バリ島沖海戦

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バリ島沖海戦
戦争太平洋戦争 / 大東亞戦争
年月日1942年2月20日
場所バリ島
結果:日本の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オランダの旗 オランダ
イギリスの旗 イギリス
指導者・指揮官
阿部俊雄大佐 カレル・ドールマン少将
戦力
駆逐艦4 軽巡洋艦3
駆逐艦7
損害
駆逐艦1大破
駆逐艦1小破[1]
駆逐艦1沈没
軽巡洋艦1中破
駆逐艦1小破[1]
南方作戦

バリ島沖海戦(バリとうおきかいせん)とは、太平洋戦争大東亜戦争)中の海戦[2]1942年(昭和17年)2月19日深夜から2月20日夜明け前にかけて[3]連合国軍艦隊が日本軍バリ島攻略船団を攻撃したが、日本海軍の駆逐艦4隻に撃退された[4][5]アメリカ軍呼称はバドゥン海峡海戦(Battle of Badung Strait)[6]

経緯[編集]

1942年(昭和17年)1月下旬、日本軍はジャワ島攻略のための飛行場確保を目的として、当初は予定になかったバリ島の攻略を決めた[7]第十一航空艦隊ボルネオ島バンジャルマシンよりもバリ島に飛行場を建設した方がのちのちの利点が大きいと熱心に主張し、これに蘭印部隊司令部や南方軍総司令部も同意、バリ島海路攻略とバンジャルマシン陸路攻略が決定したのである[8]。マニラでの陸軍第十六軍司令官今村均中将と第三艦隊司令長官高橋伊望中将の協定は1月23日に成立したが、ジャワ島攻略作戦の発動遅延により、バリ島攻略作戦の日程も延期された[8]

攻略に当たる海軍部隊は、第一根拠地隊司令官久保九次少将ひきいる支援隊(軽巡洋艦長良、第21駆逐隊《若葉子日初霜》)、攻略隊(第8駆逐隊《第1小隊〔大潮、朝潮〕、第2小隊〔満潮、荒潮〕》、第五設営班、陸軍輸送船2隻《相模丸、笹子丸》)、補給部隊(マカッサル海峡部隊《筑紫蒼鷹、第2駆潜隊、第1号駆潜艇》、ケンダリー部隊《白山丸、君島丸、第52駆潜隊、第1駆潜隊、いくしま丸》)、さらに第8駆逐隊による第一次急襲作戦成功後は、軽巡「長良」を旗艦とする第二次輸送作戦が実施されるという兵力配置となった[9]。当時の第8駆逐隊各艦は、第8駆逐隊司令阿部俊雄大佐(海軍兵学校46期)、大潮駆逐艦長吉川潔中佐(海兵50期)、朝潮駆逐艦長吉井五郎中佐(海兵50期)、満潮駆逐艦長小倉正味中佐(海兵51期)、荒潮駆逐艦長久保木英雄中佐(海兵51期)が指揮していた[10]。 バリ島攻略に投入される陸軍部隊は、第48師団の一部を抽出した金村亦兵衛少佐指揮の支隊(台湾歩兵第一聯隊第三大隊、山砲1個小隊、独立工兵1個小隊:歩兵1個大隊基幹)と決定し、輸送船2隻(相模丸、笹子丸)に乗船することになった[11]

作戦発動[編集]

1942年(昭和17年)2月中旬のマカッサル海峡は天候不順だったため航空隊の活動が制限され、蘭印部隊指揮官高橋中将は2月16日にバリ島作戦を1日延期した[12]。17日も天候不良で、陸上攻撃機は攻撃を中止した[12]。待ち切れなくなった久保少将は2月18日攻略発動(19日泊地進入)を決定、作戦を開始した[12]

2月18日午前1時、陸軍支隊を乗せた輸送船2隻(笹子丸、相模丸)は第8駆逐隊(駆逐隊司令阿部俊雄大佐)所属の駆逐艦3隻(大潮《駆逐隊司令艦》、朝潮満潮)に護衛され、マカッサル泊地を出航した[13][14]。途中で対潜掃蕩のため先行していた駆逐艦「荒潮」と合流し、18日2300時バリ島サヌール泊地着、2月19日0015に同泊地へ進入して上陸を開始した[13][15]。19日の日の出は午前7時22分であった[13]。上陸に対して抵抗はなく、未明には日本軍金村支隊がデンパッサル兵営を占領、午前11時30分に飛行場を占領した[16]。 陸上部隊が順調に戦闘を続ける中、停泊中の艦艇は連合軍の空襲を受けた。小数機による反覆攻撃で、「相模丸」が被弾、片舷航行可能状態となる[13]。1630、「大潮」は敵潜水艦から雷撃されたが回避した[17][13]。 1700、輸送船の揚陸はほとんど終了、空襲を避けるため3隻(駆逐艦《大潮、朝潮》、輸送船《笹子丸》)は一時ロンボック海峡北側へ退避、損傷した「相模丸」は第8駆逐隊第2小隊(満潮、荒潮)に護衛されてマカッサルへの退避を開始した[13]

一方の連合軍は、哨戒中のイギリス潜水艦「トルーアント」とアメリカ潜水艦「シーウルフ」により、日本軍の攻略船団を発見していた。2月17日、連合軍海軍部隊指揮官ヘルフリッツ蘭海軍中将は、カレル・ドールマン少将に日本軍輸送船団撃退を命じた[1]。だがドールマン少将麾下の艦隊は2月15日のガスパル海峡空襲(空母「龍驤」艦載機および基地航空隊の攻撃)によって撃退されてきたばかりであり、各地に分散していた[1][6]。2月17日には陸攻部隊が商船「スロエト・ヴァン・ベレル」を、龍驤艦攻10機がヴァン・ガレン級駆逐艦「ヴァン・ネス」を撃沈していた。 やむなくドールマン少将はジャワ島チラチャップの艦艇で第一攻撃隊(デロイテル、ジャワ、ピートハイン、ジョン・D・フォード、ポープ)、ジャワ島スラバヤの軽巡「トロンプ」と、スマトラ島タンジュンカランの駆逐艦4隻で第二攻撃部隊(トロンプ、スチュワート、パロット、エドワーズ、ピルスベリー)を編制し、第一攻撃部隊と第二攻撃部隊は各個にバリ島の日本軍輸送船団攻撃を目指すことになった[1]。このほか、バリ海峡基地の魚雷艇7隻も出動したが、戦闘に至らずに帰還した[18]。 米駆逐艦4隻は2月17日-18日にタンジュンカランを出港してジャワ海を東進、「トロンプ」と合流後、2月19日夜にバリ海峡を南下してバリ島南方へ進出した[18]。ドールマン少将率いる軽巡2隻、米駆逐艦2隻、蘭駆逐艦2隻は2月18日2330にジャワ島南部チラチャップ英語版を出撃、東進してバリ島を目指した[18]

すなわち本海戦に参加したABDA艦隊の全艦艇は、オランダ海軍カレル・ドールマン少将指揮下、オランダ軽巡洋艦3隻(デ・ロイテルジャワトロンプ)、駆逐艦7隻(オランダ駆逐艦《ピートハイン英語版》、アメリカ駆逐艦《ジョン・D・フォードポープスチュワートパロットジョン・D・エドワーズピルスバリー》)であった。

海戦[編集]

第一次合戦[編集]

バリ島の地図。南部に海戦の舞台となったサヌール(Sanul)がある。

2月19日(月齢4、曇天暗夜、視界8km)23時50分、「笹子丸」の舟艇揚収はおわり、3隻(大潮、朝潮、笹子丸)はバリ島サヌール泊地を出港しようとしていた[19][20]。23時53分、「朝潮」は南方約6kmに接近してくる『ジャバ型巡洋艦2隻』を発見する[19][21]。 この時、泊地に突入してきたのは軽巡2隻(デロイテル、ジャバ)、駆逐艦3隻(蘭国《ピートハイン》、米国《ジョン・D・フォード、ポープ》)の計5隻である[22]。軽巡2隻と駆逐艦3隻の間は距離があった。 2月20日0000頃、軽巡2隻(デロイテル、ジャバ)が「朝潮」に対し砲撃および照明弾を発射、「朝潮」も応戦して距離2000m同航戦となったが、出航直後で速度が上がらず、砲戦開始まもなく敵艦を見失った[19]。被害は探照灯に弾片があたったのみで、「朝潮」は『我敵「ジャバ」型ト交戦中「ロンボック海峡」』と報告した[19]。蘭巡洋艦2隻(デロイテル、ジャバ)は再攻撃することなく、泊地北方へ去った[22]

先に出航していた第8駆逐隊司令駆逐艦「大潮」は「朝潮」の前方2-3kmにおり、砲戦を見て航進を開始したが接敵しなかった[19]。すると南の煙幕の切れ目に駆逐艦1隻(ピートハイン)の北上を確認し、南へ向かった[19]。「朝潮」も南へ向かっており、20日0011に同航する駆逐艦1隻(ピートハイン)を発見し1500mで射撃を開始、距離1000mで魚雷を発射し0016に撃沈を報告する[19]。しかし「ピートハイン」は大破しながらも沈んでおらず、低速で動いていた[22]。つづいて8駆1小隊(大潮、朝潮)はそれぞれ南下、右舷2000mに同航する駆逐艦2隻(フォード、ポープ)を発見して砲撃を開始するが、米駆逐艦2隻は煙幕を展開して逃走した[19][22]。2隻(大潮、朝潮)は敵艦が北方へ逃げたと判断して反転北上、0042に合同して単縦陣を形成した[19]

20日0045、8駆1小隊(大潮、朝潮)は左前方3500mに駆逐艦2隻(実はピートハイン1隻)を発見して砲撃を開始、0047に1隻火災発生沈没、もう1隻にも火災を発生させたと報告[19]。「ピートハイン」は炎上しながらも反撃を行ったが、最終的に撃沈された[22]。2隻(大潮、朝潮)は砲撃を続けながら北上と南下を繰り返し、1時10分に敵艦が姿を消したのを確認した[19]。0140、阿部司令は『敵「ジャバ」型2隻ハ「ロンボック」海峡ヲ北方ニ遁走セリ 後ニ残レル駆逐艦三隻ハ二隻撃沈一隻大破我被害ナシ 〇一四〇』と報告する[19]。「ピートハイン」1隻撃沈に対し『駆逐艦2隻撃沈、1隻大破』と誤認した原因は、海面に広がった燃料の火焔を、炎上敵艦と錯覚した為と思われる[22]。第一次合戦が終了した後、8駆1小隊(大潮、朝潮)は泊地を哨戒した。

支援隊(第一根拠地隊司令官久保少将)が座乗する軽巡洋艦「長良」は2月19日午前8時にマカッサルを出発、第21駆逐隊(若葉、子日、初霜)と合同後、夕刻にはロンボック海峡の北80浬にいた[19]。第8駆逐隊第1小隊からの戦闘報告を受けて南下を開始するが、同時にマカッサル帰投中の第8駆逐隊第2小隊(満潮、荒潮)に同第1小隊(大潮、朝潮)の支援を、「相模丸」は単艦でのマカッサル回航を命じた[23][19]。8駆2小隊(荒潮、満潮)は反転して第1小隊との合流を急いだ。

第二次合戦、第三次合戦、第四次合戦[編集]

20日午前3時前、蘭巡洋艦1隻・米駆逐艦4隻がサヌール泊地に突入してバリ島沖海戦第二次合戦がはじまる[24]。連合軍艦隊は、米駆逐艦4隻(スチュワート、パロット、エドワーズ、ピルスベリー)が単縦陣で先行し、その後方8000mに「トロンプ」が続く[24]。0306、連合軍艦隊は一斉に魚雷を発射するが命中せず、最後尾の「ピルスベリー」が「エドワーズ」を見失い、単艦でレンボンガン島北方へ移動を開始した[24]。 0310、第8駆逐隊第1小隊(大潮、朝潮)は東にむけて航行中、南方から北上する巡洋艦2隻駆逐艦1隻(実際は米駆逐艦3隻)を右舷に発見、0315距離3200mで砲雷戦を開始、0323爆発音を確認して魚雷命中と判断した(実際には命中せず)[25]。しかし魚雷を発射するため右に転舵(一時的に南下)した結果、敵艦隊を左舷側に見る格好となり、バリ島の山影に見失った[25]。この時、軽巡「トロンプ」も右後方を進む8駆1小隊に気付いていなかった[26]。 阿部司令は『我「ジャバ」型巡洋艦二隻ト激戦中「サヌル」沖 〇三一五』と報告した[25]。米駆逐艦隊では「スチュワート」が砲撃を受け舵故障を起こし、隊形が乱れた駆逐隊は北方への脱出を開始した[24]

連合軍艦隊を追撃してバダン海峡を東に航行していた第8駆逐隊第1小隊(大潮、朝潮)は0341にレンボンガン島北岸沖で左前方3200mに「トロンプ型巡洋艦」を発見、距離3000mで砲雷撃戦になった(第三次合戦)[25]。被弾した「トロンプ」は射撃指揮装置と探照灯の故障を起こしたが、反撃して0346に「大潮」の二番砲塔給薬室に命中弾を与えた[26]。8駆1小隊(大潮、朝潮)は左砲戦、「トロンプ」は右砲戦で双方が撃ち合う中、「トロンプ」は突如左舷からも砲撃を受ける[26]。これは戦闘発生を知り「長良」の下令に従ってバリ島へ戻ってきた第8駆逐隊第2小隊(満潮、荒潮)の攻撃で[26]、2隻は0340ころバダン海峡東口に到達し、砲戦を確認して西進してきたのである(第四次合戦)[27]。 ところが8駆2小隊(満潮、荒潮)の右舷側には米駆逐艦3隻(エドワーズ、パロット、スチュワート)が東進中であり、さらに「トロンプ」のそばに「ピルスベリー」が迷い込んでいた[26]。海峡南側を東進する「トロンプ、ピルスベリー」と、海峡北側を東進する米側3隻(エドワーズ、パロット、スチュワート)の間に自ら突入した日本側2隻(満潮、荒潮)は挟撃される格好となり、0347に距離3500mで砲撃戦となった[27]。「満潮」は戦闘開始2分で敵艦1隻の轟沈を確認(錯覚)したが、同艦の機関室にも命中弾があって航行不能、機関長以下64名の死傷者を出した[27][28]。「満潮」は漂流しながらも『このまま漂流しつつ哨戒にあたる』と発信[29]、その士気は衰えていなかったという[30]。 「満潮」に後続していた「荒潮」は左舷に巡洋艦2隻(駆逐艦ピルスベリーと巡洋艦トロンプ)を認め[31]、反航戦となったが、双方とも決定的打撃はなかった[27]。この時、「荒潮」は左舷の「トロンプ」に命中弾を与え左舷探照灯を破壊している[26]。「ピルスベリー」は1-2斉射を行ったのみで避退した[26]。「パロット」は砲撃せず東へ避退、0350にラプアン湾沖で座礁したが自力で脱出した[26]

以上の戦闘で連合軍艦隊はすべて戦場を離脱し、海戦は終了した。第8駆逐隊はオランダ士官1名、下士官兵9名を収容し、第一次海戦兵力は蘭巡洋艦2、米駆逐艦2、蘭駆逐艦1であることを知った[27]。 弾薬の消費量は、「大潮」12.7㎝主砲217発(約36斉射)、「朝潮」主砲310発(約52斉射)、「満潮」主砲62発(約10斉射)、「荒潮」73発(約12斉射)と記録されている[27]

第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦[編集]

2月20日午前6時、第一根拠地部隊指揮官久保少将率いる4隻(長良、若葉、子日、初霜)は戦場に到着、2隻(長良、初霜)がロンボック海峡北口を警戒し、残る艦で「満潮」の救援を行う[32]。午前10時、「荒潮」は「満潮」を曳航して退避を開始するが[20]、空襲により回避行動をとったところ曳索が切れ、さらに「満潮」は至近弾で浸水してしまう[32][33]。 また「大潮」も至近弾による浸水で最大発揮速力10ノットとなり、阿部司令は「朝潮」に移乗した[32][34]。各艦は第一群(朝潮、荒潮、満潮、子日)、第二群(若葉、大潮)、第三群(長良、初霜)にわかれ、北上を開始[32]。第一群は夕刻までにのべ26機の空襲を受けたが被害はなく、22日0130マカッサルへ到着した[32]。第二群・第三群および輸送船2隻(相模丸、笹子丸)は一足先にマカッサルへ帰投した[32]。午後、蘭印部隊指揮官高橋中将は第8駆逐隊を主隊に編入、マカッサル待機を下令した[32]

2月22日、バリ島に陸上攻撃機が進出し、同島航空戦力は戦闘機32、陸上偵察機4、陸攻11となる[35]。2月23日18時、第二輸送作戦部隊(主隊《長良、朝潮、荒潮》)、梯団(第21駆逐隊《若葉、子日、初霜》、輸送船《洛東丸、興津丸、臺東丸、とよさか丸、第三日の丸》、第2駆潜隊《第1号、第21号駆潜艇》)、支援隊(筑紫)はマカッサルを出撃した[35]。24日1700、航空機より「敵巡洋艦1、駆逐艦3、スラバヤ北方60浬」との情報を得た久保司令官は、連合軍がバリ島方面に脱出するかバリ島飛行場を砲撃すると判断し、各艦(長良、朝潮、荒潮、若葉、子日、初霜)を率いて敵艦隊を求めたが、接敵しなかった[35]。25日0800、第二次輸送部隊は泊地に到着、連合軍の妨害を排除して揚陸に成功した[35]。3月5日、第一根拠地隊のバリ作戦は終了した[35]

結果[編集]

巡洋艦3隻・駆逐艦7隻を擁する連合軍は戦力的にかなり優勢であったが、多国籍艦隊のため連携がうまくいかず、日本軍の駆逐艦4隻に撃退されてオランダ軍駆逐艦1隻を喪失、攻撃は失敗に終わった[18]チェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官は『兵力を集結しなかったために、この利点(数的優勢)は無価値に等しかった』と評価している[6]宇垣纏連合艦隊参謀長は『バンダ海峡における第八驅逐隊の海戦振りは誠に見事なり。蘭巡洋艦二、蘭米驅逐艦三撃沈其の他二に大損害を與へたり。之をバンダ海峡夜戦と銘打つて世に問ふべきなり。一驅逐隊を以て誠に立派なる夜戦なり。司令は阿部弘毅少将の弟なりと云ふ』と第8駆逐隊を賞賛した[36]

宇垣参謀長の戦藻録にあるように、第8駆逐隊の戦果報告は過大であった。大本営発表では連合軍駆逐艦4隻撃沈、巡洋艦2隻・駆逐艦1隻大破となっている[37][38]。なお『大東亞戦海戦以来最初の水雷戦隊に依る海戦』という宣伝もなされたが[39]、水雷戦隊同士が戦った最初の海戦は1月24日のバリクパパン沖海戦(第四水雷戦隊の敗北)である。 この後にも、連合軍艦隊と日本軍船団が交戦するという類似の状況のスラバヤ沖海戦バタビヤ沖海戦が発生し、連合国軍艦隊は壊滅する。 日本艦隊には報道班員が乗艦しており、のちに作戦に参加した艦長や乗組員を集めて座談会が開かれた[40]。 同年12月8日、連合艦隊司令長官山本五十六大将は、バリ島沖海戦における第8駆逐隊の勇戦と、大破した「満潮」の曳航及び帰投について、感状を授与した[3]

本海戦に参加したアメリカ海軍駆逐艦スチュワート (USS Stewart, DD-224) はその後スラバヤにて損傷個所を修理中に占領した日本軍に鹵獲され、1943年(昭和18年)6月15日附で第百二号哨戒艇と改名、日本海軍に編入された[41]。この時点で、バリ島沖海戦に参加した第8駆逐隊の朝潮型4隻(朝潮、大潮、満潮、荒潮)のうち、残存していたのは「満潮」(昭和17年11月13日、第三次ソロモン海戦時の空襲で大破損傷中)だけだった[42]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e #戦史叢書26海軍進攻作戦341頁
  2. ^ #海戦の変貌コマ83(原本129頁)『バリ島海戰 二月十九日深夜、二十日拂暁にかけて行はれたバリ島沖、ロンボツク水道の夜戰『バリ島沖海戰〕は、エンダウ沖海戰と共にわが海軍が、日清日露の兩戰役に於ける各夜戰以來、得意の夜戰にその傳統を誇る純粹に驅逐艦の活躍であつた。特にこの海戰に於ては、我驅逐艦二隻が、巡洋艦二隻、驅逐艦五隻よりなる有力な米蘭聯合艦隊を相手とし、旺盛なる攻撃精神の下、優秀なる術力を發揮してこれを撃滅したといふ、海戰史に前例を見ぬ水雷戰隊としての一大戰果をあげてゐるのである。』
  3. ^ a b 昭和18年1月27日(水)海軍公報(部内限定)第4301号 pp.14-15』 アジア歴史資料センター Ref.C12070429400 『○感状|第八驅逐隊 昭和十七年二月十九日「バリ」島急襲攻略作戰ニ際シ同日夜半「ロンボク」海峡ニ於テ我ガ上陸ヲ阻止セントシテ來襲セル敵巡洋艦二隻及驅逐艦五隻以上ト遭遇スルヤ寡勢克ク勇戰忽チ敵驅逐艦四隻ヲ撃沈シ同巡洋艦二隻及驅逐艦一隻ヲ撃破遁走セシメタルノミナラズ爾后此ノ戰闘ニ於テ損傷ヲ受ケタル僚艦ヲ曳航翌晝間ニ於ケル敵機ノ猛爆ヲ冒シテ之ヲ味方泊地ニ移シ遂ニ救出ノ目的ヲ達シタルハ此ノ武勲顕著ナリト認ム 仍テ茲ニ感状ヲ授與ス 昭和十七年十二月八日 聯合艦隊司令長官 山本五十六』
  4. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(1)p.26『(1)「バリー」島攻略戦 0050乃至0500 8dg「バリー」島サヌル沖及「ロンボック」海峡ニ於テ敵巡二隻驅逐艦五隻ト交戦敵驅逐艦四隻撃沈一隻大破「ジャバ」「トロンプ」小破 満潮損傷ヲ受ク日出後敵機ノ猛爆ヲ受ケ大潮舟首浸水』
  5. ^ #朝日、展望二コマ34-35(原本57-58頁)『二月二十日午前零時わが驅逐艦二隻はジャバ島東方バリ島の東方ロンボク水道で敵巡洋艦二隻、驅逐艦五隻よりなる米蘭聯合艦隊に遭遇するや直ちに果敢なる攻撃に出で、戰闘十分間にして驅逐艦四隻を撃沈、同一隻を大破せしめ、さらに逃走を企てた巡洋艦二隻を急追すること三時間、分離行動中の他のわが驅逐艦二隻も急遽南下し共に攻撃を加へて二隻とも大破せしめた。わが方は驅逐艦一隻が損害を受けたが戰闘、航海には差支へない程度のものであつた。本海戰は話にならぬほど格段に優勢な敵艦隊に對し敢然挑戰し多大の損害を與へ、平素夜間猛訓練を重ねたわが輕艦隊の眞面目を發揮したもので、索敵撃滅のわが海軍傳統の攻撃精神を如實に示したものである。』(戦果は誤認)
  6. ^ a b c #ニミッツの太平洋海戦史35頁
  7. ^ #蘭印東インド攻略作戦pp.1-2『八 「チモール」「バリ」及「バレンバン」の攻略』
  8. ^ a b #戦史叢書26海軍進攻作戦318-321頁『航空部隊、バリ島攻略を強調』
  9. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦321-322頁『第一根拠地隊』
  10. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦334頁
  11. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦323頁『陸軍部隊』
  12. ^ a b c #戦史叢書26海軍進攻作戦324頁『事前航空制圧進まず』
  13. ^ a b c d e f #戦史叢書26海軍進攻作戦325-328頁『船団の進航』
  14. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦326頁『バリ島第一次急襲作戦攻略隊及び支援隊行動要図』
  15. ^ #高松宮日記4巻118頁『バリー島上陸成功(第八駆逐隊)、〇一〇〇。』
  16. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦335頁『陸軍部隊の戦闘』
  17. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(1)p.53『第八驅逐隊司令|19日1937第三艦隊第二艦隊各司令長官第五戦隊第一根拠地隊各司令官(第二水雷戦隊司令官)|大潮ハ「バリー」島「サヌーロード」哨戒中1630敵潜望鏡発見續イテ魚雷4本ノ攻撃ヲ受ク被害ナシ我爆雷驅劇ヲナス効果不明』
  18. ^ a b c d #戦史叢書26海軍進攻作戦342『連合軍攻撃部隊行動概要図(昭和十七年二月十七日~二月二十日』
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n #戦史叢書26海軍進攻作戦328-330頁『バリ島沖海戦第一次合戦(自二月十九日二三五三至二月二十日〇一一〇)』
  20. ^ a b #高松宮日記4巻133頁『○蘭印部隊(四一三=二〇-一五四〇)(中略)「満潮」被弾、機関運転不能。戦死四一、戦傷二七。「荒潮」曳航北上中』
  21. ^ #スラバヤ・バタビア沖海戦(S17)p.61『…「ジャバ型巡洋艦二隻みゆ」の無電が僚艦○○から○○駆逐艦にもたらされたのは二十日の午前零時であった。』
  22. ^ a b c d e f #戦史叢書26海軍進攻作戦337-339頁『バリ島沖海戦の事後検討 第一次合戦』
  23. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(2)p.2『第一根拠地隊司令官 20日0150(宛略)「サヌル」沖ニ表レタル敵「ジャバ」型巡洋艦攻撃ノ為長良21dgヲ率ヰ南下ス20日0300』-『第一根拠地隊司令官 20日0132(宛略)我全速ニテ南下ス未明「サヌル」沖着ノ豫定第二小隊ハ輸送船ヲ単独北上セシメ速ニ第一小隊ニ合同セシメヨ』
  24. ^ a b c d #戦史叢書26海軍進攻作戦339頁『バリ島沖海戦の事後検討-第二、第三、第四次合戦』
  25. ^ a b c d #戦史叢書26海軍進攻作戦330頁『バリ島沖海戦第二次合戦(自〇三一〇至〇三二三)』-『バリ島沖第三次合戦(自〇三四一至〇三四六)』
  26. ^ a b c d e f g h #戦史叢書26海軍進攻作戦340頁『バリ島沖海戦の事後検討-第二、第三、第四次合戦』
  27. ^ a b c d e f #戦史叢書26海軍進攻作戦331頁『バリ島沖海戦第四次合戦(自〇三四七至〇三五四)』
  28. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(2)p.8『満潮駆逐艦長|20日1057(宛略)一.被害 主機械室二番砲其ノ他数個所但シ浸水箇所ナシ/二.戦死64(戦死准士官以上3下士官兵38戦傷者准士官以上1下士官兵26)/三.機械室被弾ニ依リ運転不能ナリ/四.0830荒潮着曳航準備中0930』
  29. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(2)p.8『満潮駆逐艦長|20日0904蘭印部隊|昨夜「バリー」海峡ニ依ル被害ニ対シ応急処置ニ努メツツアルモ機械室破壊ノ為今ノ処運転可能ノ見込ミ立タズ此ノ儘漂白當方面ノ哨戒ニ當リツツ損傷復旧ニ努ム 我ノ一「バルング」海峡中部0730』
  30. ^ #海軍作戦史大東亜戦争第一年p.58『この時傷ついた駆逐艦は次の報告を行った。『我れ単艦にて哨戒す』 恰もロンボク水道の真中であった。敵米、英、蘭連合艦隊が、豪州へ落ちんつれば、必らず通過しなければならぬ海上の関所である。『我れ哨戒す』 動けなくなった駆逐艦は、この水道で哨戒しながら動けぬながらも砲戦によって敵を撃滅せんとしたのである。』
  31. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(2)p.4『荒潮駆逐艦長|20日0420|我敵巡洋艦二隻ト交戦中 0351』
  32. ^ a b c d e f g #戦史叢書26海軍進攻作戦332頁『第一次急襲部隊の引き揚げ』
  33. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(2)p.13『荒潮駆逐艦長|20日1251第八駆逐隊司令第二水雷戦隊司令官|敵ノ爆撃ニ依リ満潮ノ損害状況 至近弾ニ依リ鋲緩ミ処々浸水スルモ區劃防禦ニ依リ喰止メラルル見込1100』
  34. ^ #S170216蘭印第2護衛隊詳報(2)p.12『第八駆逐隊司令|20日1244(宛略)大潮今朝ノ敵爆撃ニ依リ第二區糧食庫浸水応急處置ヲナシツツアルモ速力ハ今ノ處十節トミトム直衛機送ラレ度1200』-p.13『第8駆逐隊司令|20日1428(宛略)司令旗ヲ一時朝潮ニ移シ戦斗ヲ指揮ス大潮ハ「マカッサル」ニ先行応急処置ヲ行ハシム1300』
  35. ^ a b c d e #戦史叢書26海軍進攻作戦335-337頁『第二次バリ島輸送作戦』
  36. ^ #戦藻録(1968)86頁『二月廿一日土曜日晴上天気』
  37. ^ #海軍作戦史大東亜戦争第一年コマ59(原本107頁)『敵の損害 撃沈 驅逐艦四(蘭国三、米国一)|大破 巡洋艦二(デロイテル・ジャバ) 駆逐艦一(米)|我方の損害 損傷 驅逐艦一隻 註 二月二十一日同二十七日の大本営発表(二月十五日海軍省公表)による。』
  38. ^ #大東亜戦争記録画報前編コマ95(原本180頁)『二月二十日●我驅逐隊はバリ島ロンボク水道で驅逐艦四隻撃沈、巡洋艦二隻、驅逐艦一隻大破』
  39. ^ #海戦の変貌p.87『以上の戦闘半ばに○○輸送の護衛に當ってゐた僚艦二隻の駆逐艦も、来援して、結局敵駆逐艦四隻撃沈、二巡洋艦一駆逐艦を大破せしめた大戦果をあげ、我が駆逐艦一隻は損傷したが、戦闘航海に支障なき程度のものだった。この海戦は大東亞戦海戦以来最初の水雷戦隊に依る海戦であり、帝国海軍伝統的誇りである夜襲戦の真髄を発揮したものであった。』
  40. ^ #スラバヤ・バタビア沖海戦(S17)p.96『清水 僕はその黙々としてやるといふ気持は、潜水艦なり駆逐艦は徹底してると思ふんです。艦長を中心にして、ピラミツド型に団結してゐるわけですね。例のバリ島沖の海戦で、こっちの駆逐艦が1隻傷ついたのです。後で艦長以下全員に集まって貰って座談會を開いたんですが、負傷者がドンドン出る、電流が切れてしまって艦内はまっ暗です。その時、甲板を「艦長は御無事だぞ!」と叫んで歩く聲がする。その聲を聴いて私は涙で出た。…それが今度は下に行って、艦内を隈なく廻って、さう皆に知らせて行く。それを着てみんなは非常に元気づいたといふのです。これなども、艦長を中心とする団結の非常に高い精神の発露だと感激しました。』
  41. ^ #達昭和18年6月(1)p.35『達第百四十五號 大東亞戰爭中捕獲セル米國驅逐艦「スチユウワード」ヲ帝国艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名ス 昭和十八年六月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 第百二號哨戒艇』
  42. ^ #海軍駆逐隊、平成27154-155頁『戦績は永遠に』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭17.3 蘭印東印度攻略作戦 第4項/第2/8.「チモール」「バリ」及「パレンバン」の攻略』。Ref.C14061116500。
    • 『昭和17年2月16日~昭和17年2月24日 蘭印部隊第2護衛隊戦闘詳報(1)』。Ref.C08030091900。
    • 『昭和17年2月16日~昭和17年2月24日 蘭印部隊第2護衛隊戦闘詳報(2)』。Ref.C08030092000。
    • 『昭和17年2月16日~昭和17年2月24日 蘭印部隊第2護衛隊戦闘詳報(3)』。Ref.C08030092100。
    • 『昭和18年1月~8月 達/達昭和18年6月(1)』。Ref.C12070119000。
  • 石橋孝夫「海戦史を漁る バリ島沖海戦」
海人社『世界の艦船』1971年7月号 No.167 p64~p70
  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第四巻 昭和十七年一月一日~昭和十七年九月三十日』 中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-x
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 戦史研究家海老原康之『夜戦の白眉 "第八駆逐隊" 朝潮型四隻の奮戦 朝潮、大潮、満潮、荒潮。第二水雷戦隊所属の精鋭たちのバリ島沖海戦
    • 艦艇研究家佐伯玲治『北方から南方へ 第二十一駆逐隊の栄光 初春、子日、初霜、若葉。第一水雷戦隊の初春型駆逐艦四隻の転戦譜
  • チェスター・ニミッツ/E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳 『ニミッツの太平洋海戦史』 恒文社、1962年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。

関連項目[編集]