安芸 (戦艦)

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Japanese battleship Aki.jpg
艦歴
発注 1904年
起工 1906年3月15日
進水 1907年4月14日
就役 1911年3月11日
退役 1923年9月20日除籍
その後 1924年9月6日、標的艦として沈没[1]
性能諸元
排水量 基準:20,100 t、満載:21,800 t
全長 146.9m
全幅 25.5 m
吃水 8.4 m
機関 石炭・重油混焼宮原式水管缶15基+
カーチス式直結タービン2基2軸推進
最大出力 21,600馬力(公称数値)
最大速力 20ノット
燃料 石炭:3,000トン、重油:172トン
兵員 931名
兵装 30.5cm(45口径)砲連装2基4門
25.4cm(45口径)砲連装6基12門
15.2cm(45口径)砲単装8基8門
7.6cm(40口径)砲単装12基12門
45cm水中魚雷発射管単装5門
装甲 舷側:229mm
甲板:76mm
主砲塔:254mm(前盾)
司令塔:254mm(側盾)

安芸(あき)は[2]日本海軍戦艦[3][4]。 艦名は安芸国に由来する[2]。日本海軍の法令上は旧字体安藝だが[3]、本記事では「安芸」とする。日露戦争中に臨時軍事費(明治37年度)で計画され、薩摩とともに建造された2番目の戦艦。

概要[編集]

本艦の武装・装甲配置を示した図。

30.5cm45口径連装砲2基と25.4cm45口径連装砲6基の主砲、中間砲は薩摩と同じであるが、副砲は異なり12cm(40口径)砲から15cm(45口径)砲へと口径が上げられ、威力を増したこれを単装砲で8基装備した。

また、主機に日本の戦艦として初めてカーチス式タービン機関が搭載された。その結果出力は25,000馬力と増加し、速力も装甲巡洋艦並の20ノットを発揮できた。加えて、煙突が薩摩が2本なのに対して安芸は3本なのはボイラー自体の大きさを増して薩摩が20基だったのを本艦は15基に減じたためである。この改正により全長が3m増し、排水量も450トン増になっている。これにより常備排水量、全長は共に薩摩より若干増加し19,800トン、140.2mである。

薩摩と並んで「薩摩型」と称されているものの、前述の通り、タービン機関を搭載する本艦は外見からして薩摩とは全く異なる。筑波型鞍馬型装甲巡洋艦(後に巡洋戦艦)と同一行動が可能であり、戦術的価値としては薩摩よりも遥かに上であった。

また薩摩がドレッドノート竣工によって旧式戦艦の烙印を押されたのに対して、安芸は機関と速度だけはドレッドノートに匹敵する存在であった。

艦歴[編集]

1905年(明治38年)6月11日、日本海軍は甲号戦艦の艦名を「安藝」(安芸)と内定する(乙号戦艦は薩摩を予定)[5]1906年明治39年)3月15日、「安芸」は呉海軍工廠で起工[2]1907年(明治40年)4月15日、進水[2][6]。同日附で甲号戦艦は制式に「安芸」と命名[7][3]。戦艦に類別される[8][4]1911年(明治44年)3月11日、竣工[2]。呉工廠で建造の巡洋戦艦「伊吹」建造を優先したため、本艦の完成が遅れてしまったという[2]

1912年(大正元年)11月12日、横浜沖合で観艦式がおこなわれる(大正天皇御召艦は筑摩裕仁親王雍仁親王宣仁親王の御召艦は平戸[9][10]。 観艦式終了後、大正天皇は「筑摩」から「安芸」に移動、本艦で午餐会がおこなわれた[11]。このあと、天皇は本艦を退艦して横浜港より東京へ戻った[11]

1914年大正3年)には第一次世界大戦に参加。同年秋、摂津河内・安芸で演習中に「安芸」(当時艦長野村房次郎大佐)は房総沖で座礁したが、自力で離礁した[12]

1917年(大正6年)7月、大正天皇皇太子(裕仁親王、のちの昭和天皇)は山陰沿岸を行啓することになり、7月4日に敦賀湾で香取型戦艦1番艦「香取」(艦長桑島省三大佐)に乗艦、「安芸」(艦長中川繁丑大佐)は供奉艦となった[13][14]

1920年(大正9年)3月下旬、皇太子(のちの昭和天皇)が四国・九州地方を巡啓することになり、3月24日に神戸港で御召艦「香取」に乗艦する[15][16]。先導艦を「安芸」、供奉艦を「薩摩」他が務めた[15]

1923年(大正12年)9月20日、除籍[17]。艦艇類別等級表からも削除[18][19]。薩摩型2隻(薩摩、安芸)は研究射撃の標的艦に指定された[20]

1924年(大正13年)9月4日摂政宮皇太子時代の昭和天皇)は横須賀軍港で金剛型巡洋戦艦1番艦「金剛」(連合艦隊司令長官鈴木貫太郎、金剛艦長岸井孝一大佐)に乗艦[21]。供奉艦は軽巡「多摩」(多摩艦長及川古志郎大佐)[20]。 9月5日の研究射撃予定は、悪天候のため延期される(御召艦以下館山湾碇泊)[21][22]9月6日、「安芸」は扶桑型戦艦1番艦「扶桑」に曳航されて演習予定地に移動する[1] [23]房総半島野島崎沖(大島南方海面)は視界不良のため天候の回復を待ち、午後5時10分に長門型戦艦2隻(長門陸奥)による射撃を開始[24][1]。5時25分、「安芸」の左舷傾斜・艦首沈下は著しく、「扶桑」は曳綱を切断[1]。5時40分、再度射撃がおこなわれ、5分後に「安芸」は沈没した[1]

年表[編集]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 矢島純吉 大佐:1910年7月16日 - 1911年5月22日 *兼呉海軍工廠艤装員( - 1911年3月11日)
  • 松村龍雄 大佐:1911年5月22日 - 1912年12月1日
  • 釜屋六郎 大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 野村房次郎 大佐:1913年12月1日 - 1914年12月1日
  • 志摩猛 大佐:1914年12月1日 - 1915年12月13日
  • 安保清種 大佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
  • 中川繁丑 大佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 増田高頼 大佐:1917年12月1日 - 1918年5月3日
  • (兼)小松直幹 大佐:1918年5月3日 - 7月17日
  • 内田虎三郎 大佐:1918年7月17日 - 11月10日
  • 生野太郎八 大佐:1918年11月10日[25] - 1918年12月1日[26]
  • (兼)生野太郎八 大佐:1918年12月1日[26] - 不詳
  • 生野太郎八 大佐:不詳 - 1919年11月20日[27]
  • 石川秀三郎 大佐:1919年11月20日 - 1920年11月20日
  • 黒瀬清一 大佐:1920年11月20日 - 1921年11月1日
  • 加々良乙比古 大佐:1921年11月1日 - 1922年12月1日
  • 森初次 大佐:1922年12月1日 - 1923年9月1日

逸話[編集]

慰霊塔(鳴尾八幡神社)

退役後、安芸の砲身の一本が兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)の鳴尾八幡神社において、「忠魂碑」の塔本体として境内に建立された。当時の鳴尾村より出征した、日清戦争日露戦争(共に氏名・霊数不明)、大東亜戦争(690柱)の英霊が祀られている。1941年昭和16年)の金属類回収令により境内の神馬像が供出されるも、英霊を祀る塔については残された。その後忠魂碑は「慰霊塔」と名称を変え、毎年8月15日には宮司による慰霊祭が行なわれている[28]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e #昭和天皇実録四巻129-130頁『六日 土曜日 大島南方海面における研究射撃』
  2. ^ a b c d e f #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.87『安藝(あき) 艦種一等戰艦 二檣(信號用)姉妹艦に薩摩あり。 艦名考國名なり、安藝國に採る。 艦歴明治39年3月15日起工、同40年4月15日進水、同44年3月11日竣工、右の如く竣工の遅延したるは本艦より1ヶ月後に進水した巡洋戰艦伊吹の完成を先きにしたるに由る。/大正3年乃至大正9年戰役(日獨)從軍:同3年8月第一艦隊第一戰隊に属し青島戰に参加(艦長大佐野村房次郎)、同12年9月20日除籍、廢棄(華府海軍々備制限條約に由る)。
    ―要目― 長492呎/幅83.66呎/喫水2.75呎/排水量19,800噸/機關 カーチス式タービン2 宮原式罐15臺/馬力21,600/速力20/乗組人員930/船材 鋼(装甲9吋)/兵装 12吋砲4 10吋砲12 6吋砲8 12听砲12 機關砲4 發射管5/起工 明治39-3-15/進水 同40-4-15/竣工 同44-3-11/建造所 呉工廠』
  3. ^ a b c #達明治40年4月(1)p.13『達第三十九號 呉海軍工廠ニ於テ製造ノ甲號戰艦ヲ安藝ト命名セラル 明治四十年四月十五日 海軍大臣 斎藤實』
  4. ^ a b #達明治40年4月(1)p.13『達第三十八號 艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「薩摩」ノ次ニ「安藝」ヲ加フ 明治四十年四月十五日 海軍大臣 斎藤實』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.199『◎戰艦安藝薩摩装甲巡洋艦筑波生駒鞍馬伊吹命名ノ件 明治三十八年六月十一日(内令三一六)新造軍艦六隻艦名左ノ通御治定相成候條命名式擧行マテ部内限リ通用スルコトヲ得ル儀ト心得ヘシ|呉海軍工廠ニ於テ製造 甲號戰艦 安藝|横須賀海軍工廠ニ於テ製造 乙號戰艦 薩摩|呉海軍工廠ニ於テ製造 子號装甲巡洋艦 筑波/丑號装甲巡洋艦 生駒|横須賀海軍工廠ニ於テ製造 寅號装甲巡洋艦 鞍馬|呉海軍工廠ニ於テ製造 第一號装甲巡洋艦 伊吹』
  6. ^ #安芸進水式(2)p.35『大臣 安藝十五日午前十時三十分滞リナク進水セリ』
  7. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.200『◎戰艦安藝命名ノ件 明治四十年四月十五日(達三九)呉海軍工廠ニ於テ製造ノ甲號戰艦ヲ安藝ト命名セラル』
  8. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.55『◎明治四十年四月十五日(達三八)艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「薩摩」ノ次ニ「安藝」ヲ加フ』
  9. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実第239コマ(原本87頁)『觀艦式一覧表|大正元-一一-一二|横濱沖|大演習觀艦式|筑摩|一一五|四六〇,八二五|飛行機 二』
  10. ^ #昭和天皇実録一巻614-615頁『(大正元年十一月)十二日 火曜日(平戸・筑摩乗艦)』
  11. ^ a b 大正元年11月13日官報第87号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3『○海軍御演習觀艦式御親閲行幸 天皇陛下ハ御豫定ノ如ク昨十二日午前七時三十五分青山離宮御出門同八時新橋停車場御發車同八時四十五分横濱停車場御箸車軍艦筑摩ニ乗御横濱冲ニ於テ海軍大演習觀艦式御親閲訖テ更ニ軍艦安藝ニ乗御大演習ニ参加ノ海軍将校其他ニ午餐ヲ賜ハリ午後三時五分横濱停車場御發車同三時五十分新橋停車場御箸車同四時十五分還幸アラセラレタリ|○東宮行啓 昨十二日海軍御演習觀艦式御覽ノタメ 皇太子殿下ハ雍仁親王、宣仁親王兩殿下御同伴午前六時五十分東宮假御所御出門同七時十五分新橋停車場御發車同八時横濱停車場御箸車横濱港ヘ行啓午後一時三十分横濱停車場御發車同二時十五分新橋停車場御箸車同二時三十五分還御アラセラレタリ|○皇族差遣 昨十二日横濱沖ニ於テ海軍大演習觀艦式御親閲趾午餐下賜ノ際依仁親王殿下ヲ軍艦河内ニ差遣ハサレタリ』
  12. ^ #禅の応用コマ107(原本171-172頁)『軍艦安藝の救助(大正三年)』
  13. ^ #昭和天皇実録二巻304-305頁『御召艦香取に乗艦』
  14. ^ 大正6年7月6日官報第1479号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○東宮御乗艦 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク一昨四日午前八時二十分静岡御用邸御出門同八時三十分静岡停車場御發車午後四時三十五分金ヶ崎停車場御箸車同四時五十分軍艦香取ニ御乗艦アラセラレタリ』
  15. ^ a b #昭和天皇実録二巻552-553頁『神戸港御出発』
  16. ^ 大正9年3月26日官報第2292号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『○東宮御發艦 皇太子殿下ハ一昨二十四日午前六時四十分二條離宮御出門同七時京都驛御發車同八時五十五分神戸驛御箸車御乗艦同十一時神戸港御發艦アラセラレタリ』
  17. ^ #達明治39年11月p.2『達第百九十五號 軍艦 香取/同 鹿島/同 薩摩/同 安藝/同 生駒/同 鞍馬/同 伊吹/同 三笠/同 肥前 右帝國軍艦籍ヨリ除カル 大正十二年九月二十日 海軍大臣 財部彪』
  18. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.60『◎大正十二年九月二十日(達一九六)艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「香取、鹿島、薩摩、安藝」、巡洋戰艦ノ欄内「生駒、鞍馬、伊吹」及海防艦ノ欄内「三笠、肥前」ヲ削除ス』
  19. ^ #達明治39年11月p.2『達第百九十六號 艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「香取、鹿島、薩摩、安藝」、巡洋戰艦ノ欄内「生駒、鞍馬、伊吹」及海防艦ノ欄内「三笠、肥前」ヲ削除ス 大正十二年九月二十日 海軍大臣 財部彪』
  20. ^ a b #昭和天皇実録四巻127-128頁『(大正十三年九月)四日 木曜日 聯合艦隊に行啓/御召艦金剛/横須賀御出港』
  21. ^ a b 大正13年9月6日(土)官報第3613号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『◎東宮御入港 皇太子殿下ハ一昨日四日午前九時十分東宮假御所御出門同九時三十分東京驛御發車同十一時五分横須賀驛御着車逸見埠頭ヨリ軍艦金剛ニ御乗艦正午十二時横須賀軍港御出港午後二時三十分館山灣御入港アラセラレタリ/◎御取止 皇太子殿下ハ昨五日天候不良ニ付射撃御覽御取止アラセラレタリ』
  22. ^ #昭和天皇実録四巻129頁『五日 金曜日』
  23. ^ 大正13年9月9日(土)官報第3615号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3『◎東宮御碇泊 皇太子殿下ハ本月六日午前九時館山灣御出校午後五時ヨリ大島南方海面ニ於テ舊軍艦安藝ニ對スル研究射撃竝ニ夜間星彈射撃御覧ノ上午後十時館山灣ニ御歸泊アラセラレタリ』
  24. ^ #提督草鹿任一47-49頁『砲術学校射撃科教官』
  25. ^ 『官報』第1883号、大正7年11月12日。
  26. ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  27. ^ 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  28. ^ 神社紹介 - 鳴尾八幡神社 公式サイト

参考文献[編集]

  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』 海軍大臣官房、1940年
    • 山路一善 『禅の応用:日露海戦秘録 info:ndljp/pid/1460412』 秀文閤書房、1941年6月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『明治40年 達完/4月(1)』。Ref.C12070055800。
    • 『大正12年 達完/9月』。Ref.C12070082500。
    • 『安芸進水式(1)』。Ref.C07090128600。
    • 『安芸進水式(2)』。Ref.C07090128700。
    • 『安芸進水式(3)』。Ref.C07090128800。
    • 『安芸進水式(4)』。Ref.C07090128900。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 草鹿提督伝記刊行会 『提督 草鹿任一』 光和堂、1976年2月。
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第一 自明治三十四年至大正二年』 東京書籍株式会社、2015年3月。ISBN 978-487-74401-5。
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第二 自大正三年至大正九年』 東京書籍株式会社、2015年3月。ISBN 978-4487-74402-2
  • 宮内庁編 『昭和天皇実録 第四 自大正十三年至昭和二年』 東京書籍株式会社、2015年3月。ISBN 978-4-487-74404-6
  • 官報

関連項目[編集]