高千穂 (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Japanese cruiser Takechiho.jpg
艦歴
発注
起工 1884年3月22日
進水 1885年5月16日
就役 1886年4月末
その後 1914年10月18日戦没
除籍 1914年10月29日
性能諸元
排水量 常備:3,709トン
全長 91.4m
全幅 14.1m
吃水 5.6m
機関 二軸レシプロ蒸気機関、円缶(石炭専焼)6基
7,604馬力
燃料 石炭350トン
最大速 18.0ノット
乗員 325名
兵装 克式 35口径26cm単装砲2基(後に安式40口径もしくは45口径15.2cm単装速射砲2基に換装)
克式35口径15cm単装砲6基(後に安式40口径15.2cm単装速射砲6基に換装)
オチキス 43口径4.7cm単装機砲6基
25mm4連装ノルデンフェルト砲10基40門
11mm10連装ノルデンフェルト砲4基40門
35.6cm水上魚雷発射管単装4門
装甲 水平:平坦部51mm 傾斜部76mm

高千穂(たかちほ)は[1]日本海軍防護巡洋艦二等巡洋艦[2][2]浪速型の2番艦。艦名は天孫降臨の地とされている宮崎県の「高千穂峰」にちなんで名づけられた[3]第一次世界大戦従軍中の1914年(大正3年)10月18日未明、膠州湾においてドイツ軍魚雷艇(小型駆逐艦)の魚雷攻撃を受け、沈没した[3][4]

艦歴[編集]

1884年(明治17年)3月22日、本艦および「浪速」はイギリスニューカッスルアームストロング社のロー・ウォーカー造船所で起工[3]3月27日、日本海軍はイギリスで建造中の軍艦2隻を、「浪速」および「高千穂」と命名する[1]1885年(明治18年)5月16日、「高千穂」は進水[3]5月26日、2隻(浪速、高千穂)は二等艦と定められる[5]1886年(明治19年)4月末に竣工。日本に回航され、同年7月3日午前11時、横浜港に到着した[6]。 同年11月29日、明治天皇および皇后(昭憲皇太后)は横浜港で「浪速」に乗艦、横須賀港に行幸する[7][8]。帰路の天皇・皇后は「高千穂」に乗艦し、横須賀から横浜に戻った[8]

1890年(明治23年)3月下旬から4月上旬にかけて陸海軍連合大演習が実施され、「高千穂」は明治天皇の御召艦に指定される[9][10]4月18日、天皇は神戸港で「高千穂」に乗艦[11]観艦式に臨んだ[12][13]。 4月21日、天皇は「高千穂」から呉軍港に上陸(呉鎮守府臨幸)[14][15][16]。翌日海軍兵学校江田島)を見学後、御召艦「高千穂」(天皇座乗)は4月23日に同地を出港[17][16]。 4月25日午前中に関門海峡を通過[18]、午後5時50分に佐世保鎮守府到着[19]。26日、「高千穂」は佐世保を出港、神戸移動後の4月28日朝に天皇は「高千穂」を下艦した[16]

同年8月23日、本艦は佐世保鎮守府所管の第一種と定められた[20]

1894年(明治27年)6月から翌月にかけて、「高千穂」はハワイ革命に伴い邦人保護のためホノルルに派遣された。日清戦争では、黄海海戦大連旅順威海衛澎湖島攻略作戦等に参加する[3]

1898年(明治31年)3月21日、日本海軍は海軍軍艦及び水雷艇類別標準を制定し、3,500トン以上7,000トン未満の巡洋艦を「二等巡洋艦」と定義[21]。該当する9隻(浪速高千穂厳島松島橋立吉野高砂笠置千歳)が二等巡洋艦に類別された[22][2]

義和団の乱では1900年(明治33年)8月から10月にかけて廈門警備に従事した。

1904年(明治37年)1月に呉工廠で機雷投下器を装備、日露戦争に際しては仁川沖海戦蔚山沖海戦日本海海戦等に参加[3]元山沖で機雷敷設に従事した。日本海海戦における第四戦隊(浪速、高千穂、明石新高)はバルチック艦隊と交戦、他艦に若干の被害があるも「高千穂」に損害はなかった[23]

1911年(明治44年)、「高千穂」は横須賀工廠敷設艦に改造される。1912年(大正元年)7月18日、姉妹艦「浪速」が座礁して沈没(除籍8月5日[24]。同年8月28日、艦艇類別の改訂により、二等海防艦(7,000トン未満)に類別変更された[25][26]。 旧式化していた本艦は海軍水雷学校の練習艦として使用されていた[27]

第一次世界大戦では、1914年(大正3年)8月から9月にかけて青島攻略戦に参加した。同年8月16日附で第二艦隊に編入、予備艦だったため海防艦「満州」等より人員を補充した[27]。老朽化により、速力15ノット以上の発揮は難しかったという[27]10月17日夜、「高千穂」は膠州湾外で海上封鎖任務に従事していた[4]。当時の本艦は、駆逐艦に補給するための魚雷を搭載していた[4]。同時刻、ドイツ海軍水雷艇(小型駆逐艦)のS-90(SMS S 90)は上海への脱出命令を受け、日本側の封鎖線を突破しつつあった[4]10月18日午前0時15分、S-90は「高千穂」(速力8〜10ノット航行中)を発見して距離300mまで接近、魚雷3本を発射する[4]。魚雷2本が命中、補給用の魚雷が誘爆し、「高千穂」は轟沈した[3][4]。伊藤(高千穂艦長)以下271名(下士官兵・傭人合計257名)が戦死、生存者は3名(沈没時不在だった10名を除く)[28][29]。巡洋艦「利根」(第二水雷戦隊旗艦)、砲艦「嵯峨」等が救援に従事し、遺体は特設砲艦「朝鮮丸」に収容されて佐世保に帰投した[28]

青島周辺に展開していた海軍陸戦隊重砲隊(指揮官正木義太中佐)はS-90の包囲網脱出を報告していたが、この情報は生かされなかったという[30]。「高千穂」撃沈の戦果を挙げたS-90は、同日午前6時に黄河河口で放棄され、乗組員61名は中国警察(中立国)により武装解除された[28]

同年10月29日、2隻(高千穂、白妙)は軍艦籍(駆逐艦籍)[31]および艦艇類別等級表より除籍された[32][33]。「高千穂」は日本海軍の軍艦の中で、敵との交戦で撃沈された最初の艦でもあった[28]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長
  • 山崎景則 大佐:1886年5月28日 - 1886年7月14日
  • 松村正命 大佐:1886年7月14日 - 1888年4月26日
  • 磯辺包義 大佐:1888年4月26日 - 1889年4月17日
  • 坪井航三 大佐:1889年4月17日 - 1890年9月24日
  • 山本権兵衛 大佐:1890年9月24日 - 1891年6月17日
  • 吉島辰寧 大佐:1891年6月17日 - 1891年12月14日
  • 伊地知弘一 大佐:1891年12月14日 - 1892年9月5日
  • 千住成貞 大佐:1892年9月5日 - 1892年11月7日
  • 柴山矢八 大佐:1893年4月20日 - 1893年12月20日
  • 尾形惟善 大佐:1893年12月20日 - 1894年2月26日
  • 野村貞大佐:1894年2月26日 - 1896年4月1日
  • 植村永孚 大佐:1896年4月1日 - 1896年11月17日
  • 舟木錬太郎 大佐:1896年11月17日 - 1898年3月11日
  • 早崎源吾 大佐:1898年3月11日 - 1898年11月2日
  • 中尾雄 大佐:1898年11月2日 - 1899年3月22日
  • 小田亨 大佐:1899年3月22日 - 1900年6月7日
  • 武井久成 大佐:1900年8月11日 - 1900年10月22日
  • 成田勝郎 大佐:1902年3月13日 - 1902年5月31日
  • 梶川良吉 大佐:1902年6月28日 - 1903年7月7日
  • 毛利一兵衛 大佐:1903年7月7日 - 1905年6月14日
  • 西紳六郎 大佐:1905年6月14日 - 1905年12月20日
  • 東伏見宮依仁親王 大佐:1905年12月20日 - 1906年4月7日
  • 野間口兼雄 大佐:1906年4月7日 - 1906年10月12日
  • 外波内蔵吉 大佐:1906年10月12日 - 1907年7月1日
  • 荒川規志 大佐:1907年7月1日 - 1908年8月28日
  • 今井兼胤 大佐:1908年8月28日 - 1908年12月23日
  • 中島市太郎 大佐:1908年12月23日 - 1909年10月11日
  • 広瀬順太郎 大佐:1909年10月11日 - 1910年9月26日
  • (心得)伏見宮博恭王 中佐:1910年9月26日 - 1910年12月1日
  • 真田鶴松 大佐:不詳 - 1911年12月1日
  • 大島正毅 大佐:1911年12月1日 - 1912年6月29日
  • 下平英太郎 大佐:1912年6月29日 - 1912年12月1日
  • 武部岸郎 大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 岡田三善 大佐:1913年12月1日 - 1914年5月29日
  • 伊東祐保 大佐:1914年5月29日 - 1914年10月18日戦死[34]

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ197番『◎軍艦浪速及高千穂命名ノ件 明治十七年三月二十七日(丙五九)今般英國ヘ新造注文セル二隻ノ軍艦ヲナニ及ヒ高千穂タカチホト命名ス 此旨爲心得相達候事』
  2. ^ a b c #達明治31年3月(1)pp.16-17『達第三十五號 軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道|軍艦|巡洋艦|二等|浪速 高千穂 嚴島 松島 橋立 吉野 高砂 笠置 千歳』
  3. ^ a b c d e f g #幕末以降帝国軍艦写真と史実第31コマ(原本34頁)『高千穂(たかちほ) 艦種巡洋艦 二檣(スクーナー) 艦名考山名に採る、高千穂峯は霧島山東嶽の古名なり(霧島の條参照)。艦歴明治17年3月英國安社に於て起工、同19年7月横濱に來着。同27・8年戰役に從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同9月黄海海戰に、同11月大連港及旅順港占領に参加。同28年2月威海衛總攻撃及同占領に、同3月澎湖島攻略に参加。同31年3月巡洋艦二等に列す。同37・8年戰役從軍(第四戰隊):同37年2月仁川沖海戰に、同8月蔚山沖海戰に参加。同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐毛利一兵衛)。大正6年海防艦二等に編入す。同3年乃至9年戰役に從軍:〃3年8月青島戰に参加(第二艦隊、艦長大佐伊藤祐保)、同3年10月膠州灣に於て敵水雷艇(S90號)の雷撃を受け爆沈す(艦長同前)。
    ―要目― 長300呎/幅46呎/喫水18呎7吋/排水量3,759噸/機關 横置二聯成汽機2臺、雙螺旋、圓罐/馬力7,600/速力18.5/乗組人員357/船材 鋼(防禦甲板51粍)/兵装 26拇克砲2/15栂克砲6/6听ノルデン砲2/備砲14/發射管(水上)4/起工 明治17-3-22/進水 同18-5-16/竣工 同19-4/建造所 英國エルスウィック安社』
  4. ^ a b c d e f #撃沈戦記II19-20頁『高千穂轟沈す』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ49番『◎浪速艦及高千穂艦等級ノ件 明治十八年五月二十六日(丙二六)明治二十三年八月達三〇四號消滅浪速艦及高千穂艦々位二等ト相定ム此旨相達候事』
  6. ^ 明治19年7月7日官報第904号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3『○陸海軍事項(略)○軍艦發着 高千穂艦ハ去ル三日午前十一時横濱港ニ着比叡艦ハ昨六日長崎港ヲ出發セリ(海軍省報告)』
  7. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実第239コマ(原本86頁)『明治一九-一一-二六|浪速、高千穂兩艦及び長浦|浪速|横濱御乗艦』
  8. ^ a b 明治19年11月29日官報第1025号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1-2『○長浦行幸行啓次第 去ル二十六日ハ曩ニ仰出タサレシ通 皇后宮御同列ニテ午前七時三十分御出門相州長浦ヘ行幸午後六時過還幸在ラセラレタリ(略)午前十時十分浪速艦ニ乗御直ニ御發艦(略)午後二時五十分高千穂艦御乗艦直ニ御發艦鎮守府司令長官以下奉送艦船長等海上供奉其他敬禮式等總ヘテ御上陸ノ時ノ如シ 航海中高千穂艦長以下下士官以上ニ拝謁被仰付艦内御巡覧 午後四時二十分横濱御箸艦直ニ御上陸船長等海上供奉各艦敬禮式等御乗艦ノ時ノ如シ/午後四時五十分横濱御用邸御出門 常備小艦隊司令官以下奉送臨幸ノ時ノ如シ 午後五時横濱御發車』
  9. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実第239コマ(原本86頁)『明治二三-三-二八|呉、佐世保、江田島、海陸軍聯合大演習|高千穂』
  10. ^ 明治23年4月18日官報第2037号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2-3『○宮廷録事』
  11. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実第239コマ(原本86頁)『明治二三-四-一八|神戸海軍観艦式』
  12. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実第239コマ(原本87頁)『明治二三-四-一八(年月日)|神戸沖(場所)|海軍艦兵式(名稱)|高千穂(御召艦)|一九(隻数)|三二,三二八(噸數)』
  13. ^ 明治23年4月19日官報第2038号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○御發輦御發輿 天皇陛下ハ昨十八日午前六時四十分御出門 皇后陛下ハ午前八時御出門御機嫌克ク京都御發輦御發輿アラセラレタリ/○御發艦 昨十八日海軍観兵式御行濟神戸港御發艦アラセラレタリ(昨十八日午後二時四十分神戸發電報)/○御箸越 皇后陛下昨十八日午後五時四十五分奈良御旅泊ヘ御箸アラセラレタリ』
  14. ^ 明治23年4月22日官報第2040号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1『○行幸御發箸 本月十九日ハ霧ノタメ小豆島御滞泊一昨二十日午後七時十分呉港御安箸二十一日午前御上陸遊ハサレタリ』
  15. ^ 明治23年4月23日官報第2041号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1『○行幸御發箸 一昨二十一日午前九時三十分呉港ヘ御上陸鎮守府ヘ臨御次ニ各所御巡覧アラセラレ昨二十二日午前江田島ニ向ヒ御發艦アラセラレタリ』
  16. ^ a b c 明治23年4月29日官報第2046号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○行幸神戸御箸艦/○行啓/○京都御箸輦/○呉鎮守府臨御模様/○江田島行幸御模様』
  17. ^ 明治23年4月24日官報第2042号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○江田島御發艦 呉江田島御巡幸滞ナク濟セラレ本日午前九時御機嫌克ク江田島御發艦アラセラレタリ 昨二十三日午後二時二十五分廣島發電報』
  18. ^ 明治23年4月26日官報第2044号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1『○行幸馬關御發艦 昨二十五日午前八時馬關御發艦アラセラレタリ』
  19. ^ 明治23年4月27日官報第2045号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『○行幸佐世保御箸艦 昨二十五日午後五時五十分佐世保鎮守府ヘ御箸艦アラセラレタリ一昨二十六日東京府及横濱市ヘ發送ノ官報附録再出/○行幸御發箸 今二十六日午後二時佐世保港御發艦明後二十八日午前神戸御箸ノ筈ナリ一昨二十六日佐世保發電報
  20. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ49番『◎軍艦種別ノ件 明治二十三年八月二十三日(達三〇四) 横須賀鎮守府所管軍艦浪速、扶桑、高雄、武藏、八重山、橋立、筑波、愛宕、天城ヲ第一種ト定メラレ水雷艇小高、第一水雷艇、第二水雷艇、第三水雷艇、第四水雷艇ヲ第二種ト定メラレ軍艦龍驤、迅鯨、淺間、干珠ヲ第三種ト定メラレ呉鎮守府所管軍艦金剛、比叡、大和、筑紫、摩耶、赤城、嚴島、千代田、天龍、鳳翔ヲ第一種ト定メラレ軍艦館山、石川ヲ第三種ト定メラレ佐世保鎮守府所管軍艦高千穂、葛城、磐城、松島、千鳥、大島、秋津洲、日進、海門、鳥海ヲ第一種ト定メラレ軍艦春日、満珠ヲ第三種ト定メラル』
  21. ^ #達明治31年3月(1)pp.14-15『達第三十四號 海軍大臣ニ於テ別表ノ標準ニ據リ軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラル 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道』
  22. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ50番『◎軍艦及水雷艇類別等級 明治三十一年三月二十一日(達三五)軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム(別紙)』
  23. ^ #撃沈戦記II10-11頁『明治とともに』
  24. ^ #達大正元年8月p.2『達第二號 横須賀鎮守府在籍 軍艦 浪速 右帝國軍艦籍ヨリ除カル 大正元年八月五日 海軍大臣男爵 斎藤實』
  25. ^ #達大正元年8月p.32『達第十一號 艦艇類別標準別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 斎藤實(別表)』
  26. ^ #達大正元年8月pp.33-34『達第十二號 艦艇類別等級別表ノ通改正ス 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 斎藤實(別表)|軍艦|海防艦|沖島、見島、高千穂、嚴島、橋立、千代田、秋津洲、鈴谷、満州、豊橋、韓崎、葛城、大和、武藏、松江|』
  27. ^ a b c #撃沈戦記II16頁
  28. ^ a b c d #撃沈戦記II21-22頁『勝利と敗北』
  29. ^ #高千穂葬儀一件(1)p.43『軍艦高千穂戰死者名簿(兵曹長以下)合計弐百五拾七人)』
  30. ^ #戦袍余薫懐旧録.第3輯第54コマ(原文76頁)『五、S九〇の脱出、高千穂の轟沈
    敵艦隊は十月十七日の砲撃以來、遠く去て我射程内に近づかなかつたが、一日不思議にもS九〇が我射彈を冒し、岩壁に横付けして積込みするから、直に第二艦隊へ「S九〇脱出の模様あり」と報告したが、其の翌日高千穂の轟沈を聞き、如何にも残念であつた。艦隊の方では其の日に限らず、脱出の虞あればこそ、豫てから警戒巡航して居るのであるから、報告の有無に係らず、警戒に粗略はなかつたらうが、脱出を確信したものには今一層報告に念を押せば可かつたとの悔みがあつた。但し此の通信が途中で消えたか、或いは如何に扱はれたかは自分は知らんのである。』
  31. ^ #達大正3年10月p.35『達第百五十八號 横須賀鎮守府在籍 軍艦 高千穂 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 白妙 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正三年十月二十九日 海軍大臣 八代六郎』
  32. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.57『大正三年十月二十九日(達一五九)艦艇類別等級別表中「高千穂」及「白妙」ヲ削ル』
  33. ^ #達大正3年10月p.35『達第百五十九號 艦艇類別等級別表中「高千穂」及「白妙」ヲ削ル 大正三年十月二十九日 海軍大臣 八代六郎』
  34. ^ 大正3年10月27日(火)海軍公報号外 p.41』 アジア歴史資料センター Ref.C12070243200 

参考資料[編集]

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 永井喜之・木俣滋郎 「第1部 第一次世界大戦/1. 日本巡洋艦「高千穂」」『新戦史シリーズ撃沈戦記・PARTⅡ』 朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17223-1
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
  • 官報
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 伊藤痴遊 『元帥東郷平八郎 info:ndljp/pid/1232938』 郁文舎出版部、1934年9月。
    • 海軍文庫 『大日本帝国軍艦帖 info:ndljp/pid/845238』 共益商社書店、1894年10月。
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷) info:ndljp/pid/1886711』 海軍大臣官房、1939年
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』 海軍大臣官房、1940年
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』 海軍大臣官房、1940年
    • 藤田定市編 『戦袍余薫懐旧録.第2輯 info:ndljp/pid/1447099』 財団有終會、1926年12月。
    • 藤田定市編 『戦袍余薫懐旧録.第3輯 info:ndljp/pid/1447108』 財団有終會、1928年1月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『明治31年 達 完/3月(1)』。Ref.C12070040500。
    • 『明治38年 達 完/6月』。Ref.C12070053000。
    • 『大正元年 達 完/8月』。Ref.C12070064400。
    • 『大正3年 達 完/10月』。Ref.C12070068000。
    • 『日露役旅順陥落迄の両国艦船勢力並亡失表(明治37年)』。Ref.C14120009500。
    • 『高千穂葬儀一件(1)』。Ref.C08020384400。
    • 『高千穂葬儀一件(2)』。Ref.C08020384500。
    • 『高千穂葬儀一件(3)』。Ref.C08020384600。

関連項目[編集]