海門 (スループ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Japanese corvette Kaimon.jpg
艦歴
発注
起工 1877年9月1日
進水 1882年8月28日
就役 1884年8月13日[1]
その後 1904年7月5日触雷沈没
除籍 1905年5月21日
性能諸元
排水量 常備:1,381t
全長 64.31m
全幅 10.8m
吃水 4.9 m
機関 一軸レシプロ蒸気機関、円罐4
1,250馬力
燃料 石炭200t
最大速 12.0kt
兵員 210名
兵装 17cm砲1門
12cm砲6門
ノルデンフェルド25mm4連装機関砲4基
ノルデンフェルド11mm5連装機関砲4基

海門(かいもん)は、大日本帝国海軍の鉄骨木皮スループである。艦名の由来は鹿児島県開聞岳

艦歴[編集]

進水式のときに世界で初めてを飛ばしたことで有名。1882年8月28日、横須賀造船所(後の横須賀工廠)にて進水(起工から進水まで5年近くかかった)。1884年8月13日竣工。軍艦海門と命名。

1894年日清戦争威海衛攻略作戦に参加。

1898年3月21日、三等海防艦に類別された。

日露戦争中の1904年7月2日、砲艦平遠、仮装砲艦第六宇和島丸、愛媛丸とともに出撃し、小平島付近での掃海作業援護後帰投中、南三山島南南西沖で触雷[2]。4分で沈没し、艦長高橋守道中佐以下22名が戦死[3]。198名が僚艦に救助された[3]

1905年5月21日除籍。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 坪井航三 中佐:1883年8月16日 - 1884年2月9日
  • 磯辺包義 中佐:1884年2月9日 - 4月15日
  • 児玉利国 中佐:1884年5月19日 - 1886年1月6日
  • 隈崎守約 中佐:1886年1月6日 - 1886年7月14日
  • 新井有貫 大佐:1886年7月14日 - 1888年6月14日
  • 尾本知道 大佐:1888年6月14日 - 1889年3月9日
  • (心得)平尾福三郎 少佐:1889年4月12日 - 8月29日
  • 平尾福三郎 大佐:1889年8月29日 - 1890年9月17日
  • 松永雄樹 大佐:1890年9月17日 - 1891年12月14日
  • 柴山矢八 大佐:1891年12月14日 - 1893年4月20日
  • (心得)桜井規矩之左右 少佐:1893年5月20日 - 1894年6月8日
  • 早崎源吾 少佐:1895年8月20日 - 1896年4月1日
  • 梨羽時起 少佐:1896年4月1日 - 8月13日
  • 大塚暢雄 少佐:1896年8月13日 -
  • 新島一郎 少佐:1897年4月17日 - 10月8日
  • 大井上久麿 少佐:1897年10月8日 - 12月1日
  • 矢島功 中佐:1897年12月27日 - 1898年2月10日
  • 有川貞白 中佐:1898年2月10日 - 1899年9月29日
  • 高橋守道 中佐:1901年3月23日 - 1904年7月5日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 『日本の軍艦第5巻』によると竣工日は3月13日
  2. ^ 日露旅順海戦史、147ページ
  3. ^ a b 日露旅順海戦史、148ページ

参考文献[編集]

  • 世界の艦船増刊 日本巡洋艦史』
  • 雑誌『』編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
  • 真鍋重忠、『日露旅順海戦史』、吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]