明石 (防護巡洋艦)

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Japanese cruiser Akashi.jpg
艦歴
発注 1893年度計画
起工 1894年8月6日
進水 1897年11月8日
就役 1899年3月30日[1]
除籍 1928年4月1日
その後 1930年8月3日撃沈処分
性能諸元
排水量 常備:2,755t[2]
全長 垂線間長:90.1m
全幅 12.7m
吃水 4.8m
機関 二軸レシプロ蒸気機関、円缶(石炭専焼)9基
8,000馬力
最大速 19.5kt
兵員 310名
兵装 40口径15.2cm単装砲2基
40口径12cm単装砲6基
4.7cm単装砲12基
45.7cm水上魚雷発射管2門
装甲 甲板水平部:25mm
甲板傾斜部:51mm

明石(あかし)は、日本海軍防護巡洋艦須磨型の2番艦である。艦名は兵庫県の景勝地「明石の浦」にちなんで名づけられた[3]

艦歴[編集]

1894年、横須賀造船廠で起工、1899年3月30日に竣工し、三等巡洋艦に類別。

義和団の乱では1900年8月から11月にかけて大沽芝罘方面に出動した。

日露戦争に際しては、仁川沖海戦旅順攻略作戦、蔚山沖海戦(直接戦闘には参加せず)、日本海海戦等に参加。1904年12月10日、遇岩南方(旅順近海)で触雷大破し修理を行っている。

1912年8月28日、二等巡洋艦に等級変更。

第一次世界大戦では、青島攻略戦に参加、さらにスルー海、インド洋地中海での作戦に従事した。1920年シベリア出兵に伴う尼港事件に対処し沿海州警備に従事した。

1921年9月1日、二等海防艦に類別変更され、1928年4月1日に除籍となり、7月6日、廃艦第2号と仮称。

1930年8月3日、伊豆大島東南方で、急降下爆撃の実艦標的とされ海没。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • (心得)中村静嘉 中佐:1899年6月17日 - 1899年9月29日
  • 中村静嘉 大佐:1899年9月29日 - 1900年5月23日
  • (心得)太田盛実 中佐:1900年5月23日 - 1900年9月25日
  • 太田盛実 大佐:1900年9月25日 - 1901年2月18日
  • 上原伸次郎 大佐:1901年4月1日 - 1902年3月22日
  • 佐伯誾 中佐:1902年4月22日 - 1902年10月25日
  • 宮地貞辰 中佐:1902年12月25日 - 1904年12月23日
  • 宇敷甲子郎 大佐:不詳 - 1905年12月12日
  • 外波内蔵吉 大佐:1905年12月29日 - 1906年10月12日
  • 橋本又吉郎 大佐:1906年10月12日 - 1907年12月27日
  • 田中盛秀 大佐:1907年12月27日 - 1908年9月1日
  • 鈴木貫太郎 大佐:1908年9月1日 - 1909年10月1日
  • 真田鶴松 中佐:1909年10月1日 - 1911年4月1日
  • 奥田貞吉 中佐:1911年4月1日 - 1911年5月9日
  • (兼)花房祐四郎 大佐:1911年5月9日 - 1911年5月22日
  • 大島正毅 大佐:1911年5月22日 - 1911年12月1日
  • 小山田仲之丞 大佐:1911年12月1日 - 1912年11月13日
  • 斎藤半六 大佐:1912年11月13日 - 1913年12月1日
  • 笠島新太郎 中佐:1913年12月1日 - 1914年1月24日
  • 田代愛次郎 大佐:1914年1月24日 -
  • 田口久盛 中佐:1914年12月1日 - 1915年9月25日
  • 筑土次郎 中佐:1915年9月25日 - 1916年12月1日
  • 三宅大太郎 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日[4]
  • 平岩元雄 大佐:1917年12月1日 - 1919年2月6日
  • 福村篤男 大佐:1919年2月6日[5] - 1919年11月20日[6]
  • 福与平三郎 大佐:1919年12月1日 - 1920年3月15日
  • 天野六郎 大佐:1920年3月15日[7] - 1922年5月1日[8]
  • 田岡勝太郎 大佐:1922年5月1日 - 1922年11月20日
  • (心得)岩崎猛 中佐:1922年11月20日[9] - 1922年12月1日
  • 岩崎猛 大佐:1922年12月1日[10] - 1923年2月15日[11]
  • 本宿直次郎 大佐:1923年2月15日 - 1923年10月1日
  • (心得)菊井信義 中佐:1923年10月1日 - 1923年12月1日
  • 菊井信義 大佐:1923年12月1日 - 1924年12月1日
  • (兼)福島貫三 大佐:1924年12月1日[12] - 1925年1月15日[13]

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 竣工日は3月3日、もしくは3月31日とする資料もある
  2. ^ 常備排水量の値は『写真日本の軍艦第5巻』から
  3. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、225頁。
  4. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  5. ^ 『官報』第1953号、大正8年2月7日。
  6. ^ 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  7. ^ 『官報』第2283号、大正9年3月16日。
  8. ^ 『官報』第2922号、大正11年5月2日。
  9. ^ 『官報』第3093号、大正11年11月21日。
  10. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  11. ^ 『官報』第3162号、大正12年2月16日。
  12. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  13. ^ 『官報』第3718号、大正14年1月16日。

参考資料[編集]

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 官報

関連項目[編集]