狭霧 (駆逐艦)

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狭霧
艦歴
発注 昭和2年度艦艇補充計画
起工 1929年3月28日
進水 1929年12月23日
就役 1931年1月31日
その後 1941年12月24日戦没
除籍 1942年1月15日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,680t 公試:1,980t
全長 118m (水線長:115.3m)
全幅 10.36m
吃水 3.2m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基2軸 50,000hp
速力 38.0ノット
航続距離 14ktで5,000浬
乗員 219名(もしくは220名)
兵装 50口径12.7cm連装砲 3基6門
13mm単装機銃 2挺
61cm3連装魚雷発射管 3基

狭霧(さぎり)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1][2]

概要[編集]

一等駆逐艦「狭霧」は吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)の16番艦(特II型の6番艦)[3]。 霧級(きりクラス)のうちの1隻[2][4]1931年(昭和6年)1月31日に竣工、同時に第8駆逐隊に所属した[5]。続いて吹雪型3隻(狭霧、漣、暁)による第10駆逐隊を編制[6]日中戦争に参加。同駆逐隊解隊後は霧級4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)による第20駆逐隊を編制し、中国大陸沿岸で行動した。 太平洋戦争開戦時、引続き第20駆逐隊(第三水雷戦隊)に所属して南方作戦に従事[7]。だが開戦から間もない12月24日ボルネオ島クチン沖合でオランダ海軍潜水艦の雷撃により沈没した[7][8]

艦歴[編集]

建造[編集]

1928年(昭和3年)11月23日、神奈川県横須賀市浦賀船渠で建造予定の吹雪型駆逐艦に『狭霧(さぎり)』の艦名が与えられる[1][9]。同日附で吹雪型駆逐艦に類別[10][11]1929年(昭和4年)3月28日、狭霧は起工[12][13]。同年12月23日、進水[12][14]。本艦進水の翌日(12月24日)、同造船所では姉妹艦が起工した[15][12]。 8月2日、日本海軍は坂野民部中佐(当時、睦月型駆逐艦3番艦弥生艦長)を狭霧艤装員長に任命する[16]。8月7日、浦賀船渠の狭霧艤装員事務所は事務を開始する[17]1931年(昭和6年)1月31日、狭霧は竣工した[13][18]。坂野民部中佐(狭霧艤装員長)は狭霧駆逐艦艦長(初代)となる[19]。主な初代幹部は、航海長井上良雄大尉(後の駆逐艦萩風初代艦長)、水雷長田中正雄大尉大尉、砲術長鈴木末七大尉、機関長堀江茂機関大尉[19]

竣工後[編集]

1931年(昭和6年)1月31日の竣工と共に、本艦は吹雪型3隻(天霧、朝霧、夕霧)で編制されていた第8駆逐隊に編入(駆逐隊司令郷田喜一郎大佐)[5]。第8駆逐隊は定数4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)を揃えた[5][20]。7月には、戦艦榛名、軽巡洋艦木曾、敷設艦厳島、第1駆逐隊(神風野風波風沼風)、基地航空隊、潜水艦部隊、海軍陸戦隊等と演習を行う[21][22](演習統監大角岑生横須賀鎮守府司令長官)[23]

熊本県で行われる日本陸軍特別大演習統裁のため、昭和天皇11月8日に横須賀軍港で金剛型戦艦3番艦榛名(艦長園田実大佐)に乗艦[24][25]。 正午、御召艦榛名および供奉艦の第8駆逐隊(天霧、朝霧、狭霧、夕霧)は横須賀を出発、九州に向かった[24][26]。 11月10日夕刻、艦隊(榛名、天霧、朝霧、狭霧、夕霧)は佐世保港外に投錨[27]。夕張艦長原精太郎大佐や郷田大佐(第8駆逐隊司令)、天霧艦長他も榛名での晩餐に招かれている[27]。翌11日、天皇は榛名を退艦し、佐世保に上陸して熊本に向かった[28][29]。 天皇は演習や阿蘇山阿蘇神社)参拝等の行事をこなし[30]11月19日夕刻に鹿児島港で御召艦(榛名)に帰艦[31][32]。軽巡洋艦夕張先導のもと、榛名と供奉艦(天霧、朝霧、狭霧、夕霧)は鹿児島を出発、横須賀に向かった[31]。 11月21日午後1時30分に艦隊は横須賀へ到着、天皇は榛名を退艦した[33][34]。 12月1日の編制替で、狭霧は第8駆逐隊から除籍[6]

1932年(昭和7年)5月19日、日本海軍は吹雪型2隻(狭霧、)により第10駆逐隊を新編(駆逐隊司令栗田健男中佐)[6][35]。栗田司令は初代司令駆逐艦を狭霧に指定した[36]。11月30日、竣工したばかりの吹雪型駆逐艦21番艦の編入により、第10駆逐隊は定数3隻(狭霧、漣、暁)を揃えた[6]。 12月1日、坂野民部中佐(狭霧艦長)は第5駆逐隊(朝風春風松風旗風)司令へ転任[37]清水他喜雄中佐(当時、峯風型駆逐艦4番艦島風艦長)が狭霧駆逐艦長(2代目)となる[37]

1933年(昭和8年)11月15日附の艦隊編制で、第二艦隊・第二水雷戦隊は川内型軽巡洋艦3番艦那珂と、吹雪型駆逐艦を基幹とする第6駆逐隊()、第10駆逐隊(狭霧、漣、暁)、第11駆逐隊(白雪初雪深雪)、第12駆逐隊(薄雲白雲叢雲)で編制[38][39]

1934年(昭和9年)6月29日、連合艦隊の演習で第二水雷戦隊同士の衝突事故が発生(深雪、電)、深雪(駆逐艦長大藤正直中佐)は沈没した[40]。11月15日、清水他喜雄中佐(狭霧艦長)は第26駆逐隊(柿、楡、栗、栂)司令へ転任[41]。姉妹艦東雲艦長の西岡茂泰中佐が狭霧駆逐艦長に転任[41]。 同日附で実施された艦隊再編により、第二水雷戦隊旗艦は川内型2番艦神通となり、麾下駆逐隊も第6駆逐隊、第10駆逐隊、第19駆逐隊(浦波敷波綾波)、第20駆逐隊(東雲吹雪磯波)となった[42][43]

1935年(昭和10年)2月28日、有明湾で駆逐艦4隻(狭霧、敷波、電、旗風)が絡む多重衝突事故が発生[44]。敷波に衝突され、狭霧は小破した[45]。 同年11月1日、西岡茂泰中佐(狭霧艦長)は第13駆逐隊(若竹呉竹早苗)司令へ転任[46]荘司喜一郎少佐(当時、駆逐艦羽風艦長)が狭霧駆逐艦長となる[46]

1936年(昭和11年)6月1日、当時の狭霧航海長寺内正道大尉は横須賀海軍航空隊教官へ転任(寺内は坊ノ岬沖海戦時の駆逐艦雪風艦長)[47]。春風航海長小屋増男大尉が後任の狭霧航海長となる[47]。 12月1日、荘司喜一郎中佐(狭霧艦長)は敷設艦厳島副長へ転任(後日、荘司は軽巡川内艦長。同艦沈没時に戦死)[48]則満宰次中佐(当時、吹雪型23番艦艦長)が狭霧駆逐艦長として着任する[48]

1937年(昭和12年)7月28日、日本海軍は球磨型軽巡洋艦5番艦木曽、第6駆逐隊()、第10駆逐隊(狭霧、漣、暁)、第11駆逐隊(吹雪白雪初雪)により第四水雷戦隊(司令官細萱戌子郎少将)を編制。第四水雷戦隊は日中戦争支那事変)における輸送船団護衛や封鎖任務等に投入された。 12月1日、則満宰次中佐(狭霧艦長)は第二水雷戦隊参謀へ転任(後日、則満は第61駆逐隊司令等を歴任し、重巡筑摩艦長。同艦沈没時に戦死)[49][50]山本皓少佐(当時、駆逐艦白雲艦長)が狭霧駆逐艦長に補職される[49]

1938年(昭和13年)4月、第四水雷戦隊は解隊。6月27日、山本少佐(狭霧艦長)は病気の為に退任(6月29日、死去)[51][52]。姉妹艦2隻(漣、暁)艦長を兼務していた小山猛男中佐は狭霧艦長の兼務を命じられ、吹雪型3隻(漣、暁、狭霧)駆逐艦長となった[51]。 7月9日、坪郷悦馬少佐が狭霧駆逐艦長に任命されたことに伴い、小山中佐の艦長兼務は2隻(漣、暁)に戻った[53]。 10月15日、坪郷少佐は第一港務部部員(佐世保海軍軍需部部員兼務)となり、磯久研磨少佐(前職は駆逐艦有明艦長)が狭霧駆逐艦長に任命される[54]

1939年(昭和14年)2月26日、日本の斎藤博・前駐米大使がワシントン(アメリカ合衆国)で死去[55]。斎藤大使の遺骨は、重巡洋艦アストリア(USS Astoria, CA-34) でアメリカから日本に帰国することになった[56][57]4月17日、アストリアは吹雪型3隻(狭霧)に先導され、出迎えの軽巡洋艦木曽と21発の礼砲をかわし、星条旗日章旗半旗に掲げて横浜港に入港[57][58]。 午後、斎藤大使の骨壷の引渡し式が行われた[59]

11月1日、日本海軍は駆逐隊の名称を変更する[60]朝潮型駆逐艦4隻(朝潮大潮満潮荒潮)で編制されていた第25駆逐隊を第8駆逐隊と改名[60]。吹雪型3隻(朝霧夕霧天霧)の第8駆逐隊は第20駆逐隊に改称[60]。 11月15日、狭霧と朝潮型駆逐艦9番艦の駆逐艦長を入れ替えることになり、磯久研磨中佐(狭霧艦長)は霞艦長へ、白浜政七中佐(霞初代艦長)は狭霧艦長に、それぞれ交代する[61]。後日、磯久大佐(元狭霧艦長)は第4駆逐隊司令に補職され[62]トラック島空襲における乗艦(駆逐艦舞風)沈没時に戦死した[63]。 また同日附で第10駆逐隊も解隊。後日、狭霧は第20駆逐隊、暁は第6駆逐隊、漣は第7駆逐隊に、それぞれ編入された。

1940年(昭和15年)4月下旬より、浦賀船渠で修理を実施する[64]。8月1日、狭霧は第三水雷戦隊所属の第20駆逐隊に編入され、同隊は吹雪型4隻(朝霧、夕霧、天霧、狭霧)となった[65][66]。 11月15日、狭霧と陽炎型駆逐艦12番艦磯風の駆逐艦長を入れ替えることになり、白浜政七中佐(狭霧艦長)は磯風艦長へ、杉岡幸七中佐(磯風初代艦長)は狭霧艦長に、それぞれ交代する[67]。後日、白浜大佐は第27駆逐隊司令に補職され、渾作戦における乗艦(駆逐艦春雨)沈没時に戦死した[68]

沈没[編集]

太平洋戦争開戦時の所属は、第一艦隊・第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:旗艦川内)・第20駆逐隊(駆逐隊司令山田雄二大佐:朝霧夕霧天霧狭霧)であった[69]

1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が勃発すると、第20駆逐隊はタイシンゴラ上陸の支援に当たった。マレー沖海戦においては、会敵前に戦闘は終了した。 12月17日、馬来部隊から分派されボルネオ北部のミリ上陸作戦に参加、12月23日から24日にはクチン侵攻に参加した[70]12月24日20時45分、クチンから約35マイル沖を航行中の狭霧は、オランダ海軍潜水艦のK XVIから雷撃された[7][71]。爆雷の誘爆による火災が弾薬庫及び搭載魚雷に引火、大爆発を引き起こして被雷後約15分間で沈没した[72][73]。第三号掃海艇や僚艦の短艇が救助をおこない、叢雲白雲等は輸送船の護衛や周辺海面の制圧に従事した[73]。 狭霧の生存者は駆逐艦長以下119名、戦死者121名[74][75][76]

1942年(昭和17年)1月15日、日本海軍は前年度中に喪失した駆逐艦4隻(東雲狭霧如月疾風)および潜水艦や掃海艇を除籍する[77]。 本艦は吹雪型駆逐艦[78]、 第20駆逐隊[79]、 帝国駆逐艦籍[80] のそれぞれから除籍された。 同日附で杉岡幸七中佐は狭霧駆逐艦長の職務を解かれて第十港務部部員となる[81]。他の狭霧幹部達も職務を解かれた(水雷長諸石高大尉、航海長小泉申平中尉、砲術長田中健一中尉、乗組河原崎勇少尉《後日、駆逐艦秋月沈没時水雷長》)[81]

3月10日、解隊された第12駆逐隊から吹雪型8番艦白雲が編入され、第20駆逐隊は定数4隻(天霧、朝霧、夕霧、白雲)を回復した[82]。狭霧乗組員の一部は藤永田造船所で建造中の夕雲型駆逐艦2番艦「巻雲」(艤装員長/駆逐艦長藤田勇中佐)に配属され、3月14日の同艦竣工を迎えた(諸石高大尉は巻雲水雷長、田中健一中尉は巻雲砲術長)[83]。 狭霧沈没時の艦長だった杉岡中佐は9月10日附で朝潮型駆逐艦2番艦大潮艦長に任命され[84]、続いて第4駆逐隊所属の陽炎型駆逐艦16番艦艦長へ転任[85]ベラ湾夜戦における嵐沈没時に戦死した[86][87]

歴代艦長[編集]

1941年(昭和16年)の「狭霧」

※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』280-282頁による。

艤装員長[編集]

  1. 坂野民部 中佐:1930年8月1日[16] - 1931年1月31日[19]

艦長[編集]

  1. 坂野民部 中佐:1931年1月31日[19] - 1931年12月1日[37]
  2. 清水他喜雄 中佐:1931年12月1日[37] - 1934年11月15日[41]
  3. 西岡茂泰 中佐:1934年11月15日[41] - 1935年10月31日[46]
  4. 荘司喜一郎 少佐:1935年10月31日[46] - 1936年12月1日[48]
  5. 則満宰次 中佐:1936年12月1日[48] - 1937年12月1日[49]
  6. 山本皓 少佐:1937年12月1日[49] - 1938年6月25日[51]※6月29日病没
  7. 小山猛夫 中佐:1938年6月25日[51] - 1938年7月9日[53]
  8. 坪郷悦馬 少佐:1938年7月9日[53] - 1938年10月15日[54]
  9. 磯久研磨 少佐:1938年10月15日[54] - 1939年11月15日[61]
  10. 白浜政七 中佐:1939年11月15日[61] - 1940年11月15日[67]
  11. 杉岡幸七 中佐:1940年11月15日[67] - 1942年1月15日[81]

参考文献[編集]

  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第五 昭和三年至昭和六年』 東京書籍株式会社、2016年3月。ISBN 978-4-487-74405-3
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第七 昭和十一年至昭和十四年』 東京書籍株式会社、2016年3月。ISBN 978-4-487-74407-7
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第3巻 昭和十五年~十六年』 中央公論社、1995年11月。ISBN 4-12-403393-1
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『写真週報62号 4月26日』。Ref.A06031065700。
    • 『第3195号 建造中の駆逐艦及び潜水艦に関する件』。Ref.C11080520100。
    • 『昭和11年12月11日現在10版内令提要追録第1号原稿/巻1 追録/第6類機密保護()』。Ref.C13071968200。
    • 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿/ 巻1追録/第2類編制(1)』。Ref.C13071995700。
    • 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13072003500。
    • 『昭和3年達完/11月』。Ref.C12070090300。
    • 『昭和17年1月3月 内令1巻/昭和17年1月(2)』。Ref.C12070160500。
    • 『昭和17年1月~3月内令1巻/昭和17年3月(1)』。Ref.C12070161200。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第1次演習甲軍第8駆逐隊』。Ref.C05021595300。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第1次演習2軍厳島(1)』。Ref.C05021595700。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第1次演習2軍厳島(2)』。Ref.C05021595800。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第1次演習2軍厳島(3)』。Ref.C05021595900。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習甲軍第8駆逐隊(1)』。Ref.C05021596000。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習甲軍第8駆逐隊(2)』。Ref.C05021596100。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習甲軍第8駆逐隊(3)』。Ref.C05021596200。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習甲軍第8駆逐隊(4)』。Ref.C05021596300。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍館山海軍航空隊』。Ref.C05021596400。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(1)』。Ref.C05021596500。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(2)』。Ref.C05021596600。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(3)』。Ref.C05021596700。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(4)』。Ref.C05021596800。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(5)』。Ref.C05021596900。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(6)』。Ref.C05021597000。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 第2次演習乙軍飛行船指揮官(7)』。Ref.C05021597100。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 故障欠損報告(1)』。Ref.C05021597200。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 故障欠損報告(2)』。Ref.C05021597300。
    • 『昭和6年横須賀鎮守府基本演習 故障欠損報告(3)』。Ref.C05021597400。
    • 『公文備考 昭和6年 E 教育、演習、検閲 巻12(防衛省防衛研究所)/鎮守府令達』。Ref.C05021597500。
    • 『官房第2448号 6.7.24御招待艦準備に関する件』。Ref.C05021495300。
    • 『横鎮第1326号6.10.1御招艦任務に関する職員及乗員数の件』。Ref.C05021496400。
    • 『一般戦機密第115号の2 10.2.28駆逐艦旗風、電触衝に関する件』。Ref.C05034646800。
    • 『18潜隊機密第25号の28 10.3.21伊号第53潜水艦触衝事件報告』。Ref.C05034647000。
    • 『2水戦機密第29号 10.3.8狭霧と敷波、電、と疾風触衝事件報告』。Ref.C05034647100。
    • 『第4水雷戦隊司令部事変日誌(作戦及一般の部)所属 第3艦隊 役務 中支部隊第2警戒部隊 自昭和12年12月1日至昭和12年12月31日/(3)司令部傭人員数(12月1日)等(1)』。Ref.C14120574300。
    • 『第4水雷戦隊司令部事変日誌(作戦及一般の部)所属 第3艦隊 役務 中支部隊第2警戒部隊 自昭和12年12月1日至昭和12年12月31日/(3)司令部傭人員数(12月1日)等(2)』。Ref.C14120574400。
    • 『第4水雷戦隊司令部事変日誌(作戦及一般の部)所属 第3艦隊 役務 中支部隊第2警戒部隊 自昭和12年12月1日至昭和12年12月31日/(3)司令部傭人員数(12月1日)等(3)』。Ref.C14120574500。
    • 『12月分事変日誌添付令達類/上陸兵団指揮官第2護衛隊指揮官間の協定 上陸兵団指揮官 山室宗武 第2護衛隊指揮官 細萱戊子郎 昭和12年12月17日 馬鞍群島』。Ref.C14120575000。
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/20駆隊機密第47号の42 第20駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120970600。
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/20駆隊機密第39号の136 第20駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120980000。
    • 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/20駆隊機密第39号の7 第20駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120988800。
    • 『昭和16年12月 第3水雷戦隊戦時日誌 作戦及一般之部(1)』。Ref.C08030725700。
    • 『昭和16年12月 第3水雷戦隊戦時日誌 作戦及一般之部(2)』。Ref.C08030725800。
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年1月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030090100。
    • 『昭和16年12月 大東亜戦争経過記録/作戦経過概要第14号』。Ref.C16120682600。
    • 『昭和16年12月 大東亜戦争経過記録/作戦経過概要第15号』。Ref.C16120682900。
    • 『昭和16年12月 大東亜戦争経過記録/作戦経過概要第16-17号』。Ref.C16120683000。

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和3年11月p.49『達第百七十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和三年十一月二十三日 海軍大臣岡田啓介 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 狭霧 サギリ』
  2. ^ a b #ポケット海軍年鑑(1937)p.48『一等驅逐艦"狭霧 さぎり" {要目略}特型驅逐艦はわが海軍驅逐艦の中堅主要部隊である。わが驅逐艦名のゆかしさは世界に比類のない、外國の追随を許さぬ詩的なものであるが、"吹雪"より始る特型驅逐艦は"吹雪 ふぶき" "初雪 はつゆき" "白雪 しらゆき" 雪級3隻(深雪が除籍された) 雲級4隻 "浦波 うらなみ" "磯波 いそなみ" "綾波 あやなみ" "敷波 しきなみ" 波級4隻 "天霧 あまぎり" "朝霧 あさぎり" "夕霧 ゆうぎり" 霧級4隻 外に"朧" "曙"等一文字名のものが8隻、合計23隻で各大體4隻づゝをもつて驅逐隊一隊を編制、時には水雷戰隊となり、或ひは航空戰隊に加はり、また警備戰隊に入つて活躍する。』
  3. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.50『一等驅逐艦"狭霧 さぎり" {要目略}我が海軍の有する驅逐艦中にて特型と呼ばれるのはこれ等の最新式大型驅逐艦の別称で、その第一に建造されたのが雪の附く4隻(現在深雪は除籍)でその他に雲級が4隻、波級が4隻、霧級が4隻、それに"朧 おぼろ" "曙 あけぼの" "漣 さざなみ" "潮 うしほ" "暁 あかつき" "響 ひびき" "雷 いかづち" "電 いなづま" 以上23隻の同型艦を有するわけである。そして其の後に現はれたものが初春以降9隻の1,368噸型の最新型であるがこれ等のものも上記のものと同様に特型と呼ばれてゐる。即ちこれ等特型驅逐艦合計32隻の活躍こそは将來不幸にして一朝事ある場合に於て我が艦隊の手足として又時には他艦種の缺を補ふ方面に活躍するものとして大いなる期待がかけられてゐるのである。』
  4. ^ #日本軍艦集2600年版p.443『一等驅逐艦 天霧(あまぎり) (艦要目略) 所謂特型驅逐艦で、同型計23隻、この中霧級には天霧のほかに、朝霧、夕霧、狭霧の三隻がある。』
  5. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939)p.67『昭和五、一二、一(内令二二九)|横須賀鎮守府| |第八驅逐隊|天霧、朝霧|夕霧(五、一二、三 二六五)/狭霧(六、一、三一 九)』
  6. ^ a b c d #海軍制度沿革(巻4、1939)p.68『昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎮守府|第二艦隊|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧|昭和六、一二、一(内令二一五)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル(略)昭和七、五、一九(内令一六七)横鎮ノ部隊第九驅逐隊ノ次ニ第十驅逐隊(狭霧、漣)ヲ加フ/(略)/昭和七、一一、三〇(内令三七〇)第十驅逐隊ニ暁ヲ加フ』
  7. ^ a b c #陽炎型2014281頁『狭霧(さぎり)』
  8. ^ #高松宮日記3巻406頁『○「狭霧」二十四日、移動哨戒中二〇四五「クチン」沖ニテ潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ、爆雷誘爆、二一〇〇沈没。乗員ノ半数以上救助セラレタリ』
  9. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦狭霧命名ノ件 昭和三年十一月二十三日(達一七二)艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 ギリ
  10. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年十一月二十三日(内令三二三)艦艇類別等級表中驅逐艦ノ部驅逐艦一等吹雪型ノ項中「天霧」ノ下ニ「、狭霧」ヲ加フ』
  11. ^ 昭和4年12月26日 海軍公報 第883号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C12070323600 『○驅逐艦進水 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造ノ驅逐艦狭霧本月二十三日午前十時三十二分進水セリ』
  12. ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.574『狭霧|一等驅逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|昭和4-3-28|昭和4-12-23|昭和6-1-31』
  13. ^ a b #艦船要目(昭和12年12月1日現在)p.5『狭霧|一等驅逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|昭和4-3-28|4-12-23|6-1-31|(兵装略)』
  14. ^ 昭和4年12月26日 海軍公報 第883号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C12070323600 『○驅逐艦進水 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造ノ驅逐艦狭霧本月二十三日午前十時三十二分進水セリ』
  15. ^ #艦船要目(昭和12年12月1日現在)p.5『潮|一等驅逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|昭和4-12-24|5-11-17|6-11-14|(兵装略)』
  16. ^ a b 昭和5年8月2日(土)官報第1078号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957545 p.29
  17. ^ 昭和5年8月11日 海軍公報 第1065号 p.41』 アジア歴史資料センター Ref.C12070328000 『○事務所設置 狭霧艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置シ本月七日ヨリ事務ヲ開始セリ』
  18. ^ 第501号6.2.13狭霧』 アジア歴史資料センター Ref.C05110627000 
  19. ^ a b c d 昭和6年2月2日(月)官報第1226号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957694 p.5
  20. ^ 昭和6年11月7日(土)海軍公報(部内現)第1145号 pp.4-5』 アジア歴史資料センター Ref.C12070331000 『○第八驅逐隊(天霧、朝霧、狭霧、夕霧)行動豫定/○郵便物發送先』
  21. ^ #S06鎮守府令達pp.4-7『昭和六年横須賀鎭守府基本演習實施計畫』
  22. ^ #S06横鎮演習第2次演習第8駆逐隊(1)pp.9-11『第二次演習記事 サギリ』
  23. ^ #S06横鎮演習報告(1)p.34『昭和六年七月二十一日 横須賀鎮守府基本演習統監 大角岑生』
  24. ^ a b #昭和天皇実録五巻898-899頁『(昭和六年十一月)八日 日曜日(熊本県陸軍特別演習/御召艦榛名/青木公使の供奉/横須賀御出港)』
  25. ^ 天皇陛下陸軍特別大演習御統裁ノ為熊本県下ヘ鹿児島ヘ御立寄還幸被仰出御日程宮内大臣通牒、正副議長顧問官ヘ通知』 アジア歴史資料センター Ref.A06050717800 
  26. ^ 昭和6年11月10日官報第1460号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『◎御出港 天皇陛下ハ一昨八日午前九時五分御發輦同九時十五分東京驛御發車同十時三十分横須賀驛御箸車逸見埠頭ヨリ御乗艇軍艦榛名ニ御乗艦正午横須賀軍港御出港アラセラレタリ』
  27. ^ a b #昭和天皇実録五巻900頁『(昭和六年十一月)十日 火曜日(佐世保港外に御着)』
  28. ^ #昭和天皇実録五巻900-901頁『(昭和六年十一月)十一日 水曜日(佐世保御入港/佐世保鎮守府/佐世保駅御発/熊本駅御着)』
  29. ^ 昭和6年11月13日官報第1463号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3『◎御安箸 天皇陛下ハ本月十日午後七時佐世保港外ニ御假泊一昨十一日午前七時三十分御假泊地御發動八時三十分佐世保軍港御入港第一上陸場ヨリ御上陸佐世保鎮守府へ行幸同十時四十五分佐世保驛御發車午後三時十五分熊本驛御箸車同三時二十五分大本營(熊本偕行社)ニ御安箸アラセラレタリ』
  30. ^ 昭和6年11月19日官報第1468号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ5『◎行幸 天皇陛下ハ一昨十七日午前八時三十五分行在所御出門同八時四十五分熊本驛御發車同十時三十五分宮地驛御箸車官幣大社阿蘇神社及阿蘇山ヘ行幸午後二時五十分坊中驛御發車同三時三十五分肥後大津驛御箸車菊池東部實業學校ヘ行幸同四時二十分肥後大津驛御發車同四時五十五分熊本驛御箸車同五時五分行在所ニ還幸アラセラレタリ』
  31. ^ a b #昭和天皇実録五巻919-920頁『(昭和六年十一月)十九日 木曜日(熊本驛御発/鹿児島駅御着/鹿児島県庁/消防組御親閲/御親閲/御召艦榛名に御帰艦/鹿児島御出港)』
  32. ^ 昭和6年11月21日官報第1470号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ5『◎御出港 天皇陛下ハ一昨十九日午前八時二十分行在所御出門同八時三十分熊本驛御發車午後一時二十分鹿兒島驛御箸車鹿兒島縣廰及御親閲場(伊敷練兵場)ヘ行幸鹿兒島縣廰ヘ御立寄ノ上鹿兒島港第一桟橋ヨリ御乗艇軍艦榛名ニ御乗艦同五時十五分鹿兒島港御出港アラセラレタリ』
  33. ^ #昭和天皇実録五巻921-922頁『(昭和六年十一月)二十一日 土曜日(横須賀御入港)』
  34. ^ 昭和6年11月25日(水)官報第1472号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ4『◎還幸 天皇陛下ハ本月二十一日午後一時三十分横須賀軍港御入港同二時二十五分逸見埠頭ヨリ御上陸同二時三十分横須賀驛御發車同三時四十五分東京驛御箸車同三時五十五分還幸アラセラレタリ』
  35. ^ 昭和7年5月20日(金)官報第1614号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958085 p.4
  36. ^ 昭和7年5月20日 海軍公報 第1585号 p.28』 アジア歴史資料センター Ref.C12070332700 『○司令驅逐艦指定 第十驅逐隊司令ハ昨十九日司令驅逐艦ヲ狭霧ニ指定セリ』
  37. ^ a b c d 昭和6年12月2日(水)官報第1478号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957946 p.11(原本52一段目、坂野免職)(原本53一段目清水補職)
  38. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.46-47『昭和八、一一、一五(内令三五一)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 高雄愛宕摩耶鳥海/第五戰隊/第六戰隊/古鷹衣笠青葉/第二水雷戰隊 那珂 第六 第十 第十一 第十二驅逐隊/第二潜水戰隊 由良 迅鯨 第十九 第二十九 第三十潜水隊』
  39. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.69-70『昭和八、一一、一五(内令三五二)|横須賀鎮守府|第二艦隊|第六驅逐隊|雷、電、響/第十驅逐隊|狭霧、漣、暁|/呉鎮守府|第十一驅逐隊|白雪、初雪、深雪|深雪(九、七、五 二七八)/第十二驅逐隊|叢雲、薄雲、白雲|』
  40. ^ #陽炎型2014274頁『深雪(みゆき)』
  41. ^ a b c d 昭和9年11月16日(金)官報第2364号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958840 p.10(原本434一段目、清水免職。三段目、西岡補職)
  42. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.48『昭和九、一一、一五(内令四七六)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 高雄愛宕摩耶鳥海/第五戰隊/第六戰隊/古鷹衣笠青葉/第二水雷戰隊 神通 第六 第十 第十九 第二十驅逐隊/第二潜水戰隊 由良 長鯨 第十八 第二十八 第二十九潜水隊/第二航空戰隊 赤城、第二驅逐隊』
  43. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.70『昭和九、一一、一五(内令四七七)|横須賀鎮守府|第六驅逐隊|雷、電、響/第十驅逐隊|狭霧、漣、暁|/呉鎮守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、磯波/第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波|』
  44. ^ #狭霧敷波電疾風触衝p.2『一、昭和十年二月廿八日午前三時 第二水雷戰隊ハ本職指揮ノ下ニ第二艦隊第一回應用教練配備ニ就ク爲有明湾出港ノ際第十驅逐隊狭霧(駆逐艦長海軍中佐西岡茂泰)ト第十九駆逐隊敷波(駆逐艦長海軍少佐佐藤康夫)ト觸衝 第六駆逐隊電(駆逐艦長海軍少佐有賀幸作)ト第五駆逐隊旗風(第一航空戰隊)ト觸衝セリ』
  45. ^ #伊53触衝pp.49-50『本二十八日午前三時有明湾ニ於テ本職指揮ノモトニ第二水雷戰隊無燈出港ノ際左ノ通リ觸衝ヲ惹起セリ|一、敷波艦首ト狭霧左舷中部ト觸衝狭霧ハ左舷百十番ビームヨリ百十三番ニ互ヒ外鈑内方ニ若干灣曲補機質ニ僅ニ漏水アリ、後部魚雷出入用ダビットモギ取ラレ敷波ハ三番ビームヨリ前部右ニ屈曲水線上二米ニ經二米ノ破孔ヲ生ジ第一防水區劃ニ浸水約一尺其ノ他浸水ヲ認メズ|二、電ノ艦首ト旗風ノ右艦首ト觸衝 電ハ一番ビームヨリ前方露天甲板ノ下ニ約一米壓潰破口ヲ生ズ尚水線下三呎迄縦ニ亀裂ヲ生ジ僅ニ漏水アリ|三、人員、狭霧ニ大腿骨折一、輕傷者二、其ノ他ナシ|四、三艦共自力ヲ以テ呉ニ回航應急修理セシム入渠ヲ要スルモノト認ム|五、各所艦長ヨリノ報告ハ書類ヲ以テ提出セシム』
  46. ^ a b c d 昭和10年11月2日(土)官報第2651号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959130 p.4(原本6二段目、西岡免職。四段目、荘司補職)
  47. ^ a b 昭和11年6月2日(火)官報第2823号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959304 p.9
  48. ^ a b c d 昭和11年12月2日(水)官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959458 p.22(原本75三段、則満補職。四段、荘司免職)
  49. ^ a b c d 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.28則満免職、p.35山本補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  50. ^ 昭和20年2月16日(発令昭和19年10月25日付)海軍辞令公報(甲)第1723号 p.42』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103400 
  51. ^ a b c d 昭和13年6月27日(発令6月25日付)海軍辞令公報(部内限)号外 第202号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074000 
  52. ^ 海軍中佐山本皓特旨叙位ノ件 p.5』 アジア歴史資料センター Ref.A11114621600 
  53. ^ a b c 昭和13年7月11日(発令7月9日付)海軍辞令公報(部内限)号外 第209号 p.17』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  54. ^ a b c 昭和13年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)号外 第251号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074400 
  55. ^ #昭和天皇実録七巻753-754頁『(昭和十四年四月)十八日 火曜日(駐米大使斎藤博死去/米国大統領への返電)』
  56. ^ 昭和14年4月14日官報第3680号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ4『◎逓信省告示第千六十七號 開港港則施行規制第三十八條ノ規定ニ依リ横濱税關ニ於テ軍艦アストリア號ヨリ故特命全權大使齋藤博遺骨上陸儀禮中昭和十四年四月十七日午後一時ヨリ同一時四十分迄左記區域内ニ於ケル一般船舶ノ航行ヲ禁止ス』
  57. ^ a b #写真週報62号p.6『アストリアの結ぶ日米親善』
  58. ^ 海軍公報(部内限)第3185號 昭和14年4月17日(月)』 アジア歴史資料センター Ref.C12070380300 pp.25-26『○四月十七日午前十時調【横須賀】春日▲、五十鈴▲、神威▲、鈴谷▲、高雄▲、山城、陸奥、嚴島、多摩、利根、(旗艦)八雲、(旗艦)沖島、駒橋  島風、灘風、漣、(司令)夏雲、峯雲、朝雲▲、山雲▲、汐風、澤風▲、(司令)電、雷 伊六▲ 富士▲、洲崎▲、鳴戸 (飛龍)、(高崎)▲|【横濱】木曾|【航海中】響(十六日長浦發―館山へ)/(司令)暁、狭霧(十七日館山發)』
  59. ^ #写真週報62号p.7『午後一時十五分、アストリア號の艦裁定は静かに舷梯に横付され、遺骨を納めた白木造りの御堂は武装の米國水兵に捧持されて艇に移された。』
  60. ^ a b c 昭和14年11月1日(水)海軍公報(部内限)第3349号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C12070381800 『官房第五五八七號 本月十一月一日驅逐隊編制中改正竝ニ海軍定員令中改正施行ノ際現ニ左記上欄ノ隊ノ職員タル者ハ別ニ辭令ヲ用ヒズシテ各下欄ノ相當職員ニ補セラレタル義ト心得ベシ 昭和十四年十一月一日 海軍大臣』-『(従前ノ隊名)第八驅逐隊|(新隊名)第二十驅逐隊』-『第二十五驅逐隊|第八驅逐隊』-『呉防備隊|佐伯防備隊』
  61. ^ a b c 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.45磯久免職、p.46白浜補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  62. ^ 昭和18年11月20日(発令11月17日付)海軍辞令公報(部内限)第1265号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094500 
  63. ^ 海軍少将古川文次外三名叙位の件 p.5』 アジア歴史資料センター Ref.A12090477700 
  64. ^ 支那事変第8回功績、第20駆逐隊p.1『狭霧|慰勞乙|昭和十五年自四月二十九日至七月三十一日|浦賀ニテ特定修理中』
  65. ^ 支那事変第8回功績、第20駆逐隊p.2『狭霧 昭和十五年八月一日第二十驅逐隊ニ編入サル』
  66. ^ 支那事変第8回功績、第20駆逐隊p.4『狭霧|功勞甲|自八月一日至八月三日|昭和十五年八月一日第二十驅逐隊ニ編入サレ浦賀 呉ニテ出師準備』
  67. ^ a b c 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 p.10白浜免職、p.13杉岡補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 
  68. ^ 海軍少将白浜政七外二名叙位の件』 アジア歴史資料センター Ref.A12090508000 p.5
  69. ^ 支那事変第10回功績、第20駆逐隊p.1『第二十駆逐隊支那事變第十回功績概見表 第二十驅逐隊司令海軍大佐 山田雄二』
  70. ^ 作戦経過概要14号p.32『二五|一九〇〇|發 KF長官 着 總長、GF長官、2F長官 機密第四五六番電 馬來部隊戰闘概報第十二號其ノ一 「クチン」方面情況報告』
  71. ^ #叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  72. ^ #昭和16年12月三水戦日誌(1)p.35『25日0330第二護衛隊指揮官→南遣艦隊司令長官/戦闘概報第五号其ノ三|一.狭霧及所定ノ哨区ニ在リテ「ク」泊地対空対潜移動警戒中2045シパング岬354度27粁ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ爆雷ニ誘爆火災引続キ爆薬庫三番聯管予備魚雷爆発2100沈没セリ|二.護衛隊ハ第三号掃海艇及白雲短艇ヲ以テ狭霧乗員救助ニ當ラシム(以下略)』
  73. ^ a b 作戦経過概要15号pp.1-2『二五|〇三三〇|發 第二護衛部隊指揮官/着 7S 3Sd各司令官/機密第一六二番電其ノ一/戰闘概報第五號其ノ三(十二月二十四日)/一、狭霧ハ所定哨區ニ在リテ「ク」泊地對空對潜移動警戒中二〇四五「シパング」岬三五四度二七粁ニ於テ敵潜水艦ノ來襲ヲ受ケ爆雷誘爆火災引續キ爆藥庫誘發聯管豫備魚雷爆發シ二一〇〇沈没セリ/二、護衛隊ハ第三號掃海艇及白雲短艇ヲ以テ狭霧乗員救助ニ當ラシム 白雲ハ狭霧遭難附近海面叢雲第六號掃海艇ハ輸送船(日蘭丸 第二雲洋丸 第三圖南丸)泊地ノ敵潜水艦制壓ニ任ズ』
  74. ^ #昭和16年12月三水戦日誌(1)p.55『12月24日(略)二.狭霧2100シパング岬ノ354°27kニテ哨戒中敵潜ノ雷撃ニ依リ沈没(イ)生存者艦長以下119名内重傷5名(ロ)戦死者121名』
  75. ^ 作戦経過概要16-17号pp.13-18『二八|二〇〇〇|發 南遣艦隊長官 着 總長、大臣、聯合艦隊長官、第二艦隊長官 馬來部隊戰闘概報第一五號其ノ一(十二月二十八日) B作戰状況報告(略)二十四日二〇四五泊地ヲ哨戒中ノ狭霧ハ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ沈没同夜二一一五叢雲ハ泊地ノ敵潜水艦ヲ爆雷攻撃シ之ヲ撃沈セリ(中略)三、我ガ損失(イ)東雲、狭霧、第六號掃海艇ヲ喪フ 東雲戰死者艦長以下二二八名 狭霧戰死者一二一名(生存者一一九名) 第六號掃海艇生存者七三名其ノ他ハ戰死、陸戰隊員戰死四名/(ロ)海軍輸送船北海丸航行不能 第二雲洋丸沈没 陸軍輸送船日吉丸航行不能 香取丸沈没/四、所見 略』
  76. ^ #高松宮日記3巻413-414頁『「東雲」戦死 艦長以下二二八/「狭霧」〃一二一(生存者一一九)/「六掃」(生存者七三ノミ)陸戦隊戦死四}英ボルネオ作戦中損害』
  77. ^ #昭和17年1月〜二水戦日誌(4)p.1『海軍大臣15日0700/15日附 一.東雲、狭霧、疾風、如月ヲ駆逐艦籍ヨリ除カル|二.呂六〇潜、呂六六潜ヲ潜水艦籍ヨリ除カル|三.掃六、掃一〇ヲ掃海艇籍ヨリ除カル』
  78. ^ #内令昭和17年3月(2)p.2『内令第五十號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中神風型ノ項中「疾風、」ヲ、睦月型ノ項中「如月、」ヲ、吹雪型ノ項中「東雲、」「狭霧、」ヲ削ル|潜水艦二等ノ部中「呂六十型」ヲ「呂六十一型」ニ改メ、同項中「呂號第六十、」「呂號第六十六、」ヲ削ル|掃海艇ノ部中第一號型ノ項中「、第六號」ヲ、第七號型ノ項中「第十號、」ヲ削ル』
  79. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.15-19『内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』
  80. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.21-22『内令第七十九號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 東雲 驅逐艦 狭霧|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 疾風 驅逐艦 如月|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 呂號第六十潜水艦 呂號第六十一潜水艦|右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第六號掃海艇|佐世保鎮守府在籍 第十號掃海艇|右帝國掃海艇籍ヨリ除カル|昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  81. ^ a b c 昭和17年1月15日(発令1月15日付)海軍辞令公報(部内限)第794号 p.40杉岡免職、p.42諸石・小泉・田中免職、p.43河原崎免職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072083800 
  82. ^ #内令昭和17年3月(1)p.35『内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ』
  83. ^ 昭和17年3月16日(発令3月14日付)海軍辞令公報(部内限)第828号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084600 
  84. ^ 昭和17年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第939号 pp.32-33』 アジア歴史資料センター Ref.C13072086800 
  85. ^ 昭和17年11月16日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第988号 p.12』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088200 
  86. ^ 昭和18年10月28日(発令8月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1248号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094000 
  87. ^ 故海軍大佐杉岡幸七外二名位階追陞の件 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.A12090352500 

関連項目[編集]