって来たのは敵機の空襲
    • (164-287頁)戦史研究家伊達久『日本海軍補助艦艇戦歴一覧 水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、一等輸送艦、二等輸送艦、敷設艇、電纜敷設艇、哨戒艇、駆潜艇、水雷艇、海防艦、砲艦、特務艦、全三三二隻の太平洋戦争
  • 橋本衛『特型駆逐艦「雷」海戦記 一砲術員の見た戦場の実相』光人社〈光人社NF文庫〉、2014年8月(原著1999年)。ISBN 978-4-7698-2255-4
  • 福井静夫福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』第5巻、阿部安雄・戸高一成/編集委員、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6
  • 福田靖『レイテ沖海戦最後の沈没艦 駆逐艦「不知火」の軌跡』北辰堂出版株式会社、2016年8月。ISBN 978-4-86427-217-9
  • レオンス・ペイヤール著、長塚隆二訳「日本軍によるキスカおよびアッツの占領 一九四二年六月八日」『潜水艦戦争 1939-1945』早川書房、1973年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面陸軍作戦<1> アッツの玉砕』第21巻、朝雲新聞社、1968年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面海軍作戦』第29巻、朝雲新聞社、1969年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<3> ―昭和18年2月まで―』第77巻、朝雲新聞社、1974年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<2> ―昭和17年6月まで―』第80巻、朝雲新聞社、1975年2月。
  • 雑誌「丸」編集部編『写真 太平洋戦争<第四巻> 北方作戦 第1次 第2次 ソロモン海戦/サボ島沖海戦』光人社〈光人社NF文庫〉、1995年3月。ISBN 4-7698-2076-3
  • 「丸」編集部『駆逐艦戦記 駆逐艦「神風」電探戦記』光人社〈光人社NF文庫〉、2011年7月。ISBN 978-4-7698-2696-5
    • "不死鳥"の異名をとった駆逐艦「響」激闘一代記―宮川正『憤怒をこめて絶望の海を渡れ』
  • 歴史群像編集部編『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡』第19巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1998年8月。ISBN 4-05-601918-5
    • (85-94頁)向井学「艦隊型駆逐艦全131隻行動データ」
  • 歴史群像編集部編『秋月型駆逐艦 対空戦に威力を発揮した空母直衛艦の勇姿』第23巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1999年10月。ISBN 4-05-602063-9
    • (158-168頁)文・作図=岡田幸和 特別企画1 損傷と応急対策『日本駆逐艦の戦闘被害調査 太平洋戦争で被害を受けた駆逐艦129隻の中から29隻を抽出し、魚雷・爆撃・砲撃・機雷の被害別に損傷を検証し応急対策等に言及する。
    • (173-181頁)雨倉孝之『人物抄伝 太平洋戦争の群像「秋月型駆逐艦」の戦士たち』
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和16年12月1日〜昭和19年6月30日 第5艦隊戦時日誌AL作戦(2)』。Ref.C08030019100。
    • 『昭和17年5月29日〜昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030081500。
    • 『昭和17年5月29日〜昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030081600。
    • 『昭和17年8月1日〜昭和17年10月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030082000。
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030094900。
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030095000。
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030095100。
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030095200。
    • 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030040100。 表題は『あ号作戦』だが昭和17年6月二水戦日誌収録。
    • 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030095600。
    • 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030095700。
    • 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030095800。
    • 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030095900。
    • 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030096000。
    • 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(6)』。Ref.C08030096100。
    • 『昭和17年7月1日〜昭和17年7月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030319400。
    • 『昭和17年8月1日〜昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(2)』。Ref.C08030320500。
    • 『昭和17年8月1日〜昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030320600。
    • 『昭和17年8月1日〜昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(4)』。Ref.C08030320700。
    • 『昭和17年5月1日〜昭和17年8月31日 呉鎮守府戦時日誌(4)』。Ref.C08030325100。
    • 『昭和17年8月1日〜昭和17年8月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030354600。
    • 『昭和17年9月1日〜昭和17年9月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030354700。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。Ref.C12070164200。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(4)』。Ref.C12070164300。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月分(2)』。Ref.C12070164500。
    • 『昭和17年7月〜9月 内令3巻/昭和17年8月分(4)』。Ref.C12070164700。

関連項目[編集]