ジャワ沖海戦

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ジャワ沖海戦
USS Marblehead
戦争大東亜戦争 / 太平洋戦争
年月日:1942年2月4日
場所マカッサル海峡
結果:日本の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オランダの旗 オランダ
指導者・指揮官
塚原二四三中将 カレル・ドールマン少将
戦力
陸上攻撃機60 重巡洋艦1
軽巡洋艦3
駆逐艦7
損害
陸攻1 重巡洋艦1、軽巡洋艦2小破
南方作戦

ジャワ沖海戦(ジャワおきかいせん)は第二次世界大戦での日本海軍航空隊と連合軍艦隊との間の海戦

概要[編集]

1942年(昭和17年)2月4日、日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見した[1]。これは重巡ヒューストン、軽巡マーブルヘッドデ・ロイテルトロンプ、駆逐艦7隻からなるカレル・ドールマン少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。この艦隊に対し、日本海軍第十一航空艦隊(司令長官塚原二四三海軍中将)はセレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機にて攻撃した。当時、連合軍艦隊はカンゲアン島南方30浬を速力24ノットで東南に航行していたという[2]。この攻撃でヒューストンは250kg爆弾の命中弾1発により後部砲塔使用不能、マーブルヘッドは250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷、デ・ロイテルも至近弾で小破した[1]。ドールマン少将は攻撃を断念し引き上げた。

日本軍は戦果を過剰に見積もった[1]連合艦隊に伝達された戦果は、デロイテル型1番艦を撃沈確実、ジャバ型2番艦轟沈、ジャバ型3番艦中破、米重巡2隻撃破、米艦マーブルヘッドのみ無事という内容だった[2]

その後の戦況[編集]

この海戦後も日本軍の進撃は止まらなかった。2月8日にマカッサル[3]、2月10日-11日にバンゼルマシンに上陸しこれを攻略した[4]。ドールマン少将麾下の艦隊は蘭印方面で再度攻撃を試みていたが、2月15日のガスパル海峡空襲(空母「龍驤」艦載機および基地航空隊の攻撃)によって撃退される[5]。同日、日本軍はシンガポール攻略戦によりシンガポールを占領[5]。2月19日にはサヌール泊地に進入してバリ島上陸を開始し、未明には日本軍が飛行場を占領した[6]

連合軍艦隊はこの後、バリ島沖海戦を経て、日本軍のジャワ島侵攻に際して発生したスラバヤ沖海戦バタビヤ沖海戦で壊滅することになる。

なお、本海戦で損傷したマーブルヘッドはセイロン島へ避退、そのままインド洋・喜望峰・大西洋を経由する大航海の果てに米本国へ生還している。だが日本側は艦型が似ているクレムソン級駆逐艦ピルスバリー」をマーブルヘッドと誤認しており、高雄型重巡洋艦2隻(愛宕《第二艦隊旗艦》、高雄)による「ピルスバリー」撃沈を『マーブルヘッドを撃沈した』と錯覚していた[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c #戦藻録(1968)77-78頁『二月五日 木曜日 晴 バリー島沖に於て聯合國艦隊を空襲爆破す。』
  2. ^ a b #戦藻録(1968)78-79頁『二月六日 金曜日 曇り』
  3. ^ #戦藻録(1968)79-80頁『二月九日 月曜日 半晴 風相當なり マカッサル上陸成功。』
  4. ^ #戦藻録(1968)80頁『二月十一日 水曜日 晴 バンゼルマシン占領。』
  5. ^ a b #戦藻録(1968)81-82頁『二月十五日 日曜日 晴 シンガポール陥落。』
  6. ^ #戦藻録(1968)84-85頁『二月十九日 木曜日 晴 機動部隊のポートダーウヰン空襲。バリー島上陸成功。バリー島沖海戰。』
  7. ^ #高雄週報p.2『燦タル戰果!!米「マープルヘッド」型輕巡一隻撃沈17-3-2夜』

参考文献[編集]

  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。

関連項目[編集]