八重山 (敷設艦)

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八重山
新造公試中の「八重山」(1932年7月13日、岩国沖)[1]
新造公試中の「八重山」(1932年7月13日、岩国沖)[1]
基本情報
建造所 呉海軍工廠[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 敷設艦[3]
母港 佐世保(最終時)[4]
艦歴
計画 昭和2年度[5](1927年)
発注 1928年5月3日製造訓令[6]
起工 1930年8月2日[7][8]
進水 1931年10月15日[7][9]
竣工 1932年8月31日[7]
最後 1944年9月24日戦没
除籍 1944年11月10日[4]
要目(計画)
基準排水量 1,135英トン[10]
公試排水量 計画 1,380.00トン[10]
竣工時 1,380.46トン[11]
満載排水量 1,512.00トン[10]
全長 93.50m[10]
水線長 89.00m[10]
垂線間長 85.50m[10]
最大幅 10.65m[10]
水線幅 公表値 10.58m[7]
深さ 6.00m[10]
吃水 公試計画:2.84m[10]、竣工時:2.835m[11]
公表値:2.46m[7]
満載計画:3.04m[10]
ボイラー ロ号艦本式缶(混焼) 2基[12]
主機 直立3段4筒レシプロ 2基[13]
推進 2軸 x 350rpm[13]
推進器直径2.100m[13]、ピッチ2.200m[14]
出力 計画 4,800馬力[10]
竣工時 5,090馬力[15]
速力 計画 20ノット[10]
竣工時 20.308ノット[11]
燃料 計画:石炭 255.00トン、重油 80.00トン[10]
1937年:石炭 278.62トン、重油 163.85トン[16]
航続距離 3,000カイリ / 14ノット[10]
乗員 竣工時定員 172名[17][注釈 1]
兵装 45口径12cm単装高角砲 2門[18]
毘式12mm単装機銃 2挺[19][20]
爆雷投下台:水圧式2基、手動式2基[21]
爆雷18個[21]
六号機雷 185個[21]
二号防雷具1式[21]
搭載艇 7.5m内火艇1隻、7mカッター2隻、6m通船1隻[22]
または5隻[7]
ソナー O.V.水中聴音機[23]
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八重山(やへやま/やえやま)は[2]日本海軍の小型敷設艦[24][25]。日本海軍が電気熔接を全面的に取り入れた最初の軍艦である[26][27]

概要[編集]

軍艦八重山」は1932年(昭和7年)8月末に竣工した日本海軍の敷設艦機雷敷設艦[28][7]。日本海軍最初の全電気溶接艦である[29]。 艦名は沖縄県八重山列島南西諸島)にちなんで名づけられた[30][31]。 初代「八重山」は通報艦[30]。敷設艦「八重山」(本艦)は、この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目[31][32]

太平洋戦争開戦時は第三艦隊麾下の第十七戦隊に所属し、機雷敷設や船団護衛任務に従事した[28]。1942年(昭和17年)1月より第三南遣艦隊所属となり、フィリピン台湾方面で機雷敷設や船団護衛任務に従事した[28]1944年(昭和19年)9月24日、ミンドロ島南端で米軍機動部隊艦載機の攻撃により沈没した[28]

計画[編集]

1927年(昭和2年)度計画艦[1][33]1924年(大正13年)2月に軍令部の立案した補助艦艇補充計画では1,200トン型敷設艦12隻(他の敷設艦艇は5,000トン型敷設艦2隻、5,000トン型急設網艦1隻など)の大量整備を目指していたが[34]、予算成立時(1927年3月)に敷設艦艇は1,200トン型敷設艦1隻のみになった[35][36]。これが本艦になる[37]。計画番号H-3[36]

艦型[編集]

戦時には前進基地へ進出して機雷敷設や対潜哨戒などを行い、平時には訓練用途を考慮された[38]。 このため1929年(昭和4年)に竣工した「厳島」に対し、より小型化・浅喫水を進めている[39]。 重油・石炭混焼罐と往復同式機関を搭載した2軸艦で、計画速力はロンドン海軍軍縮条約上限の20ノット[38][29][33]。これは前進基地への急速進出を企図した為である[40][33]

船体は先に建造された「厳島」が平甲板型船体(フラッシュ・デッカー)を持つのに対し、本艦は船首楼型となる[20]。船首楼甲板の左舷に教練機雷の揚収用軌道1条があるために艦首にほどんどシアがない[38]。甲板にはリノリウムはほとんど張らず、大部分が滑り止め甲板になっていた[38]。上甲板舷側がブルワークで覆われている[33]のは「白鷹[41]燕型敷設艇[42]と同様である。艦橋構造も「白鷹」[43]や「厳島」[44]同様、駆逐艦に似たものになった[38]

機雷は、 六号機雷185個(前部の機雷庫に35個、後部に50個、上甲板に100個繋止)を搭載した[29][33]。 機雷庫にある機雷は機雷昇降筒で上甲板に上げられる[38]。 前部の機雷は左右舷に1条ずつある軌道で後部へ送られ、後部の機雷庫より後方は軌道が4条に増え、そのまま艦尾から投下される[38]。 艦尾には敷設指揮所が設けられた[45]

主砲は12cm高角砲を前後に1門ずつ搭載、2門とも高雄型と同型のシールドが付いていた[40][46]。12mm機銃は艦橋前のシェルター(セルター)甲板上に左右並べて設置した[47]

溶接[編集]

「八重山」は日本海軍が初めて全面的に電気溶接を採用した艦であり、日本海軍造船史上特筆すべき艦である[29][48]。この技術は、ワシントン軍縮会議で制限された保有トン数の節約に貢献したが、設計段階では通常のリベット構造艦であり、本艦における電気溶接技術採用は福田烈造船中佐の熱意と、藤本喜久雄造船中将の決断によるものだった[49][50]。「八重山」は問題なく完成したことから、つづいて1933年(昭和8年)4月12日起工の潜水母艦「大鯨《龍鳳》」(横須賀海軍工廠)に全面的に使用されたものの、1000トン級の「八重山」に対して1万トン級の「大鯨」では電気熔接の不具合が続出、工事は難航することになった[51][52]

第四艦隊事件により電気熔接部に一層の補強を実施した[33]。この友鶴事件・第四艦隊事件による藤本造船中将の失脚と平賀譲造船中将の復権により、日本海軍における電気溶接の停滞を招いたという[53]

性能改善工事[編集]

竣工後、友鶴事件で改装が必要となった[33]佐世保海軍工廠で行われた改装工事では、バラストキール(深さ700mm[54])の装着、上部重量の軽減等による重心低下措置が実施された[55]。 外観上では艦中央部のブルワークや2番高角砲シールドの撤去などが行われ[55]、探照燈の位置が低められた[56]。 マストや煙突の短縮も行われた[54]とされるが、残された写真ではよく判らない[55]

さらに第四艦隊事件後の1936年(昭和11年)秋、荒天航行の際に船体の一部にバックリングが生じたため、すぐに船体補強の応急対策を行った[54]。役務はそのまま続けたが外洋航行をしないことにして[54]、抜本的な対策工事は1938年(昭和13年)2月から5月に舞鶴海軍工廠で行われた[57]

性能改善工事後は基準排水量1,302英トン、公試排水量1,631トンに増加し、公試平均吃水3.19mとなった[58]。なお1938年3月調べで排水量1,384英トンの記録も残る[19]

開戦後[編集]

太平洋戦争突入後は機銃・爆雷兵装・対潜装備を一層強化した[33]。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると1944年(昭和19年)8月5日の時点で25mm3連装機銃1基(艦橋前の12mm機銃撤去跡)、25mm単装機銃6基(艦中央から後部の各所)を増備、八一式爆雷投射機4基を増備し計6基、九三式水中聴音機、探信儀の水流覆を装備していた[59]。図によると爆雷投下台らしきものも10基描かれている[59]

艦歴[編集]

呉海軍工廠で建造[7][60]、建造は近代化改装する「扶桑」が入渠した造船船渠の渠頭部分で行われた[38]1930年(昭和5年)6月12日、「八重山」と命名[60][2]。同日附で敷設艦に類別される[61]。同年8月2日、起工[7]1931年(昭和6年)10月15日、進水[7][62]1932年(昭和7年)8月31日、竣工[7]。同日附で艤装員事務所を撤去する[63]佐世保鎮守府[62]

1934年(昭和9年)5月21日横須賀港発、南洋方面へ遠洋航海、8月20日二見港に帰港した[64]。 1934年(昭和9年)12月15日、「常磐」と共に佐世保防備戦隊を編制する[65]1937年(昭和12年)1月より、砲艦「安宅」修理時の第十一戦隊旗艦とするため、整備・補強工事と並行して旗艦設備を増設[66]。3月14日、佐世保を出発[62]。3月15日、佐世保防備戦隊から外れ[67]、第十一戦隊旗艦(司令官谷本馬太郎少将)となり中国大陸沿岸部に進出する[46]。 同年7月より日中戦争支那事変)が勃発。「安宅」の復帰により第十一戦隊旗艦を譲ったのちも[68]、浅喫水を生かして揚子江を遡上するなど、中支方面で活動した[69]。また揚陸や護衛任務にも従事した[70][71]。同年12月7日、「八重山」は日本本土に帰投[62]。船体補強工事を実施する[33]1938年(昭和13年)6月1日附で、佐世保鎮守府部隊に編入される[62]。6月14日からの九江攻略作戦においてはV作戦部隊前衛隊(掃海部隊)の掃海母艦として活動した[72]。7月1日、第三艦隊・第十一戦隊編入[62]。7月18日、第三艦隊・第11砲艦隊附属に編入[62]

1940年(昭和15年)11月15日、「八重山」は新編の第十七戦隊に編入される[62]1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時、本艦以下敷設艦3隻(厳島、八重山、辰宮丸)は第三艦隊麾下の第十七戦隊に所属[28][73]。 大戦中は主に比島方面で、おもに船団護衛任務や輸送任務に従事した[74]1942年(昭和17年)1月3日、第三南遣艦隊に編入される[62]

1944年(昭和19年)9月24日ミンドロ島南端を航行中の「八重山」と第32号駆潜艇は[75]、米軍機動部隊艦載機約30の攻撃を受けて沈没した[76][77]。同日の空襲では、コロン島(コロン湾)に停泊中の水上機母艦「秋津洲[78]や給糧艦「伊良湖[79]等も撃沈されている[77]。 八重山生存者86名がマニラ方面の海軍陸戦隊に編入されたという記録が残る[80]

11月10日、「八重山」は敷設艦[81]および帝国軍艦籍から除籍された[4]

略歴[編集]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』203-204頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長[編集]

  • 穂積龍雄 中佐:1931年12月1日[82] - 1932年6月1日[83]

艦長[編集]

  • 穂積龍雄 中佐:1932年6月1日[83] - 1933年11月15日
  • 久保九次 中佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
  • 津田源助 中佐:1934年11月15日 - 1935年10月7日
  • 宮本定知 中佐:1935年10月7日 - 1936年12月1日
  • 中里隆治 中佐:1936年12月1日 - 1938年5月25日[84]
  • 森徳治 大佐:1938年5月25日 - 1938年12月15日
  • 岡田為次 大佐:1938年12月15日 - 1939年10月15日
  • 相徳一郎 中佐:1939年10月15日[85] - 1940年6月10日
  • (兼)秋山勝三 大佐:1940年6月10日 - 1940年7月20日
  • 山森亀之助 大佐:1940年7月20日 - 1940年11月1日
  • 川井繁蔵 中佐:1940年11月1日[86] - 1941年5月10日
  • 能美実 大佐:1941年5月10日 - 1941年9月12日[87]
  • 副田久幸 大佐:1941年9月12日 -
  • 堤道三 大佐:1943年5月7日 -

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #昭和造船史1pp.764-795、艦艇要目表では計画乗員数180名としている。#一般計画要領書(敷設艦)p.18によると180名は現状の数で、計画乗員数の欄は無記入。

出典[編集]

  1. ^ a b #写真日本の軍艦第14巻14頁(昭和7年7月13日八重山写真)
  2. ^ a b c #達昭和5年6月(2)p.21『達第七十六號 艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和五年六月十二日 海軍大臣 財部彪  呉海軍工廠ニ於テ建造 ヤマ
  3. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.94『昭和五年六月十二日(内令一四一) 艦艇類別等級表敷設艦ノ項中「白鷹」ノ下ニ「、八重山」ヲ加フ』
  4. ^ a b c #内令(秘)昭和19年11月(2)pp.21-22『内令第一二五四號 横須賀鎮守府在籍 軍艦 秋津洲 軍艦 迅鯨|呉鎮守府在籍 軍艦 雲鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 八重山|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 蒼鷹 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 皐月 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(略)|昭和十九年十一月十日 海軍大臣|』
  5. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.349
  6. ^ #S7公文備考F艦船1/第411号 5.5.2 第2敷設艦1隻製造の件画像2-3、官房機密第411号、第二敷設艦一隻製造の件訓令
  7. ^ a b c d e f g h i j k #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.18『八重山|敷設艦|85.50|10.58|2.46|1,135|20.0|5|呉工廠|昭和5-8-2|昭和6-10-15|昭和7-8-31|12c/m高角…2|―|1|直立三段膨張式2|艦本式2|2|4,800』
  8. ^ #S5公文備考F艦船2/授受起工に関する件画像25、無線電報『五、八、二 一三二五 無線 呉発(八一) 一四二五着 呉工廠長 大臣 「タナ」二〇 敷設艦八重山本日起工ス 二日』
  9. ^ #S6公文備考F艦船9/航空母艦「龍驤」外、進水に関する件(1)画像42、無線電報『六、一〇、一五、一〇一〇、無線 呉発(七八二) 一〇三五、着 呉鎮長官 大臣(佐鎮長官) タナ二七四 八重山本日午前十時無事進水セリ 十五日』
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n #一般計画要領書(敷設艦)p.2
  11. ^ a b c #一般計画要領書(敷設艦)p.2の現状値。『註.上記現状ハ(以下特記ノ外仝様)昭和八年六月二十九日呉廠船機密第八八九号送付要目簿ニ依ル』
  12. ^ #昭和造船史1pp.764-795、艦艇要目表
  13. ^ a b c #一般計画要領書(敷設艦)p.16
  14. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1712
  15. ^ #軍艦基本計画資料Sheet18、基本要目。同書Sheet115、公試成績。
  16. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.22
  17. ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.709-710『昭和七年六月一日(内令一七七)(妙録) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 敷設艦定員表其一ヲ別表ノ如ク定ム』(第五十四表 敷設艦定員表 其一は省略)、士官9人、特務士官2人、准士官3人、下士官41人、兵117人。
  18. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.4
  19. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」
  20. ^ a b #日本海軍特務艦船史(1997)p.67
  21. ^ a b c d #一般計画要領書(敷設艦)p.6
  22. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.20
  23. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.12
  24. ^ #日本軍艦集2600年版p.63『―敷設艦―八重山(やへやま) 基準排水量1,135噸、長さ85.5米、幅10.56米、平均吃水2.46米、速力20節、備砲12糎高角砲2門、起工昭和5年8月2日、進水昭和6年10月15日、竣工昭和7年8月31日、建造所呉海軍工廠―沖島に次ぐ新艦で、小型ながら却々の精鋭である。』
  25. ^ #艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.3『軍艦|敷設艦|勝力、常磐、嚴島、白鷹、八重山、沖島、津輕』
  26. ^ #航跡129頁
  27. ^ #艦と人65-66頁
  28. ^ a b c d e #補助艦艇奮戦記171-172頁『八重山(やえやま)』
  29. ^ a b c d #日本補助艦艇物語48-49頁『(4) 八重山やえやま(二代)』
  30. ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.38『八重山(やへやま)【初代】 艦種通砲艦 二檣「スクーナー」 艦名考島嶼名(琉球の八重山群島)に採る。艦歴船體は横須賀にて、機關は英國「ニューカッスル」市「ホーソルンレスリ」會社にて製造、當時最も快速なる軍艦なり。明治27・8年戰役に從軍:同27年6月大島混成旅團揚陸援護に、同7月豊島海戰々利品内地輸送に、同8月第五師團揚陸援護に、同11月大連港及旅順口占領に從事、同28年2月威海齋總攻撃及同占領に從事、同33年北清事變從軍、同37・8年戰役に從軍、同44年4月1日除籍。|―要目―(略)』
  31. ^ a b #写真日本の軍艦第14巻2頁『艦名の由来』-『八重山(やえやま)―島嶼名』
  32. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.146『八重山(やへやま)【二代】 艦種敷設艦 艦名考初代「八重山」の項参照(p.49)。艦歴此艦は船體の大部に電気熔接を應用しあり。|―要目―(略)起工昭和5-8-2 進水同6-10-15 竣工同7-8-31 建造所 呉工廠』
  33. ^ a b c d e f g h i #写真日本の軍艦第14巻33-34頁、解説・東清二 作図・石橋孝夫『図で見る敷設艦『勝力・常磐・白鷹・厳島・八重山・沖島・津軽・初鷹型・箕面』変遷史』◇八重山◇の項
  34. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.337-339
  35. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.341-337
  36. ^ a b 中川努「日本海軍 特務艦船整備の歩み 3敷設艦」#日本海軍特務艦船史(1997)pp.144-145
  37. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.347-349
  38. ^ a b c d e f g h #海軍造船技術概要上巻p.799
  39. ^ #日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』
  40. ^ a b #写真日本の軍艦第14巻14頁(昭和8年末公表八重山写真)
  41. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.3
  42. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.92
  43. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.29
  44. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.32
  45. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.16中写真及び解説
  46. ^ a b #写真日本の軍艦第14巻18頁(八重山長江写真)
  47. ^ #海軍造船技術概要上巻p.800
  48. ^ #写真日本の軍艦第14巻15頁(八重山右後方写真)
  49. ^ #航跡130-132頁
  50. ^ #艦と人66-67頁
  51. ^ #航跡176-178頁
  52. ^ #艦と人69-70頁
  53. ^ #航跡133-134、171-172頁
  54. ^ a b c d #海軍造船技術概要上巻p.801
  55. ^ a b c #写真日本の軍艦第14巻15頁(八重山性能改善後写真)
  56. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.16下写真及び解説
  57. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.21上写真解説
  58. ^ #海軍造船技術概要(1987)上巻pp.803-804、敷設艦要目比較表
  59. ^ a b #日本空母物語pp.431-432、[補助艦艇の部・追補]あ号作戦後の敷設艦兵装状況一覧表及び図。
  60. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.203『◎敷設艦八重山命名ノ件 昭和五年六月十二日(達七六) 艦艇製造費ヲ以テ昭和五年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻ニ左ノ通命名ス 呉海軍工廠ニ於テ建造 ヤマ
  61. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.67『昭五年六月十二日(内令一四一)艦艇類別等級表敷設艦ノ項中「白鷹」ノ下ニ「、八重山」ヲ加フ』
  62. ^ a b c d e f g h i #写真日本の軍艦第14巻50-51頁(『敷設艦』行動年表◇八重山◇)
  63. ^ 昭和7年9月5日(月)海軍公報第1675号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C12070334000 『○事務所撤去 軍艦八重山艤装員事務所ヲ呉海軍工廠内ニ設置中ノ處去月三十一日撤去セリ』
  64. ^ #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(上)/軍艦(5)画像30
  65. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.63、昭和9年12月15日(内令522)
  66. ^ #写真日本の軍艦第14巻16頁(昭和12年8月31日八重山写真)
  67. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.63、昭和12年3月15日(内令96)
  68. ^ #写真日本の軍艦第14巻17頁(八重山・安宅写真)
  69. ^ #写真日本の軍艦第14巻17頁(八重山揚子江写真)
  70. ^ #写真日本の軍艦第14巻20頁(八重山と陸軍部隊写真)
  71. ^ #写真日本の軍艦第14巻23頁(昭和12年8月23日八重山と村雨洋上写真)
  72. ^ #写真日本の軍艦第14巻20頁(昭和13年当時八重山写真)
  73. ^ #戦隊行動調書p.18『17S』-『編制(旗艦)嚴島 八重山 辰宮丸』
  74. ^ #写真日本の軍艦第14巻25頁(昭和17年比島の八重山写真)
  75. ^ #補助艦艇奮戦記226頁『三十二号駆潜艇』
  76. ^ #写真日本の軍艦第14巻26頁(夕刻の八重山写真)
  77. ^ a b #比島方面海軍作戦(1)pp.33-34『(ニ)九月二十四日中比地區に對する空襲 一日おいて二十四日米機動部隊はサマール島東方海面及サンベルナルヂノ海峡東口に出現し中部比島を攻撃した。〇七二〇頃よりセブ、タクロバン、レガスピー、ブーランの各飛行場に敵艦上機來襲〇八三〇サンベルナルヂノ海峡見張所は東方に空母一隻戰艦一隻を確認報告した 當時マニラから避退中の艦船が多數在泊していたコロン湾は〇九〇〇前後艦上機約七〇機の來襲を受け工作艦秋津洲外輸送船三隻沈没同二隻大火災といふ被害を蒙り湾内は兌混亂を呈した この攻撃は明かに日本側の意表に出た攻撃であつて當時日本側は同地を艦上機の攻撃圏外と考へていた 當時ミンドロ島南端附近を航行中の敷設艦八重山及第三十二號驅潜艇は艦上機約三〇の攻撃を受け沈没レガスピー方面行動中の一二七號輸送艦はグラマン戰闘機約一八機の攻撃を受け沈没した』
  78. ^ #補助艦艇奮戦記167-168頁『秋津洲(あきつしま)』
  79. ^ #補助艦艇奮戦記279頁『伊良湖(いらこ)』
  80. ^ #海軍陸上部隊(10月18日)p.2『一、一九四四年十月十八日現在|方面:北比|地區:マニラ|所轄:八重山|員數:八六|(以下略)』
  81. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2)pp.21-22『内令第一二四七號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年十一月十日 海軍大臣|軍艦、航空母艦大鷹型ノ項中「雲鷹、」ヲ、同水上機母艦ノ項中「、秋津洲」ヲ、同潜水母艦ノ項中「迅鯨、」ヲ、敷設艦ノ項中「、八重山」「、蒼鷹」ヲ削ル 驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、皐月」ヲ削ル(略)』
  82. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  83. ^ a b 『官報』第1625号、昭和7年6月2日。
  84. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第187号 昭和13年5月26日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073800 
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参考文献[編集]

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  • 福田啓二/編 『軍艦基本計画資料』 今日の話題社、1989年5月ISBN 4-87565-207-0
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 牧野茂福井静夫/編 『海軍造船技術概要』 今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
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関連項目[編集]