周防 (戦艦)

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周防
艦歴
発注
起工 1898年8月1日
進水 1900年5月24日
就役 1902年7月31日
除籍 1922年4月1日雑役船に編入
その後 1922年9月30日廃船
性能諸元
排水量 13,500トン
全長 424 ft
全幅 71.5 ft
吃水 27.3 ft
機関 ベルヴィール式石炭専焼缶30基
3軸レシプロ 垂直三段膨張機関(VTE), 14,500 馬力
燃料
最大速 16ノット
航続距離 6,000海里(10ノット時)
兵員 732名
兵装 10インチ砲 4門
6インチ砲 10門
12ポンド砲 16門
3ポンド砲 21門
1.5ポンド砲 8門
魚雷発射管 2門

周防(すはう/すおう)は日本海軍戦艦[1][2]。 元はロシア帝国前弩級戦艦ポベーダロシア語:Победа[3]、日本海軍の法令上はポピエダ[4][1]ペレスヴェート級)で、日露戦争旅順攻囲戦で沈没[5][6]。その後、日本海軍に鹵獲されたものである[7]。 艦名は旧国名「周防国」にちなむ[2]明治天皇に奏聞した候補艦名に「伊豫」があった[8]

艦歴[編集]

1898年(明治31年)8月1日、起工[2]。1900年(明治33年)5月24日、進水[2][9]。1902年(明治35年)7月31日、就役。

日露戦争開戦時は、旅順艦隊に所属[10]。ポベーダは旅順沖で被弾、損傷。4月13日、戦艦ペトロパブロフスク沈没(ステパン・マカロフ提督戦死)時に、本艦も触雷して損傷した[9]。修理後、1904年(明治37年)8月10日の黄海海戦に参加[2]。損傷を受ける[9]。その後旅順で日本陸軍第三軍、司令官乃木希典大将)指揮下の28cm榴弾砲の砲撃を受け、12月中に着底状態となった(沈没認定)[11][12]

1905年(明治38年)1月1日、旅順要塞の降伏にともない、日本海軍に鹵獲される[2]。6月7日より浮揚作業に着手[13][14]。 10月17日、浮揚成功[15][13]。 同年10月25日[16]、軍艦「周防」と命名される[1][13]。同日附で鹵獲艦2隻(肥前《旧レトヴィザン》、周防《旧ポペーダ》)は一等戦艦に類別された[17][18]横須賀鎮守府[19]。 12月3日、3隻(周防、鎮遠、子日)は旅順を出発する[20][21]。 周防航海中の12月12日、日本海軍は艦艇類別等級表を改定[22][2]。戦艦の等級廃止にともない、日本海軍保有の9隻(富士敷島朝日三笠石見相模丹後肥前周防)が『戦艦』に類別される[23][24]。 12月16日、3隻(周防、鎮遠、子日)は佐世保に到着[13][21]。長崎に移動して修理を実施[13][21]1906年(明治39年)5月6日、長崎を出発、横須賀に回航された[13][21]1908年(明治41年)10月、修理完成[25]

1912年(大正元年)8月28日、日本海軍は艦艇類別等級表の改訂を実施[26][2]。「周防」は一等海防艦(7000トン以上)に類別変更される[27][28]

第一次世界大戦では青島攻略戦に参加した[2]。この時は第二艦隊司令長官加藤定吉中将の旗艦であった[2][25]

ワシントン軍縮条約に基づき、1922年(大正11年)4月1日、周防含め各艦は軍艦籍より除籍[2][29]。 艦艇類別等級表より削除[30][31]。 同年7月13日、解体作業中に漏水のため転覆する[32]9月25日、引出に成功[33]。「周防」は三ツ子島に曳航されて自沈した[34]

艦長[編集]

Japanese battleship Suwo 2.jpg

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 西紳六郎 大佐:1906年8月30日 - 1907年3月12日
  • (兼)茶山豊也 大佐:1907年3月12日 - 4月18日
  • 吉見乾海 大佐:1907年4月18日 - 7月1日
  • 仙頭武央 大佐:1907年7月1日 - 1908年5月15日
  • 小花三吾 大佐:1908年9月1日 - 1909年5月22日
  • 田中盛秀 大佐:1909年5月22日 - 1910年4月9日
  • 東郷静之介 大佐:1910年4月9日 - 1911年12月1日
  • 高木七太郎 大佐:1912年4月30日 - 12月20日
  • (兼)広瀬順太郎 大佐:1912年12月20日 - 1913年1月10日
  • 吉島重太郎 大佐:1913年4月1日 - 12月1日
  • 岡野富士松 大佐:1913年12月1日 - 1914年12月1日
  • 下平英太郎 大佐:1914年12月1日 - 1915年4月1日
  • 丸橋彦三郎 大佐:1915年4月1日 - 12月13日
  • 三村錦三郎 大佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
  • 大石正吉 大佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 石川秀三郎 大佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日
  • 樺山可也 大佐:1918年12月1日 - 1919年10月1日
  • 小倉嘉明 大佐:1919年10月1日 - 12月1日
  • 石井祥吉 大佐:1919年12月1日[35] - 1920年12月1日[36]
  • 高倉正治 大佐:1920年12月1日[36] -

参考文献[編集]

  • 福井静夫『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『露国海軍太平洋第1、第2、艦隊艦船名』。Ref.C09050753800。
    • 『第3号 旅順口港内沈没戦利軍艦破損箇所詳細図(明治38年10月19日旅順口海軍工作廠より海軍軍令部に送付せるものなり)/阿蘇、津軽、周防、肥前、丹後、相模』。Ref.C05110198300。
    • 『37.8年戦史資料敵艦破損図(1)4番艦ポビエタ破損個所図』。Ref.C09050619400。
    • 『4番艦ポビエタ破損個所(1)』。Ref.C09050619500。
    • 『4番艦ポビエタ破損個所(2)』。Ref.C09050619600。
    • 『4番艦ポビエタ破損個所(3)』。Ref.C09050619700。
    • 『4番艦ポビエタ破損個所(4)』。Ref.C09050619800。
    • 『第11号 明治39年2月17日旅順口海軍工作廠に於て調整したる4番艦「ポベーダ」浮揚報告附図』。Ref.C05110199100。
    • 『第12号「ポベータ」破損箇所の図』。Ref.C05110199200。
    • 『第13号「ポベータ」破損箇所詳細図(弾痕図48枚)』。Ref.C05110199300。
    • 『第3編 戦利艦船の収容引揚及ひ回航/第1章 収容艦船の概要』。Ref.C05110196200。
    • 『第3編 戦利艦船の収容引揚及ひ回航/第7章 周防(元「ポベーダ」)の引揚及ひ回航』。Ref.C05110196800。
    • 『備考文書』。Ref.C05110196900。
    • 『明治38年 公文備考 巻10艦船1/進水、命名、艦船籍、類別、等級』。Ref.C06091630000。
    • 『軍艦周防15糎砲爆発の件(1)』。Ref.C08021334600。
    • 『軍艦周防15糎砲爆発の件(2)』。Ref.C08021334700。
    • 『軍艦周防沈没一件(1)』。Ref.C08050480100。
    • 『軍艦周防沈没一件(2)』。Ref.C08050480200。
    • 『軍艦周防沈没一件(3)』。Ref.C08050480300。
    • 『軍艦周防沈没一件(4)』。Ref.C08050480400。
    • 『軍艦周防沈没一件(5)』。Ref.C08050480500。
    • 『雑役船周防沈没事故(1)』。Ref.C08050483400。
    • 『雑役船周防沈没事故(2)』。Ref.C08050483500。
    • 『雑役船周防沈没事故(3)』。Ref.C08050483600。
    • 『雑役船周防沈没事故(4)』。Ref.C08050483700。
    • 『雑役船周防沈没事故(5)』。Ref.C08050483800。
    • 『雑役船周防沈没事故(6)』。Ref.C08050483900。
    • 『雑役船周防沈没事故(7)』。Ref.C08050484000。
    • 『雑役船周防沈没事故(8)』。Ref.C08050484100。
    • 『雑役船周防沈没事故(9)』。Ref.C08050484200。
    • 『雑 旧軍艦周防残骸の件 上海土地交換坪数の件 旅順海軍集会所に関する件 国有財産借用庁に関する件 大要第16号の91占守貯炭場に保管人居住の件』。Ref.C04015368900。
    • 『海戦史第6部巻之13(下)戦利艦(2)』。Ref.C09050733500。
    • 『明治38年 達 完/10月』。Ref.C12070053400。
    • 『明治38年 達 完/12月』。Ref.C12070053600。
    • 『大正元年 達 完/8月』。Ref.C12070064400。
    • 『大正5年 達 完/4月』。Ref.C12070070600。
    • 『大正11年 達 完/4月(1)』。Ref.C12070080200。

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達明治38年10月p.9『達第百五十六號 戰利軍艦「ポピエダ」ヲ周防ト命名セラル 明治三十八年十月二十五日 海軍大臣男爵山本権兵衛』
  2. ^ a b c d e f g h i j k #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ73(原本112頁)『周防(すはう) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、周防國に採る。 艦歴舊露國軍艦、原名「ポピエダ」、露國「ニュー・アドミラルチー」造船所建造、明治33年進水。日露戰役中に露國太平洋艦隊として明治37年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港内に於て破壊沈没、同39年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年10月25日帝國軍艦と定め「周防」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正元年一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(第二艦隊司令長官中将加藤定吉旗艦、艦長大佐丸橋彦三郎)、同11年4月1日除籍。
    ―要目― 長435呎/幅71.5呎/吃水26.0呎/排水量12,674噸/機關 直立聯成汽機3基、ベルビル罐30臺/馬力14,500/速力19/乗組人員732/船材 鋼(シーズト式)/兵装 25拇砲 4/15拇砲 10/8拇砲 18/機砲 2/發射管 2/起工 明治31-8-1/進水 同33-5-24/竣工 同34/建造所 露國ニュー・アドミラルチー造船所』
  3. ^ #阿蘇周防津軽丹後肥前相模pp.2-3『壹等戰艦周防(「ポベーダ」)』
  4. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ199『◎戰利軍艦周防命名ノ件 明治三十八年十月二十五日(達一五六)戰利軍艦「ポピエダ」ヲ周防ト命名セラル』
  5. ^ #日露戦役海軍写真集(2)コマ34(原本34ページ)『旅順口内の撃沈敵艦/下圖も同所より破壊を望める景にして右方なるはポピエダ、左なるはパルラダとす。』
  6. ^ #日露戦役海軍写真集(4)コマ42(原本32頁)『旅順沈没戰艦ポベーダ(周防)最上甲板』
  7. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ25『戰利艦船處分一覽表|同(軍艦)周防|ポピエダ|同(戰艦)|排水量一二,六七四|三十八年十月十七日|海軍ニテ使用|六,六〇三,三七六|}旅順ニ沈没ノモノ』
  8. ^ 明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。
  9. ^ a b c #周防引揚回航pp.1-2『第一節 損傷程度及ヒ沈没原因』
  10. ^ #露國海軍太平洋第一、第二、艦隊艦舩名p.1
  11. ^ #周防引揚回航pp.2-3
  12. ^ #旅順要塞戦写真コマ96『「パルラダ」ノ次ニ爆沈セル戰闘艦「ポベーダ」及「ペレスウエート」ノ前部重砲』
  13. ^ a b c d e f #収容艦船概要p.2『四、戰艦「ポベーダ」(排水量一二,六七四噸、三十八年六月七日引揚箸手、同年十月十七日浮揚、同年二十五日周防ト命名セラル 十二月三日旅順口發大連灣ニ避泊シ同月十六日佐世保箸、囘航委員長海軍大佐有川貞白、護衛艦ハ鎭遠、通信艦ハ子日、長崎三菱造船所ニ入渠修理ノ後チ三十九年五月六日長崎發、同十日横須賀箸、囘航委員長海軍大佐竹内平太郎)』
  14. ^ #周防引揚回航pp.3-5『第二節 引揚作業』
  15. ^ 明治38年10月19日官報第6693号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ15『○戰利艦ノ浮揚 旅順口内戰利艦ノ浮揚ニ關シ本月十七日接手シタル旅順口鎭守府司令長官柴山矢八ノ報告左ノ如シ(海軍省)今朝四時戰闘艦「ポペーダ」(一万二千六百七十四噸)ノ全部排水ヲ始メシニ些ノ故障ナク午後九時三十分全ク浮揚セリ』
  16. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇、2頁。
  17. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ53『明治三十八年十月二十五日(達一六八)軍艦及水雷艇類別等級表戰艦ノ欄一等ノ下「丹後」ノ次ニ「肥前、周防」ヲ加フ』
  18. ^ #達明治38年10月p.9『達第百五十八號 軍艦及水雷艇類別等級別表中戰艦ノ欄一等ノ下「丹後」ノ次ニ「肥前、周防」ヲ加フ 明治三十八年十月二十五日 海軍大臣男爵山本権兵衛』
  19. ^ #周防引揚回航p.10『第五節 令達|三十八年十月二十五日本艦ヲ周防ト命名セラレ、本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラレ、海軍艇員令別表中本艦定員表ヲ左ノ如ク追加セラル(以下略)』
  20. ^ #周防引揚回航pp.5-6『第三節 囘航準備』
  21. ^ a b c d #周防引揚回航pp.7-10『第四節 内地囘航』
  22. ^ #達明治38年12月pp.6-7『達第百八十一號 艦艇類別標準別表ノ通改メラル 明治三十八年十二月十二日 海軍大臣男爵 山本権兵衛』
  23. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ53-54『◎艦艇類別等級 明治三十八年十二月十二日(達一八二)』
  24. ^ #達明治38年12月pp.8-9『達第百八十二號 艦艇類別等級別表ノ通定ム 明治三十八年十二月十二日 海軍大臣男爵 山本権兵衛(別表)|軍艦|戰艦| |富士、敷島、朝日、三笠、石見、相模、丹後、肥前、周防、』
  25. ^ a b #帝国軍艦帖コマ95-96『一等海防艦 周防(舊名ポピエダ)』
  26. ^ #達大正1年8月p.32『達第十一號 艦艇類別標準別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 齋藤實』
  27. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ56-57『◎艦艇類別等級 大正元年八月二十八日(達一二)艦艇類別等級別表ノ通改正ス』
  28. ^ #達大正1年8月pp.33-34『達第十二號 艦艇類別標準別表ノ通改正ス 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 齋藤實(別表)|軍艦|海防艦|一等|壹岐、丹後、富士、石見、相模、周防』
  29. ^ #達大正11年4月(1)pp.1-2『達第四十七號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 津輕/軍艦 橋立/軍艦 武藏|呉鎮守府在籍 軍艦 周防/軍艦 千代田/軍艦 大和|佐世保鎮守府在籍 軍艦 沖島/軍艦 見島 右帝國軍艦ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 薄雲/驅逐艦 不知火|呉鎮守府在籍 驅逐艦 朝潮/驅逐艦 白雲/驅逐艦 村雨/驅逐艦 朝霧/驅逐艦 陽炎 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府在籍 第六十七號水雷艇/第六十八號水雷艇/第七十号水雷艇/第七十一號水雷艇|佐世保鎮守府在籍 水雷艇 雁/水雷艇 蒼鷹/水雷艇 鴿/水雷艇 燕 右帝國水雷艇籍ヨリ除カル|大正十一年四月一日 海軍大臣 男爵加藤友三郎』
  30. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ59『大正十一年四月一日(達四八)』
  31. ^ #達大正11年4月(1)pp.2-3『達第四十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 大正十一年四月一日 海軍大臣 男爵加藤友三郎|軍艦ノ欄内「、千代田」「、津輕」「、周防」「沖島、」「見島、」「橋立、」「大和、」「武藏、」ヲ、驅逐艦ノ欄内「不知火、」「陽炎、」「薄雲、」「白雲、」「朝潮、」「村雨、」「朝霧、」ヲ、水雷艇ノ欄内「雁、」「蒼鷹、」「鴿、」「燕、」「第六十七號、」「第六十八號、」「第七十號、」「第七十一號、」ヲ削ル』
  32. ^ #周防沈没(1)p.7『大正十一年七月十三日午後一時四十分呉海軍発 二時三十六分海軍局着 呉鎮守府司令長官 海軍大臣 本日午後零時十分繋舩堀内ニテ鋼鉄板取離シ中ノ周防漏水ノ為次第ニ左舷ニ傾斜同五十分遂ニ直角ニ倒ル』
  33. ^ #周防沈没(5)p.61『(宛略)周防本日(九月二十五日)午前八時三十分無事引出シ三ツ子島ニ曳艦セリ』
  34. ^ #周防沈没(5)pp.63-64『(宛略)周防本日午前八時三十分無事引出シ三ツ子島西方略予定ノ位置ニ沈置作業了ル』-『(宛略)周防午後一時(九月二十五日)三ツ子島西岸豫定位置沈置終ル』
  35. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  36. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。

関連項目[編集]