矢矧 (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Japanese cruiser Yahagi 1916.jpg
艦歴
発注 1907年度計画
起工 1910年6月20日
進水 1911年10月3日
就役 1912年7月27日
除籍 1940年4月1日
その後 1947年 解体
性能諸元
排水量 常備:5,000t
全長 144.8 m / 134.1m(垂線間長)/140.5m(水線長)
全幅 14.2m
吃水 5.1m
機関 イ号艦本式缶混焼式16基
パーソンズ式直結タービン2基
4軸推進、22,500馬力
速力 26.0kt
航続距離
燃料 重油300トン、石炭1,000トン
乗員 414名
兵装 45口径15.2cm単装砲8門
40口径7.6cm単装砲4門
45.7cm水上魚雷発射管3門
装甲 舷側:89mm
甲板水平部:22mm
甲板傾斜部:57mm
司令塔:102mm

矢矧(やはぎ)は、日本海軍防護巡洋艦筑摩型の2番艦である。艦名は、長野県から岐阜県を経て愛知県に至る「矢矧川」にちなんで名づけられた。

艦歴[編集]

1910年、三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工、1912年7月27日に竣工し、二等巡洋艦に類別。日本海軍の巡洋艦として初めてタービン機関を採用し、同型艦三隻にはそれぞれ異なるタイプの機関を搭載している。

第一次世界大戦では、南洋諸島占領作戦に参加、さらに南シナ海インド洋、スルー海での作戦に従事した。

1917年11月20日、連合国艦船の護衛作戦を終えてオーストラリアのフリーマントルに入港しようとしていた矢矧に、沿岸砲から一発の砲弾が発射された。砲弾は矢矧のマストをかすめて甲板を超え海に落ちた。オーストラリア政府は、矢矧に乗り込んでいた水先案内人が適切な信号を送っていなかったことため、警告するために砲撃したと説明し、オーストラリア総督がその後パースに停泊中の矢矧に出向いて艦長に謝罪した。

1923年から1937年までおもに中国水域の警備活動に従事した。

1940年4月1日に除籍され廃艦第12号と仮称、呉海兵団の練習船として使用した。

1943年には大竹に回航し海軍潜水学校で使用し終戦を迎えた。

1947年1月31日から7月8日まで笠戸ドックで解体作業を行った。

大正7年(1918)の流感禍[編集]

第一次世界大戦で日本は連合国側に参戦した。日本海軍は南方方面に二等巡洋艦などを派遣し、ドイツ東洋艦隊捜索及びドイツ領南洋諸島占領に従事した。巡洋艦矢矧も大正6年(1917)2月、呉軍港を出航し太平洋、インド洋方面で海上警備、索敵にあたっていたが、大正7年(1918)10月、軍艦千歳との交代命令に接し、オーストラリアシドニーを出航して艦隊司令部のあったシンガポールに11月9日に入港した。交代艦の到着まで碇泊、乗組員の上陸を許可した。この年は世界的にインフルエンザが流行し他の艦艇にも被害者が出ていたにもかかわらず特別の配慮を怠ったため、出航後それが艦内に蔓延し、凄惨な状況になった。11月30日シンガポールを出航、12月5日にマニラ入港、来艦者は、上下甲板至る所に倒れてうめいているという状態に「腰ヲ抜カサンバカリニ驚ク」という。12月9日普門副長死亡、10日に14名、11日に5名、12日8名、13日4名が死亡した。死亡者は艦内6名病院42名の48名に及んだ。(乗員471名のうち)大正10年1月19日に英国墓地サンピドロ、マガチに石造高さ一丈六尺の「在馬尼刺軍艦矢矧病没者墓碑」が建設され、墓碑銘が刻まれ、同日納骨式が行われた。このことが矢作神社への写真額の奉納(大正9年5月27日)、分霊の艦上安置(大正9年9月7日)、1/100模型の奉納(大正10年4月)と乗組員全員の参拝につながる。

奉納模型[編集]

愛知県岡崎市の矢作神社には、ガラスケースに入った1/100の奉納模型が現存する。これは大正10年(1921)4月5日、6日の両日、蒲郡港に停泊中の同艦から全乗組員が半舷上陸により同神社に参拝した際に奉納されたものである。全乗組員の参拝は大正11年(1922)、大正14年(1925)にも知多郡武豊港に碇泊中に行われている。このほか大正9年(1920)5月27日付けの奉納写真額、2回分の参拝要領、艦長の名刺、新聞記事などの資料が巻子装資料で保存されている。なお明治44年(1911)10月3日の長崎三菱造船所の進水紀念絵葉書3点と矢作神社参拝の折に発行された『矢作の栞』(16P19cm)は岡崎市立中央図書館に所蔵されており、後者はデジタルアーカイブで公開されている。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • 小林恵吉郎 大佐:1912年4月20日 - 12月1日
兼海軍艦政本部艤装員(1912年4月20日 - 7月31日)
兼佐世保海軍工廠艤装員(1912年7月31日 - 8月31日)
  • 山岡豊一 大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 阪本則俊 大佐:1913年12月1日 - 1914年5月6日
  • 長鋪次郎 大佐:1914年5月6日[1] -
  • 島内桓太 大佐:1915年2月1日 - 12月13日
  • 内田虎三郎 大佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
  • 宮治民三郎 大佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 山口伝一 大佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日
  • 小倉嘉明 大佐:1918年12月1日 - 1919年10月1日
  • 藤村昌吉 大佐:1919年12月1日[2] - 12月15日死去[3]
  • 高倉正治 大佐:1919年12月18日[4] - 1920年12月1日[5]
  • 常松憲三 大佐:1920年12月1日[5] - 1921年4月14日[6]
  • 左近司政三 大佐:1921年4月14日 - 11月20日
  • 島祐吉 大佐:1921年11月20日 - 1922年12月1日
  • 益子六弥 大佐:1922年12月1日- 1924年12月1日
  • 山本土岐彦 大佐:1924年12月1日[7] - 1925年4月20日[8]
  • 相良達夫 中佐:1925年4月20日 - 12月1日
  • 河村儀一郎 大佐:1925年12月1日 - 1926年11月1日
  • 辺見辰彦 大佐:1926年11月1日[9] - 1927年12月1日[10]
  • 池中健一 大佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
  • 小籏巍 大佐:1928年12月10日[11] - 1929年5月1日[12]
  • 井上勝純 大佐:1929年5月1日[12] - 11月30日
  • 増島忠雄 大佐:1929年11月30日[13] - 1930年11月15日[14]
  • 水戸春造 大佐:1930年11月15日 - 1931年5月15日
  • 岩村清一 大佐:1931年5月15日 - 12月1日
  • 井上保雄 大佐:1931年12月1日 - 1932年12月1日

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第530号、大正3年5月7日。
  2. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  3. ^ 『官報』第2218号、大正8年12月24日。
  4. ^ 『官報』第2214号、大正8年12月19日。
  5. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  6. ^ 『官報』第2609号、大正10年4月15日。
  7. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  8. ^ 『官報』第3796号、大正14年4月21日。
  9. ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
  10. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  11. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  12. ^ a b 『官報』第699号、昭和4年5月2日。
  13. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  14. ^ 『官報』第1166号、昭和5年11月17日。

参考資料[編集]

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
  • 福井静夫『福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語』(光人社、1992年)ISBN 4-7698-0610-8
  • 『造艦技術の全貌』興洋社、昭和27年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報
  • 『軍艦矢矧南征記念写真帳』久田弥平編 海軍時事写真部 1915 1冊 15×23cm (国立国会図書館43010687 国立国会図書館デジタルコレクション) 
  • 『水行社記事 №223』水行社 1920.11 (巻頭写真:「在馬尼刺軍艦矢矧病没者墓碑」、P4~52「大正七年十二月軍艦矢矧ニ於ケル流行性感冒患者発生当時ノ実況」(当時矢矧艦長 海軍大佐 山口傳一) 大正7年11月30日現在軍艦矢矧乗員表(附便乗者)(職氏名)含む) 
  • 『日本歴史 2008.12』日本歴史学会邊 吉川弘文館 P51~54「歴史手帳 軍艦矢矧の大正七年流感禍」 
  • 『大日本帝国海軍 巡洋艦「矢矧」はるか―愛知県岡崎市矢作神社に遺る奉納遺物等について―』小林清司編著 編著者 2016.08 1冊 30cm

関連項目[編集]

  • 矢矧 [II] (軽巡洋艦)