葛城 (スループ)

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Japanese corvette Katsuragi.jpg
艦歴
発注
起工 1883年8月18日
進水 1885年3月31日
就役 1887年11月4日
除籍 1913年4月1日
その後 1913年 売却
性能諸元(新造時)
排水量 常備:1,480t[1]
全長 61.4m
全幅 10.7m
吃水 4.6m
機関 一軸 横置還動式2気筒連成レシプロ蒸気機関1基、円缶(石炭専焼)6
1,600馬力
燃料 石炭150t
最大速 13.0kt
兵員 230名
兵装 17cm単装砲2基
12cm単装砲2基
7.5cm単装砲1基
ノルデンフェルト式25mm四連装機砲4基
11mm三連装機砲2基(測量艦時は8cm砲2門)

葛城(かつらぎ)は、大日本帝国海軍の初代・葛城型の1番艦、3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。艦名は、奈良県にある葛城山にちなんで名づけられた。

艦歴[編集]

1883年に横須賀造船所(後の横須賀工廠)で起工し、1887年11月4日に竣工、三等艦に定められ、1890年8月23日に第一種と定められた。

初めは巡洋艦と呼称されていた。日清戦争には、僚艦とともに大連旅順威海衛攻略作戦等に参加。1897年12月21日より測量任務となり、翌年から1912年にかけて日本近海の水路測量に従事した。

1898年3月21日、三等海防艦に類別された。1900年10月6日伊豆大島乳ヶ島で座礁し、11月8日から16日まで横須賀造船廠で修理を行った。日露戦争に際しては、長崎港警備に従事した。1912年8月28日、等級改定で三等が廃され二等海防艦に類別変更される。翌年4月1日に除籍され[2]、同年中に売却された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • (心得)松岡方祇 少佐:1886年12月28日 - 1887年10月27日[3]
  • 松岡方祇 大佐:1887年10月27日[3] - 1889年4月17日
  • (心得)平山藤次郎 少佐:1889年4月17日 - 1889年8月29日
  • 平山藤次郎 大佐:1889年8月29日 - 1890年1月10日
  • (心得)窪田祐章 少佐:1890年1月10日 - 1890年5月13日
  • (心得)有栖川宮威仁親王 少佐:1890年5月13日 - 1890年8月11日
  • 有栖川宮威仁親王 大佐:1890年8月11日 - 1890年9月24日
  • (心得)町田実隆 少佐:1890年9月24日 - 1890年10月16日
  • 町田実隆 大佐:1890年10月16日 - 1891年12月14日
  • 佐藤鎮雄 大佐:1891年12月14日 - 1893年1月25日
  • 島崎好忠 大佐:1893年1月26日 - 1893年5月15日
  • (心得)小田亨 少佐:1894年4月14日 - 1894年12月19日
  • 小田亨 大佐:1894年12月19日 - 1895年11月18日
  • 高木英次郎 大佐:1895年11月18日 - 1896年4月1日
  • 迎敦忠 大佐:1896年4月1日 - 1896年7月28日
  • (心得)梨羽時起 少佐:1896年8月13日 - 1896年12月3日
  • 梨羽時起 大佐:1896年12月3日 - 1897年4月17日
  • 徳久武宣 大佐:1897年4月17日 - 1897年10月1日
  • (心得)友野雄介 少佐:1897年10月1日 - 1897年12月1日
  • 友野雄介 中佐:1897年12月1日 - 1897年12月27日
  • 武井久成 大佐:1897年12月27日 - 1898年3月1日
  • 加藤重成 中佐:1898年3月1日 - 1898年10月1日
  • 大井上久麿 大佐:1898年10月1日 - 1899年3月22日
  • 有川貞白 中佐:1900年3月14日 - 1900年7月4日
  • 伊東吉五郎 中佐:1900年7月4日 - 1901年2月4日
  • 加藤重成 大佐:1901年2月4日 - 1901年3月13日
  • 和田賢助 中佐:1901年10月4日 - 1902年10月6日
  • 池中小次郎 中佐:1902年10月6日 - 1903年2月3日
  • 宇敷甲子郎 中佐:1903年2月3日 - 1903年10月23日
  • 坂元宗七 大佐:不詳 - 1905年12月12日
  • 橋本又吉郎 中佐:1905年12月12日 - 1906年10月12日
  • 山口九十郎 中佐:1907年2月28日 - 1907年9月28日
  • 西垣富太 中佐:1908年2月20日 - 1908年9月25日
  • 志摩猛 中佐:1908年9月25日 - 1909年10月1日
  • 土田粂太郎 中佐:1910年4月20日 - 1910年9月26日
  • 九津見雅雄 中佐:1910年12月1日 - 1912年12月1日

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本の軍艦第5巻』『大日本帝国軍艦帖』によると1,502トン。
  2. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 74頁。◎大正二年四月一日(達六六) 艦艇類別等級別表中軍艦ノ欄内「鈴谷」「葛城」ヲ、驅逐艦ノ欄内「文月」「皐月」「漣」「卷雲」「敷波」「霞」ヲ、水雷艇ノ欄内「第三十號」「第二十五號」「第五十五號」「第五十六號」「第五十七號」「第三十一號」「第三十二號」「第三十六號」「第三十七號」「第三十八號」「第三十九號」「第四十號」「第四十一號」「第四十三號」「第四十四號」「第四十五號」「第四十六號」「第六十二號」「第六十三號」「第六十四號」「第六十五號」ヲ削ル。
  3. ^ a b 『官報』第1301号、明治20年10月28日。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

近代デジタルライブラリ(大日本帝国軍艦帖が閲覧可能)