音羽 (防護巡洋艦)

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Japanese cruiser Otowa.jpg
艦級概観
艦種 防護巡洋艦
艦名 山名
前級 新高型
次級 利根
艦歴
発注 1897年度計画
起工 1903年1月6日
進水 1903年11月2日
就役 1904年9月6日
その後 1917年8月1日 沈没(座礁)
除籍 1917年12月1日
性能諸元
排水量 常備:3,000トン
全長 98.0m(垂線間長)
全幅 12.6m
吃水 4.8m
機関 イ号艦本式石炭専焼罐10基
レシプロ蒸気機関2基、2軸推進
10,000馬力
燃料 石炭575t
最大速力 21.0kt
航続距離
乗員 312名
兵装 40口径15.2cm単装速射砲2基
40口径12cm単装速射砲6基
40口径7.6cm単装速射砲4基
装甲 甲板傾斜部:76mm

音羽(おとわ)は、日本海軍防護巡洋艦

艦歴[編集]

1903年、横須賀工廠で起工。同年11月2日の進水式には明治天皇が臨席[1]。1904年9月6日に竣工し、三等巡洋艦に類別。予算の関係で新高型防護巡洋艦より小規模の設計となった。雷装が無いのが特徴である。

竣工後直ちに日露戦争に投入され、対馬海峡警備に従事、さらに日本海海戦等に参加した。

1912年8月28日、二等巡洋艦に等級変更。

第一次世界大戦では、青島攻略戦に参加、さらに南シナ海方面の警備に従事した。

1917年7月25日シンガポール方面に派遣され佐世保に回航の途中、濃霧のため大王崎大王岩に座礁、8月1日に船体が切断し沈没した。12月1日に除籍となり、翌年6月12日に沈没の状態で売却された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 有馬良橘 中佐:1904年5月24日 - 1905年6月14日
  • 小花三吾 大佐:1905年6月14日 - 1905年12月12日
  • 荒川規志 大佐:1905年12月12日 - 1907年7月1日
  • 上村経吉 中佐:1907年7月1日 - 1908年5月15日
  • 小栗孝三郎 大佐:1908年5月15日 - 1908年7月11日
  • 笠間直 大佐:1908年7月11日 - 1908年12月10日
  • 秋山真之大佐:1908年12月10日 - 1909年11月16日
  • 榊原忠三郎 大佐:不詳 - 1910年10月26日
  • 志摩猛 中佐:1910年10月26日 - 1911年12月1日
  • 吉田清風 大佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
  • 田代愛次郎 中佐:1913年2月8日 - 1914年1月24日
  • 中川繁丑 大佐:1914年1月24日 - 1914年5月27日
  • 金丸清緝 中佐:1914年5月27日 - 1914年12月1日
  • 森本義寛 中佐:1914年12月1日 - 1915年6月30日
  • 横尾義達 中佐:1915年6月30日[2] - 1915年12月13日
  • 田尻唯二 大佐:1915年12月13日 - 1916年1月28日
  • 大石正吉 大佐:1916年4月4日 - 1916年12月1日
  • 大見丙子郎 大佐:1916年12月1日 - 1917年2月21日
  • (兼)福田一郎 中佐:1917年2月21日 - 1917年5月1日
  • 鈴木乙免 中佐:1917年5月1日 -

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第6105号、明治36年11月6日。
  2. ^ 海軍辞令公報 大正4年6月』 アジア歴史資料センター Ref.C13072071300 

参考資料[編集]

関連項目[編集]