峯雲 (駆逐艦)

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峯雲
艦歴
計画 マル2計画 [1]
起工 1937年3月22日[2]
進水 1937年11月4日[2]
竣工 1938年4月30日[2]
最後 1943年3月5日戦没
除籍 1943年4月1日
要目
排水量 基準:約2,000t、公試:2,400t
全長 118.00m
全幅 10.386m
吃水 3.71m(平均)
機関 オール・ギアードタービン2基2軸
ロ号艦本式重油専焼缶3基
51,000hp
最大速力 34.85kt
航続距離 18ktで5,190浬
燃料 重油580t
乗員 230名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 II×2
(または13mm機銃 II×2)
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九〇式魚雷16本)
九一式爆雷×36

峯雲(みねぐも)は、日本海軍朝潮型駆逐艦8番艦である[3]1938年(昭和13年)4月に竣工した。1943年(昭和18年)3月、ビラ・スタンモーア夜戦で撃沈された[4]

艦歴[編集]

太平洋戦争以前[編集]

1936年(昭和11年)12月14日、日本海軍は建造予定の朝潮型駆逐艦に峯雲の艦名を与えた[1][5]1937年(昭和12年)3月22日に起工[2]、同年11月4日に進水[2][6]1938年(昭和13年)4月30日に竣工し[2]、第41駆逐隊に編入された[7]。12月15日に第三予備艦となり横須賀海軍工廠蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。1939年(昭和14年)11月15日、第41駆逐隊は第9駆逐隊と改称された[7]1940年(昭和15年)10月15日、鈴木保厚中佐が艦長に就任した[8]。11月15日、第9駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊に編入された。

1941年(昭和16年)4月10日、佐藤康夫大佐が第9駆逐隊司令に就任した[9]。6月23日、訓練終了後の午後6時頃、日向灘で駆逐艦夏潮に衝突して艦首を損傷[10]。峯雲は後進をかけ、後続の駆逐艦黒潮に追突され艦尾も損傷した[11][12]呉海軍工廠で約5ヶ月間、修理したが、太平洋戦争の開戦には間に合った。

太平洋戦争緒戦[編集]

12月8日の開戦時、第9駆逐隊は朝潮型5-8番艦4隻(朝雲山雲夏雲、峯雲)で構成され、第四水雷戦隊(西村祥治少将)第2駆逐隊(村雨五月雨春雨夕立)、第24駆逐隊(海風江風山風涼風)と共に比島部隊(高橋伊望第三艦隊司令長官)に所属していた[13]南方作戦に参加し、ビガンリンガエン湾上陸作戦を支援した。12月31日、山雲が機雷で大破し、戦線を離脱した[14]。残る第9駆逐隊の3隻は1942年(昭和17年)1月よりタラカンバリクパパン等(バリクパパン沖海戦)の攻略作戦に加わり、2月以降はマカッサルジャワ島攻略作戦に協力、蘭印作戦に従事した[15]

1942年(昭和17年)2月下旬、ジャワ島攻略を目指す輸送船団を英米蘭豪のABDA艦隊が迎撃を計画し、スラバヤ沖海戦が勃発した[16]。輸送船団を護衛した夏雲は海戦に参加しなかった。第四水雷戦隊は会敵した連合軍艦隊に最も近く、中でも佐藤司令の命令を受けた峯雲と朝雲が敵艦隊に最も肉薄した[17]。重巡羽黒の砲撃を受けた英重巡エクセターの離脱を援護するため、英駆逐艦が両艦を攻撃した。峯雲と朝雲は煙幕から出た駆逐艦2隻(エレクトラエンカウンター)と距離3000mで砲撃戦になった。朝雲が大破したが、峯雲は朝雲を掩護しながら砲戦を続行した[18][19]。その結果、エレクトラを撃沈し、エンカウンターと駆逐艦ジュピターを撃退した[20][21]。輸送船団の入泊時には軽巡鬼怒や駆逐艦朝潮荒潮と共同で哨戒を行った[22]。朝雲は修理のため戦線を離脱した[23]

3月下旬、峯雲と夏雲はインド洋クリスマス島攻略作戦に参加した(編制は日本軍のクリスマス島占領参照)[24]。同島の守備隊は3月31日朝に降伏した[25][26]。4月1日18時、峯雲、夏雲、軽巡那珂で同島北方を哨戒中、那珂が米潜水艦の雷撃で大破した[27]。峯雲は那珂、軽巡名取、夏雲、駆逐艦長月、駆逐艦水無月と共に4月3日、ジャワ島バンダム湾に帰投した[28][25]。6日、大破した那珂を夏雲と共に護衛し、バンタム湾からシンガポールへ移動した[29]。12日、夏雲と共に横須賀に出発[30]。途中でドーリットル空襲を実行した米機動部隊を追ったが会敵できず、20日夜に横須賀に到着した[31]

5月2日、水上機母艦瑞穂が米潜水艦ドラムに撃沈され、朝雲、夏雲と共同で対潜掃討を行った[32]。15日、山雲が第9駆逐隊を外れた[33]。19日、瀬戸内海へ移動[34]。20日、第9駆逐隊はミッドウェー作戦の攻略部隊主隊(近藤信竹第二艦隊司令長官)に配属された(編制はミッドウェー海戦を参照)。6月5-7日のミッドウェー海戦で、日本は空母4隻を失うなどして敗れた。9日、峯雲は重巡妙高、羽黒、朝雲、夏雲、給油艦玄洋丸と共に米機動部隊の追撃を引き付ける牽制部隊(高木武雄第五戦隊司令官)に配備され、ウェーク島近海で行動した[35][36][37]。ウェーク島の基地航空隊と連携し偽電を交信したが、成果はなかった[38][39]。14日、同部隊は北方部隊に編入された[40]。峯雲は玄洋丸と共に別働していたが、15日に合流してアリューシャン列島方面に転戦した[35]。その後、戦艦金剛、軽巡阿武隈、第21駆逐隊、軽巡木曾、軽巡多摩、玄洋丸と共に第二支援隊を編成、米機動部隊の出現に備えた。米機動部隊は出現せず7月7日に各艦は撤収し、内地へ帰投した[41][42]

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月7日、米軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸を開始、ガダルカナル島の戦いが始まった。峯雲など第9駆逐隊は前進部隊(近藤信竹第二艦隊司令長官)に所属、日本を出撃してトラック泊地に進出した。20日(21日とも)、トラックを出港する際に峯雲は冬島で座礁した[15][7]。峯雲は応急修理をした後、油槽船を護衛して前進部隊を追いかけ、24日の第二次ソロモン海戦で中破した水上機母艦千歳を護衛してトラック泊地へ戻った。 9月中旬、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する陸軍の総攻撃に備えて前進部隊の一員としてトラック泊地を出撃したが、大規模な戦闘はなかった[43]。9月26日、第9駆逐隊(朝雲、夏雲、峯雲)は南方方面を管轄する外南洋部隊(第八艦隊)に編入された[44]

10月2日、駆逐艦5隻(朝雲、夏雲、峯雲、村雨春雨)は零式水上観測機の援護を受け、ガ島輸送に成功した[45][46]。5日[15]、駆逐艦6隻(朝雲、夏雲、峯雲、村雨、春雨、夕立)はショートランド泊地を出撃。午後3時過ぎ、急降下爆撃機SBDドーントレス9機の空襲を受け至近弾で浸水、速力が低下した。夏雲に護衛されて退避し、6日朝にショートランドに帰投した[47][48][49]。村雨と峯雲は修理のためラバウルに移った[50]。10月20日、宇垣纏連合艦隊参謀長は、損傷した駆逐艦五月雨の主砲砲身を峯雲と交換するよう指示した[51]。30日、五月雨がトラック泊地に到着し、工作艦明石で両艦の工事を行い主砲を換装、五月雨の毘式四十粍機銃と峯雲の九六式二十五粍高角機銃も交換した[52]。11月16日、峯雲はトラック泊地を出発し、23日に横須賀に到着した[53]。12月3日、横須賀から横浜に回航され、修理を行った[54][55]

沈没[編集]

1943年(昭和18年)2月1日、艦長に上杉義男中佐が就任した[56]。12日に修理が完了し、輸送船武庫丸を護衛して横須賀を出発、22日にトラック泊地に到着した[57]

日本軍はガダルカナル島から撤退し、ニュージョージア島 ムンダに飛行場を築いて新たな防衛拠点を構築したが、輸送船団への空襲で弾薬と兵員の糧食が欠乏した[58]。トラック泊地の村雨と峯雲に緊急輸送命令が出され、27日に2隻は南東方面部隊に編入。28日トラックを出撃し、3月2日朝にラバウルに到着した[59][60]。ドラム缶200本ずつと弾薬糧食を上甲板に満載し、4日夕刻ラバウルを出撃した。5日にショートランド泊地に立ち寄ったのち、午後9時30分から10時30分までコロンバンガラ島クラ湾で揚陸。帰路は北上してショートランド泊地へ向かった。しかし2隻の行動はPBYカタリナ飛行艇などで米軍側に掌握されており、潜水艦グレイバックとグランパスがクラ湾出口に配備された。

天候は薄曇り、月齢28、視界15km程、風もない静かな夜だったという。アーロン・S・メリル少将指揮する第68任務部隊の軽巡3隻(モントピリアクリーブランドデンバー)、駆逐艦3隻(ウォーラーコンウェイコニー)がムンダ飛行場への艦砲射撃のためクラ湾に侵入していたが、日本艦出現の報告を受けて攻撃準備に入った。22時57分にレーダーで峯雲と村雨を探知し、23時01分に砲撃を始めた(ビラ・スタンモーア夜戦)。レーダーのない峯雲と村雨は米艦隊の存在に気付かず、当初は空襲と誤認した。まず峯雲が被弾炎上し、村雨も主砲や機関部を破壊され航行不能に陥った。コロンバンガラ島の日本軍守備隊が、北東沖で1隻が爆発するのを目撃した。米軍の記録では、峯雲は駆逐艦ウォーラーの魚雷で、村雨は巡洋艦3隻の砲撃で沈没した。沈没時は多数の乗員が生存していたが、同日にコロンバンガラ島守備隊が艦砲射撃を受けて甚大な被害を出しており、大発動艇による救助が遅れたという[61][62][63][64]

コロンバンガラ島にたどり着いた峯雲と村雨の生存者計179人は、8日に鼠輸送で到着した朝雲、駆逐艦雪風、長月などに収容され、ラバウル経由で横須賀に戻った[65][66]。村雨が所属していた第2駆逐隊司令は、峯雲と村雨の沈没原因について敵巡洋艦3隻の砲撃とB-17十数機の空襲と報告し、レーダーに厳重に警戒するよう注意を喚起した[67]

4月1日、峯雲は駆逐艦籍から除籍された[68]。艦名は海上自衛隊護衛艦みねぐも」に継承された。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 山代勝守 少佐/中佐:1938年1月20日[69] - 1938年4月30日[70]
駆逐艦長
  1. 山代勝守 中佐:1938年4月30日[70] - 1938年11月15日[71]
  2. 山田鐵夫 少佐/中佐:1938年11月15日[71] - 1940年10月15日[8]
  3. 鈴木保厚 中佐:1940年10月15日[8] - 1943年1月25日[72]、以後1943年2月1日まで駆逐艦長の発令はなし。
  4. 上杉義男 中佐:1943年2月1日[56] - 1943年3月5日 戦死[73]。同日付任海軍大佐[74]

参考文献[編集]

  • 奥宮正武 『ラバウル海軍航空隊』 学習研究社〈学研M文庫〉、2001年3月(原著1992年)。ISBN 4-05-901045-6
  • 小板橋孝策 『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』 光人社NF文庫、2008年ISBN 978-4-7698-2560-9
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧表 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 須藤幸助 『駆逐艦五月雨』 朝日ソノラマ文庫、1988年ISBN 4-257-17097-2
  • 須藤幸助 『駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱』 光人社〈光人社NF文庫〉、2010年1月。ISBN 978-4-7698-2630-9
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』 中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第六巻 昭和十八年 二月~九月』 中央公論社、1997年ISBN 4-12-403396-6
  • 種子島洋二 『ソロモン海「セ」号作戦―コロンバンガラ島奇蹟の撤収』 光人社〈光人社NF文庫〉、2003年9月。ISBN 4-7698-2394-0
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 戦史研究家丹羽年雄『第九駆逐隊の奮闘と壮烈なる最後 朝雲、山雲、峯雲、夏雲。スラバヤ沖からレイテまで朝潮型四隻の航跡
  • 永井喜之・木俣滋郎 「第2部 第二次大戦/日本編 3章 イギリス重巡洋艦「エクゼター」」『新戦史シリーズ 撃沈戦記』 朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8
  • 原為一 『帝国海軍の最後』 河出書房新社、2011年7月(原著1955年)。ISBN 978-4-309-24557-7
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 海軍進攻作戦 蘭印・ベンガル湾方面』第26巻、朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 北東方面海軍作戦』第29巻、朝雲新聞社、1969年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ミッドウェー海戦』第43巻、朝雲新聞社、1971年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』第83巻、朝雲新聞社、1975年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。
  • ハンディ判日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』 雑誌『』編集部/編、光人社、1997年10月。ISBN 4-7698-0818-6
  • 「丸」編集部編 「萱嶋浩一(前職峯雲砲術長) 重巡「那智」神技の砲雷戦を語れ」『巡洋艦戦記 重巡「最上」出撃せよ』 光人社〈光人社NF文庫〉、2011年8月(原著1990年)。ISBN 978-4-7698-2700-9
  • 三神國隆 『海軍病院船はなぜ沈められたか 第二氷川丸の航跡』 光人社〈光人社NF文庫〉、2005年1月(原著2001年)。ISBN 4-7698-2443-2
  • 安永弘 『サムライ索敵機 敵空母見ゆ! 予科練パイロット3300時間の死闘』 光人社、2002年
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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    • Ref.C12070162800 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。
    • Ref.C12070165700 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年10月(1)』。
    • Ref.C12070173700 『昭和17年11月(4) 内令(昭和17年11月17日~昭和17年11月25日)』。
    • Ref.C12070176200 『昭和18年1月~4月 内令1巻/内令昭和18年4月(1)』。
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    • Ref.C08030112300 『昭和17年4月1日~昭和17年6月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030112400 『昭和17年4月1日~昭和17年6月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030112500 『昭和17年4月1日~昭和17年6月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
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    • Ref.C08030043900 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030044000 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030044100 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030044200 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030044300 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
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    • Ref.C08030113800 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030113900 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030114000 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030114100 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030114700 『昭和17年11月1日~昭和17年11月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030115000 『昭和17年11月1日~昭和17年11月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030116000 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030116100 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030116200 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030116300 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030116400 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(5)』。

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和11年12月(1)p.5『達第百八十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦二隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十二月十四日 海軍大臣 永野修身|呉海軍工廠ニ於テ建造 水上機母艦 千代田(チヨダ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 水上機母艦 瑞穂(ミヅホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 峯雲(ミネグモ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 霰(アラレ)』
  2. ^ a b c d e f #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『峯雲|一等駆逐艦|(艦要目略)|藤永田造船所|12-3-22|12-11-4|13-4-30|(艦装備略)』
  3. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年6月30日)p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|朝潮型|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』
  4. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.8『9dg及2dg(春雨欠)ハNTBニ編入中ニシテ同方面作戰ニ従事 (司令)村雨及峯雲ハ上旬「コロンバンガラ」沖ニ於テ敵巡洋艦三隻駆逐艦二隻以上及大型爆撃機十機以上ト遭遇交戰不幸遂ニ峯雲二三一五(司令)村雨二三三〇撃沈セラル』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.204『◎水上機母艦千代田瑞穂及驅逐艦峯雲霰命名ノ件 昭和十一年十二月十四日(達一八二)』
  6. ^ 昭和12年11月6日 海軍公報第3190号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C12070364000 『○進水 驅逐艦峯雲本月四日株式會社藤永田造船所ニ於テ進水セリ/驅逐艦朝雲本月五日株式會社川崎造船所ニ於テ進水セリ』
  7. ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集17pp.85-86
  8. ^ a b c 昭和15年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第543号 p.36,38』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  9. ^ 昭和16年4月10日(発令4月10日付)海軍辞令公報(部内限)第615号 p.44』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080700 
  10. ^ #ハンディ判艦艇写真集17p.91(峯雲艦首・艦尾損傷写真)
  11. ^ #ハンディ判艦艇写真集17p.101
  12. ^ #陽炎型(2014)180頁
  13. ^ #叢書26海軍進攻作戦(付図第一)
  14. ^ #陽炎型(2014)301頁
  15. ^ a b c #陽炎型(2014)299頁
  16. ^ #軍艦旗は征くコマ55-57(原本97-101頁)
  17. ^ #巡洋艦戦記140-141頁
  18. ^ #叢書26海軍進攻作戦478-479頁
  19. ^ #巡洋艦戦記142-143頁
  20. ^ #叢書26海軍進攻作戦付図第五
  21. ^ #S1612四水戦作戦記録(4)pp.37-38『(ロ)新型一等驅逐艦ノ給弾薬 「スラバヤ」沖海戦晝戰ニ於テ峯雲ハ朝雲ト共ニ巡洋艦三隻駆逐艦三隻ノ有力ナル敵ト砲戰シ敵巡洋艦及駆逐艦二隻ハ逃走駆逐艦一隻ヲ撃沈セシモ此ノ戰闘ニ於テ峯雲ハ三〇乃至四〇齋射頃ヨリ先ヅ装薬間ニ合ハズ次イデ弾薬間ニ合ハズ遂ニ射撃速度ヲ著シク減ジ(齋射間隔八乃至九秒幸射撃速度ヲ著シク減ジタル時ハ敵ノ大部ハ逃走シ残ル一艦モ沈没ニ瀕シ砲火沈黙シアリタリ)甚シキ不安ノ念ヲ起サシメタリ…』
  22. ^ #四水戦スラバヤ(2)p.48『一五三〇宛1Eg(略)二.哨区ヲ右ノ通変更ス C区海風 D区若鷹 E区峯雲 F区夏雲鬼怒及8dgハ泊地ノ西北方那珂及2dgハ泊地ノ東方ヲ移動哨戒ス』
  23. ^ #四水戦スラバヤ(2)p.23『〇七四七4sdハ列ヲ解キ第一警戒航行隊形所定ノ位置ニ就ク〇八一五峯雲朝雲ヲ護衛シ合同シ9dg司令ハ司令駆逐艦ヲ夏雲ニ変更朝雲ヲ修理ノタメ「バリクパパン」ニ回航セシメ其ノ他予定ノ如ク「クラガン」ノ泊地ニ向ヘリ』
  24. ^ #叢書26海軍進攻作戦613-614頁
  25. ^ a b #叢書26海軍進攻作戦615頁
  26. ^ #S1703四水戦日誌(2)p.20『三一日〇八〇七(4sd司令官)|名取|敵ハ白旗ヲ揚ゲタリ今ヨリ輸送船ヲ入泊セシメヨ』
  27. ^ #原(復刻版)34-35頁
  28. ^ #S1703四水戦日誌(3)p.14『途中那珂ハ2日0810迄ハ名取夏雲峯雲天津風ノ護衛ヲ受ケ0810以後更ニ2D/22dg(長月水無月)ヲ加ヘ1800ヨリ天津風原隊ニ歸リ3日0425名取ハ「バンタム」灣ニ先行セリ』
  29. ^ #S1704四水戦日誌(1)pp.8『「バンタム」泊地ニ於テ静波丸ニ依リ損傷情況ヲ確メ應急準備ヲナシ6日2200九驅一小隊ト共ニ昭南港ニ向ケ「バンタム」泊地ヲ出港セリ途中天候ニ恵マレ大ナル支障ヲ受クルコトナク10日1530「セレター」軍港ニ入港セリ』
  30. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.9『本日附艦隊編制替ニ依リ二十四駆ハ一水戦ニ八駆ハ當隊ニ編入セラレタリ 昭南港ニ於テ朝日及101工作部ト協議シ那珂應急修理ニ関スル要務處浬ヲ終リ十二日1000将旗ヲ夏雲ニ移揚ノ上九駆一小隊ヲ率ヰ高雄ヲ経テ横須賀ニ向ヒタリ 途上十八日敵機動部隊ノ来襲ヲ聞キ我亦之ニ應ズル如ク増速セルモ荒天ノ為意ノ如クナラズ二十一日横須賀ニ歸着尓後整備作業ニ従事セリ』
  31. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.56、p.66『二〇(天候略)一九二〇9dg1D横須賀着』
  32. ^ #S1704四水戦日誌(2)pp.9-10『一日夜瑞穂遭難ニ關聯GF電令作第一三二號及同一三三號ニ依リ九駆(山雲欠)ハ二日ヨリ四日迄現場附近海面ノ敵潜掃蕩ニ従事セリ』
  33. ^ #内令昭和17年5月(2)p.26『内令第八百五十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「大潮、満潮、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「山雲、」ヲ削ル』
  34. ^ #S1704四水戦日誌(2)p.10『十八日0900九駆ヲ率ヰ東京湾外ノ對潜掃蕩ヲ實施シ4S 3Sノ直衛トナリ十九日2230桂島泊地ニ入港セリ』
  35. ^ a b ミッドウェー海戦(戦史叢書)530-531頁
  36. ^ #S1706五戦隊日誌(1)p.16『5S(那智欠)9dg玄洋丸ハ6月9日以来牽制部隊トシテ「ウェーキ」島近海ニ行動中ナリシ處6月14日牽制部隊解隊…』
  37. ^ #S1704四水戦日誌(3)pp.8-9『9dgハ2F機密第七九〇番電ニ依リ九日牽制部隊ニ編入サレ次デ北方部隊ニ編入サレタリ』
  38. ^ 中部太平洋方面海軍作戦(2)26頁
  39. ^ ミッドウェー海戦(戦史叢書)531頁
  40. ^ #S1706五戦隊日誌(1)p.18『(1)自昭和17年6月14日至同年6月20日(略)兵力|5S(妙高羽黒) 9dg(朝雲夏雲峯雲) 玄洋丸』
  41. ^ #S1706五戦隊日誌(1)p.27『第二支援隊ハ6月28日1230第一支援隊ニ引続キ阿武隈、9dg、5S、21S、金剛、玄洋丸ノ順ニ出港作戦海域ニ向ケ陸奥海湾ヲ出撃ス…』
  42. ^ 北東方面海軍作戦260-263頁
  43. ^ 南東方面海軍作戦(2)120頁
  44. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.10『第九駆秋月|九-二六|外南洋部隊ニ編入』
  45. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.39『第九駆、第二駆(夕立五月雨欠)|一〇-三|陸兵250糧秣ヲ「カミンボ」ニ揚陸ス』
  46. ^ 南東方面海軍作戦(2)177-178頁
  47. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.40『第九駆、第二駆(五月雨欠)|一〇-五|野砲2、陸兵277ヲ「タサファロング」ニ揚陸ス 村雨峯雲}至近弾ニ依リ被害アリ夏雲護衛KXEニ引返セリ』
  48. ^ #S1710四水戦日誌(1)p.38『五日1550(司令)9dg(宛略)9dg機密第051550番電 1510ケノヘ22ニ於テ敵爆撃機九機ト交戰之ヲ東方ニ撃退ス、峯雲至近弾ニ依リ艦首左舷ニ破孔ヲ生ジ第二兵員室ニ浸水出シ得ル速力十二節夏雲ヲシテ之ヲ護衛「ショートランド」ニ皈投セシム其ノ他異状ナシ朝雲2dgヲ率ヒ予定位通進撃ス』pp.39-40『五日1900峯雲(宛略)峯雲機密第051900番電 1515「ケノヘ22」ニ於テ艦爆×6ノ急爆ヲ受ケ至近弾ニ依ル被害 一.艦首ヨリ35番「ビーム」迄兩舷外鈑大破上甲板線下満水其ノ他状況不明ナルモ被害拡大ノ模様ナシ出シ得ル最大速力14節/二.方位盤一番B線轉輪羅針儀使用不能、1、2、7番ノミ/三.重傷陸兵1軽傷本艦下士官兵10陸兵3』p.43『六日0750峯雲(宛略)峯雲夏雲「ショートランド」着』
  49. ^ 南東方面海軍作戦(2)181頁
  50. ^ #S1710四水戦日誌(1)p.43『六日1157(司令官)3sd(宛略)3sd機密第061157番電 村雨及峯雲修理ノ爲「ラボール」ニ回航セシム村雨(使用可能速力二十一節)代艦トシテ有明派遣ヲ得バ好都合ナリ』
  51. ^ #高松宮日記5巻86頁『「五月雨」被害砲身換装用トシテ「峯雲」砲身二ツ準備シアリ(以下略)』
  52. ^ #五月雨出撃す137-138頁
  53. ^ #S1711四水戦日誌(4)p.58『一六(天候略)一.峯雲修理ノタメ1330横須賀ニ向ケトラック発(以下略)』p.61『二三(天候略)一峯雲1117横須賀着/二.春雨白露2100ラボール発(ラエ輸送)|一.峯雲横須賀着修理整備入渠準備ニ着手ス』
  54. ^ #S1712四水戦日誌(1)p.14『峯雲及五月雨ハ前月下旬以降横須賀ニ於テ修理ニ従事中峯雲ハ三日横濱ニ回航入渠 五月雨ハ十九日修理完成同日1530横須賀發二十四日0830「トラック」着爾後同地ニ在リテ警戒護衛任務等ニ従事ス』
  55. ^ #S1712四水戦日誌(2)p.52『四.参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動』p.57『三.(天候略)一.峯雲1100横須賀発即日横濱着/二.夕暮0530有明0945ショートランド着/三.夕暮1100ショートランド出撃(ガ島輸送)/四.有明1327ショートランド出撃(SNB支援隊)|一.峯雲横濱ニ於テ入渠/二.春雨準備出来次第横須賀ニ回航修理ニ従事スベキ件発令(Adb電令作第八五号)』
  56. ^ a b 昭和18年2月1日(発令2月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1046号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  57. ^ #S1712四水戦日誌(4)p.26『十二日1300峯雲(宛略)峯雲機密第12130番電 武庫丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ横須賀発』p.69『二二(天候略)一.峯雲1130トラック着(以下略)』
  58. ^ #ソロモン海「セ」号作戦50頁
  59. ^ #S1712四水戦日誌(4)p.10『峯雲ハ横浜及横須賀ニ於テ修理ニ任ジ十二日修理完成横須賀發途中武庫丸護衛ニ任ジ二十二日「トラック」着 (司令)村雨峯雲二十七日NTBニ編入二十八日「トラック」出撃「ラボール」ニ回航ス』
  60. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.32『二(天候略)一.村雨峯雲0800ラボール着/二.白露115佐世保着/三.夕暮1300トラック着/四.朝雲2340ラエ着|一.有明1100ヨリ1900迄トラック礁内出動訓練/二.白露佐世保ニ於テ修理ニ従事ス/三.夕暮(トラック)着瑞鳳基地物件依載』
  61. ^ 南東方面海軍作戦(3)74-77頁
  62. ^ #ソロモン海「セ」号作戦52-58,72頁
  63. ^ #S1712四水戦日誌(5)pp.14-16『六日1932(将旗)8F(宛略)8F機密061932番電 2dg(村雨)峯雲ハ五日2100「コロンバンガラ」ニ入泊揚陸ノ予定ヲ以テ同日夕刻「ショートランド」湾ヲ出発シタル儘尓後消息ヲ絶テリ2320頃「コロンバンガラ」基地ニ於テ其ノ北東方ニ彼我ノ艦艇交戰シ一隻大爆発セルヲ目撃セルモノアルヲ以テ本六日朝来陸偵察ヲ以テ附近一帯ヲ捜索セルモ幅1000米長サ約10浬ノ帯状油紋アリテ浮流物少数混入セルヲ認メタル外確證ヲ得ズ又大発ヲ以テ捜索中ナルモ未ダ其ノ結果ニ関スル報告ヲ得ズ今後尚捜索續行ノ予定』『七日0958(司令)2dg(宛略)2dg機密第070958番電 村雨ヲ率ヰ5日2130「コロンバンガラ」航空基地2230揚陸完了シ同地初「クラ」湾北上中2310敵C三隻以上ト遭遇交戰更ニB-17十数機ノ来爆撃ヲ受ケ各艦航行不能トナリ峯雲交戰直後大火災2315沈没村雨2315機械室浸水相次イデ全缶室及一番砲火災2325航行不能ニ陥リ2330沈没セリ』p.32-33『四(天候略)一.(司令)村雨峯雲1600ラボール発|一.2dg(村雨)峯雲コロンバンガラ輸送作戰ノ為ラボール出撃』『五(天候略)一.(司令)朝雲0640ラボール着/二.(司令)村雨峯雲0830「ブイン」沖着1600発2130コロンバラ基地着2230発|一.(司令)村雨、峯雲2310コロンバンガラ沖クラ湾ニテ敵C×3 d×2以上及大型爆撃機10機以上ト遭遇交戰村雨2315峯雲2330沈没ス|一.村雨峯雲沈没』
  64. ^ #S1709八艦隊日誌(6)pp.27-28『第二駆(村雨)峯雲|三-五|補給ノ為2130「コロンバンガラ」着2230揚陸完了同地發「クラ」湾北上中「コロンバンガラ」砲撃ニ來レル敵水上艦艇ト遭遇交戦更ニ敵B17十數機ノ雷撃ヲ受ケ峯雲2315村雨2330沈没敵ニ與ヘタル損害不明』
  65. ^ #ソロモン海「セ」号作戦73頁
  66. ^ #S1712四水戦日誌(5)pp.16-17『八日1420(司令)2dg(宛略)2dg機密第081420番電 六日早朝ヨリ八聯特協力ヲ得テ「コロンバンガラ」基地ニ収容セラレタル生存者左ノ通リニシテ引續キ行方不明者ノ捜索ヲNGBニ依頼生存者ハ今夜入港予定ノ駆逐艦ニ便乗「ラボール」皈投ノ予定 生存者村雨准士官以上本職艦長砲術長水雷長通信士小西候補生掌砲長掌水雷長缶長計9名下士官兵41(内重傷4名軽傷6名)兵84名(内重傷5名軽傷6名)合計134名 峯雲巡士官以上砲術長航海長計2名下士官14名兵29名(内重傷1名)合計45名』pp.22-23『十四日0735(司令)2dg(宛略) 八通機密第140735番電 村雨峯雲生存者ハ十五日「ラバウル」発予定ノ立石初鳥ニ便乗「トラック」経由横須賀ニ送還セシム 司令ハ「ラバウル」ニ待機近日「ラボール」着ノ五月雨ニ乗艦ノ予定』
  67. ^ #S1712四水戦日誌(5)pp.4-5『尚上旬生起セシ「コロンバンガラ」沖ニ於ケル我ガ村雨、峯雲ニ対スル戦斗及二十七日ノ対5Fノ戦斗或ハ敵潜水艦ノ攻撃等ニ於ケル戦斗情況ヨリ察スルニ優秀ナル電波探信儀及夜間無照明射撃ニ関スル新兵器又ハ磁気魚雷ノ磁気機雷等ヲ充分ニ使用シアルモノノ如ク戒心ヲ要スルモノアリ』
  68. ^ #内令昭和18年4月(1)pp.28-29『内令第五百八十二號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 村雨、驅逐艦 朝潮、驅逐艦 大潮、驅逐艦 荒潮、驅逐艦 峯雲|呉鎮守府在籍 驅逐艦 白雪、驅逐艦 時津風|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第一潜水艦、伊號第十八潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  69. ^ 昭和13年1月20日(発令1月20日付)海軍辞令公報(号外)第125号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073300 
  70. ^ a b 昭和13年5月2日(発令4月30日付)海軍辞令公報(部内限)号外第176号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073800 
  71. ^ a b 昭和13年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)号外第261号 p.1,3』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074600 
  72. ^ 昭和18年1月27日(発令1月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1042号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089500 
  73. ^ 故海軍大佐上杉義男位階追陞の件 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.A12090255000 
  74. ^ 昭和18年5月1日(発令3月5日付)海軍辞令公報(部内限)第1105号 p.31』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090800 

関連項目[編集]