夕立 (白露型駆逐艦)

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夕立
Yudachi-2.jpg
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 佐世保工廠
発注 マル1計画
起工 1934年10月16日
進水 1936年6月21日
就役 1937年1月7日
除籍 1942年12月15日
最後 1942年11月13日戦没
要目 (計画時)
種別 駆逐艦
クラス 白露型
排水量 基準:1,685トン
全長 111m
全幅 9.9m
吃水 3.5m
ボイラー ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
速力 34ノット
航続距離 18ktで4,000浬
乗員 226名
兵装 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
40mm単装機銃 2基
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(魚雷16本)
爆雷投射機2基
爆雷×16
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夕立(ゆうだち/ゆふだち)は、日本海軍駆逐艦白露型の4番艦である[1]。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「夕立」[2]に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦ゆうだち(初代)」、「ゆうだち(2代)」に継承された。

艦歴[編集]

1936年撮影。

白露型駆逐艦4番艦「夕立」は佐世保工廠1934年(昭和9年)10月16日に起工し、1936年(昭和11年)6月21日に進水、1937年(昭和12年)1月7日に竣工、横須賀鎮守府[3][4]。白露型3番艦「村雨」(藤永田造船所建造)と同日附の竣工である[5]

日華事変では揚子江等中国沿岸に進出して作戦に従事、この時フランス極東艦隊のデュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦プリモゲ」から「夕立」の姿が撮影されている[6]1940年(昭和15年)10月11日、紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式に参加する[6]。11月、第四水雷戦隊に編入。太平洋戦争開戦時、「夕立」は第二艦隊(司令長官近藤信竹中将:旗艦「愛宕」)・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦那珂)・第2駆逐隊(司令官橘正雄大佐:村雨、五月雨、夕立、春雨)という所属であった。

太平洋戦争緒戦[編集]

1941年(昭和16年)12月より比島ビガン攻略作戦、リンガエン湾上陸作戦、タラカン上陸作戦、バリックパパン攻略作戦(バリクパパン沖海戦)、スラバヤ沖海戦に参加した。 1942年(昭和17年)3月には比島保定作戦に参加、マニラ湾封鎖作戦に加わった。 5月20日、クリスマス島占領作戦従事中に米潜水艦の雷撃を受け長期修理を余儀なくされた川内型軽巡「那珂」にかわり第5潜水戦隊から転籍した長良型軽巡洋艦由良」が第四水雷戦隊旗艦となる。 5月27日、「夕立」の新駆逐艦長として、バリ島沖海戦で駆逐艦「大潮」を指揮して戦果を挙げた吉川潔中佐が着任する[7]。 6月上旬のミッドウェー海戦における「夕立」以下第四水雷戦隊は、第二艦隊司令長官近藤中将(旗艦「愛宕」)が率いる攻略部隊に属して出撃した。6月14日に佐伯入港。 6月20日、四水戦司令官は西村少将から高間完少将に交代。翌月、第27駆逐隊(時雨白露夕暮有明)が四水戦に編入され、「夕立」の僚艦となる。

7月中旬、日本海軍はインド洋方面通商破壊作戦「B作戦」を発動[8]。同作戦参加戦力は第七戦隊(司令官西村祥治少将:巡洋艦熊野鈴谷)、第三水雷戦隊(軽巡《川内》、第11駆逐隊《初雪、白雪、吹雪、叢雲》、第19駆逐隊《浦波、敷波、磯波、綾波》、第20駆逐隊《天霧夕霧朝霧》)、第2駆逐隊《村雨、五月雨、夕立、春雨》、第15駆逐隊《黒潮親潮早潮》によって構成され、マレー半島西岸メルギーen:Myeik, Burma)に集結する[8][9]。 7月17日、第2駆逐隊は桂島泊地を出撃して南方へ向かい、25日シンガポールに到着[10][11]。 28日、「夕立」は「日本丸」を護衛して昭南泊地を出発[12]、31日メルギーに到着した[13]。 だが8月7日、米軍がウォッチタワー作戦を発動しガダルカナル島及びフロリダ諸島に来襲、ガダルカナル島の戦いが始まったことでB作戦は中止された[14][8]。 「夕立」は特設水上機母艦山陽丸」のトラック泊地回航護衛任務を与えられたため、第7戦隊・第2駆逐隊・第15駆逐隊僚艦とは別行動をとった[15][16]。 8月20日、第7戦隊(熊野、鈴谷)は第三艦隊(南雲機動部隊)との合同を命じられて第2駆逐隊や第15駆逐隊を分離[17]。同日をもって第2駆逐隊・第15駆逐隊は第七戦隊の指揮下を離れた[18]

8月22日、「夕立、山陽丸」はラバウルに到着[19]。翌日、「夕立」は「山陽丸、讃岐丸」を護衛してラバウルを出撃、24日ブーゲンビル島ショートランド泊地着[19]。「山陽丸」がショートランド泊地に水上機基地を設置する一方、「夕立、讃岐丸」はサンタイサベル島レカタに水上機基地を設置すべく最前線へ向かったが、第二次ソロモン海戦の結果を受けてショートランドへ戻った[19]。「夕立、讃岐丸」は26日ショートランド泊地を出発、27日夜ラバウルに帰投した[19]。「夕立、讃岐丸、山陽丸」は南東方面部隊の直接指揮下を離れ、外南洋部隊(第八艦隊)の指揮下に入った[19]

ガダルカナル島の戦い(九月)[編集]

9月初頭より「夕立」はガダルカナル島輸送作戦(いわゆる鼠輸送)に参加した。ショートランド泊地に到着後の8月30日、発電機故障により出撃不能となった陽炎型駆逐艦「磯風」より一木支隊130名が「夕立」に移乗する[20]。予定されていた「天霧、陽炎」の出撃が中止される中、「夕立」は単艦で午前10時に出撃、22時30-22時30分ガダルカナル島タイボ岬にて揚陸を成功させ、翌日トノレイ湾に帰還した[21]。 9月1日、「夕立、叢雲」は陸軍川口支隊の舟艇ガ島揚陸作戦(蟻輸送)を支援するため、輸送船「佐渡丸、浅香山丸」を護衛してショートランド泊地を出撃、途中まで同行した[22]

9月4日午前3時30分以降、「夕立、初雪叢雲」隊、「敷波浦波有明」隊、「川内《第三水雷戦隊旗艦》、海風江風涼風」隊は順次ショートランド泊地を出撃、同夜ガ島タイボ岬に青葉支隊と一木支隊を揚陸させた[23]。揚陸終了後、吉川潔夕立駆逐艦長指揮のもと「夕立、初雪、叢雲」はルンガ泊地に突入し、ヘンダーソン飛行場の砲撃に成功、つづいて小型艦艇2隻を撃沈した(夕立側は敷設巡洋艦と駆逐艦と判断)[24][25]。2隻は旧式駆逐艦を改造したマンリー級高速輸送艦グレゴリー」と「リトル」であった[26][27]。報告を受けた宇垣纏連合艦隊参謀長は陣中日記戦藻録で「夕立」と吉川艦長の活躍を絶賛している[28][25]

9月6日、ガダルカナル島に米軍駆逐艦2隻・輸送船1隻接近の索敵報告を受けた増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官は、「夕立、有明」に対しガ島進出と米艦補足を命じたが、ルンガ泊地周辺は悪天候のため敵艦を発見できず、飛行場砲撃も実施できなかった[29]。 9月8日、米軍輸送船団がガ島揚陸を開始したとの偵察結果を受け、増援部隊(第三水雷戦隊)はただちに出撃[30]。「川内《旗艦》、浦波、敷波、吹雪、白雪、天霧、陽炎、夕立、夕暮」をもってガ島ルンガ泊地とフロリダ諸島ツラギに突入したが敵影はなく、米軍掃海艇2隻を撃沈・撃破したのち9日午前11時ショートランド泊地へ戻った[30]。 9月11日夜、「海風、江風、夕立」はガ島輸送を実施した[31]

9月13日、「江風、海風、浦波、叢雲、夕立」は陸軍のガ島飛行場攻撃に呼応してガ島へ突入するが敵艦隊を認めず、対地砲撃を実施した[32]。この他に「陽炎白雪」隊、外南洋部隊主隊(鳥海、青葉、古鷹、衣笠、天霧)等も出撃していたが、いずれも飛行場占領失敗を受けて避退した[33]。 9月16日、米軍輸送船2隻がルンガ泊地に揚陸中の報告を受けて「初雪、夕立、浜風」はルンガ泊地に突入、輸送作戦中の「潮、吹雪、涼風」もルンガ泊地を捜索したが、両隊とも敵艦を発見できずにショートランド泊地へ戻った[34]。 9月20日、水上機母艦「日進」のガ島突入が中止された事により、駆逐艦「《旗艦》、、夕立、敷波」は物資・弾薬を移載[35]。ガ島輸送を実施し、米軍機の空襲で「敷波」が小破するも輸送は成功した[35]。この頃、月明期に入ったため米軍機の夜間空襲を受ける可能性が高くなり、駆逐艦輸送作戦は10月1日の月暗期まで中止することになった[36]

ガダルカナル島の戦い(十月)[編集]

ガダルカナル島の陸軍総攻撃失敗と米軍機動部隊補足失敗により、山本五十六連合艦隊司令長官は艦隊戦力の再編を実施[37]。前進部隊(第二艦隊)に編入されていた第四水雷戦隊(由良、村雨、五月雨、春雨、時雨、白露)と「国川丸」は外南洋部隊(第八艦隊)に編入され、それぞれ9月末までにショートランド泊地へ移動した[37]

10月5日、第9駆逐隊佐藤康夫司令指揮下の「朝雲《旗艦》、夏雲峯雲、村雨、春雨、夕立」はガ島輸送を実施する[38]。上空警戒機の余裕がないため米軍機の空襲を受けて「峯雲、村雨」が損傷(米軍はSBDドーントレス9機が出撃し、駆逐艦1隻撃沈、駆逐艦1隻沈没確実を主張)[38]。「峯雲」は「夏雲」に護衛され退避、「村雨」は単艦で反転した[38]。被害のない「朝雲、春雨、夕立」はガ島輸送に成功した[38]。 10月8日、水上機母艦「日進」と秋月型駆逐艦秋月」の輸送が再開されることになり、佐藤司令指揮下の「朝雲、夏雲、春雨、夕立」が護衛につく[39]。数度にわたる米軍機の空襲を受けたが、零戦隊や水上機部隊の奮戦により、各艦に被害はなく輸送作戦も成功した[39]

同時期、連合艦隊は高速輸送船6隻(佐渡丸、九州丸、吾妻山丸、南海丸、笹子丸、埼戸丸)による大規模輸送作戦を立案した[40]。本作戦に備え、第四水雷戦隊旗艦は軽巡「由良」から秋月型「秋月」に変更される。輸送船団にとって最大の脅威たるヘンダーソン飛行場を破壊するため、ラバウル基地航空隊による空襲、第六戦隊による飛行場砲撃(サボ島沖海戦により失敗)、第三戦隊(金剛、榛名)による砲撃、「鳥海、衣笠」による砲撃が実施されたが、米軍飛行場はいまだ戦力を保持していた。「秋月、村雨、五月雨、夕立、春雨、有明、時雨、白露」は13日夕刻ショートランド泊地を出撃、主隊(鳥海、衣笠、望月、天霧)と共にガ島へ向かう[41]。だが15日の揚陸中にB-17重爆および小型機の襲撃を受け「九州丸、吾妻山丸、笹子丸」を喪失[42]。この戦闘で、吉川艦長が指揮する第2駆逐隊第2小隊(夕立、春雨)は米軍機の離着陸のタイミングを見計らって飛行場砲撃と沖合退避を効果的に繰り返しており、村雨水雷長は「吉川艦長の戦機をつかむことのうまさは特別だった。1小隊(村雨、五月雨)も真似てみたが、うまくいかなかった」と脱帽している[43]。だが苦労して揚陸した物資も16日以降の空襲でほとんど焼き払われてしまったという[44]

高速輸送船団による輸送が失敗に終わる中、ガ島南方に空母と戦艦からなる有力な米艦隊と輸送船団が出現し、連合艦隊は水上機母艦「日進、千歳、千代田」(重火器、戦車輸送可能)の投入を延期した[45]。増援部隊(第三水雷戦隊)は日本陸軍総攻撃を前に、軽巡洋艦と駆逐艦による最後の鼠輸送を実施する[46]。 10月17日、軽巡戦隊(川内《三水戦旗艦》、由良、龍田)、水雷戦隊(秋月《四水戦旗艦》、第一小隊《朝雲、白雪》、第二小隊《村雨、夕立、春雨、五月雨》、第三小隊《浦波、敷波、綾波》、第四小隊《時雨、白露、有明》)、主隊(鳥海、衣笠、天霧、望月)は逐次ショートランド泊地を出撃[46]。「由良」が米潜水艦に雷撃されるが不発であり、輸送作戦は成功した[46]

10月24日、軽巡洋艦「由良」、第四水雷戦隊旗艦「秋月」、第2駆逐隊(村雨五月雨、夕立、春雨)は第二攻撃隊としてショートランド泊地を出撃、ガダルカナル島の米軍ヘンダーソン飛行場に対する日本陸軍総攻撃に呼応してガダルカナル島へ向かう[47]。先行してガ島ルンガ泊地に突入した突撃隊(指揮官山田勇助大佐/兼第6駆逐隊司令、白露)に続いてガ島へ接近したところ、第二攻撃隊は米軍機の波状攻撃を受ける[48]。「由良、秋月、五月雨」が直撃弾および至近弾を受ける[49]。「五月雨」は損害軽微だったが「秋月」は速力半減、「由良」は複数の爆弾命中により激しく炎上、総員退去命令が出された[49]。他艦が誘爆を懸念して横付け出来ぬ中、「夕立」は「由良」の後甲板に横付けして救助作業を行う[50]。その後「夕立、春雨」は「由良」に魚雷を発射して雷撃処分を行うが、「由良」は魚雷2本が命中しても中々沈まず、最終的に「夕立」の砲撃により沈没した[49]。 翌26日、ガダルカナル東方海面で日米双方の機動部隊が激突(南太平洋海戦)、その間に「夕立」以下各艦は戦場から離脱した。「秋月」は由良生存者を乗せてラバウルへ退避、「村雨《四水戦旗艦》、五月雨、夕立、春雨」はショートランド泊地へ戻った[49]

ガダルカナル島の戦い(十一月)[編集]

11月上旬、橋本信太郎三水戦司令官指揮下の外南洋部隊増援部隊は全力でガ島輸送作戦を実施する[51]。11月1日、三水戦司令官は重巡「衣笠」に将旗を掲げた[52]。ガ島を視察予定の陸軍部作戦課長以下4名は「夕立」に乗艦した[52]。同日夜、甲増援隊(朝雲《四水戦旗艦》、軽巡《天龍》、駆逐艦《村雨、春雨、夕立、時雨、白露、有明、夕暮、暁、雷》)、第一攻撃隊(巡洋艦《衣笠、川内》、駆逐艦《天霧、初雪》)、乙増援隊(満潮、浦波、敷波、綾波望月)は順次ショートランド泊地を出撃する[52]。「白雪」が艦底を触接して多少の浸水被害を受けたほか、揚陸地点の悪天候により艦載艇を多数喪失、物資の一部を揚陸できなかった[52]

11月4日、増援部隊指揮官(三水戦司令官)は戦力を再編[53]。将旗を「衣笠」から駆逐艦「浦波」に移し、「天龍」を加えた乙増援隊を直率する[53]。同日深夜、甲増援隊(朝雲《旗艦》、村雨、春雨、夕立、時雨、白露、有明、夕暮、朝潮満潮)、乙増援隊(浦波《三水戦司令官旗艦》、敷波、綾波、白雪、望月、天龍)はショートランド泊地を出撃、5日夜揚陸に成功し各艦ともに損害はなかった[53]。ショートランド泊地帰投後、三水戦司令官は「川内」に移動し、外南洋部隊増援部隊指揮官の職務を第二水雷戦隊司令官田中頼三少将に引き継いだ[53]。6日夕刻、「川内」以下第三水雷戦隊各艦はトラック泊地へ向かった[53]

11月7日、高間(四水戦司令官)少将は旗艦を駆逐艦「朝雲」から軽巡「天龍」へ変更[54]。第9駆逐隊司令(旗艦「朝雲」)指揮下の乙増援隊(警戒隊《朝雲、望月》、輸送隊《村雨、夕立、時雨、白露、夕暮、朝潮、満潮》)は同日深夜ショートランド泊地を出撃[54]。8日夜半に揚陸成功、被害は「望月」に米軍魚雷艇が発射した魚雷1本が命中(不発)のみである[54]。9日午前5時50分、「夕立」は米潜水艦の雷撃を回避し、「白露」と共同して潜水艦撃沈を報告したが[55]、米軍に対応する記録はない[54]。各艦は無事にショートランド泊地帰着、同地にて「夕立」は「五月雨」から魚雷と爆雷の補給を受ける[56]。 11月9日、前進部隊指揮官(第二艦隊長官)は第四水雷戦隊に対し原隊への復帰と、飛行場砲撃を行う第十一戦隊の警戒隊として同戦隊の指揮下に入るよう命じた[54]。四水戦旗艦は「天龍」から「朝雲」に戻った[54]

第三次ソロモン海戦[編集]

11月11日、第四水雷戦隊(司令官高間完少将:旗艦「朝雲」)指揮下の「夕立」以下第2駆逐隊はショートランド泊地を出撃、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を任務とする挺身艦隊(司令官阿部弘毅少将/兼第十一戦隊司令官)と合流し、ガダルカナル島へ向かった[57]。挺身艦隊の戦力と任務は以下の通り[58][59]。射撃計画そのものは、10月13日の第三戦隊(金剛、榛名)によるヘンダーソン基地艦砲射撃とほぼ同一だった[59]

挺身艦隊指揮官:阿部弘毅中将(第十一戦隊司令官)

  • 第11戦隊(戦艦:比叡霧島) 「ガ」島飛行場並ニ軍事施設砲撃破壊
  • 第10戦隊(旗艦:長良) 第11戦隊直衛、敵軽快艦艇撃攘 
  • 第4水雷戦隊(旗艦:朝雲) 前路警戒ルンガ泊地掃蕩 

「夕立」以下第四水雷戦隊に与えられた任務は、『4sd(朝雲、2dg)は11sの前程10粁乃至15粁を先行、「サボ」島より「タサファロング」沖に機宜散開、「ツラギ」沖に向け前路掃蕩、11s射撃終了後後方10粁に占位す』という内容であった[60]。前進部隊と挺身攻撃隊はトラックを出撃してガ島へ向け南下、第四水雷戦隊はショートランド泊地を出撃後、12日13時30分に挺身攻撃隊に合流した[61]。 同日夕刻、激しいスコールに遭遇した挺身艦隊は幾度も反転、僚艦の位置がわからないほど混乱する[62]。挺身艦隊司令部の判断について、海戦に参加した駆逐艦「」は戦闘詳報で『昼間飛行機の偵察並に三井参謀の報告に依り「ガ」島方面に相当有力なる敵水上兵力の存するは当然予期せらるる所なりしも、稍事の前の計画に捉はれ対陸上砲撃時の警戒航行序列の如き非戦闘隊形にて敵中深く突入せるは爾後の戦闘を混戦に導きし最大原因なり(後略)』と評している[63]。挺身艦隊主力に先行してガ島ルンガ泊地に侵入し米軍を掃討する筈だった掃蕩隊も陣形変更とスコールの中で混乱し、護衛対象の「比叡、霧島」至近を航行することになったが、第十一戦隊司令部はその事に気付いていなかった[64][65]。掃蕩隊はさらに第四水雷戦隊旗艦「朝雲」・第2駆逐隊第1小隊(村雨、五月雨)の3隻と、第2小隊(夕立、春雨)の2隻に分離し、互いの位置不明のままルンガ泊地に突入していった[66]。当時の月はすでに没し、天候晴れ、東の風4.5mだったという[67]

一方、米軍は重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、防空巡洋艦2隻、駆逐艦8隻で挺身艦隊を待ち受けていた[68]。駆逐艦「カッシン」-「ラフェイ」-「ステレット」-「オバノン」-巡洋艦「アトランタ(スコット少将座乗)」-「サンフランシスコ(キャラハン少将座乗)」-「ポートランド」-「ヘレナ」-「ジュノー」-駆逐艦「アーロン・ワード」 -「バートン」-「モンセン」-「フレッチャー」という単縦陣で航行する米艦隊[69]は、23時24分に「ヘレナ」がレーダーで挺身艦隊を探知、丁字戦法で挺身艦隊を撃破すべく運動を開始した[70]。続いて23時41分に先頭艦「カッシン」が前方2700mに「夕立、春雨」を探知[71]。「夕立」は『当時敵ハ全然我ニ気付キタル模様ナク主砲ハ勿論機銃スラ発砲スルモノナカリキ』[72]と評しているが、実際の米艦隊はレーダーで襲撃準備を整えていた。しかし「カッシン」は魚雷発射のために取舵に変針したところ後続艦に意図が伝わらず、米艦隊は大混乱に陥った[73]。米艦隊の前衛駆逐艦群は団子状になり、一方の日本軍挺身艦隊も先行して航行していた「夕立、春雨」以外は団子状となっており、日米双方の指揮官が事態を把握できぬまま米艦隊が日本艦隊の中央に突入する格好となった[74]

こうして第三次ソロモン海戦第一夜戦はチェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官が著書『ニミッツの太平洋海戦史』の中で「次いで30分間にわたる乱戦が繰り広げられた。その混乱の激しさは海戦史上その類例を見ないものである。すべての陣列は乱れ、そして戦闘は、敵味方ともにどきどき同士討ちをおかすという、各艦単独の一連の決闘と化した。激闘のすえ両軍部隊がこの真夜中の戦闘からかろうじて離脱したときには、日米双方ともむちゃくちゃに傷ついていた」と表現される乱戦となる[75]。ある米軍司令官は停電した後の酒場の大騒ぎと評したという[76]。例えば「五月雨」は旗艦「比叡」を機銃で誤射している[77]。また旗艦「サンフランシスコ」は「アトランタ」を誤射し、慌てたキャラハン少将は『味方の船を砲撃するのはやめろ』と自艦に指示するも、戦闘中の米艦隊全艦に誤って伝達されて大混乱を招いた[78]

混乱する状況下で「夕立」は敵発見を報告[79][67]。続いて「比叡」の照射攻撃に米艦隊の注意が集まる間に距離を詰め、魚雷発射態勢に入った[80]。魚雷発射後、「夕立」は右に転舵したため、左に転舵した「春雨」を見失い、単艦で米艦隊へ突入していった[81][82]。「夕立」は8月以降鼠輸送のため幾度もガダルカナル島ルンガ泊地に侵入しており、同地での行動に自信があったとみられる[83]。一方「春雨」は混戦の中で「夕立」を見失い、敵艦と交戦しつつ北上した[84]。当時の「村雨」水雷長は『夕立の行動は常識外(非論理的)だったために戦果をあげ、常識的に行動した春雨は先頭艦(夕立)と戦果を失った。真似できるものではなく、下手に真似れば大失敗となる』と回想している[85]

米艦隊の中央を突破して敵を混乱に陥れ大きな戦果を挙げた「夕立」だが、00時26分前後に右前方から探照灯で照射され、続いて右舷と左舷の両方から砲撃を受け被弾する[86]戦闘詳報戦史叢書)や夕立乗組員の回想では日本軍艦艇の可能性を指摘している[84]。これに対して、米軍側の資料では米艦が「夕立」を撃破したとする(後述)。砲撃を受けた「夕立」は味方識別を行ったが射撃はやまず、この「敵艦」に砲戦を企図したところに直撃弾複数を受け大破、吉川艦長以下幹部将校も負傷[87]、サボ島165度9浬の地点で航行不能となった[84]。 戦艦「霧島」や第十戦隊と共に避退中の四水戦旗艦「朝雲」は「夕立」に救援に向かい、炎上する同艦を発見[88][89]。「朝雲(四水戦司令官)」は「夕立」の復旧は困難と判断し、艦を放棄して乗組員はガダルカナル島(エスペランス岬まで距離5km)へ向かうよう命じると、カッターボート2隻を残して離れていった[90][89]。だが吉川潔駆逐艦長以下乗組員は「夕立」を救おうと努力した。朝雲のカッターボートを用いて舷側の破孔を修理したり、帆布ハンモックをマストや煙突に張り巡らしての帆走を試みた[91]

11月13日1時15分、第2駆逐隊の姉妹艦「五月雨」は「夕立」救援を命じられて捜索を開始、1時55分前後に「夕立」を発見して接近する[92][89]。「五月雨」から見た「夕立」は艦首を喪失し、火災が艦尾に広がりつつあったという[93]。2時26分、退去決定[94]。横付けして「夕立」乗組員を移乗させた「五月雨」は、「夕立」雷撃処分のため2時44分に魚雷2本を発射、だが魚雷は艦底を通過し、2時53分に再度魚雷1本を発射すると砲撃処分を開始する[95]。戦闘詳報の報告とは裏腹に魚雷は命中していなかったが、「夕立」は傾斜を増した[96]。このあと「五月雨」は米軍重巡洋艦(ポートランド)に補足された上に、日の出と共に米軍機の襲撃も予想された為、「夕立」の沈没を確認しないまま戦域を離脱した[97]。「五月雨」駆逐艦長に「まことにすまないが、もう一度引き返して魚雷を撃って貰えないか」と頼む吉川艦長の姿も目撃された[98]。結局、放棄された「夕立」は重巡洋艦「ポートランド」 (USS Portland, CA-33)の砲撃により、六斉射目に起きた艦後部の爆発によってアイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)に沈没した[99]。日本海軍も『敵味方不明駆逐艦四アル中一隻ハ味方駆逐艦ニシテ敵米甲巡ニヨリ撃沈セリ』と、「夕立」の沈没を確認している[100]。 艦長准士官以上13名、下士官兵192名が「五月雨」に移乗して生還[101]。午後3時、ショートランド泊地に到着し、「白鷹」に夕立負傷者を移乗させる[102]。吉川艦長以下健在の夕立乗組員は「五月雨」に便乗したまま第三次ソロモン海戦第二夜戦に参加、米新鋭戦艦「ワシントンサウスダコタ」と交戦することになった。

12月15日、第三次ソロモン海戦で沈没した重巡洋艦「衣笠」、駆逐艦「暁、綾波」と共に「夕立」の除籍が決定。 帝国駆逐艦籍[103]、 第2駆逐隊[104]、 白露型駆逐艦[105] のそれぞれから削除された。

戦果と現状[編集]

11月12-13日第三次ソロモン海戦第一夜戦における挺身艦隊の戦果報告は、重巡洋艦5隻撃沈(内3隻轟沈)、重巡2隻大破、防空巡洋艦2隻撃沈(内1隻轟沈)、駆逐艦3隻大破、同級3隻中破、魚雷艇1隻大破であった[106][107]。日本側人員の損害は戦死297名、行方不明255名と報告されている[107]。実際の米艦隊の損害は、巡洋艦「アトランタ、ジュノー」と駆逐艦「カッシン、ラフェイ、バートン、モンセン」が沈没、巡洋艦「サンフランシスコ、ポートランド、ヘレナ」と駆逐艦「ステレット、オバノン、アーロンワード」が損害を受けた[108]。対する日本艦隊は、戦艦「比叡」と駆逐艦「夕立、暁」が沈没、巡洋艦「長良」と駆逐艦「天津風、雪風、村雨、時雨、白露、夕暮、雷」が大小の被害を受けるという結果であった[109]。第四水雷戦隊は「夕立」の行動について以下の様に賞賛した[110]

即チ緒戦ニ於テヨク駆逐艦ノ本領ヲ発揮シテ肉薄強襲、敵ニ一大痛棒ヲ興フルト共ニ尓後亦最モ勇敢ニ敵中ニ奮戦シ全軍ノ戦局ヲ有利ナラシム[111]

夕立ハ緒戦ニ於テ大膽沈着能ク大敵ノ側腹ニ肉迫強襲シ夜戦部隊ノ眞面目ヲ発揮シテ大ナル戦果ヲ収ムルト共ニ、全軍ノ戦果ニ至大ノ影響ヲ興ヘテ先ヅ敵ヲ大混乱ニ陥レ、且ツ爾ノ後最モ勇敢ニ戦機ヲ看破シテ混乱ニ陥レル敵中ヲ縦横無盡ニ奮戦セルハ当夜ノ大勝ノ端緒ヲ作為セルモノト云フベク駆逐艦長以下乗員ガ数次ノ戦闘ニ練磨セル精神力術力ヲ遺憾ナク発揮セリ 其ノ功績ハ抜群ナルモノト認ム[112][107]

なお「夕立」以外にも、「朝雲」は00時25分に駆逐艦1隻を撃沈、「村雨」は00時4分に巡洋艦1隻撃沈、「春雨」は00時15分に巡洋艦1隻撃沈を報告した[113]。「電」は魚雷6本を発射し巡洋艦1隻撃沈を報告[114]。「天津風」は魚雷16本を発射して巡洋艦1隻・輸送船1隻撃沈、巡洋艦1隻・魚雷艇1隻大破確実を報告[115]。各艦の報告を総合し、第11戦隊司令部は以下の戦果を報告した。大巡(大型巡洋艦)5隻撃沈(比叡・霧島・夕立・電・雷により1隻、天津風により1隻、村雨により1隻、長良・天津風により1隻、天津風及び比叡翌朝砲撃により1隻)、大巡2隻大破(霧島・電により1隻《ポートランド型「ツラギ」に坐礁》、比叡(霧島)・夕立により1隻)、防空巡洋艦2隻撃沈(夕立により1隻、長良・雪風・春雨により1隻)、駆逐艦3隻撃沈(照月により1隻、長良・雪風により1隻、朝雲により1隻)、駆逐艦3隻大破(夕立により1隻、照月により2隻《何レモ大破後沈没の算大ナリ》)、駆逐艦3隻中破(夕立により1隻、照月により2隻《翌日遁走セル1隻ヲ除キ沈没ノ算大ナリ》)、魚雷艇1隻大破(天津風による)[116]。実際の米軍被害(巡洋艦2隻沈没、駆逐艦4隻沈没、巡洋艦3隻損傷、駆逐艦3隻損傷)と大きく食い違っている[107]。これは日米両軍の将校兵士達にとって「何が起きているかわからない」大混戦の中での誤認戦果報告であった[117]

一方で、「夕立」は「ポートランド」に対して攻撃した後に、米艦隊の「ヘレナ」と「アーロンウォード」の後方を横切った直後に米艦隊のいずれかの艦からの攻撃を受けて大破し、「夕立」は交戦できる状態ではなかったとしている資料も存在する。イヴァン・ミュージカントによれば、「夕立」のポートランド攻撃後の戦闘経過は次のとおりであるとしている。

一方、「夕立」もその戦果をゆっくり味わっているほど生きながらえなかった。操舵装置を撃ちぬかれて、暗闇のなかにぼうっと姿を浮かび上がらせていた「夕立」に、「ステレット」が600ヤードという考えられないような距離まで近づいて、魚雷二発と五インチ砲の一斉射撃をあびせて壊滅させたのである。[118]

巡洋艦の四番目と五番目にいた「ヘレナ」と「ジュノー」は、阿部艦隊が発砲してパッと光った瞬間に発砲した。そして、「ジュノー」は「夕立」を燃え上がらせた。[119]

また、ジェイムズ・ホーンフィッシャーによれば、駆逐艦「アーロンウォード」乗組員の証言として、「アーロンウォード」が「比叡」を発見する数分前の出来事として『アーロンウォードは顔見知りのように恐らく夕立である敵駆逐艦の脇を通過し、獰猛さでは米艦が打ち勝ち、短いやりとりのあと、水中で死んだ夕立が取り残された。』[120]と「夕立」を撃破した旨が記されている。

1992年(平成4年)夏、ドイツ戦艦「ビスマルク」や客船「タイタニック」の海底探査と発見で知られる海洋考古学者ロバート・バラード英語版により、ガダルカナル島アイアンボトム・サウンドの海底探査が行われた。サヴォ島附近で発見された「夕立」は海底に対し水平に着底しており、艦後部はひどく破損していた[121]。艦首先端はちぎれかけて横倒しとなっており、艦橋はやや左に傾き天蓋を失ってむき出しになっているが、伝声管などの諸設備は残っている[122]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』305-306頁による。

艤装員長[編集]

  1. 中原義一郎 少佐:1936年7月15日 - 1936年11月1日

艦長[編集]

  1. 中原義一郎 少佐:1936年11月1日 - 12月1日[123]
  2. 沢村成二 少佐:1936年12月1日[123] -
  3. 由川周吉 少佐:1937年12月1日 -
  4. 岡三知夫 少佐:1938年8月1日 -
  5. 有本輝美智 少佐:1939年11月15日 -
  6. 石井汞 少佐:1941年4月10日 -
  7. 吉川潔 中佐:1942年5月25日 - 12月20日

脚注[編集]

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  1. ^ #艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』
  2. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.93『神風型〔三等驅逐艦〕』
  3. ^ #日本海軍艦艇写真集17駆逐艦45頁
  4. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『夕立|(艦性能略)|佐世保工廠|9-10-16|11-6-21|〃|(武装略)』
  5. ^ #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『村雨|(艦性能略)|藤永田造船所|9-2-1|10-6-20|12-1-7|(武装略)』
  6. ^ a b #日本海軍艦艇写真集17駆逐艦49頁
  7. ^ #戦争の素顔42頁
  8. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)97頁『機動部隊(3F)の進出』
  9. ^ #戦隊行動調書p.7『七.一四 南方部隊B作戦部隊。七.二八~八.二 2dg 15dg 7S指揮ス』
  10. ^ #S1707七戦隊日誌(1)p.7『七月十七日0800第七戦隊(最上欠)、第十五駆逐隊、第二駆逐隊、旭東丸、日本丸ヲ率ヰB作戦部隊集合地ニ向ケ桂島泊地出撃』
  11. ^ #S1707七戦隊日誌(2)p.16『四.参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動』
  12. ^ #S1707七戦隊日誌(2)pp.3-4『27日2235第七戦隊司令官→第七戦隊・第二・第十五駆逐隊(鬼怒川内日本丸)/(略)二.夕立ハ明28日同地発日本丸ヲ護衛シ「メルギー」ニ回航スベシ(略)』
  13. ^ #S1707七戦隊日誌(2)p.22『31日1320 日本丸、夕立「メルギー」泊地着』
  14. ^ #S1707七戦隊日誌(3)p.34『8月8日聯合艦隊電令作第198号ニ依リB作戦部隊ノ編制ヲ解カレ1940 7S(最上欠)15dg2dg3sd旭東丸日本丸ヲ率ヰ「ダバオ」ニ向ケ「メルギー」発(3sd旭東丸日本丸ハ3sd司令官引率別行動)』
  15. ^ #S1707七戦隊日誌(4)p.13『9日2040夕立艦長→第七戦隊/夕立行動予定「スラバヤ」13日1000着 同日1800発「クーパン」 15日1000着 山陽丸ト合同』
  16. ^ #S1707七戦隊日誌(4)p.17『11日0920第七戦隊司令官→第二駆逐隊/夕立ハ列ヲ解キ「バリックバパン」ニ先行(使用速力概ネ21節)補給ノ上同地ニ於テ山陽丸ト合同 同船ヲ「トラック」ヘ護衛シタル後第二艦隊ニ合同スベシ』
  17. ^ #S1707七戦隊日誌(3)p.34『21日「トラック」着ノ予定ナリシ処機動部隊行動予定変更ニ伴ヒ當隊(7S)ハ同地回航ヲ取止メ20日2230 2dg、15dgヲ分離シタル後、22日0150第三艦隊ニ合同ス』
  18. ^ #S1707七戦隊日誌(3)p.36『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動|20日2230 第二駆逐隊(村雨夕立春雨五月雨)・第十五駆逐隊(親潮黒潮早潮)、指揮下ヲ離ル』
  19. ^ a b c d e #戦史叢書83ガ島戦45-46頁『水上機母艦のショートランド集中』
  20. ^ #戦史叢書83ガ島戦30頁
  21. ^ #戦史叢書83ガ島戦33頁
  22. ^ #戦史叢書83ガ島戦56頁『川口支隊の舟艇機動』
  23. ^ #戦史叢書83ガ島戦54頁
  24. ^ #夕立カ号作戦p.14『五.戦果|砲撃シタル敵種別及機數 敷設巡洋艦一|砲戦回数一|使用弾薬 主砲一五〇|敵ニ与ヘタル損害 撃沈一/駆逐艦一|機銃三〇|撃沈一/飛行場|一|八七|其ノ他 一箇所大火災/航空機四〇以上|十数回|主砲二〇〇以上機銃二〇〇以上|不明』
  25. ^ a b #戦争の素顔44-45頁
  26. ^ #歴史群像vol.19陽炎型駆逐艦pp.146-147
  27. ^ #戦史叢書83ガ島戦69-70頁『ガ島海域の状況』
  28. ^ #戦藻録(1968)184頁
  29. ^ #戦史叢書83ガ島戦55-56頁
  30. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦92頁
  31. ^ #戦史叢書83ガ島戦102頁
  32. ^ #S1709第八艦隊日誌(2)p.15『第二十四駆(涼風缺)浦波叢雲夕立|九月十三日2100ヨリ2200|「ルンガ」岬ヲ砲撃敵艦船ヲ認メズ』
  33. ^ #戦史叢書83ガ島戦104頁
  34. ^ #戦史叢書83ガ島戦138頁(戦闘詳報では初風と記載されている)
  35. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦141頁
  36. ^ #戦史叢書83ガ島戦142頁
  37. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦143頁
  38. ^ a b c d #戦史叢書83ガ島戦181頁
  39. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦183頁
  40. ^ #戦史叢書83ガ島戦215頁
  41. ^ #戦史叢書83ガ島戦218頁
  42. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.43『輸送船(崎戸九州笹子佐渡南海及吾妻山丸)|10-15|14日「タサファロング」ニ入泊セル船団ハ15日0335以後ヨリ連続的敵機ノ爆撃ヲ受ケ0945吾妻山丸火災續イテ笹子山丸1120九州丸火災擱坐、1530残存船団帰途ニ就ク』
  43. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)450頁
  44. ^ #戦史叢書83ガ島戦219頁
  45. ^ #戦史叢書83ガ島戦223頁
  46. ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦224-225頁
  47. ^ #戦史叢書83ガ島戦258頁
  48. ^ #S1709八艦隊日誌(2)pp.43-44『外南洋部隊|10-24 10-25|RXN陸軍総攻撃ハ22日ト決定サレタルモ陸軍進出ノ関係上順次繰下ゲラレ24日ト決定セリ、海軍ハ右作戦ニ策応スル為出撃セリ。飛行場占領ノ報ニ接シ各隊予定ノ如ク進撃中右ハ誤報ナル事判明進出ヲ中止ス。但シ突撃隊(6dg駆2欠、白露)ハ予定ノ通「ルンガ」ニ突入ニ決ス、敵巡「ルンガ」ニ在ルノ報ニ接シ第2攻撃隊4Sd(9dg、27dg欠)ヲ増派ス。突撃隊ハ特巡1、小型輸送船2撃沈、駆逐艦ハ遁走ス。第2攻撃隊ハ連続敵機ノ爆撃ノ為由良ヲ失ヒ秋月亦被害アリ、依ッテ損傷艦ハRXEニ帰投スベキ命ジ其ノ他ハ作戦ヲ続行ス。陸軍部隊ハ飛行場奪取ニ成功セズ』
  49. ^ a b c d #戦史叢書83ガ島戦260-262頁『「由良」の沈没』
  50. ^ #須藤,五月雨129頁
  51. ^ #戦史叢書83ガ島戦344頁
  52. ^ a b c d #戦史叢書83ガ島戦346-347頁『輸送の実施』
  53. ^ a b c d e #戦史叢書83ガ島戦348-349頁
  54. ^ a b c d e f #戦史叢書83ガ島戦351-352頁『八日の輸送』
  55. ^ #2水雷詳報(4)S1711p.9『11月9日0550地点「ケネマ35」ニ於テ夕立ハ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケタルヲ以テ白露ト共同爆雷攻撃ヲ加ヘ確実ニ之ヲ撃沈(気泡油多量湧出)セリ夕立被害ナシ』
  56. ^ #須藤,五月雨135頁
  57. ^ #須藤,五月雨136頁
  58. ^ #11戦隊詳報(5)pp.3-4『(イ)軍隊区分.各隊ノ主要任務』
  59. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦357頁
  60. ^ #11戦隊詳報(5)p.6『(ロ)各部隊ノ行動(二)』
  61. ^ #戦史叢書83ガ島戦359頁
  62. ^ #11戦隊詳報(5)pp.7-8
  63. ^ #S1707電詳報其壱(1)p.33『七.所見(一)(イ)』
  64. ^ #11戦隊詳報(5)p.10『掃蕩隊ハ再度ニ亘ル反転ノ際11sニ甚シク近接セルコト後刻判明ス』
  65. ^ #戦史叢書83ガ島戦360頁
  66. ^ #夕立第三次ソロモン海戦p.5『此ノ間朝雲及2駆1小隊ヲ見失ヒタルヲ以テ先行、予定ノ警戒位置ニ右予定航路上ヲ航ス』
  67. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦365頁
  68. ^ #図説太平洋海戦史第2巻237頁
  69. ^ #Battle of Guadalcanal)p.19 図 Stand by to open fireより
  70. ^ #悲劇の海に眠る艦船128頁
  71. ^ #図説太平洋海戦史第2巻239頁
  72. ^ #夕立第三次ソロモン海戦p.19『七.参考(イ)戦訓(一)駆逐艦ノ夜間襲撃ハ好機ニ乗ジ隠密肉薄発射ヲ最良トス-「左警戒右見張レ」』
  73. ^ #図説太平洋海戦史第2巻240頁
  74. ^ #悲劇の海に眠る艦船30頁
  75. ^ #ニミッツの太平洋海戦史137頁
  76. ^ #悲劇の海に眠る艦船138頁
  77. ^ #須藤,五月雨139頁
  78. ^ #悲劇の海に眠る艦船136頁
  79. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.28『2242/夕立「ルンガ」ニ敵発見之ヲ報ズ。次イデ比叡春雨ヨリ敵情報通報アリ』
  80. ^ #夕立第三次ソロモン海戦p.19『比叡ハ照射砲撃ヲ開始シ敵ノ警戒一時ニ比叡ニ集中セラルニ乗ジ…』
  81. ^ #夕立第三次ソロモン海戦p.6『(魚雷)発射前後春雨ト分離 爾後夕立ハ敵ノ混乱裡ニ其ノ中央ヲ突破…』
  82. ^ #海軍人間語録170頁
  83. ^ #S1710四水戦詳報(4)p.38『(3)駆艦長ガ現地ノ地理ニ通暁シ居リシ為不安ナク縦横自在ノ行動ニ出手勇戦敢闘独断専行機宜ニ適セルニ依リ12日夜ノ大戦果ヲ挙ゲ得タルコト』
  84. ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦366頁
  85. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)457頁
  86. ^ #完本太平洋戦争上290頁
  87. ^ #完本太平洋戦争上291頁
  88. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.15『(五)戦場離脱(夕立ノ処分)』
  89. ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦371頁
  90. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.16『被害大ニシテ戦場離脱不能ト認メラレタルヲ以テ0017乗員ノ救難用トシテ朝雲ノ「カッター」2隻ヲ送リ乗員ハ機宜陸上ニ避難スベキヲ命ズ』
  91. ^ #完本太平洋戦争上292頁
  92. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.16『0155現場着』
  93. ^ #須藤,五月雨141頁
  94. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.31『0226/夕立総員退去ニ決ス』
  95. ^ #須藤,五月雨141頁
  96. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.16『0253砲雷撃(魚雷1本命中)ニ依リ夕立右傾斜沈下ス』
  97. ^ #S1710四水戦詳報(2)p.16『夕立ハ沈没確実ト認メ西方ニ避退ス』
  98. ^ #須藤,五月雨143頁
  99. ^ #悲劇の海に眠る艦船142頁
  100. ^ #南方部隊作戦史料(第3次ソロモン海戦)p.2『機密第130400番電』
  101. ^ #S1710四水戦詳報(3)p.19『12日0545五月雨→各隊/「サボ島」ノ165度9浬ニテ航行不能トナリタル夕立ノ乗員艦長以下准士官以上13名下士官兵192名を収容、同艦ヲ雷撃ノ上「ショートランド」ニ向ケ0300発』
  102. ^ #須藤,五月雨144頁
  103. ^ #内令昭和17年12月(3)pp.1-2『内令第二千二百八十八號 呉鎮守府在籍 軍艦 衣笠 右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 暁、驅逐艦 夕立|呉鎮守府在籍 驅逐艦 綾波|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第二十二潜水艦|呉鎮守府在籍 伊號第百七十二號潜水艦 右帝国潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  104. ^ #内令昭和17年12月(3)pp.2-3『内令第二千二百九十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「夕立、」ヲ削ル|第六驅逐隊ノ項中「、暁」ヲ削ル|第十九驅逐隊ノ項中「、綾波」ヲ削ル』
  105. ^ #内令昭和17年12月(3)p.19『内令第2317号 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十七年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦一等青葉型ノ項中「、衣笠」ヲ削ル 驅逐艦、一等白雪型ノ項中「、綾波」、「、暁」ヲ、同白露型ノ項中「、夕立」ヲ削ル(以下略)』
  106. ^ #図説太平洋海戦史第2巻238頁
  107. ^ a b c d #戦史叢書83ガ島戦375-376頁『戦果被害』
  108. ^ #図説太平洋海戦史第2巻242頁
  109. ^ #11戦隊詳報(5)p.56
  110. ^ #太平洋戦争の提督たち170頁
  111. ^ #S1710四水戦詳報(2)pp.11-12『三.経過(イ)作戦経過ノ概要(二)夕立ノ奮戦トソノ大戦果』
  112. ^ #S1710四水戦詳報(4)p.37-38『六.功績(ロ)』
  113. ^ #S1710四水戦詳報(2)pp.14-15、#S1710四水戦詳報(4)pp.33-34
  114. ^ #11戦隊詳報(5)p.21『13日0200電→各隊/今夜戦闘ニ於テ大巡ニ魚雷3本命中轟沈其ノ他戦果不明』
  115. ^ #11戦隊詳報(5)pp.52-53『17日0910第16dg司令→各隊/天津風戦闘概報 二.戦果 巡洋艦一隻輸送船一隻轟沈、巡洋艦一隻魚雷艇一隻大破何レモ確実』
  116. ^ #11戦隊詳報(5)pp.54-55『五.戦果 挺身攻撃隊総合戦果』
  117. ^ #11戦隊詳報(5)p.13『一方比叡ノ照射開始始ト同時ニ10S、4sdハ各所ニ敵ト交戦、猛烈ナル格闘戦ヲ演ジ随所ニ大戦果ヲ挙ゲツツアルモ全ク混戦状況ヲ呈シ当時其ノ状況ハ不明ナリ』
  118. ^ #ワシントン p.143
  119. ^ #ワシントン p.144
  120. ^ #Neptune's Inferno p.294 原文:the Aaron Ward made the passing acquaintance of an enemy destroyer, probably the Yudachi. The American ship got the better of the fierce, brief exchange, leaving the Yudachi dead in the water.
  121. ^ #悲劇の海に眠る艦船150頁
  122. ^ #悲劇の海に眠る艦船158頁
  123. ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13071974300 『昭和12年12月1日現在10版内令提要追録第3号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C08051772000 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C08030054100 『昭和17年8月1日~昭和17年11月30日 第16戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030767200 『昭和17年7月1日~昭和17年10月5日 第7戦隊戦時日誌(1)』。
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    • Ref.C08030767400 『昭和17年7月1日~昭和17年10月5日 第7戦隊戦時日誌(3)』。
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    • Ref.C08030767600 『昭和17年7月1日~昭和17年10月5日 第7戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030772700 『自.昭和17年8月30日~至.昭和17年9月27日 駆逐艦夕立戦闘詳報「カ号作戦」』。
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    • Ref.C08030752300 『昭和17年7月6日~昭和17年12月3日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その1(1)』。
    • Ref.C08030099100 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
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    • Ref.C08030113800 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030113900 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030114000 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030115400 『昭和17年10月31日~昭和17年11月18日 第4水雷戦隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030115500 『昭和17年10月31日~昭和17年11月18日 第4水雷戦隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030115600 『昭和17年10月31日~昭和17年11月18日 第4水雷戦隊戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030115700 『昭和17年10月31日~昭和17年11月18日 第4水雷戦隊戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030051800 『昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030051900 『昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C13120088500 『4.第3次ソロモン海戦 南方部隊作戦史料 昭和17年(防衛省防衛研究所)』。
    • Ref.C12070166900 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年12月(3)』。
  • S. P. Jenkins (1942-11). U.S.S. ATLANTA A16-5 - Advanced Naval Activities - Cactus-Ringbolt Area. 
  • Colin G. Jameson (1944). Battle of Guadalcanal 11-15 November 1942. Office of Naval Intelligence. 
  • チェスター・ニミッツ/E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳 『ニミッツの太平洋海戦史』 恒文社、1962年12月。
  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』 朝雲新聞社、1975年8月。
  • 吉田俊雄 「17章勇気 吉川潔中佐の「砲撃はじめ。ドンドン撃て」」『海軍人間語録 現代に生きる海軍式言行録』 光人社、1985年6月。ISBN 4-7698-0271-4
  • 須藤幸助 『駆逐艦五月雨』 朝日ソノラマ、1988年1月。ISBN 4-257-17097-2
  • イヴァン・ミュージカント著、中村定訳 『戦艦ワシントン 米主力戦艦から見た太平洋戦争』 光人社、1988年
  • 文藝春秋編 「椛島千蔵(当時夕立砲術長)「駆逐艦・夕立奮戦す -第三次ソロモン海戦」」『完本・太平洋戦争(上)』 文藝春秋、1991年12月。ISBN 4-16-345920-0
  • ロバート・D・バラード著、川中覺監訳 『ガダルカナル 悲劇の海に眠る艦船同朋舎出版、1994年1月。ISBN 4-8104-1720-4
  • 外山三郎 『図説 太平洋海戦史 第2巻 写真と図説で見る日米戦争光人社、1995年7月。ISBN 4-7698-0710-4
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「戦術の極意」<駆逐艦「」艦長・石塚栄少佐の証言>(太平洋戦争時、村雨水雷長、北上水雷長、矢矧水雷長、槇艦長等)
  • 雑誌「丸」編集部 『ハンディ判日本海軍艦艇写真集 17 駆逐艦 春雨型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』 光人社、1997年10月。ISBN 4-7698-0818-6
  • 石渡幸二 「不滅の駆逐艦長吉川潔」『太平洋戦争の提督たち』 中央公論社、1997年12月。ISBN 4-12-203014-5
  • 学習研究社 『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.19 水雷戦隊Ⅱ 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡学習研究社、1998年8月。ISBN 4-05-601918-5
  • 佐藤和正 「吉川潔の場合 <卓抜な戦術を編み出した名艦長>」『戦争の素顔 一兵卒から提督まで』 光人社、2000年5月。ISBN 4-7698-0958-1
  • 中村悌次 『生涯海軍士官 戦後日本と海上自衛隊』 中央公論社、2009年ISBN 978-4-12-004006-1 夕立水雷長。
  • James D. Hornfischer (2012). Neptune's Inferno: The U.S. Navy at Guadalcanal. Bantam. ISBN 0553385127. 

関連項目[編集]