千歳 (防護巡洋艦)

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Japanese cruiser Chitose.jpg
艦歴
発注 1896年度計画
起工 1897年5月1日
進水 1898年1月22日
就役 1899年3月1日
除籍 1928年4月1日
その後 1931年7月19日 撃沈処分
性能諸元
排水量 常備:4,760t
全長 115.2m
全幅 14.9m
吃水 5.3m
機関 二軸レシプロ蒸気機関、円罐12
15,500馬力
最大速 22.25ノット
兵員 434名
兵装 45口径20.3cm単装速射砲2門
40口径12cm単装速射砲10門
40口径7.6cm単装速射砲12門
4.7cm単装速射砲6門
35.6cm水上魚雷発射管4門
装甲 甲板傾斜部:89mm

千歳(ちとせ)は、日本海軍防護巡洋艦(日本海軍の類別は二等巡洋艦[1][2]。旧式化により二等海防艦[3]笠置型の2番艦である。 艦名は「永遠・永久」の意味[4]。 外交上の問題からアメリカのユニオン鉄工所に発注された。 艦名は千歳型水上機母艦(空母)「千歳」に引き継がれた[5]

艦歴[編集]

1897年(明治30年)、日本海軍はイギリスとアメリカで建造される軍艦4隻の艦名を検討、第二号二等巡洋艦は笠置または矢作を予定していた[6]。 3月26日、4隻は制式に命名[1]。第二号二等巡洋艦は千歳と命名された[1][7]。同年5月1日、「千歳」はサンフランシスコで起工[4]1898年(明治31年)1月22日、進水[4]。同年3月21日、日本海軍は海軍軍艦及び水雷艇類別標準を制定し、3,500トン以上7,000トン未満の巡洋艦を「二等巡洋艦」と定義[8]。該当する9隻(浪速高千穂厳島松島橋立吉野高砂笠置千歳)が二等巡洋艦に類別された[9][2]1899年(明治32年)3月1日、「千歳」は竣工[4]。3月21日、日本に向けアメリカを出発[10]4月20日横須賀港へ到着した[4][11]。 12月25日、沼津御用邸滞在中の東宮(のち大正天皇)は、戦艦「八島」に乗艦(千歳は供奉艦)[12][13]。12月26日、2隻(八島《御召艦》、千歳《供奉艦》)は横須賀に到着した[14]

北清事変では1900年(明治33年)7月から翌年9月にかけて大沽芝罘方面に出動した。 1900年(明治33年)10月、明治天皇皇太子(のちの大正天皇)が北九州地方を巡啓することになり、「千歳」は御召艦に指定される[15][16]。10月18日、皇太子は舞子兵庫県)で「千歳」に乗艦[17][18]瀬戸内海を航行して10月19日に門司港で「千歳」を降りた[17][18]。 皇太子は北九州(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県)各地の神社・造船所・鎮守府等を巡啓後、10月30日に門司で「千歳」に乗艦[17][19]。10月31日、舞子で下艦して有栖川宮威仁親王邸宅に入り、「千歳」は御召艦任務を終えた[17][19]

日露戦争に際しては、対馬海峡警備、黄海海戦宗谷沖海戦日本海海戦等に参加[4]

1907年(明治40年)1月14日、巡洋戦艦「筑波」が竣工[20]。 2月28日、第二艦隊司令長官伊集院五郎中将指揮下の2隻(筑波、千歳)は横浜を出発[21]アメリカ殖民300年祭記念観艦式ハンプトン・ローズ)に参加し、その後ヨーロッパ各国を歴訪した。12月27日、明治天皇は「筑波」に乗艦、同時に「千歳」を親閲した[22][23]1908年(明治41年)6月、伏見宮貞愛親王は舞鶴において本艦に乗艦する[24]

第一次世界大戦では、青島攻略戦に参加[4]。さらにメキシコ湾岸、南中国での作戦に従事した。

1921年(大正10年)9月1日、日露戦争で活躍した各艦は海防艦に種別変更される[25]。「千歳」は二等海防艦に類別された[3]

1928年(昭和3年)4月1日、除籍[4]。2隻(千歳、明石)は海防艦より削除[26]。本艦は廃艦第1号と仮称[27]

1931年(昭和6年)7月19日第一航空戦隊赤城鳳翔)航空隊が演習に参加[28]。廃艦1号(千歳)は土佐沖で撃沈処分された。昭和天皇弟宮高松宮宣仁親王は戦艦霧島乗艦、陸軍大学校教官朝香宮鳩彦王少将は戦艦日向乗艦、他多数高官や議員が各艦に便乗し、戦技を見学した[29][30][31]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

回航委員長
艦長
  • 桜井規矩之左右 大佐:1898年10月27日 - 1899年5月1日
  • 細谷資氏 大佐:1899年10月13日 - 1900年5月20日
  • 中尾雄 大佐:1900年5月20日 - 1901年3月13日
  • 寺垣猪三 大佐:1901年3月13日 - 1903年1月12日
  • 佐々木広勝 大佐:1903年1月12日 - 7月7日
  • 高木助一 大佐:1903年7月7日 - 1905年12月12日
  • 小花三吾 大佐:1905年12月12日 - 1906年5月10日
  • 山屋他人 大佐:1907年1月14日 - 12月27日
  • 茶山豊也 大佐:1907年12月27日 - 1908年9月15日
  • 山田猶之助 大佐:1908年9月15日 - 12月10日
  • 高島万太郎 大佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
  • 釜屋六郎 大佐:1909年12月1日 - 1910年10月26日
  • 榊原忠三郎 大佐:1910年10月26日 - 1911年1月16日
  • 水町元 大佐:1911年1月16日 - 6月12日
  • (兼)岩村団次郎 大佐:1911年6月12日 - 8月1日
  • 川浪安勝 大佐:1911年8月16日 - 1911年12月1日
  • 山崎米三郎 大佐:1911年12月1日 - 1912年4月20日
  • (兼)山口鋭 大佐:1912年4月20日 - 5月22日
  • 荒西鏡次郎 大佐:1912年5月22日 - 1913年12月1日
  • 中川繁丑 大佐:1913年12月1日 - 1914年1月24日
  • 三輪修三 大佐:1914年1月24日 - 5月27日
  • 本田親民 大佐:1914年5月27日 - 11月16日
  • (心得)土師勘四郎 中佐:1914年11月16日 - 12月1日
  • 土師勘四郎 大佐:1914年12月1日 - 1916年5月11日
  • 中村正奇 大佐:1916年5月11日 - 1917年7月16日
  • 白根熊三 大佐:1917年11月9日 - 1918年7月11日
  • 橋本虎六 大佐:1918年7月23日[32] - 1919年11月20日[33]
  • 福村篤男 大佐:1919年11月20日[33] - 1920年2月13日[34]
  • 平岡善之丞 大佐:1920年2月13日[34] - 11月20日
  • 遠藤格 大佐:1920年11月20日 - 1921年12月1日
  • 原道太 大佐:1921年12月1日[35] - 1922年11月10日[36]
  • (心得)木岡英男 中佐:1922年11月10日[36] - 12月1日
  • 木岡英男 大佐:1922年12月1日[37] - 1923年2月15日[38]
  • 岩崎猛 大佐:1923年2月15日[38] -
  • (兼)益子六弥 大佐:1923年11月10日- 1924年3月25日
  • (兼・心得)三矢四郎 中佐:1924年3月25日[39] - 5月10日[40]
  • (心得)今川真金 中佐:1924年5月10日[40] - 不詳
  • 今川真金 大佐:不詳 - 1924年12月1日[41]
  • (兼)今川真金 大佐:1924年12月1日[41] -

同型艦[編集]

参考資料[編集]

  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 伊藤痴遊 『元帥東郷平八郎 info:ndljp/pid/1232938』 郁文舎出版部、1934年9月。
    • 海軍文庫 『大日本帝国軍艦帖 info:ndljp/pid/845238』 共益商社書店、1894年10月。
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷) info:ndljp/pid/1886711』 海軍大臣官房、1939年
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』 海軍大臣官房、1940年
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』 海軍大臣官房、1940年
    • 藤田定市編 『戦袍余薫懐旧録.第2輯 info:ndljp/pid/1447099』 財団有終會、1926年12月。
    • 藤田定市編 『戦袍余薫懐旧録.第3輯 info:ndljp/pid/1447108』 財団有終會、1928年1月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『明治30年 達 完/3月(4)』。Ref.C12070038100。
    • 『明治31年 達 完/3月(1)』。Ref.C12070040500。
    • 『明治38年 達 完/6月』。Ref.C12070053000。
    • 『大正元年 達 完/8月』。Ref.C12070064400。
    • 『大正3年 達 完/10月』。Ref.C12070068000。
    • 『大正10年達完/9月』。Ref.C12070079200。
    • 『日露役旅順陥落迄の両国艦船勢力並亡失表(明治37年)』。Ref.C14120009500。
    • 『明治32年12月25日 八島を御召艦に千歳を供奉艦に定め本日午後2時沼津着の見込沼津御発艦は同地着の上定』。Ref.C10126674800。
    • 『明治32年4月11日 皇太子殿下沼津より横須賀まて御乗艦の為め東宮大夫より』。Ref.C10126674900。
    • 『艦船行動電報明治32年12月分』。Ref.C10100037200。
    • 『記念品の件』。Ref.C04015870600。
    • 『呉鎮機密第788号 廃艦第1号(旧軍艦千歳)船材一部取外使用の件認許す』。Ref.C04021868100。
    • 『官房第573号 5.1.15除籍艦の処分に関する件記念品の件』。Ref.C05021234000。
    • 『第1348号6.4.25訓練用標的に関する件』。Ref.C05021647500。
    • 『第1380号6.4.28廃艦第1号曳航準備工事の件』。Ref.C05021613400。
    • 『航空母艦鳳翔 昭和6年6月1日~8月31日(1)』。Ref.C11083969900。
    • 『第2286号6.7.9鳩彦王殿下戦技御視察の件』。Ref.C05021560100。
    • 『第3240号6.7.13朝香宮殿下戦技御台覧の件(1)』。Ref.C05021560200。
    • 『第3240号6.7.13朝香宮殿下戦技御台覧の件(2)』。Ref.C05021560300。
    • 『第3240号6.7.13朝香宮殿下戦技御台覧の件(3)』。Ref.C05021560400。
    • 『第3240号6.7.13朝香宮殿下戦技御台覧の件(4)』。Ref.C05021560500。
    • 『第3240号6.7.13朝香宮殿下戦技御台覧の件(5)』。Ref.C05021560600。

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達明治30年3月(4)p.3『達第三十三號 英國ニ於テ製造ノ第一號甲鐡戰艦及第三號二等巡洋艦米國ニ於テ製造ノ第一號及第二號ニ等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|明治三十年三月二十六日 海軍大臣侯爵 西郷從道|第一甲鐡戰艦 シキシマ|第一號二等巡洋艦 カサ|第二號二等巡洋艦 トセ|第三號二等巡洋艦 タカサゴ
  2. ^ a b #達明治31年3月(1)pp.16-17『達第三十五號 軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道|軍艦|巡洋艦|二等|浪速 高千穂 嚴島 松島 橋立 吉野 高砂 笠置 千歳』
  3. ^ a b #達大正10年9月p.16『達第百六十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 大正十年九月一日 海軍大臣 男爵加藤友三郎|戰艦ノ欄内「敷島、朝日、三笠、肥前、」ヲ、巡洋艦一等ノ欄内「淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「千歳、須磨、明石、新高、對馬、」ヲ削ル|海防艦一等ノ欄内「周防」ノ次ニ「、敷島、朝日、三笠、肥前、淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「武藏」ノ次ニ「、千歳、須磨、明石、新高、對馬」ヲ加フ』
  4. ^ a b c d e f g h #幕末以降帝国軍艦写真と史実第56コマ(原本78頁)『千歳(ちとせ) 艦種二等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考千年・千載・千代、其の意皆同じ、永遠の義なり。 艦歴明治32年3月1日、米國桑港「ユニオン・アイヨン・ウォーク社」年にて竣工、同年3月21日同地出發、4月20日横須賀到着。同37・8年戰役に從軍(第三戰隊):同37年8月10日黄海々戰に参加(艦長大佐高木助一)、次で同月20日、敗走せる露國巡洋艦「ノーヴヰック」を對馬と共に追撃し之を「コルサコフ」港に自沈せしむ、同3年5月日本海々戰に参加、大正3年乃至9年戰役に從軍:同3年8月第二艦隊第六戰隊に属し、青島戰に参加(第六戰隊司令官少将上村翁輔旗艦、艦長大佐本田親民)、同7年11月第二特務艦隊に属し南支那海印度洋方面軽微(艦長大佐橋本虎之助)、同10年二等海防艦に編入、昭和3年4月1日除籍。
    ―要目― 長378呎2吋/幅49呎2吋/喫水17呎2吋/排水量4,692噸/機關 直立三段膨張式2基/馬力15,7000/速力22.5/乗組人員434/船材 鋼/兵装 8吋砲2/4.7吋砲10/12听砲12/47粍砲6/發射管4|起工 明治30-5-1/進水 同31-1-22/竣工 同32-3-1/建造所 米國桑港』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.203『◎水上機母艦千歳及驅逐艦五月雨海風命名ノ件 昭和九年十一月十九日(達一九八)』
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ222『◎水雷艇ノ命名ヲ海軍大臣ニ御委任ノ件 明治三十年三月十三日(官房八二五)(海軍大臣ヨリ侍從長宛) 第一期海軍擴張費トシテ製造スヘキ軍艦ノ内工事ニ着手シ追ミ其歩ヲ進メタルモノモ有之候ニ付此際左記四艘ノ艦名御治定相成候様致度亦水雷艇ノ義ハ多數ノ義ニ付其艇名ハ本職ヘ御委任相成候様共ニ御執奏相成度此段及御照會候也 追テ御参考ノ爲メ艦名左ニ付記致候也
    第一號甲鐡戰艦 シキシマ  シラ
    第一號二等巡洋艦 ハヤ  
    第二號二等巡洋艦 カサ  ハキ
    第三號二等巡洋艦 クラ  トセ
    【編者註】三月十八日尚三四ノ参考艦名可差出御沙汰ニヨリ岩倉侍従職漢字マデ差出タルモノ左ノ如シ
    アサ コマ タカサゴ タカ
  7. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ198番『◎戰艦敷島及巡洋艦笠置千歳高砂命名ノ件 明治三十年三月二十六日(達三三)』
  8. ^ #達明治31年3月(1)pp.14-15『達第三十四號 海軍大臣ニ於テ別表ノ標準ニ據リ軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラル 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道』
  9. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ50番『◎軍艦及水雷艇類別等級 明治三十一年三月二十一日(達三五)軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム(別紙)』
  10. ^ 明治32年3月24日官報第4715号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ5『○軍艦發箸 軍艦千歳ハ本月二十一日桑港抜錨布哇ヲ經テ來ル四月十七日横須賀ヘ投錨ノ豫定、同金剛ハ一昨二十二日呉ヘ投錨、同吉野ハ昨二十三日同港ヘ向ヒ神戸抜錨、同笠置及水雷艇驅逐艇雷ハ一昨二十二日 モールタ ニ向ヒ ジブロールター ヲ抜錨セリ(海軍省)』
  11. ^ 明治32年4月21日官報第4738号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3『○軍艦發箸 軍艦八島、橋立、松島、八重山及筑紫ハ呉ヘ、同高千穂ハ馬公ヘ、水雷艇驅逐艇叢雲ハ神戸ヘ一昨十九日孰モ投錨、軍艦摩耶ハ同日仁川ニ向ヒ水浦抜錨、同平遠ハ千葉ニ向ヒ品海ヲ、同高砂ハ清水ニ向ヒ横須賀ヲ、同豊橋ハ竹敷ヲ經テ呉ニ向ヒ佐世保ヲ昨二十日孰モ抜錨、同千歳ハ同日横須賀ヘ投錨(海軍省)●英國軍艦「パワールフル」ハ本月十八日威海衛ヨリ横濱ニ投錨セリ(神奈川縣)』
  12. ^ #記念品の件p.3『盃|個|壱|千歳|御紋章三 明治三十二年東宮殿下八島ニ御乗艦沼津ヨリ横須賀迄行啓ノ際供奉ニ服シタル千歳ヘ下賜セラル』
  13. ^ #明治32年12月艦隊行動電報p.26『十二月二十五日|八島千歳清水発翌日午前九時横須賀着』
  14. ^ #明治32年12月艦隊行動電報p.27『十二月二十六日|八島千歳横須賀着 九時』
  15. ^ #大正天皇(原2000)71頁『1900年(明治33年)北九州巡啓』
  16. ^ 明治33年10月20日官報第5192号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○東宮行啓御發箸割御變更 皇太子殿下中國、四國、九州行啓御發箸割左ノ如ク御變更アラセラレタリ(日程略)』
  17. ^ a b c d #大正天皇(原2000)68-71頁『五十日間のハードスケジュール』
  18. ^ a b 明治33年10月24日官報第5195号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○東宮御發箸 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク本月十八日舞子御發軍艦千歳ニ乗御同午前七時三十分御發艦午後七時三十分周防國安下ノ庄御碇泊同十九日午前六時安下ノ庄御發艦午後一時門司御箸直ニ汽車ニテ同四時二十分小倉御箸同二十日同所御滞在同二十一日同所御發午後三時三十分熊本御箸一昨二十二日同所御滞在アラセラレタリ』
  19. ^ a b 明治33年11月2日官報第5203号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○東宮御發箸 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク去月三十日午前八時福岡御發同十時二十分門司御箸午後二時三十分軍艦千歳ニ御乗艦同夜部崎御碇泊同三十一日午後六時三十五分舞子ヘ御安箸アラセラレタリ/○皇族發箸 博恭王殿下ハ曩ニ軍艦淺間ニ御乗組ミ清國大沽ニ御碇泊地ノ處昨一日御歸京アラセラレタリ』
  20. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実第91コマ(原本144頁)『筑波(つくば)【二代】 艦種一等軍巡洋艦 二檣(信號用) 艦名考艦名の起源は初代「筑波」の項(p.3)参照。 艦歴明治37年2月、日露開戰後僅かに數月ならずして我海軍は初瀬・八島兩艦沈没の不運に遭遇し、愈々之に代るべき大鑑の必要を痛感し筑波・生駒の建造を決し、呉海軍工廠に於て明治38年1月14日起工。同41年英國皇帝戴冠式に列する爲め同國に回航、次に欧米諸國を回航(筑波・千歳 第二艦隊司令長官伊集院五郎引率、艦長竹内平太郎)。 大正元年8月巡洋戰艦に編入(昭和8年艦船類別標準改正により此の名稱廢され戰艦となる)、同3年乃至9年戰役從軍:同3年9月第一南遣支隊に属し南洋方面に行動、「マーシャル」・東「カロリン」群島の占領に任ず(艦長大佐竹内次郎)、同6年1月14日横須賀港に於て災禍の爲め爆沈。
    ―要目― 長440呎/幅75呎/喫水26呎/排水量13,750噸/機關 往復機關2基、宮原式罐/馬力20,500/速力20.5/乗組人員830/船材 鋼(甲帶7吋)/兵装 12吋砲4/6吋砲12/4.7吋砲12/3吋砲6/機關砲4/發射管5/起工 明治38-1-14/進水 同38-12-16/竣工 40-1-14/建造所 呉工廠』
  21. ^ 明治40年3月1日官報第7098号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『○陸海軍○軍艦發箸 各港灣ニ於ケル軍艦發箸左ノ如シ(海軍省)筑波千歳}同二八 横濱 新嘉坡』
  22. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ239(原本86頁)『明治四〇-一二-二七|横須賀軍港にて軍艦筑波千歳御親閲|軍艦筑波』
  23. ^ 明治40年12月28日官報第7352号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ14『○行幸 天皇陛下ハ曩ニ仰出サレシ如ク昨二十七日横須賀軍港ニ於テ第二艦隊ノ一部御親閲ノタメ午前九時御出門同九時二十分新橋停車場御發車同港ヘ行幸午後三時十分還幸アラセラレタリ』
  24. ^ #記念品の件p.3『盃|個|壱|千歳|御紋章一 明治四十一年六月貞愛親王殿下御乗艦舞鶴境間往復航海ニ從事シタルニ依リ下賜』
  25. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.59『大正十年九月一日(達一六四)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス』
  26. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦ノ部三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル』
  27. ^ #除籍艦処分件p.2『一.廢艦第一號(旧軍艦千歳)昭和六年度艦隊射撃及發射訓練用実艦的トシテ使用ス』
  28. ^ #朝香宮見学(2)p.37〔昭和六年五月八日公報(部内限)別表〕『一九|日 佐伯灣及其ノ附近|間宮佐伯發呉箸|第二水雷戰隊驅逐隊一隊對廢艦第一號晝間戰闘射撃甲種戰闘運轉、潜水艦對廢艦第一號教練發射 第一航空戰隊廢艦第一號研究飛行』
  29. ^ #鳩彦王戦技視察p.2『二.御視察ノ戰技 七月十九日施行予定ノ廃艦第一号ヲ以テスル戰技(以下略)』
  30. ^ #朝香宮見学(1)p.42『戰技視察(見學)者出張旅行豫定一覽表 六.七.一三 海軍大臣官房』
  31. ^ #朝香宮見学(2)pp.9-10『別紙第二 聯合艦隊幹部職員抜萃』
  32. ^ 『官報』第1793号、大正7年7月24日。
  33. ^ a b 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  34. ^ a b 『官報』第2257号、大正9年2月14日。
  35. ^ 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  36. ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  37. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  38. ^ a b 『官報』第3162号、大正12年2月16日。
  39. ^ 『官報』第3474号、大正13年3月26日。
  40. ^ a b 『官報』第3513号、大正13年5月12日。
  41. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]