巻雲 (夕雲型駆逐艦)

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Makigumo II.jpg
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1940年12月23日
進水 1941年11月5日
就役 1942年3月14日竣工
その後 1943年2月1日雷撃処分
除籍 1943年3月1日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

巻雲(まきぐも)は、日本海軍駆逐艦[1]夕雲型の2番艦である。艦名は敷波型駆逐艦「巻雲」に続いて2代目。

艦歴[編集]

駆逐艦「巻雲」は1939年度(マル4計画)仮称第117号艦として藤永田造船所で建造される。1940年(昭和15年)12月23日起工[2]1941年(昭和16年)8月5日、平島型敷設艇澎湖鷹島」等と共に命名される[1]。本艦は同日附で一等夕雲型に登録される[3]。同年11月5日進水[2]。12月20日、巻雲艤装員長として藤田勇中佐[4]が着任する(藤田は9月まで朝潮型駆逐艦1番艦「朝潮」駆逐艦長)[5]1942年(昭和17年)3月14日に竣工[2]横須賀鎮守府[6]。藤田艤装員長も本艦初代駆逐艦長となった[7]

竣工後、本艦は夕雲型1番艦「夕雲」とともに第十駆逐隊(阿部俊雄大佐〔海軍兵学校46期〕、前職第8駆逐隊司令)[8]を編成[9][10]。 3月28日、第十駆逐隊に夕雲型3番艦「風雲」が編入される[11]。 4月15日、第五航空戦隊(司令官原忠一少将)所属だった一等陽炎型19番艦秋雲」が第十駆逐隊に編入され、定数4隻(夕雲、巻雲、風雲、秋雲)となった[12]

「秋雲」編入直前の4月10日、戦隊改編により第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将〔海軍兵学校36期〕)の直衛に任ずる部隊として第十戦隊(木村進少将〔海軍兵学校40期〕)が編成され、第十駆逐隊も第十戦隊に編入された。これまでの第一水雷戦隊(大森仙太郎少将・海兵41期)に代わって南雲機動部隊の直衛に就く第十戦隊は、旗艦「長良」以下、第十駆逐隊《第1小隊:(1)風雲、(2)夕雲、第2小隊:(3)巻雲、(4)秋雲》、第十七駆逐隊《第1小隊:(1)谷風、(2)浦風、第2小隊:(3)浜風、(4)磯風》、第七駆逐隊《第1小隊:(1)、(2)、第2小隊:(3)》が所属していた[13]。だが第七駆逐隊は機動部隊から外されており、実際の機動部隊警戒隊(指揮官:第十戦隊司令官)は「長良」以下第十駆逐隊4隻、第十七駆逐隊4隻、第四水雷戦隊/第四駆逐隊(有賀幸作司令:野分萩風舞風)という編制である[14]

米軍機動部隊との戦い[編集]

第十戦隊は6月5日のミッドウェー海戦が初陣となった。米軍機動部隊艦載機の攻撃により空母3隻(赤城加賀蒼龍)は被弾炎上。「赤城」を第4駆逐隊第1小隊(嵐、野分)、「加賀」を第4駆逐隊第2小隊(萩風、舞風)、「蒼龍」を第17駆逐隊第2小隊(浜風、磯風)が護衛し、各艦乗組員の救助をおこなった[15]。「夕雲」「巻雲」は「蒼龍」の乗員救助を行った後、最後まで戦闘を続けていた空母「飛龍」の救援に向かう[16]。「飛龍」乗組員は「巻雲」「風雲」に移乗[17]。「巻雲」は魚雷1本を発射して「飛龍」を雷撃処分した[18]。「巻雲」以下残存艦隊は「飛龍」沈没を確認しないまま西方に退避した[19]。6日になり空母「鳳翔」偵察機が漂流する「飛龍」を発見、そのため「飛龍」を確実に処分すべく第17駆逐隊「谷風」が派遣される[20]。「谷風」は米軍機動部隊艦載機の襲撃を受けつつも生還した。海戦後、第十駆逐隊は6月13日にに帰投した[21]

7月14日、臨時編成の第一航空艦隊が解散して第三艦隊が編成され、南雲中将が司令官となった。第十戦隊から第七駆逐隊が外れ、第四駆逐隊および第十六駆逐隊が編入される。第十戦隊は軽巡洋艦「長良」以下第四駆逐隊(嵐、野分、萩風、舞風)、第十駆逐隊(夕雲、巻雲、風雲、秋雲)、第十六駆逐隊(雪風、時津風、天津風、初風)、第十七駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)という戦力を揃えた。 8月7日、ガダルカナル島フロリダ諸島にアメリカ軍が上陸してガダルカナル島の戦いが始まった。8月16日、第三艦隊は柱島泊地を出撃してトラック諸島に向かうが、アメリカ機動部隊が出現した事によりソロモン諸島東方海域に急行した[22]。8月24日の第二次ソロモン海戦でも空母の直衛を務めた。9月29日、「秋雲」とともに第三水雷戦隊(橋本信太郎中将〔海軍兵学校41期〕)の指揮下に入り[23]ショートランドへ進出してすぐにガダルカナル島への鼠輸送に参加する[24]。10月3日と6日の輸送ではタサファロングに、10月9日にはカミンボにそれぞれ舞鶴第四特別陸戦隊第二師団丸山政男中将)の兵員や軍需物資を陸揚げした[25]

10月26日の南太平洋海戦では前衛部隊に配される。日米両機動部隊の激闘の末、アメリカ空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) は爆弾5発と魚雷3本が命中して大破し、損害は甚大で復旧不能と判断したアメリカ軍は「ホーネット」の曳航を断念。鹵獲を避けるべく「ホーネット」の処分を試み、駆逐艦マスティン英語版 (USS Mustin, DD-413) およびアンダーソン英語版 (USS Anderson, DD-411) に処分をゆだねた。「マスティン」と「アンダーソン」は魚雷9本と400発に及ぶ5インチ砲の砲撃を行ったが、「ホーネット」は沈まなかった。そうこうしている内に、前衛部隊が迫ってきたので米駆逐艦2隻は避退していった[26]

「事情許さば、拿捕曳航されたし」という宇垣纏少将/連合艦隊参謀長(海軍兵学校40期)の命令を受けて「巻雲」「秋雲」は前衛部隊から分離した。日が暮れようとする海原を前進すると、彼方から遠雷のような砲声を聞いた[27]。これは、先に米駆逐艦2隻が「ホーネット」に砲弾と魚雷を撃ち込んでいた音だったと考えられた[27]。やがて、前方の水平線上が赤味を帯びているのが見えた[27]。接近してみると炎上して漂流中の「ホーネット」だった[27]。同艦はいたるところから火を噴き、艦首からは曳航されていたことを物語るロープが数本垂れ下がっていた[28][29]。「秋雲」が12.7センチ砲弾24発を水線下に命中させたものの微動だにせず[28]、魚雷での処分に切り替えられた。「巻雲」「秋雲」は各魚雷2本発射し、4本のうち3本が命中[30]。巻雲艦長によれば、最初の1本は艦首に命中して傾斜が復元し、2本目を反対舷に発射し、3本目で沈没、「此ノ駆逐艦魚雷ヲ三本モ打チ込ンデヤツト沈メタノニハ、ナサケナキ限リナリシ」と回想している[29]。 一方「秋雲」ではホーネットの断末魔を記録して軍令部に提出すべく、絵の上手な信号員に炎上中の「ホーネット」を描くよう命じた[30]。秋雲駆逐艦長相馬正平少佐はスケッチの助けにしてやろうと、「ホーネット」に向けて何度もサーチライトを照射したが、巻雲側は「秋雲」の突然のサーチライト照射の真意をつかめず、「如何セシヤ」の発光信号を送った[31]。やがて「ホーネット」の火災は艦全体に広がった。「秋雲」「巻雲」が見守る中、「ホーネット」は10月27日午前1時35分、サンタクルーズ諸島沖に沈んでいった。日本側は連合艦隊司令部からの命令に従って「ホーネット」の拿捕曳航を行おうとしたが、最終的に断念している。また、「秋雲」の信号員がスケッチした「ホーネット」の最期の姿も残されている[32]。10月30日、トラックに帰投。この時、「秋雲」の推進器に異常が発生したため内地帰投となり、「秋雲」から魚雷と弾薬を譲り受けた[33]。「秋雲」は南太平洋海戦で損傷した損傷艦(翔鶴瑞鳳筑摩熊野)等を護衛して内地へ帰投した。

ガダルカナル島の戦い[編集]

第十駆逐隊は外南洋部隊支援隊(指揮官西村祥治第七戦隊司令官)に編入されていたが、駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)に際して増援部隊(指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官)に編入される[34]。「巻雲」は11月7日7時30分にショートランド泊地に到着、増援部隊に編入された[34]。 11月10日9時、第十駆逐隊司令阿部俊雄大佐指揮下の駆逐艦5隻(夕雲、巻雲、風雲、巻波涼風)は、第三十八師団師団長を含む陸兵600名、物資、第十一戦隊弾着観測員(飛行場砲撃時)を搭載してショートランドを出撃[35]。空襲を受けたが被害なく、揚陸地点でアメリカ軍魚雷艇4隻と交戦しこれを撃退、揚陸に成功し、傷病者585名を収容して11日午前中に帰投した[35]

11月12日以降、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地に対する砲撃と日本軍輸送船団をめぐり、日米双方は主力艦隊を投入して大規模海戦に発展する(第三次ソロモン海戦)。外南洋部隊支援隊(指揮官西村祥治第七戦隊司令官)に所属し、第七戦隊(鈴谷摩耶)および護衛部隊(天龍、夕雲、巻雲、風雲、朝潮《本来は満潮だったが出撃直前の空襲で大破、朝潮と交替》)として、11月13-14日にかけてヘンダーソン飛行場砲撃に参加[36]。 砲撃終了後、第八艦隊主隊(鳥海衣笠五十鈴天霧)と合流してショートランド泊地へ帰投中、ニュージョージア諸島南方で空母「エンタープライズ」艦載機とヘンダーソン基地から飛来した艦爆の空襲を受ける[36]。この空襲で重巡「衣笠」が沈没(他に鳥海、摩耶、五十鈴損傷)[37]。「巻雲、夕雲」は「衣笠」乗組員の救助に従事した[38]

第三次ソロモン海戦に勝利した連合軍は、パプアニューギニアブナに上陸作戦を敢行した(ブナとゴナの戦い[39]

11月17日、外南洋部隊指揮官直率部隊(鳥海、夕雲、巻雲、風雲、親潮、陽炎)はラバウルに到着する[39]。第八艦隊司令部は陸上に移り、他の巡洋艦(天龍)や駆逐艦はニューギニア方面の作戦に従事することになった[39]。 11月17日夜、輸送部隊は駆逐艦5隻(夕雲、巻雲、風雲、親潮陽炎)で出撃し、バサブア(ブナ地区)へ約1000名を揚陸させた[40]。続く輸送作戦で駆逐艦「海風」が大破したため、駆逐艦4隻(春雨白露磯波)が外南洋部隊に編入され、22日にラバウルへ到着する[40]。連合軍の反撃を受けて、連合艦隊はガダルカナル島よりもニューギニア方面を重視する姿勢をとる[40]。 11月22日、輸送隊の駆逐艦4隻(巻雲、風雲、夕雲、荒潮)は陸兵800名のバサブア輸送を実施[41]。同日、外南洋部隊指揮官三川中将は新たな兵力部署を発令[41]。東部ニューギニア方面護衛隊(朝潮、荒潮、春雨、白露、電、磯波、早潮、夕雲、巻雲、風雲)は、第十八戦隊司令官松山光治少将(旗艦「天龍」)の指揮下に入った[41]。 11月28日、第十駆逐隊司令指揮下の駆逐艦4隻(夕雲、巻雲、風雲、白露)による陸兵輸送作戦を実施するが、29日昼間にB-17の空襲を受ける[42]。「白露」が大破、「巻雲」も至近弾で損傷、輸送作戦は中止された[42]。「巻雲」は修理を実施しつつ、12月までブナ地区への兵員揚陸を行った。12月16日からはウェワク攻略作戦に参加した。

1943年(昭和18年)1月18日、第十駆逐隊司令は阿部大佐(後日、軽巡洋艦「大淀」艦長)から吉村真武大佐[43]に交代(吉村大佐は1月7日まで軽巡洋艦「龍田」艦長)[44]。 1月23日、駆逐艦5隻(秋雲、夕雲、巻雲、風雲、雪風)は南東方面部隊に編入され、そのまま外南洋部隊に所属する[45]。本艦はガダルカナル島からの撤退作戦である「ケ号作戦」に参加。1月31日、第一次作戦に参加する日本軍駆逐艦隊(白雪文月江風親潮舞風巻波風雲巻雲夕雲秋雲浦風磯風浜風谷風皐月長月時津風雪風大潮荒潮)はショートランドを出撃。途中で空襲に遭遇し「巻波」《撤収部隊旗艦》が損傷して「文月」の曳航により退避、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将は旗艦を「白雪」に変更した[46][47]。 この空襲により「東京急行」の接近を知ったアメリカ軍は、駆逐群および機雷敷設部隊、魚雷艇群の三段構えで「東京急行」を待ち構えようとした。このうち、駆逐群は日本機の空襲に阻止されて動けなかった[48]。残る二隊のうち、機雷敷設部隊は2月1日夕刻にエスペランス岬付近に機雷を合計255個敷設していった[48]。その約3時間後[49]、エスペランス岬沖に接近しつつあったその時に艦尾に触雷し、航行不能となった。「夕雲」が接近して横付け曳航法でカミンボ沖まで北上したが[50]、船体に歪みが生じてきた上に浸水がひどくなって曳航困難となる。曳航索も切断[51]。吉村真武司令の許可を得て藤田勇(巻雲駆逐艦長)中佐以下全乗員は「夕雲」に移乗、その後「夕雲」は魚雷1本を発射して「巻雲」を雷撃処分した[50]

駆逐艦「巻雲」は3月1日附で、 第十駆逐隊[52]、 帝国駆逐艦籍[53]、 夕雲型駆逐艦[54]のそれぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 藤田勇 中佐:1941年12月20日[4] - 1942年3月14日[7]
駆逐艦長
  1. 藤田勇 中佐:1942年3月14日[7] - 1943年2月20日[55]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和16年8月pp.10-12『達第二百四十六號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦一隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻、敷設艇五隻及魚雷艇三隻ニ左ノ通命名ス 昭和十六年八月五日 海軍大臣 及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 巻雲(マキグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十三潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第二十號掃海艇|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 第二十四號驅潜艇|株式會社玉造船所ニ於テ建造 敷設艇 澎湖(ホウコ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 敷設艇 鷹島(たかしま)|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 敷設艇 済州(サイシユウ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第一號敷設艇 第二號敷設艇|株式會社横濱「ヨツト」工作所ニ於テ建造 第四號魚雷艇 第五號魚雷艇 第六號魚雷艇』
  2. ^ a b c #内令昭和17年5月(2)p.22『艦名:巻雲|艦種:一等驅逐艦|(性能略)|製造所:藤永田造船所|起工年月日15-12-23|進水年月日16-11-5|竣工年月日17-3-14|(兵装略)』
  3. ^ #内令昭和16年8月(1)p.29『内令第九百一號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年八月五日 海軍大臣 及川古志郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「夕雲」ノ下ニ「、巻雲」ヲ加フ(以下略)』
  4. ^ a b 昭和16年12月20日(発令12月20日付)海軍辞令公報(部内限)第776号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072083500 
  5. ^ 昭和16年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第708号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 
  6. ^ #内令昭和17年3月(2)p.20『内令第四百四十四號 驅逐艦 巻雲 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 巻雲 右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年三月十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  7. ^ a b c 昭和17年3月16日(発令3月14日付)海軍辞令公報(部内限)第828号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084600 
  8. ^ 昭和17年3月16日(発令3月14日付)海軍辞令公報(部内限)第828号 p.12』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084600 
  9. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』pp.10
  10. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.20-21『内令第四百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第十驅逐隊|夕雲、巻雲|』
  11. ^ #内令昭和17年3月(4)p.42『内令第五百二十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「巻雲」ノ下ニ「、風雲」ヲ加フ|』
  12. ^ #内令昭和17年4月(4)p.3『内令第六百五十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「夕雲」ノ上ニ「秋雲、」ヲ加フ』
  13. ^ #ミッドウエー海戦戦闘詳報(1)p.8『第十戦隊戦時日誌(一)艦隊区分』
  14. ^ #ミッドウエー海戦戦闘詳報(1)p.9『(二)軍隊区分(イ)五月二十日附機動部隊兵力部署』
  15. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)p.45『(ニ)蒼龍(略)爾後漂流中ノ者ヲ前甲板ニ収容シ負傷者ノ治療ヲ行ヒ1600頃迄ニ浜風磯風ニ収容ヲ了ス』
  16. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』32ページ
  17. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)pp.42-44『(ハ)飛龍(略)6日0015総員退去下令御真影ヲ奉ジ風雲巻雲ニ分乗開始0130移乗ヲ終了ス』
  18. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)p.44『0210巻雲ヲ以テ飛龍ヲ雷撃(一本)自沈ス。飛龍自沈一北緯31度27.5分東経179度23.5分』
  19. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(2)p.1『6日0430ニ至リGFヨリ左ノ照会アリ「GF機密第310番電 飛龍ハ沈没シタルヤ状況位置知ラセ」之ニ対シ飛龍ノ沈没ハ確認シアラズ』
  20. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(2)p.2『且味方飛行機ハ尚漂流中トノ報告アリシヲ以テ6日0945長良機ヲ以テ之ヲ捜索谷風ヲ分派撃沈セントセシガ共ニ目標ヲ発見セザルヲ以テ撃沈セシモノト推定ス』
  21. ^ 木俣『日本水雷戦史』148ページ
  22. ^ 『第十一戦隊戦時日誌』C08030051400, pp.21
  23. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』33ページ、木俣『日本水雷戦史』200、201ページ
  24. ^ 木俣『日本水雷戦史』200ページ
  25. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』34ページ
  26. ^ 佐藤和正「南太平洋海戦/第三次ソロモン海戦」『写真・太平洋戦争(第5巻)』63ページ
  27. ^ a b c d 中島斎「南太平洋の激闘」『栄光の駆逐艦 秋雲』114ページ
  28. ^ a b 中島, 115ページ
  29. ^ a b #高松宮日記5巻146-147頁『(後日談)漂流空母ヲ処分セル「巻雲」艦長ノ話』
  30. ^ a b 中島, 116ページ
  31. ^ 中島, 116、117ページ
  32. ^ 中島, 118ページ
  33. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』35ページ
  34. ^ a b #叢書83ガ島戦350-351頁『七日の輸送』
  35. ^ a b #叢書83ガ島戦353頁『十日の輸送』
  36. ^ a b #叢書83ガ島戦376-378頁『「鈴谷、摩耶」のガ島飛行場砲撃と「衣笠」の喪失』
  37. ^ #鳥海詳報馬来沖・ソロモン(2)p.19『第二次第三次ノ爆撃ニ依リ五十鈴直撃弾ニ依リ浸水中破摩耶鳥海小破ノ損害ヲ受ク一〇三〇(爆撃第一次ヨリ四時間)ニシテ敵空母ノ空襲距離外ニ出ズ敵機ハガ島飛行隊ト空母聯合大擧シテ折柄揚陸ニ急行中ノ輸送船團上空ニ雷中ノ連續雷爆撃被害甚大トナリ霧島愛宕高雄第二回飛行場制圧射撃ニ向ヒシモ又敵艦隊ト交戦ノ結果戦艦四巡洋艦二駆逐艦五以上撃沈セリ吾又霧島及綾波ヲ失フ』
  38. ^ #高松宮日記5巻221頁
  39. ^ a b c #叢書83ガ島戦413-415頁『連合軍のブナ上陸と南東方面部隊の対策』
  40. ^ a b c #叢書83ガ島戦418-420頁『聯合艦隊司令部の作戦指導』
  41. ^ a b c #叢書83ガ島戦423-424頁『外南洋部隊兵力部署』
  42. ^ a b #叢書83ガ島戦426-427頁『混成第二十一旅団第一次輸送』
  43. ^ 昭和18年1月18日(発令1月18日付)海軍辞令公報(部内限)第1036号 pp.9-10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089400 
  44. ^ 昭和18年1月9日(発令1月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1027号 pp.20-21』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089000 
  45. ^ #叢書83ガ島戦534頁『外南洋部隊兵力部署』
  46. ^ #S1709第八艦隊(5)pp.21-22『巻波、舞風、江風、黒潮、白雪、文月、皐月、長月、10dg(風雲巻雲夕雲秋雲)、17dg(谷風浦風浜風磯風)、16dg(時津風雪風)、8dg(大潮荒潮)|2-1|「ケ」號作戦第一次輸送ノ為出撃1615地点8-30・S158-30Eニ於テ敵機約30機ト交戦巻波中破旗艦ヲ白雪ニ変更文月曳航シテ帰還他ハ任務ヲ続行ス。2130泊地着作業中魚雷艇6隻ト交戦R方面航空部隊水偵ト協力其ノ他4隻ヲ撃沈ス。収容人員陸軍5119、海軍250、船員14。巻雲揚陸作業中触雷(機雷ノ如シ)大破シ夕雲ヲシテ曳航ヲ試ミタルモ見込ナシ処分ス。帰途荒潮長月ハ各敵1機ヲ撃墜ス』
  47. ^ #高松宮日記5巻544頁
  48. ^ a b 木俣, 257ページ
  49. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』67ページ 、木俣, 257ページ
  50. ^ a b 『栄光の駆逐艦 秋雲』67ページ
  51. ^ #高松宮日記5巻545頁
  52. ^ #内令昭和18年3月(1)p.10『内令第三百四十五號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年三月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十駆逐隊ノ項中「巻雲、」ヲ削ル|第三十四駆逐隊ノ項中「羽風、」ヲ削ル』
  53. ^ #内令昭和18年3月(1)pp.11-12『内令第三百四十八號|横須賀鎮守府籍:駆逐艦 巻雲、駆逐艦 冲風|舞鶴鎮守府所属:駆逐艦 羽風|右帝国駆逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍:伊號第四潜水艦|右駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年三月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十駆逐隊ノ項中「巻雲、」ヲ削ル|第三十四駆逐隊ノ項中「羽風、」ヲ削ル』
  54. ^ #内令昭和18年3月(1)p.152『内令第三百五十號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年三月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等峯風型ノ項中「、沖風、羽風」ヲ、同夕雲型ノ項中「、巻雲」ヲ削ル|潜水艦、一等伊一型ノ項中「、伊號第四」ヲ削ル』
  55. ^ 昭和18年2月23日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1057号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089800 

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 横須賀鎮守府司令部『自昭和十七年三月一日至昭和十七年三月三十一日 横須賀鎮守府戦時日誌』(昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030316000
    • 第十一戦隊司令部『自昭和十七年八月一日至同年八月三十一日 第十一戦隊戦時日誌』(昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051400
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098800
    • 第七戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至同十一月三十日 第七戦隊戦時日誌』(昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030047600
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年二月一日至昭和十八年二月二十八日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100400
    • Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/巻3追録/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C12070110700 『昭和16年7月~12月達/昭和16年8月』。
    • Ref.C12070152200 『昭和16年5月~8月内令2巻/昭和16年8月(1)』。
    • Ref.C12070161300 『昭和17年1月~3月内令1巻/昭和17年3月(2)』。
    • Ref.C12070161400 『昭和17年1月~3月内令1巻/昭和17年3月(3)』。
    • Ref.C12070162400 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年4月(4)』。
    • Ref.C12070162800 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。
    • Ref.C12070175800 『昭和18年1月~4月内令1巻/昭和18年3月(1)』。
    • Ref.C08030040400 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日ミッドウエー海戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030023800 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(1)』。
    • Ref.C08030023900 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(2)』。
    • Ref.C08030024000 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(3)』。
    • Ref.C08030024100 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(4)』。
    • Ref.C08030022900 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030746900 『昭和16年12月4日~昭和17年11月5日 鳥海戦闘詳報(馬来沖海戦.ソロモン海戦等)(1)』。
    • Ref.C08030747000 『昭和16年12月4日~昭和17年11月5日 鳥海戦闘詳報(馬来沖海戦.ソロモン海戦等)(2)』。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 駆逐艦秋雲会『栄光の駆逐艦 秋雲』駆逐艦秋雲会、1986年
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』 中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』 朝雲新聞社、1975年8月。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 雑誌「丸」編集部編『写真・太平洋戦争(第5巻)』光人社NF文庫、1995年、ISBN 4-7698-2079-8

関連項目[編集]